最終更新日(Update)'11.04.30

白魚火 平成23年2月号 抜粋

(通巻第668号)
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 2月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句    浅見善平
「寒あやめ」(近詠) 仁尾正文  
曙集鳥雲集(一部掲載)安食彰彦ほか
白光集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
       
大村泰子、岡あさ乃  ほか    
白光秀句  白岩敏秀
句会報 『いまたか句会』と私  高内尚子
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載)
          森山暢子、 福田 勇 ほか
白魚火秀句 仁尾正文


季節の一句

(相模原) 浅見善平


声変りして卒業の答辞読む  小浜史都女
(平成二十二年六月号 曙集より)

 中学校に三十三年間勤め、卒業式もその数体験しました。「あんなに子供こどもしていたのが、こんなに大きくなって……」と、毎年三年生を送り出す時の感懐でした。
 最後の学校で、退職の前の年の、校長としての祝辞です。「卒業生の皆さん、おめでとう……。自分の将来に大きな夢と希望を持ち、その実現に頑張って下さい。また何処かで笑って逢いましょう……」。
 この年の答辞は、生徒会長でもあったスポーツマンでした。
 「僕は身体が弱かったのですが、バスケットボールの御陰で、こんなに丈夫になりました。高校でも続けます。皆さん、ほんとうに有り難うございました。……」三年間で、心身共にたくましく成長しておりました。


鰊群来ニュース明るき小樽港  国谷ミツヱ
(平成二十二年六月号 白光集より)

 かって昭和三十年頃まで、北海道の日本海沿岸には、毎春鰊の大群が押し寄せてきました。これを鰊の群来といいます。三月より四月半ば頃まで、渡島半島より始まった鰊の北上は、追分けで有名な江差あたりより始まり、小樽、留萌、増毛と北上し、利尻、礼文の島にも寄り、宗谷岬を廻ってオホーツク海を南下、最後の千石場所といわれた私の故郷枝幸を通り、網走あたりで漁期を終えます。
 この漁期には北海道中が湧きました。鰊が押し寄せると、学校は「鰊休み」町中総出で浜に出ての鰊獲りでした。夜通し篝火を焚き、沖上げの声が、風に乗って、朝まで続くのです。
 北海道の春の名物でもあり、お祭りでもありました。小樽には、北国の繁栄とロマンを伝える鰊御殿があります。


曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   


  雪   安食彰彦

万灯の大東京の月冴ゆる
大東京四角の空の寒の月
丸の内マスクの背広急ぎをり
パーサーの笑顔に覗く雪の富士
冬麗富士の頂むらさきに
アルプスの雪連山の晴れわたり
冬晴れや天竜川のしろがねに
雪雲の下流れゆく斐伊大河


 寒 雀  青木華都子

篁を出入りしてゐる寒雀
霜柱踏んで朝刊取りに出る
まばたきをして雪虫を見失なふ
雨後の庭白梅の香のことさらに
やや日脚伸びしとビルの窓越しに
立春の木の瘤疼き出してをり
土筆摘む土手に片足投げ出して
出荷待つ一万本の黄水仙


 寒明くる  白岩敏秀

恋の絵馬年立つ風に鳴りにけり
たつぷりと石鹸の泡初湯かな
堰落つる水のきらりと寒に入る
病室の壁の白さも松過ぎぬ
母の葬終へて氷柱の家に住む
返信のごとく風花舞ひ戻る
灯台のどこが正面春を待つ
寒明くる青空といふ贈り物


 徒 然 草 坂本タカ女

読みあぐねたる万葉仮名雪明り
水仙や磨き抜かれし床框
冬ざれや手垢のつきし大辞典
仕上げむと徒然草を十二月
寒造柱をもたぬ仕込蔵
酒蔵の看貫秤寒の内
酒蔵の門の閂寒明くる
夫亡くて過ぎにし月日雪を掻く


 今朝の春  鈴木三都夫

師の齢一つ越したる年迎ふ
喜寿傘寿いつか米寿へ今朝の春
欲るものの句に如くはなし初詣
一壺酒を昼も愛して三日かな
万葉の里の焼津辺どんど焚く
左義長の風に千切れし祝詞かな
左義長の灰に名残りの牛蒡注連
遠州は風の古里藷を干す  
 日向ぼこ  水鳥川弘宇
おみやげの干物の匂ふ初句会
貼り紙の「頭上に注意」冬館
漁町の綱引き通り北風烈し
山下家大戸閉ざして北風烈し
買初の添へてくれたる干し鰈
目の高さなる句碑親し寒の明け
わが部屋を猫が分捕り日脚伸ぶ
ぼけ防止十か條読み日向ぼこ

 日脚伸ぶ  山根仙花
裏山の枯れなつかしき母郷かな
木々枯れて孤独の影を交し合ふ
研ぎし刃に冬雲重く垂れにけり
研ぎ上げし刃先に触れて雪降れり
雪の日の音沈めたる雑木山
薬飲むことに口開け寒灯下
音一つ一つの冴ゆる夜のしじま
縁にのぶる一樹の影や日脚伸ぶ

 青 黄 粉 小浜史都女
雪止んでしづかに暮るる母の郷
冬麗や文読む仏在します
馬撫でて馬撫でられて四温かな
日脚すこし伸びたる鯉の動きかな
二月鴨居つくつもりの浮寝かな
青匂ふうぐひす餅の青黄粉
紅梅とわかるほど紅ふくらめる
梢先のあからんでゐる芽吹き前

 神鈴の緒  小林梨花
寒禽の声潜めたる古墳かな
漆黒の梁の下なる寒灯
ぱりぱりと音立てて噛む追儺豆
やうやくに鳥の声聞く春隣
立春の髪黒々と染めにけり
神鈴の緒のしつとりと名残雪
菓子箱に入れて貰ひし簀乾海苔
人声もなき一峡の余寒かな

 塩 昆 布  鶴見一石子
福寿草寄り添ふ丈のみなちがふ
日脚伸ぶ潮騒ねむき九十九里
大欅芽吹ける空の蒼の張り
掘り起こす機嫌よろしき春の土
紅梅の莟時間を賜ひしと
菜飯膳白木の箸と塩昆布
春雷やいくさの口火狼煙台
水車春を廻してゐるやうな

 待 春  渡邉春枝
海水に黒帯濡るる寒稽古
一塵もとどめぬ苑の寒牡丹
大家族たりしは昔寒卵
深閑と物のかたちに雪積る
酒蔵の茶房にしばし日脚伸ぶ
饒舌のあとの憂鬱大根煮る
待春の万歩をめざす万歩計
平凡に生きて悔なし春立てり


鳥雲集
〔上席同人 作品〕   
一部のみ。 順次掲載  

  能 始  橋場きよ
美しき凋落のとき冬薔薇
鰭酒もワインも遠き日のものに
寡婦として住みし幾年実南天
煤逃げと知らず誘ひに乘りにけり
平凡な日日がしあはせ初雀
梅が枝の箙に揺るる能始

  大 寒  武永江邨
息深く吸ふ大寒の朝寢かな
寒禽の森のぬくみにひそみをり
唐突な友の訃積雪蹴つて聞く
厳寒の友情断えてしまひけり
春を待つ腰を両手で叩きけり
寒やいと据ゑてひと日の終りとす

 越前の冬 加茂都紀女
九頭龍を海へ押し出す寒の雨
雪山を掻き分け一乗瀧を観に
雪止みて星の夜となる白川郷
本堂に人の声して雪明り
笹鳴きの村に来てゐる魚売
探梅や卍が辻を抜けてより

 山 眠 る 桐谷綾子
山眠る夜は猪走らせて
指先に光あつめて雛を折る
侘助や尼寺で聴く平家琵琶
千条の音をひとつに寒の滝
受験期の母ひたすらに祈るのみ
寒明けの箱根細工のオルゴール
 梅  関口都亦絵
薬草の袋ぷかぷか寒湯治
日記帳余白のめだつ睦月尽
牛の仔のゆまりきらきら寒明くる
陽に映えてお薬師さまの春氷柱
春の鳶毛野の山河を知りつくす
梅真白やすらぎ給ふ寄せ仏

 寒 土 用 寺澤朝子
一と流れ帯の掛けあり初衣桁
手毬つきてまりの唄を憶ひ出す
新玉の塩井に汲める御神水
文机に墨の香たてり寒土用
祭神は狸明神枯れ葉舞ふ
大どかに入り日沈みぬ春立つ日

 薄 氷  野口一秋
切り火もて点けし鎮守の飾り焚
陥穽の奈落がそこに若菜摘む
探梅の突き当りたる狼火台
盆地なす窯場笹鳴日和かな
綿虫の蒼白となる逢魔時
薄氷に唇ふれに来る金魚かな

 小 正 月 福村ミサ子
小正月仮屋の真中に神祀り
仮屋を守る顎鬚長き榾の主
するめ焼く榾火を少し掻き寄せて
舎利木に鳶の見てゐる榾げむり
耳朶痒く明日も雪の降るといふ
雪折れの松らんごくにお濠端

白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
仁尾正文選

   松江  森山暢子

幾重にも女竹重ねて雪囲
集落のはづれに飾焚きにけり
県境は海にもありて雪降れり
雪しまく漢方薬を買ひに出て
封筒に入れて寒海苔届きけり


  浜松  福田 勇

下馬の札昔から立つ初詣
手びねりの盃に金箔入りの屠蘇
初読みは井伊家千年物語
小柄なる女剣士の寒稽古
旧正や生家に残る井戸一つ


白魚火秀句
仁尾正文
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県境は海にもありて雪降れり 森山暢子

 山口、福岡両県の境、大分、愛媛の県境、和歌山、徳島の境は、関門海峡や豊後水道、紀伊水道と藩政時代からの明快な境である。一方岡山県の鷲羽山と櫃石島との極く狭い水道に県境のあるのは、親藩の高松藩が外様の備前に備えた政治的な県境であろう。
 掲句。上十二句は特段目新しいものではない。この句を評価したのは座五の「雪降れり」である。雪は、雪月花という日本文化の代表的な季物であるが、この句は、そこまで雪に負荷をかけていない。こうした場合に上句にぴったりする季語に悩むのが実作者であるが、簡潔に、何の苦労もないように置いてある。一句に品格が出て、上句と取り合わさってポエムが生れた。無技巧の技巧というべきものだ。

下馬の札昔から立つ初詣 福田 勇

 下馬は貴人の門や城門、格式のある寺社に立っている札でここでは何人も馬から下りるのが表敬であった。作者はそうした寺社に初詣しているのであるが、多くの人も同じであろう。誰もが見て知っている下馬札であるが、初詣にこれを詠んだ人を知らない。『日本大歳時記』『角川俳句大歳時記』風生、波郷、健吉、狩行の編んだ歳時記や『しまね歳時記』『岩手歳時記』『八戸俳句歳時記』などにも例句に「下馬札」を詠んだものは一つもない。掲句は、初詣に下馬札を登場させた一番乗りの手柄がある。

この深雪笑ふほかなく掻きにけり 森 淳子

 昨年から今年にかけて日本海側や北海道の豪雪はすさまじく、これが東京や関東にまで及び驚いた。六百台もの車が立往生し自衛隊の救援によりやっと脱出した所もあった。一夜に三・九メートルも積った所もあった。雪下し、雪掻きには掲句の如く「笑ふほかなく」と諦めが先立ち、慰める言葉を知らない。

いごつそうの婿を囲みて年の酒 松原政利

 NHKの大河ドラマ「龍馬伝」では龍馬役の福山雅治の土佐弁が仲々のもので「方言はお国の手形」という俚諺を頷かされた。信念を曲げない、頑固者という「いごっそう」は土佐の男の気骨を表す語だ。掲句は、土佐から女婿が来訪し一家を挙げて年酒を酌み交したのである。きっと酒豪なのであろう。

拾ひたる命慶び屠蘇祝ふ 平間純一

 作者は昨年思いもかけぬ大病に見舞われたが、気力体力によって見事に社会復帰を果した。「拾ひたる命慶び」は本人だけでなく周りの者も喜ばせる。一病息災をモットーにして大事にして欲しい。

サッカーの十番拳突き上ぐる 齋藤文子

 サッカー選手の背番号10は、野球選手の18に相当するエースナンバー。一点を取るのに九十分以上もかかるのがざらなサッカーであるから得点した時の派手なパフォーマンスは当然であろう。先般のサッカー・アジアカップで日本チームの十番は香川選手で二得点した。句はそのときの喜びであるが、香川選手がリタイアした後実質十番を務めた長友選手のセンターリングをダイレクトシュートして勝利した李選手のシーンが二重写しされた。

鬣を立て元日の波がしら 檜林弘一

 元日の大きな波頭を「鬣を立て」と比喩した。比喩は一読で読者に景が飛び込んでこないと成功しない。掲句はその典型で速度がある。今年にかける気概も見えてきた。

親にしかわからぬ喃語木々芽吹く 安達みわ子

 この喃語は嬰児のまだ言葉にならぬ段階のもの。母親は嬰児の泣き声ですら、痛いのか、空腹なのかむつきが濡れているのか聞き分けるという。喃語ならどの程度上機嫌なのかをすべて聞き分ける。置いた季語のごとくこの子には無限の未来がある。

家伝なる雑煮娘に教へけり 唐沢幸子
 家伝来の雑煮の味を娘に教えている。この句は「娘」を「むすめ」と美しく読ませてよい。「こ」と読ませるのは俳人の勝手読み、「嫁ぐ娘」などは、もっての外だ。娘を「こ」と読ませる句は従来通り採らない。

初午にひと日茶を断つ家風かな 若林光一

 昔この家では初午に不幸なことがあったのであろう。以来この日を慎しんで一日中茶断ちを家例としているのである。

    その他触れたかった秀句     
梅ひとつふたあつ兄の傷癒えよ
長命を祝ぎていただく賀状かな
薔薇の芽や棘に力の満ちてきし
ポップコーンの如く盆梅花もてる
七草の独り居に具の多すぎて
立春の凧蒼天に揚りけり
如月の水に力のありにけり
すずしろの小指がほどの若葉籠
一膳に余る独居の棚探し
黒板に先生の顔卒業す
つくばひの木の葉を噛める氷面鏡
カナダより賀状届きぬ松過ぎて
日本海臨む墓前の水仙花
一枝が一枝誘ひ梅開く
聞きにくきことをさらりと日向ぼこ
早川俊久
森井杏雨
小川惠子
富岡のり子
鍵山皐月
鎗田さやか
齋藤 都
高間 葉
斉藤かつみ
吉田美鈴
宮崎萌子
甘蔗郁子
金築暮尼子
山本秀子
山口和恵


白光集
〔同人作品〕 巻頭句
白岩敏秀選

  大村泰子

水しぶき上げ牡蠣舟の帰りけり
追儺豆ひとつぶ鬼の髪にのり
みづうみに余寒の波の立ちにけり
蹲踞の水きらきらと寒明くる
浅春の絵馬万願の音たつる


  岡あさ乃

白毫のひかり放ちて寒明くる
きさらぎの湖むらさきに明けにけり
料峭の投網の雫ひかりけり
渋滞の橋くぐりゆく蜆舟
湖のひかりを蹴つて鴨かへる


白光秀句
白岩敏秀

浅春の絵馬万願の音たつる 大村泰子

 人間とは勝手なもので普段は神や仏には無関心であっても、切羽詰まればついつい神や仏に頼りたくなる。特に一生を左右するような受験や結婚となれば尚更のことだ。
 ところで掲句は沢山の願いが込められた絵馬が早春の風に鳴っているという情景。風に鳴る絵馬の一枚一枚が願いを叶えてくれと訴えているようでもある。
 春浅い風はまだ冷たい。冷たい風を耐えた者のみが本格的な春を享受することができる。「万願」の音はやがて「満願」の音を立てることだろう。そのことを知っている作者の胸のなかには暖かい春の風が吹いている。
 みづうみに余寒の波の立ちにけり
 春が来たというのに岸辺を吹く風は冷たい。みづうみには波がせめぎ合いながら白い波頭を立てている。
 真っ直ぐに詠み下ろされたリズムは余寒の波をクローズアップさせ、せめぎ合う波の音まで聞こえてくるようだ。

湖のひかりを蹴つて鴨かえる 岡あさ乃

 北帰行の最初の瞬間がしっかり捉えられている。湖面を飛び立つ鴨の足が水を離れる一瞬の動きを「ひかりを蹴つて」と感じ取った切り口が新鮮。それが水を蹴った水しぶきのひかりであったとしても…。
 『虚に居て実を行ふべし。実に居て、虚にあそぶはかたし』(芭蕉)。これを解説して「単なる写実によっては、物事の真実に到達することは困難であり、自由な想像の力を借りるとき、はじめて真実が見えてくる」と山下一海は述べている(「芭蕉百名言」 山下一海 富士見書房)。
 この句は想像力を働かせ、感性を働かせることの大切さを教えてくれている。

畳替嫁ぎし子等の跡消えて 弓場忠義

 娘達はあそこで笑い、ここでお茶を淹れてくれた。嫁入りのときに両手をついて挨拶をしたのはこの場所だった。
 新しい年を迎えるために畳替をしたのだが、娘達の生活の跡や匂いまで消えてしまった。
 事実だけが淡々と述べられていながら、娘を嫁がせた父親のほろ苦い思いが余韻として漂っている。

ストーブへ木椅子引き寄す中也の詩 田中ゆうき

 中原中也(明治四十年~昭和十二年)は昭和叙情詩の一頂点をなす詩人。詩集「山羊の歌」「在りし日の歌」など。
 夕食の片付けも終わって、これから誰にも邪魔されることのない私一人の時間。ストーブの前に木椅子を引き寄せ、取り出す中原中也の詩集。
   サーカス
 幾時代かがありまして/茶色の戦争がありました/…… 
(山羊の歌)
   頑是ないない歌
 思えば遠く来たもんだ/十二の冬のあの夕べ/……
       (在りし日の歌)
 時を忘れて読み耽っていく中也の詩。物音のない冬の夜、ストーブの暖かさに包まれて充足の時が流れていく。

寒晴れや木地師の部屋の黒電話 舛岡美恵子

 永年ここに住み、昔の暮らしを守りながら木地師として暮らしてきた姿が想像される。ダイヤル式の黒電話を使っているくらいだから、おそらく盆や椀をつくるのも手作業なのだろう。
 時代の進歩から取り残されたような黒電話に折からの寒晴れの明るい日差しが届いている。黒電話はこうして毎年の寒晴れの日を受けながら古びていったのだろう。
 使いやすさや便利さを追い続ける現代にあって、古きものを良しとする気持ちを大切にしたい一句である。

春を待つ日射しに力ついてきし 大石伊佐子

 冬の俯いたような弱々しい日射しから顔をぐいと上げた日射しに変わった。日射しに力がついてきたのだ。
 中七から下五への弾むようなリズムに春への期待感が籠められいる。春はもうすぐだ。

餅花を飾り明るき美容院 松原トシヱ

 餅花を飾ったから明るくなったのではない。明るい美容院が餅花を飾って益々明るくなったのだ。
 飾られた餅花のもとで美しくなって帰ってゆく女性たち。小正月の華やぎもあって明るく楽しい雰囲気がよく伝わってくる。

福寿草咲きて蜜蜂訪ねくる 大原千賀子

 「福寿草さん、やっと咲きましたね」
 「ああ、蜜蜂さん。お久しぶり…」とこんな会話が聞こえてきそう。
 見たままが見た通り叙されていながら「訪ねくる」がいかにも親しげで楽しい。
 ある日の暖かい昼下がりの光景。

    その他の感銘句
枯木立抜けてさびしき諸手かな
黒松の対の彩おく土凍てし
夕暮れて笹子の還る一の宮
日脚伸ぶ倉に嵌め込み窓ひとつ
お年玉受くる少女の指きれい
水よりも風の冷たし大根干す
軋むほどしばれきつたるオホーツク
女正月鍋底の焦げ磨きをり
風邪引きの家に来てゐる薬売り
陽にかがみ薺はこべら摘みにけり
春立つや病める時にも紅さして
利根川の岸広くして枯野かな
冬ぬくし窓際に坐し着物とく
冬欅梢こまやかに日にうるみ
浜焚火をんな一人は後向き
鈴木敬子
坂東紀子
中村國司
小林布佐子
竹田 環枝
齋藤 都
根本敦子
久保美津女
山本千恵子
飯塚比呂子
中曽根田美子
天野幸尖
伊藤政江
早川三知子
渡部信子

禁無断転載