最終更新日(Update)'13.01.01

白魚火 平成24年1月号 抜粋

(通巻第689号)
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 1月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句    萩原一志
「鵙の贄」(近詠) 仁尾正文
曙集鳥雲集(一部掲載)安食彰彦ほか
白光集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
       
大野静枝 、松本光子  ほか    
白光秀句  白岩敏秀
句会報 初生句会  水島 光江
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載)
          渥美尚作 、齋藤  都  ほか
白魚火秀句 仁尾正文


季節の一句

(東京稲城) 萩原一志  

  
真ん中に畏む婿と初写真  檜林 弘一
(平成二十四年三月号白光集より)

  新年に相応しい誠におめでたい句である。手塩に掛けて育てた娘が結婚した。一抹の寂しい思いをしていたところに、娘夫婦が新年の挨拶に来た。大事な婿を真ん中にしての家族写真。婿は恐縮して畏まったままじっとしている。写真を撮ったら、義父と婿は屠蘇気分に浸るのであろうか。二人の会話を聞きながら微笑む妻と娘。娘の幸せは、婿との良好な関係があってのこと。ほほえましい親子の姿が見えてくる。
 ところで、写真はどこで撮ったのだろうか?折角だから、着飾って写真館で撮ったのだろうか。それともくつろぎつつ家で撮ったのだろうか。婿が畏まると言う表現から、写真館に行って、和服で撮ったように思う。年月が経つと、節目節目の写真が懐かしく思い出される。この写真はきっと作者にとって忘れがたい一枚になるであろう。

堀炬燵囲むどの手もみかん色  田部井いつ子
(平成二十四年三月号白魚火集より)

 のどかな農村の一家団欒の景が良く見えてくる。今は少なくなった堀炬燵に家族が集合。おじいちゃん、おばあちゃんから孫たちまで、大家族が入れるような大きな堀炬燵を想像する。正月番組を眺めながら楽しいひと時を過ごす。裏山で取ってきたばかりの、外気に当たって冷たいみかんをほおばる。一個、二個でなく笊一杯のみかんを平らげる。気がつくと手はみかん色。家族全員の手がみかん色。爪の中までもみかん色になる。松の内が終わり、子供たちが三学期の学校に行く時になってもみかん色は消えない。堀炬燵とみかんの暖かな色合いが、幸せな家族の姿をほのぼのと伝えている。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 紅 葉 坂  安食彰彦
紅葉坂色は匂へど散りぬるを
明日もあり明後日もあり紅葉坂
猿酒なども飲みたしいろは坂
遠つ世の落葉散り敷く日光廟
参道に怒念積る落葉かな
日光に秋を残して去りにけり
例幣使街道小春日和かな
神迎へかつて締めたる男帯

 蔦 紅 葉  青木華都子
風呼んで風に応ふる芒の穂
虫すだく鍵のいらない陶土小屋
萩芒活けて客待つ湖畔亭
神杉に絡みつきたる蔦紅葉
雲切れてより山紅葉渓紅葉
降り出して紅葉を散らすほどの雨
瞬間といふ時のあり木の実落つ
蓮根掘る男の顔のどろだらけ

 一灯の影  白岩敏秀
豊年を照らして夜汽車過ぎにけり
傾きを直し案山子の威を正す
ずぶ濡れの身を掬はるる新豆腐
橋脚に上げ潮の波秋つばめ
雁過ぎし空の青さをうちかぶる
ころころと手窪に集め種を採る
蘆刈つて倒るる風に蘆動く
根釣する一灯の影横に置き

 新 松 子  坂本タカ女 
コスモスの風が行つたり来たりする
時代屋の屋根看板や燕去ぬ
鞍替へをしてゐる弁慶草の蜂
名残月ほろほろ鳥は枝の上
とびそこねたる思案顔秋蛙
電線を辿る更待月歪む
校舎より武道の気勢新松子
去り難き学舎雁の渡るなり

 秋 彼 岸  鈴木三都夫
秋彼岸ぽつくり寺に願かけて
撞く鐘に一山の露動きけり
参道に供花売る姿も秋彼岸
敬老といふ曖昧な日なりけり
山城の跡蒲公英の狂ひ咲き
空壕の昼の暗さに残る虫
睡蓮の水に溺れし返り花
ちまちまと穭貧しき棚田かな
 露  山根仙花
露の野へ今日の始めの一歩踏む
廃屋の門札露の野へ傾ぐ
研ぎ上げし刃先露けき野へ揃へ
高き木の高きに朝の鵙猛る
手を打つて人呼び戻す秋の暮
わが影を連れ小春日の野に遊ぶ
時雨るるやわが手でほぐす肩の凝り
目覚めては聞く夜の時雨又時雨

 眠 り 猫  小浜史都女
秋耕の終る利根川あたりかな
寒さうにうぐひす笛を吹く男
逝く秋の欠伸もせずに眠り猫
神鈴も鰐口もなく秋の暮
朴落葉踏めば音して願ひ橋
紅葉山悠悠とハングライダー
棒立ちの華厳の滝の涸るるなき
山襞の深きより冬来たりけり

 奥 宮  小林梨花
秋日燦々東照宮への登り坂
神厩の神馬の瞳秋澄めり
眠り猫眠りしままに秋麗
許されて拝す奥宮天高し
黒漆塗りの奥宮身に沁めり
金秋や登り詰めたる奥の宮
杉太郎見上ぐる我に秋日濃し
黒髪山と昔は呼ばれ夕紅葉

 北山しぐれ  鶴見一石子
杣小屋をつつむ北山しぐれかな
丸太小屋鉈に燒印しぐれ雲
杉丸太転がしみがく日短か
歯毀れの鉈の手入れの頬被
杉丸太匂ふ仕上がり冬夕燒
貝塚の小春蹴散らしつつく矮鶏
控へ目にけふも生きてる藪柑子
時雨忌や俳諧心の杖とせし

 深  秋  渡邉春枝
深秋や木曽の木地師の片ゑくぼ
御神木切り出す山の粧へり
合流の水の逆巻く渓紅葉
霧深し御岳つひに顔見せず
御岳の雲をよぎりて鳥渡る
香りよき木曽の杣酒暮早し
小鳥来る村に自慢の樟大樹
野の風と遊びて秋を惜しみけり


鳥雲集
一部のみ。 順次掲載  

 どんぐり  荒木千都江
どんぐりを掃き寄せてあり水子仏
秋寂ぶや土塀真白醤油蔵
湖水まで刈田を広げ神を待つ
電車過ぐホームは風と秋桜
月を得て風の芒となりにけり
空稲架となれば大根干されけり

 雁  久家希世
雁渡る景を幾度蕎麦の庵
対岸はまだ靄の中雁渡る
水鳥の夕日まみれに鬩ぎ合ふ
見つけたり管玉色の野の葡萄
蟷螂のそしらぬ顔をして枯るる
一筋の紅を覗かせ寒牡丹

 乱 れ 萩  篠原庄治
草紅葉石を祀りし杣の道
降るる術なき谷底の紅葉濃し
乱れ萩括り身巾の仏道
月の宴月を残して終りけり
蜘蛛の糸頭で払ふ松手入れ
振り塩で味引き締むる衣被
 金 の 雨  竹元抽彩
秋刀魚焼く煙吐きをり縄暖簾
意に染まぬ夜もありけり蚯蚓鳴く
銀山に翼休むる夜木菟稲架
花零す金木犀に金の雨
銀杏を落して雲の迅さかな
浮雲や婆娑と音立て朴落葉 

 柚 餅 子  福田 勇
東北の物産展の新小豆
自家製の柚餅子を当てに酌めりけり
この峠越ゆれば信濃柿を干す
里山のこだま返しの威銃
手捻りの自作の盃に菊の酒
塩味の加減よろしき零余子飯

 



白光集
〔同人作品〕 巻頭句
白岩敏秀選


 大野 静枝

霧深き日光山内行者径
百地蔵百の面立ち木の実降る
化け地蔵露の世の銭膝に溜め
行く秋や猿がいろは坂覗く
色鳥の声玲瓏と大谷川



 松本 光子

霧分けて霧分けて行くいろは坂
霧はれて肌きはやかに白樺
草もみぢ連山刻む方位磐
爽籟や波ひたひたと湖畔亭
人波を見遣る神馬の秋思かな



白光秀句
白岩敏秀

化け地蔵露の世の銭膝に溜め
霧分けて霧分けて行くいろは坂
陽明門に唐子の遊ぶ小春かな
あららぎの実の零れゐる御用邸
冷まじや宵の男体山立ちぬ
陽明門飽きずに眺む神の留守
櫨紅葉神君の意気滾るごと
これがまあ一茶の里や初時雨
赤き実をつけ被爆樹の亭々と
秋夕焼塔より長き塔の影
金賞の菊を見てゐる菊師の子
真つ白な教会小鳥来たりけり
月白に向を変へやる車椅子
釣り人に俳諧天狗日向ぼこ
俯くなと肩に背中に木の葉振る
父と子の庭師は無口松手入
ピノキオのやうには成れず菊人形
鳥威し今川の姓残る村
時計屋の時計の時差や秋うらら
団栗や湖を抱きし原生林
ゆく秋の遠き水より光りだす
善光寺負うて紅葉の全つ盛り
長き夜やつくづく見合ふ共白髪
実石榴の弾け宝石箱のやう

大野 静枝
松本 光子
小川 惠子
渥美 尚作
田口  耕
秋葉 咲女
安達美和子
今村  務
岡田 暮煙
鈴木喜久栄
中村 國司
林  浩世
山田ヨシコ
若林 光一
秋穂 幸恵
柴田まさ江
髙橋ルミ子
徳増眞由美
中山  仰
根本 敦子
保木本さなえ
増田 一灯
山田 春子
山本まつ恵



白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
仁尾正文選

 浜 松  渥美 尚作

一面の稲穂の波や夕日影
天井低き京の商家や竈馬
祝はれて座布団小さき敬老日
かんぺうと母のメモ書き秋彼岸
虫すだく母の戒名朱を黒に

 
 鹿 沼  齋藤  都

秋の湖指輪にしたき水の色   
晩秋やまだ暮れ残る陽明門
御用邸紅葉明かりに衛士ふたり
待ち伏せの残る蚊に会ふ観音寺
冬立つや山肌にある雲の影



白魚火秀句
仁尾正文


前山の向かうは信濃衣被  渥美 尚作

 掲句の「衣被」という季語に立ち止り前へ進むことができなかった。飯田龍太の「山々のうしろは露の信濃かな」という隣国信濃へ親愛なエールを送った句とは違うからだ。古い時代から三遠南信の人々は歌舞音曲は殆んど同一で共同体意識が強くその伝統は今もあり作者らも信濃とは親しい思いを持っている。
 作者が衣被という暗くはないが地味な季語を用いて信濃を詠んだのは、甲斐の信玄が信濃を経て遠州を侵攻したことを意識したのではないかと思うに至った。
 元亀三年(一五七二)旧暦十月三日信玄は三万の軍を率いて甲府を出て十月十日、遠信の国境青崩峠を越えて南下し、作者の現住する旧天竜市の二俣城を十二月二十二日に落している。その後天竜川を徒渡り、三方ヶ原台地へ上り三河に向かった。家康の居城浜松城攻めに費す時間を惜しんだのである。家康は武人の面目をかけて手兵八千、織田の援軍三千で信玄を追い、三方原北部で合戦し大敗した。
 掲句の「前山の向かうは信濃」は青崩峠の手前の山。当時の甲斐の騎馬軍団は国内隋一の強兵といわれていたが、勝敗を別にして武人の意地を通した家康。家康を敗った信玄も三河に入って直ぐ野田城で死亡したという悲史。それらへの感慨を「衣被」に委ねた。選者も「衣被」に感応したという一句である。
 日光全国大会の「澄み渡る秋や下野一の宮 尚作」は格調高く二荒山神社を褒め、下野を称えた挨拶句の佳作。地名を詠み込んだ句であるが頭掲句とは趣向が異るのである。

秋の湖指輪にしたき水の色  齋藤  都

 文化の日の日光いろは坂は紅葉の見頃で、車が大渋滞し往復八時間もかかった者も居た。掲句の「秋の湖」は固有名詞は出ていないが中禪寺湖に違いない。よく水の澄んでいる情景を「指輪にしたき水の色」と具象的に、楽々と詠んだ技に感心した。単純化、一物仕立て平明、何れも選者が推奨しているもの的確に作品化した。

龍淵に潜み山湖の色深む  松本 光子

 「龍淵に潜む」は季語かと鳥雲集同人から質問された。山本健吉の『最新俳句歳時記』(第一刷昭和四十六年)に「『説文』に竜は春分にして天に昇り、秋分にして淵に潜むとある。想像上の季語」と解説している。『日本大歳時記』及び平成十八年第一刷の角川『俳句大歳時記』にもほぼ同じ解説がある。それ以外の多くの歳時記には収録されていない。「ほととぎす」の俳人は虚子歳時記にないものは無季としている(理解できることである)が筆者は「ホトトギス」と無縁であるからこの季語は認める。

人の道風の道あり大花野  池田 都貴

 人の道は人の通る道、風の道は一定の方向にいつも風の吹く筋。大きな花野の中に、人の道や風の道があるというのは至極当り前である。が、人の道には、人の踏み行くべき道徳という別の意味もあるので、この句少しく思念的な面が出た。

小豆干す筵持たざる小百姓  仙田美名代

 作者の職業欄には「農業」とある。波郷に「一茶忌や父を限りの小百姓」がある。共に自らを小百姓と謙遜しているので秀句と認めるのである。他人を「小百姓」「小売ひ」という風に詠むのは蔑視したことになるので選者は採らない。掲句者の中には年齢や就職欄を空欄にしている者がある。これらの欄は作品鑑別の上で大切なのである。

男体山の軽くなりたる黄落期  奥野津矢子

 黄落期だから闊葉樹が落葉を尽し男体山が軽くなったと捉らえた。小浜史都女さんに「椿落ち地球が少し重くなる」という秀句があるが同じような感じ方だ。物理学では質量不変の法則があり山や地球が軽くも重くもならぬのであるが、俳人の「日永」「短日」等は暦とは違う。そこが面白いのは、掲句二句と同じである。

同期会貴様も俺も木の葉髪  矢本  明

 奈良県警を定年退職した作者達は同期会を作り、年一回集まっているようだ。掲句は「貴様と俺とは同期の桜」を下敷にした句であるが、原歌の悲想感とは異なり楽しく面白い。

禅寺の山道に干す唐辛子  中山 雅史

 作者は今七月交通事故により頸椎挫傷の重篤な怪我をした。医師から手足の機能の回復は難しいというむごい告知を受けた。頭脳と言葉は健全で、何としても本復して社会復帰をしたいと強い意志表示をしていた。九月初め頃から手がだんだん上がって後頭部に触ることが出来るようになり、名古屋の労災病院にリハビリの為転院した。その中山君が投句をしてきた。看護師の代筆のようであるが、奇蹟が起こりつつあるよう思えた。是非そうなって欲しい。



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