最終更新日(Update)'10.08.31

白魚火 平成17年3月号 抜粋

(通巻第661号)
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3月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句   大石ひろ女
水見舞」(近詠) 仁尾正文  
曙集鳥雲集(一部掲載)安食彰彦 ほか
白光集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
      
原 和子、古川松枝 ほか    
句会報 静岡白魚火「草の実句会」
白光秀句  白岩敏秀
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載)
          西村松子、 柴山要作 ほか
白魚火秀句 仁尾正文

季節の一句

(多久) 大石ひろ女

かなかなのことにかなしき日暮れかな 遠坂耕筰
(平成二十一年十一月号 白魚火集より)

 数年を土の中で過ごす蝉の幼虫は、やがて成虫となり羽化して地上へと飛び立ちます。蝉の種類も色々で、鳴き方もそれぞれです。真夏を鳴き尽くす熊蝉や油蝉等は、とても元気で明るさを感じ、時には「静かにして!」と言いたくなる事も有ります。しかし、夏の終りから秋にかけて鳴き出す「かなかな」の声は、どことなく哀愁を帯びています。 蜩の声を聞くと誰もが秋の訪れを感じ、ふっと物悲しさを憶えることもあります。「ことに悲しき日暮れかな」によって、かなかなの哀切な鳴き声に共鳴されている作者の心情が伝わって来ます。

盆踊り母の形見の帯結び 七條きく子
(平成二十一年十一月号 白魚火集より)

 地方によって月日や様式は異なりますが、盂蘭盆の七月十三日から十六日にかけて精霊を迎えてお慰めする為に盆踊りが催されます。前日から男性達の手で櫓が組まれ染め幕をめぐらして、盆踊り会場の設営が行われます。
 所によっては、初盆の家を一軒一軒踊って廻ることもあるようです。
 盆踊りが近づくにつれて女性は、今年はどの浴衣を着ようか? 帯はどれにしようか?と決めるまで箪笥を何度も開けたり閉めたりしながら、盆踊の日を待ちます。
 母上の形見の帯をすっきりと結ばれて、姿見に向われている作者のしなやかな姿が目に浮かぶようです。 きっとお母様も喜んでいらっしゃる事と思います。


曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   



 弥生の森  安食彰彦

弥生墳の中にもありぬ五月闇
三号墳涼し四隅の石の列
俵麦王墳なにもなけれども
吉備越の百の土器蟻の列
雨蛙稲穂の跡のつきし壷
草笛や弥生墳丘そびらにし
放ちたる草矢墳丘仰ぎみて
遠雷や魏鏡に心癒されて


 夏期講座 青木華都子

凌霄の花お隣りの塀越しに
万緑のど真ん中なる診療所
ハングルの文字丸四角夏期講座
サングラスかけて韓国一人旅
橡茂る地下一階の喫茶店
髪切つてただそれだけの更衣
雨ぱらと来てはたた神呼び寄する
雨粒にたたかれ橡の実の落つる


 遠 き 灯 白岩敏秀

抽出の中の明るき梅雨の入
浮き苗に日暮れきてゐる植田かな
蛇苺熟るる草刈鎌の距離
漁り火を遠き灯として夏座敷
土手の草蛇の長さに揺れゆける
西の田に呼応して夜の雨蛙
百日草仏花となりて吹き通す
子は親に似てひげを振る油虫


 蛍 袋  坂本タカ女

鴉の巣狐が庭を素通りす
俯きてぞろぞろ蛍袋かな
天空を青鷺のゆく桐の花
遠雷や画廊に楽屋裏ありぬ
月食を見てゐる卯の花月夜かな
読み止しのままを伏せおく芙美子の忌
片足をとびそこねたる雨蛙
鉛筆を結へし句帳飛蝗とぶ


 未 草  鈴木三都夫

万緑や分水嶺を指呼として
磨崖仏憤怒の相を滝へ向け
滝しぶき滝の面を煽り落つ
水の座に端座崩さず未草
はんなりと揺れて応へし花菖蒲
城を出て又城仰ぐ新樹光
竹となる一途に皮を脱ぎ散らす
あめんぼう見てゐるだけで楽しくて
半 夏 雨  水鳥川弘宇
夏シャツの少し派手目を買ひにけり
ストレスといふほどもなき梅雨夕べ
卯波立つ浮きては沈む壱岐が島
梅雨に入る姿かくせしままの壱岐
亡父の齢とうに越えたる半夏雨
抱擁の樹とも呼ばれて梅雨深し
梅雨深し「糖尿列島」読みつげる
博多辯とびかふ地引網終る

 大 雷 雨 山根仙花
伏して咲くことも海辺の花茨
万緑に沈みて朱き一の宮
子育ての海猫に一湾梅雨の凪
覚めて雨覚めて又雨明易し
短夜の机上伏せ置く一書かな
毒だみの花の十字の呼ぶ日暮
水飲んで水の辺をゆく螢の夜
大雷雨山河斜めに走りけり

 夏 花  小浜史都女
けふの風けふの波音小判草
波音に波音重ね花十薬
潮風をむらさきにして姫女苑
紫陽花の途中の彩は忘れけり
花あふちこぼれ夕雲淋しうす
逆らはず従はず生き花石榴
河骨に水の隠るる眼鏡橋
梔子や文殊の踏みし天邪鬼

 王の墳墓  小林梨花

夏館古代の地図の上に立ち
黒揚羽王の墳墓へ橋架かる
出雲の王眠るとふ墓時鳥
合歓咲くや四角突出型古墳
王墳の敷石立石蝉鳴けり
夏草に見えぬ一号墳丘墓
石棺を覗くも卯の花腐しかな
古代の王胸に涼しきガラス玉

 河 鹿 笛  鶴見一石子
一穢なき展く瀬が好き河鹿笛
干草の匂ひ大地の匂ひなり
涼しさをあきなふ嵯峨野笊と籠
嘘すぐに見ゆ話好き冷し酒
手作りの曲りし胡瓜それもよし
杉並木風がうがうと雷来るか
蝉生るこの世は耐ふることなるぞ
道くさは生きてるあかし破れ傘

 峰 雲  渡邉春枝
峰雲や診療船を待つ港
木の匂ひ潮の匂ひ梅雨滂沱
原生林の真昼の暗さ滴れり
海光やこぼれて白き花卯木
門柱に被爆痕あり蟻のぼる
音のして神話の里の夏落葉
朝ぐもり掃きぐせ強き竹箒
青柿や庭の窪みに土入るる


鳥雲集
〔上席同人 作品〕   
一部のみ。 順次掲載  

  巻 髭  金井秀穂
巻髭の宙を泳げり蔓南瓜
除湿器のぽたり一滴梅雨ごもり
昏れてなほ汗ねばりつく日でありぬ
鬱陶しいその一言に盡く糠蚊
楓の実両翼すでに発つ構へ
病窓の妻と見上げり雲の峰

  噴 水  坂下昇子
噴水の上がりし分を落ちにけり
傘いらぬほどの雨降る花菖蒲
花びらに風の絡まる花菖蒲
梅雨の蝶影を忘れて来たりけり
たくさんの水輪の中に滴れる
蛍舞つてきれいな闇となりにけり

  夏 至  二宮てつ郎
時鳥手頃な石に腰下ろし
六月の字を間違へてばかりかな
電柱の梅雨に入りたる濡れつぷり
午後切々南天の花散り次げる
雨粒の跳ね跳ね夏至の暮れむとす
虎杖の花海光は一里経て

 信 長 忌 野沢建代
信長忌声をしぼれる時鳥
石高は一万石や梅は実に
釘隠しは雪笹紋や小判草
能書は仇討ちの事花茄子
石工の名刻む石垣夏燕
わらぢ塚古池塚やかたつぶり
 ジャズの街 星田一草
目瞑れば涙あふるる春の闇
春蝉の句碑老鴬を聞くことも
ジャズの街人溜りゐる夕薄暑
風湧きて青田のあをを裏返す
石山の石に谺す閑古鳥
紫陽花や大海原をゆく思ひ

 伎 芸 天 奥田 積
青嵐見えないものにそぞろ神
塔のぞむ奈良町界隈水を打つ
汗引くを待ちてまみゆる伎芸天
実ざくらやならみちを来ていせみちへ
日傘出て芭蕉生家へづかづかと
木下闇土芳の墓にそとふれし

 飾 り 牛 梶川裕子
忍者屋敷蟻の出入りを許しけり
馬鈴薯の花咲く道を飾り牛
牛追ひ唄先づはきかせて代掻かる
代掻きの漢の背まで泥のはね
夏霧ののぼる蒜山三座かな
包丁に刃こぼれ少し梅雨に入る

 菖蒲挿す 渥美絹代
菖蒲挿す根継ぎしてある長屋門
稚生れて青柿日ごと太りけり
青楓明治昭和の蔵並ぶ
梅漬けてをり鳥声のしきりなり
朝七時草刈中止の布令まはる
手花火の子らの集へる橋の上 

白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
仁尾正文選


   松江  西村松子

王墳の四隅はりだす夏あざみ
朱は死者のよみがへる色明早し
縄文も弥生もはるか田水沸く
朝ぐもり墳丘の空濡れいろに
逃げ足の早き王墓の蛇に会ふ


    鹿沼  柴山要作

伊賀上野寺町通り日傘来る
背伸びして読む高札や薄暑光
女坂地を這ふやうに梅雨の蝶
舟頭の話佳境や夏柳
枇杷熟るる教会の門扉をおかず


白魚火秀句
仁尾正文
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縄文も弥生もはるか田水沸く 西村松子

 今月島根の作家から王墳、墳丘墓という作品が沢山寄せられた。出雲市内では30m×40m程の墳丘墓が幾つか発掘されて話題になっている。これらの墳丘墓は四隅が突き出した形をしていて特異。記録による三世紀中葉頃と推定される桜井市の箸墓古墳(前方後円墳)が造られて以後この種の墳丘墓は絶えたという。出土品の中には王の葬祭に献じられた土器が、強国の吉備の国や安芸、北九州から越の国に及ぶというから強大な王権が出雲に在ったようだ。
 掲句は、四隅突出した王墳を見て、作者自身の思いを詠んで成功している。古墳や出土品に真正面から立ち向っても十七音の俳句で、読者に感銘を与えるような作品を詠み上げることは不可能に近い。古墳を見ていて、ふと眼前に目を落すと田水が沸いていた。
 紀元前一万年の縄文時代から弥生へ時代は移り、弥生の古墳時代には大陸から稲作や銅剣、銅鐸の技術が伝ってきた。縄文や弥生という気の遠くなるような年代、日本の国土で日本人が縷々と命を繋いできたのである。その象徴が眼前の「田水沸く」だと作者は言う。「縄文も弥生もはるか」に悠久なものが詠出されている。

枇杷熟るる教会の門扉をおかず 柴山要作

 大きな教会の大きな門であるが扉が付けてない。信徒は勿論教徒でない者でも、どうぞ自由にお入り下さいという大らかな意志であろう。季語の「枇杷熟るる」が明るくて善意を感じさせる。
 クリスチャンでない筆者も教会の前はしばしば通るが、門扉があったかどうかは殆んど見ていない。心がそこにないからだ。目を凝らして「物」を見るということでないと吟行の意味はない。

喰うてみいや土佐の鰹のたたきぜよ 後藤政春

 今年のNHKの大河ドラマ「龍馬伝」を見て感心するのは龍馬役の福山雅治の土佐弁である。土佐に親友が居て年に何回か電話をするが、福山の土佐弁を聞くと友人と話している程地についている。掲句の作者も生れが土佐に近いので「龍馬伝」に触発されて掲句を生したのであろう。

沙羅の花重ねし年を忘れけり 中田秀子

 作者の年齢は白魚火会員の平均よりずっと若いが「重ねし年を忘れけり」という卆寿・白寿の人が言うようなフレーズが凄い。季語の「沙羅の花」は「朝の茶に語らふ死後や沙羅の花 波郷」などから何となく無常迅速を思わせる季語。平安で何の不自由もない暮しのように見えるが胸奥には一憂があるのだろうか。

饒舌なお住持と居り蚊の虜 坂東紀子

 つい最近隣保に弔いがあり手伝いに出向いた。この日は火葬場が込んで予定が40分以上も遅れた。お骨が帰ってきて初七日の法要があった。その後導師のお法話が延々40分にも及びうんざりした。近辺でもお法話が上手といわれている僧ではあったが・・・。掲句も話が好きで上手なのであろうが、得てして見境なく喋る。話が途切れたら、それを潮に辞去しようとするのだが、途切らさないのである。ために作者は薮蚊に存分血を取られた。こういうお坊さんは何処にも居て困るのである。

男体山に真向き背向きて田植かな 増山正子

 男体山の方へ向いて田植する人、山を後えにして田植する人。何の変哲もない風景であるが「背向けて」という言葉は故もなく謀反を思わせ、言葉の玄妙に驚くのである。

点滴の一日なりし青時雨 吉川紀子

 「青時雨」は山本健吉の『最新俳句歳時記』の「青葉のころ、木々に降りたまった雨が、木の下を通りかかるとばさりと落ちることを言う」との解説が正しい。最近出た『角川俳句大歳時記』には「夏の雨」の副季題として出ているが解説も例句もなく、収録に疑問が残る。
 掲句は、点滴の一滴一滴を一日中眺め、これを青時雨と美しく詠んで無聊を癒している。「青時雨」という語感や字面に惚れて作句しても成功は難しい季語である。

父の日や父の知らざる六十代 清水純子

 父の日に亡き父を身内の者が偲んで、生前のことを話するのは一番の供養になる。現在日本の男性の平均寿命は七十九歳位であるが、掲句の父は六十歳前に亡くなったようだ。当時としてでも若死にに類する。現在の六十歳代は、仕事に、旅行に、遊びに熟年を謳歌している。その六十代を父にも経験させたかった。

    その他触れたかった秀句     
塀越しに芭蕉生家の枇杷数ふ
地獄図に余白ありけり時鳥
木下闇伏流鳴れる柳生みち
一病と共生決めし半夏生
花田植牛飼ひの背の飾り鞭
滴りのぎりぎりといふ刹那かな
噴水の向うに朝の太極拳
みとられて夫は五月の風となる
点滴は琥珀色なり梅雨夕焼
カピタンの通ひし橋や額の花
鉄風鈴吊してよりの夕ごころ
法螺の音に犬耳立てり山開き
カレンダー一枚捲る薄暑かな
山開きバスより高き雪の壁
緑蔭に自転車あづけカメラマン
村上尚子
森山暢子
森井杏雨
諸岡ひとし
小玉みづえ
古川松枝
川上一郎
高田喜代
甘蔗郁子
神田弘子
大田尾千代子
久保徹郎
吉田容子
伊賀治子
栂野絹子


白光集
〔同人作品〕 巻頭句
白岩敏秀選


       原 和子

お百度を時計回りに梅雨の寺
作務僧の夏の香炉の灰正す
梅雨湿る土間に子の靴真赤かな
風渡る鉄師の山の湧清水
相棒のなき夕映の通し鴨


     古川松枝

海開き空の青さも祓ひけり
昼顔の翻るまま暮れにけり
泥んこの楽しき子等の田植かな
早苗饗の結に持たせし柏餅
梅雨の滝音に緩みのなかりけり 


白光秀句
白岩敏秀

作務僧の夏の香炉の灰正す 原 和子

 「の」を重ねながら真っ直ぐに詠みおろし、下五の「灰正す」が句をしっかりと受け止めている。
 大勢の参拝者が香炉の中に線香を手向ける。その煙の中で香炉の灰を正す作務僧。作務僧の動きを見つめていた作者の眼が捉えたのが「灰正す」である。ここぞというポイントを見逃さなかった作者の確かな眼がある。
 掲句は薄暗い本堂の香炉より本堂前に置かれている大きな香炉が似つかわしい。夏の日差しの中で、作務僧のきびきびした動きに清涼感がある。
風渡る鉄師の山の湧清水
 ここで言う「鉄師」とは「たたら師」のことだろう。出雲地方には加茂岩倉の銅鐸、荒神谷の銅剣、神原神社の銅鏡などにみるように高い製鉄技術があった。製鉄には良質な砂鉄と豊富な木材そしてふいごとなるような強い山風が必要だ。この条件を備えた出雲が大きな勢力を持っていたことは想像できる。
 かって出雲王国を支えて来た鉄師達の山。鉄師達が聞いたであろう山風や湧清水の音に耳を傾けながら、作者は「八雲立つ」古代出雲のロマンにこころを寄せているに違いない。
早苗饗の結に持たせし柏餅 古川松枝

 私の若い句仲間に「『結』って知っているか」と聞くと皆が知らないと答えた。『結』という言葉は消えていくのであろうか。水路がコンクリート製に変わり、屋根が瓦葺きに変わりそして田植えや稲刈りが機械に変わって、『結』は消えつつあるのが現状であろう。
 作者のところには『結』があるらしい。「持たせし」とあるから、早苗饗に出席したのは息子か嫁かであろうが、柏餅は作者の手作り。集まる人達のあれこれの顔を思い浮かべながら、心を込めてお作りになったのだろう。『結』で結ばれた信頼の深さが感じられ、気持ちの暖かくなる句である。

男等のまだまつさらな祭足袋 上武峰雪

 鉢巻、法被、足袋。祭装束の男達が揃った。男達の緊張した顔、顔、顔…。神輿を担ぐ男達のエルギーが爆発する直前の情景だ。
 神輿はもともと高貴な人の乗り物を神の乗り物と見立て祭に使ったのが始まりという。大勢で団結して神輿を担ぐことは、その苦労によって神に感謝することであり、神輿を練ることは神の威光を盛り立て、神と人間が一体となって行動するさまを象徴した神聖な行事だということである。
 「まつさらな祭足袋」には烈しく練り歩く神輿の描写より更に烈しい練りを予想させて凄みのある表現だ。

夏至の日の天地を返す砂時計 花木研二
 
 砂時計の小さな動きが天地の動きとして把握されている。砂時計の積み上げられた砂の最高の高さがそのまま一日の昼の長さ。今年の夏至は六月二十一日であった。
 この日を境として徐々に昼が短くなり、天地を返された砂時計は新しく砂を積み始める。
 地球という大きな物体と砂時計という小さな人工物、「年」の単位と僅か「分」の単位。これらを組み合わせながら、作者は人間の小ささを見つめているのかも知れない。

草刈の棚田を登り切りにけり 阿部芙美子

 この句の面白さは棚田を登り切った途端に見る角度が逆転することである。草を刈りつつ登るときは眼の角度は仰角となり、登り切って仕舞えば眼は棚田を見下ろす俯角となる。
しかし、これはあくまで鑑賞者の勝手な分析。
 誰からも称賛を受けることなく、黙々と棚田を守り、日本の農業を守っている人達のことを忘れたくない。作者もそのことを十分に承知しているからこそ「登り切る」と断定して賞賛を惜しまなかったのである。ここには脈々と受け継がれてゆく日本の農業があり、米づくりがある。

堂守りは柔和な農夫小判草 鮎瀬 汀

 柔和とはいつも微笑みを絶やさず、他人を暖かく迎え入れてくれる人のことを言うのだろう。しかも農夫。自然に従順して生きる術を知っている人でもあろう。
 このような人が堂守りならば何もかもうまくいくに違いない。風に揺れる小判草が気持ちの豊かさを象徴しているようだ。

浴衣美人かまど団扇となってをり 浅見善平
 
 一読して笑ってしまった。笑っては浴衣美人に失礼か?…。男達の気持ちを煽った浴衣美人が今はかまどの火を煽る団扇になっている。このどんでん返しの見方が愉快だ。しかも、浴衣美人の描かれたかまど団扇を、しげしげと眺めている作者の様子も見えて尚更楽しくなる。

片蔭の細くなるまで話しをり 山本美好

 片蔭が身幅が入るほどに細くなってしまった。それでも話は続く。よほど楽しい話なのであろう。じりじりと暑さが身に迫ってくる。まだ話は続く。二人の影法師が道路に現れるのも間もないことであろう。暑い話である。

    その他の感銘句
みちのくの旅の終りのさくらんぼ
十薬や鋭くなれる母の勘
涼風や織機をくぐる綿の糸
水深の六月蒼き滋賀の湖
浅草の雑踏にゐて夏帽子
向日葵の中へひまはりより低く
滝の水ひと固まりに落ちてきし
青春の真つ只中の夏帽子
峡の星ふやしぬ棚田に水張つて
滝の水滝を離れてより気儘
春蝉の森を冥めてくる山雨
紫陽花の雨ふふみつつ昏れにけり
灯台に向かひ真つすぐ夏つばめ
空知野の植田の広さ鳶舞へる
粧ひはさらりと決めて夏帽子
岡田暮煙
吉村道子
小林布佐子
森井章恵
中田秀子
新村喜和子
高添すみれ
栗田幸雄
稲井麦秋
藤田ふみ子
大滝久江
柿沢好治
勝部チエ子
森野糸子
山田しげる

禁無断転載