最終更新日(Update)'13.04.01

白魚火 平成25年4月号 抜粋

(通巻第692号)
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 4月号目次
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季節の一句    田原桂子
「春浅き」(近詠) 仁尾正文
曙集鳥雲集(一部掲載)安食彰彦ほか
白光集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
       
弓場忠義 、小川惠子  ほか    
白光秀句  白岩敏秀
鳥雲逍遥  青木華都子
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載)
          渡部美知子、坂田吉康  ほか
白魚火秀句 仁尾正文


季節の一句

(鹿沼) 田原桂子   


月に暈白木蓮の花開く  後藤 政春
(平成二十四年六月白魚火集より)

 近所に大きな白木蓮の木がある。東京の友人が花の美しいタイミングを知りたがる。関東北部の山地のかなしさ。咲かないうちに霜で変色してしまうことが多い。
 しかし、ここは高松、月がおぼろに暈がかかる夜は霜などおりない。夜全体がしっとりと月の明かるさの中、一つ一つ花片が動いて次々と花が咲いていく。そんな映像を思いうかべてしまう。

下萌や山羊専用の哺乳瓶  村上 尚子
(平成二十四年六月白魚火集より)

 春になると猫やその他の動物の子どもが生まれる。私はテレビの動物番組が好きで、熊やライオンなど人工飼育の哺乳瓶を使っているのを見る。人間の赤ん坊のものとちがって大きかったり、呑み口に工夫があったりする。山羊にもこうした哺乳瓶があるのだ。
 この句には表現されていないけど、作者をふくむ何人かがこの場に立ったり坐ったりしている。そしてにこにこと、又は好奇心に満ちた目でこの授乳光景を見ている。草も萠えそめ、風も暖かく、外にいるのも良い季節である。子山羊も生まれてめでたく、うれしい光景である。

桃の花如来まことに胸厚き  木村 竹雨
(平成二十四年六月白光集より)

 仏像ってなぜかグラマーなのネーとこの句を読んでにやにやしたくなった。豊かな肩から胸にかけて衣がすべるように流れている。春爛漫の外から堂に入ると、つやつやとふくよかに立っておられる。礼拝後、堂外に出ると、桃の花と春光の豊かな時である。如来様の豊かさも胸中に納めて帰路につく。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 立  春  安食彰彦
春来たる金管楽器奏でけり
春の風邪友も逝きまた小母も逝き
名ばかりの氷柱のさがる薬師堂
鬼の的に矢は当らずに春来たる
紅梅や托鉢僧の顔の艶
焼目刺恙がなき日の寝酒かな
師の句集読みつつつまむ桜餅
空青し家に一樹の迎春花

 鴨 帰 る  青木華都子
厚氷つついてをりし鴉の子
囀につられて道に迷ひけり
三羽五羽続いて十羽鴨帰る
後ろ髪ひかるるやうに鴨帰る
発つ気配無き五、六羽の残り鴨
あたたかき春連れて来る風が好き
春惜しみつつ日帰りの一人旅
尾根連らね白根、男体山笑ふ

 一 里 塚  白岩敏秀
川涸れて橋ひとつづつ名前持つ
狐火や一本松は一里塚
夜廻りの海を背にして折り返す
寒卵朝のきれいな空気かな
鯛焼の温みを皿に重ねけり
寒泳のさざ波ひかりつつ消ゆる
軒氷柱育ちざかりを折られけり
川渡り隣のまちに梅探る

 埴  輪  坂本タカ女 
千木鰹木元日の雪少しのせ
狛犬を取り巻く結び初神籤
羊羹の切り口乾く松納
この向ふ石狩川や大冬木
豪雪や人間蟻のごと動く
ほめられてより愛用の冬帽子
寒灯一灯ともし家留守に
水を汲む埴輪の女春を待つ

 左 義 長  鈴木三都夫
弄りし手櫛にこぼる龍の玉
寒行の誦経の響く障子かな
新発意の作務の一日大根干す
凍蝶となるやも翅をたたみしは
近づいて敢てどんどの尉を浴ぶ
何か爆ぜどんどの櫓崩れけり
どんど火へ揚る火伏せの水柱
どんど火へ餅焼く善男善女かな
 春 立 つ  山根仙花
蛇口より一息に飲む寒の水
杭を打つ音飛んでくる寒日和
大寒の一樹狭庭を統べて立つ
日を返す耳環きらりと春立てり
待針の色のさまざま春の雪
待つといふ刻を降りつぐ春の雪
黒板に残る字の跡春寒し
行くあてもなき地図ひらく春灯下

 寒 の 内  小浜史都女
力水両手にもらひ寒詣
二の宮の鈴も鳴らして寒詣
寒詣瓦寄進の記帳台
小さき鈴は小さき音して寒昴
大寒の暗きところに猿田彦
大寒の雪かりかりとがりがりと
嘴の泥ぬぐつてをりし寒鴉
寒鯉のまばたきもせず眠りゐる

 燭 の 炎  小林梨花
左義長の櫓組み終へコップ酒
燃え盛る炎に神酒垂らすどんど祭
笹鳴の声は大地を打つ如く
海鳴りも山鳴りもなく深雪かな
雪晴や小犬の声の嘻々として
大寒や燭の炎の立ち上がる
唐獅子の口の中にも年の豆
立春の山襞雨にけぶらへり

 春 の 雪  鶴見一石子
藍甕の木蓋重たき微塵胼
腑抜けにはなりたくはなし鬼の豆
歯毀れの鑿研ぐ手先日脚伸ぶ
春光を載せ波寄する九十九里
逃水の逃げし水跡二度踏めり
生きてゐる今を大切菊根分
青き踏み鬼怒の大地も聢と踏む
侮れぬほど平成の春の雪

 寒明くる  渡邉春枝
凍つる夜の使ひなれたる裁ち鋏
寒紅をつけてすんなり出ぬ言葉
寒牡丹の一花に光あまねしや
子等の声天に吸はるる深雪晴
寒明くる四人姉妹の恙なく
意のままにならぬ髪型春立てり
立春や使用禁止の椅子一つ
二月早や夫の実印そのままに


鳥雲集
一部のみ。 順次掲載  

 白 鳥 湖  今井星女
白鳥湖色なき世界展べにけり
首除々に上げ白鳥は羽根ひらく
わがために白鳥羽根をひろげたる
思ひきり首を伸ばしてスワン啼く
優しき目して白鳥の寄り来る
白鳥に天敵といふ北狐

 冬たんぽぽ  織田美智子
冬たんぽぽむかし踏切番のゐし
風邪流行るいましめあうて病者等は
冬晴や屋根から荒き男声
湯気立てて何処へも行かず猫とゐる
父祖の地の開拓の碑や冬ざくら
歳晩の道戻りゆく消防車

 ど ん ど  笠原沢江
収穫の何も無き納屋冬ざるる
冬日射す猫の居場所の定まりぬ
箱根駅伝見る茶袱台の向き変へて
転げ出し燵磨どんどに抛らるる
大福茶廻し戴く淑気かな
芒の芽勢ひて末黒隠しけり

 森の句碑  金田野歩女
柿落葉トンネル多き県境
指紋薄くなりしと思ふ冬銀河
冠雪を払ひつつ読む森の句碑
白息の自転車通学信濃つ子
冬菜畑母屋も蔵も瓦葺き
陶工の陶土汚れの冬帽子

 早  春  上川みゆき
早春の旋風塀に来てとまる
産土の鳥居くぐりて猫の恋
鉄道線路越えて生家や蕗の薹
鶯の鳴くや生家の母の貌
父母在りし日を想ひたる野焼かな
師の教へ今なほ守り針供養

  鳰  上村 均
賀状来ぬ今年限りと添書し
見当の大きく外れ鳰出づる
寒濤の見ゆるホテルの席選ぶ
荒海を越え来し船に雪降りぬ
てのひらに受けし風花すぐに溶け
寒禽や秋葉の里の渓痩せて
 白  峰  加茂都紀女
屋根に立つ檀徒十人雪下し
熊眠る山にひねもす機の音
白峰の今昔の感炉火赤し
雪掻いて大黒朝の鐘を撞く
ぐし跨ぐ足を踏み替へ雪下す
ざくざくと雪踏んで来る郵便夫 

 善 光 寺  野沢建代
初旅は友に引かれて善光寺
戒壇廻り暗闇に淑気あり
経蔵の大戸開けある三日かな
買初めは長寿の箸を善光寺
山葵田の苗のみどりも寒のころ
大火鉢片方に朱印所の忙し

 寅 彦 忌  星田一草
寅彦忌地球を照らす月一つ
初明かり関八州の田に畑に
鐘一打余韻の中の去年今年
二日はや手持ちぶさたの午後なりし
かりかりと足裏に砕く朴落葉
触れ太鼓山に谺し斧始

 猫  柳  奥田 積
凪ぎわたる海の青さや蜜柑船
寒の入り土人形の口に紅
茶柱の立ちて験よし七日粥
天保の井水を今に寒造り
大寒の結ひ直したる四つ目垣
猫柳水切りの石よく弾む

 一湾の紺  梶川裕子
一湾の紺の深さや潤目鰯干す
千木の奥また千木のある初御空
風花や天の鱗を剥ぐやうに
兜煮の目玉の睨む寒の入
声髙の訛聞ゆる寒詣
除雪車と幾度行き交ふ奥出雲

 日脚伸ぶ  金井秀穂
咲き萎みしぼみては咲く福寿草
湯立祭かたへに滾る牡丹鍋
滾る湯に雪霏々と舞ふ湯立祭
日脚やや伸びしと思ふ野面かな
日脚伸ぶ野良にぼちぼち人の影
しづり雪軒の雀を翔たせけり


白光集
〔同人作品〕 巻頭句
白岩敏秀選


 弓場 忠義

声変りせし少年の年賀受く
春浅し爪切る音の乾きけり
窓開けて春の炬燵となりにけり
年の豆ピアノの上を転がりて
耕人の足跡残る日暮かな


 小川 惠子

寒禽の啼いて蒼天深めけり
駄菓子屋の小さき日溜り冬すみれ
大欅吊り伐りされて寒に入る
歌垣の山の裾野の若菜摘む
前略の後の戸惑ひ凍返る



白光秀句
白岩敏秀


耕人の足跡残る日暮かな  弓場 忠義

 春が訪れてきたのだ。遠嶺の頂にはまだ雪を残しているが、野や里山に吹く風はすでに春のもの。 
北風に晒されて固くなった土を耕し起こす。耕しは作物を育てるための最初の仕事である。たっぷりと一日を使って耕した土には、耕人の足跡が深々と残っている。耕し終わって静かになった土と耕人の充足感が日暮れのなかでひっそりと息づいている。季節の歯車がことんと動いて始まる活動的な春である。
窓開けて春の炬燵となりにけり
 〈年の内に春は来にけりひととせを去年とやいはむ今年とやいはむ〉これは『古今集』の巻頭にある在原元方の歌。暦がつくられてから季節が人為的に区分されてしまった。今年の立春は二月四日。まだ寒い最中で、炬燵を手放せない日であった。対してこの句は暦の上の春ではなく、自然の真実の春を実感している。開け放された窓からさんさんとそそぐ春の日に、部屋の炬燵は小さくなっていることだろう。

歌垣の山の裾野の若菜摘む  小川 惠子

 「歌垣」とは上代、男女が山や市などに集まってお互いに歌を詠みかわし舞踏して遊んだ行事と辞書にある。おおらかな時代のおおらかな野外の遊びである。そして「若菜摘み」からは『万葉集』の雄略天皇の「籠もよ み籠もよ 掘串もよ み掘串持ち この丘に 菜摘ます子…」の歌が思い浮かぶ。
 春のうららかな日差し浴びながら摘む若菜。万葉の乙女たちの明るい笑い声が聞こえてきそうでロマンチックである。

松過ぎの畳に拾ふ実南天  大隈ひろみ

 正月の間、あざやかな朱で床の間を引き締めいた実南天。松を過ぎると気落ちしたようにほろりと転がってしまった。明るく賑やかだった家内も今は元の静けさに戻っている。
  畳の実南天を拾うという些細な行動はすでに日常のもの。「拾ふ」には正月のめでたさから日常への回帰の冷静な客観視がある。

春立つや土の起伏にある日影  郷原 和子

 我々は見ているようで見ておらず、聞いているようで聞いていない。この句、立春の日に見つけた土の日影。土の起伏は小さいものだが、その起伏がつくる影もまた小さい。しかも、その影は昨日の影とは違って春の影である。
 日頃から土に親しんでいる作者なのだろう。季節の移ろいの微妙な変化を鋭く切り取っている。

枯野原ただ風ばかり風ばかり  加藤 德伝

 一年のサイクルを終わって眠りに入っている原っぱ。満目荒涼たる枯野原には風だけが我が物顔に吹き荒れている。現場を経験してこそ分かる光景であろう。
 全ての装飾や言葉を拒絶した枯野原にあるのは「ただ風ばかり風ばかり」。しかし、風の枯野原は春へ向けて新しい芽を育てているのだ。この句に暗いイメージがないのはそのためである。

ストーブに掛けしやかんの鳴つてをり  久保美津女

 近頃のストーブは湯も沸かさなければ餅も焼いてくれない。掲句のストーブは随分と活躍しているようだ。
 この句には難しい言葉もなく、構えもない。読む者に重苦しさを感じさせないのは、日常が普段着のままで詠まれているからだ。
 その季節になってストーブのやかんが鳴ったら、口ずさみたくなる句である。

雨音に目覚め春立つ日なりけり  三井欽四郎

 春立つと聞くと寒さのなかにも春の気持ちが準備されてくる。そんな朝の目覚め。
 立春について『山の井』(編者 北村季吟 正保五年刊)は「よろずのびやかなる心を仕立つ」としている。あたたかな蒲団のなかで聞く春雨の音は、こころも身体も伸びやかにしてくれる。

江の電の小さき踏切すみれ草  海老原季誉

 江ノ電は江ノ島電鉄の略称で、地元の人や観光客に親しまれている。藤沢駅と鎌倉駅とを含む十五駅を結び十キロメートルを走っている。なかなかに可愛く人気のある電車である。
 電車が通るたびに警報機が鳴る小さな踏切。警報機の硬質な音に対してすみれ草がいかにも可憐だ。


    その他の感銘句
寒鯉の朦朧として力溜む
病院の窓みな灯る寒さかな
池普請鯉移さるる水しぶき
御神渡りありたる夜の明けにけり
日めくりの薄紙ほどに日脚伸ぶ
春隣鳩の来てゐるすべり台
霜下りる気配の夜は星光り
涅槃図の前を通りて焼香す
調律のキーの半音冴え返る
雲切れて覗く日差しは春のもの
髪型のすつきり母の女正月
衣擦れの音立ち上る初稽古
大鯉の尾鰭広げて水温む
親不知子不知の涛寒落暉
足跡のたちまち消ゆる春の雪
小玉みづえ
荒井 孝子
大野 静枝
大澄 滋世
吉田 智子
西村ゆうき
峯野 啓子
小松みち女
大山 清笑
大滝 久江
重岡  愛
古川志美子
岡本 千歳
池田 都貴
本田 咲子


鳥雲逍遥(3月号より)
青木華都子

散り急ぐ中に冬芽の兆しあり
教へ子の人杖あまた冬ぬくし
初空へ放つ鳩舎のレース鳩
菊日和百の部屋ある御用邸
枯葉より掘り出し拝む小石仏
釜めしを売る小春日の駅舎跡
能面のくちびる赤き初明り
冬凪ぎの浜名湖照らす岬の灯
石垣の反り美しき草紅葉
笹鳴や埴輪の耳のちぐはぐに
雪被り石となりたる六地蔵
獅子舞の口中覗き声掛くる
湖広し広しと潜るかいつぶり
冬の日や首をたためる鷺一羽
記帳簿に友の名前や初薬師
どつしりと腰を下して山眠る
くはくはと旅伏嶺渡る初鵠
煙突に生活のけむり軒氷柱
悪友と思ふ忘年三次会
寒菊や思ひもよらぬ客の来し

桧林ひろ子
橋場 きよ
寺澤 朝子
今井 星女
金田野歩女
加茂都紀女
大石ひろ女
清水 和子
辻 すみよ
源  伸枝
浅野 数方
渥美 絹代
西村 松子
森山 暢子
柴山 要作
荒木千都江
久家 希世
篠原 庄治
竹元 抽彩
福田  勇



白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
仁尾正文選

 出 雲  渡部 美知子

跳箱を七段跳んで春立ちぬ
赤き糸付いたるままや針供養
パレットに新しき色春の水
春光や硯の海に穂を沈め
魚は氷に稚は挙をひらきけり

 
 浜 松  坂田 吉康

封を切る半紙千枚筆始
巻癖のかくも頑固や初暦
自らの朱墨で直す筆始
一家あげ回転ずし屋女正月
皹薬小指を立てて蓋をせる



白魚火秀句
仁尾正文


跳箱を七段跳んで春立ちぬ  渡部美知子

 あるテレビでケイン・コスギとか全日本体操の池谷選手など一流のアスリート達が十数段、五メートル超の跳箱を飛ぶ競技に人気があった。掲句は、それよりも箱の一段が低いのであろうが七段ともなると三メートル位の高さはあるに違いない。掲句の主人公が作者なのかどうかは不明だが躍動感溢れる光景ではある。
 待ちかねていた春が来た。が、冴返り、寒戻り、春寒等があってたやすく冬から春へ移り変わるのではないけれども「立春」は人々の心を明るい期待に誘なう。「跳箱を七段跳んで」はその具象。歌人上田三四二は「心は物を通さなければ読者に伝えられない」と言ったが掲句の具象はその「物」だ。作者の心は十分に伝わってきた。

巻癖のかくも頑固や初暦  坂田 吉康

 初暦の巻癖を直すに手を焼いた俳句は沢山ある。だが、「かくも頑固や」と引き緊った声調で骨太に詠んだものは知らない。石田波郷は
霜柱俳句は切字響きけり
の作を通して、切字を用いたひびきが作者の思いを伝え得ることを示した。前出の美知子句の「物」も「切字のひびき」も作句の上では重いものであることをこの二作品から会得して欲しい。

中山雅史の闘ひ祈る春隣  檜垣 扁理

 頸椎挫傷により手脚の機能を失い、回復は難しいと診断を受けていた中山君は「必ず社会復帰する」と強い心で闘病しているが、名古屋のリハビリ病院で急速に快方に向かっている。二月号の白光集巻頭の「枯蓮の折れても水に支へられ 雅史」は境涯を離れつも写生の秀作であった。最近は投句稿も便りも自筆であり字に力が出た。掲句の如き励ましは彼を勇気づけるであろう。春隣の季語が実にいい。

初漁の糶はじまりぬいま男時  松下 葉子

 大野林火の句集『潺潺集』に「一切の勝負を定めて一方色めきて善き時分になる事有り、これを男時と心得べし(「花伝書」)」と前書きし
男時女時いま男時なり実向日葵
がある。
 頭掲句。作者はいま心身充実して男時だと感じている。今から始まる初漁の糶はきっとすばらしい祝儀値がつくだろうと確信しているのだ。

校長が勢子の先頭兎狩  花木 研二

 兎狩の勢子の先頭に立ち大声で生徒を指揮し鼓舞を続けている校長。イジメ、自殺などで批判の渦中にある学校現場であるが、大多数の学校は掲句の如く和気藹々としているのであろうと信じる。

東風そよと天神さまの太鼓橋  中林 延子

 心地よい東風の吹く中、天神さんの池には朱塗りの太鼓橋が架かっている。季語からも景からも作者は平穏そのもの。桃源郷というものがあるとすれば、すぐ間近迄来ている。

日向ぼこするには少し齢足らぬ  諸岡ひとし

美しき齢重ねたし西行忌  渡邊喜久江

 前句。作者は数え年でいうなら米寿を過ぎているが地区の諸役を受けて多事多端。とても日向ぼこなどしておれぬのである。
 後句。この作者は既に満齢で米寿。西行忌から、連想するのは政敵になった後鳥羽上皇と清盛の間を自在に行き交って双方から信用のあった西行のように残生を美しく生きたいと思っている。両者共に疑いなく白寿、百寿を迎えるであろう。それ程に気力が充実している。

髯剃りて今年の顔となりにけり  丸橋 洞子

 髯もじゃの顔を大晦日に剃ってさっぱりとして今年を迎えた。この若々しい顔が本来の顔なのだと主張している。ユーモラスだ。

寒造先づ一献は冷で酌む  青木 源策

 新酒は秋の季語となっているが、殆んどが寒造である。待っていた寒造の新酒を手にして、まずコップ一杯は冷やで飲んだ。後は晩酌にゆっくり燗をつけての腹積り。如何にも酒呑みらしい。なおこの句細見綾子の
空き瓶の甘茶を帰路に少し飲む
とどこかで通底している。

ふんはりと小豆の煮ゆる寒の入り  七條きく子

 煮立った小豆がとろ火の上で揺れている。その景と寒の入りの取合せは非凡である。



    その他触れたかった秀句     
寒夕焼飛行機雲の交差点
クレーンで供ふ神社の鏡餅
猫柳ひねもす雨に輝やけり
裃の中はふだん着鬼やらひ
喉仏大きく動き寒の水
数へ日の厨に絶えず水の音
裸木をたたいて声を聞いてみる
先頭は学僧らしき寒修行
飾り竹きりりと男結びかな
ゆずみそを煮つつ確かむ母の味
捨て水の先を寒雁遠ざかる
日向ぼこみんな百まで生きる顔
小止みして又降り出せり牡丹雪
病み上手持病が疼く寒き夜
たたら踏む権現舞や淑気満つ

伊藤 寿章
小林 久子
田久保柊泉
星  揚子
堀口 もと
根本 敦子
保木本さなえ
山本まつ恵
友貞クニ子
餅田美代子
小玉みづえ
佐藤 貞子
山口 菊女
大野 洋子
石田 千穂

禁無断転載