最終更新日(Updated)'05.04.28 | ||||||||||||
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・しらをびのうた | (とびら) | |||||||||||
・季節の一句 上川みゆき | 3 | |||||||||||
牧童(主宰近詠) 仁尾正文 | 5 | |||||||||||
鳥雲集 (一部掲載) |
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白光集 (仁尾正文選)(巻頭句のみ) 安澤啓子、小林布佐子 ほか |
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・白魚火作品月評 古橋成光 | 41 | |||||||||||
・現代俳句を読む 渥美絹代 | 44 | |||||||||||
百 花 寸 評 青木華都子 | 47 | |||||||||||
・こみち(ひとりごと) 山本千恵子 | 50 | |||||||||||
・「俳壇」三月号転載 ・中日新聞転載 | 51 | |||||||||||
・俳誌拝見(圭) 吉岡房代 | 52 | |||||||||||
句 会 報 花野句会 | 53 | |||||||||||
・平成17年度白魚火全国大会について 安田青葉 | 54 | |||||||||||
・オホーツク体験記 奥野津矢子 | 57 | |||||||||||
・ 随筆 寺澤朝子 | 59 | |||||||||||
・今月読んだ本 中山雅史 | 60 | |||||||||||
・今月読んだ本 佐藤升子 | 61 | |||||||||||
白 魚 火 集(仁尾正文選)(巻頭句のみ) 塚本三保子,上武峰雪 ほか |
62 | |||||||||||
・白魚火六〇〇号記念基金寄附者御芳名 | 111 | |||||||||||
白魚火秀句 仁尾正文 | 102 | |||||||||||
・ 白魚火全国大会申込書 | 115 | |||||||||||
・窓・編集手帳・余滴 |
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鳥雲集 〔白魚火 幹部作品〕
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白光集 〔同人作品〕 巻頭句 仁尾正文選 |
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安澤啓子 のどけしや毎戸に魔除け十団子 裏口に置く呼び鈴や沈丁花 家例なる建国の日の小豆飯 茶座敷の一輪の白椿かな 永き日や三和土の隅に砧石 小林布佐子 琉球の白き貝殻春立ちぬ 魚は氷に上る遠嶺の光りけり 大安吉日旅先に買ふ春シヨール ジエツト機が雲置いてゆく猫柳 笑ひたる大きな山を目のあたり |
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白魚火集〔同人・会員作品〕 巻頭句 仁尾正文選 | |
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静岡 塚本三保子 傘ささで小走りにゆく春時雨 零さじと剪れど零れて梅匂ふ 春の泥踏み来し靴を草で拭く 蒔くにまだ間のある花の種を買ふ フリージアの一輪開く毎の癒え 足利 上武峰雪 磨り減りし磴山門の落椿 紅梅の枝先懸魚に届きさう メトロ出て銀座の春を諾へり すぐに澄む芹の水なり濁しけり 甘茶佛銅の杓にて浴せけり |
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白魚火秀句 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
仁尾正文 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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フリージアの一輪開く毎の癒え 塚本三保子 フリージアはアヤメ科の花、三月末頃菖蒲に似た細い葉の中から茎を上げて数個の蕾をつける。百合状の小花は下から順次咲き上がってゆき芳香がある。掲句は、フリージアが一輪一輪咲き上る度に病状がよくなっているという実感。「日にちが薬」のたとえのように日毎目に見えてよくなっている。「一輪開く毎の癒え」という名詞止めがきりりとしている。右肩上がりの傾向で癒えているのだが、病気のことだから折には厳しい日があるのかもしれない。 蒔くにはまだ間のある花の種を買ふ 三保子 同掲のこの句もやさしくて穏やか。この余裕が病状を軽快させているのであろう。 茶座敷の一輪の白椿かな 安澤啓子 (白光集) 茶座敷というのは広辞苑によると「茶をたてる座敷。茶席。茶室。」と出ている。この句は「一輪の白椿かな」が凛とひびき、句の姿を端正にした。千利休が関白秀吉を茶に招いたとき、みごとに咲いている庭の朝顔のすべてを摘み取り茶室の一輪だけを見せたという話が伝えられている。茶花は亭主のもてなしの心を象徴したもの。掲句の「一輪の白椿」も季節や咲き具合などをよく吟味したものである。「茶座敷」という語感はリラックスした茶席のような感じもあるが、その客が茶花に感動しているのである。亭主の心づかいは十分に伝わっていた。 同掲の家例なる建国の日の小豆飯 啓子 建国の日の是非が今も論じられているが、作者の家ではずっと、この日赤飯を炊いて祝ってきた。何の疑いもなく。家例というものには「何故か」は要らないのである。 すぐに澄む芹の水なり濁しけり 上武峰雪 先師西本一都の昭和七年の作に 芹ぬきし濁りながれてゆきにけり がある。純客観写生句であるが思念的な面ももっていて、一都の傑作の中に入れるべき作品だと思う。一都作が水の豊かな芹田であるのに対し、頭掲句は、引いてきた田芹を小流れで洗っている景。根っこの泥を振り洗うと水が少し濁るがすぐに流れは澄む。水の濁りを楽しむがごとき繰り返しであるが、早春の野山も水も清澄である。同掲の 紅梅の枝先懸魚に届きさう 峰雪 の懸魚は破風の拝みの下またはその左右に付ける装飾。塔頭の懸魚に届きそうな紅梅の大樹である。この作者は語彙の入った引出しを一杯持っている。 ジェット機が雲置いてゆく猫柳 小林布佐子 (白光集) 青天にジェット機の白い飛行機雲が走り、眼前には猫柳の毛衣が輝いている。そういう景が鮮明に描き出された。「ジェット機が雲置いてゆく」がみごとな技。こういう句があるとしばらくは「飛行機雲」が詠めないのではないか。このとき、作者には生気が漲っていたことを示す写生である。 火鑽りもて鑽りしとんどの忌火かな 岡崎健風 「火鑽り」は乾いた桧などに木口の棒を当て激しく摩りもんで切り出した火、忌火は斎き清めた鑽り火である。昔ながらの清浄な種火をもってとんどが始った、という句であるが、荘重なしらべは遠き代の闇をまで思わせるのである。 白き芽のほちむ種芋貰ひけり 坂本清實 「ほちむ」は「芽などが大きくふくらむ、という群馬県勢多郡横野の方言」と日本国語大辞典にある。辞典を介して「ほちむ」が分れば掲句は一目である。 方言にらんごくといふ冬の菊 一都 の句碑が飯田市長清寺にある。先師も詩になる方言は大切にした。ただし、「らんごく」も「ほちむ」も辞典というキーワードがあるので読者に伝達できた。どんな方言でもという訳ではない。 餡パンの餡までぬくし山笑ふ 谷山瑞枝 「山笑ふ」は「春山淡冶にして笑ふが如し」という漢詩から季語になったもの。雑木山の梢が芽吹き出して潤んだようになったのものが「山笑ふ」である。従って「御岳山笑ふ」とか「浅間山笑ふ」はいただけない。又「山笑ひころげる」というバリエーションの過ぎたものも採れない。中には「山笑ふ」にはユーモラスなものを取り合わさなければならぬと勘違いしている向きもある。掲句は、真っ当な「山笑ふ」だ。 うかれ猫ソプラノで餌ねだりけり 藤江喨子 猫の声は元々ソプラノであるが恋猫は相手の気を引くため一層高音になる。その癖は餌をねだるときにも尾を引いていたというユーモラスな句である。滑稽は俳諧の原初的な一翼であった。こういう笑いを誘う句も結構である。 縒もどし金縷梅の花咲き出せり 永井昭二郎 「まんさくの花びら縒を解きたる 正文」とモチーフは同じであるが、類句とはいえない。頭掲句の「縒もどし」は固く縒ったような花びらが解けて戻ったという描写であるが、「縒を戻す」という言葉を十分に認識させる。縒を戻すのは別れた男女がまた一緒になることをいうので頭掲句は俄かに人間くさくなった。 うとうとと猫化の夫の春炬燵 井上科子 「猫化」は「猫になったよう」という造語であろうが仲々おもしろい。おかしみも出ている。炬燵に寝そべっているうちに、うとうとしているまに、まるで猫のようだ、と揶揄しているのだ。 食初の皿鉢にでんと桜鯛 川崎久子 皿鉢は高知県独特の郷土料理。径五十センチもある大皿に色々な料理を盛り合せた豪快なものだ。ここでは出た皿鉢の数が宴会の規模を示すのである。食初の皿鉢の真中に大きな桜鯛がでんと置かれた。待望久しかった長子の食初めであろう。 粕漬けの樽の封解く初音かな 藤井敬子 粕漬けを仕込んで日が経った。出来は如何かと胸弾ませて樽の封を切った、丁度その時鴬の初音が聞えた。一句は「樽の封切る初音かな」の滑らかな声調がよい。場面転換の「初音かな」ではあるが、言葉としては上句からずっと繋っている。「かな」止めは、この句のように流れる如く繋いで最後に「かな」で切ることが手法。高速道路で急ブレーキをかけたような、衝撃が「かな」の切字効果である。
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百 花 寸 評 | ||||||||||||||||||||||||||||
(平成十七年二月号より) | ||||||||||||||||||||||||||||
青 木 華都子 | ||||||||||||||||||||||||||||
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筆者は宇都宮市在住 |
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