最終更新日(Update)'16.09.01

白魚火 平成28年9月号 抜粋

 
(通巻第733号)
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 9月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句    稗田 秋美 
「一番滑走路」(作品) 白岩 敏秀
曙集鳥雲集(一部掲載)坂本タカ女 ほか
白光集(村上尚子選)(巻頭句のみ掲載)
      
  三原 白鴉 、高橋 裕子  ほか    
白光秀句  村上 尚子
白魚火集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
     杉山 和美 、寺田 佳代子   ほか
白魚火秀句 白岩 敏秀


季節の一句

(福 岡) 稗田 秋美   


食欲のますます増しぬ生身魂  新開 幸子
(平成二十七年十一月号 白光集より)

 何と元気な生身魂であろうか。元々盆の頃生存する父母を祝う行事であったと言うから大変目出度い事である。作者は前後の句から察するに、お父様を介護されている様である。日常の御苦労が窺えるが、少しも暗い所がなく、失礼な話ではあるが良き句材として、楽しみながらお世話をされている様に見受けられる。時々苦口を言いながらも、お父様を大事にされている様子が見える微笑ましい句となっている。

河童忌や不意に垂れ来し蜘蛛の糸  岡 あさ乃
(平成二十七年十一月号 白光集より)

 〝或日の事でございます。御釈迦様は…〟そんな一節が浮かぶ一句になっている。河童忌は、七月二十四日芥川龍之介の忌日である。地獄に落ちたカンダタが、若い頃小さな蜘蛛を助けた事を御釈迦様が思い出され、血の池地獄のカンダタの頭上に、一本の細い蜘蛛の糸を垂らされる話だ。国語の教科書で初めて読んだ記憶がある。あまり好きではなかった蜘蛛の見方が変わったと思う。作者も、不意に垂れて来た蜘蛛に驚きはしたものの、振り払いまではしなかったのではなかろうか。その日が河童忌であれば尚の事。

子も婿もややもO型赤まんま  飯塚 比呂子
(平成二十七年十一月号 白魚火集より)

 女性は占いが好きである。好む、好まざるに係わらず、新聞には毎日載っているし、朝の情報番組には、必ず占いのコーナーがある。血液型の性格占いは最もポピュラーで、人の性格が四種類に分けられるものでない事は、解っていても話題にしてしまう。両親が同じ血液型であれば、子供もほぼ同じであろうが、幸せな暖かい一時が垣間見える。赤のままとの取り合わせも良い。〝赤飯〟と書くから、赤子誕生とあわせて、喜び多い句である。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 風  鈴  坂本タカ女
蕨採り熊出る話してをりぬ
山吹の白を咲かせてひそと住む
真赤なる夕日落ちゆく代田かな
Uターンする田植機の手際かな
散るといふよりくづれたる牡丹かな
傷みきし地神の注連や蝉時雨
気まぐれに鳴る風鈴のそれつきり
立ち寄りしついで網戸をはめくれし

 更  衣  鈴木三都夫
地震怖し松蝉のふと鳴き止みし
望郷の茶の芽を噛めばほろ苦く
茶摘女の一葉一葉を誤たず
頃なれば駅に新茶のおもてなし
牡丹に溺れし虻の行方かな
咲きそめし卯木の花に雨催ふ
この夏を乗りきる衣更へにけり
微々と揺れ浜昼顔の怯むなし

 花 合 歓  山根仙花
花合歓や波音籠る峠越す
花合歓や繰返し読む女文字
大屋根の反りを豊かに青葉寺
刃物屋の刃物刃物に雷走る
真つ直ぐに風切つてゆくサングラス
あり余る程の薫風貰ひけり
海よりの風を斜めに夏帽子
山の田の水より暮るる花菖蒲

 寝  汗  安食彰彦 
池のぞむ首もたげたる青大将
結界の池の亀の子首のばす
寝汗かく彼岸の父にしかられて
水を打つきれいに打つて呉服店
おとがひの汗そのままに郵便夫
夏旺ん四拍手の音たえまなく
夏草や坊の礎石に忘れ鎌
部活動にからめとらるる夏休

 三 河 湾  村上尚子
梅雨晴間海へ鳶の輪ゆるめけり
夏帽子水族館に列つくる
涼風に押されて長き橋を行く
緑濃き島に弁財天祀る
万緑や六角屋根のレストラン
あめんばう三河の空を掴みけり
足元に海の広ごる露台かな
向きかへてヨットにはかに辷り出す

 燕 尾 服  小浜史都女
子もおなじ燕尾服着て巢立ちけり
身の内の小骨が鳴りぬ梅雨の入
酢の匂ひ麹の匂ひ梅雨深し
沢飛び石ひととびごとの梅雨の音
吉野葛こくつと噛んで芒種かな
夏至の日やあらかぶ赤く煮上がりし
身の丈のくらしたのしも滝仰ぐ
心までは濡らさじ滝を離れけり

 白  絣  鶴見一石子
三叉路は風鈴売の休みどこ
働けることは倖せ汗一斗
冷奴男兄弟他界せり
心太すすり戦火の話など
夏切や大内宿はそば処
田植唄弁当二百届きをり
麻暖簾北鎌倉の甘味処
ありし日の洗ひ晒しの白絣

 白 南 風   渡邉春枝
時の日の目覚め促す鳥の声
白南風や島のうしろに島ありて
行きも雨帰りも雨の登山靴
風鈴と同じ高さにてる坊主
育休のパパのごろりと昼寝中
日盛りの咄嗟に思ひ出せぬ文字
心地よき疲れや甘きアイスティー
人影に点る門灯ほたる舞ふ

 三河蒲郡  渥美絹代
赤き星光り蜜柑の花香る
松落葉降る竹島の遥拝所
あをあをと藻の残る岸南吹く
海へ出て輪をかく鳶や枇杷熟るる
いくたびも鳥影よぎるバルコニー
父の日の吹かれて渡る橋長し
濁りたるみづうみ夏至の夕日差す
柚の花や親しく言葉かけくれし

 ライラック  金田野歩女
札幌のどの道ゆくもライラック
道庁の庭にベンチとライラック
われも又一詩人たりライラック
緑蔭を幌馬車でゆく蝦夷の旅
緑蔭に山荘行きのバスを待つ
湖と森に囲まれチセ涼し
手拍子で踊るメノコや夕涼し
「鶴の舞」踊るコタンの夏の宴

 氷  旗  今井星女
項垂るるほどの花数繡毬花
さくらんぼ雀勝手に朝ごはん
木天蓼の花を散り敷く堂の屋根
蟻のぼる木肌の荒き大柏
本堂の引戸全開夏の風
同じ瞳をしてお揃ひのサンドレス
くるくると客を誘ふ氷旗
蝉時雨総門よりの石畳

 巣鴨とげ抜き地蔵界隈  寺澤朝子
托鉢と見れば尼僧や風死せる
水打つて風呼ぶ地蔵通りかな
洗ひ観音細身におはす涼しさよ
くわんおんへ涼しく水を参らする
地蔵通りは婆の原宿冷し飴
あぢさゐや明暦大火供養塔
露涼し千葉周作の墓どころ
「金さん」眠る宝篋印塔夏深し


鳥雲集
一部のみ。 順次掲載  

 紙魚の跡  森山 暢子
海のもの手秤で買ふ祭かな
漆掻き赤子抱くこと許されず
短夜や女が指を鳴らしをり
杉山を背負うてゐたる鮎の宿
境内をお借り申して梅を干す
紙魚の跡一字に固執してゐたり

 青 葉 闇  柴山 要作
大樟は園の語り部青葉闇
放縦に伸ぶる夏萩志士の墓
蔵町の路地の奥より夏衣
九十三と軽く答へて草を引く
陶匠の大きな草屋夏木立
仏頂窟の辺りもつとも青葉闇

 鮎 の 串  竹元 抽彩
植田守る注連巻く石の田神様
朝市の魚涼しき眼でありぬ
梔子の花の別れを悼みけり
瞬きの隙に蝮を見失ふ
蚊遣火やゴンと書きある犬の小屋
化粧塩焦げて固まる鮎の串

 夏  至  福田  勇
洞窟に戰火の跡や花梯梧
蹲に音して落つる実梅かな
啼きながら森に消えゆく時鳥
夏至の日や刃こぼれしたる鎌を研ぐ
鍬休め捥ぎたて瓜をかぶりつく
蹲の脇に吊るせる釣忍

 梔  子  荒木 千都江
川風に翻弄さるる小判草
植ゑし田と並びて湖の光りをり
風立ちて梔子の香のひろごりぬ
ひと雨のつぎの雨音梅雨に入る
青空のかたすみ茂る大銀杏
犬を避け又犬に逢ふ夏帽子

 紫 陽 花  久家 希世
紫陽花に笑顔埋めて逝きし人
睡蓮に漣の立つ山の池
唐突ににいにい蟬の鳴き出しぬ
万緑に彈む鳥声澄み渡る
赤米の棚田に雨やはたた神
再会の実のつんつんと山法師
 毛虫の子  篠原 庄治
岩櫃の城址に長くる夏わらび
ほととぎす峡のかはたれ啼きとほす
無人駅つづく単線立葵
吊り下がる糸を操り毛虫の子
夏草や牧に立つ牛伏する牛
合歓の花夕べ静かに葉を畳む

 白  靴  齋藤  都
白靴や木陰は風の新しき
初夏の風行き止まる菩薩像
虹二重顔のわからぬ遠会釈
七月や乾きなかばの鹿沼土
母の忌の雨に枇杷の実艶を持つ
確かむる茅の輪くぐりの作法かな

 アスパラガスの花  西田 美木子
姥百合や土地の鴉の水呑み場
剥がれゐるおんこの木肌蟬の殻
開拓と共に百年桐の花
青ぶだう窓辺に蔭をくれにけり
仄暗き森の入口蟬の穴
母のことアスパラガスの花咲けば

 玉 の 石  谷山 瑞枝
海開き祢宜の木沓の砂まみれ
蓮の花孔雀ゆつくり羽を閉づ
稚児笹に狐日和の風涼し
城の井の石積み密に夏蕨
梅雨茸多聞櫓に玉の石
捩花やきざはし低き仮舞台

 青 梅 雨  出口 サツエ
青梅雨の山ふところを一輌車
見下して神話の国の大青田
吊忍たつぷり濡れて売られけり
大絵馬の駿馬嘶く青葉風
うかうかと喜寿迎へけりサングラス
古時計音なく刻み梅雨深し

 初  音  森  淳子
啄木の墓に聞きたる初音かな
初音きき啄木の墓去りがたし
奉行所の屋根より高き松の蕊
花曇礼拝堂の重きドア
春光の一条射せる懺悔室
春深し煉瓦倉庫の鉄の鍵


白光集
〔同人作品〕 巻頭句
村上尚子選

 三原  白鴉

郭公の団地の空を統べて啼く
墨の香の溢るる部屋や五月雨
銅鑼の音やいつまでも振る夏帽子
佐比売野に残る夕陽や姫女苑
卓に置くブルーのインク瓶涼し


 高橋 裕子

薫風や屋号掲ぐる旧街道
草刈るや幣ひらひらと地鎮祭
白抜きの藍染のれん夏つばめ
風水の塩の崩れや梅雨半ば
虹失せて厨に戻る水の音



白光秀句
村上尚子


卓に置くブルーのインク瓶涼し  三原 白鴉

 便利なボールペンなどのお陰で「インク瓶」を見る機会は殆どなくなった。掲句は現在の景ではないかも知れないが、一読してその様子を思い浮かべることができる。
 作者の毎月の句稿の文字は大変美しく、正確であり、読んでいても気持が良い。机の上もきっと整頓されているに違いない。文字通り涼しい作品である。
  佐比売野に残る夕陽や姫女苑
 「佐比売野」は三瓶山の別名で、出雲風土記に出てくるこの山一帯のことである。フレーズとしては平凡かも知れないが、この句の良さは「佐比売野」という固有名詞にある。そして、そこに咲く帰化植物の代表格とも言える「姫女苑」との対比である。

虹失せて厨に戻る水の音  高橋 裕子

 「虹」は春夏秋冬通して詠まれるが、季語は夏である。作者は夕方の忙しい時間帯の突然の「虹」にしばらく心を奪われていた。消えた瞬間、夕食の準備の途中であったことに気付き、再び蛇口を開けた。それが「厨に戻る水の音」である。我を忘れた束の間の出来ごとであった。
  白抜きの藍染のれん夏つばめ
 何の店かは分からないが、「白抜きの藍染のれん」だけで涼しさは充分伝わってくる。そのそばを元気に飛び交う「夏つばめ」の姿が印象的である。作者の元気な姿も重なって見えてくる。

茶封筒に父のみやげの初蛍  福本 國愛

 籠ではなく、「茶封筒」に蛍が入れられているところを見たことがない。たまたま見掛けた蛍を持ち帰り、子供さんを喜ばせたい一心で思いついたのが「茶封筒」であった。一匹の蛍によって、親子の話も大いに弾んだに違いない。

木の椅子に憩ふサングラスを外し  油井やすゑ

 炎天を歩いて来たのであろう。木陰に置いてある「木の椅子」に休むことにした。「サングラスを外し」には色々なことを想像させる力がある。歩いてきた場所や時間、そして椅子に掛けてから見えてきた景色等…。ひと味違った「サングラス」の作品である。

打水やホースびくりと動き出す  吉村 道子

 上水道が普及する迄、バケツや桶に汲んだ水を柄杓で撒くのが通常であったが、最近は水道ホースから直接撒くことが多くなった。掲句はその「ホース」のみに目を向けている。「びくり」により俄にホースに命が通い始めた。臨場感満点である。

母の手に重湯一匙梅雨明くる  服部 若葉

 「重湯一匙」ということは、かなり重病であったに違いない。最近は市販の病人食も出回っているが、家庭で作られたものにこしたことはない。そこには介護する者とされる者の間に、言葉には言い尽せない気持が通い合っている。「梅雨明くる」によって読者も救われたような気がする。

笹立てて御祓神事の場所となり  高田 茂子

 「御祓神事」の仕方は地方によってさまざまかも知れないが、先ずその拠点となる所が必要である。掲句の「笹立てて」がその場所である。普段は何もない一角が急に神々しく見えてきた。

朝曇机上にメモを貼つて出る  佐藤 琴美

 「朝曇」は日中の厳しい暑さの前兆である。擦れ違いの家族との連絡の為に要点を書きとめた。そしてその紙を机にセロテープか何かで貼った。余程重要なことか、あるいは作者の几帳面な性格さからか・・・。家族への温かい思いやりも見えてくる。

礼拝堂涼し弦楽四重奏  小玉みづえ

 最近はパーティー等の場を盛り上げる為に「弦楽四重奏」位の手軽な演奏を依頼することがある。しかしここは「礼拝堂」である。自ずからそのメロディーも聞こえてくる。身も心も涼しくなる作品である。

応援の母の日傘が立ち上がる  岩﨑 昌子

 この時期の「応援」と言えば、高校野球の観覧席が思い浮かぶ。我を忘れて子供さんの勝利を願っている。もう座ってはいられない。その強い思いが「日傘が立ち上がる」である。

額の花日差し廻つて来たりけり  村松 典子

 「額の花」も紫陽花も、雨との取り合わせが多く見られるが、掲句は「日差し」と取り合わせた。何の飾り気もなく表現しているが、読者は読者なりにその経過や景色を充分読み取っているはずである。



    その他の感銘句
氷砂糖水練終へし子に一つ
綿菓子の奥に顔あり祭の子
白樺に風の優しき半夏かな
マドンナと名付けし金魚鰭返す
石の目にこだはる石工蝸牛
三粒づつ言葉かけつつ豆植うる
蟻地獄大き獲物を引き寄せし
吊橋の揺れ正面の滝仰ぐ
梅雨晴間十五センチの靴洗ふ
白シャツの住職パパと呼ばれをり
夏燕駐在さんは何時も留守
サイホンの音立ててゐる梅雨晴間
あめんぼの一掻きが生む光の輪
傘寿翁大向日葵を咲かせ居り
十薬の匂ひの残る軍手干す
森  志保
保木本さなえ
佐々木よう子
岡 あさ乃
宮澤  薫
池森二三子
和田 洋子
篠原 凉子
米沢  操
清水 純子
加藤 美保
八下田善水
落合 勝子
池田 都貴
多久田豊子


白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
白岩敏秀選

 宇都宮  杉山  和美

組立つるベビーベッドや夏座敷
夏木立素足の覗く乳母車
軒先の南部風鈴風知らす
仙人掌の花徐に開きけり
眼の前の空気の揺らぐ炎暑かな

 
 多 摩  寺田 佳代子

オリーブの花や海峡見下ろして
対岸はフェリーで五分夏の潮
夏至の日の濡れ色に海暮れゆけり
水茄子の食べごろと云ふ重さかな
広縁に膝を寄せ合ふ半夏かな



白魚火秀句
白岩敏秀


眼の前の空気の揺らぐ炎暑かな  杉山 和美

 炎暑は夏の暑さのピーク。太陽は存在する影さえ許さないほどに燃えている。作者は街を歩きながら、眼の前の空気がふと揺らいだように感じたのである。あたかも、空気が炎上してできる蒸気の揺らめきのよう。炎暑がもたらした白昼の幻夢か眩暈か。
 「空気の揺らぐ」に真夏の太陽の威力を活写している。
  組立つるベビーベッドや夏座敷
 この夏は家族が一人増える。夏座敷の真ん中で可愛いベビーベッドを組み立てている若い父親がいる。おそらく、設計図を見ながら悪戦苦闘しているのだろう。楽しい作業で額の汗も気にならないようだ。
  夏座敷とベビーベッドの意外性のある組み合わせが新鮮。

広縁に膝を寄せ合ふ半夏かな  寺田佳代子

 半夏は七月二日頃で、まだ梅雨の半ばである。外で遊びたい子を宥めながら、広縁で本の読み聞かせや遊びの相手をしている。
 子どもの描写がないのに、子供が想像できるのは「膝を寄せ合ふ」の措辞による。省略の効いた表現に、スキンシップの暖かさが伝わる。

竹皮を脱ぎ青年となりにけり  大川原よし子

揺れにもう仲間入りして今年竹  川本すみ江

 竹の子の成長は早い。まだまだ小さいと思っていたら、翌朝の背丈に驚かされることがある。
 一句目の「青年となり」には学校を卒業した途端に大人びたような頼もしさがある。二句目の「仲間入り」は例えば、社会人になって、すぐに消防団や青年団に入団するような積極さを感じさせる。
  両句とも今年竹の成長の有り様をずばり言い当てている。

カーテンの丸く膨らむ青嵐  牧野 邦子

 明け放った窓から入る風がカーテンを揺らしている。そのゆるやかな揺れを見るともなく見ていると、思わぬ強い風がふわりとカーテンを丸く膨らませて去っていった。青嵐がカーテンを捉えた一瞬が「丸く膨らむ」。絶妙な表現である。青嵐という眼に見えないものを見える形で示している。

数珠なりの枝裏返し実梅もぐ  佐川 春子

 数珠なりとは嬉しい豊作である。まず見えるところの梅をもぐ。そして、枝を裏返してもぐ。〈葉がくれにありと思ほゆ実梅かな 虚子〉。「枝裏返す」が豊かな実りを想像させる。
 たくさん取れた梅は梅干し、梅酒、梅ジャム等々…。作者には楽しいレシピがあるのだろう。こころの弾む梅仕事である。

売家札額紫陽花の咲いてをり  北野 道子

 「主なき」でも「空き家」でもない。ストレートに売家であり、売家札である。所在なさそうに風に揺れている売家札と今を盛りと咲いている額紫陽花。ミスマッチのような情景が無駄のない表現で詠まれている。
 この家で過ぎ去った時間と額紫陽花の現在のせめぎ合いが一句をなしている。

金魚草並ぶ二台の三輪車  岡田 京子

 庭の隅にちんまりと並んでいる二台の三輪車。おそらく、飾りつけも同じ、色も同じなのであろう。仲のよい兄弟のものに違いない。庭で三輪車を力一杯漕いで遊んで、今はお昼寝の時間。目が覚めれば又、二人で庭を駆け廻ることだろう。可愛らしさを二台の三輪車で表した。季語の金魚草も動かない。

貝風鈴話題のつきて鳴りはじむ  川神俊太郎

 勿論、風鈴は会話の最中でも鳴っていたにちがいない。ただ、話に夢中になって気づかなかっただけのこと。話題が尽きて黙りこんだときに、リーンと鳴った風鈴。これからが風鈴の出番と言わんばかりに涼しい音を立てている。風鈴に意思があるように捉えてユニークである。


    その他触れたかった秀句     

烏骨鶏のんど見せ鳴く朝ぐもり
登り来てお花畑の中に座す
墨壺にうつすらと黴糸を繰る
梅干をひとくち顔の縮みけり
梅雨籠り骨の髄まで休みけり
薪崩れキャンプファイアの火の粉舞ふ
ガラス鉢対のめだかの眼のひかり
地下鉄に踊りの余韻乗つてをり
葉を畳む蓮の風立つ日暮かな
ひらがなの願ひ七夕竹に吊る
一本の道は牧舎に大夏野
夏燕雨の駅舎を低く飛ぶ
木洩れ日を膝に少女の夏帽子
夏落葉掃きて「衣手」句碑の前
水音を束ねて白き神の滝
青田風たたらの里の棚田かな
宍道湖の砂吐く土用蜆かな
夏帽子空魚籠提げて戻り来し
下京の連なる軒の夏暖簾

髙島 文江
米沢 茂子
鈴木 利久
遠坂 耕筰
大石 益江
広川 くら
小川三智子
高田 喜代
秋葉 咲女
三上美知子
佐々木よう子
山口 和恵
伊藤かずよ
鈴木すゞ子
栂野 絹子
朝日 幸子
松崎  勝
石田  人
伊藤 妙子

禁無断転載