最終更新日(updated) 2016.01.01
平成26年 浜松全国大会
  浜松大会参加記   
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東京全国白魚火大会に参加して          (守 谷)増田 尚三
上野を歩く                   (広 島)大隈ひろみ
吟行は楽しい                 (浜 松)林  浩世
隅田川クルーズと浜離宮            (江 別)西田美木子
久し振りの全国大会                (旭 川)今泉 早知
広がる御縁                 (島 根)田口  耕
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東京全国白魚火大会に参加して
(守谷)増田 尚三
 定年後の平成二十四年十一月に白魚火東京句会に入会、寺澤朝子先生のご指導で毎月句会に参加しております。一昨年七月頃より寺澤先生が来年は東京だから頑張りましょうとメンバーを鼓舞して下さり、皆で準備してきた事が今回の東京大会の成功に繋がったものと思います。嘗ての白魚火東京句会は豪勢だったと聞いておりますが、現在は十二名、内男性が三名です。河島さんと浜野さんが句会の継続にご尽力されてこられた事に感謝しております。
 静岡県榛原高校の同級生の檜林氏が主宰する榛句会に誘われ五十五歳の頃に俳句を始めましたが、仕事中心で中々俳句というものをちゃんと勉強する事も無く自己流で俳句を作っておりました。しかし寺澤先生から入会後すぐにお手紙で良い俳句とは何かと言っても難しいので俳人協会のカレンダーが参考になりますのでどうぞと送って下さいました。
 昨年八月白魚火の田口耕さん、石川寿樹さんにお世話になり出雲、隠岐の島に吟行に行きました。大変素晴らしい景色と隠岐の島の人達とのふれあいに感動致しました。その中で、西ノ島の摩天崖にある山本幡男顕彰の碑がありました。詳細は「収容所から来た遺書」逸見じゅん著にあるとの事で早速それを読みました。その中に山本幡男が帰還できるまでいつになるか分からないが、日本文化の事を忘れない為に俳句をやろうと呼びかけ、俳句を始めたばかりの人に、俳句の心構えというものを伝える場面がありました。
 P93より引用、「高山樗牛の「文は人なり」と言ったように山本は「俳句は人なり」と言いたい。俳句を磨こうと思えばまず人を磨かねばならない。美辞麗句を持て余して空しく悩む愚を去って言葉を縦横に駆使することを学ばねばならぬ。平凡な何の変哲もない言葉の集まりが素晴らしい俳句を形づくるではないか。道具も大事だが腕は一層大事である。良い句とは格調の優れて整った面白い俳句、魅力のある俳句である。一度口誦み、もう一度口誦みしたくなる句、一読して忘れがたく記憶に残る句、いつ思い起こしても楽しめる後味の良い句、千句の中のたった一つの句でもよいからそういう句を作りたい。」と言っています。
 彼は同僚や部下のみならず上官など高級将校からも俳句を通して慕われながらシベリアで亡くなりました。しかしその遺言がアムール句会のメンバーにより手分けして「暗記という究極の伝達ツール」で数年かかって家族の元に届けられました。俳句の奥深さ、素晴らしさを知った瞬間でした。
 今回全国大会に初めて参加し最高齢九十四歳の山根仙花顧問と同席させて頂きました。お伺いしますと先の大戦ではラバウルで終戦されたとの事、伯父と同じ境遇であった為、大変親近感を覚えました。また前日の吟行でご一緒した栃木、浜松の皆様と色々お話させて頂き懇親会での司会役も何とか務めることが出来ました。有難うございました。
 自分は油絵での肖像画を半ば職業としておりますが、俳句同様満足できる絵はなかなかできません。「この絵を描いたのは君か」と言われるようになれと絵の師匠から言われますので、俳句も「この俳句は君のか」と言われるようになりたいと思います。今後は一層精進して人格を磨きたいと思います。


上野を歩く
(広島)大隈ひろみ
 白魚火東京大会は好天に恵まれ、絶好の全国大会日和となりました。大会前日、広島からの参加者は健脚組とゆっくり組に分かれての吟行です。健脚組が向かったのは皇居東御苑です。武蔵野の俤を偲ばせる雑木林や日本庭園を散策、案内の方の解説を聞きながら江戸城の遺構等、興味深い史跡も見学できたようです。
 体調も考えてゆっくり組となった私たちが、度々休憩をはさみながら歩いたのが上野です。上野駅公園口を出ると、国立西洋美術館のカフェでまず一休みです。お茶を味わっていると、中庭に面する大きなガラス越しに銀杏の実がぽとりと落ちていくのが見えます。外に出て美術館前庭のロダンの彫刻を鑑賞します。「地獄の門」「カレーの市民」「弓を引くヘラクレス」など、その造形美にしばし見とれました。それから金木犀の香りに包まれながら上野東照宮へ。土曜日とあって多くの人で賑わう上野公園もこの辺りは静かです。坂を下りて不忍池へ。弁天堂をお参りし、池のほとりで秋の風に吹かれます。のどかなスワンボートをしばらく眺めた後に上野駅から今日の宿へというコースでした。ただ、駅に出るまでの道沿いに行ってみたい所がありました。以前、池之端を訪れたときは閉まっていて、見ることができずにいた「十三や」という黄楊の櫛のみを製造販売している店です。幸い店は開いていて少しお話を聞かせていただくことができました。鹿児島特産の薩摩黄楊を使って昔のままの作り方を守られています。創業が一七三六年という老舗ですが、つい通り過ぎてしまいそうな、ひっそりとした佇まいに心惹かれるものがありました。ちなみに十三やとは九(く)と四(し)の和が十三ということで屋号となったとお聞きしました。
 秋の日の傾きかけた中、その店の前を五、六人の美しい女性が、いずれも黒紋付姿で通り過ぎていくのに出会いました。邦楽をなさる方々だったのでしょうか。江戸情緒を感じさせるその様子はすばらしく風情があって、強く印象に残りました。


  吟行は楽しい    
(浜松)林  浩世  
 姦しいという文字そのままの女三人、宇於崎桂子さんと渡辺伸江さんとで、二十七日の一番早い新幹線で浜松を出発。静かな東京駅に驚きつつ、電車で清澄白河に行き、まず深川芭蕉庵へ。途中に相撲部屋があり、ちょっとわくわく。そういえば、千秋楽の日と気が付いた。印刷所で芭蕉庵までの道を尋ねたのだが、私が教えていただいている間に桂子さんはちゃっかり句を作っていた。
  深川のさやかにひびく輪転機   桂 子
 芭蕉庵址とされる芭蕉稲荷神社で「良い俳句ができますように」と祈った後、芭蕉庵史跡展望庭園に。隅田川と小名木川の合流する角地で、紫式部、萩が咲き、微かに潮ぶくみの風を感じた。ここから芭蕉が奥の細道へ旅立ったのかと思うと、感慨深い。姉に黒羽から雲巌寺、殺生石、遊行柳、白河の関と案内してもらったことを思い出した。
  潮風のはつかに芭蕉庵は秋   浩 世
 清澄庭園は岩崎弥太郎の別邸だけあって、巨石が惜しげもなく使われていた。その後、両国で電車の乗換えがあったので折角だからと、カラフルな幟旗の立つ国技館を一周した。小さい頃、祖父の部屋で相撲を見ていたせいもあり、相撲は結構興味がある。次は御茶ノ水に向かった。ギリシャ正教の教会ニコライ堂は、正式名称を東京復活大聖堂教会という。日本で初めての最大級の本格的なビザンティン様式の教会建築で素晴しい。見るだけかと思っていたら、献金の代わりに蝋燭を灯して中に入れていただいた。朝のミサの最中で、聖歌がドームの中に響き渡り、荘厳な独特のムードに大変感動した。
  秋澄むや蝋燭ゆるる朝のミサ  伸 江
 ランチに未だ早いため、神田明神へ行く。徳川家康が江戸の鬼門を守るために、大手町からここに移したとされ、平将門が祀られている。木遣り歌を先頭に結婚式の行列がやってきて、思いがけず江戸らしさを満喫。と、ここで偶然佐藤升子さんと出会った。「神田藪蕎麦」に行くという佐藤さんについていく。行列だったが、並んで有名な蕎麦を堪能。というには少々少なめだったが・・・。物足りなさを感じた私たちは、飯田橋に出て升子さんお勧めの神楽坂「紀の善」で餡蜜をいただき、すっかり満足して会場へ。
 今回は白岩敏秀主宰による初の全国大会となり、浜松の阿部芙美子さんが「白魚火賞」、大村泰子さんが「みづうみ賞」の表彰を受けられて、大変嬉しかった。
 懇親会では、一年に一度しかお会いできない皆さんとご挨拶ができ、何より。これが大会に参加する一番の理由なのかもしれない。写真には皆さんの笑顔が溢れている。白魚火の方々は皆さん魅力的で、素敵な方ばかり。
 その夜は十五夜だったので、東京の萩原一志さんの軽妙洒脱なご案内の下、皇居の上にのぼる美しい月を堪能。
 次の日の朝は、桂子、伸江と安澤啓子さんも加わり四人で上智大学へ。金木犀の香りが豊かな、いかにもキリスト教系の大学らしい雰囲気。北海道のみなさんと一緒になったため記念撮影をした。その後、国会議事堂へと足を伸ばす。警備の警察官の多さに驚きながらも一周してしまった。
 大会では、主宰の講評をはじめ、色々と勉強させていただいた。終了後、三人で日本橋に出て、「千疋屋」にて季節のフルーツパフェを味わって帰途についた。
 こうしてみると、随分歩き回ったようだが、手元に残っている句が少ないことを反省。でも、二日間、たっぷりと楽しんだ大会となった。
 少人数ながら大会を担当された東京白魚火会のみなさん、地方よりお手伝いくださった方々に厚くお礼を申し上げます。


隅田川クルーズと浜離宮
(江別)西田美木子
 全国大会の二日前に数方・津矢子・紗和・節子・私は曇り空の新千歳空港を出発し十時四十分、小雨に煙る羽田空港に到着。残暑を心配していた人もほっと一安心した様子。
 早速、今回は大会に出席出来ないが一緒に吟行をする喜代さんの待つ浅草雷門へ直行。雨の為、仲見世・浅草寺などは止めにして隅田川下りを楽しむことに。先ずは昼食という事で、予約してくれていた神谷バーへ。
 ここで度々東京に来て一人吟行をしている喜代さんが「以前、電気ブラン(広辞苑に載っている)の句を作ったけれど誰も採ってくれなかったから、リベンジ」と一杯注文して皆で廻し飲みを。結構強いお酒らしく、それぞれ感想を言っていたが下戸の私はパス。代りに兼題として提案させてもらった。
  回し飲む電気ブランや秋の雷   美木子
 ほとんど貸切状態の水上バスに乗り、浜離宮までの三十分余り句帳片手に皆が無口に。
 左右に建ち並ぶ高層ビル群・行き交う水上バス・両国国技館の幟の数々が秋雨にしっとりと風情豊かに目に映った。
 吾妻橋から勝鬨橋まで、十三もの橋を潜り浜離宮に到着。雨も止み、潮入の池・庚申堂鴨場までゆっくりと江戸時代の空間に浸っての散策。鴨場池では小覗から引堀を覗いたり横手に周って引堀を見る事も出来た。
  薄紅葉江戸の風ふく浜離宮      紗 和
  初もみぢ鴨場に小さきのぞき穴    喜 代

 又降り出した小雨の中、十一代将軍家斉の時代に建てられ現在は復元された端正な佇まいの「松の御茶屋」を外側だけ見学。その後潮入の池の岸から小の字島と中島を結ぶ長さ百十八メートルもあるという総檜造りの「お伝い橋」を渡り「中島の御茶屋」へ。
 潮入の池では魚が跳ね、白鷺・青鷺が獲物を狙っている様子。「中島の御茶屋」で抹茶と和菓子を頂きながらしばしの休憩。
  雨樋の江戸の雨音螢草       数 方
 風も出て、雨も止みそうにないのでお江戸に別れを告げてホテルに向かうことにした。
 大手門出口の手前に「三百年の松」という今から三百年程前の六代将軍家宣が、庭園を大改修した時に植えられた松。根元も見えない位太い枝が地面まで張り出し堂々たる姿を誇っていた。皆、根元はどこかと枝の間から見たり、横に周ったり。少し小高い所に根元を見つけ、三百年を経ても生き生きと枝を張り広げている様子に感心しきりであった。
 大会会場のすぐ傍のホテルで、北見からの野歩女さんと合流。夕食はホテル内の和食処で食べながら飲みながらの句会。
  とんぼより高く空飛び東京へ    野歩女
  梅擬ビルの谷間の浜離宮      節 子
  色変へぬ松の変遷三百年     津矢子

 翌日は上野。不忍池近辺を吟行しお昼頃、西郷隆盛像の前で旭川から来る早知・純一さんと待ち合わせた。昼食後は純一さんの案内で谷中へ。ここも江戸の残る街だった。


久し振りの全国大会  
(旭川)今泉 早知 
 ◆白魚火全国大会は、九月二十七日~二十八日東京の「ホテル・ルポール麹町」で行われました。
 実桜総会・吟行会の折、数方さん、津矢子さんから全国大会出席を勧められ、参加を決心しました。私は北海道以外では十年振りの全国大会で、その時も東京でした。
 実桜句会の札幌、苫小牧メンバーは九月二十五日に出発しましたが、私は一日遅れで旭川白魚火の平間純一さんと旭川を発ち、上野の西郷像の前で、野歩女、数方、節子、美木子、津矢子、紗和、喜代さんと合流。昼食をとってから谷根干と呼ばれる谷中を吟行。
 東京の下町。左右に老舗の並ぶ「夕焼だんだん」と名付けられた谷中ぎんざ商店街、何処までも続き迷子になる位に人、人で賑わっていました。もっと時間があったら飽きる程見て、買い物をしたかった。また、お寺も多く門に銃弾の跡が沢山有ったのには驚きました。谷中霊園を巡って帰って来ました。
 宿泊の都市センターホテルに移動して、五句投句の句会に備え、皆さん各部屋で作句。

・人垣の谷中ぎんざの林檎売り    野歩女
・秋暑し谷中はまこと寺の町      美木子
・金木犀の移り香連れて寺巡り    喜 代
・山門の銃痕三つ乱れ萩        数 方
・板塔婆古りて猫ゐる月の寺      津矢子
・実石榴や段段坂の人の波      節 子
・山門の銃弾の跡萩の寺        紗 和
・野分晴西郷どんの大わらぢ      純 一
・秋暑し寺町坂町猫の町         早 知

 ◆二十七日、大会当日となりました。
 朝から曇り空でポツポツと雨、タクシー二台で皇居前広場へ。
 日曜日とあって皇居の周りをランナーが大勢走っておりました。高麗門、櫓門等色々な名称の門があり、警備も厳重でした。外国の観光客が多いせいか、私は警察の人から英語で注意を受けてしまいました。
 大手門休憩所でお土産を買い、秋の七草を観察して、全国大会の受付に間に合うようにと大急ぎで三句投句の句会をしました。
 その日の夜は懇親会。沢山の先生方にお会い出来て感激でした。ホテルの上に出たスーパームーンも見る事が出来て感激が二倍に。

 ◆大会二日目の二十八日。爽やかな朝を迎え、歩いて上智大学へ行きました。門に入ると言葉だけでしか知らなかった酔芙蓉があり、見とれてしまいました。教会のある佇まいが壮観で圧倒されました。
 十時から前日投句の披講・選評です。
 節子さん、紗和さん、早知が選者の先生から、それぞれ短冊を頂き、みんなで喜びました。
 万歳三唱で全国大会が終了し、昼食後の一時解散。あっという間の東京大会でした。
 来年は広島です。また行きたいと思いました。

 会場で皆さんとお別れをして、私はどうしても不忍池を観たくて、純一さんにお願いをし案内をして頂き、又上野の西郷どんを観て帰路に着きました。

・鯉の鰭萍黄葉押しゆけり           野歩女
・風抜くる桜田門の虫の声           数 方
・をみなえしみんなが触れてこぼれけり   美木子
・ランナーを吸ひ込む霧の桜田門      津矢子
・どの松も一幅の絵や石たたき        純 一
・外苑は日本の宝竹の春           紗 和
・江戸城の十月桜仰ぎけり          節 子
・寺町の何処も金木犀匂ふ          早 知

 皆さんお世話になりました。とても楽しく心が和み、気持ち良く吟行が出来て感謝致します。
 有り難うご座居ました。



広がる御縁
(島根)田口  耕
 九月二十五日早朝。秋晴れの日本海を高速船で旅立った。目指すは、東京神楽坂。当地観光協会が「離島キッチン」というレストランを出店する運びとなり、そのオープニングのためである。翌二十六日、神楽坂赤城神社にて隠岐島前神楽を披露し、その足で銀座中華飯店へ。神楽の仲間と離れ、いよいよ白魚火東京大会である。
 ここ数年、全国大会では三重の檜林さんと行動を共にしている。ともに「こうちゃん」と呼ばれる良き兄貴分なのである。また、勝手に俳句のライバルと決めて先行する後ろ姿を追っている。私の先導者といったら失礼だろうか。今回は東京の萩原さんのお手配にて吟行、夜の句会兼懇親会が催された。参加者は静岡の村上先生、大村さん、阿部さん、弓場さん、栃木の星田先生、中村さん、東京の萩原さん、増田さん、寺田さん、そして檜林さん主宰の榛句会の方々。私は残念ながら句会からの参加となった次第である。句会は勿論有意義であったが人生最高の中華料理であった。料理が美味しくビールに紹興酒に抑えきれずに飲んでいた。そして、あの安さ。銀座なのに。萩原さんの見事な手腕のおかげである。そして、旧知の白魚火会員、また昨年隠岐に来て下さった榛句会の方々との再会は嬉しく一層杯を進めることになった。しかし、特筆すべきは星田先生のことである。勿論存じ上げてはいたがこの度、親しくお話が出来た。それも二次会のショットバーにまでお付き合い頂いた。生来、田舎者でグラスが逆さに吊り並べてあるような店には用もなく、またシェリー酒という異文化の酒にほだされてかなり舞い上がってしまった。先生には、かなり失礼を働いたように思う。それでも父のように、また不出来の生徒を見守る高校教師のように優しいまなざしであった。
 そして、大会で同宿となったのが出雲の三原白鴉さん。大変丁寧な紳士で年下の身としては恐縮した。毎月いくつもの句会に出席され句歴数年とは思えぬ実力にただただ驚き反省させられた。また目標となる良き人物と知り合え嬉しき一夜であった。
 また、もうひとり。群馬の鈴木百合子さんと貴重なご縁を得た。お父上に一歩でも近づけるように穏やかな気持ちで自然に対峙していきたいと話され、共感した。私も九年前に父を亡くし俳句にて父と肩を並べることが目標であり供養と思っているからである。心情を共有できる御同朋御同行と巡り会った気分である。
 東京大会に於いても多くの方々と貴重なご縁を頂いた。思えば初めて参加した浜松大会以来、その度毎にご縁は広がっていった。俳句という同じ道を歩む人々とのご縁は私にとって大きな力となり励ましとなっている。白魚火に感謝し俳句の道を皆さんと共に歩んでいきたいと思う。
 東京大会を設営して下さった行事部、東京地区会員の方々皆さまにお礼申し上げます。


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