最終更新日(Updated)'05.04.04

白魚火 平成17年3月号 抜粋

(通巻第595号)
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    (太字文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
  • しらをびのうた   栗林こうじ  
(とびら)
  • 季節の一句     鶴見 一石子
  • 白光集 (正文選)(巻頭句のみ)
         森山暢子,奥田 積 ほか
     
  • 白魚火作品月評 古橋成光         
  • 現代俳句を読む 渥美絹代
           
  • 百花寸評    田村萠尖        
  • 雪の日光 二社一寺 青木華都子     
  • こみち(楽しくエコ生活)  村松綾子   
  • 「山暦」一月号転載           
  • 仁尾主宰の添削コーナー
  • 佐賀白魚火合同吟行会  水鳥川栄子 
       
  • 句会報     千鳥句会  
          
  • 俳誌拝見(欅)吉岡房代  
  • 今月読んだ本 中山雅史               
  • 今月読んだ本 佐藤升子            
  • 白魚火集(正文選(巻頭句のみ)
         大石ひろ女,五十嵐藤重ほか  
       
  • 白魚火秀句 仁尾正文        
  •    白魚火六〇〇号 記念基金寄附者御芳名   

         窓・編集手帳・余滴
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 鳥雲集 〔白魚火 幹部作品〕            
                                            一部のみ。 順次掲載

 

 眠る山   佐藤光汀

眠る山寡黙の父が見てござる
雪が来て針葉樹林華やげり
寒き夜の倒れてひびく妻の杖
星々と語らひゐるや枯木山
歳晩や両手に余る荷を下げて
大年の瞑想の首湯に浮べ



 尾白鷲   鶴見一石子

鮟鱇をさげし女の半長靴
オホーツクの海と仲良き尾白鷲
漁火の揺れて寒月揺るるなり
腹割って話す友欲し寒怒涛
北方四島いつの日還る耳袋
五臓六腑嬉し嬉しと鮭の鍋


 駐在所   青木華都子

初富士の見ゆる社屋の十二階
ヘリポートより一月の富士の山
葱大根囲ひて暮るる駐在所
窯に火を入るる匠のちやんちやんこ
窯出しの素焼の壷を雪の上
酔ひ覚めの寒九の水を夫にかな

      

  


 去年今年   小林梨花

どまれば影も止まる冬日影
暖房にのぼせて夫を看取りけり
雪達磨に触るる少女の黒き髪
あかねいろ差せる神名火年の果
注連飾る術後の息を荒くして
ひとり一人時を刻みて去年今年


 冬深む   田口一桜

黄落を急ぐ一樹と出会ひけり
実樗の天に小波あるごとし
花八手言葉つくして羽虫舞ふ
地に弾む鳥よ冬日の親しさ

冬至南瓜転がつてゐて頑固なり
寒鴉の視野のとらへしわれならむ
  

  

  雪の朝    三浦香都子

名の墨の香れる雪の朝
昨夜の雪すつぽり句碑を包みけり
年つまる歩幅ちひさく急ぎけり
万両や正座して食ぶにぎり鮨
波の花鬼の仮相の日本海
粗彫の羆を並べ冬籠り

白光集 〔同人作品〕 巻頭句   仁尾正文選


縄一本張れば結界雪螢      森山暢子
三仏寺宿坊ごとに雪囲ひ
掛大根未明の月の暈させる
海鳴りや歳徳神に鯖供へ
金鶏の塚と伝へて冬深し

枯菊や堀をめぐりて大手門    奥田 積
さらさらと茶店の亭主霜を掃く
女貞の実のたわわなる古墳丘
藁塚も塔も備中国分寺
極月や浅野家紋の塩饅頭


白魚火集 〔同人・会員作品〕 巻頭句  仁尾正文選
  

                          多久  大石ひろ女
影までも千々に折れゐし枯蓮   
父母眠る山に手折りし冬椿
うつすらと雪化粧して初景色
初鏡父似の眉をすこし描き
お降りに鼻緒濡らして来りけり

                          宇都宮  五十嵐藤重
冬花火天にぶつかりては開く   
雪の屋根軋む下にて骨酒注ぐ
雪晴れや兎追ふ声登り来る
熊手選る真近に巫女のピアス揺れ
屋根雪を一気に落とす物が欲し


 白魚火秀句  
仁尾正文
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お降りに鼻緒濡らして来りけり  大石ひろ女


 お降りは元日に降る雨や雪である。掲句は和服を着て草履を履いた人がお降りに鼻緒を濡らしたというもの。鼻緒を濡らして向うから人が来たという解がないではないが,作者が初詣などに出かけて,と取る方がずっと面白い。久々に盛装して出かけたら細い雨となって草履の鼻緒が少し濡れた。「鼻緒濡らして」程のお降りという現象がよく見えて作者の挙措まで伝わる。すると,このときの作者の表現も思い描けるのだ。
 一句のしなやかなしらべもよく適つている。

掛大根未明の月の暈させる  森山暢子
                             (白光集)

 中部地方では十一月中旬から十二月の初めにかけて大根が引かれる。一昔前までは洗って大根はざに懸けて干されたが,最近は生のまま漬物用に出荷されるものが殆んどである。
 掲句の掛大根も自家用のもの,従って軒端に吊るされたものであろう。雨戸を開けるとき掛大根越しに仰いだ未明の月には暈がかかっていたのである。暈は微細な氷の結晶からなる雲に光が屈折して生じる現象。朝焼や朝虹と同じように今日は午後から雨となりそうだ。
 一句は,掛大根という季語に暈のかかった朝月という「物」を配して淡い憂愁の色を出している。「物」から作者の心が垣間見えた。

冬花火天にぶつかりては開く  五十嵐藤重

 雪祭など真冬のイベントにすばらしい花火が揚った。凛洌な空に開く花火は,一鱗一鱗一弁一弁輪郭が鮮明であった。 掲句は「天にぶつかりては」がうまい。打ち上げ花火が,ほぼ同じ高さで開くのは天界を仕切る厚い天井があり,そこにぶつかって咲くのだと捉えたのである。「ては」は,そのようなことが引っ切りなしに続いているということ。描かれた景が鮮やか、技の冴えた一句である。

藁塚も塔も備中国分寺  奥田 積
(白光集)
 備中は岡山県西部。備中国分寺が何処にあるのか知らないが,聖武天皇の代全国に国分寺,国分尼寺を建てさせたので,その頃ここには国府があったのであろう。その地は今寂れて現存する国分寺の周りには藁塚が見えている。
 古代の吉備は古代出雲に次ぐ強国であった。備中国分寺が建った遠い時代に思いを馳せて荒涼とした思いに馳せられたのである。ちなみにこの作者の住む東広島市にも安芸国分寺が田圃の中にある。
 この句では「も」の用法が効いている。あれも,これもの欲張りの「も」ではなくて,藁塚と塔を等値にした「も」である。

普段着の暮しになじみ年暮るる  松本光子

 若いと思っていたこの作者も年齢欄を見ると定年に達していることが分る。「普段着の暮しになじみ」というのは布衣の生活に馴れ切ったということである。あわただしい年の暮ではあるが心身ともに健やかで悠々としている。
 この作者の〈ていねいなをとこの料理開戦日〉はうまい句であるが採らなかった。「開戦日」は十二月八日であることは筆者にはすぐ分ったが季語ではない。十二月八日に強烈な印象を持つ者はまだ多いが,一方ではこの日が全く分らない世代も増えてきている。


手首まで入れて投函初霰  古田キヌエ

 「手首まで入れて投函」したのは余程大事な書簡であったのにちがいない。季語の「初霰」が明るいのでその書簡は心弾むものだったと思われる。
 筆者が常々唱える,こと俳句は「具体的に」「季語が思いを伝える」によく適った作だ。

どんと寄す波を避けては海苔を摘む  樋野洋子

 作者は平田市十六島町に住むので,この句の海苔は出雲風土記にも出ている有名な十六島海苔。海苔島あるいは荒磯には始終大きな波が寄せてくる。互に声を掛け合って「波を避けては」の海苔摘みである。「どんと寄す」が迫力があっていい。

雪吊の縄に弛みの許されず  曽根すゞゑ

 雪吊というと兼六園が目に浮ぶ。梢から傘のように張られた何十本の縄の一本ずつは一役を担っているのである。見た目には美しい雪吊のどの縄もぴんと張りづめでなくてはならないのである。

冬菊や仏壇磨くための布  吉川紀子

 わが家の宗派は地味なので仏壇を磨く布を意識したことはないが,浄土真宗の仏壇のように金箔の多いきらびやかなものを磨くのには布が吟味される。金箔には富士絹が,漆の部分にはフランネル等が重宝されているようである。
 掲句は仏壇を磨く布しか登場させてないが,仏壇を,祖先を大切にする家風がみえる。その象徴が「冬菊」である。


薩摩隼人厨房に立つ女正月  天野和幸


 「男子厨房に立たず」という時代を生きてきたので留守居のときスーパーの食品売場に立つことが嫌いである。さっと買ってさっと帰ろうとするとき知人と遭ってしまったりして苦笑するのである。だが,男性職員も育児休暇を必ず取るようにと条例を作った町もある世の中。掲句は,勇敢で知られた薩摩隼人(今は鹿児島県人)でさえ厨房に立っているのだ,と世の男どもに同調を求めている。「女正月」の季語がくすぐりがきいていておもしろい。

夫の打つ年の終りの泥鰌蕎麦  高井弘子

 前句と違ってこの夫は家例の年越蕎麦打ち役。「泥鰌蕎麦」は遠州地方の方言であるが誰にもよく分る。つなぎの山芋やメリケン粉を入れない生蕎麦は伸しても分厚く折り畳んだ所で折れてしまうので十センチ程の長さになり,しかも太い。茹でると泥鰌のような形になる。「泥鰌蕎麦」という方言が一句を骨太にした。

姉妹会派手なセーター臆せずに  原沢はつ

 年を重ねると派手なものを着ることが気分を若くさせる一助になるという。姉妹会には思い切って派手なセーターを着て出たのだ。それにしても姉妹会というのが羨しい。何名かの姉妹が皆長寿で仲よくしているのであろう。

明日恃む寒夕焼の枇杷色に  和田伊都美

 この句から〈稲妻のほしいままなり明日あるなり 波郷〉を思った。両句ともに今日という日は思うようにならなかったが「明日がある」と自らを励ましている。波郷句は空を切り裂く稲妻を見て,頭掲句は枇杷色の寒夕焼を描いて心を表出した。波郷からは激しいものを,伊都美さんからは静かな祷りのようなものが読み取れた。

      
その他の感銘句
白魚火集より
吹越やかたかたと鳴る鍋の蓋
庖丁を研ぎて薬味の葱きざむ
行き二つ帰りは三つ返り花
時雨寒腹の痼りに触れにけり
首伸べて水仙の咲く祝婚日
参道の露店の区分け小晦日
池普請亀も鯰も一つ桶
恵方より荒磯に大き波がしら
牡蠣を打つ一人は若き束ね髪
晩年も一途に仕へ枇杷の花
上寿超え執筆中の師の賀状
金蘭の交はり続く年賀状
つまやかにビルの谷間の鴨の池
満天の星の輝く御慶かな
細切りの柚の吸口香り立つ
斉藤かつみ
高間 葉
村田相子
内藤朝子
宮川芳子
鎌倉和子
森井章恵
荒木友子
挟間敏子
高橋静女
関うたの
瀬谷遅牛
橋本快枝
鈴木かをる
橋川千代子
白光集より
おばんざいの店を探して鰤大根
吹越の夜の拍子木の遠ざかる
関守石露地の奥なる白障子
町の灯は遠く枯野は星の海
酒蔵に盛り塩屹と十二月
神風のやうな風吹き落葉掃く
半丁の残り豆腐の年を越す
第三楽章終へて咳一斉に
カーナビで探す近道冬木の芽
鳥を手に乗せて餌をやる十二月
林やすし
篠原酔生
鷹羽克子
上武峰雪
出口サツエ
藤浦三枝子
井上科子
平間純一
森山世都子
稲村貞子

  佐賀白魚火合同吟行会
水鳥川栄子
十一月二十八日(日),晴天,出席者二十四名。吟行地は万葉の昔から詩歌にも詠まれた唐津市の松浦川河畔,河の一隅には佐
用姫伝説のさよ姫岩も見える。 この松浦川に沿った広大な河畔公園は,唐津市の韓国麗水市との姉妹都市締結記念として創設されたもので,両国の数々のモニュメントが設置されている。川面には多くの鴨や鳰が群れて散策の人の眼を楽しませてくれる。公園は今まさに紅葉の真盛り,一隅にはポニースクールも開催されていて乗馬の親子の姿も見られた。十一時,会場の「国民宿舎虹の松原」に到着,眼前に広がる玄海灘を眺めながらしばし散策,指呼の間に浮ぶ高島に宝当神社という小さなお宮がある。この神社の名にあやかってお詣りした 人が宝くじの高額を引き当てたことが口コミで広がり、近郊ばかりか本州からまで参拝者が絶えない賑わいである。昼食のあと,五句投句一時締切,久し振りの合同吟行会で作品意欲も高まり佳句が多かった。十五時,記念写真を撮って散会。
 
     作品抄
 玄界の紺ほしいまま冬かもめ
 小春日や老いたることを忘れをり
 着水の音一つきり鴨啼けり
 佐用姫の情念の岩鴨集ふ
 水掻きの急かるる鴨の向きなりし
 冬紅葉ポニー乗馬をすすめられ
 朝冷ゆる樹にかささぎの声高く
 玄界の岬のまた岬冬霞
 島裾に暮らしの家並み冬霞
 日曜の鴨の一家の大世帶
 公園の焚火の跡のまつぽくり
 女貞の実の黒黒と冬に入る
 波の間に冬の静けさありにけり
 散り尽きて裸木秘密など持たず
 サッカーの球追ひかける冬紅葉
 引き波の砂躍らせる冬の浜
 冬百舌や河畔の森の遊園地
 触れてみし冬芽の辛夷やはらかし
 冬ぬくし子供電車の客五人
 着水の鴨の咥へし魚動く
 見られてること知つてゐし鴨の陣
 百合鴎拳措ことごとく光生み
 次に来る波も真白や山眠る
 小春日や雲より淡く島浮かぶ
  栄 子
 ノ ブ
 石 菖
 芳 郎
 さよ子
 千代子
 保 子
 清 子
 弘 枝
 素粒子
 泰 子
 志津佳
 瑞 枝
 柊 泉
 千 代
 潔
 さつき
 千 波
 すみれ
 ひとし
 見ひろ女
 静 石
 史都女
 弘 宇

 

   百 花 寸 評     (平成十六年十二月号より)
 田 村 萠 尖 


止めやうもなく満月の昇りくる  秋穂幸恵


 山の端から顔を出してきた満月。その一瞬の見事な情景をしっかりと頭に捉えた。
 もっと時間をかけて観賞したいのに,月は足早やに昇ってゆく。時間を止めたい。
 そう念ずる作者の気持が素直に表現され,共感を呼ぶ句となった。

皮剥ぎし檜の素肌涼新た  中山まきば

 涼新たは,新涼,秋涼し,秋涼,初めて涼し,初涼などとともに,秋になってから立つ涼気である。
 檜の皮剥ぎは未経験だが,杉の皮剥ぎは幾度かやってみた。伐ってから長い時間放っておいてからだと皮剥ぎに手間がかかる。木の肌に水分が多いうちに作業するとよいといわれている。
 皮を剥いだ檜の素肌のすべすべした色といい,艶まで心地よい。檜の特有の香りもよく一層新涼をさそうすがすがしい句である。

秋刀魚の目にらめつこして買ひにけり  山本秀子

 昨秋の秋刀魚は豊漁で消費者をよろこばせてくれた。たっぷりと油の乗った海の色を漂わす大売出しの秋刀魚。
 その新鮮の秋刀魚の目の色まで,さらに探ろうとする主婦のまなざしは厳しい。

庭で飼ふ猫のすり寄る良夜かな  坂東紀子

 猫は家の中で飼うのが昔は普通であった。その為,障子に猫のくぐり穴があって,そこが猫の通路となっていた。
 生活様式や,住宅など環境の変化に伴って,猫の本據地は庭へと移ってきた。望の月を見るべく庭に立った作者の足元にすり寄ってきた猫。
 「良夜かな」の措辞によって猫とのふれあいの深さがほんのりと伝わってくる。

来年は校歌の消ゆる運動会  青木源策

 少子化が進む中に,町村合併もからんで小,中学校の統廃合が多くなってきた。筆者の町でも,今年の三月で小学校一校が統合されることになった。さみしい限りである。
 校歌の消えてゆく最後の運動会。参加した父兄や,住民の歓声の響きの中に,哀愁が感じられるような句である。

芋の露ひとり遊びをしてをりぬ  斉藤くに子

 風に揺れ動く芋の露。葉からこぼれそうでなかなか落ちない。
 露の玉が二つになったり,三つになったりして,時には日の色を吸って輝きながら遊んでいる。
 「ひとり遊び」の語によってこの句がぐんと新鮮味を帯びてきた。

ため池に沈みきれない鰯雲  有田俊

 灌漑用につくられた溜池に,秋の水が青々と満ちている。
 そこには鰯雲がいっぱいに広がって,美しい模様を描いている。
 とても一つの溜池では納まりきれないほどで,まさに秋たけなわの景である。
 中七の“沈みきれない”の発想がこの句の命となっている。

鬼灯の温くなるまでもみにけり  黒川美津子

 鬼灯を鳴らすには,掲句のように鬼灯が温くなるまで,ていねいに,やさしく揉みほぐし,袋を破らずに種を取り出さなければならない。
 こうして,できあがった鬼灯を鳴らすときのよろこびは,夕焼雲とともになつかしく,多くの人達の胸によみがえってくるのである。

そのままに残りてをりし月の供華   高井弘子

 これまた昔のことになって恐縮するが,十五夜の供華といえば,手造りの饅頭が平均的なものであった。
 大き目で形よくできあがった饅頭を山盛りにし,芒とともに月にお供えした。
 子供たちにとって,十五夜の晩はこの饅頭をこっそり失敬する遊びが許されていた。
 竿の先に釘や竹べらなど着けて,饅頭を差してすばやく戴くのである。
 時代は変って月の供華が手付かずにそのまま残っていた。昔の十五夜の夜を知る者にとっては,ちょっぴりさみしさを感じる句である。

帰省の子日本海を見に行けり 勝本恵美子

 大学生であろうか。久しぶりで帰省した子が,翌日には早々に日本海を見に出かけた。
 いかにも現代っ子らしさが滲みでているが,母親とすれば折角帰ってきたのにもう出かけてと,愚痴のひとつも言いたくなる。 日本海の調子が十分に効いている。

雲に手をのばし高稲架解きにけり  名原功子

 脱穀をすますと間もなく稲架解きが始まる。空にはうろこ雲が広がり秋も深まってきた。三段,四段と稲架を解いて行く。 その手が雲を掴むようで,臨場感溢れる心地よい句となった。

己が句に酔ひ酒に酔ひ十三夜  鮎瀬 汀

 十三夜の句をつくりながら,ちびり,ちびりと一杯やり始めた。
 句を作るほどに,酒を汲むほどに調子がでてきて,我ながら会心の出来と自分の句にすっかり惚込んでしまった作者。 酒の方も結構回ってきたようである。
 名月の夜にはない十三夜の雰囲気が伝わってくる句である。

〈触れられなかった感銘句〉
 虫が鳴く平らになりし家の跡
 秋すだれ犬がひよつこり顔を出す
 地底より渓流聞ゆ紅葉かな
 雷神の怒りに触れて鍋焦がす
 花らしくなく実でもなく吾亦紅
三関ソノ江
荒川文男
成木寿子
加藤美保
茂田井正三
兵藤文枝
古田キヌエ

 筆者は 群馬県吾妻郡中之条町在住     


禁無断転載