最終更新日(updated) 2020.02.01
令和2年 名古屋全国大会
下記文字列をクリックするとその文章へジャンプします。
名古屋の思い出          (函館)高山 京子
名古屋白魚火全国大会に初参加して (札幌)高田 喜代
名古屋白魚火全国大会に参加して  (函館)山羽 法子
名古屋の吟行地へ         (宇都宮)江連 江女
名古屋城を訪ねて         (群馬)竹内 芳子
全国大会に参加して        (御前崎)田部井 いつ子
遠足気分で全国大会へ…感謝    (浜松) 青木 いく代
地元名古屋での開催        (愛知)野田 美子
名古屋大会の思い出        (鳥取)保木本 さなえ
名古屋大会吟行の記        (雲南)藤原 益世
白魚火名古屋大会に参加して    (広島)原田 妙子
   令和2年2月号へ


名古屋の思い出
(函館)高山 京子
 大会前々日の夕方、函館空港に集合したのは、むつきさん、実知世さん、くらさん、玲子さんと私の五人。山羽法子さんは名古屋にて合流の予定でした。
 大型の台風の余波で不安定な気象でしたが、飛行機は函館から千歳、千歳から名古屋へのルートで飛ぶことが出来ました。
 ホテル到着は深夜になりました。
 翌日は大変良いお天気になり、元気が湧いて来るようです。
 ホテルのロビーで、士別から参加の山羽法子さんが待っていました。これで全員が揃い、一行は六名となりました。
 吟行地は熱田神宮、名古屋城、徳川美術館を中心に予定していました。
 一番目は熱田神宮ということになり、二台のタクシーに分乗して朝の名古屋を走りました。
 熱田神宮の西門に下り立ちました。
 鬱蒼とした森の入口と言った感じです。中からは幾種類もの鳥の声が響いています。期せずして朝の参詣です。鳥居に頭を下げて境内に入りました。
 境内はひんやりとして、爽やかな空気です。

神域に入りて秋気の引き締まる 広川 くら

 時間が早いせいか人影はまばらです。
 足元で玉砂利が小さな音をたてます。
 長い箒を使って若い男女が参道を清めていました。綺麗になっていく音も印象に残りました。

参道の落葉掃きゆく長箒 広瀬 むつき

 「動物でも出て来そうね」と山羽さん。
 境内の雑木林は草深く、木立の枝は自由気儘に伸びています。私も狸や狐がこちらを見ているような気がしました。
 大木の楠を所々で見掛けました。
 その中の一本は注連が巻かれていました。枝も太く伸び、堂々たる姿で立っています。
 樹齢千年と知ると、私達は暫くその場から動けなくなりました。千年という悠久の時を経て、今ここに生きていると思うと目眩いを覚えます。
大楠の苔むす幹や秋の雨 内山 実知世

 戦国時代、信長の奉納した土塀もすっかり苔に被われていました。森の自然に包まれ時を経ていくのでしょう。

勝運を宿す土塀や椿の実 山羽 法子

 宝物殿があり拝見しました。驚いたことは、「古事記」と記した古文書が奥のガラスケースに納めてあったことです。見たことのない漢字ばかりで全く読めませんが。
 まだ見足りない思いを残して境内を出ました。
 「七里の渡し」は神宮の近隣でした。
 人影もなく観光名所という訳でもないようです。ただ五メートルもあるような常夜燈が建っていました。昔の燈台の役を担っていた頃のことを思いました。岸壁が少し迫り出していて、立つと海からの風が強く吹いていました。
 水辺に荻の白い穂が揺れて郷愁を誘います。旅人は長い舟路の安全を「熱田さん」熱田神宮に祈ったことでしょう。

桑名まで七里の渡し荻の声 京 子

 続いて、「断夫山古墳」に寄りました。
 「熱田神宮公園」です。古墳は前方後円墳と聞きましたが、地上に居ては確認することは出来ません。木立の間からこんもりとした丘を確かめるだけでした。空から見たいものです。

断夫山古墳の堀の赤のまま 西川 玲子

 再びタクシーに乗り大須観音へ向かいました。観音通りは活気に満ちていました。
 何でも揃っているような豊かな名古屋らしい通りでした。名物の鶏カツを昼食としました。名古屋城は午後からになりました。
 案内ボランティアの方と一諸に廻ることが出来ました。城の裏話なども面白く話されて感謝を申し上げたいです。

 この大会では山羽法子さんが新鋭賞を受けられ仲間として大変嬉しいことでした。
 帰りのチケットの関係から大会二日目は早々に帰路につく事になり残念でした。
 全国大会特集掲載号を楽しみにしています。
 名古屋大会をお世話下さった皆様に厚く御礼申し上げます。有り難うございました。

名古屋白魚火全国大会に初参加して
(札幌)高田 喜代
 大会の二日前台風が列島を掠めている二十五日に新千歳空港を出発しました。
 札幌から七名、苫小牧から四名の計十一名です。今回の大会は来年の札幌での全国大会を控えて、大会の運営を皆で見ておこうという事もあり、緊張感を持って参加しました。
 でもそこは俳人たちです。機上では句帳を取り出し、早速俳句モードになり名古屋へと向かいました。
 着いた中部国際空港は雨でした。それもかなり強い降りでした。空港から電車でまっすぐ三連泊となるホテルへ行き荷物を預け、一日目の吟行地は…。雨でも句材が豊富な熱田神宮へ行こうという事になり、タクシーに分乗して向かいました。昼食は境内の店の「きしめん」で腹ごしらえ、雨の中七五三参りの家族連れが多勢いて着物が濡れないかハラハラしながら見ておりました。

  正装に長ぐつ雨の七五三 美木子

 千九百年の歴史の熱田神宮を傘をさしてゆっくり散策しました。

  大楠に苔の八方露の玉 数 方

 ホテルに戻ったところ、来年の行事部幹事の旭川の純一さんと合流しました。ホテルの夕食はハロウィン料理のみでしたが頂く事にしました。レストランはハロウィン一色。親子連れがハロウィンの扮装で多勢来ていました。
 そこで純一さんからハロウィンは季語ではないが、夕食後の五句出句の句会にハロウィンの一句を加えようと提案がありました。夕食後会議室で来年の全国大会の打ち合わせと六句の句会となりました。

  熱田さんと呼んで親しき秋の宮 健 子
  団栗をひとつ頂く神の庭 みつい
  今日だけは夜遊びよろしハロウィン 紗 和

 二日目快晴
 北見の野歩女さんも加わり吟行です。
 四間道―名古屋城―徳川園というコースです。四間道は清洲越しで出来た商店街で土蔵造りの街並みが保存されていると吟行案内にあり朝一番で出かけて行きました。

  路地裏の天水桶に秋の空 野歩女
  秋のこゑ屋根神様の錆深し 純 一

 名古屋城は解体工事で見ることが出来ないものと諦めていたのが着工が延び、「尾張名古屋は城でもつ」といわれた城の全容、そして青空に映える金の鯱を見ることが出来感激しました。

  酔芙蓉暮れて櫓の石落し 津矢子

 名古屋城でもミニ句会をしようという事になり、城内の売店で昼食を買い求め四阿で句会となりました。風もあり清記用紙を足で押さえたりでしたが、それでも皆集中して選句しました。きっと思い出に残る名古屋城址でのひとこまになると思います。
 次は徳川園へとタクシーで移動、ここで野歩女さん、純一さんは前日会議のため私たちとお別れです。徳川園は池泉回遊式の日本庭園、まさに江戸の大名庭園です。

  秋高し徳川園の龍仙湖 節 子
  秋爽や徳川園の幟旗 好 恵

 徳川園ではさすが句会は無理と思ったのですが、頂度座るに良い石垣を見つけ、十一人が一列に並び二句の句会となりました。工夫とやる気があればどんなところでも句会は出来るものだと思いました。

  横並ぶ一列句会秋落暉 若 葉

 夕食は「くすはら」という豆腐料理店で豆腐会席を頂きました。野歩女さん、純一さんにも食べて頂きたかったほど美味でした。

  突出しはおぼろ豆腐や宵の秋 美木子
  身に入むや豆腐料理の温かし やす美

 大会当日
 大会のお手伝い組三名は十二時本部入り、お弁当を頂き役割確認、句稿作成準備の説明を受け、第一回出句の十四時を待ちました。コピー係の私は緊張もありただただウロウロと言われるままに動きまわっていました。忙しくなってきた時、札幌の仲間が事務局室に見学兼お手伝いで来てくれました。
 作業は総会の式典間際まで続き、総会には滑り込みでしたが、私たちの仲間奥野津矢子さんのみづうみ賞の表彰に間に合いました。なぜだか涙腺が緩んでしまいました。総会終了後はまた事務局にもどり懇親会の始まるまで作業をしました。
 懇親会では美味しいお料理、ビールで一息つき元気を回復しました。
 私たち北海道勢は「雪と虹のバラード」を美木子さん、純一さんのバックで歌いました。

 大会最終日
 コピー係の私は朝七時に集合。句稿もすぐ完成しほっとしてゆっくり朝食を食べに行きました。
 初参加の大会、そして事務局のお手伝いの緊張で頭がボーとしたまま、前日出句の披講・選評が始まりました。思いがけず「松手入園丁池へ乗り出して」の句で村上尚子先生の短冊を頂き、そして「お手伝いご苦労様」とお声をかけて頂き地に足がつかない心地でした。来年の札幌での全国大会、全北海道で成功させなければと思いを新たに致しました。

名古屋白魚火全国大会に参加して
(函館)山羽 法子
 白魚火の全国大会は、函館以来二回目の参加ですが、前回は地元とあって気楽に参加出来ました。今回は、吟行の経験が少ない私にとってハードルが高い行事に思われました。
 名古屋は以前、北海道の農産物(豆類)を利用する製餡業者さんや煮豆メーカーさんを訪問させていただき、豊富な地下水を利用する製造現場と、四車線の広い道が街を貫く活気ある大都市の印象を強く持ちました。
 さて今回、私以外の函館白魚火の一行は函館空港から千歳空港を経由して名古屋入りです。私も同じ日に旭川空港から出発。名古屋で合流を約束しました。白く雪を被った大雪山と茶色の野山、ダウンコートに手袋と冬の季節からの旅立ちでした。

旅立ちは雨の空港ななかまど 広瀬 むつき

 大会前日二十六日(土)の朝、函館の五名の皆さんと無事合流しホッとしました。今日は一日吟行です。まずは土地の氏神様へご挨拶をと「熱田神宮」へ向かいました。車中、ビルの間から森の様な木立が見え始め鳥居の前に降りた時は、その緑と広さに驚きました。境内を見渡しておりますと、広川さんを始め皆さん、句帳とペンを手に何か書き留められています。形だけでもと私もノートとペンを出しました。長い柄の竹箒で参道を掃いている方に質問する広瀬さん、咲いている花の説明をする内山さん、句材を次々と書き留めていらっしゃいます。七五三の晴れ着の子供と家族がたくさん参拝しており、今も親しまれる氏神様の姿を感じました。

神域に入りて秋気の引き締まる 広川 くら

 神宮周辺の史跡をタクシーで巡りました。運転手さんに「断夫山古墳へ、お願いします。」と伝えると「えっ!?」と最初、戸惑われました。地図を見て説明すると「あぁ、あれ古墳かぁ。熱田神宮公園の濠があるところだ。僕ら子供の頃、お濠をポンと越えて登って遊んだ場所ですよ。」と懐かしそうに話します。「有名観光地が地元では、普通の遊び場って、あるある、ですよね。」と車中賑やかにおしゃべり。古墳は住宅街を通り抜けたところにひっそりと在りました。

断夫山古墳の堀の赤のまま 西川 玲子

 七里の渡し跡は、神宮周辺が「こんなに海に近い場所だったんだ。」を実感させてくれました。海風が心地よく吹いています。立派な常夜灯が東海道の宿場町を思わせます。渡し場のそばに荻がふさふさと茂り揺れていました。

桑名まで七里の渡し荻の声 高山 京子

 大須商店街では味噌カツを頂き、信長ゆかりという万松寺に立ち寄りました。お寺の山門のきらびやかなアニメーション仕立ての電子掲示板に目を奪われました。お堂の中では普通にご祈祷が行われています。名古屋の秋葉原と言われる街で古刹を笑うしたたかな今のお寺の姿が、時代の先を掴みながら天下を目指した信長と重なりました。

秋扇信長所縁の寺の護摩 山羽 法子

 名古屋城では観光ガイドツアーに参加しました。函館チームが一斉に句帳とペンを手にすると、ガイドさんが「えっ僕の話、メモするんですか?緊張しちゃうな。」とおっしゃり、皆で俳句大会への参加で句材探しと説明、大笑いになりました。
 城内で白岩主宰をお見かけしました。お一人で歩かれる姿に、自分のスタイルを持って吟行する事が大事だなと感じました。

秋の雲仰ぐばかりや名古屋城 内山 実知世

 大会一日目が始まりました。総会、式典では各賞の表彰式がありました。白魚火賞の席に男性が座られており、計田さんは男性だったかしら、と一瞬、思ってしまい奥田積先生に失礼を申し上げてしまいました。先生の「早かったんですよ。」の言葉に、会報での訃報に思い巡らせ、なんとも惜しい方が…と偲びました。受賞者を代表して保木本さなえさんから俳句に向かう真摯な意見が述べられ、この方と一緒に表彰式に出席できた事をとても嬉しく思いました。
 通り一遍の大都会「名古屋」の印象は今回でずいぶん変わりました。また、同じ場所を詠む句の様々な切り口に感心し、吟行の楽しさを味わいました。素晴らしい吟行地をご紹介くださった名古屋の皆様、大会行事部、白岩主宰はじめ先生方、大変お世話になりました。ありがとうございました。

名古屋の吟行地へ
(宇都宮)江連 江女
 名古屋大会へ参加を決めてから、アッという間に大会の日は来てしまいました。
 台風十五号の後、豪雨、また台風十九号と続いて災害に見舞われた方々に、思いを馳せつつ…、大会へ参加できる事に感謝です。
 今回は、全国大会の前日の二十六日から、二泊三日の日程での名古屋行きが決まりました。メンバーは、柴山先生と句友七人です。旅程については、すべて柴山先生にお任せしてしまい、参加させて頂きました。それぞれが宇都宮駅に集合し、朝、七時三十四分発の新幹線で東京へ出て、東京で乗換え、一路名古屋へと向いました。途中、車窓から大きな富士山を見ることができ、大変幸運でした。
 名古屋に着くと、昼食には少し早い時間でしたが、昼食を取って吟行することとし、名古屋名物の「味噌カツ」にしようか、「ひつまぶし」にしようか、と迷いました。結局皆さんと「きしめん」を頂き、午後の吟行に備えました。駅にはジャンボタクシーが待って居て、時間に無駄なく行動する事が出来ました。
 最初の吟行地は、有松と決まり、「有松鳴海絞会館」を見学しました。会館の一階では、美しい絞りの作品が並び、一部販売もされており、目を楽しませてくれました。二階では、絞りの実演が見学でき、絞り師は、有松絞りを絞りながら、流暢に有松絞りの歴史を語られ、その手先からは次々と絞りが作り出されていました。
 会館を出て町並を歩きました。有松は、令和元年五月に、日本遺産に認定されており、卯建の上がった商家が多く、良く保存された美しい町並でした。
 次に、熱田神宮へ向かいました。神宮の杜からは、鳥の声が絶え間なく聞こえ、清々しい参道を進みます。御神木は千年の楠。大木には瘤がいくつもあり、そこに宿木や羊歯などが生えており、その姿を敬う気持ちで見上げました。
 境内では、結婚式や七五三のお参りなど、荘厳の中にも華やかに行われていました。
 また、神宮には、信長塀と云われる土塀があると聞いていたのですが、木々に囲まれた所にぶ厚い土塀はあり、これを信長塀と云うことを知りました。
 熱田神宮でも、時間がもう少し欲しいところでしたが、次に名古屋城へ向かいました。
 名古屋城の門を入ると、菊花展が催されており、城主義直公と春姫の菊人形が私達を迎えてくれました。
 本丸へ進みますと、空濠に何やら動く物があり、何だろうと思って見ると、鹿が草を食べて居る所でした。「あの鹿、どこから出て行くのかしら」と、要らぬ心配をしました。
 白魚火誌に載った名古屋吟行案内では、名古屋城の天守閣は、九月から解体工事が始まり、見る事は出来ないだろう、とあったので残念に思っていましたが、天守閣を目の前にした時には、本当に嬉しい思いでした。その天守閣には、夕日が差し、金の鯱が生き生きと見えました。
 続いて復元された本丸御殿の見学です。四百年前の御殿の障壁画や格天井など、豪華で溜息の出る思いでしたが、当時の様子を少し知る事が出来たことは、嬉しい限りです。
 閉門の時間になったので、美しい夕焼をバックにした城に別れを告げ、ホテルへ向かいました。
 大会当日も晴天に恵まれ、午前中は徳川園を吟行することになり、朝食を早めに済ませタクシーで向かいました。黒門から入り、園内は龍仙湖を中心に、渓谷や滝など、楽しくゆっくり吟行することができました。
 令和元年名古屋大会も盛会でした。主催して下さいました行事部の皆様や、お手伝いの皆様の御尽力に深く感謝申し上げます。
 ありがとうございました。

名古屋城を訪ねて
(群馬)竹内 芳子
 名古屋には行ったことがなかったので、全国大会で行けるならと、すぐに参加を決めていました。前泊りをするので、名古屋城や犬山城をゆっくりと、見学出来そうと期待して、楽しみにしていました。
 今回群馬からは、十名が参加しました。
 早朝の中之条駅に集合し、出発しました。高崎まで出て、東京行きの列車に乗換えました。東京駅で新幹線に乗換えて、やっと、落ち着くことが出来ました。
 天候にも恵まれ、窓の景色を眺める気分にもなりました。
 富士山がはっきりと見えました。
 昨年の静岡大会の折にも素晴しい富士山を眺めることが出来て嬉しかったことを思い出しました。朝早く出て来た疲れが取れたような気がしました。
 一時間半位で、名古屋に到着しました。
 あっと言う間に着いた様な気がしました。
 名古屋駅に着くと、タクシー二台が待っていました。
 二台に別れて乗り込みました。名古屋の町の雰囲気を見ながら、犬山城へと向かいました。思ったより、距離があり、時間がかかりました。
 犬山城にやっと着いて、見学することが出来ました。徳川家康と、豊臣秀吉が、戦った城であり、国宝に指定されていると、パンフレットで知りました。
 急な階段を登り、望楼まで行きました。土曜日のためか、混み合っていました。
 次に、待望の名古屋城を目指して、再びタクシーの人となりました。
 普請中だということを聞いていたので、見学を諦めていましたが、まだ工事は始まっていず、差障りなく見学をすることが出来て、よかったと思いました。
 城壁に刻まれている文字や記号等を見ると、細い所に手をかけていたり、大きな石が組み込まれていたりして、素晴らしいと思いました。
 金の鯱も見応えがありました。
 城内の庭に飾られている鯱の前に並び、皆で記念写真を撮りました。
 翌日、同じタクシーに乗り、熱田神宮へと向かいました。まず、お参りをして、広大な境内を散策しました。樹木の手入れがよくて素晴しいと思いました。
 大勢の七五三の家族で境内が賑わっていて、華やかな情景でした。
 最後に、有松宿場街を散策して、風情のある古き家並を見て、大会会場に入りました。
 受付をして、投句をして、大会の席に着きました。
 総会が開催され、表彰式がなされ、白岩先生より挨拶がありました。その後懇親会がなされて賑やかな中、散会となりました。俳句大会の行なわれる明日に期待して、会場をあとにしました。

全国大会に参加して
(御前崎)田部井 いつ子
 静岡白魚火では、今回も事前に吟行を計画しました。吟行地が比較的近いことと、大会当日の忙しさを緩和したいためでした。
 十月十六日(水)、朝七時に牧之原市を出発。それぞれのお宅の近くを回って頂いて、今年は二十一名の方が参加してくださいました。九十代から五十代まで、皆さんお元気です。天候も台風十九号の各地の被災がうそのような快晴です。
 バスの中では、会長さんの挨拶に続き三都夫先生から吟行会の趣旨、作句の留意点等についてのご指導を頂きました。二か所ほど、サービスエリアで休憩をとり、予定どおり十時三十分頃には名古屋城に到着です。
 名古屋城の天守閣は工事中で入れませんが、本丸御殿、二ノ丸庭園、御深井丸等々を拝観しました。戴いたパンフレットの見方に四苦八苦です。
 金シャチ横丁の名古屋飯が気になるのは私だけらしく、「必勝カヤの木」を目指す人、「清正石」を目指す人、それぞれの前で、早速句帳を開いておられます。何年俳句をやっても、相変わらずの自分を反省です。
 本丸御殿の見学もしてみたかったのですが、平日にもかかわらず、混んでいて長蛇の列。入場制限があったので、残念ながら省略としました。
 二ノ丸庭園に目をつけられた方々はお茶室の前でじっと佇んでおられます。「向こうから、何か言ってくるまで相手をよく見る」、との三都夫先生のお言葉どおりにはいかなくて、ついついお喋りにはしってしまいます。
 天守閣の鯱の立派な姿をはじめ、みるものすべてが句材なのに焦点が定まりません。感動を一点に集中できないためでしょうか。有名すぎるのも難しいものです。
 次は、徳川園での吟行です。初めての所とあって期待がふくらみます。
 徳川御三家筆頭、尾張藩の威信をかけた立派な庭園です。秋の季題が満載で何から詠もうかと迷ってしまいます。龍仙湖、瑞龍亭、大曾根の滝などを散策、時節柄か七五三、結婚式の人達も見られ句材には事欠きません。皆さん全国大会に向けてお土産がたくさんできたようにも見えました。丁度植木屋さんが、何人か入っていました。そこかしこで見事な腕前を披露していて興味深いものでした。
 大会当日も晴天に恵まれました。二週間前の大雨が嘘のようで、大会を祝福しているようでした。
 十一時までにホテルに入り、係ごとの打ち合せとなりました。行事部長の弓場さんはじめ開催地区名古屋の皆様のご尽力、ご苦労には感謝申し上げます。ありがとうございました。
 二日目の句会では、松手入れの句を何人かの先生に選んで頂き、改めて吟行の大切さを感じました。
 一泊二日の日程の中での作句と大会には何かと制約がありますが、一年に一度の誌友との交流、お互いの親睦を深めるこの催しは何物にも代え難いものと思います。
 来年度は札幌大会です。富士山静岡空港から一っ跳びです。学生時代、友とリュックを背負って旅して以来五十年ぶりの北海道です。きっと素晴らしいものになるだろうと、今から楽しみにしております。

遠足気分で全国大会へ…感謝
(浜松)青木 いく代
 浜松白魚火会ではバス一台を仕立て、途中吟行をしながら名古屋まで…といういたれりつくせりの計画をたててくれました。
 よい天気に恵まれ、朝七時浜松駅を出発し、途中乗車の人を乗せながら最初の吟行地「有松絞り」の町へと向かいました。吟行に時間をたくさん使いたいので用意されたお弁当をバスの中で食べ、すでに小学生の遠足気分です。にぎやか、にぎやか。てきぱきと気持よく指示してくれる阿部芙美子さんが頼もしくて素敵です。はしゃぎながら「有松町並み保存地区」に到着しました。
 旧東海道の八〇〇mの区間に沿って昔の町並みがあり、卯建、格子、虫籠窓などのある商家をながめながら散策しました。「絞り会館」では一〇〇種類もあるという絞りの技術の一部を見せてもらい、伝統を守っていくことの大変さも感じました。家ごとに掛けられた絞り染めの藍暖簾が歓迎してくれているように見え、みんないい俳句がうかんだようです。
 そして次の吟行地「徳川園」へと向かいました。「徳川園」は隣接して美術館もありますが、私達は日本庭園を中心にまわりました。地下水を水源とするという池、海にみたてたという美しい水面、渓谷を思わせる流れや滝、蓮池など句材はいっぱいです。水の秋、敗荷、木の実など季語が頭に浮かぶのですが、なかなか一句にまとまりません。以前、前主宰の仁尾正文先生が「吟行に行ったらとりあえず一句つくりなさい。そうすると落ちつくよ」とおっしゃったことを思い出しました。やわらかな秋の日ざしの中、庭石に思い思いに腰をおろし句を考えました。お日柄もよかったので和装のお嫁さんが二組も写真撮影をしていて私達も幸せな気持になりました。
 そろそろ一日目に提出する三句を仕上げなければ、というあせりを感じながらホテルに到着。私は今まで全国大会にはなかなか出席できなかったのですが、それでもお会いしたことのあるお顔に出会うと本当にうれしく、これが俳句の御縁なのだと思いました。そして投句をしてしまえば気は楽になります。
 その後、総会、式典が行われ白岩敏秀主宰のお話を聴き、各受賞者の表彰がおこなわれ、懇親会です。お互いに首に下げた名札を見ながら白魚火誌上の名前を思いすぐうちとけ、初めてお会いした方でも以前から知っていたような気持になります。同じテーブルの北海道の平間純一さんから「来年は是非札幌にきて下さい」とお誘いをうけ、すっかり行く気になっている自分がいます。歌あり踊りありの楽しい時間はあっという間に過ぎ、部屋にもどり、「さあ明日提出の三句を何とかしなければ眠れない」と言いながらも同室の宇於崎桂子さんといろいろ話がはずみます。普段話せない話をするのもこういう時です。俳句の推敲も「もう、よし」とあきらめて?翌朝。
 いい天気です。朝食を済ませ、二日目の三句を提出し句会が始まりました。印刷されたみんなの句をながめ「うまいなあ」と感心。同じもの同じところを見てもこのような表し方ができるのだと勉強になります。前日投句の披講、選評が行われ、鈴木三都夫先生の万歳三唱で閉会となり、豪華なランチのお弁当を食べ、解散となりました。
 帰りのバスもホテル玄関横づけという恵まれようです。時間の都合で行けなかった熱田神宮に寄り、参拝しながら吟行をしました。立派な神鶏が高啼きをして迎えてくれました。木犀の香りの中、七五三のお祝の子がいて私もお祝気分の二日間でした。

 七五三の子に神鶏の高啼きす いく代

 「おきよめ餅」をおみやげに買い、熱田神宮での句は後日各句会で、ということで一路浜松へ。バスの中から見えたみごとな夕焼けが大会の成功を祝ってくれているような気持になり、明日からも良い日が続きそうと歓声をあげました。
 楽しく全国大会に出席させていただき、充実した二日間をすごせましたのもたくさんの準備と御苦労のおかげとありがたく思いました。本当にいたれりつくせりの二日間で感謝の気持でいっぱいです。ありがとうございました。

地元名古屋での開催
(愛知)野田 美子
 句会が立ち上がって一年四か月の名古屋に全国大会が回ってきました。今年の冬辺りから、皆さんをもてなすにはどんな催しをしたらよいか頭をひねりました。中部には、徹夜踊りで全国的にも有名な郡上踊りがあります。その郡上踊りの一つを皆で踊ったらよいのではないかという事になりました。そこで、言いだしっぺの私と「一度郡上踊りにいってみたい」と言われていた浜松の大村泰子先生と二人で八月に郡上に行き、ライトアップした城をバックに雨に打たれながらみっちり練習してきました。少しハードかもしれないが、明るく楽しく踊れる「春駒」を皆さんに踊って頂くとよいのではないかという結論に達しました。
 第一回目の練習は八月。句会を三十分早く切り上げて伝達講習。体重の移動が難しいのか、大きな振りでやりすぎているのか、皆ゼーゼー、ハーハー。「句会で民謡踊らされるとは思ってもみなかった・・・」とぼやく声も聞こえてきました。
 第二回目の練習は九月。浜松より指導に来てくださった村上先生、渥美先生も「郡上踊りが踊れるなんて、わくわくするわ」と言って赤い襷をきりりと締めて講習に参加してくださいました。ところが、舞台で踊る時は皆さんに分かりやすくするために右左を反対に踊らなければなりません。すごく踊りにくいのです。そこで、吉村さん、井上さん、大村先生には舞台上の皆が間違わないように下で舞台に向かってお手本を踊って頂くことにしました。これなら、分からなくなっても、目の前の三人をみればすぐに踊ることができます。また、会場の皆さんもこの三人の後ろについて踊ることができます。「ユーチューブ見てもっともっと練習してくるわ」と先生方も名古屋句会の面々も本番に向けての決意も新たにこの日は別れました。
 大会当日、五時半より懇親会が始まりました。私は、皆さんに踊りの説明をしなければならないので、本当は腹いっぱいビールを飲みたいのを我慢して乾杯の一杯だけに留めました。
 地元の出し物はトリだそうです。一杯だけのビールに緊張が加わり心臓がバクバクしてきました。いよいよ出番。たった一杯のビールに酔ったのか、説明で右左を間違えてしまいました。でも、楽しく踊って頂くのが一番と考え、扁理さん、山田さん、春芦さんとともにお手本の踊りをにこやかにおどりました。
 「それでは、音楽スタート」と合図を送ると襷掛けの踊り子登場。飯田句会の皆さんも名古屋句会の仲間として登場してくださいました。最初は半分位の方が立って踊ってくださっていたのが、だんだん増えて曲の仕舞にはほとんどの方が立って踊ってくださり、壇上から見る「総踊り」は、実に壮観でした。「楽しい踊りだったよ」「元気な踊りでよかった」と終わってから声を掛けて頂き、私をはじめとして名古屋句会一同ほっとすると共に、一つ肩の荷が下りたと感じました。
 懇親会終了後、明日の披講係の私、吉村さん、代返係の井上さん、伊藤さんは、吉村さん達の部屋に集合し、懇親会直前に頂いた全員分の句(四四七句)の読み合わせをしました。九月の句会の前の時間を使って村上先生と渥美先生が披講の仕方を教えてくださいましたが、吉村さんは滞りなくすらすらと読めるのに対して、私は漢字が読めない・詰まる・切れもおかしい・番号を読み忘れる等散々でした。そこで、「吉村さんや井上さんはベテランだから心配ないけれど、野田さんは年数がまだ短いから、当日の朝の練習だけでは絶対無理。二十七日の夜、全員分を四人で読んで分からない字や言葉が無いようにしておきなさい。その後、家に帰って(地元なので通いでした)野田さんは全員分を三回りぐらい読み込み、選者の先生方の字が達筆過ぎて読めなくても句を覚えていて、続きがすらすらと口から出てくるぐらいにしておきなさい。どの句が選ばれても読めるようにしておきなさい。懇親会で酒をいっぱい飲んで、家に帰ってグワ~と寝てしまうことがないように!とにかく、この日は寝ないつもりで頑張りなさい」と私の行動パターンもしっかり把握された事前指導を渥美先生からいただいたという次第です。
 家に帰って先生の言われた通り口がだるくなるまで読んで、床に入ったのが午前一時。係は朝七時集合だったので、四時半には起きなければと思うと起きることができるか心配で結局一睡もできぬまま家を出ました。
 この齢での徹夜はつらい。頭がボーとして字が二重に見えます。このままいったら、披講中に倒れるのではないかとまで思いました。
 本番前の練習を白魚火の貴公子と言われている田口耕先生に聞いていただくようお願いしました。読み方が不確かだった所を教えてくださったり、切れの場所等も丁寧に指導してくださったりしました。でも、先生方の選を一通り読み終えたらすぐに句会の時間となってしまったので、やはり昨夜読み込んでおいてよかったと思いました。
 本番は、吉村・井上ペアがとても流暢に読みつつ、時間配分も考えた流れを作ってくださったので、それに従っていきました。代返の伊藤さんとの息もぴったり合ってきました。(特選一位と言った後は三秒位間を空けた方が期待感が高まるかな)(曙集選者の選だから、ちょっとドスの効いた声にしようかな)などと考える余裕ができてきました。私の句を読む機会もあり、短冊を三つ頂けたのは夢のようでした。
 結果はともあれ、できるだけの事をやって披講に臨んでよかった、貴重な体験をさせて頂いたなあと思いました。披講や句稿作り等いろいろな仕事を通して人を育てていくのも白魚火の大切な仕事なのだということも分かりました。先生方、係の方々、若い名古屋句会を支えてくださった浜松支部の皆さん、行事部の皆さん、温かく名古屋句会を見守ってくださった全国から参加の皆さん、本当にありがとうございました。

名古屋大会の思い出
(鳥取)保木本 さなえ
 初めて来た名古屋の空は晴れていました。鳥取駅を朝六時の列車に乗り、京都で新幹線に乗り換えて名古屋に着いたのはお昼になっていました。
 のんびりした鳥取と違って名古屋駅には人の往来や店舗が多く眩暈を覚えるぐらい。駅について、さてどこに行こうかと考えました。実は、私は大会で述べる謝辞のことで頭が一杯で、どこを吟行するか決めずに来てしまったのです。しかし、折角の全国大会。名古屋の良いところを一句でも詠みたいと思い、名古屋城に行くことにしましたが、ここも沢山の人で驚きました。人の流れについていくと、城門のところでお殿様とお姫様の菊人形に迎えられました。立派な菊花展を見たり、城内をぶらぶら見学しました。復元された本丸御殿を見たいと思いましたが、入場のための長い行列をみて、尻込みをしてしまいました。
 大会会場に着いて休んでいると、鈴木三都夫先生がお見えになりました。鳥取大会でお世話になったり、先生の御選を頂いたりしていましたので、早速に挨拶に伺いました。先生はにこやかに応じてくださってほっとしました。村上尚子先生をはじめ金田野歩女先生や西田美木子先生などに挨拶をさせて頂きました。先生方は田舎者の私をあたたかく迎えてくださり嬉しく思いました。
 いよいよ大会が始まります。行事部のてきぱきした進行振りに感心する間もなく、表彰式が来ました。最初の表彰は計田美保さんでしたが、奥田積先生が代理でお受け取りになりました。美保さんには鳥取大会のときに「ごくろうさまです」と優しく声を掛けられたことが忘れられません。将来のある人でしたのに残念でなりません。次は私の番。落ち着こうと心にいい聞かせていましたが、いざ名前を呼ばれるとたちまち気持ちがうわずってしまいました。主宰から表彰状を受け取るときは、きっと手足が震えていたことと思います。皆様の堂々とした態度を羨ましく思ったことでした。
 謝辞は失敗しないようにと大会の何日も前から準備して、声を出して読む練習をしていましたが、ずっと不安でした。読み終わって内容がこれで良かったのか、発音が良かったのか分かりませんが、主宰が謝辞を受け取って下さったとき、ああ、これで終わったのだと思いました。村上先生の閉会の辞を聞いて張り詰めていた気持ちが一気に緩みました。
 懇親会は楽しいものでした。各地区の出し物や皆様の隠し芸など笑いが絶えません。あちこちで話が弾み、酒を酌み合ったり、写真を撮り合ったり、皆さんは本当に仲が良いとしみじみ思います。そして、これが白魚火のエネルギーだとも感じました。
 二日目は俳句大会です。句会の前に鍛錬会と「白魚火」の歴史についての話があり興味深く聞きました。特に歴史については、初めて知ることばかりで、師系のことや西本一都師の白魚火への情熱がよく分かり勉強になります。俳句の成績はよくありませんでしたが、最後に主宰の入選句に入り、嬉しくほっとしました。こうして私の全国大会は終わりました。
 名古屋大会では「同人賞」の名誉ある賞を頂き、人前で喋るという初めての経験をさせて頂きよい思い出となりました。お世話になった諸先生や行事部そしてスタッフの皆様に感謝します。有り難うございました。

名古屋大会吟行の記
(雲南)藤原 益世
 今年の大会は雲南市から十人が参加しましたが、若い方達四人の参加で心強くも楽しい大会の旅でした。
 十月二十六日朝、出雲縁結び空港へ八時半に集合、ここで島根から参加の他の皆さんと合流、三原さんの手配ですべて順調に、九時二十五分発の名古屋行きに搭上しました。名古屋は飛行機で一時間弱、あっと云う間に小牧の上空へ、小牧は薄雲ながら晴、良い天気です。
 小牧から名古屋市内へバスで移動。三日間の移動、吟行は全てこの貸切バスなので安心です。名古屋は徳川幕府三家筆頭六十二万石の城下町です。江戸時代から変わらず今も中部地方の大都市、賑やかな街をしばらく走り昼食のお店へ。昼食後いよいよ名古屋城の吟行です。残念ながら戦火で焼失したお城の全容を見る事は出きませんが残った石垣や堀の大きさに当時の姿を偲びます。
 城内のはるかにあの有名な金の鯱の天守が聳え手前には新しい御殿。天守へ登る事は適わず残念でしたが、大東笹百合句会の六人揃って天守をバックに写真を撮り城内の清正石の大きさに驚いたり石垣で囲った枡形など見て廻り、城外では漆喰の角櫓が晴れた青空に映えるのを望んで、かつての壮大なお城を想像しました。
 次の吟行は、やはり徳川ゆかりの美術館と庭園です。美術館では徳川家の大名道具等数々の中でも御殿を豪華に飾ったであろう障壁画の鮮やかな極彩色には圧倒されそうです。当時の絵師達に思いを走らせながら次へ。ここは源氏物語絵巻のコーナー。思いがけず絵巻を拝見出来大感激です。ガラス越しながらやさしい色とおっとりとした図柄にしばし平安貴族の世界に心遊ばせるのでした。美術館の庭には桜の帰り花がほつほつと見え、源氏をめぐる女性達のはかなくも美しい姿を重ねて仰ぎ見ました。続いて庭園へ。唯一戦火を逃れたと云う黒門を潜り大名庭園へ入ります。広い敷地に大きな池と樹林。パンフの地図を頼りに先ず池を巡ります。中国の西湖堤を模した堤防を渡ります。棒となった枯蓮の中を大きな黒鯉がさながら潜水艦の様に泳いでいます。堤を渡り切ると船着場の石段、その隣には小さな舟小屋と小舟。舟遊びを楽しんだ殿様の姿など思い浮かびます。船着場は丁度鯉の餌やり場らしく、この池の鯉はすべて大きく太っており、撒餌に先を争う姿は中々壮観でした。池を半分ばかり巡り、引き返して滝のある樹林の方へ。丘の中程の休み処で水琴窟の音を楽しみ、樹林の奥へ。水音の高まる径を曲がると突然滝の前へ出ました。落差六米の滝を見あげると木立を透して夕暮れ真近い日の光がちらちら零れています。しばらく滝音の中に身を置くと滝のライトアップです。足元がだんだん暗くなり、そろそろバスに戻る時刻、渓流めく虎の尾の上の橋を急ぎ戻りました。
 翌十月二十七日は熱田神宮参拝。むかし信長も秀吉も造営奉仕をしたと伝わる神宮に今も残る信長塀を見ました。

  身に入むや信長塀に手を置きて 益 世
  木の実降る格天井の御手洗舎 益 世

 御手洗で口と手を漱ぎ、程近くの楠の大樹のパワーを頂き本殿へ向かいました。本殿はきらびやかななかにも荘厳な佇まいです。折りしも七五三の頃。晴れやかに着飾った子供と家族の幾組にこちらもつい楽しい心地になります。
 御神体として八岐の大蛇の尾から出た剣が祀られ、出雲には深い所縁のお宮と思い特別な思いを込めお参りしました。
 そして七里の渡しへ。参宮の船の出入りで賑わった港は静かに荻の穂が風に吹かれ、宿場もひっそりと金木犀が咲くばかり。
 次いで訪れた四間道は元禄の大火災の後、計画的に今の形の町が形作られたとの事で、片側は漆喰の土蔵作り道の反対側は昔のままの町並が残り今も屋根神様が祀られ、時間が止まった様にひっそり静かな町でした。

  屋根神さんそろそろ神の旅仕度 幸 子

 もしかして出雲便の翼に乗って出雲へ向かわれたかもと想像すると楽しくなります。
 古本のフリーマーケットを開く通りを過ぎて吟行の行程を終わり午後から大会のホテルへ。
 歩く見るが精いっぱいの吟行でしたが、刺激をいっぱい頂き、貴重な体験を仲間と共有出来、これを機会に一段上を目指してゆけたら良いなと思う今日此の頃です。

白魚火名古屋大会に参加して
(広島)原田 妙子
 大会前日の早朝四時起床。満天の星空がはっきり見え、安堵する。ゆっくり支度して新幹線で一路名古屋へ。
 私は広島大会以来四回目、広島からは十一名の参加。名古屋駅に着き、荷物を預けるロッカーを探したがどこも満杯。広い構内を歩き回ったあげくにやっと見つけたロッカーに荷物を入れ、第一の吟行地熱田神宮へ。境内は緑豊かで市街地にありながら静寂で、「熱田さん」と呼ばれて市民のオアシスになっているという。しっかりと拝礼して御利益を願う。栄華の名残の苔むした信長塀や樹齢千年の大楠を廻り、名古屋名物の棊子麺をすする。舌触り、深みのある味付けの何と美味しいことか。

  鳥居からぽくりに替へて七五三 積
  爽涼や鈴の音高く祓はるる 陽 子
  信長塀越えて秋蝶消えにけり 徹 郎
  木洩れ日の信長塀や小鳥来る 智枝子

 次に名古屋城。雅やかで威厳ある数々の部屋を溜息をつきながら見学した。隅櫓からの眺めは、大きなビルが建ち並び、車が列を連ねる大都会の風景だった。真下には菊花の展示がありほっとした気分。

  金城の空の広びろ鳥渡る 美 鈴

 次に徳川園へ向かう。園内で、三原白鴉先生など島根の方や呉のひろみさん達にも会う。園内は大名庭園の荘厳が感じられた。

  名園の鯉いきいきと秋澄める ひろみ
  久々に蒼天見えて松手入れ 久美子

 荷物を取りに駅へ。預けたロッカーが見つからない。駅員さんに何度も尋ね、三十分以上も費やしてやっと見つける始末。
 翌日はタクシーに分乗してトヨタ産業技術記念館に移動。館の入口で待てど暮らせど別のタクシーが来ない。上空にはヘリコプターが六機も舞い、何かあったのではないかと心配する。それぞれ正面と裏口で待っていたのだ。その後、文化の道へ移動。二葉館では様々な展示を見、撞木館では昭和初期の歴史や文化に触れた。当時広島とも海路での交流があったとか、往時を追懐した。

  でこ盛りの絵付けの技法爽気満つ 妙 子

 大会二日目は、四間道へ鳥取のゆうきさんと地下鉄を利用して二十分で着いた。歴史的な街並が残る魅力的な地域を堪能。屋根神さまもしっかりと拝観した。

  古書市の四間道せばめ冬近し 澄 恵
  四間道の土蔵の灯り秋の暮 弘 子
  四間道に夕日のなごり雁来紅 三恵子

 多くの誌友の方や佳句にも出会えて、とても充実した大会でした。
 行事部の皆様や、運営してくださった方々に深く感謝。有難うございました。
無断転載を禁じます