最終更新日(updated) 2019.02.04
平成29年 鳥取全国大会
下記文字列をクリックするとその文章へジャンプします。
富士山に感動の静岡大会             (札 幌)奥野津矢子
富士山ととろろ汁                (苫小牧)服部 若葉
穭田の里より                    (桐 生)遠坂 耕筰
静岡大会に参加して                 (群 馬)飯塚比呂子
駿河を巡る                      (船 橋)原 美香子
ようこそ静岡へ                  (静 岡)坂下 昇子
「旅行けば駿河の国は・・・」の事前吟行     (浜 松)鈴木  誠
爽籟の富士                   (名古屋)檜垣 扁理
静岡白魚火全国大会に参加して          (出 雲)森脇 和惠
初めての全国大会参加記             (出 雲)森山真由美
静岡大会吟行記                 (東広島)廣川 惠子
   平成31年2月号へ


富士山に感動の静岡大会
(札幌)奥野津矢子
  先師仁尾先生のお膝元の浜松大会には何度か参加しましたが、今回の静岡大会開催は二十年振りとの事、私には嬉しい初めての静岡です。
  九月の北海道胆振東部地震から二ヶ月余り、未だに余震が続いていますが、大会に参加する事が出来て、皆様に感謝の気持ちで一杯です。
  千歳空港から静岡空港までの直通便に乗り苫小牧、札幌の七名が元気に出発です。
  思えば最初の全国大会は、安芸の宮島の広島大会でした。それから休まず参加して我家の恒例行事にしてしまいました。
  最初は仕方なく、今は快く出してくれて空港まで送り迎えしてくれる夫にはいつも感謝をしながら、気持ちはもう静岡です。
  ゆっくり吟行が出来るように三泊四日の日程で、大会の前々日からホテルアソシアに連泊、旭川から参加の平間純一さん吉川紀子さんとホテルで合流して、早速吟行に出掛けます。白魚火誌上でご案内を戴いた『吟行地案内(静岡市)』に載っている場所に是非行ってみたいと思い、先ずは純一さんご希望のとろろ汁を戴く為、案内の『○丸子路を歩く』から吐月峰柴屋寺に到着。
  この寺の読み方は「とげっぽうさいおくじ」で、風雅な庭園は国の名勝と史跡に指定され、昔から月の名所。竹の寺として竹細工の灰吹は「吐月峰」と書いて「はいふき」と読まれる程名高く親しまれている。と由来略記に記されていました。分福茶釜の由来もお聞きし、お庭の大きな山茶花を仰ぎ見て一句が出来た方もいたかと・・・。
  待望のとろろ汁を戴きに『丁子屋』まで歩き〝梅わかな丸子の宿のとろろ汁〟の芭蕉の句碑にお目にかかり、大広間で皆でするすると美味しく戴きました。北海道のとろろ芋(長いも)とは違う粘りに感心。
  二日目、『○登呂遺跡』吟行です。雨後の空が誠に良い雰囲気を作り出しています。
  火起こし体験、古代米の試食、午後から田圃の稲刈りが始まりました。実家が稲作農家だった私は、鋸鎌が懐かしく手伝いたい気分になりました。又ここで嬉しい事に東京の寺澤朝子先生、隠岐の田口耕さん達にご挨拶する事が出来ました。
  その後『○静岡浅間神社』へと廻り、ボランティアの方をお願いして、懇切丁寧な説明を受けました。時間が無くなり最後まで聞くことが出来なかった事は残念でした。
  ここでは佐賀の小浜史都女先生ご一行にお会いする事が出来ました。大会の吟行では白魚火の方々もいらしているのでは、とついあちこち探してしまいます。これも楽しみの一つです。夜になって北見の根本敦子さんが到着しました。嬉しい再会です。
  三日目、素晴しい秋晴れの大会当日です。午前中に『○久能山東照宮』へ出掛けました。正式な参拝路は一千二百段の石段を登るコースとか。私達には無理です。早く富士山が見たい!その一心で展望台へ急ぎ、素晴らしい!としか言いようのない富士山にお目にかかりました。唯々無言で眺めているだけでした。俳句に詠むのはまだまだ先になりそうです。この富士山が見られただけで、大満足の大会でした。とここで締めたいところですが、今回の大会では鳥雲同人も選を受けるとの事で緊張してきました。一回目の投句を済ませ、ほっとする間もなく大会が始まりました。
  大会二日目の朝、もう一ヶ所行きたかった『○駿府城公園』へ紀子さんと足早に出掛け、大勢の人が城の門を通り通勤通学している事に、小さな感動を覚えました。時間を気にしながらの吟行でしたが、朝の清々しい空気を吸って俳句をしていて良かった、を実感。
   小鳥来る耳から覚むる城下町 津矢子
  今回、沢山の魅力ある吟行地を紹介して下さった静岡の皆様、行事部の皆様に感謝致します。ありがとうございました。

富士山ととろろ汁
(苫小牧)服部 若葉
  俳句を始めて七年で全国大会の参加は二
回目である。今年は静岡での大会と聞き「富士山を間近に見ることが出来る」と喜んだ。
句を作って投句する苦しさが有るはずなのに、である。
  出発は大会二日前の二十六日(金)。
  飛行機の中からしか見たことのない富士山を間近に眺められることを楽しみにしながら家を出た。新千歳空港で苫小牧四人、札幌の三人が合流。今年初参加の小杉好恵さんは少し不安な様子だったが、いつもの元気さで搭乗手続きを急いだ。
  新千歳空港からひとっ飛びで富士山静岡空港に到着。
  大会会場のホテルにはお昼過ぎに着いた。
  ホテルロビーではハロウィンの衣装が備えてあり、一同衣装を纏って到着記念写真をパチリ。写しているところに旭川の純一さん、紀子さんが到着。午後からの吟行地「吐月峰柴屋寺」へ出発。女郎蜘蛛の巣に迎えられながら借景式庭園から見る丸子富士や文福茶釜の由来等の説明を聞いた。北海道にはない歴史に触れることが出来た。
  夕食はとろろ汁の老舗「丁子屋」と決めて色づく柿を眺めながら旧東海道丸子宿を歩いた。石蕗の花が道案内をしてくれているようだった。
  江戸時代から受け継がれている「丁子屋のとろろ汁」。好みの薬味で威勢よく楽しくザァザァーと音を立てて頂いた。
  夕食を食べながら一回目の句会。
   後の月文福茶釜のさび深し     純 一
   秋声や蹲踞に引く山の水      津矢子
   掌中の茶の実ここから丸子宿   紀 子
   柿灯る文福茶釜の由緒書     好 恵
   秋の蚊を吐く吐月峰柴屋寺    数 方

 二日目の二十七日(土)は朝食をゆっくり済ませて登呂遺跡を見学。心配していた雨が降ってきたが、私たちのパワーにすぐ止んだ。
  水田遺跡では稲雀が遊び、古代米の稲刈りの様子も見ることが出来た。その収穫した古代米を土器釜で炊いて味わうことが出来た。少し固かったが噛めば噛むほど味が増してきた。
  昼食をしながら句会。
   火起こしに歓喜の声や稲雀    若 葉
   白鷺の飛び立つ稲田登呂遺跡  美木子
   秋高し味はふ登呂の古代米    みつい
  句会を終えて午後からは久能山東照宮へ出発。日本平から満員のロープウェーで久能山山頂へ。遠州灘が一面に広がる絶景に一同休憩。
  楼門をくぐり大きな天水鉢に見入りながら神廟まで登った。階段が急だったので杖を頼りに登っている人が多かった。
  神廟の上空では鳶が見守るかのように輪を描いていた。お参りを済ませて下山。
  爽やかな風に吹かれて真向かいに鎮座している富士山を暫し眺めた。
  新雪を頂いた富士山は「美しい」としか言い表せない姿で私の脳裏に焼き付いた。
  皆が引き寄せられ、山頂を目指す気持ちが理解出来る。
  当日最後の吟行地、浅間神社へ向かった。
境内では七五三詣での家族連れが多く賑やかだった。私たちは七五三の家族をかい潜りながらボランティアの案内人に境内の一円を説明して頂いた。ご神木が桜で有ることを知り、春に訪れて見たいと思った。
   本殿へ続く百段実南天     節 子
   海峡の下にトンネル鳥渡る   敦 子
  句会後、明日の親睦会での出し物の練習をして二日目を終了。翌日の大会に備えた。

三日目二十八日(日) 大会当日。
  二日間の充実した吟行に少し疲れも出てきたので午前中は自由行動となった。駿府城公園へ吟行する人。句を推敲する人。投句三句に思いを託して大会が始まった。
  総会、式典と進み、楽しみの一つである懇親会の時間となった。タカ女先生お手製のアイヌの衣装を身に着けお復習いしながら出番を待った。
  純一さん、美木子さんの宗谷岬の歌に北海道勢一同が鶴の舞と鶴の鳴き声で北海道を表現した。多くの方の拍手に楽しい思い出となった。

大会二日目二十九日(月)。
  大会二日目の投句三句の出句が終わり、ホッとした。これで帰るばかりの気持ちで
入選句、特選句の披講に聞き入る。
  そんな時思いもかけず、森淳子先生より特選一位、寺澤朝子先生、今井星女先生より入選、という評価を頂き、驚きと共に感謝の気持ちでいっぱい。
  これからの作句に多くの励ましを頂いた思いである。
  大会に参加して、全国にいる沢山の方々と交流が出来、白魚火誌を読むことも楽しくなっている。俳句を楽しむ仲間が出来たことは喜びでもあり励みにも成る。俳句で繋がる「和」「輪」を実感して大会を終えた。
  最後になりますが静岡の皆様、大変お世話になりました。大会を運営して下さった行事部の皆様、ありがとうございました。
  来年は名古屋で会いましょう。


穭田の里より
(桐生)遠坂 耕筰
  群馬白魚火一行は大会前日に静岡入りした。東京からは新幹線で一時間。意外に近く感じられた。

  エピソード一 吟行
  ホテルに荷物を預け、タクシーで久能山へ行く。朝から降っていた小雨が上がり、東照宮から望む駿河湾に雲の切れ間から日の矢が差しこみ、海面が光り輝いた。海なし県から来た一行は、この景色に感動してしまう。そして、楼門から神廟まで石段を上り切った。脚は吟行の命なり。
   秋風や久能山より海光る      定由
   東照宮天水桶に秋の雲       葉子
   久能山江戸のいしずゑ秋暮るる  秋生
   姫君のなし地の御門石蕗の花   ふさ子
  三保の松原も修学旅行以来である。青松の続く海原に遠く富士を望み、不思議な羽衣伝説に想いを馳せ、鉢巻石を一個拾う。風と波に洗われてこの石たちもいずれ白砂になってゆくのだろうか。
   秋潮の引き残したるさくら貝     庄治
   行く秋の渚まつすぐあるきけり   比呂子
   秋時雨三保の裏波猛々し      富江
  タクシー運転手さんの話によると、富士山を漢字で表現する場合普通八の字を書くことが多いが、ここ静岡地方から見る富士は乃の字で表現するという。宝永の噴火の瘤が右側にあるからだという。なるほど。
   宝永の瘤のとんがり秋気澄む   耕筰
翌日は大会初日。午前中に駿府城公園と浅間神社を吟行した。御門は柱も梁も太く重厚でさすがは天下人の城跡である。鷹狩の家康公の像は遠くを見つめ苦難の末に勝ち取った天下を見守っているかのようである。一富士二鷹三茄子とは、駿河名物とか。
   秋高し鷹を放せし家康像      幸尖
   秋天や家康公の像高し       芳子
   秋の日を大きく呑める濠の鯉   百合子
   秋日濃しピアス揺れゐる女旅   美名代

  エピソード二 邂逅
  吟行を終え、駅中の和食店で昼食。まぐろの刺身が美味しい。奥の席で老婦人が一人で食事をしており、あまり騒いではいけないなと思っていたが、富江さんが話しかけてみると浜松の升本正枝さんという方だった。電車で来たという。これもご縁だからと私たち一人ひとりに手作りの耳かきや孫の手、ジャムなどを下さった。背中がかゆくても手が届かない私は迷わず孫の手をいただいた。市販されているものより小ぶりで弾力があり、丁寧にペーパーがかけてあってささくれもない。何より二段階の曲げと撓み具合が絶妙である。いつも重宝している。この紙面をお借りしてお礼を申し上げます。ありがとうございました。

  エピソード三 親睦
  会場入りして受付、出句、式典、総会のあと、いよいよ懇親会。旧知の方との再会を喜び、名札を見ながらああこの方が白魚火誌で拝見するあの作家さんかと胸に刻む。白岩主宰はいつも気さくで温かい。就中、檜垣扁理氏に会えたことは嬉しかった。平成十年のころから会ってみたいと思っていた方である。長年の思いが叶い、酒も入って親しくお話させていただいた。男惚れとはこういうことか。余興では白魚火各地の息の合った出し物や、郷愁を誘うハーモニカの名演奏、声楽家のようなすばらしいのどを披露される方もいて改めて白魚火の深みというものを感じた。
  さて、二日目はいよいよ大会の山場、披講である。どんな句に出会えるのか、自分の句は読み上げられるだろうかと、わくわくしながら会場へ向かった。


静岡大会に参加して
(群馬)飯塚比呂子
 群馬会員の年齢も高くなり、体力的にも大変なので、今年は余裕を持って出掛けることとし、一泊増やして二泊三日とすることになった。
  前泊の二十七日も大会と同じホテルに予約出来たとのこと一安心である。当日は、六時三十九分の列車に乗るべく家を出る。十三人で出発する予定だったが、当日急に一人キャンセルが出て十二人となってしまった。予定の時間に出発。本庄早稲田で天野さんが、東京駅で遠坂さんが合流、十二人が揃い静岡へ向かった。
  途中から車窓に顔を見せるようになった富士山を見つけては感激の声を上げながら静岡へ到着。早速ホテルに荷物を預かって頂き早目の昼食を済ます。
  その後最初の吟行地日本平、久能山東照宮へ。ロープウェーを降りると山には薄く霧がかかっていた。眼下に目をやるとそこは、清水港だと言う。海の青さに重ねて十月桜がひっそりと咲いていた。
   清水港眼下に十月ざくらかな    比呂子
  東照宮の険しい石段を、手摺りを頼りに上り、墓の見える所でねんごろに手を合わせた。
   行く秋の石階に膝笑ひけり     比呂子
  参拝を済ませ三保の松原へ向かう。
  潮の香りに引かれ足早に海辺りへ。
  その日の海は少々荒れぎみで、白波が寄せては浜に砕けていた。
  その後、富士史料館へ向かったが、残念ながら閉館間近だったので、周辺の吟行に留まった。
   ゆるやかに富士山上る秋夕日   比呂子
  二十八日、朝食を済ませて駿府城址への吟行。現在は公園であるが、史跡調査中であったため家康公の銅像へ。家康公は凛々しい狩装束姿で右手に鷹を止まらせて、秋の日に輝いていた。
  像を一段下がった辺りに御手植えみかんが小振りではあるが色鮮やかな実を生らせていた。御手植えみかんの何代目になるのか定かではないが、相当なものであろう。
  裏門のお濠の橋を渡り浅間神社へ。しばらくの間お休み所でお茶をいただく。折しも七五三の時期で境内は参詣客で混み合っていた。ほとんどの子供は和装で、足袋と草履に苦心していた。かわゆい姿に飽くことなく過ごしたのであった。
   袴着のつまづきてよりむづかれる  比呂子
  お茶のお代りを頂き、大会の受付け時間に合わせて戻ることにした。
  初日の投句を済ませて、大会会場へ。
  総会・表彰式を無事に終了し、引き続き懇親会である。幸運にも白岩主宰のテーブルに着かせて頂いたのである。
  乾杯で始まった懇親会は、たちまちリラックスした雰囲気に。
  主宰に御挨拶にこられている皆様に倣い、私もビールを一杯注がせていただいた。
  舞台が目の前だったので、余興も存分に、楽しませて頂き、思い出に残る大会となった。
  大会二日目、三句を投句しながら会場へ。すでに昨日の投句分の全員の作品が、テーブルに配られていた。
  やがて流暢な披講が始まり、次々に句の紹介がなされた。その後、先生方の講評を戴いて、来年の開催地の発表、万歳三唱。それぞれ再会を約しつつのお別れとなった。
  最後になりましたが、大会役員の皆様及び関係者の皆様、大変お疲れさまでした。
  ありがとうございました。


駿河を巡る
(船橋)原 美香子
 十月二十七日、朝九時三分の新幹線で東京駅を出発。静岡を訪れるのは小学校の修学旅行以来だ。雨が残るかと心配していたが、曇り空の静岡に到着。駅で寺澤朝子先生を始め、東京句会のメンバーと合流し、総勢十名となる。荷物をコインロッカーへ預け、先ずはバスで登呂遺跡へ向かう。
  バスを降りると直ぐ竪穴式住居が見えてくる。住居は木と藁で造られているが頑丈そうだ。内部は意外に広く中央に炉の跡もある。集落の南側には復元水田が広がり、古代米(赤米)の稲穂が重そうに頭を垂れていた。遥か二千年前にも同じような景色が広がっていたのだろうかと想像する。
  タイミング良く土器で赤米を炊く実演をしていたので早速試食の列につく。柔らかいが上手く炊けている。その後博物館へ。出土品の中には琴のような楽器もあり、予想以上に進歩した生活の有り様に驚く。富士山を間近に仰ぐこの地に暮らした人々に想いを馳せた。
   小鳥来る土器で炊きたる古代米
  駅に戻りパンとコーヒーで簡単に昼食を済ませ、久能山東照宮へ。バスで日本平まで行き、到着後はロープウェーで下る。社務所を通り鬱蒼とした参道の大きな石段を登って行く。
  杖が置かれていたが、誰も使わず皆さん元気だ。楼門を潜ると左手に徳川家康公の手形がある。横に一本くっきり線が入った手相は印象的だ。極彩色の社殿は威厳があり、晩秋の日射しを受け美しく輝いていた。更に本殿裏手の石段を登って神廟へ。地元のガイドさんが『家康公の御遺骸はここにある。日光へは御霊を移しただけ。この辺りの人は皆そう思っている』と熱く語っていた。真偽の程が気になるところである。もう下りようかと思ったその時、上空から下界を見下ろすように鳶がゆっくり輪を描いているのが見えた。
   神廟へ鳶が輪を描く秋日和
  ロープウェーを引き返し日本平へ。すれ違ったゴンドラには葵の御紋が描かれ、まるで大きな御駕籠のようだ。日本平から望む富士山は、峰に少し雪を被り左右に稜線を描く優美な姿であった。
  駅に戻り宿に入る。夕食までの時間、体力が残っていた五人で駿府城公園まで散歩することに。夕景の石垣は柔らかな印象で、お濠の水と調和していて美しかった。夕食後は居心地の良い宿の食堂をお借りし、夜遅くまで楽しい句会となった。
  十月二十八日、大会当日。浅間神社へ。駿河の国の総社として、社殿群は広壮にして華麗である。ちらほら見かける七五三祝いの子供たちが何とも可愛らしかった。
  浅間神社を出る頃には日も射し始め暑いほどに。その後は二手に別れ、其々のペースで臨済寺、駿府城公園、天守台発掘現場などを回った。歩きながらふと路地の向こうに目を遣ると富士山が大きく見えてびっくり。贅沢な所だなあと思った。
   青蜜柑路地に色づく駿河かな
  ハロウィンが近いせいか、繁華街には仮装した若い親子連れも多く楽しそうだ。私たちもランチに念願の静岡おでんを堪能し、すっかり満足した。良く歩いたせいか、出句の時間も迫って来たためか皆少し無口になり会場のホテルへ急いだ。
  今大会は萩原一志さんに旅の計画を全部お任せし、大変お世話になりました。又大会でお世話いただいた多くの皆さまにもお礼申し上げます。

ようこそ静岡へ
(静岡)坂下 昇子
 今年の大会は静岡で開催されるということで前々から楽しみにしておりました。私はここ三年間全国大会は欠席しておりましたので、今年こそは地元ですし参加したいと思っておりました。
  私達は当日はそれぞれの係がありますので、吟行は前もって行って来ました。
  吟行地は登呂遺跡、吐月峰柴屋寺、駿府城公園の三ヶ所でした。
  久しぶりに行った登呂遺跡はきれいに整備されていました。どこかに弥生時代の名残がないか捜してみました。残念ながら月曜日だったので資料館等は休みで、竪穴住居も中へ入れませんでした。しかし、復元の田には赤米、黒米、緑米の稲穂が細々ですがしっかり付いていました。
  鼠返しのある高床式倉庫には至る所に手斧の跡があって、弥生人の知恵や力強さを感じました。また、ちょうど保育園の子供達が遠足に来ていて、楽しそうに椎の実を拾っておりました。
  次に、丸子にある柴屋寺へ行きました。柴屋寺ではまず入り口で竹を切って柵を作っている所に出会いました。真青な竹の肌が印象的でした。この寺は竹の寺としても有名だそうです。
  中に入って吐月峰の由来等を聞き、月が上る様子を想像してみました。竹もさやさやとして竹の春を実感しました。
  最後に行った駿府城公園では鷹を片手に勇壮な家康像に出会いました。かたわらには家康お手植蜜柑がありました。小さくてまだ青く固そうでした。また駿府城の発掘もしていました。報道によると家康の作ったきちんとした石垣の下から秀吉の作った野面積の石垣が出て来たそうです。まだ何か新しい物が出て来るのではないかとわくわくします。
  大会当日は朝からよく晴れて、富士山もはっきり見えて安心しました。これなら皆さんに静岡の富士山を満喫して頂けると思いました。
  十一時迄にホテルに行き各係の打合せをしました。今迄は準備をしてくださった所へ行きお世話になるだけでしたが、今回は地元ということで少しでもお手伝いができたらと思いました。私達牧之原組は受付、選句室、句稿準備、コピー、句会の司会、披講、代返、懇親会の司会等を浜松の方々と一緒に担当しました。皆「間違いのないよう、しっかりやらなければ」と緊張しておりました。中には昨夜はよく眠れなかったという人もおりました。
  今迄余り知らなかった大会の計画、準備等を少しでも知ることができて大変よかったと思いました。弓場行事部長さんを初め多くの皆さんがどんなに尽力されているかということがよく分かりました。細かい所まで気を配ってやってくださっている事が分かりました。
  帰りのバスの中では皆疲れと同時に仕事を無事にやり終えたという安堵感と充実感に溢れていました。
  私達は静岡へ来られた皆さんに少しでも楽しんで頂こうと地元の踊りを練習しました。牧之原台地は茶の栽培が日本一で、歌手の橋幸夫さんがお茶の親善大使になっております。そこで橋さんの歌う『茶っきり茶太郎』を踊ることにしました。数回練習しましたがしっかり覚えないまま大会になってしまいました。上手に踊れませんでしたが少しは楽しんで頂けたでしょうか。
  大勢の方々が静岡に来てくださってありがとうございました。

「旅行けば駿河の国は・・・」の事前吟行
(浜松)鈴木  誠
 十月のはじめ、句仲間から、白魚火静岡大会の事前吟行に誘われた。時は十月十日、何時もの事ながら、私の運転で浜松を出発した。余分な事ではあるが、私は通称「まことタクシー」と呼ばれ、皆さんに便利がられている。
  浜松から静岡までは国道一号線バイパスを使って約八十キロ、二時間ほどの道程だ。まず向かったのは、登呂遺跡。弥生時代後期に属し、一世紀ごろの竪穴住居集落と、赤米を作る田んぼが復元されている。恐らく、大会当日も多くの仲間たちが吟行に訪れるに違いない。ここで何とか一句をと、思案しながら歩いていると、赤米の田んぼの畦道に、なんとコウノトリが一羽居るではないか、これは絶好のチャンスと写真を撮り、一句作ろうと考えたが良い句が浮かばない。登呂遺跡博物館の受付の人に聞いても見たことが無いと言われ、拍子抜けして結局コウノトリの俳句は諦めた。ただ、後日、静岡TV局のローカルニュースで登呂遺跡にコウノトリが現れた事が放送されていたので、我々が第一発見者だったのかも知れない。ただ、一羽だけで、番ではなかったので定住はしていないようだ。
  次に向かったのは日本平である。頂上からは富士山がよく見えるはずだが、この日は薄曇りで富士のご尊顔を拝することはできなかった。だが、広沢虎造の浪曲次郎長伝・・「旅行けば駿河の国は茶の香り・・」で有名な茶畑と清水港が一望でき、爽快であった。また、ここからは、ロープウェーで久能山とも結ばれている。ゴンドラもお駕篭を模った、凝った外装になっており約五分で久能山駅に到着する。ここには、恐らく大会当日の吟行が集中すると思われる、言わずと知れた東照宮が在る。下から登ると千百余段もの石段を上がらなければならないが、ロープウェーだと東照宮のほぼ真下まで運んでくれる。早速、拝観料五百円を支払って参拝する。
  ここでは本殿脇に置かれていた天水鉢で一句
   紅葉浮く天水鉢に葵紋
が出来た。
  後で調べてみたのだが、久能山東照宮には江戸中期に作られた天水鉢が他に三ヶ所設置されているようである。
  東照宮の一番奥の家康公の神廟まで参拝し、
   権現を祀る久能の秋深し
   家康のお手植ゑ蜜柑たわわなり
   家康の遺訓の札に小鳥来る
など、駄句が沢山出来た。この後、勘助井戸などを覗いて、ロープウェーで日本平に戻り、山頂のレストランで遅い昼食をとり、この日の吟行は楽しく終わった。
  さて、十月二十八日大会当日、私は一人、浜松十三時二十一分発のこだまに乗って静岡に向かった。浜松駅から二駅、二十五分で静岡に着いた。ホテルアソシアは歩いて駅から三百歩足らず、ホテル三階ロビーの受付付近にはすでに浜松白魚火の仲間が大勢到着しており、同じ句会の仲間と席に着いた。
  大会式典は主宰のあいさつから始まり各受賞者の表彰などが在り、最後に村上尚子先生閉会の辞で無事終了した。いよいよお待ちかねの懇親会である。だが、ここで、ちょっとしたアクシデントが起こる。私の部屋番号六一六のカードが無いのだ。最後まで待たされた挙句、十三階に部屋替えを強いられた。仕方なくそれに従ったのだが、これがラッキーアクシデントで、高層なので眺望が良く夜景がとても綺麗であった。
  懇親会は一年ぶりの同胞と会い、多いに飲み、語らう事が出来た。大会二日目は少々飲みすぎて二日酔い気味だったので、遅い朝食を取り、自由吟行には出掛けず、十時からの俳句大会に出席した。すぐに前日出句した句の披講と表彰、選評が始まった。今までの大会で読み上げられた経験が殆どない私はどうせ今年も同じだろうと思いながら聞いていると、三句とも読み上げられびっくりした。
   芒野に入りて浮力を感じけり
   月影に浮かぶ権現遺訓の碑
の二句と、前出した天水鉢の句だ。しかもその中の一句は白岩主宰の特選を頂き、大感激であった。
  こうして今回の白魚火全国俳句大会は、私にとって忘れられない俳句大会となった。

爽籟の富士
(名古屋)檜垣 扁理
  静岡で開催される白魚火全国大会は二十年振りである。而して私の大会参加も実に二十年振りである。一言で二十年と言って、或る種眩暈の様な感慨を禁じ得ない。二十年前の御前崎の(地球が円く見える)水平線がいきなり迫って来る。何と云う光陰の疾さ。そして何と云う不思議な縁。私は何やら古巣へ帰郷した様な感覚を覚えながら、而も浦島太郎然とした想いを持ちながら参加したのである。
  二十年もの間、何故私は白魚火全国大会に参加してなかったかと言うと、話が長くなってしまうのだが、要は仕事の多忙と自身の出不精のせい。然しながら、白魚火への投句だけは独り黙々と継続して来たのである。
  一昨年、曙集作家渥美絹代先生からの突然の名古屋句会への御誘いに如何云う訳か、この出不精の私が参加したのである。渥美先生に会うのも殆ど二十年振りで懐かしく、白魚火誌上で御名前だけは存じあげていた、白光集撰者の村上尚子先生には初めて会ったのだが、にも拘らず何やら懐かしい気がして妙な気分を味わった事も不思議な縁なのかも知れない。名古屋での句会は初めての事で、大学生の安藤翔君や竹中健人君ら若い人達が参加しており、実に新鮮な感じがしたのを今更ながら思い返す。それから、あれよあれよと云う間に今回の白魚火全国大会への参加と云う事態に到ったのである。
  白魚火顧問の鈴木三都夫先生や白岩敏秀主宰とは既に昨年浜松でお会いしており、その時も恐ろしい程の懐旧の念を抱いたものだが、今回の再会は何人とするのだろうと思いつつ、今大会は句稿準備係と云う役目でホテル三階の句稿準備室に入ったのは、十月二十八日(日)の午前十一時前であった。先ずは、浜松白魚火会会長の弓場忠義さんと会い、名古屋白魚火会のメンバーである中津川の井上科子さんと吉村道子さんに挨拶し、それから牧之原の辻すみよさんと懐かしい挨拶を交わし、続いて宇都宮の星揚子さんと突然再会の挨拶をし、二十年も経つのに余り変わって無いような、随分変わったような、ほんのりとした可笑しさを感じたのだった。
  総会、式典は粛々と進み、滞りなく白魚火各賞の受賞式が済み、懇親会が始まり、乾杯の酌み交しで、最早頭がくらくらする程の、酒では無い酔いに身を委ねていた。次々と杯を交わす中で、宇都宮の加茂都紀女さんとの懐かしい挨拶、佐賀の大石ひろ女さんとの挨拶、群馬の天野幸尖さん、初めて会った桐生の遠坂耕筰さんとの乾杯。あっと云う間に時間は過ぎて、当然の流れの様に二次会へ。
  二次会は檜林弘一さんの音頭でカラオケ店へと十名ほどでの移動となり、皆それぞれ唄ったのだが、中でも鈴木三都夫顧問の矍鑠たる美声には称賛の拍手頻りであった。白岩主宰も同席頂いたのだが、主宰は一曲も唄われず唯にこやかに和顔で飲んでおられた。浜松の阿部芙美子さん、栃木の中村國司さん、愛知の野田美子さん、皆唄い、勿論檜林さんも何曲か披露された。私も酔いに任せて吉田拓郎なぞを唄ったのである。
  翌二十九日(月)は、朝七時過ぎから早くも食事の為の行列が出来ており、バイキング式だが十分程も並んだと思う。私の列の後には偶々三原白鴉さんがおり、同席での朝食となった。白鴉さんとも昨年浜松で挨拶していたので、一年振りである。朝食の途中で浜松の阿部さんが同席された。阿部さんとは昨夜カラオケで会ったばかりである。食事を終え吟行にでもと、少し思ったのだが、句稿準備係の者達は九時半に句稿準備室に集合しなければならない為、それまで部屋で休むことにした。今回は俳句どころでは無い、などと呟いて。
  実は、今大会での私には、しなくてはならない或る役目があった。来年の白魚火全国大会は名古屋で催されるのだ。本年六月に立ち上ったばかりの名古屋白魚火会なのだが、早くも全国大会開催と云うことで、その旨の挨拶をしなければならないのであった。しかも今大会の一番最後の挨拶で。
  句稿準備は時間ぎりぎり迄掛かり、俳句大会が始まる寸前まで作業をして居たので、会場の空いている席は最前列にしか無かった。慌てて席に就いたのだったが、隣席が偶然、島根の田口耕さんだった。田口耕さんとは初対面であったが、亡き御尊父の田口一桜先生とは二十年以上も前に島根全国大会でお会いしたことがあり、またまた妙な縁を感じたのである。
  十時から始まった句会・披講・選評は一種の静寂とざわめきの交錯した雰囲気の中、二時間ほどで滞りなく進行し終えたのであったが、さて・・・来年度白魚火全国大会開催地の名古屋白魚火の・・と来た。いい歳をしてアガリ気味の私は・・来年の名古屋大会には是非共、皆さん御参加くださいと、拙くも挨拶したであろうと芒洋とした記憶の様に思うのである。ただ同檀上にて共に挨拶をして呉れた名古屋白魚火会の野田さんの、マイクに動じないユーモラスな挨拶には援けられた。
  式典の締めの万歳三唱が終わり、漸く思い切り安堵の息を吐く。後は昼食の弁当。隣席の田口耕さんと少し談笑。亡き田口一桜先生には短冊を頂戴したとか、俳号の話とか、隠岐の島の話とか。
  帰路の富士山も見事な雄姿を見せてくれた。ありがとう富士山。二十年振りの白魚火全国大会は、何やら私を老けさせたような、若返らせたような妙な心地にさせたのである。

  爽籟の富士に挨拶したりけり
   二十年過ぎにし秋の水平線
   鬼の子の鳴くやかそけき風の中扁理


静岡白魚火全国大会に参加して
(出雲)森脇 和惠
 前日とは打って変わり、荒れた天気となった十月二七日、今年から就航した出雲-静岡便の飛行機で島根白魚火の総勢二十一名は出発した。
  家族旅行とも違う今回の旅は、初めての全国大会、初めての静岡のためか、まるで修学旅行の様で緊張の中にも高揚感があり期待が膨らんだ。飛行機が飛び立つ際には、思いがけず宍道湖に虹が架かり、皆さん口々に「良い旅になりそうだね。」と喜び合っていた。
  静岡までの一時間十分は、あっという間のフライトだったように思う。飛行機の中から段々と近づいてくる富士山のテッペンを見ながら「静岡に来たんだ。」と実感した。
  静岡空港では快晴となり、素晴らしい富士山が出迎えてくれた。空港で待っていたチャーターバスに乗り込み、一路静岡市へ。一時間程で、静岡浅間神社に到着した。秋の日の釣瓶落とし、午後五時過ぎの夕闇迫る中、此処にしか無いという社殿の楼閣は、なお風格を漂わせてすっくと聳え立っていた。
  大会前夜ということもあり、予め予約してあった静岡市内のお寿司屋さんで海の幸を堪能した。お寿司屋までの道中、渋滞で現地集合の田口耕さんを置いてけぼりにしたり、お寿司屋の場所がわからなかったりとハプニングもあったがそれは旅のご愛敬。ホテルに戻ってから翌日投句する予定の三句を推敲して就寝することにしたが、興奮のせいか中々寝付けなかった。
  大会一日目の二八日、午前中は「三保の松原」と「久能山東照宮」への吟行となった。午前八時過ぎの三保の松原の参道は清々しく整えられており、時折ご近所らしき方が松葉の掃除をしておられ、地元で大事にされている事が良く分かった。
  参道を過ぎ、少し坂道を登っていくと、「どおん、どおん」と腹に響くような音が聞こえてくる。日本海しか知らない私には最初何の音か分からなかった。強いて言えば松江の秋の鼕行列の鼕のような響き。坂を上りきって初めてそれが波の音だと理解した。
  この波の音を此処の人たちはうるさくないのだろうかと不思議だったが、「潮騒」という名の宿を見たときに思った。確かに万葉の昔から、この腹に響くような波の音を朝な夕なに聞きながら暮らしてきたのだ。「潮騒」とは、ザブンザブンではなく、どおんどおんなのだと。
  海に出ると、世界遺産の名の通りの見事な景色が広がっていた。遠くに見える富士山の姿に暫し我を忘れて見入っていた。
  次に向かった久能山東照宮は一度行ってみたかったところだった。権現造、総漆塗、極彩色の社殿の煌びやかな姿に圧倒され、その奥にある神廟の清楚な佇まいに心洗われる気がした。
  午後からの総会、式典では白魚火賞、みずうみ賞など各賞の表彰式があり、新鋭賞の表彰もしていただいた。表彰式など小学校以来のこと、気恥ずかしい限りで堂々としておられる各賞の方々に感心した。懇親会では、紙面でしかお名前を知らなかった曙集同人の先生方や、鳥雲集同人の先生方にもご挨拶することができ、また各地区の白魚火会の方々のパフォーマンスに酔いしれ、とても有意義で楽しい懇親会だった。
  大会二日目、前日投句の俳句大会があり、披講と選評があった。選評の中で、鈴木三都夫先生が、「俳句は『花鳥諷詠』であること。平明で余韻があることが大事。」と教えてくださり、白岩主宰が、「俳句は日常にあってこそ」「日常を映像化できること」「ポエムが大事」と仰ったことが心に響いた。
  前泊を含め三日間、すこぶる快晴で富士山はずっとその姿を見せてくれていた。帰りの空港では、夕日を浴びて薄っすらと紅を帯び、赤富士となって見送ってくれた。これでお別れかと思うと本当に名残惜しかった。
  今回の大会に参加して、新たに俳句を勉強する事が出来たことが一番楽しかった。先生方の教えを胸に刻んでこれからも励んでいきたいと思う。
  大会行事部の皆様、白岩主宰、諸先生方、大変お世話になりました。心よりお礼申し上げます。

初めての全国大会参加記
(出雲)森山真由美
 十月二十八日から二十九日に行われた全国大会に初めて参加させていただきました。
  今年の夏、句会の皆さんにお誘いいただき、迷いましたが、勉強させていただく良い機会と、思い切って参加することにしました。正直なところ全国大会とはどのようなものなのかもわからず参加を決めてしまいましたが、出発の日が近づくにつれ、俳句歴一年半ほどの初心者が参加してよかったのだろうかと、だんだんと心配が増してきました。
  大会前日の二十七日、島根の参加者一行二十二名で、出雲空港から静岡へと向かいました。今年の春から出雲―静岡間の直行便の運航が開始され、一時間半足らずであっという間に静岡に到着です。そこからはバスで最初の吟行地静岡浅間神社へ向かいました。
  本来であれば、立派な楼門や朱塗りの本殿が拝めるはずでしたが、現在、平成の大改修の工事中で楼門は覆われており、また日が落ちてしまい、残念ながら煌びやかな色を見ることができませんでした。
  そのあとはハロウィンでにぎわう静岡市内で懇親会です。同じ句会でない方は初対面の方が多かったのですが、皆さんことば豊かでお話の楽しい方ばかりで、しばし日常を忘れてにぎやかな夜を過ごさせていただきました。
  一日目を終えて宿に帰りましたが、私の句帳はほぼ真っ白。焦りを感じつつ、旅の疲れからすぐに眠りについてしまいました。
  翌日は、朝から三保松原へ。バスの中から見える富士山を眺めて、毎日富士山を拝める静岡の方をうらやましく思いながらの移動です。神の道を歩いて海岸に出ると、雄大な海と長く続く松、遠くに見える富士山の織り成す風景に圧倒されました。日頃見なれている日本海とは違い、広い太平洋のゴオゴオとなる波の音は、恐怖を感じるくらい力強いものでした。
  続いて久能山東照宮へ。ロープウェーで日本平から東照宮へと向かいました。紅葉にはまだ少し早い時期でしたが、ゴンドラから地獄谷の絶景を楽しみました。帰りのロープウェーの時間まで三十分ほどしかなく、東照宮で「よい句ができますように」と家康公に手を合わせ、駆け足で境内を回って帰りました。
  予定の吟行を終え、大会会場へ向かい昼食を取り一息つきましたが、俳句のことが気になって早々に会場に入り、最後の推敲にとりかかりました。何とか絞り出した三句を出句したかと思うと、総会、式典、懇親会と目まぐるしく過ぎていきました。式典では、同じ句会の原和子さんと森脇和惠さんがそれぞれみずうみ賞秀作賞と新鋭賞の表彰を受けられ、大変うれしく大きな拍手を送りました。
  親睦会では、恐れ多くも白岩主宰と同じテーブルに座らせていただき、大変緊張しましたが、あたたかいお言葉をかけていただきました。また私を俳句の道へお誘いいただき、いつもアドバイスをいただいている恩師の生馬明子先生にたくさんの先生方、先輩方をご紹介いただき、有意義な時間を過ごすことができました。全国の会員の方々とお話をさせていただいて、白魚火の発祥地である出雲、平田で俳句の勉強をさせていただいていることに、改めて誇りと感謝を感じることができました。
  大会二日目の朝は、有志で駿府城公園へ出かけ、朝のすがすがしい空気の中、それぞれ自由吟行に励みました。
  その後は俳句大会、披講、選評と、新鮮な緊張感の中で、たくさんの素晴らしい句に触れることができました。おまけに思いがけず入選に選んでいただくこともでき、初参加の大変うれしい記念になりました。
  今回参加させていただき、白魚火会員の皆さんは、感性豊かで明るく素敵な方々ばかりで、とても良い刺激を受けることができました。今回の経験をこれからの句作に活かしていきたいと思います。選者の先生方、大会のお世話をいただいた沢山の皆様に心よりお礼を申しあげます。

静岡大会吟行記
(東広島)廣川 惠子
  東広島駅を六時二十九分発の新幹線「こだま」で静岡へ向かった。参加者は十三名。途中の強い雨も静岡駅に到着した頃には晴天に変わっていた。駅構内の人たちの様子がとても穏やかに感じられた。
  まずは丸子宿へバスで向かう。宇津の谷へ行きたい希望もあったが徒歩での時間がかかりすぎということで、吐月峰柴屋寺へ向かった。門前に着くなり、今では高知から諏訪市に移られた中山仰さんとばったり再会。一緒に京都銀閣寺の庭を模したという見事な庭園に見入る。ついで足利義政公より賜ったという文福茶釜や一休和尚からの鉄鉢など、室町時代から今日に伝わるさまざまな寺宝を拝観する。
   連歌師の草庵に聴く秋の声  ひろみ
  昼は丸子宿名代の丁子屋でとろろ汁をいただくことにした。かなり奥まった部屋に通された。楽しく味わいつくして席を立つ間際に函館の今井星女先生の御一行と同席していたことに気づき会釈をかわした。
   芭蕉に肖り丸子のとろろ汁  サツエ
   麦とろや鞠子の宿の太柱    澄江
   とろろ汁訛やさしき父の里  久美子
   鞠子宿の旧りし高札花芒    弘子

 駅に戻り登呂遺跡へ。弥生時代の風景やその知恵に魅せられた。博物館の屋上からの富士の眺望がすばらしいと聞いて、みんなで上る。そこで柔和な笑顔の白岩主宰にお会いする。そして、紛れもない富士の堂々たる姿が眼前に広がっていた。
   金秋や広げて登呂の案内図   美鈴
   さはやかや遺跡案内の貫頭衣  敏子

 二十八日はタクシー分乗で日本平へ。ロープウェー乗り場近くの十一月にオープンという展望台へ上る。駿河湾を見下ろしていると雲は次第に晴れてくる。冠雪の頂が現れるとツーリング仲間という若者達が歓声を上げた。久能山東照宮に参拝の後、家康公のお墓所にも手を合わせて下山した。
   「赤い靴」の親子の像や万年青の実  惠子
   駿河湾の海水浴ぶる青蜜柑      廣志

 三時半から始まった式典では同人賞を吉田美鈴さんが受賞されて、同じ句会で学ぶ私は勇気をもらい大変誇りに思った。
  二十九日の早朝には、駿府城公園を訪ね、その広さと人の多さに圧倒された。市民に愛されている公園であることを強く感じた。静岡浅間神社の荘厳壮麗さに心を奪われ、賤機山公園からの市街の上の富士山には、またまた息をのんだ。静岡に住まわれている方たちの幸せを感じた大会であった。
   霧晴れて富士の全容真正面     積
   どこまでも晴れて一峰富士の山  妙子

無断転載を禁じます