最終更新日(update) 2011.02.28
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平成23年2月27日 栃木白魚火有志「天明鋳物・佐野人形工房」吟行記
平成23年2月6日 (円坐A) 「日本平、久能山東照宮」吟行句会

栃木白魚火有志
「天明鋳物・佐野人形工房」吟行記NEW!
平成23年2月27日実施  
栃木県白魚火会宇都宮支部:中村國司

かねてから佐野市天明(天命)の鋳物工房を見たいと考えていたが、俳句づくり来た者に、工房内を隈なく見学させてくれる手づるが思い当たらず、ついつい延び延びになっていた。しかしこのたび人脈・血脈・インターネットを総動員して探したところ、まことに適当な天明鋳物工房を見つけることができた。

今回の吟行は、やっと見つけたその若林鋳造所を起点に、佐野市の伝統工芸のひとつである雛人形の藤沼人形本店工房、そして毎年大会の開かれることで有名な、越名舟唄の発祥地である越名河岸を中心に吟行した。(参加者は19名)

         (参加された皆様)

「天明鋳物」

天明とは佐野市の市中の地名であり、江戸初期には「天命」と書いていたそうである。また天明鋳物は、天慶3年(940年)に下野国鎮守府将軍として下向した藤原秀郷が、武器の製作者として河内の国から鋳物師5人を呼び寄せたのが始まりとされている。

爾後、茶釜・梵鐘・仏像・宝塔・燈籠などの銘品を、時代とともに世に送り出し、あわせて鍋・釜、鋤・鍬などの生活用具を供給してきた。言わば時代の花形産業として当地に定着してきたのである。

今回の吟行では、国指定重要文化財である「鋳銅梅竹文透釣燈籠」を佐野市郷土博物館で見ることができたが、それは幸運にも前日から展示を始めたものであったのだ。また当日は惣宗寺、通称「佐野厄除大師」の銅鐘(佐野市指定文化財)を見ることもできた。


「鋳物工房」

佐野市のホームページに10箇所ほどの鋳物工房が紹介されているが、実際に鋳物製造業として稼動してゆくには難しい時代のようだ。ある工房では花瓶や文鎮などのほかに、干支の置物・たい焼き器・べーごまなどを製造してインターネット販売で顧客を掴もうとしているが、なかなか容易ではないらしい。

   
           (若林鋳造所外観)

見学させていただいた若林鋳造所の創業は弘化3年(1846年)であり、当主の若林秀真氏は5代目とのこと。その伝統的技法を駆使して、佐野市内の金山神社や唐澤山神社拝殿の神鈴、そして奈良東大寺の茶乃湯釜などを製作したと案内にある。鋳造所内に保存されている鋳造用具や資料は1万点を超え、 そのうち268件が平成20年に「佐野市有形民族文化財」に指定された。それらの一部は工房内に露出してあり、拝見することができた。

                      (鋳造所溶鉱炉)

古い店構えの裏手は意外に奥行きが深く、そこに広々とした工房があった。中に這入ると鋳型に使う砂の敷き詰められた広い土間があり、その奥には天井に届かんばかりの丈高な溶鉱炉が据えられ、その前の広土間に形抜きされたばかりの小さな鉄瓶が、鈍い光を放ちながら置かれてあった。

広土間の右手には、仕切られた小部屋が幾つか並んでいる。その通路左右の柱に純白の幣が掛けられており、神聖の気を放っている。その中のひとつの部屋には、これから製作に掛かるであろう大きな図面が広げられてあり、この工房がまだ未来に向かって息づいていることを示していた。

                         (鋳造所通路)

さらに奥に進むと屋根だけの納屋があり、巨大な踏鞴(たたら)板が何枚か梁の上に載せられてある。この家系の隆盛の時代を物語る証人とも言うべき踏鞴板に、われら一同が深い興味を示したことは言うまでもない。板の下には明らかに仕損じたと思われる湯釜の残骸が、赤錆びて無造作に放置されてある。またコークスや鋳物砂の袋にも分厚く埃が積もっていて、資材の循環がさほど活発でないことを思わせる。      
                (鋳造所の椅子)

作業場の隅に椅子がひとつ置かれてある。ずいぶん年季の入った代物だが籐椅子のようだ。敷かれた座布団に座り癖がついていて椅子の主を髣髴させる。足もとには地下足袋が脱ぎ置かれ、その地下足袋は草鞋を履いている。不思議な景色だがなぜか「天命鋳物師」というものを思い描かせてくれる。


「雛人形工房」

吟行の下見に行くまでは佐野市が人形の町だとは露ほども知らなかった。下見の途上、佐野市物産館の裏手に「藤沼人形店本店」の看板を見つけ、勢い込んで飛び込み、人形工房はあるかと尋ねた。「三階で人形を作っています」という店員の返事。吟行時の見学受け入れを願うが社長不在で返答不能。後日電話で社長さんに頼むと、当日は休みだが中を見るだけなら案内するとのこと。

結局当日は社長さんご夫妻が迎えてくださり、懇切な説明を頂くことになった。

      
                (人形工房内)

人形工房の内部は賑やかで艶やかだった。だが私には、十二単で着飾った首のないお雛様が十体以上も整然と並んでいる、その光景はかなり不気味であった。また人形の首だけが十数本「込み藁」に挿されて犇いている、これも異様だ。

工業用のシンガーミシン、蛇の目ミシンが幾つも並び、彩りあざやかな端切れがそこかしこに散らばっている。人形工房は光彩を放って限りなく明るい。手際よく説明してくれる社長さんたちの声も明るい。的を射た質問を繰り広げる吟行の皆さんの声も明るい。しかし私は人形の無口と無表情に恐れをなしていた。

人形作りは分業化されているとのことで、頭と手はまったく別の所で作られ、ここでは衣裳作りと組み立てが行われる。ちなみに当店の一階二階は美しい人形が展示され、顧客を待っている。しかし雛祭まであと四日というのに日曜日休日でよいのかと余計な心配。それを察した社長さんは言う「雛祭の準備は皆さんすでに終っていますから」・・・なるほどね。今はもう端午商戦なのだそうだ。そういえば店内は武者人形ばかりが目についていた。


「越名河岸跡」

越名は佐野市内を流れる秋山川沿いの地名である。佐野市中では毎年9月下旬に「越名舟唄全国大会」が開かれ、たびたびNHKなどで紹介される。ので・・・「越名舟唄」は近隣ではつとに有名である。だがこの「越名」の当地独特の音韻は「コイナ」なので、漢字に直すと「恋名舟唄」または「鯉名舟唄」と思っている人が意外に多い。舟唄の歌詞を探してみたら以下のようであった。

「1番 船は艪で行く 越名の河岸を お江戸通いの 高瀬船」
「2番 行こかお江戸へ もどろか越名 ここは関宿 命がけ」

       
                  (越名河岸の跡)

越名河岸の歴史は明暦年間(1655年~)に秋山川を改修して始まるが、繁栄をきわめるのは江戸中期以降のようだ。天明鋳物や佐野縮緬をはじめとする様々な物資を、江戸に運び出す回漕問屋が建ち並び、隆盛時は200隻以上の高瀬舟が停泊したと記録にある。

明治以降は高瀬舟から蒸気船に代わり、葛生の石灰や薪炭の輸送に活躍してさらに隆盛をきわめた。しかし、東武鉄道や両毛線の開通により輸送貨客を奪われ、大正期以降急速に衰退し今日に至る。今それらしき面影をとどめるのは上掲写真にある石垣だけであり、200隻以上の船が停泊した痕跡はいまの秋山川には微塵もない。

「天明鋳物・佐野人形工房」(五十音順)
雛工房七ツ道具の目打ちかな  
剪定の枝跳ね空の動きけり   
目標の五千歩こえて青き踏む  
無造作に鋳型の積まれ冴返る  
青き踏む土軟らかき河岸の跡  
影沢医院右から読んで春うらら 
百軒の河岸の名残りの花芽吹く 
石垣に名残たつぷり春うらら  
天明の鋳型錆びをり春愁ひ   
船溜跡は葦の洲風光る     
春うらら神の宿りし鋳造所   
埴輪の目覗き込みたる春の闇  
三月や鋳物師神の話して    
鋳上がりの鉄瓶くすむ鳥曇   
雛工房色とりどりの布広ぐ   
河岸跡の石積み高く野梅咲く  
風光る牛の匂ひを運びつつ   
春寒や細工場広し鋳物砂    
如月の足跡つきし鋳物砂 
秋葉咲女
阿部晴江
安納久子
宇賀神尚雄
大野静枝
小川惠子
加茂都紀女
黒崎法子
斉藤都
柴山要作
高内尚子
鷹羽克子
田原桂子
中村國司
星揚子
星田一草
松本光子
丸田守
本倉裕子

円坐A 「日本平久能山東照宮」吟行句会
平成23年2月6日実施  
円坐A 河合ひろ子

 立春も過ぎ日毎に暖かく絶好の吟行日和となった2月6日(日)、この度国宝に指定された静岡の「久能山東照宮」を見学、吟行したいと円坐A句会より15名、B句会4名、C句会3名の、男女約半数ずつの計22名は全員時間励行にて浜松駅を朝8時、東名高速道路で静岡の日本平を目指し出発した。
バスの中では楽しそうな会話や、外の景色を静かに眺めている方もいて、穏やかな春霞の中を順調に10時前には日本平に到着した。富士山は霞の中に隠れて見えず残念ではあったが、紅白の梅の咲く日本平は梅祭りで賑わっていた。
ここで参加者全員での記念写真を、いつものカメラマンの大城さんがパチリ。
此処からはロープウェーで久能山東照宮へ渡り、それぞれ往復切符を手に約2時間半の自由行動となった。
 ゴンドラは葵御紋の付いた御籠のイメージのロープウエ―で久能山に到着。快晴であれば東には富士山、眼下には駿河湾、伊豆半島が一望できる名勝地であるが、生憎今日は八方ぼんやりと、春霞で残念であったが、暖かな日に恵まれたことが吟行には幸いであった。
 国宝久能山東照宮の脇の立札に「御遺訓、先づ己が好む所を避けて、己が嫌う所を務むべきこと」書かれていました。正にその通り解っていても実行するには努力がいります。 塗り替えられたばかりの極彩色豊かな東照宮を拝し博物館へと歩を進めると、もうこの辺りでは句帳を手にじっくり見詰める皆さんの姿こそ俳人そのもの。
大勢の人達で賑わい始める頃には、私達は帰りのゴンドラに乗り、日本平に戻ってきた。
 役員の弓場さん、阿部さんの計らいで午後1時20分に昼食、句会場となる清水区南部交流センターに到着。先ずは大城さんの自家製の美味しいお茶を一服頂き落ち着いたところで、次は本日の吟行会のもう一つの目的である、佐藤升子さんの平成23年度白魚火賞受賞のお祝い会となった。白魚火2月号に上村均先生からのお祝いのお言葉が丁寧に書かれておりましたが、改めて皆さんで喜びの拍手と花束を差し上げ、升子さんより御礼の言葉と、参加者に短冊を頂きました。これからのますますの活躍と健康をお祈り致します。
 私はまだ句の整理のつかぬまま句会時間となりました。5句投句の6句選にて、短い吟行時間でしたが佳句が沢山あり選ぶのも大変でした。
退館時間の3時30分に急かされ外に出ましたら、久しぶりの雨が少しあり、皆さんの普段の行いが今日に現れたのでしょう。本当に楽しい吟行日和でした。
 時間も予定通りに帰りのバスの中は気持も緩み、皆さんお疲れの様子。焼津の魚センターに寄りお土産を買って帰路、渋滞にも合わずバスはひたすら浜松へ向かい、6時前に予定通り到着し、今日の無事を喜び解散となった。役員の皆様本当にご苦労様でした。感謝致します。

「日本平、久能山東照宮」吟行 一句抄
葵紋威光を今に寒の明け 
藪椿日本平へ九十九折り
大川の流れも橋も霞みけり 
早春や急階段に足すくみ
みくじ結ふ綱を揺らせて春の風
春隣作法書かれし賽銭箱
寒禽の声が飛び込む屏風谷
ゴンドラの寒林のたにひと跨ぎ
島左近所用の兜八重椿
山頂のパラボラアンテナ山笑ふ
神域は全て坂なり梅の花
吟行の一人歩きや山笑ふ
春きざす塔の礎石の大蘇鉄
ゴンドラに護符の祀られ山笑ふ
雨樋に葵の御紋木の芽吹く
春うららロープウェイは姫駕籠で
家康の遺訓は努力春立てり
紅梅の未だ日の浅き久能山
紅白の梅に野点の薄緑
浅春の絵馬満願の音立つる
春めきて眼下眩しき駿河湾
廟の鍵固くありけり梅二月

和子
欽四郎
くに子
升子
順一
忠義

照代
信昭

ひろ子
宏子
浩世
芙美子

正美
宗夫
安子
泰子
幸雄
葉子


日本平ロープウエーのゴンドラ内。

東照宮より見下す、駿河湾と
石垣いちごのビニールハウス群。

久能山東照宮。

句会前に腹ごしらえ。

日本平駐車場にて参加者全員。

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