最終更新日(Update)'09.05.31

白魚火 平成17年3月号 抜粋

(通巻第643号)
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3月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
・しらをびのうた  「自註現代俳句シリーズ西本一都集」転載 とびら
季節の一句    森 淳子
「去年今年」(近詠) 仁尾正文  
鳥雲集(一部掲載)安食彰彦ほか
白光集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
       
檜林弘一、 松本光子ほか    
14
白光秀句  白岩敏秀 40
・白魚火作品月評    鶴見一石子 42
・現代俳句を読む    中山雅史  45
・百花寸評        田村萠尖 47
・鳥雲集同人特別作品 50
・俳誌拝見「夕凪」12月号  森山暢子 51
句会報 広島白魚火会   52
・「俳句文学館紀要」第15号転載 53
・句集評 句集「太郎杉」ご上梓  青木華都子 58
・ひじき刈り (こみち)   中山啓子 61
・第28回柳まつり全国俳句大会開催要領 62
・「港」2月号転載 62
・今月読んだ本      弓場忠義       63
・今月読んだ本     牧沢純江      64
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載)
          村上尚子、後藤政春 ほか
65
白魚火秀句 仁尾正文 113
・窓・編集手帳・余滴       

季節の一句

(函館) 森 淳子

母の住むそのお隣へ桜餅 小林布佐子
(平成二十年五月号白光集)

 北海道の長い冬も終りようやく春の訪れるころ一番先に店頭に出るのが桜餅である。
桜花のように薄紅い色に作られ桜の葉でくるんである。その香りがたまらない。餅菓子の中でも春を告げる代表格である。
 句会でも不思議と誰かが持参する。このお句を拝見したとき母を思う作者の暖かさを感じました。
 離れて住むお母様を訪ねるとき、日頃何彼とお世話になっているであろうご近所のお宅へ手土産を持参するという友人を知っている、娘とはそういうものであるらしい。
 久しぶりに訪ねて来てくれた娘との楽しい語らい、母と娘の笑顔さえも彷彿させてくれる心暖まる秀句に心惹かれました。

黄水仙母老いてなほきれい好き 青木いく代
(平成二十年五月号白光集)

 このお句も又母恋いの句と拝見いたしました。
季語の黄水仙と母との取り合せのなんと良いことでしょう。
黄水仙は私の最も好きな花の一つです。歳時記によると「黄水仙」は春季で三、四月頃に咲くとあります。しかし私の住む北海道の黄水仙はまだ雪の中です。
福井県丹那郡下岬村の越前水仙は有名で、日本海に面した岸一面を黄金色の花で彩る。と書いてありますが、ぜひ一度訪ねてみたいものです。
 さてお母様のことですが、お元気できれい好き、身綺麗にして優しい方なのでしょうね。
 私の母もそんな人でした。明治生まれの母は和裁はもとより洋裁、編物、料理も得意何でもこなすので、私達家族は幸せでした。

多くの秀句の中から目に止まったのは、いつまでも亡き母を恋う娘だからでしょうか。お二人のお母様がお元気で過されます様に今後も誌上での秀句を拝見させていただきたいと思います。


鳥雲集
〔無鑑査同人 作品〕   
一部のみ。 順次掲載  

   賀 客    安食彰彦

賀客とし国造館に靴を脱ぐ
出雲国造殿に御慶申したし
栗饅頭霰をくぐり買ひにけり
年玉を硬貨で欲しと二年生
蔵出しの輪島塗りなる雑煮椀
とんど焼回す茶碗に御神酒注ぐ
とんど焼餅銀紙に包まれて
七五三飾燃え朽縄となりにけり

 初 電 話   青木華都子

除夜の鐘余韻男体山にまで
壷にさす千両の実のこぼれたる
神杉の並木半里の初明り
神官の白装束や護摩木焚く
初みくじ結ぶ佳きことあるやうに
一通のハングル文字の年賀状
アンニョンハセヨ元気ですかと初電話
蝶凍つる三仏殿の暗がりに

 砂丘の色   白岩敏秀

枯草の砂丘の色に暮れゆけり
児の蒲団干すしあはせを干してをり
橋潜り他郷の冬の川となる
寒林や今日吹く風の今日の音
切干や入江の渚短かくて
断りの上手な女木の葉髪
鉛筆を尖らせてゐる年用意
晩年やうすき膜張る七日粥

 海 鳴 り  坂本タカ女

公証人役場前下車柳散る
海鳴りや山暮れ橋の冬めく灯
つまづきて点く蛍光灯冬に入る
酒造り杉玉造り蔵の冬
雪虫や割りつ放しの薪の山
ばらばらに飛んで雀や枯葎
割箸のお代りをする冬の蠅
冬帽子被り上手でありにけり

 冬 芽   鈴木三都夫

鴨ゐるは汐入川の波がくれ
川巾を二つに分けて陣の鴨
山の日のやうやく届く冬紅葉
落葉踏む落葉の音が聞きたくて
憎まれつ子世に憚れるゐのこづち
水涸れて心許なき水車かな
岩に彫る不動明王冷まじく
鉄幹のおろそかならぬ冬芽かな
 
去年今年  故 栗林こうじ
静謐の法然小路冬紅葉
重ね着の齢重ねし身に馴染む
賜りし越後杵搗き餅一荷
友いくたり失ひしかな去年今年
病院に七草粥を食ぶるとは
居てほしき妻帰りゆく冬薔薇

 書 初   武永江邨
筆の穂を水にほぐして筆始
書初や全紙に向ふ息遣ひ
おのづから息の詰まりし筆始
月明や全身で聞く霜のこゑ
寒卵一つで足りる朝の卓
寒鮒のひと夜の命預かれり

 命 毛   上川みゆき
初硯命毛殊にねんごろに
初句会さなかの電話嬰生る
太箸や命惜しめと嬰を抱く
寒禽のこゑ落しゆく勅願寺
小寒や製菓の釜に火を入るる
振り向きし埴輪の眼日脚伸ぶ

 冬 紅 葉   上村 均
城跡は紅葉の山の天辺に
冬鴎川のにごりが海までも
前浜に無人の焚火くすぶりぬ
寒釣りに高速艇の波が寄す
先頭の走者の見えて掛大根
どの道も山へつながる冬紅葉

 年惜しむ  加茂都紀女
落柿舎の空筒抜けに猪威
外壁に掛けし蓑笠冬の蠅
方丈に裏鬼門あり冬珊瑚
膝掛を手渡す車夫の京ことば
石段を降りて洗ひ場蕪洗ふ
水占の水に指浸け年惜しむ

 除 夜 釜   桐谷綾子
里帰りして大粒の零余子飯
垂乳根に湯たんぽ入れし足元に
一番に母をいれたる柚子湯かな
新年の誓ひを込めて鐘を撞く
干支の道具使ひ納めて除夜の釜
初便りかなしきことをさりげなく

 師 走   鈴木 夢
ぞろぞろと秋葉火まつり崩れ衆
山門を飛び越えて来し銀杏の葉
神還り殊の外なる空の藍
ふと思ふ遠き日のこと柚子二つ
煤払ひとはなつかしき言葉なり
いつもより少し早起きして師走


白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
仁尾正文選

    磐田  村上尚子

やどり木の毬高く上げ山眠る
吉良祀る本所松阪小米雪
冬紅葉口閉ざされし登り窯
フレームにあるは観察日誌らし
校舎より声が聞えてクリスマス


    高松  後藤政春

黙つてはをれぬ性分頬被
祖谷渓の冬日左岸に移りけり
一湾の小島まるごと冬紅葉
びつしりと氷柱垂らせる水車小屋
女子寮にまた舞ひ戻る焼藷屋


白魚火秀句
仁尾正文
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校舎より声が聞えてクリスマス 村上尚子

 十二月二十五日のキリストの降誕祭はクリスチャンには大事な日である。前夜のイブから三回も四回もミサが行われ一家揃って虔ましく過ごすのである。ところが大多数が異教徒である日本では、街にジングルベルの曲が早々と流れ、広場には聖樹が立てられ、やたらとサンタクロースが現れて子供たちに夢をふり撒く。デパートや菓子舗や飲食店等が商魂によって造り出したものであろうが、戦後六十余年も経つと、この宗教色の薄い日本式のクリスマスも定着してしまった。イブの夜若い父親のサラリーマンが聖菓を提げて早々と帰宅する姿などはほほえましく、日本式のクリスマスも明るくて、悪くはない。
 欧米ではクリスマス休日が何日かあって国を挙げて休むが、掲句は普通通り授業が行われている校舎から聞えてくる声は、音読か唱歌か。とにかく明るくて清潔なのである。読者に打ちくつろいで気持ちよく読ませるのは一芸ありといえる。作家の器量ありといえる。

びつしりと氷柱垂らせる水車小屋 後藤政春

 戦前の水車は、米・粟・小黍等杵取りの要らぬものに限られていた。伊万里の陶石や生干しの藷の切干し等も搗けた。裸麦や高黍は水を加えないと搗けないので不適格だった。
 水車には水を上から掛けるものと急な流れで下羽根を回すものとがある。又SLの如く重連式や三重連のものもある。昔と異るのは軸受にボールベアリングを設置して回転効率を随分とよくしている所。日光市には今も線香を造るために水車で杉の葉を搗いている所がある。電動モーターでは熱が出て線香の香りがよくないからだという。
 掲句は、休止中の冬の水車場。水辺に近いのでびっしりと氷柱が垂れ下って荒涼とした景ではあるが、郷愁をしきりに誘う一句でもあった。

船首みな沖を向きたる大旦 渡部美知子

 日本海の初景色であろう。舳を上げてこれが悉く沖に向いている船溜り。沖に向いた舳は希望に溢れて誠にすがすがしい。こうした実景が目に飛び込んできたのは、作者自身にも今年は、という気力が充実していたからだ。

初笑ひはひふへほほと声ありぬ 高添すみれ

初鏡口の体操あいうえお 舛岡美恵子

 前句。「は行」はすべて笑い声に用いられる。
呵々大笑あり、へらへらした笑い、含み笑いや口に手を当てたひそやかなもの等。言われてみて気付いたが確かにそうで愉快な句だ。
 後句。初鏡を前にして口の体操に、あいうえおと声を出しながら口の開け方に力を入れて、きれいな歯並びを確認した。それぞれの姿態がはっきり見えて来て佳。ただし、前句も後句も、最初に思いついて句にした者に手柄がある。二番煎じ三番煎じでは興醒めして選者はきっと採らないであろう。
 昨秋、俳人協会静岡県支部の俳句大会で講師の西村和子理事は、一年一年老化する俳人の老化を遅らせるのは「カキクケコ」を意識せよと言ったが頷かされた。カは関心、キは興味、クは工夫、ケは健康、コは恋。この恋は男女の恋は勿論含むが花を愛する、山河を愛する、すなわち大自然を愛惜するということ。

一陣の風に寝返る朴落葉 中村國司

 朴の落葉が上を向いて地面をがさがさ這っていると一陣の強い風が立って裏返しになった。作者はそれを寝返ったと実写して俄然句が面白くなった。戦国時代調略によって敵将を寝返えらせることは味方の一兵も損せず敵の戦意を殺ぐ大功であった。調略の第一人者は木下藤吉郎であったが、決死の覚悟をもって状勢や損得を鮮やかな弁で解き誠意を尽して人間対人間の問題であった。掲句からそんな事が連想された。

歳晩の人皆重き包み提げ 大石越代

 年末の主婦が、デパートやスーパーで年越用品や食材を買い求めてフーフー言いながら駐車まで運んでいるのをよく見かける。この句は「重き」が多忙を思わせるが、一面ショッピングの楽しさも垣間見せている。

神橋に初日をこぼす太郎杉 増山正子

 日光の神橋に太郎杉が元旦の木洩日を落している景であるが、最近上梓した鶴見一石子氏の句集『太郎杉』讃であることはすぐ分かる。

蜜柑剥くあの世此の世を行き来して 前川きみ代

 炬燵で蜜柑をむきながら越し方をふり返っている。ある時は大病で三途の川辺まで行っていたことがあったが、幸い健康を取り戻し今はすべての人や物に感謝している。作者は九十四歳。投句用紙の欄に年齢を記入してあったので右の鑑賞が出来た。見栄を張って年齢欄を空欄にしているのはルール違反。恩寵は受け難いのである。

    その他触れたかった秀句     
極月の梁に一挺火縄銃
趣味ひとつ増やして冬の草青し
初鏡今年の顔にまみえけり
冬山の三角点に記帳台
徐に天を仰いで嚔かな
仕舞湯に夫の一くべ冬ぬくし
蝋梅の溶け出して来る香りかな
かつかつかかああかああと初烏
引出の奥に勲章年始め
掃除器の掃除してをり十二月
大村泰子
浅野数方
浜崎尋子
谷山瑞枝
栗野京子
古川志美子
塚本美知子
山口菊女
土江江流
奥山美智子


白光集
〔同人作品〕 巻頭句
白岩敏秀選

   檜林弘一

水位標晒されてゐる冬河原
冬の雲重心低く居座りぬ
実万両日を鈴なりに照り返す
煤逃げの太公望の揃ひをり
結ぶ隙作りて結ぶ初御籤


   松本光子

餅背負ひ一歩踏み出す小春かな
誕生餅配る勤労感謝の日
山門を潜る焚火の匂ひかな
十二月八日蕎麦打つ男かな
ていねいに畳みて捨つる古暦   


白光秀句
白岩敏秀

冬の雲重心低く居座りぬ 檜林弘一

 空と大地の広い空間を、ぐっと押し縮めるように重く垂れ込めている冬の雲。景や音の介在の一切を排除した世界がストレートに詠まれている。
 掲句のキーワードは「重心」。冬雲の「重心」は鋭い把握だ。これが冬雲の全てであり、空を暗く覆っているものの正体である。
 とは言え、この句は冬雲の暗さばかりではない。重心は動く。動いたあとには春が来る。この句には冬雲の後に続く春雲の明るい空が約束されている。
実万両日を鈴なりに照り返す
 鈴生りの万両の実に当たる日射しを「日を鈴なり」と発見した言葉が新鮮。作者の感性の若々しさを感じる。
 俳句は言葉の文芸であり、言葉を発見する楽しさがある。「日を鈴なり」は作者の言葉、他者がみだりに使ってはならないと思う。

十二月八日蕎麦打つ男かな 松本光子

 十二月八日と言えば昭和十六年に日本が太平洋戦争に突入した日。幾十万の戦死者を出し敗戦、そしてその後に続く食糧難。日本を未曾有の混乱に陥れた日である。あれから六十八年、今の日本は経済の成長と平和に恵まれて暮らしている。
 嘗ては生活の道具を握っていた手が、冷たい銃身を握る手に変わったが、今では蕎麦を打つ麺棒が銃身に変わることがない。
 この句は「十二月八日」という重たい季語を背負わせながら、平和を願う熱い気持ちが籠められている。

電飾の陰が冷たし歌舞伎町 竹元抽彩

 不夜城と言われる歌舞伎町の華やかなネオンの陰にある冷たさ。この冷たさは電飾の物理的な冷たさではなく虚飾の冷たさであろう。
 一時の歓楽を求める人の雑踏と提供する人の打算。実りのない虚飾の裏にある虚しさを作者は見抜いている。
 喧騒な雑踏に身を置きながらも、冷静な観察眼を失わないのが俳人である。

春の風邪起きねばならぬ朝が来る 古藤弘枝
 
 家族の一日は主婦の朝の動きから始まる。 今日もいつもの習慣で決まった時刻に眼が覚める。昨夜はあれほど作者の風邪を心配して呉れた家族である。誰かが起きてくれそうなものだが、家の中はしんとしている。やれやれと思いながら起きる用意をする作者。
 家族を愛しているからこそ、つらくとも起きねばならない朝なのである。

初鴉声に濁りのなかりけり 山岸美重子

 鴉は人に好かれる鳥ではない。餌の少ない冬場には畑を荒らしたり、ゴミを食い荒らしたり好き放題である。しかも高い所から人間を見下したように鳴くだみ声は辛抱できるものではない。
 とは言え、正月は目出度いもの。嫌われものの鴉も正月は瑞兆として喜ばれる。日本人の感性の柔らかさであろう。
 掲句も濁りのない鴉の鳴き声に正月の目出度さを籠めている。

神杉の走り根太し初詣 山田しげる

 地上に現れた走り根の太さから、神杉の大樹が見えてくる。そして、神杉を育ててきた神社の長い歴史も。
 見えているものの力強い描写が描かれていない世界を引き出している。気力の充ちた写生である。
 神杉を讃え神社の神々を讃えて、一年の息災を願うのである。

短日の南座のベル鳴りにけり 柴田純子
   
 南座は京都市東山区四条にある。四条通南側にあったところから、南側の芝居と呼ばれたが、明治三十九年に南座と改称されたという。
 短日の南座と言えば、十二月の顔見興行だろう。開演のベルが豪華絢爛たる歌舞伎の世界へ誘ってくれる。時の立つのも忘れ、年末の忙しさも忘れ楽しむ歌舞伎である。
 短日の京都を楽しむ旅情もほのかにただよう。

葉牡丹の渦に集まる日ざしかな 中村美奈子

 この葉牡丹はいずれ正月に飾られることであろうが、今は静かに冬日を受けて渦を整え、色を整えている。
 何もないことが幸せな葉牡丹の風情である。
 この句は見たままがストレートに詠まれていて、どこにも技巧を凝らしたところがない。そこに俳句に狎れていない初々しさがある。

    今月の感銘句
冬落暉遠きものより暮れ始む
寒紅に女の意地を通しけり
やはらかき吾子の髪解く日向ぼこ
青竹の匂ふ若水掬ひけり
寒禽や竪穴住居に炉の窪み
歩きては耳聡くなる枯木山
綿虫に楽しむ高さありにけり
姿見に息吹きかくる寒の紅
生粋の函館生まれ鯨汁
米を磨ぐ指先師走となりにけり
佐藤升子
大石益江
小村絹子
川島昭子
鍵山皐月
柴山要作
木村竹雨
高橋静香
山田春子
勝部好美

禁無断転載