最終更新日(Updated)'06.04.05 

白魚火 平成17年3月号 抜粋

(通巻第601号)
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・しらをびのうた  栗林こうじ (とびら)
・季節の一句     小浜史都女
遺作(主宰近詠 仁尾正文 
鳥雲集(一部掲載)安食彰彦ほか
白光集 (仁尾正文選)(巻頭句のみ)
     辻すみよ、梅田嵯峨 ほか
14
・白魚火作品月評    水野征男 40
・現代俳句を読む    渥美絹代  43
百花寸評      青木華都子 46
・「俳壇」転載      49
・小浜史都女句集評  水鳥川弘宇   50
・ギリシア紀行    坂本タカ女 54
・伊藤富久子様逝去  瀬谷遅牛 56
・こみち(散歩道)  須藤靖子 57
・俳誌拝見(青山)  吉岡房代  58
句会報    磐田「槙の会」 59
・実桜山里吟行記  安田青葉    60
・「朝」五月号転載 62
・「山陰のしおり」転載 63
・「駒草」七月号転載    64
・「俳句朝日」八月号転載 64
・今月読んだ本  中山雅史       65
・今月読んだ本  佐藤升子      66
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ)
     田久保峰花、奥野津矢子 ほか
67
白魚火秀句 仁尾正文 116
・ 平成十六年度「白魚火全国大会」
        会計監査の結果について 
61
・窓・編集手帳・余滴
       


 鳥雲集 〔白魚火 幹部作品〕            
                                            一部のみ。 順次掲載


 
  夏       安食彰彦
遠眼鏡ときどきのぞく河鹿かな
旱天や北山に雲覗きをり
音たてず青蘆風のゆらしをり
三伏や眞言密寺真向ひに
すれちがふ白き日傘の女どち
帰途につくカッター先を爭へり
川蜻蛉風に煽られ後退り

  

  半 夏 生   渡邉春枝
この辺りたしか記憶の桑いちご
七月や山一斉に動き出す
とんとんと膝に跳ねる児金魚玉
ぐづる児の遊び足らざる夏帽子
無菌室の扉重たき半夏生
風鈴のよく鳴る朝の目玉焼


 夕かなかな 小浜史都女
霊峰のむらさきに暮れ河鹿笛
牛蛙とつくに山は暮れてをり
あめんぼの踏ん張り止めて跳びにけり
長き舌冷やしに来しか雨の蛇
見るまいとして見てしまふ山蚯蚓
右にきき左にききし夕かなかな


 沼 ほ と り 能美百合子
青葦や悲恋を伝へ沼の風
悲話の沼日にしろじろと未草
万緑に浮き四阿の赤き屋根
車前草や絶やさじと踏む昔道
切岸の急もものかは花南瓜
黄かたばみ庭石に干す子供靴
    
 
  


   
植  田  田村萠尖
馬鈴薯の花の活けある厨かな
帰省子に筍飯の具沢山
雨粒の輪の生れつぐ植田かな
真白な蛍袋の雨の染み
熟年のホールインワン雲の峰
魔除面一つが朱し夏座敷


  蛍 桧 林ひろ子
夕風の動きはじめし月見草
雨の日は雨に色濃き七変化
去りがての闇に螢のついて来し
空つぽの桔梗の蕾ふくらみ来
水中花鮮やかなれど名は持たず
雨の中声ずぶ濡れの時鳥


  夏 蓬 橋場きよ
過ぎし日はなべて茫茫夏蓬
炊きたての御飯の香り柿若葉
田舎町にカフェーの跡や芙美子の忌
割烹着は母の制服柿の花
生涯の師弟のえにし道をしへ
燃ゆる恋うたかたの恋ソーダ水


 朝 涼 し 大久保瑞枝
薯の芽のこぞりて蓋を押し上ぐる
手のろさを嘲るやうな梅雨の月
梅雨晴れや透かす地袋天ぶくろ
只ひとつ雨の奪ひし花ざくろ
梔子の追ひ咲き雨にかほ叩き
ふたりして投句追ひ込み朝涼し
 

白光集 〔同人作品〕 巻頭句   仁尾正文選


     
    辻すみよ
 

竹藪のあたり最も螢の火
竈神昔を今に梅雨の土間
水替へて色蘇る水中花
児の声の波に消さるる海開き
片陰に入れば海風山の風


    梅田嵯峨

冷酒の試飲に酔へる女たち
茶房より哲学の道葛桜
夕顔の打ちとけるごと咲きにけり
鵜の宿に響く小鼓稽古会
若き師の声伸びらかに袴能




白魚火集〔同人・会員作品〕 巻頭句  仁尾正文選
  
     
    唐 津  田久保峰香

蒲の穂の今からといふ穂丈かな
八つ橋に見え隠れして糸蜻蛉
麻のれん押して祝ひの席につく
爪切つてパソコンの指涼しかり
合歓の花盛り見ずして終りけり


    札幌 奥野津矢子

夏の鴨流されながら毛繕ひ
子鴉や時にモンローウォークを
蚊遣香一日川の音聴いて
薫風やイヌイット語の喫茶店
一筆で描けし稜線風青し
   


 白魚火秀句
仁尾正文
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 麻のれん押して祝の席につく  田久保峰香

 「麻のれん押して」入った店の、たたずまいや雰囲気がよく分る。麻のれんを吊ったこの割烹店は年季の入った建物で部屋数が三つか四つ。板場は店主が、店の方は女将が取りしきり、店員が常時二、三人、馴染客が多くて結構流行っているようだ。上句の具象的な諷詠から右のようなことが思われた。
 この店に今宵集った「祝い」は気の置けない人たちの宴会のようである。今月の白光集に
  紫陽花や上梓祝ひのフルコース 谷山瑞枝
があるのを見ると頭掲句は、この程第二句集『菊芽挿す』を上梓した小浜史都女さんを主賓にした出版祝いのようである。
 本誌六月号に紹介された小浜史都女さん指導の「ひひな会」は昭和六十二年に十名程で発足し現在は第二、第三句会も誕生している。
 酒の番付では横綱だろうと思っていた史都女さんが「ひひな会」では三役にも入らないというのだからこの「祝ひの席」は随分と盛り上ったことであろう。楽しい一句であった。

 水替へて色蘇る水中花  辻すみよ
            (白光集)
 水中花まことしやかに露結ぶ   一都

の秀作があるので選者は「水中花」を敬遠して未だ一句も得ていない。対して掲句は、日常の主婦の目で水中花を慈しんだので水中花がそれに応えてくれた。
 玄関の上などに置いた水中花は瞥見するだけであるが十分に目の保養になっている。水中花も水も無機質だから腐敗することはないのだが何時見ても水は綺麗である。家人―主婦―が折々水を取り替えているのであろう。水を取り替える度に水中花の色は活力を取り戻して綺麗になって行くことに作者は驚いている。
 日本には八百万の神が居る。二見ノ浦の二つの岩礁に注連を張って崇敬するとこの二島は神となった。又全球形の綺麗な石を辻に置いて道祖神として何百年も祀っている所もある。人が有情になると岩礁も石も、頭掲句の水中花もそれに応えてくれる。頭掲句の「水替へて色蘇る」には日本人の日本人的なものを感じた。

 薫風やイヌイツト語の喫茶店  奥野津矢子

 「イヌイツト」は辞典によると「エスキモー」のこと。アメリカの先住民族で、グリーンランド、カナダ、アラスカやシベリア東部の極北ツンドラ地帯に住み漁労や海獣猟、捕鯨により生活する。
 掲句は、エスキモー語の名の喫茶店である。言葉のひびきが美しく、店主のイヌイツト人も好人物で作者はすっかり店が気に入ったのである。「薫風や」が作者の心。
 掲句は、「イヌイツト」の外来語が国語になっているので辞書を通して理解することが出来た。偏狭であるかもしれぬが、ここで選者のカタカナ語観を述べておきたい。元々選者はカタカナ語―カタカナ表記―が嫌いである。「バラ」の表記は造花のようで貧しい。薔薇という幾重にも花弁が重り合った絢爛豪華なものとは月とスッポンである。ばらと表記したい場合もあるかもしれぬが。「キツネ。」これは剥製である。生気は全く感じられぬ。どちらも日本語の美しさを知らぬ表記なので採ることに抵抗がある。
 明治以来ネクタイやバス等の外来語が国語になっているものが多いので外来語のカタカナ表記は認めざるを得ない。但し無造作に外来語を一句に二つ使ったものは没になろう。「火口湖のアダムに泳ぎつきしイブ 狩行」このように配意が行き届いたカタカナ語二語の秀作はもちろん別であるが。

 若き師の声伸びらかに袴能  梅田嵯峨
              (白光集)
 面装束をつけて舞うのが本式の能楽であるが暑中は紋付き袴で演じられることがある。涼しい上に能楽者の素面も直接見えて観衆には喜ばれる。
 掲句の袴能の演者は家元の後取りだろう。幼い頃から厳しく芸を仕込まれているので舞はもとより謡も伸びやかな美声、仕舞自体すずやかなものであった。「若さは天然自然の芸」と世阿弥は言ったが、作者は惚れ惚れとその芸に魅了されているのである。

 赤い橋テレビに映る避暑の宿  関 隆女

 一度避暑をした旅館を後年テレビで見るのはとてもなつかしい。掲句はそのような鑑賞に耐えられる句であるが、今NHKの朝のテレビ小説『ファイト』に登場する四万温泉「福乃館」をこの句は強調している。作者は四万温泉佳松亭積善館の女将である。
 平成元年重陽の日に白魚火全国大会がこの旅館であり一都先生も臨席された。テレビによく出る「赤い橋」はこのすぐ右に積善館があり、当日大会に出た者にはこの上なくなつかしい。

 冷房の効きし人形展示室  川崎ゆかり

 この作者は阿波の徳島なので「人形展示室」は「人形浄瑠璃の首」の展示場であろう。名代の首師の名品が履歴と共に大切に保存展示されて徳島市の誇りになっている。「冷房の効きし」が展示室の施設が充実し展示した人形を大切にしていることが分る。


 炎天や鶏にある土踏まず  浅野数方

 鶏が足を上げたとき指が捷やかに窄められている。地面を踏んだ所までは見たことがないが完全な土踏まずがあることは想像に難くない。作者は鶏の土踏まずを確認した。そして「炎天や」と打ち出し一段句のスケールを大きくしたところを見せてくれた。

 雪渓を河童橋から仰ぐかな  鈴木敬子

 祭宿毛祝坂は嫁の里   奥村 綾

 前句の「河童橋」は上高地の梓川に架かる橋。近くにウェストン像もあって全国区の固有名詞とみなしてよい。
 後句の「毛祝坂」は何処にあるのか誰も知らない固有名詞であろうが、山深い所で昔は狩猟を生業としてきた集落というイメージが湧く。俳句としては成功した固有名詞だ。
 投句稿の中にはさまざまな固有名詞があるが、固有名詞の使い方を見ると凡そ作家の器量が分る。

 島近き烏賊火は夫の焚く火かな  藤井敬子

 烏賊は種数も多く日本全国で獲れるので「烏賊釣り」「烏賊火」は土地によって季節が異る。歳時記は夏になっているが三陸ではクリスマス頃が最盛。島住みの作者の、近くで一面に灯す烏賊火の一つは頼りにしている夫が焚いているものなのだ。

 はらばひて会釈をかはす蓴舟  佐藤美津雄
               (白光集)
 蓴は古い池や沼に自生するヒツジグサ科の水草である。六月頃若い茎が水上に出てくるが葉柄部分がぬめぬめしている。これが蓴菜ですまし汁の実や酢の物に珍重される。小さな箱のような蓴舟に腹這いになって採るので隣同志も腹這いで会釈するのである。ユーモラスな一句だ。

                        

その他の感銘句

白魚火集より
父の日の護国神社に参りけり 古川松枝
夕焼の消ゆるを待ちて青葉木菟 東條三都夫
父と子が笑ひころげて夕端居 福田 勇
滴りや坂の下より風の来て 星 揚子
好みたるビールを添へて初七日 中島啓子
男前の父の形見の白絣 伊東美代子
定年の間近に迫る更衣 大石正美
花槐養蜂箱が置かれあり 岩崎昌子
焼鯖の串打ちしまま若狭より 横川恭子
筍を掘りつつ探すかぐや姫 佐野智恵
一徹を通せし父の黴鞄 増田尚工
上を向き涙を隠す藤の花 前川きみ代
万緑の断崖日本海へ落つ 田口 耕
紫陽花の零す雫の夢の色 浜崎尋子
人と逢ひ人と別るる蛍の夜 山崎タカ子

白光集より
オカリナを聴く茅葺の夏座敷 小林久子
雲の峰一気に立てり剣岳 荒川文男
白シャツの合唱五百人の中 五嶋休光
梅漬は夫に委ねて書を読めり 大野洋子
平凡と言ふ倖の辣韮漬く 脇山石菖
十ばかり西瓜の座る畑に網 長谷川文子
靴脱いで上がるテントや運動会 佐藤恵子
一人旅滝の飛沫に癒やされて 八下田善水
獲物引く蟻に加勢がすぐ来たる 篠原庄治
水打ちし露地に朝茶の席揃ふ 高野房子
            


   百 花 寸 評     
(平成十七年六月号より)   
  青木華都子

 

 労りて四日の雛を納めけり  吉田容子

 労りての上五で作者の細かな情が籠っているのです。客間のひと間を雛の間と決めて、心を弾ませながら顔をおおっている薄紙を解いて飾るお雛さま、雛調度にも、いろいろな思い出が詰まっているのです。そして三月四日、労りながら,言葉をかけながら納める雛。
 作者は旭川在住であり、まだどかっと残っている春の雪が、昨日迄飾ってあった雛の間が元の客間となって、春雪明かりが尚明るく眩しく見えるのです。

 褒められて伸ばし伸ばしの雛納め  吉澤みわ

 掲句も、前句と同様三月の四日か遅くも五日には納めたでしょう。労りながら、言葉をかけながら、また来年の今頃は同じ気持で飾るのも納めるのも楽しいのです。

 濃く淡く遠く近くに春霞  横田みよの

 霞の濃いところは、まるで霧が湧くかのように濃く、また淡いところは、薄紫の色を帯びたようにも見え、山なみに吸い込まれるようにも、ふっと息をかければ消えてしまいそうな淡さなのです。霧は秋であり「霧立ちのぼる」と言いますが霞は春であり、「たなびく」なのです。この微かな仄かな現象を目前にした作者の感動が伝わってくる一句です。

 春一番樹々大騒ぎしてをりぬ  大関ひさよ

 樹々が大騒ぎしている等となかなか言い切れないものです。だから俳句は妙なのです。
 春一番は、春になって最初に吹く強い南寄りの風で、二月中旬から下旬、場所によっては三月の初め頃吹く風で、聞くところによると、漁師達の間で使われていた生活用語なのだそうです。掲句の春一番は、樹々が大騒ぎをして、さあいよいよ芽吹きどきと感じさせる位の強さで災害を引き起こすような強風ではなかったことが伺えます。春二番、春三番の風に作者の発見の一句もまた期待したいものです。

 花惜しみ人を惜しみて春が行く  瀬谷遅牛

 上五花惜しみと感覚的にふんわりと心の内を柔らかく表現し、下五春が行くと少し強く止めて、故に中七の人を惜しみて、となると何とも切ないのです。掲句に限って男性の感傷なのでしょうか、いずれにしても、惜しみつつ行く春、他人には心中伺い知ることの出来ない深い意味があるのでしょう。

 着て脱いで衣服に迷ふ春の旅  嘉本静苑

 少し遠出をする旅では着易いだけではなくコーデネイトも必要なのです。鏡の前で着たり脱いだり「その気持解かります。」
 旅衣でなくても、お洒落が若さの秘結なのですから、迷いに迷って決めた旅衣はお気に入りの一枚なのでしょう。男性には理解出来ないでしょうが。着たり脱いだりをしながら、旅の楽しみが始まっているのです。

 もう一度見たくて夜の桜かな  川崎ゆかり

 三分五分八分、そして満開になってもその一枝一枝が微かに花の色が違うのです。
 暗闇の中に一本の桜が、時折通過する車のライトに照らされて、ふっと闇に浮き立つ花の精が句帳を手にした作者の心を引いたのでしょう。ライトアップされて華やかな花の山とは別な夜の桜はまた格別なのです。「夜桜」と「夜の桜」違いが「の」としただけでこうも違ってくるのです。 
 八十の炊事洗濯木の芽どき  坂口青山

 背筋がぴんと伸びて、かくしゃくとしている八十歳は未だ未だ若い者には負けない気丈さが元気な源なのでしょう。炊事も洗濯も決して手抜きをせず、ご自分のリズムを崩さず精神力も強い方なのでしょう。季語の「木の芽どき」で更に若々しい八十歳と受け止めます。

 手相見の歯の浮くお世辞懐手  海老原季誉

 作者は懐手をしながら、まんざらでもない様子、お世辞とは解かっていても嬉しいものです。

 何かしら動く気配に水温む  内藤朝子

 水温むの季語がふんはりと据わった一句。

 雪卸す屋根より携帯電話かな  佐藤恵子

 今や携帯電話は小学生から、熟年に迄、持っていない人は?と思わず考えてしまうほどです。雪卸しをしながら携帯電話に気を取られて、足元に要注意ですね。

 菜の花やうすむらさきの遠筑波  内山多都夫

 快晴でくっきりと見える筑波よりも、何となく霞んで見える筑波の方が、絵になるのです。菜の花の黄色が一景として溶け込んで、おだやかな一日。

 廃校に名残の櫻満開す  篠原酔生

 誰もいない学校広過ぎる校庭に、一本の桜木が、満開になって尚さびしさを感じさせるのです。廃校の跡地に何が建つのでしょうか。思い出の桜はいつ迄も残しておきたいですね。

 マンホールからがうがうと春のこゑ  奥野津矢子

 雪解水が一気に流れ込んで、春のこゑとした季語によって、上五、中七を落ち着かせた句に……。 
 フリージア好き大好きと一人言  奥村 綾

 明かるく若々しい一句です。つぶやく一人言ではなく、声に出して誰かに聞かせたい一人言ですね。
 


その他目に止まった感銘句
春めきてネクタイゆるむ郵便夫 天野和幸
春雪を掻くスコップに臘を塗る 五嶋休光
鳴る砂は古代の音色人磨忌 渡部昌石
目薬の一滴頬に春浅し 守屋ヒサ
山里にまだ残雪のひとにぎり 財川笑子
掛けて見て絹の温もり春ショール 竹渕志宇
師も若し句友も若し桜餅 前川きみ代
ひめやかに胎動はじむ春の山 佐藤 朗
落椿踏みゆく鳩の足紅し 河原幹子
つまづきて気付く事あり犬ふぐり 山崎けい子

   筆者は宇都宮市在住
     


禁無断転載