最終更新日 (updated) 2026.02.01
白魚火全国俳句大会(松山)参加記(諸家)
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松山白魚火全国大会に寄せて (苫小牧)坂口 悦子
感謝、感謝そして坂の上に坂 (日光)熊倉 一彦
伊予の旅-群馬白魚火会吟行・大会参加記- (群馬)天野 萌尖
松山大会を堪能して (船橋)原 美香子
松山俳句大会に寄せて (浜松)鈴木 誠
白魚火全国俳句大会(松山)に参加して (出雲)森脇 和惠
白魚火全国大会参加記 (東広島)徳永 敏子
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松山白魚火全国大会に寄せて
(苫小牧)坂口 悦子

 松山大会に向けチーム苫小牧は前々泊と後泊を含め四泊五日の旅程になりました。苫小牧チームと北見の金田野歩女さんの食べある記をご紹介いたします。

 二十四日 松山入り。十六時ホテルより歩いて東雲神社に向かう。早速、ポンジュースを見つけみんなのテンション爆上がり!横にお金を入れる箱が付いています。「二百円?」「ただじゃないの?」「タダな訳ないっしょ!」と言いつつ蛇口を回す。出た、出たみかん色の液体が・・・もう香って来る!口に含むと「な・なんということでしょう」この美味しさ。柿も蜜柑も実らない地の北海道人にとってポンジュースでいきなり胃袋に先制パンチを食らいました。

 秋うららみかんジュースの出る蛇口 悦 子

 次に子規の四つの句碑を探して句碑ロードを目指します。歩いても、歩いても見つからない句碑。みんなの心に諦めの文字がチラついた頃、野歩女さんが車道の中の緑地帯に句碑を発見!わさわさと緑地帯に踏み込みやっと句碑に会えました。
松山市駅前から電車に乗りまたまた大街道へ戻り、三十分ほど順番を待って宇和島鯛めしとビールの夕食。タレに生卵を溶き鯛の刺身を浸し、ご飯の上に乗せる!乗せる!乗せる!・・・。

 秋夕焼列に加はる鯛飯屋 野歩女

 満腹のうちに二十四日は暮れてゆきました。

 二十五日 電車で道後温泉へ、そこからタクシーで五十一番札所の石手寺に向かう。重要文化財の仁王門、迫力の金剛力士像を抜け本堂へ。へっぴり腰になりながらマントラ洞窟を歩く。石手寺のバス停前にある「やきもち」を食べながら大街道に向かうバスを待つ。

 秋の日のバスを待つ間のおやきかな 若 葉

 甘いもので元気満タン。いざ、松山城へ。約三分のロープウエイの旅、着いてすぐ中村國司さん率いる栃木軍団と遭遇。みんなで記念撮影。天守閣まで上がり、帰りは風を感じながらリフトで。街道を戻りうどん屋さんを探し「じゃこ天うどん」を啜る。五時から別々に吟行をしていた旭川、札幌チームと食事会。松山の海の幸コース。目の前で炙るしめ鯖、瀬戸内海の刺身盛り、とろ~っとコクのある豆腐、鮭大トロハラス焼き、唐揚げ、鯛汁、鯛めし。こちらの鯛めしは炊き込みです。

 二十六日 チェックアウト後、道後温泉へ。空の散歩道の足湯で萩原一志さんとばったり。混浴しませんか?と足湯の席を少し空けたのですが丁寧に断られてしまいました。
昼食は駅前の七福神で松山鮓。もう皆松山の食の大フアンに。アーケードに戻り一六タルトで買い物。数方さんはみかんソフトの券売機の前で四苦八苦。食べたい一心でやっと食券をゲット。

 みかんソフト秋の光にとろけさう 数 方

 昼食後すぐと言うのに六時屋でタルトと珈琲のセットを頂く。皇室御用達だけありちょっと格調高い良い感じのお店。重たいお腹を抱えホテルに帰り着く。
大会は、総会、式典と滞りなく終わり、宴会へ。水軍太鼓で幕を開け、その後乾杯。まだ食べていない鯛そうめんが出た。松山の美味しい物全部クリアー出来た感じ。部屋に戻り明日出句の三句を仕上げ、やっと道後の湯に浸かり「極楽・極楽ぅ~」

 二十七日 朝食に鯛茶漬があった!一日目の宇和島鯛めし、二日目の炊き込みの鯛めしに続きまたまた松山の美味しい物リストに追加。俳句大会をもって大会の全行程が終了。次の鍛錬会まで一時間半ぐらい。昨日から「四国と言えばうどん文化だよね」と言う事で目をつけていたうどん屋さんで松山の美味しい物の締めを飾ろうと思っていたのに何と定休日。ショック!・・・すぐに素晴らしい切り替えの早さで昨日たくさん人が並んでいた「おいなり」にしようと駅に向かう。しかしなんという運の強さ、途中に素敵な店構えの「おとら」発見。鍋焼きうどんを食べる。先ほどのうどん屋さんが休みでラッキーと思うくらい味もバッチリでまたまた美味しい物の履歴が増えハッピーです。鍛錬会の終了後一進丸で懇親会。伊予ビールに伊予牛。なんと伊予の美味しい物全制覇です。

 秋うらら笑顔で乾杯伊予ビール 節 子

 二十八日 松山空港で数方さんと悦子は山角のクラフトビールを飲んでガソリン補給。お昼ご飯を買って飛行機に乗り込もうと探していると・・・昨日の昼食の候補に上がっていた「いなりや成」の松山あげのいなりがあると若葉さんからの一報で迷わずゲット。いやいや美味しい!あれだけの人が並ぶのが理解できます。そんな訳で松山を食べ尽した四泊五日でした。
 ごちそうさまでした♡


感謝、感謝そして坂の上に坂
(日光)熊倉 一彦

 今年も白魚火全国俳句大会に参加することができました。そして百四十名の句友が一同に集まった事に感動を覚えました。私達のグループは六名が飛行機、一名が電車にての松山入りとなりました。行程表を作っていただいた柴山先生が私事都合により不参加となり不安な旅路となりました。しかし、星揚子先生を中心に一致団結何とか松山空港に下り立つ事ができました。電車利用の人にまで心を砕いていただいた柴山先生に感謝です。空港に着くとジャンボタクシーが待っていてくれました。この運転手がまさに大当たりで笑顔が素敵な上にずっとお話説明してくれて最高の運転手さんでした。感謝です。最高の摑みは栃木はU字工事?いやー隔世の感ありです。私の若い頃は日光東照宮ではなく日光猿軍団でしたから。あら脱線しました。路面電車優先の街を走り、最初に子規堂、正宗寺を見学しました。子規の遺髪の納まっている正岡家の墓を見て子規堂へ。当時の生活が偲ばれます。表に出ると正に俳都、俳句ポストがありました。この後町中に俳句ポストがありました。一句投函

 秋の日をたつぷり浴ぶる子規の部屋 一 彦

 そして坊ちゃん列車にてパチリ。シャッターは運転手が押してくれました。続いて昼食を摂り松山城へ、八合目までのロープウェイは土曜とあって混んでいました。長者ケ平(ちょうじゃがなる)より戸無門、筒井門を潜って本丸広場、ここまで来たら天守まで。文字で書くと簡単でも古稀過ぎのこの身には過酷、スリッパを履いて木の階段、それも角が丸くなって急、慣れている人は裸足、私も靴下になりました。松山城では何人もの白魚火会の方々と再会、嬉しい。同じ目的で登城、良い俳句は詠めましたか。宝厳寺、石手寺と盛り沢山の吟行、特に石手寺では運転手さんの案内で洞窟探検、知らぬ若い女性がついて来ました。どうぞ良い旅を!何やかんやらタクシーの中でお話が弾み、蜜柑の話、俳句の話、泣いている空を忘れる程でした。そして伊佐爾波神社(いさにわじんじゃ)へ、また階段百三十六段でした。足の痛みを抱える渡辺さんも必死、最長老の加茂さん、菊池さんはすたすた、日頃の運動不足を恥じる私でした。最後にからくり時計、タイミングは三十分毎、二回見学できるように運転手さん配慮、これに感謝。
 翌日は徒歩にて吟行、それについてもアドバイス、そしてお土産のおすすめまで本当に感謝です。ありがとうございました。
 大会会場と同じにぎたつ会館に二泊お世話になりました。二十六日の二日目は道後温泉、からくり時計等を見て買物を楽しみました。午後は総会、表彰式に参加、受賞者の皆様おめでとうございます。そして主宰からの言葉で肝銘は「坂の上に雲はあるかもしれないが、俳句で賞を取ってもそれで終わりではない。坂の上にまた坂がある」。心に刻みます。そして懇親会、アトラクションの水軍太鼓に波打つ私の太鼓腹、素晴らしかったです。懇親会の席は群馬の方々と一緒になりました。新参者の私ですが、声を掛けてくれる方がいらして感謝です。ここでも柴山先生の人気は大変なもので改めて尊敬です。俳句を中心に群馬の方々とは盛り上がりました。

 秋深し親交深め酒すすむ 一 彦

 翌二十七日は句会でした。大隈さん、若狹さんの淀のない披講で順調に進みました。感謝です。奥野先生、渥美先生そして檜林主宰より講評があり、特に主宰の講評はユーモアを混えて俳句の肝と季語のお話があり、大変為になりました。感謝です。栃木県からは十四名参加でしたが、殆どの方が入選されて嬉しかったです。中でも栃木県白魚火会期待の星塚田康樹君「あたらしき街あたらしき星流る」は特選を獲得、新しい感覚で感心するやら誇らしく思いました。主宰からもそのようなお誉めだったと思います。感謝です。トランプ大統領の来日で帰りの飛行機が遅れましたが、予定の帰宅時刻となりました。本当に感謝です。来年の岐阜大会を楽しみにご健吟を!
 最後に大会に陰になり日向になって活躍してくれた行事部の皆様、特に地元松山の若狹さん、川又さんご夫妻の大活躍に感謝いたします。ありがとうございました。



伊予の旅 -群馬白魚火会吟行・大会参加記-/A>
(群馬)天野 萌尖

 子規の故郷、俳都松山での全国大会は、俳人としてはぜひ開催して欲しかったので、昨年の松江大会で「来年は松山です」との発表に心が躍りました。早速下調べを始めて参加者を募り、打合せを重ねて大会へは三泊四日の日程とし、宇和島、大洲、内子、道後温泉、松山をゆっくり吟行、郷土料理に地酒そして温泉と伊予の秋を満喫しました。
 伊予の国宇和は我が天野家の墳墓の地であり、特に思い入れの強さがあります。群馬のみなさんをご案内して伊予、松山をどのように詠んでもらえるのか楽しみでした。
 二十四日、中之条を朝五時に出発、九時間かけて宇和島に到着、早速天赦園へ吟行に向かいました。名勝天赦園は伊達家十万石の池泉回遊式大名庭園であり、桜、藤、竹、紅葉の名所として有名で、早速皆句帳にペンを走らせました。

 庭園の飛石いくつ石蕗の花  美名代
 木の実落つ腹の中まで鯉の口 富 江

 宇和島城は伊達家の居城として全国現存十二天守閣の一つ、国重要文化財で天守への石段は急でなかなか手強い城です。三週間前に膝の水を抜く手術をされたばかりの篠原会長は足取りも良く元気に登られて、御年八十八の関さんも城の入り口で待つと言うのを降りるのは反対側なのでと頑張って登ってもらいました。天守閣は三層でやや小ぶりですが大小の破風を構える白亜の名城です。

 城垣の反りに懸りし新松子 庄 治
 城跡の石垣険し秋の蟬   富 江
 城目指し長き石段秋の蚊よ 猫パンチ

 タ食は郷土料理尽くし、新鮮な宇和の海の魚貝類、名物宇和島風鯛めしに地酒と宇和島を堪能しました。

 銘柄は一刀両断温め酒    百合子
 句仲間と伊予の地酒と紅葉鯛 猫パンチ

 二十五日、宇和島から大洲へ。蜜柑のたわわに実る段々畑のトンネルを次々抜け、宇和の海を左手に柑橘王国を代表する風景を車窓から満喫。

 段畑は海に至れり雁の頃 百合子

 列車は途中、吉田駅を通過。ここに伊達家の分家伊予吉田藩三万石の陣屋がありました。天野家は吉田藩の代官所の下級役人で、維新後は農業と農具の修理、販売をして生計を立てていて、戦中に祖父が呉海軍工廠に徴用されて宇和を後にして以来郷里には戻らず、縁あって父が群馬に暮らし現在に至っています。父は宇和出身を心の拠り所としていて、私はそんな父の出身地宇和と伊予を大切に思っています。主家の伊達家の家紋は竹に雀です。家来は主家の家紋に敬意をもって御家紋と呼びます。江戸時代二百六十年の主家としてのDNAは今もここに生きています。

 御家紋は雀の遊ぶ竹の春 萌 尖

 大洲は加藤家六万石の城下町として肱川水運で発展しました。天守は平成に江戸時代の図面をもとに木造で当時の姿に再建され、今に残る四基の櫓と武家屋敷、明治の商家通りとともに現在の景観を作っています。昭和四十一年NHK朝の連続テレビ小説「おはなはん」のロケ地で、今でも「おはなはん通り」として整備されています。また平成のトレンディドラマ「東京ラブストーリー」のロケ地にもなり、当時日本中から別れの手紙を円形ポストに投函するため多くの女性が訪れたそうです。

 秋うらら大洲は今もおはなはん 萌 尖

 臥龍山荘は明治期木蠟の輸出で巨万の財を成した貿易商河内寅次郎が十年の歳月と巨費を投じ、大洲藩家老の屋敷、茶室と庭園を整備し、現在国重要文化財の指定を受けています。大洲富士(三百十九m)と肘川の借景が見事な庭園です。

 肘川の中州を埋むる草紅葉 志 郎
 飛石の楽しき形秋うらら  美名代

 内子は江戸、明治期に木蠟の生産、販売が盛んに行われ、化粧品として多くの商家が輸出して財を成し八日市護国の街並みは重要伝統的建造物群保存地域として今も賑わって繁栄をし、上芳我邸は木蠟の歴史の記念館として公開されています。大正期に建設された芝居小屋内子座は国重要文化財として公開されています。亡き十八代目中村勘九郎さんが愛して中村座を率いて定期的に歌舞伎の公演を行い、今も勘九郎さん、七之助さんに引き継がれています。

 内子宿つづく屋並や新松子  庄 治
 涅槃仏秋雨にしとど詣りけり 猫パンチ
 この後、ようやく大会開催地松山に到着、道後温泉本館の湯にゆっくりと足を伸ばして坊っちゃん気分を味わいました。天皇陛下専用の浴室、坊ちゃんと漱石が落書きをした個室を見学、大茶釜で沸かしたお茶とお菓子をいただいて温泉を満喫しました。

 秋雨や湯屋の明かりの煌々と 富 江

 二十六日、前日の秋雨も上がり爽やかな秋晴れの下松山城へ出かけました。道後温泉駅には乗車したかった「坊ちゃん列車」が展示されて、せめて記念写真だけでもと集合写真を撮りました。

 天高し坊ちやん列車汽笛なる 定 由

 路面電車で大街道、ロープウェイ・リフトで天守へ向かい、伊予松平家十五万石の松山城へ。築城当初の五層の大天守は火難に遭い二度焼失、江戸時代末の安政年間に現在の三層複合連結式天守で再建され国重要文化財に指定されています。町を一望できる天守と多くの門、櫓、狭間、堀、石垣や石落としが残ります。

 秋風を一つに集む城の門 志 郎
 薄もみぢ松山城に鳶舞ふ 定 由

 司馬遼太郎「坂の上の雲」主人公の秋山好古、真之兄弟生家が復元されて記念館として兄弟の生い立ちから活躍、晩年までが紹介され、玄関前の銅像は馬上の兄の好古を弟真之が見上げています。

 秋ふかし兄弟像の目路合はせ 百合子

 一九七〇年代、全国では様々都市伝説が囁かれ、松山では水道の蛇口からみかんジュースが出て来るというものでしたが、令和に入り観光協会とジュースの会社がそれだけ有名な都市伝説ならば本当にしようと、松山空港や松山市内の観光地にみかんジュースタンクと蛇口を設置したところ、都市伝説が本当になったと話題になって人気のスポットになっています。秋山兄弟生家から大街道への土産物屋に設置してあるのを見つけ、みんなで代わる代わる蛇口から出るジュースをカップで受け楽しみました。

 秋晴や名所巡りてみかんジュース 美名代

 三年前の東京全国大会では根岸の「子規庵」で子規の目線で、子規の庭を見て、子規の気持ちで句を詠んで、今回は松山の子規の生家、勉強部屋のある「子規堂」を訪ねて句を詠みました。東京で子規は野球に出会い、熱中してベースボールを野球と名付けるなど多くの野球用語を和訳して現在に至っています。二〇〇二年に功績が認められて野球殿堂入りしました。

 子規堂のバットをかまへ天高し 定 由

 吟行をしていると多くの外国人のお遍路さんに出会いました。日本に興味を持って旅行して、学んでいるともっと深く日本を知りたい、理解したいと思うようになり寺社仏閣巡り、そしてお遍路を始めるそうです。お遍路を通じて日本を理解して世界に日本を発信して欲しいと思います。

 道の辺の石みな仏秋遍路   庄 治
 秋時雨アメリカ人の遍路かな 志 郎

 大会は全国から百四十名が参加され盛会となりました。歓迎のアトラクションは伊予の豪族河野水軍の勇壮な水軍太鼓が披露されました。

 稲妻や水軍太鼓の撥さばき 萌 尖

 第三代仁尾主宰が生前、大会講評でよくお話しされていた「大会の開催地で詠んだ句は地元への挨拶句です。地元への感謝、大会の運営をされた地元の方々へのお礼の挨拶句です。全国大会では皆さんがどのような挨拶句を詠んで投句してくれるかが一番の楽しみです」と毎回大会でおしゃっていました。大会一回目の句会では多くの素晴らしい挨拶句に出会えることが大会の醍醐味であり勉強になりました。いろいろと事情があると思いますが、出来ることならば来年はまた大会の開催地で詠んだ句で、挨拶句で第一回目の句会を行って欲しいです。
 今は亡き青木華都子先生が行事部長をされていた際にお話をする機会がありました。「天野さんは日本全国を旅行してどこが良かったですか。藤田観光と取引があって、藤田観光のホテルのあるところだったら全国大会が開催できるわよ」と言われ、軽い世間話と思い、思いつくままに好きなところを「金沢、萩、長崎、熊本、鹿児島そして俳句の全国大会ならば松山」と答えたところ、先生が軽くため息をしてから「松山ですか、ちょっと敷居が高いですね」とおっしゃられました。そのときは敷居が高いという意味も確かめずにいましたが、今回松山へ行って分かったような気がしました。西本一都師の立ち上げた全国誌の俳句結社として活動してその当時六十年程の白魚火が俳句の都、子規の故郷の松山での大会開催となると他の開催地とは違い、それ相応な覚悟と力量が試されるのだとおっしゃりたかったかと思います。今回は残念ながら諸事情で八月末までに各地で詠まれた句での十月末の俳句大会でした。松山に対して、子規に対して敬意を表した挨拶句ではなく会員が地元で詠んだ句をお土産句としての句会でした。白魚火として松山で詠んだ挨拶句にて盛大な句会をして、松山に白魚火ここにありと存在を示したかったと感じました。


天赦園(宇和島市)


みかんジュースの出る蛇口(松山市)


松山大会を堪能して
(船橋)原 美香子

 十月二十五日
 大会前日。朝九時二十五分、佳代子さんと二人で羽田を出発した。東京句会からは十一人が参加、皆それぞれの方法で松山入りする予定になっていた。松山空港に着くと空気がやんわりして暖かい。バスに乗り換え大街道沿いのホテルビスタへ。一足先に到着していた晶子さんと合流し早速萬翠荘へ向かう。
 ホテルから五分程歩くと坂の上の雲ミユージアム、愛松亭、萬翠荘の順に見えて来る。しだいに日が差し始め、坂の途中で上着を脱ぎ身軽になる。
 愛松亭は漱石が松山に赴任した当初の下宿先で、かつてこの地にあったそう。現在、漱石珈琲店愛松亭なる名の喫茶店がある。扉を開けると壁に漱石の写真、棚の上に猫が丸くなって寝ている。竹林に囲まれたテラス席でケーキと紅茶を頂きながら、早くも其々句帳を開き俳人の顔になっていた。
 萬翠荘は百年以上前の建物とは思えない美しさ。社交の場であった当時の華やかさが偲ばれる。庭には藩政時代の井戸が残り、漱石も愛飲していたと書かれていた。
 子規堂へ
 子規が十七歳まで暮らした家が寺の一角に復元されている。土足でどうぞと貼り紙があったが、上がるのに少し気が引けた。子規の勉強部屋は屋根裏が見える質素な三畳間だが、窓が大きく明るい。文机にランプや地球儀などがあり、傍らに小さな火鉢が置かれていた。古びた書物や道具を見ながら暫し子規の少年時代に思いを馳せる。
 石手寺へ
 子規堂を出るころ雨が降り出して来た。急ぎ路面電車で道後駅まで行き、バスに乗り換え石手寺へ。昼食を取っていなかった私達は、門前の店の最後の一枚となった焼餅を買い、三人で分け合い小腹を満たす。
 国宝の仁王門を潜る。大きな草鞋に無数の賽銭が挟み込んである。石手寺は遍路の元祖、衛門三郎伝説ゆかりの寺。遍路姿の人が雨の中、一心に祈る姿が印象的だ。もう少しゆっくり見たかったが本降りになってきた。が、どうしてもマントラ洞窟を見たかった。時間は四時二十分、辺りは薄暗くなり洞窟の閉門は四時三十分。晶子さんはパス、二人で決行。小さな灯りの中、ほかに人の気配はない。所々にありがたい言葉のようなものが書かれていたが、読む余裕はない。どきどきしながら百六十mの洞窟を足早に通り抜けた。
 山門に戻り最後に一人ずつ「仕合せの鐘」を撞き石手寺を後にした。

 まだ見えぬ洞窟の果てそぞろ寒 美香子

 道後駅に戻り別ルートで松山入りしていた惠美子さんとも合流。雨で濡れた体を足湯(空の散歩道)で温めていると振鷺閣の時太鼓が鳴り出した。時計を見ると午後六時、タイミング良く聞けた嬉しさに皆聞き入る。足湯から眺める道後の町は赤い灯が雨に滲み美しかった。
 その夜は一志、秀明、信一、弘文、知哉さんとも合流し、東京句会恒例の前夜祭。美味しいイタリア料理とワインを堪能した。帰り際、道後名物のからくり時計が九時を知らせ動き出す所に遭遇。長い一日を終えてホテルに戻った。
 十月二十六日
 大会当日。八時にホテルを出て四人で松山城へ。リフトは小雨のため断念。ロープウェイで長者ヶ平へ。霧の城山を上って行く。石垣の壮大さと美しさに圧倒され暫し足を止め仰ぎ見る。迷路のような門や櫓が続き、攻める側は大変だ、などと思いながら天守へと上る。霧が晴れ、天守最上階からは松山市街はもちろん瀬戸内海も見渡す絶景であった。
 本丸広場へ戻り、しばし休憩。蜜柑ジュースは季語になるかしらと話している丁度その時、主宰とお会いする。早速質問すると即、却下ですと教えて頂く。季語の話に感けて写真をご一緒していただくのを忘れてしまったのが心残り。
 帰りは、黒門口登城道を下ってみようという事に。鬱蒼とした森の道、石段の蹴上げが高く踏面もでこぼこして思ったよりきつい下り坂だ。時折けたたましく鳥が啼き、小動物が出てきそう。おまけに今朝までの雨で足元が滑りやすい。大丈夫かなと不安が過るのは年のせいか、武士の体力は凄い、などと考えながら一歩一歩注意しながら下りて行く。と微かに下界の音が聞こえてきた。皆無事に二の丸史跡庭園まで下ることができてほっとした。
 昼食の鍋焼うどんの優しい味が体に沁みたのは言うまでもない。ホテルで少し休憩を取り会場へと向かった。
 会場で、のり子さん、仰さんとも合流でき漸く東京句会十一人全員が揃った。
 大会では「満七十年の白魚火、結社の文化に埋もれることなく其々が新たな地層の如く次の坂を進んでください」「平明で簡素であり、内容は鮮烈な句、よく見て良く感じて下さい」と主宰のお話があり胸に刻んだ。

 師の色紙胸にいただく菊日和 美香子

 良く歩き、時間の限り松山を楽しんだ三日間であった。大会終了後は佳代子さんと念願の道後温泉に入り帰路に就いた。多くの皆様にお世話になりました。心より御礼を申し上げます。
 神の湯に浸かり道後の秋惜しむ 美香子



松山俳句大会に寄せて
(浜松)鈴木 誠

 最初にお礼をいっておきたい事が在ります。浜松白魚火会の全国大会参加メンバーはツアーで出掛けます。それと言うのも、行事部をされている山田眞二さんが、毎年、JTBに掛け合ってオプショナルツアーを企画して下さっているからです。山田さん有難う御座います。
 そして、このツアーのもう一つ素晴らしい所は、なんと、〝歩く俳句〟と称される、渥美絹代先生が御一緒だと言う事です。何時もなら村上尚子先生も御同行して頂けるはずでしたが残念です。
 十月二十五日午前八時、浜松駅新幹線改札口に集合した女子十五名、男子八名の一行は、ひかり、のぞみと乗り継いで、いよいよ福山駅よりバスツアーの始まりです。バスガイドさんのお話に耳を傾けながら、しまなみ海道を一路、松山へと向かいます。途中、道の駅多田羅しまなみ公園で各々自由に昼食を頂き、大山祇神社、村上海賊ミュージアムを観光。ここでも渥美先生の俳句教室は続きます。
 そして、ほぼ予定通り道後のホテルに着きました。さて、ここからです。皆、それぞれ気の合ったグループで、道後の町に繰り出します。
 私達六名は、道後ハイカラ通りを歩いて海鮮料理の店を見付け、生ビールを呑みながら〝じゃこ天〟に舌鼓を打ち盛り上がりました。林浩世さん達のグループは予め予約していた大街道近くの居酒屋にて宇和島鯛めしなど松山郷土料理、地ビールを堪能した様です。
 また、お風呂に行かれた方もおられ、宇於崎桂子さんは道後温泉本館で三湯巡り(神の湯、椿の湯、飛鳥の湯)の券を購入して回られました。本館の神の湯の脱衣所には台秤が置いてあり、湯船は長方形で石造、湯は熱めで柔らかかったとか。他の湯も石造り長方形のお風呂で空いていたのでゆっくり浸かる事が出来たそうです。こんな感じで、最初の夜は終わりました。
 二日目、早々に朝食を取ると、いよいよ市内観光を兼ねた吟行の始まりです。ここでも、健脚の方々のグループと、あまり足には自信がないグループとに別れ、健脚グループは林浩世さんを中心に松山城から攻めるコースを、足に自信なしグループは渥美絹代先生を中心に子規堂から回るコースでホテルを出発しました。私も椎間板ヘルニアで足が痛いため渥美先生のグループに参加しました。道後温泉駅から電車に乗り子規堂のある松山市駅に向かったのですが、路線を間違えて乗ってしまったため、何時まで乗っても松山市駅に着きません。運転手さんに聞いてやっと間違いに気付き電車を乗り換え、子規堂につきました。子規堂に柿の木が一本あったのですが、実が既に落ちてしまっていて、俳句には出来ず残念でした。子規堂では檜林主宰にもお会いしました。ここは恐らく大会に参加された白魚火会員の殆どの人が来られ句を作るので、子規堂の句は偏差値が高いとの渥美先生からの助言が在りました。その後、グループは大街道で昼食を取り、萬翠荘を訪ね、「愛松亭」の跡地に建つ喫茶店でお茶と団子を頂きました。
 一方、健脚グループの方は、松山城の想像以上の立派さに圧倒され、天守閣から見えた瀬戸内海に感激し、私たちと同じく萬翠荘、「愛松亭」と回り、昼食は松山市駅前の蕎麦屋で十割蕎麦、おでんを堪能したあと、子規堂へと足を延ばされた様です。
 十五時よりにぎたつ会館で総会が始まりました。例年通り主宰の挨拶、白魚火社現状報告、各賞受賞者表彰と恙なく終わったのですが、印象に残ったのは、司会を勤めた川又夕さんの進行ぶりです。お若いのに細かな所まで気配りされて爽やかな印象を受けました。また、彼女の「マイクに口を近付けてお話し願います。」の一言に、主宰のユーモア溢れる巧妙な突っ込みがあり、一瞬にして場を和らげられました。さすが、主宰、大したものだと感銘しました。
 また、編集部の三原白鴉さんの現状報告ですが、会員数の経緯が細かく分析されており、実に良く分りました。白魚火の将来を会員一人一人が考えさせられる報告でした。そんな中で今回の松山大会の川又夕さんを始め、若狹昭宏さん、塚田康樹さんのような若い方々が活躍されている事に頼もしさを感じました。
 そして、総会に続く懇親会も例年の如く盛り上がりました。主宰の回りにはビール瓶を持った人達が列を作って並び、主宰を中心に写真を撮ろうと言うグループが順番を待つ始末です。懇親会で感動したのは、やはりアトラクションの水軍太鼓の方々の演奏です。腹の底に響く軽快な太鼓のリズムに暫し聞き惚れてしまいました。そして、時間はあっという間に過ぎ、次期開催地が発表されて懇親会は終わりました。
 三日目は九時より俳句大会が始まりました。入選句披講では多くの優秀な句が読み上げられました。そして最後に、曙同人の篠原庄治さんの万歳三唱を以て無事大会は終了しました。
 最後に、この文章を書くに当たり、色々と情報をくださった林浩世さん、宇於崎桂子さんをはじめとする浜松白魚火の人達に感謝致します。


白魚火全国俳句大会(松山)に参加して
(出雲)森脇 和惠

 今年の全国大会は、正岡子規を輩出し、夏目漱石の「坊ちゃん」の舞台となった愛媛県松山市で開催されました。一度は行ってみたいと思っていた場所でしたので、一年前から心待ちにしておりました。
 大会前日の十月二十五日、島根からはバスを手配し総勢二十七名で松山へと向かいました。
 休憩で立ち寄った道の駅「たかの」において、初参加だった伊藤喜代子さんが不慮の怪我で棄権されるというアクシデントがありました。皆とても心配しましたが、伊藤さんの分も頑張りましょうと気持ちを入れ替え、一路松山へ向かい、予定より少し早く最初の目的地「子規堂」に到着しました。
 正岡子規が十七歳まで勉学に励んだという三畳間や、「坊ちゃん客車」などが展示されており、改めて俳都松山に来たのだなあと感じました。子規愛用の筆や原稿のみならず、座布団や布団の生地なども展示されている事に驚きました。あの「坂の上の雲」に出て来る秋山真之が贈ったという羽根布団の青い花柄の生地が今も色鮮やかでとても印象に残りました。
 また、子規堂入口に夏目漱石と子規の句が掲げてあったのですが、達筆な文字で何と書いてあるのか分かりません。三原白鴉さんや渡部美知子さんも随分と考えていらしたのですが、結局分からず仕舞いでした。何方か分かる方がいらしたら教えてください。
 子規堂ではまだ雨も落ちておらず、皆吟行に励まれていましたが、次に向かった道後温泉では雨が本降りとなってしまいました。
 初めて見る道後温泉本館は、もっと広々とした所にあると思いきや、商店街のアーケードがすぐ目の前にあり、大勢の旅行客でにぎわっていました。皇室専用浴室の「又新殿」を見学しましたが、改修工事をされた後でしたので、金箔や銀箔、黒漆がほのかな灯りに照らされとても豪華で幻想的な浴室でした。
 道後温泉見学後は、田口耕さんと牧野邦子さんと三人でお土産を購入したり蛇口から出るミカンジュースを堪能したりとアーケード街を散策しました。表通りの賑やかさとは打って変わって人気のない路地裏の射的屋を見つけた時は、「ここは温泉街だった」と改めて感じました。
 初日の吟行を終え、ホテルに到着した後は、にぎたつ会館で選者・校正担当者検討会に出席する編集部の校正担当者四名を除く二二名で食事をする居酒屋への移動です。この移動が初日のメインイベントだったかもしれません。居酒屋一進丸までの一、二キロメートルを皆で歩いて行ったのですから。田口さんの先導に従い見知らぬ街をひたすら歩き、二〇分かけてようやく辿り着きました。皆「歩くのはもうたくさん。帰りは絶対タクシーで」と口々に言い、地元料理を堪能した後は宣言通り皆タクシーでホテルに帰ることができました。
 大会初日の二十六日の午前中は、松山城への吟行でした。ロープウエイを使って長者ヶ平へ到着すると、何と「第三一八回俳都松山俳句ポスト特選三句」に田口さんの句が掲載されていました。

 虚子思ふ年尾の句碑や伊予の春 耕

 田口さんのご活躍は存じ上げていましたが、改めて白魚火の実力の高さに身が引き締まる思いがしました。
 松山城は小天守や櫓が連なっている連立式天守で、姫路城と同じような作りとなっています。いつも見慣れている松江城とは趣が異なりとても興味深いものでした。
 松山城見学からの昼食では、あれほど「もう歩くのはこりごり」と言っていた皆に再びの試練が・・・。バス駐車場から昼食会場までの往復約一、五キロメートルを徒歩移動しなければなりませんでした。大会はこれからだというのに一仕事終えたような気分となりました。
 さて、大会一日目は、俳句タレントの川又夕さんの司会により滞りなく、総会と各表彰式が執り行われました。島根からは原和子さんがみずうみ賞秀作賞を受賞されました。
 懇親会は地元の水軍太鼓の演奏から始まり、川又さんの司会進行も素晴らしく、皆さん一年ぶりの再会を楽しんでいました。また、今年から一回目は事前投句ということで、一回目の選句は終わっていますので、先生方もリラックスした様子でした。私は、三原さんに託されたカメラで写しまくっておりました。
 二日目はいよいよ俳句大会の始まりです。披講では島根の皆さんの名前も次々と上がり、岡久子さん、田口耕さんは短冊を何枚も貰っていらっしゃいました。私も何回か名前を呼んで頂くことができ、それだけでも参加して良かったと思いました。
 伊藤喜代子さんは残念なことでしたが、一都先生の「足もて作る」のごとく歩いて歩いての松山大会は楽しい思い出となりました。
 最後に、大会関係者の皆様には大変お世話になりました。



白魚火全国大会参加記
(東広島)徳永 敏子

 ある日、加藤三惠子さんから「参加記、お願いできますか。」の電話。「えーそれは無理。」と押問答の末、引き受ける事に。その夜これまでの参加記を読み、断らなかった事を反省。そういえば、俳句入会の時も然り。まあこれも勉強だと床についた。
 今回は広島と松山の合同大会。不安と緊張の中、東広島からマイクロバスで十五名。呉港からフェリーで五名の総勢二十名の参加。

 十月二十五日(土)
 東広島出発(八時)。どんよりとした空の下、しまなみ海道を島から島へ橋を渡り、穏やかな海を眺めながら四国へと入る。途中、来島海峡サービスエリアでトイレ休憩。帰りはここで土産を買う時間が取ってあるとの事。

 秋時雨ポケットに師を潜ませて 京 子

 昼食(大黒屋道後店)予約がしてあり、二階の座敷へ。すぐに青葱・生姜・海苔・天かす・大根おろしが載った冷しうどんとおむすびのセットがくる。食感も味もよくとてもおいしかった。
 石手寺(五十一番札所)重要文化財が多数あり四国大師信仰の中心になっている。

 石手寺の築地の崩れ秋の風  ひろみ
 仁王門の草鞋に硬貨秋日濃し 妙 子
 頂の大師仰ぎて秋麗     義 則
 耳澄ます水琴窟の秋の風   由起子

 松山城(十三時三十分)ロープウェイを降り、本丸広場までの坂をえっちらおっちら励ましあいながら上った。城は眺めるだけにして、急に降りだした雨の中、茶店で抹茶小豆ソフトクリームを堪能。

 安芸望む伊予の古城や霧走る 澄 恵
 天守閣秋雨けむる俳都かな  晃 平
 石垣のカーブは空へ秋日影  美 穂

 にぎたつ会館到着(十五時四十分)全員が五分前集合を守り、無事本日の予定を終了。チェックイン後は各自で自由吟行へ。

 秋の空温泉郷に人力車     陸 生
 マドンナの絡繰時計秋うらら  幸子(石)
 あちこちの投函ポスト落葉踏む 光 惠
 陀行して流るる水や秋の川   伸 枝

 十八時三十分会食。主婦には嬉しい据え膳。さあ皆で乾杯を。わいわいがやがやと至る所で話に花が咲く。最後に岡谷さん指揮のもと「ふるさと」他二曲を合唱。明日の大会成功に向けての思いを胸に解散。

 水澄むや好きな道とはいふものの 和 恵
 欄干は湯玉の形秋の宵      麻 紀

 十月二十六日(日)
 一草庵(種田山頭火終焉の地)大切に手入れのされている風情ある場所。そしてよい姿の柿の木にかわいい秋を見つけた。

 秋澄むやビルの彼方の松山城  敏子(挾)
 秋遍路ひつつき虫を袈裟に付け 幸子(松)
 子規堂(子規が上京するまでの住居)松山の人達の子規さんへの親愛の情が伝わってくる。栞になりそうな洒落た拝観券(五十円)にグー。これは嫁への土産にしよう。

 行く秋や坊つちやん列車に膝寄する 弘 子
 椿の実虚子筆塚にこつんとな    三惠子
 秋惜しむ道後の雨の温かき     マリ子

 坂の上の雲ミュージアムへ長い坂道を一歩一歩進み、安藤忠雄設計の三角形の館内へ。外観はもとより展示内容が充実。明治の激動の時代に挑戦や挫折を経験し、自己の確立を求め成長していく正岡子規と秋山兄弟を身近に感じた。
 昼食は伊月庵(夏井いつき句会場)。住宅街の静かな所にあり、松山の若狹さんの紹介で借りる事ができた。

 伊予の秋句会気分の少しだけ 敏子(徳)

 十五時から大会受付、十六時から白魚火全国俳句大会開会、総会、表彰式と順調に進み、懇親会は十八時から。大会参加は松江に続き今回が二回目。決まった一人分をきっちり食べ、ノンアルコールビールを一杯飲む。あちらこちらからの活気ある話し声と、笑いの渦の不思議なエネルギーは異次元に迷いこんだような気分になる。「わくわくどきどき」はてさて。強いて言えば楽しい夜だったのかも。

 十月二十七日(月)
 俳句大会は九時から始まる。特選、入選句の披講、主宰、選者による講評はとても勉強になった。
 広島白魚火会の結果は、特選九句、入選二十九句で、句友仲間として誇らしい気持ちになる。
 こうして俳句大会も無事に終わり、万歳三唱の後閉会に。皆さまお疲れさまでした。
 昼食を会館で済ませマイクロバスとフェリーに分かれ帰路へ。バスでは、帰路今治城をぐるっと回ってくださり四国最後の車窓見学をする。それでも予定より一時間以上早く東広島に着いた。あっと言う間の三日間だった。
 来年は岐阜開催と発表があった。野田美子さんのユーモアを交えた熱意あるお誘いに、次回への楽しみが倍になった。次回の参加に向けてウォーキングと句作に励もうと思っている。

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