最終更新日(Update)'09.12.29

白魚火 平成17年3月号 抜粋

(通巻第647号)
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3月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句  上村 均
「草競馬」(近詠) 仁尾正文  
曙集鳥雲集(無鑑査同人作品 安食彰彦ほか)
白光集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
       
計田美保、荒木千都江ほか    
白光秀句  白岩敏秀
句会報 東京白魚火会  
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載)
          矢野津矢子、諸岡ひとし ほか
白魚火秀句 仁尾正文

季節の一句

(浜松) 上村 均 

 鰺刺の間一髪の仕業かな 山本まつ恵
   (平成二十年九月号 白魚火集)

 鰺刺は夏鳥として渡来。本州以西の海岸の砂丘や埋立地や川の中洲に巣を作り繁殖します。鰺刺を見掛けると夏の到来を感じます。
 鰺刺は鴎科に属し、我々が見るのは小鰺刺で百合鴎を小型にしたような体型で素早い動作が特徴です。時々四・五羽で飛んでいるのを見ますが、単独で行動しているのが多い様です。
 鰺刺は宙に一瞬とどまり水面を睨んで一気に飛び込み、嘴で上手に小魚を捕え、巣へ戻って行きます。この敏捷な動作を「間一髪の仕業」は言い得て妙です。鰺刺の特性を適確に生かしています。

よしきりや賽銭ほどの渡し賃 森山暢子
   (平成二十年九月号 白魚火集)

 渡し舟は、古き好き時代の代物で、最近は見る事がありません。物日の特別行事として再現したのでしょう。昔渡ったあたりに臨時の渡し場を設け、俄か船頭が櫂を操ります。
 渡し賃は「賽銭ほど」です。賽銭はあまり高額では無く、ほどほどの金額というところでしょうか。従って余り高くない渡し賃であったと想像出来ます。渡し賃に賽銭を当てたところに面白みがあり、良さがあります。
 その渡しの付近に葦原があり、よしきりがにぎやかに鳴いていたことでしょう。

時鳥一と声山を深めけり 早川三知子
   (平成二十年九月号 白光集)

 古来より時鳥は、雪・月・花とともに重要な季題として尊重され詩歌に詠われてきましたが、最近では市街地より遠ざかり山地の林へ移った為、疎遠になったのは否めません。
 時鳥は林の高い所で鳴いているため、姿を見ることは出来ません。したがって「トッキョキョカキョク」等と聞える鳴き声を愛でることとなります。
 掲句は、何処からか移って来た時鳥が急に鳴きだし、山地の林の静寂を破りました。その鋭い一声が、電波の様に林に広がりました。作者はその音の広がりを聞いて山の広さと深さを実感したのでしょう。
 聴覚を主とした時鳥の鑑賞の特性を「深めけり」によって良く表しました。


曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   


  牡 丹    安食彰彦

桜散る今は路地めく旧街道
天狗巣病切り倒さるる桜かな
撫で仏の背に白蝶の縺れあふ
とどまらず蝶舞ふ一字一石塔
水温む御眼を瞑る丁地蔵
牡丹寺尼子と同じ紋所
牡丹寺ままごと道具ちらばりて
牡丹花伝鹿介生誕地


  蛙 鳴 く  青木華都子

ちくたくと刻む秒針花疲れ
膝ついてかがんで磯菜摘んでをり
橡若葉樹下に真つ赤な三輪車
春の夜の開けつ放しの中二階
散りてなほ牡丹色を失なはず
散る牡丹明日咲く牡丹ぼたん色
真夜中の間違ひ電話蛙鳴く
蛙鳴く夜通し日付け変るまで


   杉 丸 太  白岩敏秀

学校は週休二日葱坊主
虹となるまでしやぼん玉高く吹く
木漏れ日に揺れて片栗咲きにけり
朝顔を蒔いてその夜雨となる
太陽に手をさし伸べて梨受粉
花衣明るき部屋に吊しけり
春真昼板となりゆく杉丸太
青空の底まで見ゆる昭和の日
 木 曾 路  坂本タカ女
木曾すんき蕎麦を待つ間の春炉かな
吊り屋根の木曾路の屋並燕来る
花にまだ高遠桜守に逢ひ
心願の奉納草鞋春蚊出づ
大正の蔵の太梁花馬酔木
辻神や芽吹きに早き白式部
とてつてと温習ふ三味線紅椿
先閊へたる満開の桃の花

 桜 散 る  鈴木三都夫
舞ひ上り風の落花となりにけり
残花散る忘れかけては忘れては
仏生会一山桜明りかな
接待の甘茶畏き御宝前
人形と荼毘の別れや桜散る
繕はぬままに萌え出し破れ傘
糸伸ばす浦島草の名を貰ひ
頼りなき杖に凭れし白牡丹

 花 樗   水鳥川弘宇
新緑やぼた山を知る人もなし
自転車も廃車としたり弥生尽
通夜の座の身内少なき若葉寒
遠目にもかささぎの巣の不出来なる
青麦の風押し寄する駅ホーム
老が守る出店一軒春祭
曇りとも晴れともつかず花樗
どこよりも高し生家の鯉幟
 
  夕 桜   山根仙花
子等の声散りて残りし夕桜
菜の花に菜の花色の月上る
まん丸の地蔵の頭囀れり
畑を打つ鍬先荒るる日本海
一とゆれもなき竹山の竹の秋
歌ふごと春の小川の流れをり
木洩日の風に騒げる五月かな
山若葉廃坑長屋崩れをり


鳥雲集
〔上席同人 作品〕   
一部のみ。 順次掲載  

  山 桜  渥美絹代

泊る子の床のべてをり春時雨
山桜神楽の衣結びやる
鳥帰る染めあがりたる布干して
みづうみの波の寄せくる諸葛菜
松の花客を迎ふる離れかな
献上の茶を揉みあげし傘寿かな

 百 千 鳥  池田都瑠女
朝なさな沈丁零るる庭を掃く
仏壇の子と分けあへり桜餅
夕雲雀ぱたつと落ちて見失ふ
貝寄風や浜に大きな足の跡
浜小屋は廃れ老鶯しきり鳴く
百千鳥日の斑を弾き鳴き渡る

 桐 の 花  大石ひろ女
枝低く潜りてたたむ春日傘
ふるさとの遠くなりゆく桐の花
真つ白な食器を使ふみどりの夜
うぐひすのこゑに紛れて一寸来い
方程式とつくに忘れ草を引く
衣更へて国旗を掲ぐ消防士
 磨 崖 仏  奥木温子

夢の外にしかと聞きたる初音かな
鴬の鳴きやむまでを息堪ふ
流暢な鴬今日のはじまりぬ
駒犬の口より吐ける蜘蛛の糸
磨崖仏拝して返す汗の杖
パラグライダー若葉の山を足下にす

 京の菓子  清水和子
芽吹きたる要に欅大樹かな
母真似て色濃き草の餅をつく
相席の人と見て来し花のこと
サークルへ誘ふ看板銀杏咲く
境内を通学路とし入学す
若草や持ち重りする京の菓子

  目 高  辻すみよ
畦塗りの済みし棚田の水光る
足音にお玉杓子の雲隠れ
目高より目高の影の濃かりけり
蕗を採る選ぶつもりもなく選び
曖昧なスタートなりし草競馬
富士山へ砂駆り上げて浜競馬


白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
仁尾正文選

  札幌  奥野津矢子

たつぷりと水ある春の小川なり
百の墓百には足らぬ座禅草
墓石に「憩」の文字や養花天
母よりも白き戴星駿馬の子
桜南風白き蹄の麒麟かな


  唐津  諸岡ひとし

自分史を手繰る一日や昭和の日
耕しや鳥が集まる十数羽
惜春や海の入日が沈みても
好きだからこその園芸夏隣
勢ひのつきしトマトに花咲きぬ


白魚火秀句
仁尾正文
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母よりも白き戴星駿馬の子 奥野津矢子

 戴星の馬というのは、額に白い斑文のある馬のことで、つきびたい等ともいう。母馬の戴星よりももっと白が鮮明な駿馬の子を褒めている一句である。駿馬はいうまでもなく競走馬、サラブレットなどがその典型である。国内の競走馬産地は殆んどが北海道である。千歳空港の近くに競走馬として何回も競馬で優勝した名馬の墓があり案内されたことがある。道民には誇らしいのである。掲句より将来が大いに期待される駿馬に声援を送っていることが読み取れたのである。
 同掲の「たつぷりと水ある春の小川なり 津矢子」は戦前から唱歌として歌い継がれた「春の小川」そのもの。雪解けで荒々しい「春の水」ではなく、やさしい春の到来を称えた小川である。

勢ひのつきしトマトに花咲きぬ 諸岡ひとし

 同掲に「好きだからこその園芸夏隣 ひとし」がある。現役時代には要職を歴任してきたこの作者は晴耕雨読、家庭園芸と俳句に悠々自適の日を送っているようだ。
 苗屋の鉢入りの苗には既に花を付けたものが多いので頭掲句は、種を蒔いて育てたトマトであろう。丹精のトマト苗が勢いをつけて生育し花を付けたのである。作者の満足をした顔が見える。健康に生きている喜びが一連五句に感じられ、読者、とりわけ高齢者を大いに勇気づけたのである。

スタートは揃はずじまひ草競馬 長尾喜代

 牧之原市相良に古くより草競馬(浜競馬ともいわれている)が行われている。広辞苑には「公認競馬に対して農村などで行われる小規模の競馬」と解説されているが『風生編歳時記』の外には季語として出ていない。『風生編歳時記』は「競馬」として京都加茂神社の「競べ馬」の説明とダービーの説明に終始し副季題に置いた「草競馬」には解説も例句もない。鈴木三都夫氏率いる静岡白魚火会に私ども浜松白魚火会の有志四名が加わって、歳時記に加えさせるような佳句を作るべく四月二十六日(日)に出かけた。町をあげての春祭のメインイベントで翌日の新聞には二万五千人の人出があったと報じられていた。
 掲句。公認の競馬ではゲートが開いてスタートするが、草競馬のこととて一線に並んでスタートすることは難しい。二馬身もフライングしても止める手段がなく、そのまま走って勝つというケースがしばしば。なお馬は退役のサラブレットで騎手共々レンタルしているようだった。
 地方色豊かな「草競馬」「浜競馬」は今後季語として認め、群馬の「吹越し」の如く新季語に認めさせたい、と思っている。

太陽の暈の虹色揚雲雀 萩原峯子

 太陽の暈は太陽の周りに見える光の輪。太陽が雲の水滴に回折されてできるもので外側が赤みを帯びる。それを虹といったが文芸上その感覚は許される。揚雲雀と虹色の太陽の暈の取合せは詩を生んでいる。この作者の旭川大会の「青葉木莵月色の目をしてゐたり」に感心して特選にしたことがあった。

薫風を欲しいままにし陰手ごり 古川志美子

 最近方言を生かした俳句が脚光を浴びている。掲句の「陰手ごり」は島根在住時築地松に係る方言として聞いたことがあったがすっかり内容は忘れていた。辞典や歳時記に載ってない言葉は作者と読者のキーワードがなくなり埋没するが、最近はインターネットでその補足ができるようになった。多くの人に対する完全なキーワードではないが。インターネットによると「能手ごり」は「能手刈り」で、四、五年に一度行われる築地松の剪定作業。木の高さが八~九メートルになると先端を切って美しく整えることと風通しをよくして築地松の風物詩としての健康を保つために行われる。高所の危険作業であるが掲句は薫風の中で気持よく剪定をしている図。作業に熟達した「能手樵夫」は後継者がなく貴重な存在だともいう。

清流に研ぎすまされし河鹿笛 成田幸子

 富士山麓の三島市、富士宮市や山梨側の忍の八海には豊富な地下水が噴湧するが、地中に百年も滞溜した水だという。掲句もそのような清流に棲む河鹿の声である。「清流」「研ぎすまされし」「河鹿笛」何れも涼しさの極み。読者もすずしい。

母の歩を振り返りつつ青き踏む 藤沢敏子

 試歩の母であろうか。歩き具合に気を留めて後を見ながら青草を踏んでいるのである。やさしい気持は自ずとやさしいしらべになった。


白光集
〔同人作品〕 巻頭句
白岩敏秀選

     計田美保

縦書きにこだはる手紙青葉冷
滾々と水湧き出づる若葉かな
ペパーミント味の歯磨き夏来たる
白球のぐんぐん伸びてゆく立夏
蝸牛あとからついてくる覚悟


     荒木千都江

湖に来てさざ波となる木の芽風
ものの芽のそれぞれ色を得つつあり
山に来て山の静けさ松の芯
行く春の光あつめて雲流る
田に光る水満々と五月来る


白光秀句
白岩敏秀

ペパーミント味の歯磨き夏来たる 計田美保

 起きて直ぐ新鮮な朝の空気を吸い込んだような爽やかな句である。ペパーミント―この一言で香りや味の全てが了解できる。
 口中さっぱりして迎えた朝。そしてこれから始まる新しい一日であり夏である。
 ペパーミント、歯磨きそして夏。弾むリズムを畳みかけるように重ねて、開放的な夏の到来を若々しい感性で表現している。
白球のぐんぐん伸びてゆく立夏
 どのような人達の野球なのか、練習なのか試合なのか。説明を一切省略して白球のみに焦点を絞っている。
 「ぐんぐん伸びて」には立夏の空を直線に飛ぶ白球を、映像化したようなリアルな動きがある。凡手なら「雲の峰」として句の動きを止めてしまうところ。
 今年もまた、高校球児の熱い夏が来る。

山に来て山の静けさ松の芯 荒木千都江

 この山はアルプスなどの高山ではなく、気軽に登ることのできる里山なのであろう。
 作者は日常の忙しさの合間をぬってこの山に登った。木々は葉擦れの音を鳴らし、小鳥が囀る。
 春のうららかな日和。黙って山の静けさに耳を傾け、全ての精神を解放するひとときである。鳥が空を忘れ、魚が水を忘れるように、作者も作者自身の存在を忘れている。
 自然の中に自己放下した東洋的な静閑さがある句である。

すべり台に飽きシーソーへ蝶の昼 岡田暮煙

 蝶々のひとり遊びの時。なにやらメルヘンの世界にいるような楽しさがある。
 子ども達と遊びたくて遊園地に飛んできた蝶ではあるが、午後は子ども達の昼寝の時間。 
 蝶は子ども達を待ってすべり台で遊んでいたが、それに飽きて今度はシーソーに乗ってみる。待っても遊園地に来てくれない子ども達。遊び相手のない蝶はまたヒラヒラ…。
 蝶の一部始終を見ていた作者、童心に還ったような楽しい蝶の昼であった。

算盤と手締の響く新茶市 山本まつ恵

 算盤の音は新茶の競り値を弾く音。手締の音は商いが成立した時の手打ちの音。
 一年間を丹精込めて育て、大事に摘み取った新茶である。高く買い取って欲しいのが人情。良い新茶を安く仕入れたいのが買い手の心理。お互いの思惑がぶつかり合う新茶市である。
 描写は算盤と手締の響きだけであるが、新茶市を見たことのない者にもその活気は伝わってくる。簡潔な表現が真剣勝負に似た新茶市の核心に迫っている。

河口へと水緩やかに葦芽ぐむ 寺本喜徳

 川の旅は途中は急ぎ足であるが、河口近くなると旅装を解くように緩やかな流れとなる。やがて流れは海に飲み込まれ、川と言う名前を失う。そして新しく海として甦る。
 川が川として最後に育てているのが葦。しかもそれは新しく成長し始めた初々しい葦芽である。
 眼前の穏やかな流れと小さな葦の芽を描写しながらも、背後にある大自然の循環を見逃していない。穏やかな句調にどっしりとした重みがある。

芋植うる一人仕事の長き影 大作佳範

 影が長くなる頃と言えば、夕方かそれに近い時刻であろう。芋植えに費やした長い一日が終ろうとしている。一人でこなした仕事ではあるが、思いのほか捗った。今日はこれで十分だ。そろそろ帰るとするか…。
 美しい夕日に照らされた作者の影が長々と畝の上に伸びている。

馬酔木咲く参道をゆき浄瑠璃寺 福永喜代美
 
 「馬酔木より低き門なり浄瑠璃寺 水原 秋桜子」。作者も秋桜子と同じように馬酔木の花を見ながらの浄瑠璃寺である。作者のご覧になった馬酔木も、やはり低かったのであろうか。
 馬酔木の花に導かれるように作者は浄瑠璃寺へ向かう。参道の尽きるところが門。秋桜子が初めてこの寺に来たときは、雨の中でよく鴬が鳴いていたという。

子供の日脱ぎたる靴の大きかり 黒川美津子
 
 玄関に乱暴に脱ぎ散らされた靴。少し行儀を教えなければと思いつつ、靴を揃えてみるとこれが意外と大きい。この前来たときにはもう少し小さい靴と思っていたが…。
 先程の苛立ちの気持ちはたちどころに子供の成長を喜ぶ気持ちに変わってしまった。子供の日とは子供の成長に驚く日でもある。

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