最終更新日(Update)'11.02.10

白魚火 平成23年1月号 抜粋

(通巻第665号)
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1月号目次  
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句    増田一灯
「白山」(近詠) 仁尾正文  
曙集鳥雲集(一部掲載)安食彰彦ほか
白光集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
       
西村松子、花木研二 ほか    
白光秀句  白岩敏秀
白魚火浜松全国大会
 
  ・浜松大会参加記
   ・浜松大会動画
  ・浜松大会写真(Googlephotoリンク)
句会報(長月会) 町田 宏
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載)
          田口 耕、野澤房子 ほか
白魚火秀句 仁尾正文


季節の一句

(長野) 増田一灯

妻と酌む齢九十の年酒かな 上武峰雪
(平成二十二年三月号白魚火集より)
 作者は九十歳の高齢を迎えご夫妻で年酒を酌んで祝っている。推察するに夫婦はご円満で和やかな暮らしをしているようだ。昨年は大事なく一年を過ごされ、ほっとしている。杯を酌み交している中に酔が回り昔のことが思い出される。障子からは初日が差し込み床の間には福寿草が綻んでいる。これからも長生きされることを祈りたい。

賀状書く一人ひとりの顔うかべ 遠坂耕筰
(平成二十二年三月号白光集より)
 年賀状はうれしいのもだ。日頃ご無沙汰している友から賀状をいただくとありがたいと思う。また賀状を出しているのに返事がこないとその人の動静が気になる。そのように友人との人間関係は大事なものである。
昔の友の顔は忘れがちなものである。友とはよく遊び、よく仕事を一緒にしたものだが、お互いに顔を思い出しながら年賀状を出し合っていきたい。

噴煙とも冬の雲とも浅間山 鈴木百合子
(平成二十二年三月号白魚火集より)
 作者は亡くなった元群馬白魚火会会長の鈴木吾亦紅氏の娘さんである。吾亦紅氏は生前群馬白魚火支部のため奔走された功労者である。百合子さんは父親の遺志を継ぎ、群馬白魚火のため活躍されている。群馬の皆さんは時折山を越え、長野市にある故西本一都先生の墓参にきている。その道中冬の雪ともあるいは浅間山とも思われる姿を望見している。


曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   


男 爵 邸   安食彰彦

白烏賊の干され秋日のあふれゐて
新松子御碕の浜のみやしろに
色かへぬ松老いてなほ恙無し
あらぬ方見れば紅葉の男爵邸
ものぐさの句帳に秋の日がさして
影ゆるる社の池の水澄めり
頂上に雲置き雪の裏大山
振り向けばまだ雪大山の残りをり


 色変へぬ松  青木華都子

一の谷二の谷三の谷や霧
よれよれの手拭首に松手入れ
色変へぬ松や味噌屋の門構へ
草紅葉男体山の登り口
もみぢ晴れ水きらきらと山上湖
電柱をがんじ絡めに蔦紅葉
秋冷や待合室の人体図
秋刀魚焼く向う三軒両隣


 歯朶一枚   白岩敏秀

打つ音をおのれに返し添水鳴る
白菊の影となりつつ暮れゆける
芒活くる等身大といふ長さ
稲雀風音となり来たりけり
柿照るや蔵に小窓の鉄格子
農婦来て斜めに刈田渡りけり
ぐい呑を置けばことりと秋深し
茸取る歯朶一枚をかぶせけり


 一六銀行   坂本タカ女

子規そして不折を語る柿を剥く
姉の名で母に呼ばるる次郎柿
むかし一六銀行秋の灯の入りて
舶来といふ松茸の白さなる
燈下親し男は腕立伏をする
弁へし野菜ソムリエ実山椒
大綿や千木鰹木のなき社
水しぶきあげ初鴨の着水す


 溺れ咲き   鈴木三都夫

青瓢くびれ忘れし残暑かな
水打つて恋の蜻蛉の睦みあふ
供華筒に野の花溢れ秋彼岸
猫じやらし風にいたづら盛りかな
気付かれぬ色にはあれど紅葉づれる
草庵の花の千草もあるがまま
砂丘とは簀垣の起伏雁渡る
睡蓮の返り花てふ溺れ咲き
   新 酒   水鳥川弘宇
棟上げの餅飛んできし冬日和
棟上げを終へたる棟に月上る
おくんちの新酒に酔ひて植木売る
買はされし万両の鉢重かりし
指先がくんち囃子の拍子とる
乳呑み児も唐津くんちの法被着て
下戸の身にくんちの新酒うまかりし
街角の唐津くんちの新酒のむ

 行 く 秋   山根仙花
日に紛れ風に紛れて秋の蝶
廃屋に残る門札鳥渡る
行く秋の日の滲みたる石畳
夕鵙や外灯つまづきつつ点る
御手洗の溢るるかそけき音も秋
沖へ向け売る秋風のうつせ貝
行く秋の日に干す烏賊の身の透けり
灯台へ道の集まる石蕗の花

 草 の 花   小浜史都女
頑丈な囲を張つて秋蜘蛛となる
風生も一都も好きな草の花
やはらかき餅降つてくる秋祭
栗拾ひをり山囃子鳴つてをり
秋の雷土竜おどしにひびきけり
驚かなくなり猪と会ふことも
速達の投函雨の十七夜
冬仕度母の使ひし鍋を出す

 島     小林梨花
色変へぬ松や朱塗りの大社
銘入りの大刀に錆噴く秋の声
副葬の大刀の大小身に沁めり
どこまでも泡立草と花芒
島に売る太き牡丹の冬芽かな
神渡し島の小鳥の声潜め
冬霧に包まれ島の遠ざかる
大海の沖の金色冬の日矢

 北 颪   鶴見一石子
天の川百万石を二分して
首塚の塚払はれしつづれさせ
相入れぬ言葉の啀み肌寒し
鉄鍋に芋蒟蒻の煮転がし
手に触るる水の硬さや冬に入る
天も地も紫電一閃鰤起し
地獄谿硫気地を噴く空つ風
恐山けふもいちにち北颪

 朝 の 鵙   渡邉春枝
方丈に畳屋の来て萩こぼす
もう一段のする跳箱天高し
手のひらに子の手を包む秋しぐれ
草の絮飛んで仔牛の立ち上がる
うけ継ぎし母の鏡台朝の鵙
来し方のゆれて夕日の花芒
逢ひたきは亡き人ばかり衣被
検診車出でそれぞれの秋思かな


鳥雲集
〔上席同人 作品〕   
一部のみ。 順次掲載  

 金 木 犀  織田美智子
さきがくる金木犀の香なりけり
色鳥やすこし危ふき橋渡る
コスモスを大きく煽り貨車の過ぐ
いわし雲風紋くづれやすきかな
大通りふさぐ神輿や豊の秋
ひとり一鉢小学生の菊花展

 鰯 雲   笠原沢江
潮入りの川面をのぼる鰯雲
鰯雲写る水面に雜魚群るる
冬瓜の胴割り頼む益荒男に
葉を落しいよよ色濃き次郎柿
葉隠れも出来ぬ眞赤な烏瓜
突つ差しの棒となりたる枯蓮

 薄 紅 葉   金田野歩女
紅萩や染工房の一服茶
亀の子を秋白波の誘へり
曼珠沙華子らの遊びは日暮まで
行き還り橋より覗く鮭の川
穏やかなあばれ天竜秋麗
薄紅葉十指に余る留守のメモ

 元 祿   上川みゆき
桃青忌元祿遠し近しとも
八雲来よ城山稲荷石蕗盛り
嫁ヶ島へ一列に行く鵆かな
田の神を急かして山の眠りけり
参道に毬転げゆく七五三
隠岐島は父の母郷よ冬の雁
   豊 年   上村 均
群れ飛べる鵯の行手の島淡し
虫鳴くや浜にのつぽの松ばかり
稲架組むや丘を越え来る波の音
豊年の農夫地酒を酌み交す
十月の風車の影が森を這ふ
湖の帆が夕日に染まる法師蝉

 蓑 虫   坂下昇子
蓑虫の蓑に流行の無かりけり
蓑虫のまろ寝に朝の陽のやさし
天辺を己が席とし鵙猛る
富士山のたちまち暮れて花芒
幼子の甘き匂ひや小鳥来る
風紋は風の足跡雁渡る

 黄 落   二宮てつ郎
窓ごとと鳴り秋雨の上るらし
泡立草の揺るるに礼し退院す
秋時雨腰宥めても宥めても
蓑虫の夕べは雲の急ぎけり
我が一日始まる鵙の梢揺れて
黄落の明るさ海へ続きけり

 穭 田   野沢建代
蛇穴に入れり水車は休みをり
屋根に生ふる芒穂となる水車かな
千枚田千枚穭田になりぬ
ひと稲架は赤米掛けてありにけり
稲架近くまで寄りゆけり脱穀機
新藁をたがひちがひに束ねをり

白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
仁尾正文選

    島根  田口 耕

鵙鳴くや御陵をかこむ杉の森
校倉の開け放たれて秋茜
山陵を銀杏黄葉の被ひけり
()の住居跡の石垣笹子鳴く
菊の御紋の隠岐の社務所や竜の玉


   宇都宮  野澤房子

銀閣の映る水辺の新松子
色変へぬ松や御所発つ鼓笛隊
穴まどひ光悦垣に来て惑ふ
野の露に千燈ゆらぐ虫供養
五箇山の筑子(こきりこ)節や濁り酒


白魚火秀句
仁尾正文
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 謹賀新年 今年も会員の諸兄姉が変らずに健詠されることを祈念する。

流の住居跡の石垣笹子鳴く 田口 耕

 流は刑として辺地に流すこと。越前、安芸などへの近流、信濃、伊豆などへの中流、隠岐や佐渡への遠流の三等級があった。作者の住む隠岐へは後醍醐帝ほか多くの高貴が配流されたが、掲句は一連の作品より後鳥羽上皇にまつわるようだ。
 上皇は、承久三年(一二二一)專横を極めた鎌倉幕府の執権北条義時を討たんとしたが逆に戦に敗れ隠岐に流された。上皇は和歌に秀で元久二年(一二〇五)藤原定家らに『新古今和歌集』を撰進させた。隠岐に在ってもここで没する迄歌を詠み継いだ。
 掲句は、院の落莫の日々を送った住居跡の詠。静かな語り口であるが笹子の声を院と共に聞いていて、読み手の胸の奥処まで沁み込んできた。

野の露に千燈ゆらぐ虫供養 野澤房子

 夏の季語「虫送り」の副季語に「虫供養」がある。かつて小豆島の虫送りを見たが、大般若の転読により稲の害虫駆除の祈祷をし虫送りが始められた。長老の一人が何名かを連れて途中にある虫塚に立ち寄り、駆除される虫に供養の経を上げていたが、如何にも日本人的な行事だと思った。
 掲句。京都化野の念仏寺の入口に虫塚があり九月の第二日曜日の夕刻から虫供養が行われる。念仏寺の千体仏にも灯が点され、駆除された虫も無縁仏も一緒に供養されているのである。

秋風や女手形を掛字とし 小玉みづえ

 宿場町舞阪の脇本陣に女手形を茶掛にして飾ってあった。多くの俳人の興味を集めたが仲々詠み切れなかった。出女の詮議の厳しかった新居関へ渡る為の手形でこれを取得するには現在の磐田市迄往復十二里を歩く一日仕事だった。手形は幅十五糎縦二十糎程もあり厚い美濃紙製の立派なものだった。
 浜松の全国大会には「女手形を掛軸にし」とふりがなをつけて出されたが採られなかった。掛軸にすることを「かけじ」という言葉をしっていたのは立派であるが辞書を引く労を惜しんだのである。流行歌では、例えば「丘を越えて」の一節に「たたえよわが青春を」と文字に意味を持たせたものが随分とある。詞芸である俳句においては禁忌にしたいもの。

独酌や雲に溺るる十三夜 檜垣扁理

 この「溺るる」は水に溺れての「溺れ」ではない。「溺れる」には「ぼんやりする」という意もあり、一団の薄雲がゆっくり十三夜を通りすぎている状景。「独酌や」と李白になったように心ゆくばかり名月を愛でたのだ。

新蕎麦食ふ隣の客は左利き 大久保喜風

 客の混んだ蕎麦屋で隣の客が左で箸を使うと作者の右肱に触れんばかりで気になる。箸と鉛筆は右手でと厳しく仕付けられた時代があったが、テレビを見ていると箸もペンも左手の者が随分と目につく。米球界で十年連続年間二百本以上安打の新記録を達成したイチローは右投げ左打ち。左利きは一塁ベースに半歩早く達するので内野安打が多くこの大記録に貢献している。一方で御詠歌などのとき左利きが一人居ると見場に違和感があり、気にしだすとやはりぎっちょは気になる。

親子とて場所を教へず茸取り 北原みどり

 茸、特に松茸取りの名人は生える場所を他人に知られるとお手上げ。深更真暗な山へ灯も点さず入って夜明け前にはもう帰宅している。だから子にも場所を教えないのである。だが、何れ子には教えてやろうと思っていたのに急死したという悲劇も折々耳にする。

点眼に口が開きぬ花八つ手 桑名 邦

 言われてみると点眼の時多くの人の口が開いている。滑稽といえば滑稽だが、俳句の「即興」「挨拶」「滑稽」の滑稽も至極真面目な所作の中に見られる掲句のようなものが本物かもしれぬ。
病む人に組内総出稲刈りす 平田くみよ

 一家に病人が出て入院し、連れ合いも介護に追われ稲刈りができなくなった。そこで組内が総出して援助したのである。「組内総出」というのは手刈りであろう。稲刈機で刈れるのであれば二、三人ですむが組内総出となると棚田にちがいない。棚田は、景観、治水の上に大切な組内の連帯も強めさせているのである。心暖まる句に出合えてうれしい。

    その他触れたかった秀句     
上段の襖の房緒秋澄めり
亀の子の迷はず海に向ひけり
水揚げの秋の白子を手で啜り
炉開きや舌にとろりと和三盆
目薬師のめぐすりの木の紅葉かな
昇殿の祢宜の白足袋小六月
月光に濡れたる水屋茶事用意
満遍に日当るところ柿吊す
錆鮎の鯱立ちが炭囲む
男結び鎌で落され稲架解かる
芋茎むきしきりに母のこと思ふ
写経する墨の香親し文化の日
行く秋の風樹の中を歩きけり
瓢の笛吹く子の肩の上下して
借りて来てなかなか鳴かぬきりぎりす
安達美和子
広瀬むつき
加藤ヤスエ
高岡良子
福島ふさ子
荒木千都江
池田都貴
諸岡ひとし
塚本美知子
川本すみ江
大石ます江
神田穂風
高部宗夫
大田尾利恵
前川きみ代


白光集
〔同人作品〕 巻頭句
白岩敏秀選

      西村松子

十月の風透きとほる砂丘かな
靴底の砂丘の砂を捨てて秋
どこからか舟着く湖の秋思かな
色変へぬ松に雨降る遠江
秋思ふととほつあふみといふ響き


      花木研二

花芒駅に背のない椅子ばかり
村と村繋ぐ吊橋焦げ紅葉
一枚の水裏返し紙を漉く
絞り出す絵具火の色紅葉山
弔問の矢印辿る牛膝


白光秀句
白岩敏秀

どこからか舟着く湖の秋思かな  西村松子

 一連の作品から十月に行われた浜松での全国大会の折りのものと思われる。
湖は浜名湖。茫洋とした湖の彼方から点のように現れた小舟がやがて岸に着く。この広い湖のどこで漁をしていたのであろうか。小舟の水尾に揺れる葦。小舟の水尾にきらめく湖水。作者の住む宍道湖にも似たような光景があった。晩秋の湖風が作者の秋思を募らせる。旅愁もまた募らせる。
万葉集にある高市黒人の「いづくにか船泊てすらむ安礼の崎漕ぎたみ行きし棚無し小舟」を重ねてしまった。黒人は大宝二年十月に参河国(三河国)の行幸に従駕している。
色変へぬ松に雨降る遠江
浜松城での作品のようだ。家康が築城して、岡崎城に入城するまで十七年間を過ごした城。徳川三百年の平和の礎を築いた城である。「色変へぬ松」はその浜松城への挨拶でもあり、浜松の土地誉めでもある。藤田湘子は初日はその土地を詠むな、二日目に詠めと言った。浜松大会の二日目は雨であった。

花芒駅に背のない椅子ばかり 花木研二

 プラットホームの周辺に花芒があるくらいだから都会の駅ではないだろう。どこかローカルな駅に違いない。乗り降りする人も駅員も皆が顔見知りの駅。手を挙げただけで改札口を通れそうな駅。
背のない椅子では列車を待つ人達が日常の会話をし、時には他人の背を借りて居眠りも在るかも知れない。そんな暖かさのある駅である。「椅子ばかり」と突き放したような言い方が、かえって親しげだ。
村と村繋ぐ吊橋焦げ紅葉
 「焦げ紅葉」は『北方季題選集』(「葦牙俳句会」発行)に「紅葉が盛りを過ぎて暗紅色、紫褐色帯びた状態、又は天候や温度の加減で、紅葉にならず、焦げ色になったもの」と解説がある。北海道特有の季語。

出来上る畝に小鳥の来てをりぬ 大石益江

畝にやって来た小鳥たちがいかにも可愛い。これから未だ先のある途中なのか、ここが最終地なのか。出来上がった畝で無心に餌を啄んでいる。出来上がった静かな畝はもう小鳥たちを驚かすことはない。
食べ飽きたら飛び立っていく小鳥たちと短いひと時を共有している楽しさがある。
柔らかい表現は小鳥を驚かすこともなく、小鳥たちに注がれた作者の目は優しい。

晩秋や渡船の明かり島陰へ 田口 耕

島々に人を運び、荷物を運ぶ渡船。それが今、吸い込まれるように島陰に隠れてしまった。先程までの渡船に乗り降りする賑わいも消えて桟橋を打つ波音だけが残った。見えなくなっていく渡船の明かりに、慌ただしく去っていく秋の寂しさが重ねられている。しかし、情に流れていないのは上五の切れ字にあり、それに続くしっかりとした写生にある。
 渡船の海はやがて荒波の冬の海へと変貌してゆく。

甘酒を吹いて嵯峨野の紅葉冷 野澤房子

日本人は春は桜狩り、秋は紅葉狩りと自然の野山の美しさを愛してきた。
作者は高尾や嵐山の紅葉をこころゆくまで楽しまれたあと、茶店の赤い絨毯を敷いた床机で一服されたのである。
吹かねばならぬ程の熱い甘酒を飲みながらも、こころは嵯峨野の紅葉の美しさを追っている。満目の紅葉、紅葉…の世界。冷えさえも讃美の対象となっている。確かに、晩秋の京都は冷える。

一人抱きひとり歩かせ天高し 黒崎すみれ

母親の目と神経は抱く子と歩く子に平等に配られているが、片手は何時も空いている。少し頼りないながらも、自分の足で歩く子に差し伸べるための手である。しかし、子どもの成長は早い。両の手を子ども達に取られるのもそう遠くないに違いない。
 「天高し」がこの幸せな親子をしっかりと支えている。

無人駅続きコスモスまた続く 杉原 潔

無人駅―それは淋しい駅だ。黙って列車が停まり、黙って出てゆく。そんな駅が幾つも幾つも続く。そしてコスモスの花も続く。
それでも、列車は定刻に着く。その時だけが駅の目覚めの時だ。長い長いアンニュイの時間。無人駅は淋しい駅だ。

百キロといふ猪の鼻の穴 中西晃子

百キロの猪の鼻の穴の大きさはどのくらいなのだろう。きっと、とてつもなく大きいのだろう。生きている時は鼻息が荒かったにちがいない。
 怖いもの見たさの心理がユーモアをもって詠まれていて愉快。

 

    その他の感銘句
秋の潮透ける雁木の忘れ貝
姿良き一枚浮かせ土瓶蒸し
秋日澄む鉄骨空へ継ぎ足して
秋さびし尖りし屋根に小さき窓
単線の駅長室の秋灯 檜林 弘一
昆布干し西日の中を帰りけり
ちちろ鳴く小銭の光る隠し井戸
林檎噛むイブより大き口あけて
畔道を狐が通る月夜かな
新蕎麦をすする三番ホームかな
真つ青に晴れて帰燕の空となる
菊人形お滝の袖は七分咲き
崩れ梁岸の蛇籠は真新し
付添ひの六人がゐて七五三
紅葉狩夫と私のにぎりめし
栗田幸雄
北原みどり
吉田美鈴
金原敬子
森 淳子
生馬明子
江連紅女
荻原富江
後藤政春
橋本志げの
伊東美代子
上武峰雪
中野宏子
柴田佳江

禁無断転載