最終更新日(Update)'08.11.26

白魚火 平成17年3月号 抜粋

(通巻第639号)
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2月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
・しらをびのうた  栗林こうじ とびら
季節の一句    大村泰子
「存分に」(近詠) 仁尾正文  
鳥雲集(一部掲載)安食彰彦ほか
白光集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
       
須藤靖子、辻すみよ ほか    
14
白光秀句  白岩敏秀 39
・白魚火作品月評    鶴見一石子 41
・現代俳句を読む    中山雅史  44
・百花寸評        田村萠尖 46
・「俳壇」11月号転載 49
・鳥雲集同人特別作品 50
・立秋後 (こみち) 加藤徳伝 51
・俳誌拝見「やまびこ」8月号  森山暢子 52
句会報 高知白魚火会   53
・「琅玕」・「天塚」9月号転載 54
・「山暦」8月号転載・「琅玕」十月号転載 55
・今月読んだ本       弓場忠義       56
今月読んだ本     牧沢純江      57
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載)
          竹元抽彩、渥美尚作 ほか
58
白魚火秀句 仁尾正文 105
・窓・編集手帳・余滴       

季節の一句

(浜松) 大村泰子

緑青の鯱天に冬立てり 小林梨花
  (平成二十年一月号 鳥雲集)

 今年の松江での白魚火全国大会は、二百三十名もの人が参加し、地元の方のご尽力もあって大変盛会でした。
 松江城の桃山風の天守閣は、千鳥が羽根を広げたような千鳥破風の屋根になっており、大棟の両端には立派な鯱が飾られています。緑青の鯱は天守閣の風格となっていて、荘重かつ優美で、まさしく松江のシンボルだと思いました。全国大会は暑い夏の盛りでしたが天守閣の最上階では四方から入る涼風と、三百六十度のパノラマにしばし時のたつのを忘れるほどだったことを思い出します。
 立冬と聞けば、やがて来る寒気に立ち向かう気持ちで心の引きしまる思いがします。また「冬立てり」としたところに静かでしみじみと冬だという感慨と冬を迎える決意のようなものが込められています。骨太で格調高いお句に心ひかれました。

松の間に聳ゆる天守後の月 原 和子
  (平成二十年一月号 白魚火集)

 古くから日本では月を愛でる風習があります。仲秋の名月、後の月とそれぞれに、お月見だんご、芒、萩などの草花を活け、栗や里芋などを供えます。
 月からは多くの物語が生まれ、私が子供の頃には、本当に月にうさぎがいるのかと思い一生懸命眺めたものでした。今では三十八万キロ離れた月まで、スペースシャトルが行って帰る事が出来るようになり、月はとても現実的で身近なものとなりました。
 掲句は、後の月の光を浴びる天守閣をしみじみとした思いで愛でる作者の気持ちが伝わって来て「聳ゆる」が景に大きな広がりを見せ、松の間から見える天守閣の美しさが際立ちます。「後の月」として余情のある句に感心いたしました。


鳥雲集
〔無鑑査同人 作品〕   
一部のみ。 順次掲載  

 
巻  雲  安食彰彦

次の蝉かなかなかなと鳴きにけり
五輪塔の側虫の音のただならず
霊山の風鬼蔦を裏返す
蔀戸を上げて秋風通しけり
宵の明星ひたすら自転車漕ぎにけり
稔田の中を子を抱き犬連れて
稲雀隣りの田圃まで逃ぐる
巻雲や禿頭もよし老いもよし


 曼珠沙華  青木華都子

秋暑し韓定食のオイキムチ
息かけて拭ふ手鏡走り萩
朝ひぐらし二分遅れの始発バス
かなかなや外科病棟の非常口
秋蝉や一万本の杉の闇
体当りして橡の実を落したる
生栗を掴みそこねし銀の箸
この峠越ゆれば他郷曼珠沙華


 流 星  白岩敏秀

日焼の子笑顔のままに眠りけり
百日紅蕾をつけてまだ咲く気
揚花火湖上の昼をつくりけり
新涼や夜風は雨を伴ひて
島抜けのごとく踊の輪を離る
流星の切りたる闇のあとの闇
星月夜棚田をつなぐ水の音
軍用機秋天汚し飛びたてり


 海 鵜  坂本タカ女

鱗粉のうすれゆくなり蝶交む
糸ひくがほどの滝なり海のまへ
蛸茹づる浜の大釜月見草
翅下げて海鵜の降下ぎす鳴けり
実玫瑰根元の太き赤燈台
木の葉揺れして磯舟や昼の虫
自轉車の野球少年稲の花
ぎす鳴くや牛舎に鎖きしむ音


 蟻 地 獄  鈴木三都夫

土用浪余波駈けのぼる荒岬
突堤や舟虫が逃げ蟹が逃げ
待つといふ性の拙なき蟻地獄
踊る手の見やう見真似の遅れがち
送り火の消え渋りつつ尽きにけり
亀甲の幹亀甲の新松子
表見せ裏見せ一葉落ちにけり
たまきはる命を縷縷と虫の秋
  おくのほそ道高田 加茂都紀女
灼くる街たづね訪ねし芭蕉の宿
市立つや雁木伝ひにあいの風
臑見せて古刹の僧が水を打つ
蜩や最後の門を閉ざす城
にほひたつ青竹を組み施餓鬼棚
城の濠埋め尽したる蓮は実に

 今日の月  桐谷綾子
たらちねの母の若やぐ出湯の秋
どの山となく連なりて秋さやか
凛として雲くぐり抜け今日の月
いち早く鳥の見つけし式部の実
涼新た翅あるものは皆飛べり
見えぬとも金木犀の香なりけり

 男 郎 花 鈴木 夢
手始めに切りし一枝男郎花
旧道に残る満天星紅葉かな
荒れ庭がおはぐろ蜻蛉のお気に入り
懸命に生きしつもりの盂蘭盆会
暫し見て土用蜆の前を去る
棚経の僧せかせかと戻りゆく

 蝉 の 声  関口都亦絵
榛名嶺や吾亦紅忌の虹懸かり
城山の風の涼しき佛間かな
墓訪へば地より師のこゑ蝉の声
手すさびの草引く刀自の十坪畑
秋蝉のただひたすらに声を張る
神南備の杉の秀に満つ秋気かな

 鳥 威 し 寺澤朝子
青北風やいくつ越え来し峠道
咲き残る河骨弁財天の池
一山へとどく麓の鳥威し
かまきりの踏んでをりたり百度石
万燈の万に灯の入る地蔵盆
扁額の書は南州や襖入れ

 虚無僧茸  野口一秋
あくがれの花野に妻の杖となり
霧深し帽子の鈴が鳴つてゐる
滝見茶屋霧が暗しと灯をともす
その中の虚無僧茸は蹴らでおく
きりぎしの乳茸採るにも命懸け
ひぐらしの逢魔が時となりにけり

 名残茄子 福村ミサ子
汗のシヤツ脱いで焚きつぐ荒布釜
盆東風や海に向きたる虫籠窓
魚網もて囲ふ畑や名残茄子
捨て舟を覆ひつくして南瓜垂る
ひぐらしや堂守り鍵を下げ戻る
地獄絵と色を競ひぬ唐辛子

 宇津の谷地蔵盆 松田千世子
ずぶ濡れの五色の旗や地蔵盆
喜雨なれど鉄砲水に戦けり
沢蟹の喜雨に燥げる高歩き
馬頭尊に慶長とあり蝉の穴
墨染の揚羽蝶舞ふ家並かな
野佛の椀に雨水あきつ飛ぶ


白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
仁尾正文選

  松 江  竹元抽彩

秋光や水尾引き隠岐は遠ざかる
鰡跳んで宍道湖暮るる気配かな
鬼灯を供花に剣師の墓を訪ふ
軒並に秋刀魚焼く香や路地暮るる
秋の灯やコンビニ夜を眠らざる


  浜 松  渥美尚作

御浚の笛や太鼓や祭来る
格子より灯りこぼるる切子かな
秋暁の電話けたたましく鳴れり
秋声や温顔の僧会釈して
柿に色少しきてをり小京都


白魚火秀句
仁尾正文
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秋光や水尾引き隠岐は遠ざかる 竹元抽彩

 秋光は秋色、すなわち秋の景色、秋の気分、秋の気配など少しく主観の入った季語である。掲句は、温室効果ガスなど皆無に近い孤島隠岐島の澄みに澄んだ秋気を褒めた「秋光」だ。境港からの隠岐航路は高速船では一時間に短縮されている。船上から遠ざかって行く隠岐を「水尾引き隠岐は遠ざかる」と隠岐に意志を持たせた倒置法で描いたところが面白い。つまり隠岐を有情に支立てているのである。
 同掲の「鬼灯を供花に剣師の墓を訪ふ 抽彩」は全日本剣道連盟から「七段・教士」の称を許されている作者は剣の師を今も敬恭してやまぬのである。

御浚の笛や太鼓や祭来る 渥美尚作

 北遠州の寺野のひよんどり、川奈のひよんどりは共に国の重要民俗無形文化財である。寺野の、それは世襲制であるが川奈の方は毎年演者が変わる。だが、幼児の頃よりひよんどりを見続けているのでお復習は一週間位で十分だという。
 掲句のお浚は産土の夏祭の芸能のようだ。一週間程夜毎に笛や太鼓が聞えてくると何歳になっても浮き浮きする。共感度の高い作品である。同掲の「秋暁の電話けたたましく鳴れり  尚作」は訃報の電話。前浜松白魚火会長で、作者の岳父である河合萬平氏が八月十八日の早暁逝去された。氏は会員百三十名の浜松白魚火会の基礎作りに献身的な尽力をされた方であった。享年八十四歳。

門川の今日秋立ちし水の音 森井章恵

今朝の秋在宅ケアの豆の粥 藤元基子

 有名な藤原敏行の「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風のおとにもおどろかねぬる」を思わせる両句。門川の水音も昨日とさして変らないが今日から秋、秋の音なのだと自分自身に言い聞かせている前句。立秋とはいえど暑さは何ら変わらない在宅介護の労を詠んだ後句。
 今月の投句稿では「秋立つ」「今朝の秋」が随分とあったが大部分は採れなかった。今年は閏年で立秋は八月七日。残暑というよりも酷暑日が各地で記録される程の暑さであった。が、没になった作品の内容は新涼、爽秋の類でムード的に使われていたからだ。季語の本意をしっかりと把握しなければならない。

八月の砂の重たき砂時計 大作佳範

 八月の砂時計の砂が物理的に重いのではない。昨年「鎮魂の八月終る風の音 正文」を発表したが、頭掲句は主観を抑えた具象が拙句の「鎮魂の八月」という「言い応した」ものよりも秀れている。

団扇だけ右手で使ふ左利き 久保美津女

 野球選手にはサウスポーが多い。またテレビで左手で箸を持って食事する者や左手で字を書く人が目立つ。掲句の主人公は左利きであるが団扇だけは右手で煽いでいて不思議だ。理由を聞いても幼児の頃から、こうしていて何故だか分らないという。そこで掲句が詠まれた。
 俳句は、この「オヤッ」と思ったことで句を作ったがそれで十分。指導者によっては、感動をしなければよい句はできないという「感動居士」が居る。感動といえば筆者などは、オリンピックで金メダルを取って感涙にむせんでいる場面を反射的に思ってしまう。三十分で五句とか六句作る席題句会では、そんな感動をしている暇はない。

あぶく一つ溜息金魚にもあるか

 金魚玉の中の金魚がぶくっとあぶくを上げた。金魚にも一憂があって溜息をついたのであろうか。先師一都に「水中花まことしやかに露むすぶ」がある。凝視の目や感じたものに共通するものがある。

飛行機雲積乱雲に突入す 栗野京子

 太くて真白なジェット機雲がためらうことなく雲の峰に突入したのである。すかっとした景がすかっと表現され読者もすかっとした。単純化が果されたので骨太の佳什となった。

母の兄今も少年終戦日 内田景子

 作者の年齢からすると母の兄は健在ならば米寿を越す齢であろうが遺影は少年のまま。「いつまでも夫は三十墓洗ふ 平池季子」という戦争寡婦の句があるが頭掲句も戦争で国に殉じた少年兵のように思われる。

風鈴の秋の音色となりにけり 柴田まさ江

 「くろがねの秋の風鈴鳴りにけり 蛇笏」は余りにも有名。掲句も蛇笏作を踏まえてはいるが類句とはいえない。掲句には「秋の音色」という独自性がある。似ているとするならば潔い一句の声調である。

    その他触れたかった秀句     
パトカーの来てゐる西瓜畑かな
鉢植ゑの茉莉花人を恋うてをり
一点を涼しく見詰め座禅終ふ
蛇捕りの通りし道の生臭き
潮騒に背を向け口説く盆踊
炎天のいちづでありし日の校歌
音捉ふ散歩がてらの遠花火
下駄の緒を少しゆるめに踊の輪
滴りの下の小さな窪みかな
日雷鍵をどこかに置忘れ
岡田暮煙
浅野数方
大石ます江
野上 晢
亀本美津子
鈴木敬子
有田きく子
水島光江
門脇美保
金原敬子


白光集
〔同人作品〕 巻頭句
白岩敏秀選

      須藤靖子

潮風の馬柵より高き秋桜
一瞬の鳥の失速霧はしる
磯鴫の巌を離るる潮目かな
転舵してキャビンに秋日溢れけり
滾りつゝ秋の没日の日本海


   辻すみよ

掌の窪に受く滴りの溢れけり
せんべいのパリツと割れて日雷
潮焼けの磯馴松にも新松子
灯台の螺線階段抜けて秋
ぱたぱたと音たててゐる秋簾


白光秀句
白岩敏秀


潮風の馬柵より高き秋桜 須藤靖子

 コスモスはメキシコ原産でヨーロッパを経由して明治時代に我が国に渡来したものだという。
 そのコスモスが咲いている所が、海の断崖の上にある放牧地。山陰地方ならさしずめ隠岐島の国賀海岸あたりであろう。
 秋の澄んだ海と空を背景に、断崖にある馬柵を隠すようにコスモスの一群が高く咲いているという景。
 見て感じたままが句になっていて、どこにも加工がない。加工がないということは作者の思いがコスモスに同化しているからであろう。潮風に揺れているコスモスが可憐。
 一瞬の鳥の失速霧はしる
 霧に出合った鳥が一瞬羽ばたきを止め空に停止した。作者はその瞬間を見逃さなかった。鳥は素早く体勢たて直し何事もなかったように霧に消えていった。鳥の一瞬の動作を捉えた素早い観察の句である。

せんべいのパリッと割れて日雷 辻すみよ

  日雷は晴天の時に雨を伴わないで鳴る雷。
 せんべいを割る軽やかな小さな音と青空に響く日雷の硬質な大きな音。異質な音の組み合わせに意外性がある。しかも、人間の手で鳴らした音に日雷が感応した如くの表現も新鮮である。
 せんべいを割った時に日雷が鳴ったかについて次の言葉を引用しておこう。「名言五十九 『俳諧といふは別の事なし、上手に迂詐をつく事なり』(略)俳句を作るとき、忠実に対象を写せば、一応の事実は得られる。しかし、事実にいっそう深く没入し、事実を越えて普遍的な事実に到達するには、その人の直観力、つまり奔放な想像力のあずかるところが多い。それこそまさしく、上手な嘘である」(『芭蕉百名言』 山下一海著 富士見書房)
 俳句を詩たらしめるものは豊かな想像力であろう。

うかうかと温め酒てふ惚れ薬 小林さつき

 九月九日は重陽の節句。この頃から寒くなるため酒を温めて飲む。更に寒くなると熱燗。熱燗は冬の季語である。温め酒は室町時代から言われはじめたと歳時記にある。
 秋の夜長を夫に相伴して飲む温め酒。口当たりの良さと虫の声に誘われて、うかうかと盃を重ねてしまった。しかし、まあいいかと思う。相手は喜びや苦しみを分かち合いながら頑張ってきた夫である。一緒に盃を重ねる夫に二度惚れ、三度惚れしている作者である。酒は惚れ薬であるとともに夫婦円満の妙薬でもある。

二人して丈夫が取柄吾亦紅 三井欽四郎

 仁尾主宰に「頑丈に生んでくれたる柚子湯かな」の代表句がある。健康に生んでくれた両親への深い感謝とその感謝の言葉をストレートに口に出せない男のはにかみが感じられる句である。
 掲句はご夫婦揃っての健康。健康は何にも勝る宝。共白髪まで丈夫であって欲しいものである。
 この句、一直線に詠まれていて無技巧に見えるが吾亦紅の季語が細心。吾亦紅は普通の花のように散らないのである。

蓑虫の垂るる高さに湖見えて 渡部昌石

 『枕草子』の第四十三段に「蓑虫、いとあわれなり。鬼の生みたりければ、親に似て、これもおそろしき心あらむとて……」とある。
おそらくこんな伝説が昔からあったのであろう。それ故か蓑虫にはこれに因んだ呼び名が多い。
 蓑虫は枝にぶら下がって暮らしているわけだが、その高さに湖が見えるということは、作者の目の高さに蓑虫がいるということ。作者の所在地からすれば、湖は宍道湖であろう。
つまり、作者と蓑虫は顔並べて秋の宍道湖を眺めているのである。蓑から顔を出している蓑虫を思い浮かべると何ともユーモラスである。俳句を作る楽しさや読む楽しさはこんなところにある。

茸採りの名人逝つてしまひけり 篠原米女

 世の中には何とか名人と呼ばれる一風変わった人がいる。作者の身近には茸採り名人であった。
 山の隅々まで知っていて、シメジなどの在り場所は気軽に教えてくれるが、松茸の生える場所は最後まで教えてくれなかった。
 逝った名人を惜しむと同時に聞き出せなかった残念な思いが「逝ってしまひけり」である。秋の山は多くの恵みを与えてくれる。

雨の来て神輿の声の昂れる 瀬谷遅牛

 祭りの最中に降ってきた雨。雨が裸の男達の肌に飛沫き、神輿に飛沫く。雨が降ることによって、条件が悪くなるよって、一層燃え上がる男達の闘志である。昂ぶる荒々しい声と息づかいを伝えて臨場感がある。

秋声を聴けり手術に向ひけり 古川志美子

 「聴けり」は「聴け」に助動詞「り」が付いたもので「けり」とは違う。
 俳句は特に断らない限り主人公は作者。この句の秋声を聴いたのは作者そして手術に向かったのも作者。手術に向かうきっぱりした覚悟と足取りが感じられる。

    その他感銘句
制服が話しこんでる花野かな
虫送りの火の粉びきし顔洗ふ
更衣きつぱりと雨上りけり
踏み入れば吾も蝶なり大花野
台風の話などして置き薬
岐れたる秋草の径また岐れ
水浴びの子が幾度も母を見て
待つ雨の土砂降りとなる秋ひと日
小鳥来るおや表札の変はりをり
空蝉の連なつてゐる沙羅双樹
小林布佐子
清水和子
高橋花梗
中曽根田美子
石田博人
宇賀神尚雄
杉浦延子
大石益江
桑名 邦
松原政利

禁無断転載