最終更新日(updated) 2011.01.01 | |
期間:平成22年10月3-5日 於:浜松市 ホテルクラウンパレス浜松 |
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目次 1.浜松大会動画(Youtube リンク) 2.浜松大会参加記 3.浜松大会写真(Google Photo リンク) |
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浜松大会動画 | |
大会の動画を掲載します。 内容: ・白魚火賞受賞のお礼の言葉 再生するには、画面真中の矢印をクリックします。 |
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平成23年1月号へ |
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浜松全国大会の思い出 |
(静岡)本杉郁代 |
十八年の浜松全国大会以来四年ぶりの浜松でしたが、前回は六月末でまだ梅雨最中ということもあり囲りの景色も大部違っておりました。十八年の浜松大会と云えば郷土芸能の遠州大念仏の何とも哀調帯びた道中囃子と編み傘を目深に被った念仏踊りを見せていたゞきとても感激した思い出があります。浜松市と私の住む牧之原市は同じ静岡県の中ですが、牧之原市はお茶の生産が主の町です。一方浜松市は県下一の工業都市で人口も多く、織物、楽器、車、オートバイなど製造業の盛んな大変活気に満ち溢れた都市です。そして徳川家康の居城のあった城下町としても知られております。音楽好きな私にとっての浜松はやはり楽器の町という思いが強く常に躍動感に溢れている印象があります。今回の浜松大会で特に心に残ったことが二つあります。浜松市はピアノの生産台数も世界一で、世界的なピアノコンクールが開かれる一方、市民の方にも音楽愛好者が多く巾廣くコンサート等も開かれております。ライブ活動がとても盛んであることを実感いたしました。懇親会初日の演奏会は曲層も巾廣く、声量豊かな歌手の方、そして演奏者のみなさんの熱の入った演奏は迫力があり私達を充分楽しませてくれました。私は終りまで舞台近くで聞かせていたゞき翌日の句会や吟行のこともすっかり忘れておりました。 そして次に二日目の式典の運び、句会の運営がとてもスムーズで活気溢れる中で進められました。式典は勿論のこと代表選の進行も無駄がなく、披講の方、代返の方ともとても歯切れよく、分り易く参考にさせていたゞくことの多い大変有意義な大会でした。浜松白魚火会のみなさまの心意気溢れる今大会に参加できたことは私にとって大きな喜びでした。 私が静岡白魚火に入会して間もなくの平成十年、御前崎での全国大会を思い出し、とてもなつかしく過ぎた年月をふり返ることが出来ました。歓迎会でぶっつけ本番のコーラスを新人同志で御披露したことも、なつかしい思い出の一つです。 終りになりましたが浜松全国大会を成功させて下さいました、行事部、関係者の方々、そして浜松白魚火会のみなさまの御苦労と御尽力に心より感謝申し上げ私の拙い大会記とさせていたゞきます。 ありがとうございました。 |
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中田島砂丘の秋夕焼 |
(松江)竹元抽彩 |
平成二十二年度白魚火全国俳句浜松大会参加に、前泊の観光を兼ねて吟行した。 島根県から安食彰彦編集長(副主宰)以下二十一名の団体で、新幹線浜松駅に到着したのは、十月二日(土)午後二時五分。松江駅を出発して優に六時間を超す。疲れも見せず予約の観光バスに乗りすぐに出発。快晴で観光日和。十月に入ったのに車内の冷房が気持良い。 本日これからの行動予定は、舞阪宿脇本陣、国指定文化財中村家、中田島砂丘を見て前泊ホテル、ルートイン浜松駅東着のコースで観光したが、最終見学地の中田島砂丘に到着したのは予定時間を少しオーバーした午後五時を過ぎていた。 中田島砂丘は、日本三大砂丘の一つでアカウミガメの産卵地であることは知っていたが、現実には隣県の鳥取砂丘しか見たことがない。ちなみにもう一つの砂丘は千葉県の九十九里浜とのこと。 事前の下調べを怠り知識に乏しく、ウミガメの産卵もシーズン外れなので余り期待していなかったが、この時間太平洋に沈む夕日が見られると言う。となれば、日が短かくなっていて日没までに僅か三十分余りしかなく、団体で行動する時間的余裕はない。 急ぎバスを降りて銘々が別行動。私は一人でカメラだけ携げて砂丘に向った。 私の初めて見る中田島砂丘は、南方海(太平洋)まで目測約一粁。海岸線沿いに東西に長く広がるでこぼこの丘が連らなる砂丘で、「堆砂垣」と呼ぶ砂防の竹矢来で幾重にも仕切ってあった。快晴の土曜日、夕方とあって観光客が多く、平地は名物の砂丘の風紋も靴跡ですっかり消されていた。 私は堆砂垣の丘に上り、幸運にも手付かずの風紋をカメラに納めることが出来た。 海岸まで歩を弛めることなく、砂を手に取って握ると、石英の光沢を持った、きめのこまかい、重く感じる白砂がさらさらと指間を零れた。 歩く時間経過に連れて太陽の周囲は夕焼の彩を刻々と変えて行く。ともあれ、夕日の沈むまでの秋夕焼の最中に間に合ったのは幸運であった。 太平洋の波が砂丘の汀を洗っている。その汀に佇めば、確かに太平洋を載せて広がる砂丘があり、刻々と変化する秋夕焼の雄大な景観があった。 太平洋載せて砂丘の秋夕焼 抽彩 私の視点、観点が捉えた一句である。 砂丘を囲んで海岸線と平行に、果てし無く伸びる色変えぬ松が防風林をなしている。この景は私の住む島根県にある世界一の庭園に八年連続で選ばれている足立美術館の、創作の庭や、所蔵する画聖横山大観の絵画「白砂青松」を思わせた。 波騒が心地良いバックミュージックを奏でる中、秋夕焼が茜色を濃くして行く。大輪となった太陽が太平洋の波間と砂丘の果ての際に、滾る様にすとんと釣瓶落に消えて行く。思わず息を呑み放心となる瞬間であった。 雄大な自然の景観に接する時、なぜか一人の人間として孤独を思う。どうしようもない大きなものに自分が抗う術を持たないちっぽけな人間であることを感じる。しかしそれが不愉快では決して無い。むしろ絶対の力の前に、神の懐に抱かれた様な安らぎを感じるから不思議である。 感傷に駆られた私は、昨年の函館大会を思い出していた。あの時は、函館山で見た仲秋の名月と世界一の街の夜景に酔い痴れた。 私はその時の句を今年三月号白魚火誌の百花寸評で戴いた。 月上げて函館夜景世界一 山下泰子 名月と併せて函館の夜景は世界一でしょうと、全国参加の句友に、地元函館の誇りに胸を張って見せた彼女が、逝去されたと白魚火誌十月号の内山実知世さんのお便りにあった。まだ六十歳の若さであったと聞く。私には名前とお顔が一致しないが、今年三月七日にお便りを戴いているだけに驚きにも一入のものがあった。ご冥福をお祈りする。彼女が今あればこの景を何んと詠まれたであろうか。 露の世や零るる砂の指間より 抽彩 合掌。 ふっと我に返った時、茜空は薄墨色に変って、足下に波の呟きが聞こえるばかりであった。 私は足元の砂を指で掘り砂を掴んで見た。指間からさらさら零れる感触に多感になった私は、青春だった頃の歌を口遊んでいた。 時間よ お前は なんて素晴しい すべてを 美しくしてくれる そして やがては 思い出さえも 遠く連れてゆくのさ ありがとう 時間のながれよ ありがとう 過ぎゆく人生 指からのがれて こぼれる 砂山の 砂のいとしさ (石原裕次郎 時間よお前は…) 砂山の砂を 指で掘ってたら まっかに錆びた ジャックナイフが 出て来たよ どこのどいつが 埋めたか 胸にじんとくる 小島の秋だ (石原裕次郎 錆びたナイフ) 何か腹の底から大声で叫びたい衝動に駆られた。私の中で過去の若き血が滾った。 時間よ ロマンチックな 時間の流れよ お前は その時間さえも 悲しみと 同じように 過去に連れて行くのか でも 知ってるかい 人の心は 老いても 秘めた思いは 消えないことを この様に人の心は時間を止めて、いや過去にさえ戻して追憶の世界に入ることも出来る…。そんなことにも思いが及んだひとときであった。 砂山の砂を掘る指秋思ふと 抽彩 影の消えた砂丘は暮れ彩を濃くして行く。足下に幽かに鳴る砂の音を確かめながらバスに戻った。 あたりは真っ暗に夜の帳を下ろしていた。午後六時半を過ぎていた様に思うが、私の中田島砂丘の評価は一変していた。デジカメで撮った景観も上々だ。 感動の景観も亦一期一会である。心がそこになければ同じ景観を見ても同じではないのである。出逢い、巡り合せも不思議な縁であり不可欠の要素を感じるのである。 今回慌ただしかった一日の最後に中田島砂丘を訪れたこと、太平洋の雄大な夕陽と間髪を容れず純粋の出合があったこと、その他過去に連想を生むその時の私の心情など、すべてが揃って今回の感動が得られたのだと思う。 このことは亦俳句を詠む心状の集中力にも通じ、素直になった心で、その場の観たまま思ったままを表現出来る様に、私の俳句力を高めたいと気付いたのは、今回の俳句大会に参加した一番の収穫だったかも知れない。 心身の疲れをシャワーで流し、アルコールで心を満しながら慌ただしく過ぎた今日一日の最後に得た、太平洋を載せた中田島砂丘のゆったりとした夕陽を見た感動の余韻の中に心地良く眠った。 「追記」 白魚火句友二百名が一堂に会し、素晴しい笑顔に逢えて想像以上の大会成果でした。 このことの感動は他の人の大会参加記で再度楽しみたいと願っています。 句に集ふ二百の笑顔秋灯下 抽彩 大会の成功裏には、何時も縁の下の力となった人々の在ることを忘れてはならない。 浜松白魚火の皆様、行事部の皆様、有難とうございました。 |
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