最終更新日(Update)'16.08.01

白魚火 平成28年8月号 抜粋

 
(通巻第732号)
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 7月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句    池谷 貴彦 
「仔 牛」(作品) 白岩 敏秀
曙集鳥雲集(一部掲載)坂本タカ女 ほか
白光集(村上尚子選)(巻頭句のみ掲載)
      
  鈴木喜久栄 、大隈ひろみ  ほか    
白光秀句  村上 尚子
白魚火集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
     田口   耕 、中村  國司   ほか
白魚火秀句 白岩 敏秀


季節の一句

(浜 松) 池谷 貴彦   


蛇口全開して少年の夏旺ん  西村 松子
(平成二十七年十月号 鳥雲集より)

 少年は、部活動などで汗をいっぱいかいて、水がほしくてたまらなかったと思います。ようやく休憩時間になって、喉を潤したことでしょう。そして、蛇口を全開にして、顔を洗ったり、頭から水を被ったりしているのかもしれません。
 「蛇口全開」と「夏旺ん」に勢いと若さを感じます。休憩の後は、また部活動が続きます。少年の夏はまだまだ続くのです。

 息切らしゴーグル外す水着の児  久家 希世
(平成二十七年十月号 鳥雲集より)

 試合で泳ぎ切った子が、水から上がってきて息を切らせています。「ゴーグル外す」で表情と眼が浮かび上がってきます。外したその眼に涙はありません。負けても勝っても泳ぎ切った充実感が溢れていることでしょう。
 息を切らして倒れ込むように休む子は、まだ言葉も出ないくらい疲れ切っています。出るのは深く吐く息ばかりです。その子には、きっと優しい労いの言葉が掛けられたことと思います。

 空蝉の空の彼方を見詰むる眼  福本 國愛
(平成二十七年十月号 白光集より)

 蝉の羽化にはかなりの時間が掛かります。夜の間に成虫になりますが、なかなか出くわすことはありません。残されていった抜け殻は、生の始まりと終わりの両方を象徴していると思います。
 その脱け殻にはすでに生はないのですが、「彼方を見詰むる眼」で次への生に託す思いが込められているようです。眼は、成虫までの生の余韻と空の広がりと、そして次の生へのつながりを表していると思います。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 アマリリス  坂本タカ女
堅香子の押し寄せてきし穴居跡
紫木蓮風が怪しくなつてきし
青空のひろがつてきし桜かな
噛みて飲む岳の源水花の昼
おしやべりのすこし過ぎたりアマリリス
木登りと紛ふ三つ四つ蝉の殻
思ひだしたる風鈴を出してくる
風少しでてきてあがる夏の雨

 躑 躅 山  鈴木三都夫
うつ伏せに落ちし椿を裏返す
真つ新な椿の落ちし故知らず
盆栽の一花乗り出す椿かな
抱き上げし子に苜蓿の首飾り
笛の音の殷々として夕桜
躑躅山株千本の花明り
人杖を頼み句碑訪ふ躑躅山
花は葉に茶の芽いよいよ摘みごろに

 柿 若 葉  山根仙花
窓開けて蛙の闇を覗きけり
永き日の雄鶏声を絞り鳴く
燕反転空とは限り無きところ
柿若葉音たて過ぐる俄雨
真つ直ぐに立つ夕煙柿若葉
田水張り一峡音もなく暮るる
満水のダム郭公の声渡る
大声に話す簾の内外かな

  黴   安食彰彦 
兄弟会一泊夏を満喫す
竹箸をぱちりと割つて夏料理
はなれたる枝にとどまる蜘蛛の糸
蛍袋黄泉の洞にも咲かむとす
句会場海一望の夏座敷
殺さるる蝮を見しと口漱ぐ
若き日の我妻民法黴にほふ
角帽をかぶる写真の黴を拭く

 はるにれ  村上尚子
ねぎらひの言葉いただく涼しさよ
はるにれの木蔭に憩ふ夏帽子
初夏のポプラは風をつなぎ合ふ
時計台仰ぐ五月の風のなか
札幌の空明けてゆく針槐
筒鳥のぽぽとポロトコタンかな
薫風と入る山荘の木の扉
支笏湖の端見えてゐる露台かな

 鯱 の 門  小浜史都女
松蝉や鯱はねあげて鯱の門
剪定終へ庭師夕日も運び去る
天と地のあはひ初生り胡瓜もぐ
山も田も眠りて真夜のほととぎす
天敵の鵜の棲みつきし鮎の川
漆黒の天山そこに青葉木莵
黒揚羽あざみのほかは目もくれず
灯にとほく流れに親し蛍狩

  羅   鶴見一石子
撥条の弛み時打つ灯朧
老鶯や悲願の磴をのぼりゆく
倖せは忘るることよ秋隣
竹煮草葉裏を返す宿場風
葭切の啼くや水郷遊女墓
土用灸仏を信じ神信じ
生き甲斐は動けることぞ汗拭ふ
羅を着て晩年を噛みしむる

 夕  蛙   渡邉春枝
食卓のときに文机夕蛙
若葉風牛舎に分娩予定表
牛の瞳に見つめられをり風五月
葉ざくらを天蓋として畜魂碑
せせらぎの音透きとほる著莪の花
ひとり子の一人遊びや夏の蝶
昼寝児の頬に一すぢ涙あと
緑さす畳廊下の奥の部屋

 押 切 り  渥美絹代
診療所の裏ゆく流れ鮎のぼる
分封の蜂山門に群れてをり
暮れてゆくなぞへ畑や桐咲ける
押切りにうつすらと錆枇杷熟るる
万緑の寺借り石の彫刻展
白菖蒲咲き鶏鳴のいくたびも
飴色の魚籠の花入れ梅雨兆す
夕凪や家包に買ふ蛸のあし

 時 計 台  金田野歩女
リラの香や「銀太」幌馬車曳いてゆく
炊き合せ先づ篠の子に舌鼓
晴天の下の再会針槐
時計台の玻璃の歪みや五月晴
嬰児に二本の前歯さくらんぼ
子燕や目覚めの早き森の宿
夏草や燻し重ぬるチセ炉棚
トンコリの調べきはやか花さびた

 笹  粽  今井星女
母の日にとどく越後の笹粽
送られし結び目固き笹粽
賜はりし越後の酒と笹粽
俵編みせる笹粽解きにけり
笹団子香りもろとも戴きぬ
故郷の香りいただく笹粽
振分けにして笹粽結ひにけり
笹粽昔も今も保存食

 燕 の 子  寺澤朝子
修羅場めく庫裡の玄関燕の子
菩提咲く堂に秘仏の観世音
亡き刀自へ捧ぐ白百合供華として
放生の魚が水跳ね夏初月
嫋々と昏鐘鳴るなり麦の秋
山滴る一会を謝していとま告ぐ
旅の地となりしふるさと蛍の夜
持ち重りして来し旅荷走り梅雨


鳥雲集
一部のみ。 順次掲載  

 豆 御 飯  二宮 てつ郎
缶珈琲ぷしゆつと開けて桐の花
海遠く箱根空木の咲きにけり
夏鶯留守番午後にまたがりぬ
紫蘭咲く日は岬へと動き初め
時鳥臥して読む書の手に重し
豆御飯今日終りゆく夕日かな

 島 の 夏  野沢 建代
真上より鳶の笛降る松の蕊
青羊歯に触れ急磴を社まで
潮風に犬枇杷黒く熟しをり
覗かせてもらふバケツや島の夏
潮騒の聞ゆる島の花とべら
夏雲にクレーン伸ばす造船所

 足利学校  星田 一草
青き踏むいつもどこかに水の音
草川に水滔々と五月来る
新緑へ飛び出してゆくロープウエイ
河鹿鳴く利根源流の水清く
足利学校足に涼しき板廊下
じやがいもの花学校の裏庭に

 駄屋(厩舎)の闇  奥田  積
庭園の昼を鳴きゐる牛蛙
青梅や村に一基の頌徳碑
薫風や校門までの並木道
一輪車漕げぬ子一人風薫る
ほうたるや牛の息する駄屋の闇
三姉妹リボンたがへて夏帽子

 茄子の花  源  伸枝
老鶯や埴輪小さく口あけて
すり寄りて睫の長き子鹿かな
スケッチの少女に茅花流しかな
舞殿を覆へる楠の若葉かな
黒板に文字書く音や夏の雲
文燃やすためらひ茄子の花咲けり

 茅 の 輪  横田 じゅんこ
時鳥早口ことばきりもなく
草刈つて村が大きくなりにけり
思案事あり籐椅子の向き替ふる
人待ちの雨の茅の輪の匂ひかな
石投げて水切り競ふ雲の峰
香水の一滴声の裏返る
 新 樹 光  浅野 数方
滑りゆく遊覧船や夏帽子
湖の汀しづかやみどりさす
新樹光差す織りかけの茣蓙二枚
さみどりの楓の映ゆるチセの窓
一水に帆を反らしたる水芭蕉
ほととぎす絶やすことなき炉の火種

 新茶汲む  池田 都瑠女
山つつじ一輛電車よく揺れて
菖蒲葺くまでにと急ぐ屋根工事
学校田の補植に貰ふ余り苗
夫と子の居る幸せや新茶汲む
古里の島隠れをり梅雨兆す
草笛を吹きつつ母を待つ子かな

 二 人 静  大石 ひろ女
水音のどこかに二人静かな
花蜜柑匂ひの中に妣のゐて
麦秋の風平らかに筑紫潟
変はりなき暮しに衣更へにけり
晩学の眼鏡はづして明易し
鳶の笛間近に茅花流しかな

 犇 い て  奥木 温子
犇いて押し合ひ一人静かな
たんぽぽの絮吹く風を頬に溜め
春蟬の声澄み通る日和かな
ジャスミンの花の冷たき白さかな
磐座に神おはします青嵐
湖碧く花桐と色競ひをり

 若 葉 冷  辻 すみよ
花終へて藤棚軽くなりにけり
振つて見し蛍袋に何もゐず
十薬の親しくもまた疎ましく
不用意の紙で指切る若葉冷
ぞんざいに脱ぎ散らかして竹の皮
青葉木菟鳴くや独りの刻流る

 夏  燕  西村 松子
吸ひ込まれさうな立夏の空の藍
夏燕湖のひかりを掬ひけり
飛べさうで飛べぬ小流れ若葉風
小判草振れば乾きし音立つる
短夜や錠剤ひとつこぼしをり
万緑や山水匂ふたたら跡


白光集
〔同人作品〕 巻頭句
村上尚子選

 鈴木 喜久栄

遠足の手よりはみ出す握り飯
胎の子が蹴つてゐるよと蝶の昼
簾巻く山の夕日の見ゆるまで
どくだみに夜風重たくなりにけり
耳よりな話にはづすサングラス


 大隈 ひろみ

突つぱつて乾くジーンズ柏餅
竹の子や二つ違ひの兄おとと
羽箒ではらふテーブル麦の秋
六月や鏡に映る梯子段
藍の香や衣桁にかくる夏衣



白光秀句
村上尚子


簾巻く山の夕日の見ゆるまで  鈴木喜久栄

 〈山に日が入りしばかりの青簾〉は右城暮石の句。どちらも夕方の景に違いはないが、わずかに時間のずれがある。喜久栄さんは、きっと旅先で見た「山の夕日」の美しさに、思わず簾を巻き上げてその景色を楽しんでいるのである。そして数分後には暮石の景色となる。そこに残されているのはどちらも「簾」だけ。
 同じ句材でも、いつ、どこに焦点を絞り、どのように表現するかである。
  どくだみに夜風重たくなりにけり
 どくだみの花の清楚な姿とはうらはらに、その根はしぶとい。「夜風重たくなりにけり」は決して珍しい表現ではないが、「どくだみに」となれば納得せざるをえない。やはり作者の腕の見せどころである。

突つぱつて乾くジーンズ柏餅  大隈ひろみ

 この作品の良さはいさぎよいところにある。「突つぱつて」には二つのことが考えられる。先ず、よく晴れた日にぱんぱんと叩いて皺を伸ばした「ジーンズ」が乾いている様子。もう一つは「ジーンズ」が擬人化されているように見えるところ。
 季語が「柏餅」となれば、やはりそれは育ち盛りの少年のものであろう。その多感な様子をジーンズが代弁している。いきいきとした作品である。
  羽箒ではらふテーブル麦の秋
  六月や鏡に映る梯子段
 どちらもただの日常の一齣だが、季語によって俄に浮上した。その付き具合も唐突であるようで決してそうではない。作者ならではの感性が光っている。

黒板に書写のお手本風薫る  計田 美保

 作者は教師である。黒板に向かい、正しい文字の書き方を教えているのであろう。開けられた窓からは校庭の木々や、山の風が心地よく教室を吹き抜けてゆく。読者の殆どは、かつてお世話になった先生の姿を懐かしく思い出しているに違いない。

メビウスの帯に迷ひし蝸牛  鈴木  誠

 「メビウスの帯」とは広辞苑によると、〝帯を一回ひねって両端を張り合わせて得られる図形〟とある。その図形の中に「蝸牛」が迷い込んだと言っている。作者の自由な発想から生まれた一句。芭蕉もびっくりである。

牧牛の散りては集ふ花林檎  五十嵐藤重

 広い牧場の一角を、少し離れた場所から見ているのであろう。「花林檎」により、この地域と季節、そして牛へのやさしい目差が見えてくる。

背開きの鱚の白さを愛しけり  計田 芳樹

 魚の捌き方には背開きと腹開きがあるが、いずれにしても背骨に沿って開いて一枚にしたもの。作者はそのときの「鱚の白さ」を大事にしている。天ぷらか、あるいは風干しか、さぞうまかったことであろう。

妻留守の厨をぬらす浅蜊かな  髙部 宗夫

 「浅蜊」は潮水を入れた鍋やボールに蓋をして砂を吐かすことが肝心だが、その蓋をするのを忘れてしまった。思わぬ所まで濡らされて慌てふためいている作者。このあとの奥様との会話が聞こえてくるようだ。

青葉照るポロト湖畔の丸ポスト  三浦 紗和

 「ポロト湖」は、北海道白老町にあり、その湖畔にアイヌコタンがある。作者はそこで「丸ポスト」を見つけた。それだけのことだが、この句の良さは「ポ」の韻をふみ、リズムにしたところ。吟行句ならではの作品である。

母逝きて夏茱萸いろを増しにけり  斎藤 文子

 百三歳で大往生されたという御主人の母上。庭に植えられていた「夏茱萸」も、いつもはそれとなく見て通り過ぎていたが、改めて目に止まった。「いろを増しにけり」は母上に対する深い思いが含まれている。

溝浚へ駐在さんも仲間入り  村松 典子

 下水道の普及により「溝浚へ」の光景を見る機会は減りつつある。しかし田畑のある地区では、今でも共同作業として重要な行事の一つとなっている。そこへ「駐在さんも仲間入り」とはありがたい。この表現からも親しみと人柄をくみ取ることができる。

更衣看護師にある力瘤  中嶋 清子

 「更衣」により今迄見えなかった、看護師さんの二の腕の「力瘤」が見えた。重労働の結果かも知れないが、患者さんにとっては非常に頼れる、ありがたい「力瘤」である。



    その他の感銘句
夏立つや牛舎に山の水を引き
はしやぎたる園児のこゑにポピー揺る
等分に切れぬカステラ花は葉に
下草の伸び放題や桐の花
絆創膏片隅はねて五月逝く
薫風や島へ一直線の橋
威勢よき赤子の声やゆすらうめ
インコース大きく外れ夏つばめ
天山を正面にして茄子太る
墨打ちの糸の弾くる梅雨晴間
結葉の懸かる丹の橋渡りけり
梅漬くる生り年なれば甕を買ふ
伏流水集め穂高の花山葵
道庁の小道横道ライラック
ファックスの紙の詰まりし薄暑かな
溝西 澄恵
太田尾利恵
後藤 政春
清水 春代
鈴木 敬子
西沢三千代
高井 弘子
荻原 富江
田久保峰香
岡 あさ乃
山本 美好
藤浦三枝子
後藤 泉彦
渡辺あき女
橋本 快枝


白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
白岩敏秀選

 島 根  田口   耕

ほととぎすの一声夜を深めけり
山陵の池におはぐろとんぼ棲む
神の滝千年杉へしぶきけり
溶岩の赤を顕に滴れる
牧の牛草いきれごと食みにけり

 
 鹿 沼  中村  國司

古書店の隣り珈竰屋春の雨
杉花粉トルコ行進曲に乗り
みづうみを鏡に神の山笑ふ
花は葉に勝てば官軍兵の墓
村中の田に水入る昭和の日



白魚火秀句
白岩敏秀


山陵の池におはぐろとんぼ棲む  田口  耕

 この山陵は隠岐の「後鳥羽天皇火葬塚」のこと。池は山陵の近くにある「勝田の池」であろう。池の傍らに〈蛙鳴くかり田の池の夕たゝみ聞かましものは待つ風の音〉の後鳥羽天皇の歌碑がある。
 おはぐろとんぼの親もその親もこの勝田の池で生まれて、ここで命を全うしたのだろう。山陵を一度も出ることなく飛び交う姿に後鳥羽天皇の姿が重なり哀れが深い。
 この句、とんぼが池に「生る」でもなければ、「飛ぶ」のでもない。「棲む」として山陵に流れている時を表現している。
  神の滝千年杉へしぶきけり
 隠岐は旧石器時代から拓けているから、神と崇められている滝も多いのだろう。杉にしても、千年もすれば神の位になる。簡潔な表現が隠岐の神秘な自然の有り様を語っている。

花は葉に勝てば官軍兵の墓  中村 國司

 「勝てば官軍、負ければ賊軍」とはよく口にする言葉である。戦いは道理に合わなくても勝てば正義で、道理に合っていても負ければ不正なものとみなされると辞書は解説している。
 この墓は賊軍の、明治維新の際の幕府軍の墓なのだろう。明治政府の兵も幕府軍の兵も等しく日本人の命。満開の桜も葉桜も同じ桜の木。どちらも美しい。ヒューマンな気持ちを内に秘めながら、表現はあくまで冷静。これがこの作者の俳句である。

青草に踏み跡のあり不器男の碑  中山 啓子

 不器男は俳人・芝不器男のこと。不器男は一九○三年(明治三十六年)、愛媛県に生まれて、みずみずしい叙情俳句を残して二十六歳の短い生涯を終わった。愛媛県には句碑もあり、記念館もある。
 作者は朝の早い時に不器男の句碑を訪れたのだろう。しかし、そこにはすでに誰かが訪れた踏み跡が残っていた。踏みしだかれた夏草の瑞々しさと朝露に光る周囲の草のコントラスト。思いがけない足跡と夏草の美しさが一句を成さしめた。

島つなぐ船の汽笛や夕朧  萩原 一志

 航跡を広げながら、汽笛を鳴らしながら、島々をつないでゆく定期船。だんだんと遠くなる港を夕霞が包んでいる。逢う喜びも別れのかなしさも全てこの船で運ばれていく。
 人の悲喜こもごもを乗せて遠ざかっていく船の汽笛が、夕朧のなかで、読者のなかで、余韻となっている。

サイダーを飲み干す空の青さかな  根本 敦子
駒鳥の声の明るく鳴きにけり  市川 節子

 両句とも五月に行われた「白魚火北海道吟行会」での句である。
 一句目は札幌での句会に出され、その青春性に感銘を受けた句。
 二句目は白老のポロトコタン(アイヌ語で「大きな湖の集落」)で詠まれた句。眼の前のポロト湖や吟行会の明るさが駒鳥の声に反映している。両句とも私の選んだ特選五句の中に入れた。
 広い北海道の句会を一つに纏めての吟行句会。世話をする方も参加する方も大変だったと思うが、その苦労を感じさせない二泊三日の吟行会であった。

苗箱を百枚洗ひ田植終ふ  松﨑 吉江

 後ろに背負うように積んだ苗を、植え付け爪で挟んで植えていく田植機。かつては大勢の早乙女が幾日もかかった田植えも、田植機は二、三日で終わらせてしまう。これで農家の田植えの苦労が軽減された。
 植え終わった田植機をねんごろに洗い、苗箱を丁寧に洗う。百枚という数字に田植えが無事に終わった安堵感が感じられる。

母の日の少年花を選びをり  稲田 隆嗣

 「ありがとう」は思っていても、なかなか口には出せない。まして、思春期の少年の場合は尚更のことだろう。しかし、今日の母のために、勇気を出して一生懸命花を選んでいる。少年のなかで母に対する感謝の気持ちが気恥ずかしさを打ち負かしたのだろう。健気な少年の姿が凛々しく見えてくる。

這ふやうにして夏草をむしりけり  影山  園

 梅雨に入ると草が一気に伸びてくる。その結果、取っても取っても生えてくる草と根比べとなる。草との根比べに負けない姿勢が「這ふやうに」。草を取ったあとの庭や畑はさっぱりして気持ちがよいものである。



    その他触れたかった秀句     

魂のふつと抜けたる螢の夜
揉みほぐす麹の匂ふ著莪の雨
桜咲くポップコーンの弾けけり
好き嫌ひすきで終はりしアマリリス
犬小屋の釘打ち直す走り梅雨
若葉風おとぎの電車トンネルへ
金魚掬水の重さを持ち帰る
日の当たる枝より咲いて山辛夷
花菖蒲画架置く池のほとりかな
母の日を母とゆつくり過しけり
花あふち和尚に友の来てをりぬ
夏蝶の舞ひ込んで来る絵画展
したたりやおくれて渡る丸木橋
葉桜の土手に円座の陸上部
花は葉に出しそびれたる葉書かな

大石美枝子
小川 鈴子
富田 倫代
内田 景子
坂田 吉康
本倉 裕子
若林 眞弓
森脇 和惠
高田 喜代
藤田 眞美
森田 陽子
加藤 葉子
松下 葉子
原  菊枝
中澤 武子

禁無断転載