最終更新日(Update)'08.09.30

白魚火 平成17年3月号 抜粋

(通巻第637号)
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2月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
・しらをびのうた  栗林こうじ とびら
季節の一句    佐藤 勲
「夏炉」(近詠) 仁尾正文  
鳥雲集(一部掲載)安食彰彦ほか
白光集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
       
源 伸枝、森山暢子 ほか    
15
白光秀句  白岩敏秀 41
・白魚火作品月評    鶴見一石子 43
・現代俳句を読む    村上尚子  46
・百花寸評   青木華都子 48
・「俳壇」9月号転載 51
・公民館デビュー(こみち)  阿部芙美子 52
・俳誌拝見「峠」5月号  森山暢子 53
句会報 中津川白魚火 硯墨会  54
・句集評 伊藤徹句集『「奈良町』を読む 渥美絹代 55
・柳まつり全国俳句大会報告  柴山要作 57
・「狩」7月号転載 58
・「山繭」7月号転載 59
・「山陰中央新報」8月4日号転載 60
・「山陰のしおり」山陰合銀発行'08.8転載 61
・「薫風」5月号・「斧」6月号転載 62
・「俳句四季」8月号転載 63
・今月読んだ本       中山雅史       64
今月読んだ本     林 浩世      65
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載)
          東条三都夫、西村松子 ほか
66
白魚火秀句 仁尾正文 113
・窓・編集手帳・余滴       

季節の一句

(岩 手) 佐藤 勲

 新涼の研がれし鎌の匂ひけり 荒井孝子
  (平成十九年十一月号 白光集より)
 暑かった夏も去り、色づき始めた稲田を渡る風も清々しいある日の朝、畦の草刈でもしようと鎌を研いだ。朝露のあるうちが刃先が良く通るからである。
 親指の腹で刃の付き具合を確めていると研磨によって初めて空気に触れた鋼の匂いが鼻腔をついたのである。微かな匂いなのだが大気の澄みきった新涼の中にあってより強く感じたのかも知れない。
 作者の感覚も鋼と同様に研ぎ澄まされているのである。

動く雲動かざる雲秋立ちぬ 村松ヒサ子
  (平成十九年十一月号 白魚火集より)
 一読してすぐに「夏の雲追ひこして行く秋の雲 正文」が思い浮んだ。
 動かざる雲は積雲に属する量感のある夏の雲で、その上を軽やかに流れる絹雲など即ち秋の動く雲なのである。秋の雲はいつも何処かへ急いでいるらしい。
 毎日繰り返しの日常の中では季節の移ろいは分らないのものであるが、ニュースやカレンダーを見てもう立秋なのだと知ることが多い。戸外に出て見ると昨日とはどこか違う雲の様に気づくのである。
 掲句ではゆっくり時間が流れているが、作者にとっては意外と早いのかもしれない。 「動かざる雲」は「やりたいことがまだあったのに」と言っているような気がする。
 爽やかな秋、実りの秋ではあるが、秋に向かうのはやはり心淋しい。


鳥雲集
〔無鑑査同人 作品〕   
一部のみ。 順次掲載  

 欠  伸   安食彰彦

傍らの蜥蜴を杖で威しけり
緑さす筧の水の眩しかり
蹲踞に青き紫陽花浮べけり
遊船の船頭欠伸してをりぬ
孑孒の動きのはげし手水鉢
山蟻の右往左往す雨後の廟
雷電の碑の傍哀れ蚊を打てり
なんぢやもんぢやの葉陰で昼寝する漢


 夏 帽 子   青木華都子

一都句碑若葉青葉の樹下にかな
朝涼の湖すれすれに鳶舞ふ
城垣をあみだ走りに青蜥蜴
その上にまた坂のあり濃紫陽花
水深を確かめ夏の蜆掻き
剥製の如青鷺の動かざり
ただ暑し記念写真のフラッシュも
再会を約し手を振る夏帽子


 雨の夕暮   白岩敏秀

水馬沼の四隅の暮れてゐる
紫陽花や水のごとくに夕暮るる
夏至の雨真つ赤な花を買ひにけり
鱧きざむ音に雨降る五条坂
夕月の空に囲をかけ蜘蛛の飢ゑ
枇杷をむく方程式を解くやうに
賢さに遠く南瓜の花盛り
夕蛍湯上りの子と見てをりぬ


押し競まんぢゆう  坂本タカ女

終生の牛の耳標や聖五月
時の日や針の狂へる発条秤
牛飼百年てふ三代目忍冬
ホルスタイン繁殖暦蠅生る
底割れの刳舟卯の花腐しかな
茗荷竹雀の餌を直に撒く
軽鳧の雛押し競まんぢゆうしてをりぬ
軽鳧の仔に唄ふずいずいずころばし


 皐月富士   鈴木三都夫

一声が一声を呼ぶ河鹿笛
二タ三声恋も終りの河鹿川
紫を見し目に眩し白菖蒲
花びらに風の残れる菖蒲かな
せつかちに急き立てられて滴れる
滴りの繋がり落つる速さかな
窈窕と雲を脱ぎたる皐月富士
渦が渦呑んで逆巻く梅雨出水
 夏 蛙   栗林こうじ
一斉に鳴きかつ黙す夏蛙
ふるさとの山に一礼梅雨晴れ間
畑中に残る荼毘の地立葵
夏蛙夜毎に枯れてきたりける
甲越のいくさを生きし槻青葉
数十年昼寝の味を知らず老ゆ

 麦 の 秋  佐藤光汀
麦秋の丘の向うの岳白し
短夜や雲を拂ひし遠き嶺
老いたるか柳絮に先を越されけり
遠雷の雨もたらさず過ぎにけり
青鷺の夕べの帰巣前山に
夏雲雀雲の中より囀れる

  瀧    鶴見一石子
神在せる屏風開きの瀧の道
蔓延れるへくそかづらの吉次墓
坂東太郎篠つく雨や太宰の忌
鮎を焼くための荒塩惜しみなく
つつましく生ける一生青簾
晒し一巻金剛立ちの滝行者

 厩舎の灯   三浦香都子
ゆつくりと歩む山道緑さす
手を浸すほどの流れや若葉光
童顔の磨崖大仏桜の実
湖につづく山道つるでまり
草笛を吹きつつ山を下りけり
銀漢やつぎつぎに消ゆ厩舎の灯

 半 夏 雨   渡邉春枝
六月や泣き虫の子が花嫁に
教室の窓まで青田広がれり
針もてば優しくなりぬ半夏雨
百佛に百の佛願ほととぎす
縁談のまとまる気配メロン切る
まつ先に犬に声かけ帰省の子

  蛇に会ふ   小浜史都女
郭公のこゑあをあをと谺せり
料金所女がさばく麦の秋
蛇に会ふけふも昨日も一昨日も
老鶯のこだま返しやダムサイド
買つて来し手抜きの昼餉日雷
素手素足素顔涼しき山を見る

   七月の川   小林梨花
朝凪の湖へぞくぞく蜆舟
七月の川滔々と流れけり
万緑の上に聳ゆる千鳥城
紫陽花や奥へ連なる藩主廟
涼風をハーンの椅子に凭り掛り
打水や呉州手茶碗のぼてぼて茶


白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
仁尾正文選

   旭 川  東條三都夫

日課無き今日がはじまる古団扇
日めくりを一枚めくる文月来
大夕焼黙つて立つてゐる男
東に雲海西に鳶回る
宵越しの銭少しありビール酌む


   松 江  西村松子

堀舟のすべるごと過ぐ花樗
蜻蛉生る縁側細き八雲の居
夏暁の湖へ繰り出す蜆舟
青葦や湖に潮目のくつきりと
横向きに下るるきざはし青葉闇


白魚火秀句
仁尾正文
当月英語ページへ

大夕焼黙つて立つてゐる男 東條三都夫

 『白魚火燦燦』を贈呈したある主宰から、二七〇頁の「夕焼を目正月とし夫とかな 牧沢純江」の一句について「「目正月」というなつかしいことばに出合って御誌充実のひとつを見ました」と褒められた。また「朝霞市を出でず暮霞千里を走る」という漢詩もある。朝焼は天気が崩れ易いが、夕焼は上天気となり千里の旅にも躊躇しない、という意味。夕焼は上天気の明日を約束している。
 対して掲句には陰影がある。大夕焼けに黙って立っている男。自画像かも知れぬこの男は「黙って」いる理由を明かさないので読者は大いに気にするのである。黙ること、すなわち沈黙も積極的な意志表現である。「黙否」などはその最たるもの。旱続きには大夕焼は絶望感を呼ぶし、夕焼けに係ったトラウマが疼き出したのかもしれぬ。何れにしても芭蕉のいう「謂ひ応せて何かある」に応えた作として多くの人々に記憶される作品であろう。

堀舟のすべるごと過ぐ花樗 西村松子

 松江城を囲む内堀は防御のための城堀であるが、水が汚れるので外堀を設けて宍道湖の水を導き所々で内、外堀が繋っている。堀の遊覧船は一周五十分程かかる。椎や榎、椿や樗の大樹が枝をさし交し堀全体が緑蔭の中にあった。十六の橋が架っているが内四ヶ所は橋桁が低いので屋根を畳んで乗客は這いつくばって橋を潜った。
 優雅で楽しすぎてこの舟遊びは余り句が出来なかったが、揚句はさすが地元の作者である。楽々と軽々と詠んで苦心の跡が払拭されている。そこのところが秀句たるゆえんだ。

十薬を活けてハーンの夫人の間 挾間敏子

梅雨深し行啓日誌閉ぢしまま 高島文江

 ラフカディオ・ハーンは明治二十三年文部省の招きで来日し島根県尋常中学校(現松江北高)と尋常師範学校で英語を教えた。松江城近くの武家屋敷跡が気に入りここに居住し、身の回りの一切を世話した小泉セツと結婚し婿養子の形で小泉八雲と称した。翌年熊本高校に転任し松江での居住は僅かであったが、数多くの著書より松江を最も愛していたようだ。八雲について特記すべきことは知日派として英人B・Hチェンバレンを嚆矢として東洋の文化を欧米に紹介したこと。八雲以後もこうした知日派の発信がずっと続いていた。戦後間もなく桑原武雄が「俳句第二芸術論」を発表して俳壇は大きく揺いだ。だが、敗戦という未曾有の革命の直後である。時流に阿ねて日本の古い型式の俳句を叩くという尻軽の輩は何時の時代にも居るものだ。桑原が世界で最高の文化国と称えたフランスに、桑原が最も軽蔑した「ハイク」がブームとなっているのは何とも皮肉なことである。八雲らの業績とは無縁ではないであろう。
 さて頭掲両句。八雲旧居の入場券のしおりには「八雲の居間、書斎、セツ夫人の部屋などをぐるっととり囲む庭が観覧の対象です」と記されている。私どもはその半分位しか見なかったが頭掲の女流は忠実に観覧して秀句を得た。前句はセツの部屋に活けられた十薬が健気。後句の「行啓日誌」も皇后や皇太子らが訪問された記録を見て八雲居の格式を褒めているのである。

一雫また一しづく滴れり 前田清方

 湿った岩盤に滲み出た水が時をかけて雫になって滴り落ちる。これが歳時記にいう「滴り」の本義だ。滝しぶきを浴びせかけられて間断なく水滴を落しているのは季語の「滴り」ではない。
 掲句は雫が生れる迄を凝視し滴った後も凝視の目を離さない。かくて仕上った掲句は言葉が極端に少ないように感じる。単純化が図られているからだ。ために口誦し易く、繰り返して口誦していると象徴性も出てくる。「空をゆく一かたまりの花吹雪 素十」は無常迅速の象徴だというのが私説である。

蛍見の用心棒に夫誘ふ 大塚澄江

 破顔させられた一句。蛍沢もそこへ至る道も暗くて女性には心細い。その用心棒になって貰いたくて夫を蛍狩に口説いている。「仕方ないなあ」と夫は応じてくれたが、夫婦の仲の睦じいところを押えて表現しているが愉快この上ない一句。

しばらくは絹の雨降濃紫陽花 清水芳子

 写生句の絶品である。紫陽花に降りそそぐ細い雨を「絹の雨」と美しく詠んでしびれさせられた。白魚火は写生を大切にするが、写生にも溢れる主観がなくてはならない。「絹の雨」は主観が生んだ写実である。

ビール飲む誰もくちびる尖らせて 坂田吉康

 ジョッキのビールは口を一杯にあけて飲むが、この句は缶ビールだ。プルトップを空けた飲み口は小さいので、くちびるを尖らせてたおやかに飲まざるを得ないのである。

    その他触れてみたかった秀句     
城涼し松江殿町一番地
明易し湖辺に濡らす旅の靴
ハンカチの香りほのかな京言葉
ふと触れてわざと触れもすおじぎ草
時かけて自分に戻る昼寝覚
飛石に青石並べ未草
枝打ちて涼を呼び込む築地松
梅雨明けや二十階へのエレベーター
鳴く声の体に似ざる雨蛙
梅雨明けて雲の切れ目が星降らす
竹元抽彩
森山世都子
原 菊江
藤田ふみ子
清水和子
樋野洋子
天野和幸
川崎久子
良知由喜子
金子フミエ


白光集
〔同人作品〕 巻頭句
白岩敏秀選

      源 伸枝

笹百合や馬の埴輪の口あけて
砂浴びの雀に散れり花南天
香水の残り香ほのとイヤリング
灯を消して畳に放つ恋螢
百合の香に眠るや夫の忌を修し

      森山暢子

短夜や蝋人形に喉仏
理髪師に飼はれて河鹿鳴きにけり
八雲居の八雲の年譜涼しかり
青葡萄むかしは貰ひ風呂をして
夏祓牛馬守護札受けにけり


白光秀句
白岩敏秀


砂浴びの雀に散れり花南天 源 伸枝

 街中の公園でふと目にした光景。無心に砂浴びする雀が軽いタッチでスケッチされている。とは言え、人間にとって楽しそうに見える砂浴びも、雀にとっては身体についた羽虫を落とすために重要な仕事。
 いつもは子ども達に占領されている砂場も、夏の暑い昼下がりは雀たちには誰にも邪魔されることのない恰好の時間である。
 雀という小さな鳥と目立たない南天の白い花。自己主張の少ない二つが簡潔な表現で結ばれている。作者の穏やかな目と静心が窺える作品である。
百合の香に眠るや夫の忌を修し
 共に笑い、共に悲しんでくれた夫であり、沢山の思い出を残してくれた夫。作者は今、夫の知らない世を生きている。夫に会える手立ては夢の中だけである。
 就寝する作者に夫の好きだった百合の香りがほのかに漂ってくる。

青葡萄むかしは貰ひ風呂をして 森山暢子

 「今晩は風呂をしますけえ、来てつかあさい」
 「ありがとさん、寄せてもらいます」
 私が子どもの頃に住んでいた田舎の晩方にはこんな挨拶があった。
 相手方の家の夕飯が一段落した頃を見計らって女、子どもが風呂を貰いに出かけた。大抵は仕舞風呂である。
 田舎のどの家にも風呂はあった。あったが一週間に一度ほどしか沸かさなかった。その間はこうして近所で貰い風呂をしていた。近所がお互い風呂を融通し合っていたのである。
 水道もガスも無かった昔、こんな生活があったということ。不便さはあったが、惨めさはなかった。青葡萄の一粒づつが密着しながら熟れていくような濃密な人間関係が存在した時代だったのだろう。

吃水を下げて帰港の鰹船 福田 勇

 平成十年五月は白魚火全国大会・静岡大会。吟行第一目は御前崎漁港であった。鰹の水揚げと活気ある糶を目の当たりにした日でもある。
 この日の仁尾主宰の特選句のなかに「鰹揚げ船が身軽となりにけり 滝見美代子」がある。美代子さんの句には大量の鰹を水揚げして、重さから解放されたのびやかさがある。
 掲句は重さからまだ解放されていない鰹船。目に見える吃水の深さから大漁を知り、抑制された声調から大漁の船足の重さを知る。
 焦点を吃水のみに絞った作者の写生の眼は確かである。しかも一点を伝えるために寡黙に徹した詠み振りも見事。

捨て井戸の底に水あり落し文 小林さつき

 白魚火の松江大会第一日目に私が特選に選んだ中の一句である。
 松江は水の都と呼ばれているから、史蹟の何処かに古井戸があったのだろう。
 地中深く覗き込んだ目が捉えた地上の落し文、舞台の転換が鮮やかである。しかも、井戸底のキラリとした反射をすかさず「底に水あり」と明快に断定して説得力ある。
 松江大会は石見神楽の大蛇に酔い、泥鰌掬いの踊りに笑い転げた前夜祭から始まった。

蛍火の山に新たな闇を生み 大川原よし子

 この句には様々な対比がある。例えば①蛍火の明と山の暗②蛍火の小と山の大③蛍火の動と山の静④蛍火の有限と山の無限等々。どれをとっても鑑賞出来ようが、しかし不完全である。
 美しいものに多言は必要ない。蛍火の闇に舞う美しさを唯美しいと見ることが作者の意に添った鑑賞であろう。

廟門に入る涼風の一歩かな 原 菊枝

 この句も松江大会の時の月照寺での吟。月照寺は松江藩主松平家の菩提寺で、初代松平直政公から九代斎貴公までの墓所である。
 月照寺は木立に覆われた静閑なところ。廟門を入ると木立を抜けた涼風がさっと迎えてくれた。木々の香を含む風は日盛りを来た身体には新鮮であった。作者はその新鮮な印象の一瞬を掬い上げ、鮮やかに表現した。涼風をわがものとした詩心に迷いがない。

荒梅雨を吐き出す渓の発電所 菅沼公造

 渓の発電所とあるから、谷川の支流のどこかにある小さな発電所が思い浮かぶ。
 この句の「吐き出す」とした擬人化が荒梅雨の発電所の形相を伝えて句にリアリティを与えている。
 周囲の山々から集まった荒梅雨の激流が発電所の小さなタービンを回し再び激流となって流れ去る。眼前即決の把握が実景の迫力を正確に伝えている。

麦を刈る二十四戸に寺ひとつ 若林光一

 二十四戸という数字に注目した。一軒また一軒と離村或いは廃屋となった集落の現在の実数なのだろう。
 限界集落と言われる中山間地の厳しい現実を背景としながらも、掲句は麦秋の美しい季節を詠い、朝夕に余韻をひく寺の鐘音を描いている。作者の胸中には美しい日本が住みついているのである。

    その他感銘句
水馬空の青さを掴みけり
飼ひ犬のぬくみを抱けり梅雨籠り
飛鳥寺へ夏草の道つづきをり
木下闇並ぶ石狐のふと孤独
十薬に触れて匂ひを立たせけり
苗箱をばしやばしや洗ひ田植終ふ
蝸牛上るつもりの能舞台
夏椿暮色に花を落しけり
病葉の石の窪みに乾きけり
時間割組みゐる梅雨の日曜日
金原敬子
濱田安房子
松浦文月
原 育子
村松綾子
赤城節子
栗田幸雄
山本秀子
広岡博子
重岡 愛

禁無断転載