最終更新日(Update)'08.07.31

白魚火 平成17年3月号 抜粋

(通巻第636号)
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2月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
・しらをびのうた  栗林こうじ とびら
季節の一句    星田一草
「麦畑」(近詠) 仁尾正文  
鳥雲集(一部掲載)安食彰彦ほか
白光集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
       
古川松枝、山岸美重子 ほか    
15
白光秀句  白岩敏秀 41
・白魚火作品月評    鶴見一石子 43
・現代俳句を読む    村上尚子  46
・百花寸評   今井星女 48
・「俳壇」転載 51
・喜寿を越えて(こみち)  渡邉美代子 52
・俳誌拝見「青嶺」5月号   森山暢子 53
句会報 旭川白魚火句会  54
・今月読んだ本       中山雅史       55
今月読んだ本     林 浩世      56
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載)
          大村泰子、小川恵子 ほか
57
・平成20年度 島根県民文化祭文芸作品募集要項 104
白魚火秀句 仁尾正文 105
・窓・編集手帳・余滴       

季節の一句

(宇都宮) 星田一草

 
野の風を掬ひてはゆく捕虫網  山根仙花
  (平成十九年十月号 鳥雲集より)

 一読して、とっさに那須高原を思い出した。数年前、御用邸の動植物調査に参加し、爽やかな風を受けながら終日捕虫網を振りまわした。広大な那須山麓を三年がかりの調査で苦労もあったが昆虫採集のおもしろさを満喫した。
掲句は夏休み中の少年の喜々とした様子の描写であろう。作者の励ましのまなざしが伝わってくる。
毎月、何千何万と詠まれる句の中ですべての人に感銘を与えるものは少ない。どのような句会でも一句に集中することはない。しかし、誰かが共感してくれることも確かである。そこに俳句のおもしろさと難しさがある。私にとっては草叢を掬い、大空に捕虫網を靡かせたあの時を思い出させてくれた一句である。

伸ぶるもの伸び切つて梅雨明けにけり  松本光子
  (平成十九年十月号 白光集より)

昨年の関東地方の梅雨明けは八月に入ってからであった。八月十六日には熊谷と多治見で四十・九度という観測史上最高気温を記録した。地球の温暖化に歯止めのかからない状況を憂いている。
梅雨は森林を潤す水資源であるとともに日本の稲作農耕文化を支えてきたのであるが、じめじめとした毎日に閉口する。梅雨明けが遅れると灼熱の太陽が待たれる。
掲句には本当の夏の到来のよろこびがにじみ出ている。「伸ぶるもの伸び……」のリフレーンが恐ろしいまでの生命のエネルギーを感じさせ、生い茂る森の向こうに真っ白な雲の峰が見えてくる。


鳥雲集
〔無鑑査同人 作品〕   
一部のみ。 順次掲載  


  芍  薬  安食彰彦

山裾の楓若葉の古墳かな
小判草揺れ止まるとき影をもつ
路地裏のつきたるところ雪の下
芍薬を風に遊ばせ童女墓
雪の下咲いて母住む離かな
高稲架の一枚もなし斐伊野かな
ほととぎす明治の武運長久碑
風涼し酒酌み交す湖畔亭


 白 牡 丹  青木華都子

この降りは梅雨入りの兆しかも知れぬ
麦秋や杭一本の県境
夕風に閉づる気配の白牡丹
青梅雨やひたひた寄する魚紋波
手の届く高さん泰山木一花
吊り橋の真下に男山女釣り
径の名はカラコロ通りさくらんぼ
四葩咲く門前町は蔵の町


 艇庫の扉  白岩敏秀

夕暮れの明るさ卯浪立ち倒れ
艇庫の扉初夏に向つて開きけり
大山の空青き日の袋掛
葭切や水を大事に顔洗ふ
いつはりのなき明るさの柿若葉
縁側に日の斑遊ばせ新茶の香
田を均らし五月の水を広げけり
田植機の燦々と日を壊しゆく


  松 蝉    水鳥川弘宇

松蝉の息継ぎもなき励みやう
この辺り百姓一揆小判草
思ひ切り藪蚊の声を叩きけり
たまさかのネクタイきつし梅雨兆す
更衣老いてますます父似なる
がら空きの空港バスや麦の秋
畝少し曲つてをりし藷を挿す
何か出て来さうな蓮茂りけり


 小 判 草  山根仙花

すかんぽを手に遠き日へ目をつむる
眉濃ゆき山の子とゆく松の芯
高き木の高きに騒ぐ風五月
句帳ひらくみどり滴る山へ向け
爪切つて反らす指先新樹光
牡丹大輪一花の影の地を飾る
田を植ゑて真昼音なき峡四、五戸
音のなき音ひびき合ふ小判草
 舞 鶴 草 宮野一磴
ことあれば鶴舞ふならひ舞鶴草
吹雪くてふ風にはあらぬ落花かな
春陰や魚板を打ちて坊を尋む
登校に慣れきしきざし葱坊主
公式玄関市民玄関遅桜
古民具の艶のてかてか南吹く

 藷を挿す  富田郁子
羅漢窟へ石の反り橋朴咲けり
老鶯や石階高き井戸神社
銀掘りの昔も今も藷を挿す
刑場跡蜥蜴の遊ぶ真昼かな
世界遺産の間歩にでで虫角を出す
蝉生まる山祇まつる間歩の口

 銀 の 町  梶川裕子
蟇鳴いて水ささ濁る銀の町
梅の実の太る代官役所跡
柿若葉庚申堂に握り飯
僧の起居一部始終を女郎蜘蛛
寄進札に人夫百人青葉光
宝前に忘れてありぬ夏帽子

 田  植  金井秀穂
降り立ちて水輪拡がる代田かな
粛々と戸毎に田植済ませけり
早苗饗やこざつぱり切る泥の爪
植田澄む村にかつての勢ひなし
早苗田に風の荒ぶる日なりけり
行々子去りたる後の静寂かな

 鯉  幟  坂下昇子
小綬鶏のひたすら呼んでをりにけり
葉桜に洩るる日差しのやはらかく
茶畑に影を泳がせ鯉幟
筍のもうすぐ竹となる高さ
禅寺の音を許さぬ夏障子
女貞花咲ける古代の住居跡

桐 咲 く 二宮てつ郎
翩翻と山翩翻と初燕
鬱々とメーデー過ぎぬ屋根の草
若葉冷雨脚見えて来りけり
桐咲くや峡に無音の時間帯
時鳥岬は目覚むべき頃か
芍薬は花終りけり坂ばかり

 長篠のぼりまつり 野沢建代
茶の芽伸ぶ武田の陣地跡といふ
花棕櫚や予備の草鞋を腰に下げ
端午の日射手の一人は女なり
松の芯火種くるくる廻しをり
勝閧を上ぐるまつりや時鳥
硝煙の風に乗り来るあやめ草

 風 薫 る  星田一草
大鬼怒の蛇行大きく風薫る
きのふけふ植田に波の立ちやすき
雨霽れて夏鴬のよく透る
わらび採り慣れたる山に迷ひけり
かなへびの呼吸が叩く石畳
竹林の囲ひを乱す今年竹


白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
仁尾正文選


  浜松  大村泰子

子を乗せて肩馬となる端午の日
串焼の片側返す薄暑かな
椅子よりも畳よろしき桐の花
蕎麦打ちの麺棒の艶山瀬吹く
河鹿笛聴く自転車に鍵かけて


  栃木  小川惠子

五分粥を啜る八十八夜冷   
摘んできしハーブ五月の風に干す
風のきてさらはれさうな罌栗の花
夏つばめ今日開店のアドバルーン
掃除機の音のくぐもる走り梅雨


白魚火秀句
仁尾正文
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蕎麦打ちの麺棒の艶山瀬吹く 大村泰子

 「北鈴発行所」刊の『八戸俳句歳時記』によると、山瀬は、三陸海岸に初夏、オホーツク海方面から吹きつける遍東風である。時に海霧をともない農作物や漁業に影響を与え、しばしば冷害、そして凶作の原因ともなる、と解説している。幕藩時代の年貢は米であったがこの山瀬風により三年に一度の凶作、五年に一度の饑饉が起きたが年貢の減免は許されず、幾多の百姓一揆の記録がこの地に残されている。蕎麦は半日村とか半作村とかいわれる日照時間の少ない場所でも育つ。だから南部蕎麦や信州蕎麦、出雲蕎麦など名だたる蕎麦処はおしなべて貧しかった。
 掲句は、蕎麦打ちの麺棒の手艶を呈示して現代の山瀬を穏やかに詠んでいるが如上の昔を知る者にはインパクトのある内容である。時代が変って米上納の年貢もなく、気象条件の厳しい所でも人々は平和に暮せるようになった。「麺棒の艶」も現代の恩恵を象徴して置かれているようだ。山瀬の冷さは今も変らないけれども。

夏つばめ今日開店のアドバルーン 小川惠子

 規則が緩和されてあちらこちらにもショッピングセンターなどの大規模な店舗が出現している。広い駐車場には係員が何名も配備され、大型スーパーや大型のホームセンター、何十軒ものレストランが並び映画館やプール迄併設されている所もある。ショッピングとレジャーを同時に楽しめるので子供連れの若者層が圧倒的に多い。
 掲句は、その種の大型店舗の開店日。趣向をこらした開店セールやセレモニーで店内はごった返している。空にはアドバルーンが誇らしげに揚って開店を盛り上げている。この句のよいのは一句の弾んだリズム。季語に置いた「夏つばめ」がそれに拍車をかけている。

二足目の草履に替へし荒神輿 檜林弘一

 香川県東かがわ市引田漁協は日本で初めて(はまち)魬の養殖に成功したことで知られている。この町の漁師に信仰の篤い山王宮の荒神輿は暴れ山車ともいわれすさまじい。神輿は毀れるまで抛り投げるので毎年木で造った簡素なものである。その年選ばれた若くて機敏な漁師が祭の花形である。神輿を掛声と共に抛り投げる迄太鼓を打ち鳴らし瞬間的に反対側へ脱出するのである。時には神輿と一緒に投げ出されたのではないかと固唾を呑むとちゃんと脱出をしており喝采を受けるのである。反射神経と度胸のよさが花形たるゆえんである。
 掲句の荒神輿の仔細は分らぬが、激しい動きのため草履が破れたり鼻緒が切れるので予備の草履を用意している。今二足目の草履に履き替えたのは激しい運動量のせいであろう。荒々しい祭であることは上句の具象が遺憾なく伝えてきた。

表札に教へ子の名や麦の秋 生馬明子

 ある所へ吟行した折たまたま大きな陶器店があり二、三人が入ると他の者も入っていった。吟行仲間の一人に店主が「先生お久しぶりです」と丁寧な挨拶をし、この師弟はしばらく話をしていたが、「皆さま、ようこそ。恩師がお仲間の皆さんに負けて上げるようにと言われたので一割程勉強させていただきます」との声を聞いて教師という職を羨ましく思った。そして師弟のよい関係は一生続くのだと感じ入った。
 掲句も表札に教え子の名を見つけて、教師の頃の教え子の顔を想起してなつかしがっているようだ。

何となく弄つて見たし蟻地獄 大久保喜風

 献身的に瑞枝夫人を看取り、夫人が亡くなった後を丁寧に処理した作者と二ヶ月程前に会った。一点の染みもない若々しい顔、この人の持味である前向きな発言も頼もしく「友帰る」の思いがした。掲句のごとき茶目な面もまた昔のままの氏のプロフィールだ。

血圧計買うて来し夜の心太 福家好璽

 句の形は一物仕立てのように見えるが、内容は取り合せである。取り合せの場合季語とフレーズは離せれば離した方が一句の切れ味がよくなる。かといって離れ過ぎると作者のモチーフが読者に伝わらなくなる。この句ぐらいが隔たりは限度であろう。句は血圧が少し高いと医師に言われたので計器を買ったが案じている様子はないことが季語より分る。

春暁や山まだ色をなさざりし 大作佳範

 春暁の四時頃であろう。道路や建物は見えるが遠くの山はまだ茫として見えない。この句は「春暁や」と上句を強く切ったので座五を「なさざりし」と連用形で納め、俳句の叙法に適っていることを指摘しておきたい。

渓々を深く沈めて山法師 高添ふく代

 「渓々を深く沈めて」という擬人法が成功して景が鮮やかなところが秀句になった。

    その他触れてみたかった秀句     
背負ひ来て籠の実梅をごろと空く
早苗饗の夜の蹠の熱りかな
十薬を干して海辺の駐在所
軽やかに雲動きけり夏はじめ
空に置く泰山木の一花かな
香り立つ蕗の包みの届きけり
立ち止まり又歩き出す夏遍路
初鰹半身届けてありにけり
飯食へる間にも芽の伸ぶ茶摘かな
カーネーション母の娘でありがたう
山田ヨシコ
篠原庄治
竹元抽彩
小林布佐子
大塚澄江
榛葉君江
川端慧巳
長尾喜代
坂田吉康
三浦和子


白光集
〔同人作品〕 巻頭句
白岩敏秀選

   古川松枝

風鈴屋音を上手に売つてをり
遺跡田の面影残し草を刈る
水よりも風に溺るる早苗かな
海桐の香花のあはひに海の色
古蚊帳に乳の匂ひのしたりけり

   山岸美重子

葉桜に風棲み易くなりにけり
水が水追ひかけてゆく桜桃忌
補陀落へ虹をくぐれば行けますか
蟇踏みてこころもとなきつちふまず
草笛や少女に齢問はれたる


白光秀句
白岩敏秀

風鈴屋音を上手に売つてをり 古川松枝

 風鈴は日本の夏の音。風鈴が涼しく鳴るためには程良い風が必要だ。
作者は涼しい音に誘われて、風鈴屋に立ち寄った。
風鈴はその日の風の強弱や風向きに合わせて、最適な音に鳴る場所に吊られている。風には土地の者だけに分かる微妙な動きがあるのだろう。
風によって生かされる風鈴。その風を上手に生かしている風鈴屋に作者はエールを送っているのである。
今も道行く人が涼しく鳴る風鈴をひとつ買っていった。
古蚊帳に乳の匂ひのしたりけり
手にした古蚊帳に乳の匂いを嗅いだ。それは現実の匂いではなく、「匂ひのしたりけり」の一瞬の感覚である。
懸命に子育てをした忙しくとも充実した日々と今の平穏な日々が古蚊帳に重ねられている。家族が仲良く枕を並べて寝た古い青蚊帳は今でもさりさりした感触を保っている。

葉桜に風棲み易くなりにけり 山岸美重子

風の発生源が葉桜にあるという発想に驚く。
確かに枝を広く張って天蓋のように茂った葉桜は風の棲む所には最適であり、もくもくと盛り上がる葉は風の動きのようにも思える。
「葉桜の夕べかならず風さわぐ 桂信子」の風は働いている風、掲句は休んでいる風。
しかし、作者は葉桜を住み処とした風の安息が一時であることを知っている。葉桜は桜紅葉となりやがて裸木となることをそして棲み処を失った風は木枯らしになることも……。 それらを全て知っていながら、なお「棲み易く」と今の現前を詠むのが俳人たる所以であろう。

茄子植ゑし夜の雨寝息寧らかに 古藤弘枝
 
茄子を植えて、ほっとした夜に恵みのように降ってきた雨。
雨の降る前に植え終えた安堵も加わり、快い疲れが全身を満たしている。隣で寝ている夫もやすらかな寝息を立てている。
安堵が疲れを誘い、疲れが眠気を誘っていく。眠りに落ちていく夜の静寂の中で雨音だけが残った。やらなければならないことをやり遂げた充実感に共感する。

祭来る街のうきうきしてをりぬ 萩原峯子

大通りも路地も大人も子どもも祭り一色である。作者はこれらの複数を纏めて「街の」と単数化して、祭りに浮き立つ熱気を伝えている。みごとな転換である。
擬人化は難しいと言われているが、この句は祭りを楽しむ人達の代弁者として有効に働いている。
祭りの楽しさを盛り上げる祭太鼓が鎮守の森から聞こえてきそうな句である。

一区画一反歩なり余り苗 島田愃平

一反歩とは一人の人間が一年間に食べる一石の米が取れる田の広さのこと。(現在では稲の品種改良や肥料の改良等でもっと沢山とれる)豊臣秀吉の検地は始まったという。人間を基準とした一区画一反歩であった。しかし、現在の一区画は農業機械の大きさで決まっているようだ。
掲句は一反歩に余る苗が持ち込まれたのであろう。余り苗には植えられることなく枯れていく哀れさがある。「一反歩なり」の断定には「一反歩ではない」という反語が託されていよう。

微笑みて若葉の路地を郵便夫 大澤のり子

区域の路地という路地や家族構成まですべて知っている郵便夫。いつも微笑みを絶やさない郵便屋さんである。彼の配る便りがうれしいものであれば嬉しさは倍となり、悲しいものは悲しみが半減するように思われる。
今日も会う人とにこやかに挨拶を交わしながら郵便物を配っている。若葉が美しく輝く初夏の路地である。

名札つけ朝顔の苗植ゑらるる 木村以佐

小学校の子ども達が植えた朝顔の苗である。苗には植えた子どもの名札がつけてある。これから子ども達は水遣りを受け持ち、観察記録をつける。
寂しかった花壇も毎日が子どもの元気な声で満たされ、夏休みが終わるころには大輪の花が咲いていることだろう。開花への夢のふくらむ一句である。
  
コンビニの五月の軒に研屋ゐる 中山雅子

有り余る商品を陳列するコンビニとつつましい研ぎ屋の対照がすっぱりと切り取られている。消費して使い捨ての現代にあって、一本の包丁を丁寧に研いでいる研ぎ屋に五月の明るい光りが届いている。

    その他感銘句
陽炎にまばたきをして母を消す
藍の機嫌幾たびも見る若葉かな
笑ひ声薔薇のアーチをくぐりけり
赤白帽丸洗ひして夏旺ん
タワーより新緑濃ゆき五稜郭
大凧の光の点となりにけり
青梅の指先ほどの楕円かな
算盤に競りの値を置く新茶かな
ランドセル転がつてゐる夏座敷
衣更へて嬰の寝返りはじまりぬ
三関ソノ江
柴山要作
林 浩世
飯塚比呂子
五嶋休光
辻すみよ
松本光子
大石正美
竹渕きん
竹内芳子

禁無断転載