最終更新日(updated) 2024.02.01
白魚火全国俳句大会(札幌)参加記(諸家)
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銀杏黄葉の頃                  (旭 川)小林さつき
全国俳句大会参加記               (苫小牧)野浪いずみ
令和五年度白魚火全国俳句札幌大会に参加して   (函 館)中西 芳之
白魚火全国俳句大会(札幌)に参加して      (宇都宮)松本 光子
初めての白魚火全国俳句大会           (東 京)栗原 桃子
北海道に感謝、札幌大会に感謝          (群 馬)天野 萌尖
札幌大会に参加して               (牧之原)柴田まさ江
白魚火全国俳句大会(札幌)参加記        (浜 松)宇於崎桂子
札幌大会に参加して               (磐 田)鈴木 竜川
初めての全国大会                (松 江)安部 育子
元気を取り戻せた札幌大会参加          (雲 南)中林 延子
札幌白魚火全国大会に参加して          (東広島)大江 孝子
初めての北海道記                (唐 津)内田 景子
行事部裏話 札幌大会を終えて           行事部 平間 純一
   令和6年2月号へ


銀杏黄葉の頃
(旭川) 小林さつき
 十月二十二日朝七時半、旭川白魚火の参加者五名(平間純一さん、中村公春さんは前夜から札幌)は駅に集合しました。
 特急ライラックで一路札幌へ。大会ではみんな何らかの担当があり、俳句よりそちらの方が心配でなりません。せめて少しでも札幌を見たい、歩きたいと、ホテルに荷物を置くや否や北大の植物園へ。晩秋の植物園はとても静か。落ち葉がかさりこそりと降ってきて、冬支度を急ぐ栗鼠が樹を駆け上ります。足もとには淡い紫のサフランが咲くばかり。空は気まぐれな雲が行き交い、はらはらと小雨が落ちてきたり、また日差しが戻ったり。そんな中、少しでも句材を拾おうと、オンコの実を食べてみるひと、姥百合を揺さぶって種を飛ばすひと、五感で何とか一句を…との思いでした。

 十一時、係の皆が集合してまずは顔合わせから。オール北海道で、といっても、函館や苫小牧の皆さんとはあまり会う機会もありません。でも、全国大会を成功させたい気持ちは一緒!それぞれの仕事を確認して、持ち場に散っていきました。萩原峯子さんと私は投句の入力の確認係。皆さん、読みやすいきれいな文字で投句されていて、入力係の方は達人揃い、合間におしゃべりする余裕もありました。
 そしていよいよ大会の始まりです。主宰のおっしゃった「文法を大切に」ということ。わかっているつもりでも、辞書で確かめる、歳時記で確かめることが大切、とのお話に顔が赤らむ思いでした。文法の大切さを忘れ、いつの間にか表現が御座なりになってはいなかったか…と。こうして主宰のお話が直接聞けるのも大会ならでは。また中村同人会長、三原編集長補佐のお話もこれからの白魚火の進むべき道についての示唆に富んでいたと思います。
 そして各賞の受賞者発表。峯子さんと今泉早知さんが補佐に入りました。いつもは控えめな峯子さん、今日はステージ前で堂々と。茶道の先生の早知さんは美しい所作と着物姿で大会に華を添えていたのではないでしょうか。
 六時からは懇親会です。各テーブルに先生方が一人、あとは自由ということで、初めてお会いする誌友の方々とお話しすることができました。沼澤敏美さんは写真係。総会も懇親会も句会でも、カメラを持って動き回っています。中村公春さんは司会、落ち着いた声で仕切ります。余興はすてきなアイヌの歌と踊りでした。子守唄、勇壮な刀を持っての踊り、そして可愛らしい動物に扮したもの。その頃にはすっかり会場も一体となって、踊りを楽しんでいました。また、檜林さんのギターと江別の西田美木子さんの歌も披露され、拍手喝采!アンコールの声が止まないほどでした。
 和やかなうちに札幌の夜も更けて、宴はお開きに。その後、皆さんはどんな一夜を過ごされたのでしょう。
 次の日はいよいよ句会。吉川紀子さんは句会の司会という大役に緊張しているようでした。でもその緊張を力に変える紀子さん、落ち着いたよく通る声で、進めていきます。手元に配られた作品集は、昨日パソコン係が打ち込んだもの。スクリーンに映し出される入選句の数々を見ながら、このシステムを作り上げた久保徹郎さんのご苦労を思いました。眠る時間も削ったのではないかしら…。
 そしてまた、佐藤やす美さん、小杉好恵さんの披講の素晴らしいこと!読む速さといい、聞きやすさといい、何度も何度も練習しただろうことがわかります。句会は本当にスムーズに進み、拍手また拍手でした。その陰にはすべてを仕切る平間純一さんがストップウォッチ片手に控えていたのです。
 「また来年島根でお会いしましょうね。」という言葉とともに、無事に札幌大会は終わりました。はるばる札幌に来て下さった皆さんには感謝の気持ちで一杯です。そして、大会の運営に携わったオール北海道のみんな、ありがとう!

 銀杏散る北の学府の並木かな   純 一
 チセを守り秋の終りの炉を閉づる 早 知
 道産子の毛並ふくふく冬隣    峯 子
 籾殻焼くクラーク像の指す辺り  紀 子
 見はるかす遠き国後鳥渡る    敏 美
 秋の夜の人恋しくて長電話    公 春
 人に逢ふ気後れ少し草紅葉    さつき


全国俳句大会参加記
(苫小牧) 野浪いずみ
 コロナ禍で延期が続いていた札幌での全国俳句大会が四年振りに開催されました。
 全国大会は、私は初めての参加です。大会の前に一度札幌で吟行をと思いましたがかなわず、大会当日の札幌へと向かう車の中でブツブツと句を呟き、着いて札幌の街を歩きながらあれこれと句を考え、不安ながらの一日目の投句でした。
 会場のホテルについて、投句の受付けを済ませたら、担当の方によって直ちにパソコンで入力、そして確認。本当にお疲れ様です。
 しばらくして、いよいよ総会の時間になり、何故か参列するだけの私の緊張は頂点です。が、そんな私の緊張は他所に淡々と総会は進み、様々な挨拶や報告に続いては、華やぐ各賞の表彰式でした。しかし、全体を通じて、やはり白魚火にも会員の高齢化や減少などという少し寂しい課題も見えたかの気がしました。ところが、その後の親睦会では、会場のそこここで再会を喜ぶ笑顔や声の渦。皆さん乙女でした。

 大会二日目の朝。「おはようございます!」の挨拶とともに「北海道の朝は寒いわね」と声をかけられ、早朝からの吟行で北海道の旅を楽しんでもらえているようで安心しました。
 俳句会の会場は、開会までの待機の時間も大スクリーンに秋の北海道のスライドショーが映され、楽しみました。俳句会では、同行の四人の作品が選ばれて、月一度の吟行、二度の勉強会と頑張ってきてほんとに良かった、と思いました。そして、みなさんのどの俳句も北海道のひとこまが描かれ、視点の違いがとても勉強になりました。参加してほんとうに良かったと思います。
 最後に、参加記からは逸れますが、いつかまた来道する機会があったら是非観光してみていただきたい場所を紹介します。
 この写真の建物は、今は資料館となっていますが、旧控訴院です。赤の絨毯、らせん階段、角の丸い手摺、そして法服の展示など、見方を変えるとまるでハリーポッターの世界です。
 四年越しでこの大会を準備、運営してくださった行事部の皆様、白岩主宰、先生がた、そして札幌大会に参加してくださった皆さまお世話になりました。
 来年は島根です。島根の秋楽しみです。


令和五年度白魚火全国俳句札幌大会に参加して
(函館) 中西 芳之
 白魚火全国俳句大会が、今年は札幌市で行われるとのこと。前年(二〇二二年)の五月から俳誌に投句をはじめたばかりの自分としては、場違いかなと思いながらも、道内で開催されるのであればと参加することにした。函館の参加者は総勢十五名で、「白魚火」五月号等を参照し、何度か打合せをして、札幌市内の良い吟行地を選んで、大会前日出発となった。

前日の吟行
 早朝JRにて函館から札幌へ。直前の天気予報では、悪天候が心配されたが、曇り空の下何とか駅に到着した。吟行には、森淳子代表、広瀬むつきさん、加藤拓男さん、富田倫代さん、中西芳之に加え、大会会場のホテルで山羽法子さんと合流し、六人で早速吟行に出発。根川文子さんは、親戚宅で過ごされるため、札幌駅で別行動となった。

 若きらの北の大地を秋耕す 淳 子
 秋の暮あの日と同じ大通り 文 子

 吟行組は、市内の中島公園エリアを散策した。園内にはコンサートホール「キタラ」や豊平館、八窓庵等の建造物があり、周囲に池や樹木、花壇が広がる。当日は少し遅れ気味の紅葉が色づき始めていた。

 天高し豊平館の赤き星 倫 代

 園内でひと際目を引く建物が豊平館である。正面に北海道を象徴する赤い星が飾られ、建物に使われる色は、瑠璃色(ラピスラズリ)との説明をしていただいた。残念ながら午後からは小雨が降ったりやんだりとなり、折りたたみ傘を使っての吟行となった。晴天であったなら景色の見え方も違ったと思う。

 碁盤の目の街並み滲む秋時雨 拓 男

 次は北海道立文学館に入る。同館では、北海道出身及び来道した著名な俳人の句や足跡を展示している。また、この日は、「赤羽末吉画、絵本スーホの白い馬」の原画展が行われていた。
 最後は、北海道庁旧本庁舎(赤煉瓦庁舎)まで移動した。現在は保存・耐震等のための改修工事中である。

 万丈の雲や素秋の赤煉瓦 芳 之

 行ってみると、工事用覆いの壁面に庁舎の絵が描かれている。ライトアップされた晴天の夜であれば、もっと美しい光景を見ることができたと思う。

 写し絵の煉瓦庁舎を月照らす 法 子

 小雨がさらに強まってきたので、この日の吟行は終え、ホテルに戻る。

大会一日目
 午前中は、前日見ることができなかった北大植物園で吟行の続きをする。

 紅葉濃し星女句集を傍らに むつき

 前日のメンバーから大会準備の役割がある倫代さん、法子さんは担当の業務に入った。また、早朝だったため急遽内山実知世さんが吟行に同行できた。

 いち早く桜紅葉の並木道 実知世

 植物園に入り、写真を撮るまでは良かったが、吟行を始めるとまた小雨が降ってきた。
 広大な面積があり、多様な植物が見られるにもかかわらず、三十分程度歩いたところで引き上げてきた。
 午前十一時には、北海道の各地からの参加者が集合。役割分担や連絡事項等を確認し、全国の皆様をお迎えする準備に入った。また、予定では午後零時三十分となっていた受付と第一回投句が早まるなど順調にスタートが切られた。
 函館地区からは、大会準備のため吟行には同行できなかったが、高山京子さん、工藤智子さんも参加している。

 池の面朝日返して秋気澄む 京 子
 地下街を出て秋晴の大通り 智 子

 夕方から総会、各賞の表彰が行われた。
 白岩主宰から、句作の方法についていくつかお話があった。日常気がついたことを五七五でまとめておくこと、季語は後から付け足したらよい、その場で五七五の俳句の形にまとめる、手直しは後からいくらでもできる、など。まず写生の場や生活の場面を切り取ってまとめておくことが必要と理解した。また、自分では分かっていると思っていることでも、歳時記や辞書で確認すること。これは自分でも怠ってよく失敗すると感じながら聞いた。送り仮名の話もあった。良く調べて正しい表記にしなければならないと感じた。
 夜は懇親会。北海道民ながらアイヌ文化の唄と踊りがこんなに心地良いと感じたことはなかった。楽しい時間であった。

大会二日目
 第二回出句時間の九時に会場到着。十時の句会開始まで机上に配付された第一回の投句全作品集を見ながら待つ。会場の後方には全国から来られた皆さんのキャリーバッグが並んでいる。この大会もあと少しの時間で終わるのかと思う。
 印刷された作品集が素晴らしい出来映えである。前日投句した多数の句が、その日のうちに一覧印刷され、まず選者の皆さんに渡され、選句作業に供される。さらに参加者全員分の部数が印刷、綴じ合わされて、翌日朝の俳句大会参加者の机上に配付されている。作業に係る関係者の皆さんに感謝である。投句集をみてまず思ったのは、小樽の吟行句が多く、秀逸であること。吟行先は札幌市内と思い込んでいたので、「それってありなの」とまず驚いた。句会が始まり、入選句の発表が行われた。前半、自分の句は選外であり、それも当然と油断していたら、突然特選一位との発表。さらに、別の選者さんからも特選四位と五位に選ばれていた。思いがけない評価をいただき、大変びっくりした。大会初参加で白魚火集には、二句と三句を行ったり来たりの自分としては、何とも落ち着かない気持ちで大会を終えることになった。もちろん選者の先生方には大変感謝である。ありがとうございました。
 大会を終えて、天気が良かったので札幌駅まで歩いた。
 そして、今日が吟行の日であったならと思いながら無事函館に帰ることができた。

白魚火全国俳句大会(札幌)に参加して
(宇都宮) 松本 光子
 十月二十一日、宇都宮発六時五十三分のやまびこ五十一号に乗車して、仙台ではやぶさ一号に乗り換え、津軽海峡の海底トンネルを抜けて新函館北斗に到着。さらに特急北斗九号に乗り、時雨模様の海岸線からどんよりとした海の景色を眺めつつ、北海道の大きな景に感動し、二時四十分に札幌に到着。

 おだやかな鈍色の海初しぐれ 光 子

 大会会場の京王プラザホテルに荷物を預け、タクシー二台に分乗して狸小路商店街へ。狸小路の長さと広さにびっくりしつつ、まず狸神社に参拝。昼食は、列車の中だったので、食事処を探しながらしばらく散策し、早めの夕食をおいしく頂いた。
 明けて、大会当日の午前中は、七名でタクシーを利用し、まず北海道神宮に参拝。時間の制約でゆっくりすることは出来なかったが、明治天皇の御製の傍らの紅葉がひときわ美しかった。

 御製の辺ひときは紅葉濃かりけり 光 子

 そして、北海道の開拓の歴史に思いを馳せながら神宮を後にし、丸山公園の展望台を経て旭山展望台に到着。心配していた天気も良くなり、札幌市街、札幌ドーム等を展望することが出来た。
 次はさっぽろ羊ケ丘展望台。まずクラーク博士の像のポーズを真似て記念撮影。広々とした羊ケ丘の羊の群れを想像していたのだが、全く羊はおらず、羊小屋もがらんどうで羊には会えなかった。その後、旧札幌農学校演武場の時計台を吟行。毎日担当者がぜんまいを巻くという説明を受けたが、時間がなく中に入れず残念だった。

色変へぬ松北大の時計台 光 子

 最後に北大の広大な敷地の一角の色づき始めたいちょう並木をそぞろ歩き、無事に吟行を終了。
 午後から受付、投句を済ませ、先生方や句友の皆さまとしばし歓談。
 総会、表彰式は、次第通り進められ、受賞者の方々に拍手を送り終了。
 懇親会では、アイヌの唄や踊りが披露され、意味が理解できない部分もあったが、子供のしぐさがかわいらしく、拍手喝采。また、檜林副主宰のギター演奏にびっくりしたり、楽しいひと時を過ごした。
 大会二日目の俳句大会では、白岩主宰、代表選者の作品、選句結果が披講され、入選者に拍手を送り、選評に頷き、大変勉強になった。
 最後に、大会を運営して下さった皆様には大変お世話になりありがとうございました。
 心配された天気も札幌に着くまではどんよりと時雨模様だったが、傘は一度も開くことなく、帰りには夕日が綺麗で、列車の中から月を眺めることが出来た。線路の不具合とかで、はやぶさが一時間ほど遅れたが、全員無事その日のうちに到着できた。

初めての白魚火全国俳句大会
(東京) 栗原 桃子
 令和五年十月二十一日。新千歳空港から札幌駅に向かう電車の中で、広い空と冬の気配を感じる大地を眺めながら、私は「ああ北海道に来たなあ」と実感していました。北海道函館市の出身である私は、帰省ではなく、普段から共に勉強している東京句会の方々と大会に参加するために北海道を訪れていることに、どこかワクワクする気持ちを感じていました。また、函館から参加する母(広瀬むつき)と久しぶりに会えるのも楽しみでした。
 東京句会からの大会参加者は十名で、皆別々での札幌入りでした。前日の二十日に到着していた寺田さん、原さん、橋本さん、富岡さんと、昼頃テレビ塔の下で待ち合わせをしました。札幌の地で会うのはどこか不思議な感じがしました。皆さんは、二十日は小樽に、二十一日の午前中は北海道庁や中島公園などに行ったとのことで、昼にパスタを食べながら吟行の話を楽しく聞かせてもらいました。その後、テレビ塔の展望台に上ろうということになったのですが、入場料の高さに断念し、結局三階のスカイラウンジから色づき始めた大通公園の景色を眺めることになりました。その後は、ビルに埋もれた時計台、賑やかなたぬき小路、呼び込みの声が元気な二条市場などを吟行し、その間には栃木句会の方とも偶然出会いました。同じ場所を見て、皆さんがどんな俳句をつくっているのか楽しみになりました。

 その夜は、萩原さん、岩井さん、植松さん、岡さんと合流し、翌日到着予定の大嶋さん以外の東京句会メンバー九名で懇親会(決起集会?)を行いました。地元の方に人気の居酒屋で毛ガニやほっけ、ざんぎなど北海道の名物をたくさん味わうことができました。次々と運ばれてくる徳利に少し不安を覚えながらも、皆で話し、食べ、大いに楽しみました。
 しかし楽しみすぎて、その夜はホテルの部屋で朦朧としながら俳句をまとめることになりました。
 二十二日は朝八時にホテルのロビーに集合し、歩いて北大のキャンパスに行き、クラーク像やポプラ並木を散策しました。道すがら、皆でおんこの実を食べたりして、子供の頃を思い出したりしました。前日に萩原さんたちが北大で羊を見たと言っていたので、羊を探しに行きましたが、北大はとにかく広く、地元の方に道を聞きながらやっと羊を見つけた時は嬉しかったです。総会までの間は、森先生をはじめとする函館句会の方々と交流させていただきました。皆さんとは初めてお会いしたのに、気さくに話してくださりありがたかったです。遅れて到着された東京句会の大嶋さんともここでお会いできました。初めてお会いする白岩主宰、村上先生、渥美先生にご挨拶をさせていただき、総会に向けて緊張感が高まってきました。
 総会では、主宰、中村先生のご挨拶、三原先生の白魚火社現状報告を聞き、気持ちが引き締まる思いでした。たくさんの参加者がいて、白魚火の規模の大きさを改めて実感しました。その後、各賞の授賞式となり、新鋭賞の表彰をしていただきました。皆さんの前に出るのは緊張しましたが、主宰から表彰状と「冬ぬくし」の色紙をいただき感激しました。
 懇親会では、受賞者のテーブルに着かせていただき、白魚火賞の内田さん、みづうみ賞の浅井さんとお話させていただきました。他の地域の方と交流できるのも全国大会ならではだと思いました。主宰のところにはひっきりなしに人が集まっていて、主宰がとても慕われているのがわかりました。アイヌの方の唄や語りには不思議な世界に引き込まれましたし、檜林先生と西田さんのデュオは本当に素敵でした。皆さん一体いくつの顔をもっていらっしゃるのかと驚きました。この日も大いに楽しんで、ほろ酔いで部屋に戻り、再び朦朧としながら句をまとめることになりました。

 二十二日の句会では、机の上に参加者の句がまとめられていて、とても見やすかったです。同じ場所を吟行しても、それぞれの感じ方や表現があるのが面白いと思い、全ての俳句にじっくり目を通しました。他の方の句に触発されて、また句を作りたくなりました。
 選句の発表が始まり、前方のスクリーンに自分の句が思いがけず入選句や特選句で選ばれた時は、驚きと共にとても嬉しかったです。東京句会の方々の句はたくさん選ばれており、同じように嬉しくなりました。私の選ばれた句が、テレビ塔の句だったので「昨日やはり展望台に上っておけば良かったかな」と少しテレビ塔に申し訳なく思いました。
 次回の大会開催地の島根は白魚火創刊の地とのことで、来年もぜひ参加したいという気持ちが強くなりました。懇親会での金田先生のご挨拶の通り、送り出してくれた家族がいて、現地に来られる自分の健康があって、運営をしてくれる方々がいて初めて全国大会に参加できるのだということを改めて感じました。あらゆることが当たり前ではないということを心に留め、たくさんの人達との出会いに感謝し、これからも俳句に取り組んでいきたいと思いました。運営に携わっていただいた皆様に心より感謝致します。
 最後に、全国大会に参加した東京句会の方々の句から、私の好きな一句を僭越ながら選ばせていただきました。札幌の思い出がありありと蘇ってきます。

 時計台の鐘の音一つ秋惜しむ   岩井 秀明
 北の幸囲み句友とぬくめ酒    植松 信一
 黄落や昔も一人時計台に     大嶋惠美子
 キャンパスの隅に農具舎蔦紅葉  岡  弘文
 道庁につまむ一位の実のまつ赤  寺田佳代子
 遠山に秋の初雪羊群れ      富岡のり子
 北大の圃場に拾ふ落穂かな    萩原 一志
 実の揺れて雀飛び出すおんこかな 橋本 晶子
 ななかまどかつこうと鳴く信号機 原 美香子
 秋の雲引つ掛けてゐるテレビ塔  栗原 桃子

北海道に感謝、札幌大会に感謝
(群馬) 天野 萌尖
 この度の札幌全国大会へは群馬は六名にて参加。半年前から準備を始めて吟行地、宿泊地、歴史などを調べて企画会議を重ねた結果、前回までは前泊での参加をしていましたが、北海道は広い、大きい。前泊では時間が足りず、前々泊にて出発することとし、北海道の大自然、温泉、歴史、グルメを充分に楽しんで吟行をすることができました。
 出発の一週間前からは天気が気になって、週間予報で確認する度に、「晴れ!」「曇りっ?」「えっ、雨?」と、参加者の間で一喜一憂をしながらラインのやり取りをしていました。
 当日、一同勇んで出発。新千歳空港に到着すると、雲は厚く雨模様でしたが、北海道の雄大さに大満足して一日目の目的地支笏湖に向かいました。
 蝦夷鹿を見つけては歓声を上げてスマホを向けていました。運転手さんに「たまにはヒグマも見るよ」と言われた時には、群馬でも熊の被害は拡大されているので、今回は「熊」とは会いたくないなと思いました。
 次第に雨足が激しくなってきたので、支笏湖温泉でのんびり温泉に入り、地酒と新鮮な海産物に舌鼓を打ち、北海道一日目の夜を堪能しました。

 蝦夷の屋根旭連山雪催ふ  庄 治
 行く秋や翼の先に北の街  百合子
 霧の宿薪の木口の幾何模様 耕 筰
 露天湯の本音の話神の留守 美名代

 二日目は晴天。支笏湖は、「支笏湖ブルー」と言われる程透明度が高く、水深は秋田県田沢湖に次ぐ最大水深三百六十三m。天気が良いので、恵庭岳はじめ湖畔の山々を美しく映し、どこまでも透明に澄んだブルーが神秘的な支笏湖でさっそく吟行を始めました。

 支笏湖の霧の深きを恐れけり  庄 治
 空深く湖深く秋惜しみけり   百合子
 支笏湖の水面に紅葉カヌーゆく 定 由
 鹿鳴くや支笏湖ブルー透き通る 耕 筰
 秋澄めり指をくすぐるささら波 美名代

 支笏湖から運河と坂とレトロの街、小樽へ移動して「にしん御殿」旧青山家別邸を訪ねました。明治、大正期ににしん漁で巨万の富を築いた青山家が、出羽酒田の大豪商「本間家」に魅せられて財を尽くし、六年の歳月をかけて建設した別邸、大御殿です。客用大玄関、豪華絢爛の客間、百畳敷の大座敷、そして浴室、洗面所、トイレに至るまで贅の限りが尽くされて驚きの連続です。白玉石を敷き詰めた庭は、夏でも「雪景色」に見立てられ、昇り龍に例えられた松を配し、その先には鰊の群れで銀色に光り輝いていた大海原が見渡せたそうです。

 ななかまど山の化身となり燃ゆる 庄 治
 まほろばの輝く蝦夷のななかまど 定 由
 熊笹を騒がせ渡る秋の風     耕 筰

 青山本邸(御殿)は海岸近くにありますが、九月の豪雨により土砂崩れの危険があるため、今年度は見学は中止されていて残念でした。
 小樽市街地に移動の際に、壁面に「古代の文字」が刻まれているという手宮洞窟を左手に見ました。東京ロマンチカ「小樽のひとよ」、北原ミレイ「石狩挽歌」の歌詞に出てくる「古代の文字」とはいったい何のこと?と長い間の疑問でしたが、およそ千六百年前に古代人が手宮洞窟に刻んだ彫刻が古代文字と言われて今日に伝承されていることを知りました。これで「石狩挽歌」「小樽のひとよ」を納得して、小樽を思い浮かべて聞くこと、歌うことが出来ます。
 小樽運河では遊覧船観光を楽しみにしていましたが、天気の急変で欠航になっていました。本当に残念でした。支笏湖遊覧船も雨天欠航で、今回は遊覧船には振られてばかりでした。小樽運河、レンガ倉庫群、レトロな建築物を吟行していると、運河から海へ虹がかかりました。とても幻想的な光景にしばらく見とれていました。

 水尾曳ける運河に釣瓶落しかな 百合子
 白萩のしだれ枝垂れ古き寺   定 由
 句を拾ふ小樽運河の秋の虹   美名代

 二泊目は小樽に宿を取り、夕食は海鮮居酒屋にて新鮮な魚貝のお刺身に地元料理にと地酒が進み、小樽の夜に酔いしれました。
 三日目は曇天。余市ニッカウヰスキーの見学コースを予約していましたが、前日の夕食で地酒が進むうちにニッカウヰスキーの魅力には引かれるものの、札幌を見たい!にしん番屋が見たい!ということになりました。そこで予定を変更し、札幌へと向かい、大会会場に荷物を置き、小樽青山家のにしん番屋が保存されている北海道開拓の村へ行きました。
 北海道開拓の村は、開拓期から明治、大正、昭和初期に北海道内に建築された歴史的な建物を移築管理されている歴史野外博物館です。旧札幌駅舎、赤い星(開拓使章)を戴いた北海道開拓使本庁舎に迎えられて吟行をしました。レンガ造りの旧札幌市内交番では、カイザー髭をたくわえたおまわりさんに、「悪いことしていませんか」と聞かれて、笑顔で敬礼してくれました。私たちも笑顔でおじぎして記念写真を撮りました。

 お巡りさんエヘンと髭撫で秋うらら 萌 尖

 青山家にしん番屋。にしん漁のために雇われ、集まった男衆をヤン衆と呼び、寝食をした家屋を「ヤン衆番屋」と言い、食事の世話などで働く男勝りの女衆も雇われて、当時は「食う」「寝る」「飲む」「打つ」と、にしん大漁で景気が良く活気にあふれていたとのこと。

 飲み打ちてヤン衆番屋今朝の冬 萌 尖

 建物群の中には、旧北海道帝国大学予科寮も移築されていて、明治、大正、昭和の学生の日常生活を垣間見ることが出来ました。寮内では有名な寮歌「都ぞ弥生」が高らかに流れていました。「都ぞ弥生」は、旧東京帝国大学前身の第一高等学校寮歌「ああ玉杯に」、旧京都帝国大学前身の第三高等学校寮歌「紅(くれない)もゆる」とともに日本三大寮歌と言われて今も歌い継がれています。

 都ぞ弥生寮歌流るる秋高し 萌 尖

 天気には恵まれなかったにもかかわらず、北海道の大自然、温泉、グルメ、地酒、歴史を充分に楽しみ、各自が思い思いの句を詠むことが出来ました。大会運営にご尽力されたみなさまに心より感謝と御礼申し上げます。
 次回、松江大会を楽しみにしています。


札幌大会に参加して
(牧之原) 柴田まさ江
 静岡白魚火会にとって令和五年は大変悲しい出来事がありました。長年にわたり御指導いただいた鈴木三都夫先生の突然の御逝去に私たち会員は呆然としてしまいました。今、小村絹子会長や役員の方々のおかげで前進しつつあります。
 今回の全国大会には二泊が二名、一泊が四名、親戚のところに泊まる人が一名、計七名の参加となりました。私は一泊組で、地元の静岡空港を大会当日朝九時半出発し、札幌丘珠空港へは二時間後の到着でした。空港よりタクシーで大会のホテルへ直行し、すぐ大会受付、投句受付を済ませ、ランチとなりやっとほっとしました。結局、吟行もできないまま総会へと臨みました。
 総会での主宰の挨拶のなかで、「俳句を作るとき、絵になるような句を作ると良い」とのお話があり、私もさっそく実践してみようと思いました。総会に続いて、懇親会に入り、そこで披露されたアイヌの御家族の子守歌や舞踊に魅了されてしまいました。また、私の隣席が旭川の方で、長野県伊那市に実家があり、静岡に近いということから、私たち静岡の者の会話を懐かしがられて話が盛り上がり、とても楽しい一時を過ごしました。
 大会二日目は、いよいよ俳句大会の開催で、会場は緊張に包まれました。北海道を詠まれた佳句が沢山出句されており、圧倒されました。私にとって、大スクリーンへの特選句、入選句の投影は初めての経験で、スマートで楽しく鑑賞することができ、また、とても分かり易かったと思いました。行事部の皆様や開催地の皆様の並々ならぬ努力が窺われ、感謝の気持ちで一杯でした。
 万歳三唱を最後に無事に大会が閉会し、私たちは帰りの飛行機搭乗までの時間を使って、札幌市内巡りをすることにしました。観光タクシーに乗り込み、まずは札幌ラーメンで腹ごしらえ、続いて時計台へ。ちょうど三時で、時報の鐘の音をしみじみと聞くことができました。時計台の傍らにある一本の一位の木に出会いました。静岡ではあまり見られない木で、真っ赤な実に触れ、口に含むと甘さが広がり、童心に戻った気分になりました。
 今回の大会に思い切って参加して本当に良かったと思います。そして、無事に大会を終えられたことに感謝し、また、大会開催に御尽力いただいた皆様に厚く御礼申し上げます。


 白魚火全国俳句大会(札幌)参加記
(浜松) 宇於崎桂子
 私達円坐Bとその仲間八人は、浜松白魚火会で企画してくださった「白魚火会二〇二三北海道合宿旅行」に参加させて頂き、全国大会の前日の十月二十一日の朝、浜松からバスに乗り出発した。富士山静岡空港から丘珠空港へ向かう飛行機に乗り込む。好天のおかげで空港でも富士山は見えていたが、飛び立ってしばらくして、雲の上に頭を出している富士山も拝むことができた。最初右側の窓に見えていたのが、旋回するにつれ左側からも望むことが出来、山頂の火口も見えた。

 秋晴の富士の火口を下に見る 前田里美

 丘珠空港へは定刻の十一時十五分に無事到着した。バスに乗り換え、当日の吟行地である小樽へと向かう。北の漁場おたる運河店で海鮮丼の昼食をいただく。続いて運河を散策する。ガス灯に鷗が置き物のように止まっていた。

 ガス灯に一羽のかもめ秋深し 市野惠子

 石造りの倉庫の中の小樽ビールの醸造所に立ち寄る。二階から仕込釜、発酵樽を見学する。疲れを感じたので北一硝子の喫茶店による。テーブルにランプの置いてある落ち着いた雰囲気の良い店で、壁全体が棚になっていてガラス器が展示してある。初めのうちはおしゃべりに夢中になっていたけれど、俳句作りに専念する。
当初は運河クルーズを予定していたが、天気が安定していなくて欠航するかもしれないとのことで、あきらめて居酒屋へ行く。お店の人のおすすめで縞𩸽しまほっけと八角を頼む。八角は初めてで体に何本かの刺が筋状にあり、強面の魚だった。飲み食いしている間もしゃべって笑って、楽しい時間があっという間に過ぎる。

 運河に灯ともり小樽の秋行きぬ 林  浩世
 ガス灯の揺るる夜寒の運河かな 宇於崎桂子

 小樽駅へ午後七時頃到着する。ランプが駅全体に飾ってある。石原裕次郎の等身大のパネルがホームにあり、写真を撮る。

 行く秋の小樽駅舎にランプの火 中村喜久子

 八時過ぎに札幌駅に着き、当日の予定を無事終える。
 二十二日は朝六時半から北海道大学へ。構内をランニングしている人とよくすれ違う。木々の紅葉はまだ途中だったけれど、銀杏の実はたわわになっていた。クラーク像の前で皆で写真を撮る。

 少年よ大志をいだけ霜の声 松下加り子

 朝食を食べ、九時にバスガイドさんの説明を聞きつつ、北海道大学、札幌テレビ塔、大通り公園を車窓から眺め、白い恋人パークへ行く。おとぎの国の様な建物に魅了され、お土産をたっぷりと買う。
 十二時半、全国大会の受付、出句を済ます。総会まで時間があるので、札幌時計台へ行き、二階が札幌農学校の演武場だったことを知る。

 小鳥来るローマ数字の時計塔 青木いく代

 次に大通り公園をゆっくり歩く。ポプラ、樅の木、欅、一位の木などの大きさに圧倒される。

 黄落のポプラ並木や空無辺 榛葉 君江

 約百五十人参加の総会が始まる。主宰の挨拶、同人会長の挨拶、白魚火社現状報告の後、各賞受賞者の表彰が行われる。受賞者代表の謝辞があり、閉会の辞にてつつがなく式典が終了する。続いて楽しみにしていた懇親会。北見の金田野歩女さんと栃木から参加された方々と同席する。お互い自己紹介をし、すぐに打ち解け、話が弾む。アイヌのユーカラと踊りに引きつけられた。大会二日目の朝もイクラ、帆立、鮪などの海の幸をたっぷりのせた海鮮丼をしっかりと食べ、札幌駅周辺を散歩する。早めに出句を済ませ、席を確保する。昨日同席した栃木の方々が偶然にも隣の席に座られたので、縁があった事を喜び合う。俳句大会は、スムーズに進行し、予定より早く全国大会は終了した。
 札幌開催が決まってから、突如発生したコロナウイルス感染拡大の影響で延び延びとなり、四年目にしてようやく開催に至った北海道の方々の思いが伝わる素晴らしい大会だった。
 帰りの飛行機に乗る前に、札幌場外市場で遅めの昼食をとる為、八人で食堂へ。人数が多くて食材が足らぬというので、海胆、帆立、蟹の三色丼の小を仲よく食べ、おしゃべりに夢中になる。こうして私達の北海道合宿旅行は、よく歩き、俳句を作り、楽しく終わった。皆様ありがとう。

札幌大会に参加して
(磐田) 鈴木 竜川
 札幌大会に参加するため、浜松駅前に朝六時三十分に集合。あらかじめタクシーを予約して駅に向かう。浜松白魚火の会員三十六名、時間どおりにバスに乗り込み、一路静岡空港へと向かう。富士山静岡空港と名付けられたとおり、富士山が堂々と正面に聳え、昨日の冷え込みで初冠雪となっている。
 飛行機は地元老舗企業の経営の、富士ドリームエアラインだ。ピンクのかわいい機体に乗り込む。一同初冠雪の富士山を真下に眺める。私は横山大観の絵を思い出した。雲海に浮かぶ富士はまさに絶景であった。

 飛行機の舷梯低し秋まひる  清 隆
 富士高し雲たかくして天高し 正 泰

 札幌丘珠空港に着き、またバスに乗り小樽へと向かう。小樽では会員三々五々吟行に、観光にと街中に散った。私たちは目玉となる小樽運河に少々時間をかけて吟行した。ななかまどの赤がまぶしく、倉庫を登る蔦かえでの緋も心に残る。

 秋時雨小樽運河の倉庫群 育 子

 旧手宮線の散策路では、三原白鴉さん御一行とばったりお会いして、ご挨拶させていただき、写真を撮り合ったり、楽しく交流させていただいた。日本銀行旧小樽支店では元銀行員の句友とともに、子供の頃使った紙幣に感激、思い出話に花を咲かせた。奥へ進むと重そうな金庫扉があり、その奥に数億円の山(模造)がありました。そこで一億円の重さを皆で体験し、盛り上がった。
 次は札幌に戻り、北大を見学する。広いキャンパスに環境の良さを実感する。特に銀杏並木は壮観で、丁度黄葉の真っ盛り、多くの人が行き交っていた。記憶にも写真にもしっかり収める。

 少年よ大志をいだけ霜の声 加り子

 札幌の夕食は地下街をぶらぶらする。名物のスープカレーと決めて店に入る。予想を超えるおいしさに顔を見合わす。店員さんに「浜松にも店を出して」と声をかける。

大会初日
 大会初日午前中はバスにて市内観光に出かける。車窓から有名な時計台。大通公園、北大などを見て、白い恋人パークを見学した。からくり時計の時報に、みやげの選定にと忙しい一時でした。

 先人の夢継ぎ合うて蔦錦 弘 子

 大会会場では、栃木の加茂都紀女さん、呉の大隈ひろみさん、江田島の三浦マリ子さん、北海道の石田千穂さん、佐藤琴美さんと同じテーブルにつく。それぞれにお国紹介や近況を語り合う。私は「竜川」という俳号のいきさつなど悉に話した。
 クラーク像の指差す先の紅葉山 千 穂
 札幌へイランカラプテ走り蕎麦 琴 美

 懇親会は北海道の会員の歓待に一層和やかなものとなった。
 宴もたけなわ、檜林副主宰のギターと西田美木子さんの歌が始まり、なつかしい「誰もいない海」などの熱唱に聴き入る。

大会二日目
 私は早朝ホテルを抜け出して、市街地をぶらぶらする。道庁は本物と見紛う絵がかけられており、耐震改修中であった。完成は二〇二五年と記されてあった。

 札幌のホテル九階冬隣 誠

 俳句大会では大型スクリーンに映し出される時計台など、改めて北海道のすばらしさを感じる。特選句、入選句の発表では、あらかじめ入選句集が用意されていたため、じっくりと鑑賞することができた。白岩主宰のお話、諸先生の選評、心にとめてこれからの句作に努めたいと思う。
 大会後は、札幌場外市場に向かった。市場では生簀の帆立貝、鱈場蟹の大きさに驚き、昼食、買物をすませ帰路につきました。
 大会の運営に当たって下さった皆々様のご尽力に感謝申し上げます。ありがとうございました。

初めての全国大会
(松江) 安部 育子
 十月二十一日から二泊三日の俳句の旅、緊張と期待と不安と様々な思いの旅でした。
 吟行句会の経験のない無謀な参加を決め、ご一緒する方々にご迷惑をお掛けするのではと悩みました。「誰しも初めてはあるので。」という先輩の言葉に勇気を貰い、決意を新たに参加させていただきました。
 大会前日の二十一日早朝、島根の参加者二十一名は、出雲縁結び空港から羽田空港へ、飛行機を乗り継いで新千歳空港に降り立ちました。三時間余りの空の旅でした。心配していた天気も想像以上に穏やかで、機窓から富士山も見ることが出来ました。
 ここからはバス移動、最初の吟行予定地の小樽運河へ向かいました。車中で昼食を済ませ、雲南の妹尾さんの素敵な計らいで、北の地の歌謡曲を皆で歌いながら、和やかに到着しました。
 小樽運河では美しいななかまどの実、運河沿いの白壁の蔦紅葉、どこか異国情緒漂うガス灯、ガラス館等晩秋の北の地はゆったりとしていました。日頃お会いしない方々とご一緒させて頂き、普段通りとならず、戸惑いながら吟行を終え、予定の時間にバスに戻ることができました。車窓から日暮れの街あかりを見ながら札幌の宿泊ホテルに到着しました。
 チェックインを終え、揃って狸小路の吟行へと向かい、終了後は島根から参加の皆様と親睦を兼ねて賑やかな狸小路で北の魚貝料理を堪能することができ、大満足の夕食でした。長年に渡って活動されている先輩方に元気をもらいながら大会前日の日程をこなしてホテルに帰り、翌日出句する句の推敲をしながら爆睡してしまいました。
 明けて、大会初日、札幌の吟行地の北海道大学、時計台、大通公園、中島公園を雲南の中林さん、妹尾さん、松江の酒井さんの四人でタクシー移動しました。北大の広大なキャンパスで銀杏並木を歩き、時計台では百年続く時報を聞くことができました。大通公園ではテレビ塔を仰ぎ、中島公園では美しい和風庭園、茶室八窓庵、豊平館、鮮やかな木々の紅葉する中を歩き、心が洗われた吟行でした。が、その間句帳の書き込みもままならず、推敲も進まず時間が過ぎて、大会会場へと移動しました。

 大会会場では早々に受付出句を済ませ、各々が昼食を取り、大会開会を待ちました。待ち時間が長く、句の推敲を考えていましたが、何か落ち着かず、ここでも普段通りとはいかずに初めて参加する大会の雰囲気に戸惑うばかりでした。
 総会、式典では各賞の受賞の方々に大きな拍手を送り、白魚火賞の内田景子さんの代表謝辞の清々しさに感動でした。
 親睦会は白光集選者の村上尚子先生と同じテーブルとなり、すぐ隣りのテーブルには白岩主宰がいらして緊張しきりでした。それでも勇気を出して挨拶をさせていただき、温かいお言葉をお二人からいただき感激しました。同席の稗田秋美さんからの福岡のお土産にほっこりし、緊張も和らぎました。また、鳥雲集大石ひろ女さんとも同席できて感激でした。出雲の渡部美知子先生から白岩主宰や金田野歩女先生を紹介いただき、松江句会の話もでき、有意義な時間となりました。
 この間にステージでは先住民族アイヌ親子四人の民族舞踊と朗々とした固有の言語の歌声が響き渡り、家族の強い絆と兄妹の可愛らしいしぐさに癒されました。また檜林副主宰の素敵なパフォーマンス等々温かな集いでした。令和六年度開催地島根松江の発表もありました。
 大会二日目、全国から参加の一四五名による第一回出句の特選、入選の句が大画面のモニターに次々映し出され、同時に披講される感性豊かな秀句に感動しきりでした。その中に島根の方々の特選入選もあり、喜びと共に大いに刺激を受けました。各先生方の選評もあり、白岩主宰による日本語は平仮名、外国語はカタカナ、和語を使い、日常の詩を季語に語らせるとの言葉に、今後の句作の向き合い方を学ぶことが出来ました。

 今回の経験をふまえて、今後皆様と楽しみながら自分らしく学びを深めていきたいと思います。
 今大会をお世話いただいた行事部の皆様、白岩主宰はじめ先生方、北海道の皆様に心からお礼を申し上げます。ありがとうございました。
 来年は島根松江大会でお会いできることを楽しみにお待ちしています。

元気を取り戻せた札幌大会参加
(雲南) 中林 延子
 今年の全国大会は札幌で開催。私は、米寿の体力ではとても参加できないと思っていました。雲南地区の句友は、老齢で足腰の不調を訴えたり、いろいろな事情で参加は無理という人ばかりでした。参加希望者は、妹尾福子(私の従姉の娘)ただ一人だけと知り、私は老骨に鞭打って行くことに決めました。それからは毎日歩く練習や散歩をして参加に備えました。
 十月二十一日早朝、出雲縁結び空港に集合。島根から参加の二十一名の皆様と共に一番機で羽田へ向かい、乗り継ぎの後、新千歳空港に十二時半頃到着。直ぐに貸切バスで吟行地の小樽に向けて出発しました。小樽へ近づくにつれて雑木紅葉が美しく、北海道らしい白い家並が印象的でした。
 小樽での吟行は、小樽運河に架かる浅草橋で記念写真を撮った後は、各自行きたい所へ自由に行くことになり、最初は小樽運河の散策路を歩きました。倉庫群の壁の蔦紅葉が水面に映え、美しい絵のようでした。

 晴れ渡る小樽運河に映る秋 福 子

 次に小樽駅に行き、駅舎の壁いっぱいに吊り下げられた数多のランプやステンドグラスの美しさに見惚れました。駅で、同行の皆さんと別れ、原和子先生と妹尾と私は、北一ヴェネツィア美術館ミュージアムショップに行き、沢山の素敵なガラス工芸品を見ました。ガラスペンの試筆コーナーがあり、誰もが試筆してペンの感触と書き具合を味わっていました。

 秋麗や試し書きするガラスペン 福 子

 他に回る時間的ゆとりもなく、雨も降り出してきたので、私達はタクシーで集合場所に帰着。みんな揃ったところで、札幌に向かって貸切バスで出発。車内で懇親会で歌おうと歌唱練習もしたりしながら、一時間ばかりで札幌市内へ。

 短い秋の日に寒さも加わり、札幌に到着した時はすっかり暗くなっていました。ホテルでチェックインを済ませ、吟行を兼ねた夕食会場のある狸小路商店街へと移動。商店街を見て回った後、北海道の海鮮料理と美酒を味わい、大満足で一日目を終了。

 肌寒の狸小路は賑はへり 延 子

 翌大会初日の午前中は、札幌市内吟行。各自タクシーに分乗し、最初に北海道大学へ行きました。農学部の森の中に新渡戸稲造胸像があり、明治初期の開拓時代に日本の未来を描き、情熱を傾けて働いた人々のことに思いを馳せながら歩きました。広い構内を巡り、大木を仰ぐとき樹皮の厚さに驚きました。銀杏並木の黄葉が美しく、落ちた木の実の多さにもびっくりしました。構内の静けさと広さに改めて北海道の歴史を感じました。

 銀杏散る風に色あり匂ひあり 福 子

 次の時計台へ到着したのは、午前八時半過ぎ。九時の鐘が鳴り終わった後、時計の時刻調整、捩子の巻上げの説明があると聞き、二階へ。日本最古の振り子式塔時計の仕組みを見て、この時計を守り続けている人に心を打たれました。二階奥の壇上にベンチに腰掛けたクラーク像があり、その隣に座ってその付近にいた数人で記念撮影をしました。

 次に向かった大通公園では、テレビ塔に向かってそぞろ歩きをし、街路に舞い散る紅葉の美しい一葉を拾い、句帳に挿む人もいたり、ビルの窓にテレビ塔が映って輝く様子に思わず声をあげたりしました。
 続いて、吟行の最後の中島公園へ。大都会の中なのに閑静で自然美にあふれた和風庭園でした。その中に建つ豊平館は、明治の木造洋風建築で、国の重要文化財であり、趣のある建物でした。隣には小堀遠州ゆかりの茶室「八窓庵」があり、その周囲を一巡して、その昔躙り口から入退席する武士の姿を思い描きました。園内の紅葉の美しさに目を奪われ、癒しを感じるひと時でした。

 うす紅葉小堀遠州しのぶ庵 延 子

 午前中の吟行を終えて、少し早めに大会会場の「京王プラザホテル札幌」へ移動。会場へ到着するのが早すぎたのか、人影が見えず、少し待っていると、やがて白岩先生、村上先生、弓場先生がお見えになりました。ご挨拶をし、久しぶりにお目にかかれたことを嬉しく思いました。
 十二時半過ぎに受付と出句を済ませました。受付の処で田口先生に久しぶりにお会いしたことも嬉しいことでした。出句も受付も終わり、後は開会を待つばかりで、有り余る時間を持て余すようでした。私達は会場の二階ロビーで島根から参加の方と雑談しながら待つことにしました。そして、新しい参加者と親しく句縁をいただくことができました。
 十六時三十分、白魚火全国俳句大会の開会です。弓場先生の開会の辞に始まり、各先生方のご挨拶、白魚火社現状報告、各賞受賞者表彰、受賞者代表謝辞などあり、総会は滞りなく終わりました。
 懇親会は、北海道ならではの趣向に満ちたものでした。アトラクションは、檜林先生のギター演奏から始まり、メイン・イベントはアイヌの歌と踊りでした。アイヌの歌には、言葉では表現できないような霊力を感じました。男性の踊りは迫力があり、アイヌの衣装も美しく全てに感動しました。家族四人総出の歌と踊りに惹きつけられ、殊に小学生の女児の踊りには抱きしめたくなるほどの愛おしさを感じました。

 秋の夜のアイヌの神に祈る歌舞 延 子

 盛会のうちに懇親会は終了。ホテルに帰り、翌日出句の三句を投句用紙に書き、就寝しました。
 大会二日目。いよいよ俳句大会です。前日に投句した三句は、既に作品集に印刷されて机上に置いてありました。昨年と同じく披講に併せて会場の大スクリーン上に入選句、特選句が映し出され、感動して味わうことができました。後で入選句集も頂きました。先生方の選評とご指導があり、特に白岩先生のご指導の、①吟行句は、吟行地で作り、その場で五七五にまとめる、②他人に分かる句を作る、③絵になる句に、具体が大事、の三点は強く心に残りました。
 ややもすれば自分の句作が説明や概念的なものになり易いことを反省し、この三点に留意しなければならぬと痛感しました。この大会で良い刺激を頂き、大変勉強になりました。
 米寿の体調を心配しながらの大会参加でしたが、お蔭様で皆様と共に楽しく歩くことができ、元気を取り戻すことができたことに感謝しています。
 大会役員及び関係者の皆様に心よりお礼を申し上げます。

 札幌白魚火全国大会に参加して 
(東広島) 大江 孝子
 令和五年度札幌白魚火全国大会は、決定された時から参加したいと思っていました。北海道の旅は、三十年ぶりというチャンス到来です。
 そして、全国大会への参加は鳥取大会以来二回目です。
 現在、私は月二回開催されているリモート句会で学んでいます。今回是非ともそのリモート句会の皆様にお会いしたく思い参加しました。
 広島地区からは、それぞれ行く日時は少し違いますが、総勢九名の参加となりました。

 金秋の北の大地へ機首回す ひろみ
 着陸の蝦夷や色なき風の中 美 鈴

 広島空港から新千歳空港へは、直行便があり、二時間のフライトでした。降り立った千歳市は快晴です。
 新千歳駅近くで三原白鴉さんはじめ島根の皆様にお会いし、早速挨拶を交わしました。
 少し大会参加の実感が湧いてきました。
 小樽方面へ向かうという島根の人たちとここで別れて、私たちは北海道の真っ直ぐな道をシャトルバスで一路ノーザンホースパークへ。空は快晴です。
 かつての最強の競走馬ディープインパクトの母馬がゆっくり草を食んでいました。
 人と触れ合う現役引退の馬の大きな眼は、とても優しそうでした。そして、白馬のポニーは子供たちに人気です。帰りの車窓から家並に煙突がみえました。屋根の雪を自然に溶かしてゆくためなのですね。苫小牧の広大な牧場を満喫しました。
 次に碁盤の目のように整備された札幌の街を、美穂さんに先導されて歩きながら、時に立ち止まり、五句、七句のメモをしていました。大通公園では、蕎麦祭りのスタッフへ智枝子さんが「雪まつりは何処でされるのですか」とたずねられると、「雪像制作すると大へん重くなるので、地下鉄の上は除くことになっております」と答えてくださいました。お花もたくさん咲いていて、噴水も吹上げていて普段より一層公園を楽しむことができました。通りは五つのゾーンに分けられ、九十種の樹木に囲まれて記念の碑が多くありました。歴史的な碑、啄木像と歌碑に、皆で足を止めて歌碑をよみました。

 黄葉して北の都は碁盤の目 マリ子

 ジンギスカン鍋を囲み、夜景を楽しまれた方の健脚に乾杯です。
 翌日は北海道大学へ。大学は会場近くにありました。
 緑豊かな構内には、歴史的建造物があり厳かな気分で散策していました。構内の大樹は、勢い良くどっしりと枝を広げています。豊平川扇状地の北端に位置し、そのほとんどを北大構内を流れ、かつてはサケが遡上していたサクシュコトニ川。現在は人口流水だそうです。「エルムの木」の札を読みながら、鳥の声を聞きながら構内を歩きました。豊かな大地を更に改良された歴史を巡り、北大生へエールを贈りたいと思いました。

 北大の団栗拾ひ秋惜しむ     弘 子
 キャンパスの森うつさうと秋の暮 智枝子

 構内に針葉樹の多いこと、赤い実を沢山付けていることなど、普段目にすることのない新鮮な景です。一位の赤い実を子どものように食しました。

 もうひとつ含みて甘きおんこの実 美 穂

 小樽方面に足を運ばれた方もおられました。運河の景は何時か是非たずねてみたいものです。今回、久保さんの句にその雰囲気を味わうことが出来ました。

 運河語る車夫の目澄めり秋時雨 徹 郎

 北大吟行を終えると、いよいよ大会初日、受付を終えると初日の三句投句です。少し緊張しました。田口耕さんが受けてくださいました。投句を終えて、ほっとして昼食へ。海の幸です。
 そしていよいよ総会、表彰式の開会です。
 行事部の弓場さんの「今年度は六名の方がお亡くなりになりました。黙禱を捧げましょう」と会場皆で黙禱を致しました。そして四年前に計画されていた札幌大会は、「待ちに待った大会」と述べられ、開会されました。本当に頭が下がります。
 会場をやさしく包むように、主宰のあたたかい挨拶がありました。中村会長の挨拶では、「白魚火」の、揺るぎない土壌をつくっていくことが、大切なこと、と話して下さいました。続いて三原編集長補佐の現状報告があり、中で最も重要な課題として、「新会員を増やしていくこと」が伝えられました。
 続いて、白魚火賞、新鋭賞、みづうみ賞の表彰式です。
 授賞式での主宰の祝辞は、【足もてつくる】を良く理解され、そして「主張」「品格」がある句をこれからも目指してくださいと言葉を贈られました。受賞者を代表して謝辞を述べられた内田景子さんは「自分史を築いて」と話されて、会場の皆で拍手を贈りました。
 また、主宰は作句について、皆に解る句、意味がある句、絵になる句、人に通ずる句を指針にと、ご教示くださいました。
 そうして大会は、檜林副主宰の閉会の辞により和やかなうちに終了されました。
 続く懇親会は、地元北海道の金田野歩女さんの歓迎挨拶、主宰の挨拶と続き、柴山要作さんの「葡萄の美酒夜光の杯」の乾杯の音頭で開宴となりました。アイヌの親子の方の歌と踊りも素晴らしく、そして何よりもたくさんの皆様にお会い出来て本当に楽しい時間でした。

 アイヌ語のゆかしき調べ秋惜しむ 久美子

 大会二日目は、昨日皆が投句した句の代表選者による選句結果発表です。数々の即吟の素晴らしい句を学びました。
 吉田美鈴さんの句が特選一位に選ばれ、短冊を授与されました。

 秋麗や一歩踏み出すクラーク像 美 鈴

 こうして振り返ってみると、大会申し込みをし、萩原一志さんの白い封筒を頂いてから、万歳で会場を後にするまでずっとワクワクし、皆さんと一緒に居たような気がします。そんな楽しい札幌大会でした。
 そして、北の大地で眺めたポプラは印象的でした。

 名画めく冬の大地のポプラかな 孝 子

 北海道の皆様、関係者の皆様本当にありがとうございました。

初めての北海道記
(唐津) 内田 景子
 今回の全国大会は、平成二十四年十一月に参加した日光大会以来十一年振り、二回目の参加でした。
 佐賀県白魚火会からは、小浜史都女先生を中心に、大石ひろ女、稗田秋美さん、私の四名での参加。旅慣れたお三方にすべてお任せして、後をついていくのみでした。
 ここ十年間は諸事情で、遠方や外泊を伴う外出はできなかったため、出かけるのがすっかり億劫になっており、参加の気持ちが固まらず日にちだけが過ぎていきました。が、北海道へは行ったことがなく、行ける時に行っておかないと・・・と、全てに「時」があると思い直し、参加の決意をしました。

十月二十日
 自宅を朝七時半に出発し、新千歳空港へは午後一時半に到着、札幌へ。
 札幌駅の中心部はオフィスビル、デパート、高層タワーマンションが立ち並ぶ緑豊かな街並で、瓦屋根がないのに驚き、やがて納得。夕方からは雨となりましたが、札幌市時計台、サッポロビール園、大谷翔平選手が在籍した寮等を吟行。その後、タクシーの運転手さんお薦めの炉端焼きの店を探せど探せど見つからず、ようやく着いた時には、身体も冷え切り、足は棒状態でしたが、サッポロビールのクラシックで乾杯、海鮮グルメを堪能して身体も温まり、満足の笑顔となりました。

十月二十一日
 爽やかな秋晴れの札幌の街を眼下に、ホテルで超豪華版の朝食を摂り、平間純一さんのご案内で北大、中島公園を吟行。

 金葉にはやや早かったものの、先が見えなくなるほど真っ直ぐに延びた一本の並木道。左右に広がる銀杏やポプラの木々の生命力に圧倒され、未来性に満ちた永遠の輝きを持つ空間に立ち、気持ちもリフレッシュ。敷き詰められた落葉道を歩く時は、絵画の中にいるようでした。
 ウルトラマリン・ブルーに縁取られた白い外壁の豊平館は、三代の天皇家行幸の際の華々しさがあり、シャンデリアや絨毯等の調度品の数々は、見る者を虜にし、豊かな気分になりました。ここでは白無垢の花嫁さんと三度も出合い感激。
 また、クラーク像や新渡戸稲造像とも対面、二人のフロンティア精神を学びました。

その後狸小路へ
 名称から、親不孝通りなるものかと思いきや、北海道一の老舗商店街で、無いものはない‼と言えるほどの商店の数々。活気に溢れ、活力が生まれる場所でした。ここを端から端へと歩き、この日の歩数は実に一万五千歩超、お三方の健脚振りに脱帽しました。

十月二十二日
 出句締切の午後二時まで、運河とガラス工芸の街小樽へ。が、再びの雨。
 小樽行きの列車内から見た日本海は、海の他は何もなく、全てを呑み込みそうで、雲上には虹までも。私の地元佐賀県の玄界灘や有明海とは趣もスケールも違い、正に「男の海」。
 タクシーで「北のウオール街」と称された銀行や商社跡、ニシン御殿、北一硝子、石造りの倉庫群が立ち並び、ガス灯のある運河沿いを巡りました。
 硝子工房では、約一万点の品々に目移りして品定めができず、タイムアウト。買い物ができず残念でしたが、海の色のような青緑色のガラスの浮き玉が印象的でした。

これより総会
 今回、令和五年度の白魚火賞を受賞。晴れがましくも表彰式の栄を賜りました。
 日頃はパンツにスニーカーの私が、この日ばかりはスカートにパンプス着用。「どうか転びませんように」と緊張しましたが、無事に大任を終えて頂いた懇親会での乾杯のビールは最高においしく、最高の気分でした。

懇親会
 アイヌご一家の歌や踊り。全身から迸り、魂を揺さぶられる歌声に惹き込まれ、踊りの輪に飛び入り参加。また、檜林弘一氏、西田美木子さんのデュエットに、会場も大いに盛り上がりました。
 私も日光大会の折、共に新鋭賞を受賞した磐田の齋藤文子さんと感激の再会。友人に瓜二つで驚いた東京の栗原桃子さんと記念撮影。各方面の方々からも声をかけて頂き、白魚火の層の厚さを感じ、嬉しくて忘れられないひと時となりました。

十月二十三日
 俳句大会では、第一回出句の披講、選評があり、パソコン入力された句がスクリーンに映し出され、全てがスムーズ。運営に携わられた行事部の皆様に心より感謝いたします。
 池の大きさに従って蓮の大小があると聞きますが、こうした全国大会に参加する事は、更なる力をつけるためにも必要だと実感いたしました。
 不安ながら飛び込んだ俳句の世界。行動の幅も狭まりつつある年代に差し掛かる中、日々の生活で見つける感動は、何物にも代え難いものです。四季を五感で意識するようになれたのも俳句のお蔭です。しかし、吟行句や即吟は未だ苦手。今後はこの克服を課題に俳句と向き合っていこうと思います。
 初めての北海道は、オーバーツーリズムもあってか、空港も札幌も人また人でしたが、これも普段では味わえない刺激の一つでした。
 楽しみにしていたジンギスカンも札幌ラーメンにも、ご縁がありませんでしたが、思い出に八窓庵の玉砂利を持ち帰りました。
 帰ってからは、札幌のニュース等に敏感になり、遠い存在だった北海道を身近に感じるようになりました。四日間の旅があっという間に過ぎましたが、大会ではお世話になりました。皆様にお礼を申し上げます。

行事部裏話 札幌大会を終えて
行事部 平間 純一
 令和五年の白魚火全国俳句大会は、無事盛会のうちに終わることが出来ました。主宰を始め参加者の皆さんはもとより、各関係者のご協力に感謝申し上げます。
 天気予報では雨で、雪さえ心配される空模様でしたが、大会前日の二十一日の午前は秋晴れで、午後は秋時雨に秋の虹と、俳人を喜ばす天気となり、ほっと胸を撫でおろしました。

ホテル選び
 大会の準備は、八百号記念東京大会の熱も冷めない令和四年十一月の行事部会議で、札幌大会会場選定にかかる検討案なるものが提出され、始まりました。実は、東京大会では、大会の運営に忙殺され、次回の会場ホテルをまったく決めていませんでした。
 そこで、さっそくホテル選びを開始。札幌には数多くのホテルがありますが、インターネットでいろいろ候補を選び、最終的に京王プラザホテル札幌と令和二年に開催を予定していたホテルエミシアのふたつに絞りました。
 こちらの条件を出し見積もってもらったところ、両者ともさほど開きはなく、立地条件のよい京王プラザホテル札幌に決めました。
 その後も、会場の間取り、設備やコピー機やプロジェクターなどの機器の話などを詰めながら、五月に北海道の皆さんと一緒に下見をしました。会場も二階フロアーにまとまっており、音響設備もよく大変使い易いと思いました。
 大会終了後、参加者皆さまのアンケートにもありましたが、特に句会会場のスクリーンが見やすく、また、披講の声もよく通ったようで、行事部としてもひと安心しています。

アイヌシンガー豊川容子さんの歌
 懇親会のアトラクションにおいて容子さんが歌った歌の意味を教えての声が二、三ありました。実は、夫の川上将史(まさし)さんと事前打ち合わせをしていたのですが、舞台上で説明するからと言われその気でいました。舞台が始まってから二人ともすっかり忘れてしまっておりました。
 私も後から調べたのですが、「アーイヤホー」で始まる歌は、「イヨン・ノッカ」と言いアイヌの子守唄です。
 赤ちゃんが泣くのは、この歌が聞きたいからでしょう。でも、アイヌ語で歌うのは憚られるのでこれで最後にしましょうと歌い始めます。
 遠いとおーい世界に銀の世界と金の世界があり、そのまた奥に神様がいて、そこに六十の揺り籠がありました。それを揺らして・・・アイヌモシリ(人間の世界)に眠りを伝えました。
 ゆったりと寝かせるように歌う歌ですが、当時のアイヌが差別を受けた悲しさもあります。
 参加者の皆さまには、解説書を配って置けばと反省頻りです。


幻想的な歌声で…

次年度の大会開催地について
 令和六年度の開催地は、札幌大会で発表したとおり島根県松江市です。
 日程は、令和六年十月二十七日(日)、二十八日(月)、会場は、松江宍道湖温泉の「ホテル一畑」を予定しています。

 来年は、ちょうど白魚火創刊七十年を迎える記念の年でもあり、前回平成二十年に松江で開催してから十五年経ちます。
 来年は、是非松江に参集しましょう。
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