最終更新日(updated) 2017.01.01
平成26年 浜松全国大会
  浜松大会参加記   
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宮島-嚴島神社・あなご飯            (苫小牧)市川 節子
広島白魚火全国俳句大会に参加して        (栃 木)谷田部シツイ
白魚火全国大会に初めて参加して           (雲 南)中林 延子
大会参加雑感                    (松 江)竹元 抽彩
広島を満喫                      (唐 津)谷山 瑞枝
広島白魚火全国大会回顧録              (呉) 神田 弘子
弥山に登って                  (船 橋)原 美香子
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宮島-嚴島神社・あなご飯
(苫小牧)市川 節子
 大会二日前、新千歳空港を出発、晴れ。札幌の津矢子さん、美木子さん、紗和さん、千穂さんと私、羽田空港で旭川の純一さんと紀子さん、広島のホテルで数方さんと合流、今回の旅はこの八人で行動します。
 広島は雨です。
 野球のカープがリーグ優勝をしたので町全体が赤一色、提灯行列もあった様です。北海道も日本ハムが優勝したので盛り上がりの気持はとても分かります。私達は広島でどんな美味しい物を食べようかの話しで盛り上がり、到着した日は広島城を見学して夕食は広島お好み焼きとカキを食べながらの句会でした。
 次の日はとても行きたかった宮島と嚴島神社を参拝、早速鹿の出迎えがありました。昼食時でしたので、紀子さんの案内で宮島の奥の方にある普通の家見たいな食事処でしたがなんとなんと美味しい美味しい「あなご飯」を食べる事が出来ました。
 メニューは「あなご飯」だけ、本当に美味しく満足です。紀子さんに感謝!
 その後、嚴島神社内を参拝、色々な所を見学し気持すっきりです。
 大鳥居の満潮時と干潮時も体験し、特に干潮時の海底を歩いた事は良き思い出になりました。お金もいっぱい落ちていてびっくりです。それにしても青い海、青い空に朱色の大鳥居、美しい限り。豊国神社の「千畳閣」にての句会。
 旅の三日目、いよいよ全国大会当日です。
 今年の春に北海道の大会に参加して頂きました白岩敏秀先生と村上尚子先生に再会し嬉しい限りでした。
 総会と式典の終了後の懇親会は毎回楽しく、私は浜松、東京と続いて今年の広島は三回目になりますが、今回の北海道は函館の方々と敏秀先生と尚子先生と一緒にアイヌの民族衣装を着て「ピリカピリカ」を唄って踊りました。
 衣装は旭川の坂本タカ女先生が作製されたとのことでとても素晴らしく美しい着物でした。
 懇親会では少しずつ全国の白魚火会員の方々の顔を覚えて来ている所です。
 旅の四日目。最後の日になりました。第一回目出句の披講と選評があり、どれも佳句ばかりで勉強になります。
 終了後は、毎回慌しく挨拶をする事も出来ず空港へ向かいます。
 最後になりましたが、今回の旅の計画を立てて案内してくれた旭川の平間純一さんに感謝申し上げます。
 そして白魚火行事部の皆様、スタッフの皆様ありがとうございました。

広島白魚火全国俳句大会に参加して
(栃木)谷田部シツイ
 栃木白魚火会の花みづき支部長の松本光子さん、阿部晴江さんと三人で、宇都宮駅から新幹線に乗り、広島駅には、昼過ぎにつきました。前泊ホテルに荷物を預けて、縮景園に向かいました。門をくぐりまっすぐ進み枝折戸を入ると、清風館では、地元の高校生による茶会が行われていました。行灯がついて、茶会の席の床の間には、秋の七草が活けてあり、高校生の、お点前で抹茶と広島名物の紅葉まんじゅうを、おいしく頂きました。最後の掛け軸、茶器、茶花の説明が初々しく微笑ましく思いました。
  をとめごの袱紗捌きのさやけしや    光子
  茶道部や一服いただき萩の庭      晴江
  枝折戸を入るや茶席の秋灯し      シツイ
 花頭窓からは、新郎新婦が袴虹橋を背景に写真を撮っていました。静かな池、大小の島、渓谷、四阿があり、松の根元には蟹が穴を出入りして、茸も生えていました。
  花嫁の赤い打掛け石蕗の花      シツイ
 縮景園を出て、近くの広島城へ向かいました。立派な石垣を入ると天守閣が聳えていました。石段を登る途中に樫の木があり、どんぐりが落ちていました。天守閣の板塀に趣がありました。
  冠木門くぐるすなはち秋の声      光子
 路面電車でホテルに戻り、光子さんはステーキセット、阿部さんと私は穴子の釜めしの夕食を済ませ、六階の大浴場を出て窓を見ると広島城が、すぐ近くに見えており、歩ける距離を電車で回っていたのでした。大会当日はホテルの朝食をとり原爆ドームに向かいました。句帳片手の人達は白魚火会員でした。地元の語り部さんが、終戦当時の写真と共に凄まじい話をしていました。
  亡き人の声に振り向く秋の川     晴江
  被爆樹の深みふんばり蝉の殻    晴江
 平和公園では落葉を掃いている人達がいました。地下には、まだ沢山の亡骸が埋まっているので、心を込めて清めていると感じました。アメリカ人の家族が平和の鐘を撞いていました。
  平和の鐘ひびく睡蓮返り咲く     光子
  秋澄めり平和の鐘を撞く異人     シツイ
 原爆死没者慰霊の碑の前では、沢山の人達が入れ替わり手を合わせていました。昼食は広島名物の牡蠣のお好み焼きを頂き、大会のホテルに着き、三句出句を済ませて大会に参加しました。主宰の挨拶、受賞者表彰、受賞者代表の挨拶と素晴らしかったです。懇親会では、今年も元気で再会出来た事を喜び合って楽しい時間を過ごしました。次の日は、朝の投句三句を済ませてから、第一回出句の披講や選評をお聞きし、主宰の講評、白光集選者の村上尚子先生の講評と、いろいろ勉強させていただきました。大会を担当された皆様に厚くお礼申し上げます。


白魚火全国大会に初めて参加して     
(雲南)中林 延子  
 今回、白魚火全国俳句大会に初めて参加したのは、会場の広島が比較的近場であること、主宰先生、選者先生ほか全国の沢山の句友の皆様方に初めてお目にかかることができること、全国大会とはどんな会なのかを知りたい等々のいろいろな思いがあったからでした。
 出発までは不安と期待感でいっぱいでしたが、編集部の皆様に種々のお世話を頂き、出雲、松江、雲南からの参加者二十六名の中の一員になり、大変楽しく充実した三日間を過ごさせて頂くことができました。引率の三原白鴉様には、旅の始めから終りまで本当にお世話になりましたことを感謝しております。
 十月一日、貸切バスに乗ったままフェリーで江田島へ向かいました。あいにくの空模様でしたが、船中からの眺めは平素見なれない海の景色なので見飽かず眺めているうちに江田島に着きました。
 海上自衛隊第一術科学校(旧海軍兵学校)は、広大な敷地に植えられた松の樹木が大変みごとな所でした。どこを見ても美しい敷地に明治時代からの煉瓦造りや石造りの校舎が威風堂々として見えました。講堂内は昔のまま残され、玉座の前に立てられた日章旗と海軍旗の古さに往時を偲ばせるものがありました。この学校は、旧海軍の歴史と伝統を守りながら、今の自衛隊員の心身を鍛錬する場であることが理解できました。案内役の士官はわかり易く丁寧に説明して下さり、好感のもてる人でした。
 次は呉の入船山記念館の見学でした。まず旧呉鎮守府司令長官官舎を見ました。ここは平成十年に国重要文化財に指定された建物です。木造平屋建で、洋館部と和館部で構成されていました。明治三十八年建築の官舎は、さすがに当時の建築技術の粋を集めた立派なものでした。洋館の壁紙には、国内でも数ケ所にしか現存しないという金唐紙が五種類も使用されていました。食堂のテーブルにはフランス料理を復元した皿やカップが並べられ、重厚なインテリアと共に豪華な雰囲気をかもしだしていました。和館部は畳廊下で表(仕事の場)と奥(住まい)に分かれており、各部屋の様子や庭の造りなどを順路通りに見て回りました。古びているものの、明治の長官の栄華を想像できるような建物でした。
 このほか、歴史民俗資料館、東郷平八郎住宅離れ、郷土館、その他が点在していて、近代日本黎明期の遺産を見学することができました。初日の吟行は予定通りに終り、呉のホテルに到着。夕食時には同行の皆様とよく語り大いに盛り上がりました。
 翌十月二日の午前中は「大和ミュージアム」の見学でした。見るもの全てが胸の痛むことばかりでしたので、あまり句を詠むことができずに時間がたってしまいました。呉を後にし大会会場の広島へと移動しました。
 いよいよ大会参加です。何もかも初めてのことで少し緊張ぎみでした。受付後の第一回目の出句には、自選に迷いながら何とか三句を出句しほっと一息つきました。三時からの総会、式典、五時半からの懇親会など、全てのことが新鮮に感じられ、感動していました。初対面の方が旧知のごとく話しかけて下さったことも大変嬉しいことでした。白魚火全国大会は、明るく親切で知的な人の集う本当にすばらしい大会だと思いました。懇親会の折の皆様の芸達者なことにも感心し、楽しんでいるうちにお開きになり初日が終りました。
 大会二日目、朝食後タクシーで平和公園に行き、少し散策しました。戦争中のいやな体験を思い出し、思いが強すぎるためか作句に結びつきませんでした。帰りのタクシーがなかなか拾えず、会場のホテルに戻った時には、第二回目の出句に気があせるばかりでした。
 十時からの句会では、選者選の披講の声を聞き洩らさぬように真剣に聞き、番号を書き留めておきました。はからずも、鈴木三都夫先生から短冊を頂戴し、天にも昇る心地が致しました。同行の句友からも祝福の言葉を受けて、一層嬉しく有難く思いました。
 今回、白魚火全国大会に初めて参加し、いろいろ勉強させて頂いたことは本当に良かったと思いました。また、雲南市から東京へ転出された寺澤朝子先生にも久し振りにお会いできて嬉しく思いました。全国大会にはやっぱり参加すべきであるとの思いを深くしたところです。体調が許せば、これからも出掛けて行きたいと思っています。
 選者先生、大会担当の皆様、編集部の皆様本当にありがとうございました。心より感謝し厚くお礼を申し上げます。
  秋夕焼金唐紙のきらめきて     延子
  鵙啼くやゆつくり下る石畳      延子
  鎮守府の跡の坂道秋の蝶      延子
  秋寂ぶや海底の艦朽ちるまま    延子
  秋天へ子らの祈りの千羽鶴     延子

大会参加雑感
(松 江)竹元 抽彩
 十月一日(土)午前七時三十分松江駅から出雲発の白魚火貸切バスに乗車した。昨年の東京大会は直前に体調を崩しキャンセルしたが、今回は三回の入院手術を含む一年間の通院治療を続けて満を持しての参加である。
 開催地は私の住む島根の隣県であり、途中通過する広島県三次市は高校卒業まで過した私の生れ故郷である。その後呉市に就職して二十五歳まで過した。爾来島根に来て五十三年になるが広島の街は私にとって特別な思いを持つ。途中雲南白魚火七名と乗り合せ、出雲白魚火八名、松江白魚火十一名合計二十六名が小雨の中を高速道路で広島に向かった。
 県境の道の駅「高野」でトイレ休憩。今は松茸より高価な皮茸が山の様に売られていた。県境に聳える比婆山で採れたと言う。銘々が手に取り匂いを嗅いで楽しんだ。
  比婆山の皮茸を売る女かな   森山 暢子
 バスは私の故郷三次を通過。子供の頃の想い出が一瞬過った。
  赤蜻蛉故郷三次を過ぎをれば  抽彩
  赤蜻蛉股が覚ゆる父の肩     抽彩
 バスは快適に広島港に到着、雨も上った。弁当を受け取ってフェリーで江田島に向かう。
  秋澄むや牡蠣筏をく瀬戸の海    西村 松子
  黄金の稲刈り終へて瀬戸の島   上田惠美子
  段畑の島のみかんはまだ青く    中林 延子
 瀬戸内の島の段々畑を見ながら江田島に到着。広島白魚火の出口廣志先生の出向えを受けた。手配を頂いた自衛隊の広報係官の案内で広大な旧海軍兵学校を見学した。「国の為に見事散って靖国神社で逢おう」と誓って日夜勉学訓練に励み死んで行った同期の桜達の遺書に涙した。卒業した同期の写真も掲示されて仁尾先生の紅顔もあった。
  秋日中案内上手の自衛官     渡部美知子
  江田島の同期の桜薄紅葉     抽彩
  ルーペもて探す師の顔秋暑し   三原 白鴉
  師の写真兵学校の初もみぢ    福間 弘子
  色変へぬ松や「大和」の主砲弾  原  みさ
  墨書もて遺書爽やかや涙せる   梶川 裕子
 江田島をゆっくり見学して陸路を呉市に向かった。(出口先生お世話になりました。)
 音戸の瀬戸に架かるループ橋を渡り夕焼を拝した。その昔、平清盛が沈む夕陽を招き戻して開削工事を完成させた古事がある。
  瀬戸跨ぐ赤き大橋秋高し     三原 白鴉
  小鳥来る清盛の瀬戸波しづか  三上美知子
  古への音戸の瀬戸の秋夕焼   抽彩
  昏鐘や音戸の瀬戸の秋没日   田口  耕
 呉市に入り「入船山記念館」を見学した。旧呉鎮守府長官の官舎であるが国の重要文化財で残る。質素の中にも重厚な雰囲気がある。
  晩秋の長官官舎坂の上      森山 啓子
  鎮守府の長官官舎蚊の名残り  生馬 明子
 午後六時呉駅前の前泊ホテルに到着。それぞれ自分の部屋に荷物を置いて夜の街を、近くの居酒屋に行き全員が海鮮料理で夕食。
 突出しの白子あしらふ新豆腐    森山 啓子
 私個人的には一年間の禁酒を解禁して飲んだ生ビール大三杯が抵抗なく空腹に納まり、以前の元気に戻った心地だった。長い一日を終りホテルでゆっくり休んだ。
 十月二日(日)、雨予報も外れて晴、午前九時全員で大和ミュージアム(博物館)を見学した。戦艦大和を十分の一に縮小して精巧に再現された勇姿に日本の技術の底力と、艦首を飾る黄金の菊紋に昔からの日本人の誇りを見た気がした。
 菊美き戦艦大和ミュージアム    抽彩
 建物の外に広がる景色は大和を建造した巨大ドックと巨大クレーン、大和の故郷の瀬戸内の海がある。
  秋天にクレーンは長き首をのべ  福村ミサ子
  新造船浮かべ大和の海は秋    三上美知子
  軍港や考のにほひの秋の霧    釜屋 清子
  午前十一時まで見学して一路広島へ。
 新幹線広島駅の改札口に隣る大会会場の「ホテルグランヴィア広島」に到着。すぐ外出して広島名物の「お好焼」で昼食。午後一時三〇分からの受付けを済ませて式典会場に入った。
 昨年新主宰になられた白岩敏秀先生に初めてのご挨拶を申し上げた。総会、式典、祝賀会は一七〇名近くの白魚火句友が一堂に会して、十五時から予定時刻通り盛会裏に運営された。新行事部長弓場忠義先生、スタッフ、地元広島白魚火の手腕に感謝申し上げる。
 誌面の都合で大会の模様は他の参加記に譲るが、楽しく飲み、句友と会談し、全員で白魚火の歌を合唱。輪になって恒例の日光音頭を踊った。チョチョンガチョン……。
  老いてなほ我が青春の秋灯下   抽彩
 「青春とは年令ではない。夢や希望を失った時に青春は終わる」と諺にもある。
 来年の大会は主宰白岩敏秀先生の地元、鳥取砂丘。元気で参加して再び青春を謳歌したい。
 十月三日(月)、朝自由吟行の時間を近くの平和公園に行った。ここは世界に類のない、原爆を投下された爆心地である。今年は米国オバマ大統領が訪問、献花して歴史的な年になった。
 七十一年の歴史を秘めて爆心地は緑に変り、被爆樹は大樹で生きている。被爆者の多くが飛込んで死んだと言い伝えの川は深々と水を湛えていた。
  秋日濃しかつて被爆の木の本に  田口  耕
  今昔を偲ぶ被爆樹秋うらら      抽彩
  被爆者の逃がれし川の水澄めり  抽彩
  平和公園鎮魂の虫集く         抽彩
 句会は午前十時から十二時三十分まで一七〇名近くが参加のもと緊張感を持って時間通りに進行した。大会出句作品を印刷して事前に全員に配付された。毎年のことながらスタッフの努力に頭の下がる思いである。この稿の島根白魚火の採句もその中からさせて頂いた。
 結果については来年二月号の白魚火誌上で二回目の出句も含めて発表される。
 大会は白魚火顧問山根仙花先生の音頭で万歳三唱を行い無事終了した。
 帰りのバスは午後二時広島を出発して松江宍道湖の夕陽を眺め、日のある中無事帰着した。同行の皆様大変お世話になりました。最後に、この場を借りて自分の心を詠む吟行句の見本を今回の作品の中から紹介してこの稿を終る。
  鰯雲みつめ生涯一俳人       安食 彰彦
  鵙鳴くやあつけらかんと漁師町   山根 仙花


広島を満喫  
(唐津)谷山 瑞枝 
 ひひな会は史都女先生とひろ女さんと私の三名参加。福岡からの秋美さんも加わり新幹線内で、天気は大丈夫そうなので予定通り宮島へ、という事になる。
 宮島は世界遺産効果か外国人が多い。道標に日本語以外に三カ国語が表示されている。鹿も慣れたもので膝を折って休んでいて、横を通っても見向きもしない。食べ歩きの外国人からは離れない。
  瞬きをして本物の鹿となる    故水鳥川栄子
 丁度昼時で参道の飲食店はどこも満員御礼状態。まずは名物の穴子や牡蠣で腹拵え。その次は、大好きな土産店の物色、竹細工や熊野筆の購入に思わぬ時間を使う。それからやっと吟行となる。千畳閣の太柱に触れ、厳島神社へ。干潮の浜を鳥居まで歩く。以前は歩けなかった…と話しながら。満潮だった?
 ロープウェイの乗り口、紅葉谷駅へ最初は楽しく元気に、後はブツブツ文句を言いながら上る。ロープウェイを乗り継いで獅子岩駅へ到着。霧の中数分間視界が広がり、瀬戸内海の島々を見ることが出来た。スイーツのような可愛いのが小黒神島。無人島のようだ。弥山頂上の奇岩も気になったが、次の機会にとっておく。下りのロープウェイより宮島の手つかずの原生林を望む。緑が多彩で森が深い。弥山のトレッキングもいいなぁ。一二〇〇年の消えずの霊火も心残りである。
 夕食は前日のホテルの紹介でカープ鳥へ。広島カープ黒田博樹投手ファンの私は、地元のカープファンと一緒に、テレビでの野球中継の盛り上がりに大満足。
  紅葉晴いつしか私カープ女子   広瀬むつき
 大会当日は、早朝より広島城へ。華やかさはなく渋さがある。思ったよりこじんまりな印象。公園では色も形も様々な茸が足元を楽しませてくれた。そこから、日曜日の静かな官庁街を足早に縮景園へ。見覚えのある白魚火の面々と会う。作り滝の舟虫が一目散に逃げる。広島は大きな三角州、満潮時は海水が上ることを実感した。池には淡水魚と海水魚が泳いでいた。
  干潮の川さかのぼる秋の潮    原  和子
 広島駅で、新鋭賞受賞の野㟢京子さんと合流し、広島平和記念資料館へ。オバマ大統領が折られた鶴をスマートフォンで撮り、同級生のラインへ送信。「小さな鶴ですが、日本にとっては大きな鶴ですね。」と、すぐに返信。頷く。平和公園から原爆ドームへ、五人が各々のペースで進む。
  天高し平和の鐘の鳴りひびく    野﨑京子
 市電に揺られ広島駅に戻る。駅ビルの広島お好み焼店はどこも満席。ここでも白魚火の面々と会う。思いは同じようである。味はさておき、広島カープの選手名がメニューになっていて楽しめた。
 立派なホテルでの大会。行事部、広島の方々お世話になりました。今大会は選者のデビュー。何とも言えぬ緊張感を味わった。お礼申し上げます。

広島白魚火全国大会回顧録
(呉)神田 弘子
 いよいよ全国大会が近づいた秋の一日、広島白魚火の仲間と吟行に出かけました。行き先は広島の平和公園です。電車を降りると、すぐに原爆ドームが目に飛び込んできました。近づいて見ると補強の工事の跡が目につきました。世界遺産として未来に残していくために止むを得ないことかと思いましたが、これまで以上に痛々しく感じられました。ドームの周りの楠は目を見張るほどの大木に成長し、太く伸びる緑の枝がドームを守っているかのようでした。多くの被爆者が水を求めて亡くなった元安川を渡ると、千羽鶴を掲げる原爆の子の像が見えてきました。近づくと像の周りは外国の観光客でいっぱいでした。以前はこの公園で外国の観光客を見かけることはあまりなかったので大変驚きました。賑わう原爆の子の像から少し歩くと緑の草で覆われた円墳のような原爆供養塔があります。そこに無縁の被爆者が眠っておられます。先ほどの喧騒が嘘のように静かな供養塔の傍に原爆供養塔納骨名簿と連絡先を載せた掲示板がありました。改めて無縁の方々の悲しみを思い手を合わせました。その後、被爆したアオギリを廻り、原爆被爆者慰霊碑にお参りして平和公園を後にしました。句会の時間が迫ってきたので、買い物客で賑わう本道商店街を通って句会会場の近くにある袋町小学校平和資料館を訪れました。被爆直後に救護所として使われた当時の校舎の壁に子供を探す母親の伝言や連絡先などの様々な伝言が残されていました。じっと見ていると当時の緊迫した様子が伝わってくるようでした。
 いよいよ全国大会の日を迎えました。お昼を過ぎると、ホテルグランヴィア広島のロビーは各地からやってきた会員で華やいできました。全国大会の始りです。急に緊張してきました。私は句稿準備の係なので急いで作業の部屋に向かいました。皆で協力して懇親会直前に句稿を完成することができました。
 懇親会では各県の出し物が披露され、会場は拍手と笑顔で包まれました。広島からは中村義一さんが民謡「音戸の舟歌」をいつもの名調子でしっとりと歌い上げた後、中山仰さんのカンツォーネ「オーソレミーヨ」と高らかに歌う声が会場に響き渡りました。その後皆で盆踊りを披露しました。飛び入りで村上尚子先生が踊りの輪に加わられて屈託なく踊りを楽しんでおられる姿に驚き、大変うれしく思いました。
 句会では多くの素晴らしい句に出会うことができました。そして思いがけず私の句を寺澤朝子先生と今井星女先生に特選に取っていただき感激しました。句会の後の主宰と村上尚子先生の選評は私にとって大変意義深いものとなりました。主宰の御言葉はまるで私に向けられているようでドキッとしました。猫の句はとかく浪花節に陥りやすい、古民家ではなくもっと具体的に写生するように等々です。無類の猫好き古い物好きの私にとって、よい御指摘を戴きました。村上尚子先生のお話も大変勉強になりました。言い過ぎはだめ、季語に頼ること、俳句を飾り過ぎてはだめ等々こちらもハッとすることばかりでした。
 広島での全国大会が終わり早一ヶ月あまり過ぎました。戴いた今井星女先生と寺澤朝子先生の短冊を居間に架けて、眺めては駆け抜けた全国大会までの日々と大会を懐かしんでいます。正直大会後にドッと疲れを覚えましたが、それ以上に大きな収穫を戴くことができた大会でした。


弥山に登って  
(船橋)原 美香子 
 十月一日。朝七時半の新幹線で東京を出発。雨の心配をしていたが、曇り空の少し蒸し暑い広島に到着。駅で寺田佳代子さん、浜松の市野惠子さん、中村喜久子さんと合流。早速電車で宮島口へ移動し、フェリーに乗り宮島へ。先ず弥山に登ろうと厳島神社を横目にロープウェー乗り場まで。人に馴れた鹿が街中にいて驚いた。
 弥山は霧が深く立ち込め、視界はほぼゼロのロープウェーを乗り継ぎ、山頂近くの獅子岩駅まで行く。そこから徒歩で霊火堂を目指すことにした。惠子さんは駅周辺の散策。健脚な佳代子さん、喜久子さんには先に行ってもらい、私はゆっくりペースで登ることにした。道は整備されているとはいえ、霧が立ち込めた山の中、転ばないように注意しながら登って行く。肩で息をするとはこのこと、体力の無さを痛感しつつも何とか辿り着いた。ここに弘法大師が修行した時の霊火が「消えずの火」として千二百年以上燃え続けているというのだ。その火で沸かした霊水は万病に効くらしい。早速、白湯を一杯頂く。煤の匂いがするのも有り難さを感じるから不思議である。おかげで元気を取り戻したが、展望台まで登る余力は無く、下山することにした。
 下りのロープウェーではアメリカから来た女の子達と片言の英語でミニ国際交流を楽しんだ。
 紅葉谷公園を抜けて厳島神社に向かう。回廊で結ばれた朱塗りの社殿は素晴らしく、雅な平家の時代へと、想像を掻き立てられた。
 さすがに少し疲れた私たちは、神社近くの「アイス最中」の看板に引き寄せられて土産物屋さんで一休み。格別な美味しさだった。
 その後引き潮の海を歩いて対岸に渡る。夕暮れも近い宮島に別れを告げて、高速船で広島市内へ。元安橋には既に明りが灯っていて、まさに秋の日は釣瓶落としであった。
 別行動していた浜松の林浩世さん、宇於崎桂子さんとも合流し、広島の句仲間が予約してくれた店で夕食。地元の美味しいお料理とお酒を堪能し一日目を終えた。
 十月二日。大会当日。アストラムラインで不動院へ。爆心地から三、九キロの位置にあり、多くの被爆者の受け入れ先であったという。静かな朝の金堂からは読経が流れていた。
 不動院を後に、原爆ドームへ向かう頃には日が差し始め、十月の暑さの中、慰霊碑、平和の灯、原爆の子の像などを回る。出句の時間も気になり始め、帰ろうとした時、白岩敏秀主宰と鈴木三都夫先生にお会いし、記念写真に加わって頂いたのは嬉しいハプニングであった。それから急ぎ、近くのカフェでランチ兼句作をして会場のホテルへ向かった。
 今大会はメール句会でご一緒の林浩世さんが「白魚火賞」と「みづうみ賞」の二つの表彰を受けられたのは、大変嬉しかった。大会終了後はループバスに乗り、市内を一回りして帰路についた。駆け足ではあったが、存分に広島を楽しめた大会であった。お世話いただいた多くの皆さまにお礼申し上げます。

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