最終更新日(Update)'07.02.05

白魚火 平成17年3月号 抜粋

(通巻第618号)
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・しらをびのうた  栗林こうじ とびら
・季節の一句    野口一秋
近火見舞(主宰近詠)仁尾正文   
鳥雲集(一部掲載)安食彰彦ほか
白光集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
       
鈴木百合子、二宮てつ郎 ほか    
14
白光秀句    白岩敏秀 41
・白魚火作品月評    水野征男  43
・現代俳句を読む    村上尚子 46
百花寸評    沢 弘深  48
「白魚火賞」発表 51
・こみち     早川三知子 61
「新鋭賞」発表  62
・「俳檀」2月号転載  68
・「俳檀」2月号転載 70
・俳誌拝見(雪華)    森山暢子 73
句会報   「浜玉町俳句会」 74
・栃木白魚火吟行会(大石谷の里) 大野静枝 75
・旭川白魚火増毛吟行の記    萩原峯子 76
・中津川・飯田白魚火会/栃木県白魚火会笛句会支部 77
・第2回西日本俳句大会投句募集 78
・今月読んだ本     中山雅史 79
・今月読んだ本       影山香織      80
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載)
      荒木千都江、二宮てつ郎 ほか
81
白魚火秀句 仁尾正文 129
・窓・編集手帳・余滴       


鳥雲集
〔無鑑査同人 作品〕   
一部のみ。 順次掲載  

    湖  安食彰彦

逸れ鴨河の流れにさからはず
鴨一羽水輪水泡をつくりけり
鳰羽繕ひして潜りけり
冬の雁棹にはならず鳴きにけり
夫婦鴨着水湖に影落す
何度も潜る孤独な鳰
白鳥の啼く大斐伊の緊りけり
日のあたる硝子をのぼる冬の蜂


 冬 の 虹  青木華都子

誘はるるままに加はる芋煮会
冬立つや裏返し干す藁草履
山茶花や自転車で来る郵便夫
窓際に移して咲かす冬薔薇
冬落暉山に重ねし山の影
花石蕗や雨ふふみたる重き木戸
冬の虹吊橋揺らしつつ仰ぐ
いてふ散る風が耳打ちしてをりし


 十 一 月  白岩敏秀

冬めくやコツプ伏せたる水の跡
炉開きの火の真つ直に育ちけり
薪棚に木の香の失せて神の留守
花石蕗や夕日溜りの石切場
仔牛跳ね小春の影の跳ねにけり
つながれて牛の眼うるむ神無月
冬服の紺山国の女学生
日の射して十一月の石の冷え

寒  鴉   水鳥川弘宇

朝鵙に猫背の背を正しけり
帚草干し上りたる色合ひに
混声の男三人小六月
甥も早や古稀を迎へし枇杷の花
体調の可も不可もなし葛湯吹く
寒鴉威嚇の嘴を向けにけり
打ち上げし藻屑に紛れ夕千鳥
唐津線発つも停るも刈田中
   
落  葉  山根仙花

斐伊川の大葦原の枯れをゆく
水鳥に水に静かな日和かな
何時の間に白鳥群を移しをり
山路ゆく落葉の風に押されては
落葉降る夜は月光の重さ乗せ
落葉終へ月に安らぐ大樹かな
何もなき空を淋しと鳰潜く
濯ぎもの肩張り乾く冬の鵙 


頬 被 り  田村萠尖

帰り花日差し溢るる女夫句碑
冬の雨身軽くなりし草ぐさに
猪の荒せし畑の霜柱
撫仏温むほど撫ぜ小六月
頬被り直してからの長話
頬被り顎より先に歩き出す


 野 面 積  石橋茣蓙留

鰡掛けの岸に序列のありにけり
朝冷えの山に響ける大祝詞
そこここに根つこ引き抜く枯鶏頭
枯草や棚田ささふる野面積
目立たない事を決めこみ腰懐炉
地響を立ててバイクの冬木山


 歸 り 花  桧林ひろ子

大方は他所の落葉でありにけり
行き合ひの風に杜鵑花の返り花
リハビリの日々や勤労感謝の日
停留所二つ乗り越す小春かな
神迎ふ狛犬四肢を踏んばつて
吉日や子の子に貰ふ冬帽子


 鳥 威 し  橋場きよ

慣るるとは驚かぬこと鳥威し
冷やかや口切る人のなき集ひ
狐火や狐膏薬寺あたり
一隅を照らす光や臘八会
今日のことけふ成し終へむ日短
亡き夫に土に語りつ冬耕す


白光集
〔同人作品〕 巻頭句
    白岩敏秀選

     
  鈴木百合子

新米の枡に諸手を突つ込みぬ
滾りをる五徳の薬缶十三夜
踊り子の脚のやうなる懸大根
雲影を遊ばせ山の眠りけり
採血の針の切つ先冬薔薇


     二宮てつ郎
峡の灯の洩るるは細し十三夜
燻れる火や木の葉降る木の葉降る
初冬の剃り跡といふところかな
冬の木の伐らるる音の美しき
枇杷の花いつもの犬が通りけり  


白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
仁尾正文選

   
    出 雲 荒木千都江

中海の奥なる湖の時雨かな
雀には雀の言葉冬構へ
宍道湖の波せりあぐる鴨の群
風の日は風にしたがひ雁渡る
神等去出は霰ふる日となりにけり


    八幡浜 二宮てつ郎

何もせぬ日をもて秋の終りけり
山茶花に大きな雲の来てをりぬ
いたるところ携帯電話山枯るる
月光の下枯れてゆくものばかり
十一月終る木の間の海の色
     


白魚火秀句
仁尾正文
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中海の奥なる湖の時雨かな 荒木千都江

 この湖は言わずと知れた宍道湖である。上句は説明調なしとしないが、面積七十九平方キロの国内でも有数の大宍道湖を示すためには不可欠な措辞である。
 この句の佳いのは、意宇の湖といわれた大湖に、ちまちました鴨や蜆船等を配せず、時雨にけぶる湖だけを呈示して、悠揚としているところ。為に単純化が果され「時雨かな」と句姿も美しい。神話の国の大湖を詠んで位負けしていない。
 この句の注目点は、上句の「中海の奥なる」である。誰しもここの所にあれこれ思案するのであるが、何の苦もなかったように置かれている。無技巧の技巧というべき点である。

十一月終る木の間に海の色 二宮てつ郎

 この作者は豊後水道に突き出た佐田岬半島に住む。半島は幅十キロ程長さは三十キロに及ぶ。北側は伊予灘、南側は宇和海。稜線は四国山脈に繋る古くて固い岩石で、両岸の麓から「耕して天に至る」景をなしている。従って半島の至る所に掲句のような「木の間に海の色」が望める。
 掲句もまた簡明である。十一月が終りいよいよ師走に入るとき、人々は過ぎ去った十一ヶ月に暫し足を止める。その感慨は木の間から見える海の如く明色であった。

墓碑銘は伊勢新九郎竜の玉 鈴木敬子

 箱根湯本の早雲寺は北条氏の菩提寺。室町時代以降の北条氏を鎌倉時代の北条氏と区分するため後北条というが、早雲寺には後北条五代の墓が並んで建っている。始祖の早雲は始め伊勢新九郎と称して今川義忠に頼っていたが、今川氏の内紛を平定し興国寺城主に、次いで伊豆韮山城に拠り、明応四年(一四九五)小田原城を奪い、伊豆、関東に威を振った。
 墓碑は伊勢新九郎となっていて、若い頃のこの名を本人も好んだのでなかろうか。関白秀吉が木下藤吉郎時代どんどん出世して行ったことを思わせる。伊勢新九郎は武略に秀でた若々しい武将を思わせる固有名詞だ。

鴛鴦の鼓翼弾める山の湖 篠原米女

学僧の喚鐘鳴す冬紅葉 増山正子

 前句の鼓翼は、はばたきをすること。鴛鴦が山湖で綺羅の羽を搏ったという句であるが、鼓翼という語がきらびやかさを増幅している。
 後句の喚鐘は法堂内に吊られ、法会のとき刻を知らせる鐘。この語も置かれた冬紅葉を引き緊めている。
 滔々とか沛然とかいう既成の漢語は一句が大まかになり勝ちであるが、用い方に注意すれば緊ったひびきの一句となる。語彙は沢山持っているのに越したことはない。

パレットに筆の膨らむ山紅葉 早志徳三

 水彩画や油絵を描くとき、チューブから絵具を搾り出して任意に調合する板がパレット。みごとな山紅葉を絵にしている作者の絵筆がパレットで膨らんだ。赤、黄、緑等々の色に恵まれたので絵筆もおのずから膨らんだのだ。

柿すだれ影さゆれゐし障子かな 渡辺恵都子

 軒端に吊った柿簾が障子に映ってさ揺れている。この平穏がいい。この平凡がいいではないか。何かが起きたりして気持が揺れているときはこのような静かな景には目が止まらないものである。

冬苺愛づる手窪に転がして 丸谷寿美子

 姿、形のよい冬苺を手窪に載せて何度も転がして愛でている。食べるのが勿体ないのだ。この原句は「掌窪」となっていたが「手窪」に直した。俳人は「掌」を「て」と読ませたがるが辞書に「て」の読みはない。

鯛を焼く匂ひも小味恵比須講 山西悦子

 小味とは趣のある味と辞典にあるが大まかな解説だ。Lサイズの蜜柑は大味だというからその反対と思えばよいのだろう。鯛を焼く匂いの小味というからうなぎ屋の辺で嗅ぐ、うまそうな匂い、それが小味であろう。

茶の花の一つだになき茶園かな 青木源策

 茶の木が花を咲かせるのは当然種の保存の為である。だから老木の花園には花が溢れんばかりだ。対して掲句は人間でいうなら少年期、活力が漲っていて茶の花は一つもない。

暁闇に羽搏く音は鴨ならむ 土江江流

 作者は八十七歳。夕食がすむと早々に寝に就き二度寝、三度寝をしているのであろう。冬至近くでは朝四時半になっても尚暁闇である、まだ布団の中でかすかな羽搏きを聞いたがきっと鴨であろう。こういう目覚めも老年の愉悦の一つである。

    その他触れたかった佳句     
磨かれし猟銃掛かる枯木宿
捻子釘の十字を緊めて冬に入る
舞ふ木の葉ひとつが天に向かひをり
サーファーが来て冬波を引き緊むる
指先が柚子味噌の味盗みけり
冬紅葉茶屋に古りたる竹箒
裏木戸は昔のままや笹子鳴く
七七忌蓮の実飯の炊きあがる
小春日の一日成行任せかな
おでん鍋大根蒟蒻昆布竹輪
吉岡房代
林やすし
秋穂幸恵
池谷貴彦
篠原庄治
脇山石菖
荒木友子
高島文江
井上科子
渡辺千穂


百花寸評
     
(平成十八年十一月号より)   
 弘深

秋扇ゆるりゆるりと看とりかな 岡本せつ子

 立秋が過ぎても暑い日が続くことがる。こんな日には、外出時に、鞄やハンドバックの底に扇を入れておく。最近では、扇をアクセサリーとして重用している人も多い。しかし、秋扇は、何故か、秋らしい侘しさが感じられる。
 掲句は、重篤な病臥の方のお見舞いの時であろうか、真心を籠め優しく病人に風を送っている情景が浮かんでくる。中七から下五の構成が秀逸で、秋扇として特異な作品である。

山椒の実はじけ前歯で噛んでみる 河野幸子

 山椒の実は、秋になると赤褐色に熟して裂け、光沢のある黒い種子を弾き出す。種子は、高い香気とぴりりとした辛味があり、粉末にして和風料理の香辛料に重用されている。
 掲句の中七から下五の措辞により、情景が臨場感をもって描写されている。また、女性らしい繊細な仕草とちょっとした冒険心が、この句の詩情を高めている。 

銀漢や敗戦の日も遠くなる 庄司誠発

 秋の夜空には、無数の恒星が集まった帯状の灰白色の流れがある。これを中国では漢水の精として銀漢と呼称した。銀漢は、日本で天の川等として「万葉集」以来詩歌に詠まれてきた。銀漢を仰いでいると、神秘的で遥かな思いに誘われる。
 掲句では、戦争と敗戦に複雑な体験をもつ作者が、雄大で遥か彼方の銀漢を仰ぎながら、敗戦の日を偲んでいるところであろう。

湖昏れてより賑はへる地蔵盆 吉岡房代

 地蔵盆は、八月二十三日、二十四日に行われる地蔵菩薩の供養会である。この両日、松江大橋架橋の際に人柱として生き埋めになった源助の供養が行われている。大橋南詰には、源助供養碑が建立されている。
 掲句は、源助地蔵祭の吟行詠だと思うが、見事に情景描写されている。夕焼の彩に染まっていた宍道湖が薄墨に変ると、祭燈が明るさを増し大勢の人々が橋の南詰に集まってくる。
ひよいと跳び影を離せる水馬 五嶋休光

 水馬は、体全体に微毛が生え、表面が油性の物質で覆われており水を弾く。三対の長い脚でバランスをとりながら、表面張力を利用して水面を軽快に跳び廻る。
 掲句では、上五から中七の措辞が秀逸であり、水馬の特性を活き活きと詠んでいる。特に、中七の『影を離せる』と言い切ったところに感銘を受けた。

声高に挨拶交し豊の秋 若林光一

 豊の秋は、五穀、特に稲が良くできた時を指している。近年は、品種改良や技術の改善、農薬等により豊凶作の差がなくなり、減反政策等によって豊作を祝う風習がすたれてきた。
 掲句は、豊の秋を迎えての生産者の喜びの詩である。豊作を祝う風習がすたれたとは言え、交す挨拶にも喜びが溢れ、声も高くなった。上五から高齢者同士の挨拶とも解釈できる。

父譲りの垂れ目隠せるサングラス 藤田多恵子

 サングラスは、夏の強い紫外線を防ぐために用いられる色付きの眼鏡であったが、最近では本来の目的よりもファッション性が重視され、若者など季節を問わず身につける。
 掲句の場合も、ファッション性を重視したサングラスである。滑稽味のある特異な作品だ。作者は、明るく誰からも好かれる人柄であろう。

子供等のめつきり減りし秋祭 竹渕志宇

 単に祭といえば夏祭であり、大きな社の華やかな祭であるが、秋祭は鎮守の杜の小規模な祭であり、収穫への謝恩感謝の素朴な祭である。
 五穀豊穣を神に感謝し、祝う祭でありながら、子供の姿の少ないのは、何とも寂しい限りである。掲句は、こうした心情をしんみりと詠いあげた抒情詩である。

灯を曳きて音なき機影夜の秋 関 滋子

 夏も終り近くなると、夜は涼しさが増してくる。昼間の蒸すような暑さがなくなったり、薄着をしているのを改めて意識したりして、驚かされることがある。
 掲句は、飛行機が夜空を灯を曳きながら音もなく進んでいくのを仰ぎながら、微妙な季節の移り変りを感じたのであろう。鋭敏な感性だ。

種茄子にリボン大きく蝶結び 中野キヨ子

 種を採るために取らずに残している茄子には、印を付けてある。種茄子は、熟すると紫紺色になり、裂けて中の種子が見えるようになる。
 掲句では、子孫を残す役割をもつ地味な種茄子に期待を寄せて、華やかで大きなリボンを付けたのであろう。生命に対する深い愛情が感じられる。

岩清水掬ひこれより行者径 井筒生子

 岩陰から湧き出している清らかで冷たい水は、清涼感を抱かせるだけでなく、無限の涼味から力を倍増するなど、山路を歩く者にとって何よりも嬉しいものである。
 掲句では、岩清水で元気と活力を得て、厳しい行者径へ挑もうとするところである。内容が凝縮されており、臨場感と気力に溢れた作品である。

亡き母のうつり香残る秋袷 米沢 操

 秋袷は、秋の気配が色濃く感じるころに着用する袷長着のことを指している。最近では、和服離れがすすんで、秋袷を着用する姿を見受けることが稀になってしまった。
 掲句は、母の香の残る秋袷をとおして母を偲ぶとともに、感性豊かに、しっとりと季節の推移を味わっているのである。亡き母への哀惜とデリケートな季節感による叙情詩である。

若者のふいと加はる踊の輪 鍵山さつき

 踊は、盆の奉納踊からきたものであるが、現在では、農山村の娯楽や町おこしなどの行事として、夏の一夜催されるようになってきた。
 掲句は、現代風な行事の踊であろう。中七の措辞によって、若者が活き活きと描写され、また踊の輪が臨場感の溢れるものとなった。

帰省子の失敗談もしたたかに 下平実子

 帰省は故郷に帰ることであり、帰省子は親元を離れていたのが一時的に帰省することである。休暇が長く盆等のある夏の季語となっている。
 掲句は、中七から下五にかけての措辞が魅力的で特異である。数か月ぶりに帰ってきた子は、たくましく、したたかに成長していた。嬉しい反面、違和感も覚える親心である。

故郷に帰り鱸の奉書焼 森 雉谺

 宍道湖は、海水と淡水の混じる汽水湖であり、魚介類が豊富である。その代表的なものを宍道湖七珍(白魚、鰻、鱸、公魚、鯉、蜆、海老)と呼んでいる。鱸の奉書焼は、鱸を奉書にくるみ、熱い灰に埋めて蒸し焼きにしたものであり、和紙の焦げた香が淡白な鱸に馴染んで美味しい。
 掲句からは、故郷に帰り、懐かしい奉書焼を堪能している様子が的確に描かれている。

   筆者は松江市在住
           

白光秀句
白岩敏秀

雲影を遊ばせ山の眠りけり 鈴木百合子

 山頂を雲の影がゆっくりと過ぎ、過ぎてしまうと冬の日差しが戻り、また別の雲の影に覆われる。日常よく目にする山の風景である。
 草木を育て、実を結ばせる一年を終えて、静かに眠りに入る山である。眠りに入ってからですら、雲の影を遊ばせる山の大らかさは忙しい現在には救いであろう。
 下五の「眠りけり」の納め方は上の遊ぶと動きを受けて、あたかも芝居の幕引きのような余韻を曳いている。懐かしい暖かさを感じる。
 「採血の針の切つ先冬薔薇」この句、例えば、汽車が轟音で過ぎ去った後に似ている。去った後にはレールだけが残っている。そんな感じである。作者は採血されながら、ずっと冬薔薇を見つめていたのだろう。
 読者は採血、針、切っ先とインパクトのある言葉を読み続け、最後に冬薔薇に強く印象づけられる。背景が消え読者の眼には冬薔薇だけが大きく映っているのである。構成の冴えのある句である。

冬の木の伐らるる音の美しく 二宮てつ郎

 伐られる音と伐る音は違う。伐られる音であれば伐られる木に重点があり、伐る音であれば伐る行為者に重点がかかる。
 「木六、竹八」と言われ竹は旧暦六月、木は九月に伐るものとされている。竹や木の勢いのある頃である。
 蕭条とした冬山に裸木が音をたてて伐られていく。活動し成長し休息して、新しい芽を育てることを何十年も繰り返した木の終焉である。
 生きている限り避けることの出来ない終末。滅びの美学は新しい芽―蘖―による再生の美学でもある。再生があるからこそ、作者は伐られる音を美しいと感じたのだろう。
 言葉を十分に練り上げた狙いすました一句である。

病棟にナース寒紅ひきなほす 安達みわ子

 ある日ある時、看護婦さんと呼んだら、看護師と呼んでくださいと言われた。女性だから看護婦でよいではないかと思ったが、つまらないから止めた。
 看護婦さんの仕事は確かに忙しい。いくら忙しくても服装や身だしなみに気を配る必要があろう。
 忙しく働く看護婦にとって化粧室は、或いは束の間の休息かも知れない。覗き込んだ鏡に寒紅を引き直す。それは忙しいなかで自分自身を取り戻す時であろうし、次の仕事へ立ち向かう覚悟ようにも受け取れる。
 看護婦の美しい笑顔が患者の救いである。

値札貼る鮟鱇の腹裏返す 平間純一

 魚屋の店先に横たわる鮟鱇や吊り下げられた鮟鱇を見かける季節となった。
 この句は二通りに読むことが出来る。値札貼る/鮟鱇と読めば値札を貼るため腹を裏返すのであり、値札貼る鮟鱇/であれば品定めするために腹を裏返すことになる。
 どちらの読みでも鮟鱇のぶるんとした格好や触った感触は伝わる。
 この句の「腹裏返す」に鮟鱇の表情が見えて存在感がある。

耳打ちをして抜けてゆく日向ぼこ 篠原庄治

 うらうらと晴れた昼どきの楽しい時間である。
 富安風生に「日向ぼこ笑ひくづれて散りにけり」という明るく健康な句がある。風生の日向ぼこは笑いくづれて終わりとなるが、掲句の日向ぼこは一人抜けても楽しい時間が続いているようだ。
 このような句は頭で考えて出来るものではない。まさに『白魚火』の「足もてつくる」俳句である。
 明るい句が出来るのは作者の気持ちが若々しいからであろう。

冬枯るる坪に足らざる木地師小屋 鮎瀬 汀

 「起きて半畳、寝て一畳」と言われたことがあった。寝るには一畳あれば足り、起きているときは半畳あれば足るということである。木地師小屋の残る一畳は仕事場なのである。
 良材を求めて山を移動したり、農閑期に仕事する木地師には大きな小屋は必要なかったのだろう。冬枯れの風に鳴る小屋が侘びしい。
 この句の直截な表現には狭い小屋で孤独な作業する木地師への深い同情が隠されていよう。

冬うらら隣の爺が薪積む 南 紫香

 隣の爺さまが曲がった腰を伸ばしながら、ひょいひょいと薪を積んでいく。近頃のお年寄りは元気である。作者の驚いている顔が見えるようである。
 句の調子もリズミカルであり、季語の「冬うらら」が素敵な役目を果たしている。


     その他の感銘句
吐く息を濃くして大根洗ひけり
青空のどこかに触れて次郎柿
蓮掘女泥の笑顔を上げにけり
魚煮つむ時雨るる夜の落し蓋
水尾引きて冬麗の島離れけり
終点に終バスで着く冬銀河
交し合ふ声いきいきと小白鳥
銀杏散る空の青より剥がされて
病室の四角が居場所十二月
百歳の越後の杜氏より賀状
竹元抽彩
斎藤 萌
飯塚美代
木村竹雨
岡田暮煙
三井欽四郎
久家希世
佐藤玲子
黒崎すみれ
海老原季誉

禁無断転載