最終更新日(Update)'11.03.30

白魚火 平成23年2月号 抜粋

(通巻第667号)
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 2月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句    瀬下光魚
「白息」(近詠) 仁尾正文  
曙集鳥雲集(一部掲載)安食彰彦ほか
白光集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
       
野澤房子、小村絹代 ほか    
白光秀句  白岩敏秀
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載)
          村上尚子、藤江喨子 ほか
白魚火秀句 仁尾正文


季節の一句

(宇都宮) 瀬下光魚

若鷲の帰らぬ基地に青き踏む 川上一郎
(平成二十二年五月号 白魚火集)

 〝若鷲〟ときくと昔若かりし頃体験した予科練(海軍甲種第十三期飛行予科練習生)時代の体験者として思い出される。もう六十年以上の月日が経過していても、あの日あの時が思い起され、中でも特別攻撃隊の兵士を送り出した飛行場を思い起こす。特攻兵を送る全員整列のマイクが高鳴り、やがて、帽振れとともに、最後の別れの旋回を残して、先輩達が散って行った。二度と戻って来ない飛行場、その片隅には少しばかりの草地があり、春の訪れとともに新芽が青々と芽を出し来たが、特攻で飛び立った幾多の若人が任務を完了し、笑顔で戻ってきたような気がする、心にじんとくる佳句だと思う。いつまでもその時の事を忘れず思い起こしては作句するなど、経験者のみが知るひとつの冥利でしょう。

雑木山芽吹きを誘ふ雨けぶる 水出もとめ
(平成二十二年五月号 白魚火集)

 渓流の流れの瀬音が身辺に感じられ、昨夜からの小糠雨降る雑木山も季節を身に浴びて、薄紅色に染まった木の芽雨により、さらにその色具合が深く、渓流の岩肌が小雨にしっぽりと濡れ、静けさの中に木の芽雨降る雑木林が浸っている。渓流の雑木の一本一本が一斉に吹き出す景観は、まさに驚くばかりであり、これらの芽吹きを促進し誘っているのが小糠雨である。そして雨けぶるで最後を締めている点さすがと思う、雨けぶる様子が見えてくる佳句と思う。樹々の木の芽が薄煙をあげて漂うばかりであり、渓流に棲む山女達には絶好の釣日和でもある。今年も亦渓流釣が解禁となり渓も賑わってくることでしょう。いつまでも芽吹く木の芽を大切にしたい。


曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 
   牡 丹 雪   安食彰彦

海の辺の大風車こそ恵方かな
生涯の我が庵に降る牡丹雪
旧道は消えゆく定め深雪晴れ
雪降るや児は口笛を吹いてをり
刻々と大雪降れり椅子に掛く
雪嶺に群青の天ありにけり
大斐伊の上を寒雁渡りけり
雪やみて大斐伊の美し橋二つ


 初 護 摩   青木華都子

赤ペンで書き足す予定新暦
破魔矢受く慣れぬ手つきの俄か巫女
初護摩や案内の僧の白袴
ふはふはと雪虫あてもなく舞へり
実南天こぼるる寺の裏鬼門
霜柱け散らし雀とびたてり
寒の水澄めりぷくつと泡を吹き
飾り焚くオレンジの炎のめらめらと


 象 の 鼻   白岩敏秀

冬うらら振子動きの象の鼻
北壁の荒さを見せて山眠る
子のかたち崩しセーター解きけり
戸袋に戸の影しまふ冬日和
仕舞風呂湯中りの柚子掬ひ出す
葉牡丹を指して正午の花時計
研師来て日向に坐りゐる師走
灯台の螺旋階段去年今年


 をとこめし   坂本タカ女

展望台遥か朴の実辛夷の実
しつらへしごと水底の紅葉かな
レンタルの犬と茶房へをとこめし
山眠る懐抱きの笹小屋三棟
鉾墓に見ゆる面相冬ざるる
折り返すとき胸白し鴨の群
鴨を撮るひとり暮しといふ男
北窓を塞ぎ陶土を寝かせあり


 冬ざるる   鈴木三都夫

紅葉散る化粧一枚づつ落し
鉄幹のどつこい生きてゐる冬芽
裸木にして未練葉の五六片
制札に「女改め」関の冬
牡蠣殻を渚に漁る寒鴉
牡蠣篊に波の遊べる日和かな
冬ざれや湖畔に乾ぶ鰻筒
仏の座はや座を見せし十二月

   冬 館   水鳥川弘宇
そのかみの鯨分限者大飾
くぐり戸は貼り紙だらけ冬館
「頭に注意」貼り紙古りし冬館
山下家大戸閉ざして北風烈し
大綱引通り北風吹き拔くる
朝市を終へし呼子の町寒し
買初はみんな呼子の干物かな
おみやげの干物の匂ふ初句会

 今朝の春   山根仙花
落葉して素顔となりし雑木山
青空は羨し落葉を終へし木々
転げ出て夕日まみれの竜の玉
泉湧く闇のあたりの淑気かな
生かされて生きて九十今朝の春
初日差す郵便受を開けにけり
初風呂に九十歳の指反らす
尖りたる石狐の顔や寒に入る

  火 柱   小浜史都女
仏壇の真ん中に置く柿二つ
炉の炭で足りたる暖の四畳半
坪畑に雪の来さうな匂ひかな
お火焚を見上げて神に近くをり
お火焚の狐も降りて来りけり
お火焚の火柱棒のごとく立つ
凍てし夜の火柱を引き上げてをり
おもしろし雪は斜めに真つ直に

 大破魔矢   小林梨花
眼前を塞ぐは雪の山河なり
引き返すことすらならぬ深雪かな
楪の艶やかなるを神の膳
迸る渓の水音の淑気かな
我が背丈越す子ばかりや大旦
お降りや相々傘の老夫婦
代る代る天へ掲ぐる大破魔矢
力まかせに雑巾絞る初仕事

 藪 柑 子   鶴見一石子
寒林を抜け寒林の影を踏む
寒夕焼晩節に時まつたなし
雪折れの音のかぶさる薬師堂
僧正の嬉しき言葉藪柑子
大寒の水とほりゆく喉仏
晩年の疲幣払拭龍の玉
日脚伸ぶ一人ひとりの電子辞書
世を照らす尊徳堀の芹の水

 綿 虫   渡邉春枝
万両の万の実熟るる蔵家敷
川明りうけ冬鳥の集まる樹
綿虫を吹いて一日の力抜く
綿虫の石仏に触れ句碑にふれ
日溜りの冬蝶指をもて翔たす
冬の山降りてまみゆる久女句碑
極月や碑の享年とわが齢
群鳩のくぐもり啼きて年つまる


鳥雲集
〔上席同人 作品〕   
一部のみ。 順次掲載  

   十 二 月   清水和子
前を行くリュックに止まる散紅葉
日遍し枝の撓に蜜柑熟れ
電車過ぐる度大揺れの枯尾花
草虱校長室へついて来し
十二月玩具の包みなべて赤
綿虫の漂うてをり日の面

  鳰   辻すみよ
鴨の来て日々新しき湖の景
浮いて来るまでの不安やかいつぶり
浮くたびに鳰の遠のく澪標
浮寝鴨ぶつかりさうでぶつからず
松落葉火種に菊を焚きはじむ
菊を焚く熊手で焔押へては

 夕しぐれ   源 伸枝
厨子の扉の閉ざされしまま冬ともし
極月の佛をへだつ細格子
キャンパスの道ひろびろと冬桜
不器用に釘を打ちをり十二月
猫の鈴はづして葬る夕しぐれ
樽酒の杉の香強き寒の入り

 年暮るる   横田じゆんこ
白菜の白さ一枚づつ違ふ
鰭休め鯉もするなり日向ぼこ
多作多捨残る句のなく年暮るる
歌留多とり息ととのへて対しけり
てきぱきと朝の始まる四日かな
かたまらず散らばりもせず梅見かな
 長 寿 箸   浅野数方
信号に堰き止めらるる師走顔
更けし夜のごろ寝まろ寝や大晦日
元日や父にしつらふ長寿箸
帯揚げの色これと決め初鏡
冬ぬくし親指ほどのにぎり仏
声かけて声かけられて雪を掻く

   鷹舞へり   富田郁子
風立ちて水鳥公園枯れ急ぐ
遠めがね白鳥一羽飽かず追ふ
波荒き日や白鳥は遠目して
冬日浴びお辞儀してゐる鳥は何
玲瓏と伯耆富士あり鷹舞へり
交通機関絶え大雪の三が日

  初 鏡   桧林ひろ子
クリスマスイブの賑はひ地上地下
冬薔薇に刺研ぐ風の容赦なし
年用意ついでに宝籤を買ふ
数へ日やひよつこりと出る無くしもの
初鏡母に対面せるごとし
三寒のあれば四温のありがたき

  米 寿   田村萠尖
生れし地に米寿迎ふる年新た
米寿とふ気負ひかすかに年迎ふ
元朝やいつもの小鳥庭に来し
神官のひとりは句友大旦
うす雪に艶深めたる福寿草
噴煙の雲より淡き初浅間

白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
仁尾正文選

    磐田  村上尚子 

波郷忌の過ぎ冬山と真向かへる
柚子風呂や母になかりし日を重ね
いちまいの葉の漂へる冬泉
冬の雷しばらく水面落ち着かず
鴨千羽風上へ胸揃へけり


    出雲  藤江喨子

寒晴や磴千段を駈け登る
法の庭小さき渦巻き落葉舞ふ
神奈備の風に向ひて大根干す
見知らぬ人と日向ぼこして船の旅
二つ割る旅の終りの寒卵


白魚火秀句
仁尾正文
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柚子風呂や母になかりし日を重ね 村上尚子

 この母は、六十歳代の作者より若くして亡くなったようである。医療の発達した時代であるからこの早世は痛切である。日進月歩で移り変わってきている日本の景観や世情を母にも見て欲しかったという母恋いの句である。「柚子風呂」が重くも軽くもなく、暗過ぎも明るすぎもなく、まことによく適っている。コト俳句は季語が成否を決めると常々言っているがそれに応えた秀句である。
 句稿の中には妣を「はは」と読ませているものがあるが、文字に意味を託したものは、歌謡曲の「青春」「理由」と同様詞芸である俳句に負荷を負わし過ぎている。「矍鑠」「過疎」「沛然」などの既成語も同様である。掲句は妣の具象化が果されている。
夕立の爪先立ちて来りけり 伊藤通明
も沛然を具象化した秀句である。

神奈備の風に向ひて大根干す 藤江喨子

 神奈備は神の鎮座する山、全国では宍道湖南岸の仏経山、北岸、佐太神社近くの朝日山など出雲に四つ、明日香に三つ、斑鳩の三室山、京都の甘南備山等が著名である。
 神話の国出雲では、神代この方人々の暮しと山、特に神の在る神奈備とは深い係りがある。山は何千年もの間出雲の人々の生死を見、歴史を見てきた。人々も山を仰いで、敬虔になり、苦難のときはそれを乗り切る勇気を授ってきた。
 掲句は、初冬の風の中神奈備に向かって大根を干しているという褻の景である。だが、他国の者にはこの平穏で大らかな神話の国の景が羨しいのである。

合掌家炉辺の四方の荒筵 安澤啓子

 東名高速道の豊田ジャンクションより多治見、郡上八幡を経て白川郷に至る東海・北陸道が完成して、浜松から旧五箇山村へは片道三時間半、白川村と両方吟行しても十三時間もあれば足りる。十一月のある日私共数名がここを吟行し、十二月の例句会に掲句が出されて驚いた。作者は今介護に殆んどの時間を取られ、例句会でも途中退場してケアハウスへ夫を迎えに行っている状態である。聞くとかって白川郷を吟行したことがあったという。吟行は一つの投資。例えその時納得のゆく句が出来なくても、その折の状景を想起すると何年か後になっても掲句のような佳句が得られるのである。
 合掌家は客間の外はすべて板間。大きな囲炉裏が切られ夜も昼も炉火を絶やさない。炉の煙はどの階も板間の部屋の暖房になるだけでなく合掌組の垂木や竹や縄を燻べて何十年も長持ちさせるのだという。
 掲句は、大家族時代の荒筵が炉の四方に今も残っていたようだ。この筵は家族がここに集って食事をし談笑し生活の要になった所。波郷の「六月の女すわれる荒筵」とは同じ荒筵でも景も情も全く違う厳しさを感じさせる荒筵だ。

舌を焼く熱さも馳走根深汁 町田 宏

 筆者は、料理は何一つできぬが、夕どきの各テレビ局の料理番組はよく見る。ホテルのシェフが登場して木目細い所まで配意した料理に感心したり、一人親方の料理屋の店主が工夫を凝らし懸命に取り組んでいるのに拍手を送りたくなったりもする。そうした中で掲句の「舌を焼く熱さも馳走」に共感した。寒いときはこのような熱いものこそが何よりの心配り、名料理人に限らず炊事する人は皆人の気持を大切にしているのである。

寒涛の引くとき海苔の立ち上がり 渡部幸子

 この海苔は、出雲風土記にも出ている十六島の岩海苔。国内では最高級の品質を誇るものである。海苔礁には干潮であっても寒涛が寄せては返す。この返したとき岩海苔を掻き、寄せたときは身を躱すのである。
 岩海苔はすべて岩にへばりついているものと思っていたのであるが海苔も藻の種類であるので主に波に浮游するものを摘むのだという。あるとき強い引潮が来て「海苔が立ち上った」のである。客観写生であるが海苔にも意志があるかのよう。インパクトのある句だ。

馬好きと人好きの馬冬ぬくし 石川純子

犬好きの人を犬は直感してすぐになつく。馬も同じなのであろう。季語の「冬ぬくし」を見ると、この作者は馬好き、馬もすぐ作者になついたのである。

町道まで雪掻く夫のゐて寧し 青砥静代

 今年の島根は連日豪雪に見舞われたようだ。除雪は重労働であるが町道まで雪を掻く夫は頼もしい限り。「寧し」はその逞しさに安らいだ想夫恋といってもよかろう。

    その他触れたかった秀句     
白足袋の白大切に初茶の湯
経絡に添うて鍼打つ近松忌
束ねられピリカメノコの賀状来る
隣家への径も清めて年明くる
万物に影の生まるる初日の出
こなた魚鱗あなた鶴翼鴨の陣
餅搗きに薪の一山使ひ切り
元日の左四十度のシュート
息白し寡黙の人も饒舌も
点袋の千代紙選ぶ十二月
水仙や海のそばまで山迫る
雲が雲追ひ越してゆく師走かな
搗き立ての餅や勤労感謝の日
五指入れてみて手袋の品定め
初夢や鼠の大き尾に目覚む
高岡良子
平間純一
余市桃子
谷口泰子
塚本美知子
岡田暮煙
新屋絹代
松原 甫
荒井孝子
河合ひろ子
山本波代
大田喜久枝
伊賀 文
星野靖子
佐川春子


白光集
〔同人作品〕 巻頭句
白岩敏秀選


    野澤房子

連嶺に礼して年の改まる
窯神に年明くる水供へけり
海山のものの重みを雑煮椀
写楽の目ぎりぎり寄つて絵双六
音たてて的の応ふる弓始


    小村絹代

波除けを越ゆる波あり蕪干す
鬩ぎ合ふ河口の鳥や年つまる
磴上る一段づつの石の冷え
グランドを落葉が走る又走る
年の瀬や直線ばかりのミシン踏む


白光秀句
白岩敏秀

海山のものの重みを雑煮椀 野澤房子

 雑煮は日本の食文化の豊かさである。地方によってさまざまな雑煮があろうが、海の幸、山の幸がふんだんに盛り込まれている。
 この句のよさは「ものの重みを」の「を」にある。「の」であれば単なる報告に終わってしまう。貴重な助詞の「を」である。しかも、「重さ」として具材の量から質への転換が図られている。
 一椀に盛られた雑煮の重さが正月のめでたさに通い合っている。
音たてて的の応ふる弓始
 射手も弓も的も登場しない。カンと矢が的に当たった乾いた音があるだけだ。それだけで十分に情景が見えてくる。
 「見る」と「観る」の違いを感じさせる句だ。

グランドを落葉が走る又走る 小村絹代

 子ども達が新学期の頃に若葉となり、夏には木蔭となって子ども達を休ませてくれた校庭の木々。そして、運動会を見守ってくれた木々。
 今は冬。枝を離れた葉は落葉となってグランドを走る。かって子ども達が運動会で走ったように…。やがてグランドの土に還っていくであろう落葉が最後に子ども達に見せる贈りものである。
 自然界の避けがたいサイクルではあるが、ものの終焉ということに思いを至すと哀れが深い。

去年今年何も変らぬ二人かな 梶山憲子

 元気なときは喧嘩口論もし、病気になればお互いに看病しあう。そんなかけがえのない二人の関係、しかもいつまでたっても変わることのない二人。
 お互いを尊重しあって暮らしてきた今の平凡を、良しとする気持ちが去年今年に繋がっている。

紙漉の水にまだある夕明り 森井章恵

 紙漉の作業は終わったが水はまだ動いている。動いている水にきらきらとあたる夕べのひかり。何の説明も解説も要らない、ただ水明りが消えるまでじっと凝視していれば十分だ。
 やがて夕明りも消えていく。明日はまた激しい練りが始まる。

鴨の群初日に向けて立ちにけり 藤浦三枝子
 湖に一条の光がはしる。鴨の群はその光へ向けて一斉に飛び立ったという句意。 
 鴨には光は単に朝のひかりであったろうが、初日と鴨の飛び立ちの出合いは俳人にとって神の配慮のようなもの。よいチャンスに恵まれた足もて作られた一句である。

労はり声掛けらるる雪の朝 国谷ミツヱ

 雪道に難渋していて声をかけられたのではない。玄関先の雪掻きの苦労に労りの声をかけられたのである。気持ちの暖かくなる句だ。
 どこにでもあり、誰もが経験する日常のひとコマがそのまま句になっている。肩肘張らぬ自然体の近所付き合いに人情味がある。

年迎ふけじめの髪を結ひにけり 勝俣葉都女

 新年への決意が髪を結うと行動で示された。辞書に「けじめ」とは「あるものと他のものとの相違。区別」とある。今日は昨日の単なる連続ではない。
 新しい年を迎える凛とした気品のなかにどこか艶なるものを感じさせる作品である。

又しても歳を聞かるる年忘 三関ソノ江

 「サアサア 先ず一杯。ところで元気そうですが何歳になられました?」
 ―やれやれ、またこれだ―
 手紙の書き出し文のように始まる人との会話。多少うんざりもするが、健康な自分が嬉しくもある。さてと…もう少しお酒を頂こうか。そんな楽しさのある年忘れである。

    その他の感銘句
思ひきり蔓引き山の枯すすむ
翳る山日当る山と時雨けり
雄鶏ののけ反り十二月八日
海原へ鴎消え行く寒暮かな
三重の塔水煙の冬日差
書初や墨は薄めに仮名の文字
除雪夫の肩に掛けゆく命綱
枯蓮の骨をみてをり風の中
大熊手担ぎて女稲荷出る
人垣が風除けとなり菊焚きぬ
初厨折目の付きし割烹着
白菜の確かな重み抱きかかへ
双葉より愛でし葉牡丹座を得たり
木枯しが東京駅に吹きにけり
寒の入り珍らしく肩凝つてゐて
村上尚子
古川松枝
星 揚子
高橋ルミ子
牧野邦子
久家希世
岡崎健風
牧沢純江
五十嵐藤重
大塚悦子
渡邊喜久江
竹田環枝
山本美好
柴田純子
加藤徳伝

禁無断転載