最終更新日(Updated)'05.08.28 | |||
(通巻第598号) | |||
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・しらをびのうた | (とびら) | |
・季節の一句 上村 均 | 3 | |
閉校(主宰近詠) 仁尾正文 | 5 | |
鳥雲集 (一部掲載) |
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・白魚火六〇〇号記念基金寄附者御芳名 | 13 | |
白光集 (仁尾正文 選)(巻頭句のみ) 小川慶子、木村竹雨 ほか |
14 | |
・白魚火作品月評 古橋成光 | 41 | |
・現代俳句を読む 渥美絹代 | 44 | |
百 花 寸 評 田口一桜 | 47 | |
・こみち(平凡) 安澤啓子 | 50 | |
・平成十七年度「みづうみ賞」発表 | 51 | |
・俳誌拝見(やまびこ) 吉岡房代 | 70 | |
・平成十七年度 全国白魚火会について 青木華都子 |
71 | |
・全国大会日程表 | 73 | |
・全国大会アクセス | 74 | |
句 会 報 佐賀ひひな会 | 75 | |
・今月読んだ本 中山雅史 | 76 | |
・今月読んだ本 佐藤升子 | 77 | |
白 魚 火 集(仁尾正文 選)(巻頭句のみ) 早川三知子、西村松子 ほか |
78 | |
白魚火秀句 仁尾正文 | 128 | |
・窓・編集手帳・余滴 |
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鳥雲集 〔白魚火 幹部作品〕
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白光集 〔同人作品〕 巻頭句 仁尾正文選 |
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小川恵子 野焼待つ土手一列のカメラマン ひとところ葦薙ぎ倒し野火放つ 火襖を十重に二十重に葦を焼く まだ温き大渡良瀬の末黒踏む 渡良瀬の野火屑届く物干場 木村竹雨 箱書のにじむ一字や桃の花 初蝶の光りとなりて消えにけり 沈丁の一途に香り放ちをり 目の奥に残る疲れや犬ふぐり 春愁のお濠に沿うて歩きけり |
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白魚火集 〔同人・会員作品〕 巻頭句 仁尾正文選 | |
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調布 早川三知子 鴨引いて対岸遠くなりにけり 朝東風や川流るるとなく流る 祝婚の教会出でて木の芽風 清明の魚道に水の勢ひあり らんまんの桜に赤子かかげをり 松江 西村松子 海乗せて砂丘は春の色となる 石蓴濃し延縄漁の船戻る 海猫乱舞して春潮をひるがへす 海光の綺羅ふゆる日の犬ふぐり 海坂に音なきひと日木々芽吹く |
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白魚火秀句 | |||||||||||||||
仁尾正文 | |||||||||||||||
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(きお) 清明の魚道に水の勢ひあり 早川三知子 清明は二十四節気の一、四月五日頃である。この頃は上流の雪解水が川に溢れ出水の様を呈する。魚道はダムの片側に設けた魚の遡上のための水路。緩傾斜になっていたり、魚梯といって幾つかの段になっているものもある。 春の水によってダムの水面は高くなっているのであろうが魚道の水量は、平常とさして変わらない。にもかかわらず「魚道に水の勢ひあり」と断定したのは、余寒を繰り返しつつ、ようやく春になった息吹きを実感したからだ。同掲の らんまんの桜に赤子かかげをり 三知子 は満開の花下、若い親と子の生気を眩しんだもの。一連の句は何れも生き生きとしていて平穏である。この作者を突然に襲った悲劇を知る者には、日にちが薬になって、また俳句があって、傷心が癒えたのだろうとほっとした。 (ひぶすま) (はたえ) 火襖を十重に二十重に葦を焼く 小川恵子 (白光集) 同掲句から渡良瀬河畔の葦の野焼きであることが分る。利根川や思川等が相寄る渡良瀬の葦原は三千余ヘクタールに及ぶという。各所で点火し、間隔を置き、間を置いて二陣三陣と次々に火を放つのであろう。野火は幾重にもなって燃え進み、炎と煙、風と音のパノラマを繰り広げて壮観極りない。「火襖を十重に二十重に」という描写が、此の地の野焼きを見たことのない者にも鮮明な画像を見せてくれる。 作者は葦原の大野焼を見に行ったのであるから投句稿はすべてこの日のものである。だが「野焼」「野火」「葦を焼く」「末黒」「野火屑」と季語に変化をつけていて好感した。 投句稿の中には、七句や五句がすべて「風光る」というような季語のべた並べのものがある。習作途中の未完成作品を見せられたように思えて選者はうんざりする。 海乗せて砂丘は春の色となる 西村松子 「春の色」は「春光」の副季題で、春の景色、春の風光。黄とか紅とかの色彩ではない。 掲句は「海乗せて」がうまい。「伊豆の海や紅梅の上波ながれ 秋桜子」も遠景の伊豆の海が近景の紅梅の上に乗っていると詠嘆している。 海を乗せた砂丘には、浜えんどうや浜昼顔などが芽ぶき、磯馴松にも芯が立ち、すっかり春の気色を呈しているのだ。 春愁のお濠に沿うて歩きけり 木村竹雨 (白光集) 「春愁」には「春恨」とか「春怨」という副季題もある位主観の勝った季語である。従って具象的具体的なフレーズと取り合せになることは当然である。歳時記の例句を見るとそれぞれの作家がそれぞれの取り合せをして春愁の色合を見せている。 対して掲句は、あっけらかんとして春愁の色合を見せない。むしろ色を消しているようにも見える。しかしながら、その枯淡が爽快な味を出していることを見逃してはならぬ。 (しゅう) 桜咲く夫の大祥忌を修す 江角眞佐子 「祥」は凶服から吉服に着がえるという意味があり、大祥忌は三回忌のことである。打ちひしがれていたが歳月の経過が徐々に悲しみを薄れさせてくれた。「桜咲く」はその象徴であるが「年年歳歳花相似たり」という宋之問の詩の一節をも思わせる。 啓蟄のエスカレーター等間隔 間渕うめ 蟄虫すなわち冬ごもりの虫が啓めて地上に這い出る、というのが啓蟄。当然のごとく啓蟄詠には虫との取り合せが多い。だが、そのことをイメージに置いた作品もあることはある。 啓蟄の奈落より出づ役者かな 松崎鉄之介 啓蟄や兄の潜艦浮上せず 相原左義長 頭掲句もその範疇に入る極めてユニークな一句だ。このエスカレーターは昇りのもの、床面から湧き出てくるステップは正しく等間隔である。無機質のエスカレーターを「啓蟄や」が有情にした、ともいえる。 (あかめばる) 笠子かと問へば目を剥く赤眼張 加茂川かつ 笠子はフサカサゴ科の硬骨魚、全長二十センチ程。鯛型で美しい紅色で美味。赤眼張も同じフサカサゴ科で笠子と同じく二十センチ程。眼が大きいので眼張と名が付いたのであろう。春が美味なので春の季語となっている。 水槽の赤眼張に「この美しい魚は笠子ですか」と訊ねられ「季語にもなっていない笠子と一緒にされるのは不愉快だ」と眼をぎょろりと剥いた、作者にはそのように思えたのである。ユーモラスである。 春祭誉めちぎらるる婿の笛 大澤のり子 熱燗で乾杯婿の誕生日 村松ヒサ子 婿に欲し大念仏の太鼓刷 広田みさ江 女流は娘婿にやさしい。「嫁姑」の仲は昔も今も将来もさほど変わらないであろうが「婿姑」という言葉は聞いたことがない。 頭掲句。笛の名手で春祭の花形の婿が誉めそやされるのが自慢であり、この上なくうれしいのである。 湯泉煙の仁王立ちして風光る 浅沼 静歩 国内有数の草津温泉に住む作者である。草津の湯は高温で湯量も多いので、林立の湯煙が遠くからでも見える。 作者は「仁王立ちして」と湯煙を雄々しく描き「風光る」の季語を配して草津温泉を称えたのである。 つくしんぼ二本三本五六本 黒田一男 土筆を二本見付けた。すると近くに三本あり、少し離れたところに更に五、六本あった。念を入れて探すともっと沢山ありそうだ。 土筆を摘む状景と興趣が十分に表現できている。その上簡潔な声調が耳に快よい。秀句だ。 ピンポン感染して家中の春の風邪 小田川美智子 「ピンポン感染」というのはこの作者の造語であろうがよく分り成功している。春風邪を引いて夫に移すと治った。夫が治る頃又移されてしまった。家族が移したり移されたりして家中が春風邪の巣窟になってしまった。春の風邪だから諧の味が出た。インフルエンザならばそんなことは言っていられない。 大空に制帽飛ばし卒業す 新開幸子 自衛隊の大学の卒業式をテレビで見た。式典が終り卒業生が退場するとき一せいに帽を抛り上げジャンプして喜びを表現していた。このテレビは室内であったが掲句は屋外。一種のセレモニーであるが若者らしい喜びの表現だ。 花守の車に七つ道具かな 青山東明 武士が戦陣に携えた七つ道具とか盗人の七つ道具、女の七つ道具等々の言葉がある。花守にも折畳梯子、高鋏等の七つ道具があるのであろう。掲句の、花守に向けた親愛なまなざしが何ともいい。
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百 花 寸 評 (平成十七年三月号より) |
田口一桜 |
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筆者は 松江市在住 | ||||
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