最終更新日(Update)'10'.05.26 | |||||||||||
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・しらをびのうた 栗林こうじ | とびら |
季節の一句 高岡良子 | 3 |
「国引きの山」(近詠) 仁尾正文 | 5 |
鳥雲集(一部掲載)安食彰彦ほか | 6 |
白光集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載) 西田美木子、源 伸枝 ほか |
14 |
白光秀句 白岩敏秀 | 39 |
・白魚火作品月評 鶴見一石子 | 41 |
・現代俳句を読む 中山雅史 | 44 |
・百花寸評 奥田 積 | 46 |
・白魚火松江全国大会 | |
・全国俳句大会グラビア | 49 |
・松江全国白魚火大会記 | 57 |
・大会作品 | 63 |
・大会参加記 | 83 |
・ 同人推薦 | 96 |
・「俳壇」10月号転載 | 97 |
・鳥雲集同人特別作品 | 98 |
・ざりがに釣り (こみち) 渥美絹代 | 100 |
・俳誌拝見「運河」7月号 森山暢子 | 101 |
句会報 飯田白魚火句会 | 102 |
・みづうみ賞受賞祝賀会 高添すみれ | 103 |
・俳人協会栃木県支部俳句大会 | 104 |
・西本一都句碑に集い、幹事会を実施 | 104 |
・「俳壇」9月号転載 | 105 |
・「山陰のしおり」山陰合銀発行'08.9転載 | 108 |
・今月読んだ本 弓場忠義 | 109 |
・今月読んだ本 牧沢純江 | 109 |
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載) 谷山瑞枝、後藤よし子 ほか |
111 |
白魚火秀句 仁尾正文 | 157 |
・窓・編集手帳・余滴 |
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季節の一句 |
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(鹿沼) 高岡良子 |
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夫の名のままの表札小鳥来る 源 伸枝 小鳥来る逝きし子に年一つ足す 横田じゅんこ (平成十九年十二月号 白光集より) この二句を読んで、「文選」古詩十九首の「去者日以疎、生者日以親」という詩句が浮かんできた。亡くなった人は日に日に忘れられ、生きている者は日に日に親しさを増すという。なるほど悲しみや喪失感は時間とともに薄れていくかも知れない。しかしそれは、悲しみが無くなったのではなく、昇華され、深められていくものだと思う。 掲句二句は、「小鳥来る」と言う季題を通して、去りし人に思いを深めているのである。前句は、もう改めるべき時期になったと思いつつも、表札の主の名をそのまま残すことにより、夫への思いを深めている。二句目は「逝った子」の年を一つ加えるということにより、亡き子を偲んでいるのである。時間の経過とともに失った人に対する思いが昇華され、静かなしみじみとした作者の心情が伝わってくる。 掲句二句は「去る者」と「来る者」と言う対照的な事象をうまく詠いあげていると思う。 下り梁石もて絞る魚道かな 秋葉咲女 (平成十九年十二月号 白魚火集より) 栃木県には、那珂川と言う鮎の産地がある。茶臼岳を発し茨城県で太平洋に注ぐ大河であり、鮎の漁獲量日本一を誇る清流でもある。作者は、栃木県の人なので、おそらくこの地で詠んだものと思われる。 昨年、梁場を設置する作業を見ることがあった。流れの中に腰まで浸かっての作業で、人力だけで足りず、ブルドーザーも使っての大仕事であった。大きな流れを「絞る」ように、石で堰を築き、梁簀に鮎が落ち込む様に道を造るのである。 この句はまさにその時私が見た景そのものだと感じた。「石もて絞る」と表現したのは言い得て妙であり、下り梁の景が良く見える句である。 |
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鳥雲集 | |
〔無鑑査同人 作品〕 | |
一部のみ。 順次掲載 | |
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蝉 安食彰彦 大炎昼神南備山の黙しけり 蝉時雨もつともはげし午后三時 宿題をする子に蝉の鳴き競ふ 空蝉や尼子毛利の五輪塔 蝉時雨折紙で子をなだめをり かたくなに蚯蚓引つ張る蟻の列 刈り残す白粉の花丁地蔵 無住寺に僧着任す萩咲けば 置き手紙 青木華都子 イヤリング外し香水耳朶に 草茂る北朝鮮の無人ビル 樹下涼しハングルで書く置き手紙 仏の森ゆるがす朝の蝉しぐれ 炎昼の街頭で売る豚の足 狂ほしきほどじいじいと油蝉 夜つぴいて居座つてゐるはたた神 酷暑なる旅の土産のキムチ漬 水 の 都 白岩敏秀 万緑や戦なき世の千鳥城 夕焼して水の都と呼ばれけり 片陰の尽きて法隆寺までの距離 乳呑み児の笑ひ覚えぬ雲の峰 梅干して筵に影を均らしけり 高脚に蜘蛛歩み去る夜の畳 炎昼や鉄塔空に突き刺さり 甚平やあいつも同じ柄を着て 盆 近 し 水鳥川弘宇 日盛りの顔見るだけの兄見舞ふ 整然と干してキヤンプのひと家族 手を入るるすべなき旱畑なりし 星空に触れんばかりの祇園山笠 宮の灯に遠き茅の輪をくぐりけり 山坂も整備されたり盆の道 大方は故人の名簿盆近し 若造に負けてたまるか草を刈る 蝉 の 声 山根仙花 空梅雨の夕月赤くかかりけり 子燕の胸押し寄する波頭 蝉涼し幹を揃へし杉木立 こらへてはこらへては崖滴れり 炎天のわが影われを離れざる 端居して過去も未来もなかりけり 風鈴や言葉やさしく電話切る 夕風に添ふ一筋の蝉の声 |
單 衣 桧林ひろ子 業平の越えし山かも葛茂る 万緑の上に城あり仰ぎけり 暑さうな色に登りし盆の月 單衣著て母に近づく思ひかな 一日の終りの水を打ちにけり 紐繋ぎ昔のやうに虫干す 凌 霄 花 田村萠尖 居座りし老鶯谷に機嫌かな 凌霄の萼着きしまま散りをりぬ 真中から乾く舗装路夕立去る 小滝なす神のきざはし大雷雨 青田風一気に肺を膨らませ ひぐらしの声攫ひたる俄雨 宿 浴 衣 橋場きよ 銀鈴のごとくアカシヤ花散らす いにしへの旅恋ふる旅杜若 裏方に徹する気配蝸牛 気位の潰ゆるときや桜桃忌 それぞれに過ぎし日語る宿浴衣 恋も夢も過ぎゆく詩や巴里祭 山女釣り 武永江邨 釣堀をいとなむ大きな山家かな 釣堀の案内板を木に吊れり 昼暗き径曲り来て山女釣る 原爆忌眼底検査の目がだるき 人の顔ゆがんで見ゆる極暑かな 炎天へ梯子掛けたる庭師かな 踊 子 金田野歩女 菩提樹の馨る点滴外されて 桑の実に指染め吟行楽しめり 青葭の撓ふ小鳥の重さ分 板の間も夏炉も大き番屋かな 日の盛りのの字に乾く蚯蚓かな 隈取りをされ踊子となる児かな 秋 の 声 上川みゆき 神木の洞に聴きをり秋のこゑ 石段を百拾数へ大花火 父の袂持ちいとけなき盆踊 特攻機に征きたる兄や終戦忌 草ひばり夜勤看護師帰りけり 浮き橋を稲妻疾るまた疾る 夏 雲 雀 上村 均 朝焼や高速艇が岬離れ 航跡の一線しるき夏雲雀 日盛りを書肆の立ち読む人となる 保養所の草刈る音の川越え来 客となり団扇の風を頂きぬ 夕波に助走の長き鵜の翔ちぬ |
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白魚火集 |
〔同人・会員作品〕 巻頭句 |
仁尾正文選 |
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唐津 谷山瑞枝 夏柳間口の狭き町屋かな 片蔭に女船頭笠を脱ぐ 捩花や漁師の朝の始まりぬ 二の丸の鉄砲狭間毛虫這ふ 甲胄の動き出したる暑さかな 中津川 後藤よし子 玉葱を吊る神南備の山に向け 遠山も湖も出雲や朝涼し 蟷螂と共に拝める御廟かな 御廟より青葉がくれに天守見ゆ 広ごれる青田神南備山を背に |
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白魚火秀句 |
仁尾正文 |
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甲冑の動き出したる暑さかな 谷山瑞枝 千鳥城とも呼ばれる松江城は五層六階、高さ三十メートルの天守閣に立つと南面の宍道湖、東方の市街地等々松江のすべてが一望される。 作者は、鉄砲狭間や井戸等を丹念に見て廻っていたが沢山の甲冑が並んだ階で足が止った。どれも目鼻耳口が空けられ暗い空洞を見ているが、凝視を続けている内にこれらが生きた人間のように見えてきた。目が動き口が何かを喋ったのである。それはその甲冑を着けていた頃の武者が戦功を語ったり、打ち取られた怨念の声であったり様々である。作者はこの日の三十度を越す猛暑がそうさせたと叙した。 芭蕉は「虚に居て実を行ふべし」と言った。単なる写実によって物事の真実に到達することは難しい。自由な想像の力を借りるときはじめて眞実が見えてくる、と言うのであるが。 揚句は猛暑にことよせ、自由な想像によって、動き出した甲冑はもはや置物ではなくなってしまったのである。 玉葱を吊る神南備の山に向け 後藤よし子 神南備山は天に在す神が地に降臨する神聖な山や森で、出雲風土記には四ヶ所あると書かれている。その他全国的には明日香の三諸山、大三輪山、斑鳩の三室山などが知られている。 神話の国出雲を来訪した作者は、宍道湖の南神南備の仏経山あたりに向けて玉葱を吊している景を見て強い印象を受けた。大昔から神を貴ぶ気風が染みついている地の人は神南備のことを余り意識していないにもかかわらず旅人のこの作者はその景が虔ましく見えたのである。そのように感じたこの作者もまた神仏への帰依が篤いことを思わせる。 星合の湖に浮きたる嫁ヶ島 岡あさ乃 茶人の間に堅い覚悟として「一期一会」ということばがある。千利休の弟子山上宗二の著『茶湯覚悟十体』の中に、「幾度も同じ主客と茶会をしても今日の茶会は生涯に一度しかない。それ故主人にはいささかの緩みも許されない」という意味のことを言っている。非常に重い言葉で茶の湯に限らず人生万般に当てはまる一語である。 百合山羽公に「昭和五十五年五月五日の那智御滝」があるが一期一会を意識した一句だ。揚句の「星合ひ」は年に一度の彦星と織姫の逢瀬の夜、まさに一期一会である。全国大会のあった平成二十年七月七日の星合ひの嫁ヶ島を見ることも又今日一日限りである。 船虫の逃げ込みし水舐めてみる 脇山石菖 一読して破顔した。茶目っ気がおかしく船虫の句では類例を見ない句であると思った。今再読して、宍道湖畔を歩いていて船虫が沢山居るのに驚き、宍道湖が汽水湖であることに気付いた。作者も同じ。塩っぱいかどうか湖の水を舐めてみたのであろう。が、とにかく愉快な句であった。 ハンカチの香りほのかな京言葉 原 菊枝 電車で同席したのであろうか。手に持ったハンカチからほのかな香りがしてきたのである。話を交すと上品な京都の言葉であった。この「京言葉」がえもいわれぬ雰囲気を醸している。「関西訛り」とか「浦訛り」とかいうのは相手を、土地を見下げているようで嫌いである。 端居して過ぎし日のこと先のこと 森井杏雨 血気盛んであった若い頃を思い出したり、余命のことを思ったりするのは、後期高齢者―長寿保険と改称はしたが―の誰もが共感する。しかし日本は長寿世界一である上に、われわれには俳句がある。卒寿白寿を目指し頑張ろうではないか。 雲海の中行くバスに乗り合はす 河合ひろ子 高山の峰が島のように突っ立った雲海の表面はさざ波が立って絶えず蕩揺している。空はあくまでも青く夢のような世界に作者は一台のバスを走らせ乗り合せた。乗っている飛行機をバスにしてしまった作者は、ロマンチストである。 踊る輪の暗きところで息を抜き 中西晃子 踊り櫓を取り囲んで老若男女が盆踊りを楽しんでいる。照明の明るい所では衆目を意識して真面目に踊るが大木の陰など小暗い所では息抜きをしている。中句から下句がうまい。 土用には星と話せり千の梅 仙田美名代 梅の夜干しである。莚一杯の千個もある梅が星とおしゃべりしている、メルヘンの世界だ。なお「千の風」という歌が流行っていて投句されてくるが、この固有名詞は三年も経つと忘れ去られるであろうから採らない。 |
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白光集 | ||
〔同人作品〕 巻頭句 | ||
白岩敏秀選 | ||
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西田美木子 宍道湖に潮の香満ちて盛夏かな 尾の太き出雲の狛や沙羅の花 ねむの花湖を背負うて先師の碑 万緑や千木美しき大社 濃あぢさゐ後ろ歩みに鳥居出づ 源 伸枝 日盛りや魚拓の鯛の口あけて 腹の子も数に加へて西瓜切る 馬遠くゐて昼顔の淡きかな 鋼材の触れ合つてゐる暑さかな 戦前もこの街に住み広島忌 |
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白光秀句 |
白岩敏秀 |
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宍道湖に潮の香満ちて盛夏かな 西田美木子 宍道湖については平成二十年四月号『白魚火』誌上に竹元抽彩氏が詳しく紹介している。それによると周囲はおよそ四十五粁、面積約七十五平方粁、全国七番目に大きい湖で、汽水湖とある。更に宍道湖は「千の顔」を持ち、春夏秋冬、日により時間により違った趣があるという。さすれば、潮の香の満ちた宍道湖は盛夏の表情のひとつ。 西本一都先師は「初明り大宍道湖を展べんとす」と大宍道湖の初明りの目出度さを詠み、掲句は夏壮んな宍道湖を朗々と詠いあげた。開府四百年のそして「白魚火」発祥の地、松江の頌歌である。 万緑や千木美しき大社 単に「神宮」とだけ云えば伊勢神宮を示し、「大社」(おおやしろ)と云えば出雲大社のことを云う。出雲大社の本殿の桧皮葺の屋根の棟には勝男木三本と千木がのせてある。 「やはらぐる光や空に満ちぬらん雲に分入るちぎの片そぎ」と寂蓮法師が出雲大社で詠んでいる。「片そぎ」とは千木の端の片角を削ぐこと。大社は垂直に削がれた「外そぎ」で鋭角に美しい。 万緑に中に古格のただずまいを見せる大社。夏の青空に分け入る千木の片そぎ。平成の俳人の見た千木の美しさであり、自ずと敬虔な気持ちが湧いてくる。 腹の子も数に加へて西瓜切る 源 伸枝 この句は核家族の若い夫婦には出来ないだろうなと思う。既に孫が二人位いる三世代同居の家族の方が似つかわしい。 胎児も家族の数に加えられるほどだから、出産もそう遠いことではない。初産と違って、嫁さんも大きな動揺ないし、孫達もお兄ちゃんやお姉ちゃんになることを素直に喜んでいる。食卓に並べられたよく冷えた、よく熟れた西瓜が新しく加わる家族を祝福しているようだ。 家族の暖かさがあたたかさのままに詠まれている。作者の日常が平穏である証左である。 向日葵と真正面から見つめ合ふ 大久保喜風 ギラギラと輝く真夏の太陽の下に直立する向日葵。旺盛な生命力を宿す向日葵と作者は対峙している。そして唯々、真正面から見つめ合う。 向日葵を誰かに見立てたり、作者の胸の内を去来するものを推測するのは慎むべきであろう。向日葵を見つめる視線には、作者の全体重を乗せた強いエネルギーが掛かっている。背筋をしっかり伸ばした古武士の風格のある句。 今年の松江大会でお会いした氏の精神はすこぶるつややかであった。 滝音の滝を離れて響きけり 村田相子 禅問答に両手を合わせ打った音は右手から鳴ったか左手か、と云うのがある。それなりの正解はあるであろうが、謎である。 掲句は眼前即決の情景。滝を見ていても、滝音を聞いていてもなかなかこうは詠めないもの。滝音が伝えてくれる爽やかな涼味。まさに十全の把握である。 描かれて表裏定まる団扇かな 佐藤升子 仁尾先生の句に 僧がきて死の定まりぬ梅雨の雷 がある。医師に宣告された死であっても僧が来るまではそれを受け入れることが出来ない家族の切ない気持ちが詠まれている。 掲句は団扇が対象。何も描かれてない団扇であれば表裏関係ないものが、なまじ描かれることによって表と裏が決まってしまう。裏の部分は団扇が使い古されるまで表の引き立て役で終わる。裏側のペーソスをさり気なく詠んで巧みである。 駄菓子屋に線香花火並べあり 柴田佳江 ふと立ち寄った駄菓子屋で見つけた線香花火。「まあ、駄菓子屋にこんなものが」と軽い驚きがあって「並べあり」。 ミスマッチのように並べてある駄菓子と線香花火に作者は「オヤッ」と思ったのである。 現場で感じた一瞬の印象を素直に伝えている。 四方より夏雲の湧く甲斐の国 本田咲子 甲斐の国と言えば武田信玄の国。四方から湧く夏雲は恰も武田の騎馬軍団の如くである。実際に雲が四方から同時に湧くものかどうか知らないが、そうだと思わせるのが「甲斐の国」という固有名詞。甲斐の国での旅吟かも知れぬ。 岩打ちて岩また削り土用波 天野和幸 手元の辞書によると「また」には色々な用法があるが、ここでは「そのうえに」ということ。 岩を打つ波は同時に岩を削り細めていく波でもある。常に変化して止まない自然界の実相を土用波に語らせている。 |
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その他感銘句 |
夜が来るための夕映え夏燕 野萱草一村の水豊かなり 柿の葉にしづくの残る夕立かな 暑き夜をとぎれとぎれに眠りけり 夏萩や諏訪の大社の巫女溜り 三伏の洗ひ晒しの野良着かな 自転車に括りつけたる大西瓜 寝返りを打つて炎暑を裏返す 鋭き爪は渾身のあと蝉の殻 掛け声の近づく子供御輿かな |
小林布佐子 柴山要作 秋穂幸恵 渡辺晴峰 篠原米女 大澤のり子 浅見善平 大山清笑 平塚世都子 佐藤恵子 |
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禁無断転載 |