最終更新日(updated) 2018.01.01
平成26年 浜松全国大会
  浜松大会参加記   
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良きことのありそうな日             (浜 松)山田 眞二
私の鳥取大会吟行「修業」            (東広島)森田 陽子
鳥取再発見の旅                   (出 雲)生馬 明子
懐しき鳥取砂丘                   (松 江)竹元 抽彩
ああ鳥取砂丘                     (宇都宮)星  揚子
名勝観音院庭園を訪れて              (出 雲)⻆田 和子
全国大会とコピー係               (鳥 取)植田さなえ
山陰海岸ジオパークと白兎神社          (函 館)富田 倫代
駆け抜けていった三日間             (出 雲)渡部美知子
鳥取白魚火全国大会に参加して          (群 馬)荻原 富江
鳥取白魚火全国大会吟行記            (浜 松)富田 育子
二回目の全国大会                (松 江)釜屋 清子
   平成30年1月号へ


良きことのありそうな日
(浜松)山田 眞二
 はじめに
 仕事の都合もあり、鳥取で開催される全国大会に参加できるかどうか、ぎりぎりまで心配をしていたが、なんとか予定を立てることができた。句友とは別行動となり、現地での吟行もできそうになかったが、とにかく全国大会に参加できることが嬉しかった。
  因幡までひとりの旅や秋の水
 大会当日の十月一日、浜松駅を午前七時十分発の東海道新幹線(こだま号)に飛び乗ったところから一人の旅が始まった。曇天ではあったが、車窓から眺める浜名湖がきらきらと輝いていた。
 新大阪駅で、午前九時一六分の「スーパーはくと三号」に乗り換えた。この列車は、京都から東海道本線、山陽本線、智頭急行線、因美線、山陰本線を経由して鳥取までを凡そ三時間三十分で結ぶ特急列車だ。「はくと」の名は、日本神話の「因幡の白兎」に由来し「白兎」の音読みになっているそうだ。列車のデッキはいたるところに木材を使っており、落ち着いた雰囲気を醸し出している。乗車率は四〇%ほどで、座席もゆったりしていて乗り心地が良い。
  木の実降る無人の駅を通り過ぐ
 神戸から明石の間は、左手に明石海峡を望む。列車は快調に姫路、佐用等の各駅を経て上郡から智頭急行線に入ったが、山岳地帯を通るので急にカーブが多くなった。暫く行くと、「宮本武蔵駅」という名の無人駅を通過する。駅名は、宮本武蔵の生誕の地が由来しているそうだ。吉川英治の小説に、同人が美作国宮本村の生まれとあったのを思い出した。いつの日か降り立ってみたい駅だ。
  これよりは因幡の国の鰯雲
 全長六キロほどの志戸坂トンネルを抜けて鳥取県に入り、間もなく智頭急行の終着駅である智頭駅に到着した。ここから因美線への乗り入れとなる。列車の走りは、ぐっとローカル線らしくなり、ガタンゴトンというレール音が心地よく耳に響く。吉野川沿いにまだまだ元気な曼珠沙華が手を振るように揺れている。間もなく鳥取駅だ。
  良きことのありさうな日や曼珠沙華
 午前一一時五七分、列車は時刻表通りに鳥取駅に到着した。浜松を出発し、新大阪駅で乗り換え、智頭急行の山の中の景観、因美線のローカルな雰囲気を味わいながらの列車旅を充分に楽しむことができた。これから会場入り、心はワクワクしている。
 おわりに
 大会では、結社の年齢構成や男女の比率等の説明をいただいたが、その傾向は他の結社においても同様であろうと推察できる。この現状を踏まえ、今、私に何ができるか考える機会となった。
 懇親会においては、白岩主宰のほか全国の皆さん方の笑顔にふれることができ、大変有意義であった。地酒もいただき少々足下がふらついたが、嬉しく、楽しい会であった。皆様に心より御礼を申し上げたい。

私の鳥取大会吟行「修業」
(東広島)森田 陽子
 岡山駅から特急「いなば三号」に乗り、私にとって二度目の全国大会の地、鳥取へ向かう。鳥取は白岩主宰のお膝元と聞く。車窓を美しい野山や田園風景が過ぎる。秋の因幡路、ここで一句作っておきたいところだが、句帳には「雪止め瓦?」「宮本武蔵駅」とのみ。
  青空や因幡の国の稲穂波  伸枝
 鳥取駅で昼食をとった後、バスで吟行地へ向かう。参加者二十三名のうち私達十三名は、先ず「砂の美術館」内の砂像展を訪れた。入口に二十世紀梨の売場があった。しばし、なんとも大きく美しい青梨を眺め、梨売りを眺めた。
  梨売の時に目を遣る砂丘かな  陽子
 砂像展では、米国の歴史や文化が建物の天井に届かんばかりに表現されていて、圧巻だった。館を出た処に、トランプ大統領と多民族国家を象徴する人々とが刻まれた砂像が立っていた。その砂像だけが館内のものと違って見えたのは、なぜだろうか?
  行く秋の砂像に命よみがへる  春枝
 砂丘へのリフトを降りると、砂像の制作過程を見学するためにしばし別行動をとっていた澄恵さんが、私たちを待ち受けておられた。心配かけぬよう、混んでいたリフトを避けられたのだった。ここで自由吟行となった。ためらわず砂丘へ向かう。喘ぎ端ぎ、美保さん、三恵子さんと「馬の背」の上の青空を目指した。頂で空は一気に開け、眼下に日本海が広がった。そのまま砂浜へ下った。しばし俳句のことは忘れて、故郷の玄界灘と同じ潮に触れ、貝殻を拾った。風紋は期待していなかったが、それらしきものを見ることはできた。集合場所へ急ぎながら振り返ると、砂丘は数多くの靴跡で覆われていた。
  砂山や円弧に展ベて海は秋  廣志
  秋天や息荒く越す砂の壁    陽子
  砂山に一つ拾へり秋の声    陽子
 宿に帰る前に、白兎海岸への吟行の機会を得た。渋滞を抜けて辿り着くと、白兎に例えられる波頭は夕日の色を帯びていた。夥しい靴の跡さえも一夜で美しい風紋に戻すという風が白兎海岸にも吹いていた。
  兎波寄する社や実はまなす   積
 慣れぬ砂山歩きで疲れてはいたが、宿で苦吟し、数だけは揃えることができた。
  色の無き砂像色なき風に立つ 陽子
  虫の音や絹おくごとく砂丘暮れ 陽子
 大会の日の朝、鳥取城址への吟行が叶った。城址からの鳥取の街の穏やかなたたずまい、城垣の風情、仁風閣のガス燈や垣の枳殻の実、皆で唱えた「明治の息吹・江戸の雫」という言葉、等々かけがえのないもので句帳は満たされた。日頃ご指導頂いている先輩方の御句を大会当日の「選者詠・鳥雲詠」の中から、さらに引用させて頂く。
   城址の松の枝ぶり秋澄めり   サツエ
   フランス窓抜けて御座所へ秋の風  敏子
 白岩主宰、諸先生方、行事部の皆さま、鳥取会員の皆さま、たいへんお世話になりました。出会う方々にやさしく接していただき、楽しく過ごしました。心よりお礼申し上げます。


鳥取再発見の旅
(出雲)生馬 明子
 九月三十日七時に出雲を出発したバスは、三刀屋、斐川、平田、宍道、松江を経て、三十六名の会員を乗せて鳥取へ向かった。
 露けさの窓辺に明けの星一つ陶山京子
 大会のあした帰燕を道連れに渡部幸子
 最初の吟行地は、古事記、日本書紀にある「因幡の白兎」の白兎神社。御手洗の前に立つと、「大黒様」の童謡が流れてくる。大穴牟遅命(大国主命)が兔に体を洗わせた「御身洗池」や、兎が鰐を騙した「白兎海岸」がある。
  騙されし鰐の怒りや地虫鳴く   石川寿樹
  青極む白兎神話の秋の海    林あさ女
  木の実降る宮に流るる童歌   野田弘子
  白兎洗ひし池や秋の雲      釜屋清子
 昼前に砂丘に到着。昼食を終え、「砂の美術館」へ。
 近年は「砂で世界旅行」をテーマとし、今期は「アメリカ編」として、偉大な大統領、絶景や世界遺産などアメリカの歴史や文化にちなんだ十九作品が展示されていた。砂像の眼は凛々しく、アメリカを創った男たちの力強さが伝わってきた。
  身に沁むや良きアメリカの砂像群  小玉みづえ
  名優を刻みし砂像秋日濃し      三原白鴉
 鑑賞後は、日本一の砂丘で自由吟行となった。日本一の理由は広さではなく、風と共に砂が動く自然の姿(風紋、スリバチ、起伏の大きい地形、特有の動植物など)が維持されている「生きている砂丘」だからだそうだ。
  私は絹子さんと砂丘に出た。白い砂丘、白い波、青い空、青い海……白と青の広大な世界に人間は小人のようだ。
  初雁に砂丘の空の広きかな   牧野邦子
  松籟や砂丘遥かに雁渡る    原 みさ
  浜静か海あをあをと天高し   森山啓子
 客待ち顔の「らくだや」の親子。五分間千三百円也に、乗るのはやめて眺めることに。
  さびしげな眼をした駱駝砂丘は秋   中林延子
  秋うらら駱駝の手綱ひく親子      佐々木よう子
  砂丘ゆく駱駝色なき風を背に      妹尾福子
  爽やかや子供らはしやぎ駱駝来る   多久田豊子
 高さ四十七メートルの急斜面の馬の背を、たくさんの人が登っていく。
  踏んばりて登る砂丘の帰燕かな    藤田眞美
  長靴を引きずる砂丘海桐実に     原 和子
  足跡の続く砂山秋の風         上田恵美子
 私たちは右の方の低い所から登ったので楽に登れた。
 馬の背の海側ではパラグライダーを楽しむ人達がいた。
  パラグライダーふわりと飛んで秋の昼  角田和子
 ガイドブックに、美しい風紋ができやすい場所が書いてあったので気をつけて歩いた。
  秋風の見えねど砂紋置いていく   安達美和子
  風紋の生まれし秋を見てをりぬ   江角トモ子
  風紋は風のいたづら鰯雲      船木淑子
  風紋の角をけづりて天高し     山本絹子
  風紋や風吹くたびの秋模様    三加茂紀子
 馬の背を降り、休憩所で目に止まったのはソフトクリーム。
  喉越しの清かなりけり氷菓子   福間弘子
 十月一日は観音院と鳥取東照宮を吟行。鳥取東照宮では祭の準備をしていた方が、次々に訪れる白魚火会員の質問に笑顔で応じて下さっていた。
 十月二日の早朝、数人で尾崎放哉の生家と鳥取城址を訪ねた。
 平素、隣接している伯耆を訪れることはあるが、因幡は少ないので、鳥取再発見の旅となった。次は放哉の小径や城址をゆっくり吟行したい。砂丘の夕焼けや夕日、漁火を見てみたい。冬の砂丘や海はどんな様子なのだろう。そんなことを思いながら帰路についた。

懐しき鳥取砂丘
(松江)竹元 抽彩
 俳句結社「白魚火」主宰を継承されて早や三年、白岩敏秀先生の地元鳥取市で、十月一日(日)から開催される平成二十九年度白魚火俳句全国大会参加の私達島根白魚火三十六名は前泊で九月三十日(土)、団体貸切観光バスに乗り、正午に吟行地鳥取砂丘に到着した。途中道の駅と白兎海岸に寄りゆっくりトイレ休憩、快晴に恵まれて車内では久しぶりの顔合せで和気藹々の楽しい時間を過ごした。
 砂丘では海鮮料理の昼食が用意されており、団体で昼食休憩の後、午後四時まで自由吟行となった。私は過去五、六回来ているが、剣道大会の寸暇の観光であり吟行目的は初めてである。砂丘を歩く前に皆について団体で砂丘美術館に入った。初めて見る砂像は私の想像を遥かに越え、大迫力に圧倒された。見事な芸術品に仕上がって正に神技で、その精巧さは驚愕に値する。
  砂像見て砂丘の砂に触れて秋    抽彩
 杖を曳きながら美術館を出て皆と遅れがちにジオパーク(大地の公園)に登録されている砂丘に足を踏み入れた。
  ジオパーク砂丘の秋を踏み締むる  抽彩
  木目の細い石英の砂粒が靴の中に入った。この砂で砂像を作っているとは信じ難い。
  砂丘の果ては秋澄む日本海。砂丘の上に真っ青な海が重なっている。
  日本海載せて秋澄む大砂丘    抽彩
 私はふと過去が蘇った。あれは丁度今頃の秋、私が三十歳の時だから五十年前の話になる。剣道大会に優勝して祝賀会の後、チームで優勝旗を持って砂丘を走った。あの時砂丘の沖は漁火、空に満天の星が瞬いていた。
 私は未だ俳句をやっていなかったが、「漁火も星も瞬く大砂丘」の句を作って、俳句をしていた剣道の師に褒められた記憶が浮かんだ。当時の純粋さが懐かしい。
 今足が萎えた老人となっても現場に立てば昨日の事の様に思い出す。
 私が最後にこの砂丘を訪れたのは、昭和六十年の秋、鳥取国体の時である。当時日本の首相は中曽根康弘氏、あれからもう三十年が経つ。その時砂丘句碑に出合った。
  (荒波へ砂吹かれゆく冬北斗 康弘)
 丁度私が俳句を始めた頃であり感銘を受けた。氏が日本丸の舵取りを委されて荒波へ漕ぎ出して行くに当り、冬北斗目指して進路を迷わない様との心情を詠まれたものと理解した。氏は平成二十年に句集を出版されている。この句は句集八十六ページに載る。氏は現在九十九歳、十五歳から始めた俳句は八十五年になる。今回不自由な足で句碑を捜したが砂丘の入口が多くて出合えなかった。出発の午後四時まで砂丘でしっかり鍛えられた。
 午後四時三十分前泊の宿、鳥取ワシントンホテルプラザに部屋を取り、午後五時半ホテルロビーに集合、全員で駅前の料理店「三代目網元」で賀露の海幸で夕食。横に鳥雲同人生馬明子さん、向かいに石川寿樹さんの席で、禁酒を解いてビールと酒を飲んだ。舌も滑かになり以前の元気が戻った心地だった。
 報筆制限があり、オーバーしたので大会の模様は他の参加記に譲り、前泊の一日だけを書いて終る。 老人に取って思い出は若き日の心を取り戻す特効薬である。明日を楽しみに寝る。
  旅枕月の砂丘を眼裏に  抽彩


ああ鳥取砂丘
(宇都宮)星 揚子
 今回、私は白魚火全国大会(鳥取)に三年振りに参加させていただいた。三年前は浜松大会で、仁尾先生が車椅子ながらお元気そうな姿を見せてくださっていた時であった。しかし、それが今回の全国大会では仁尾先生の三回忌悼も兼ねてとなり、時間の早さをつくづく感じた。
 さて、今年は白岩主宰のお住まいの地、鳥取での大会であり、私もちょうど三月末日で定年退職を迎えて、仕事への気兼ねもなく参加できる状況。それに、鳥取砂丘には一度は行ってみたいと長年思っていたので、すぐに参加申し込みをしたのだった。
 日程は大会前後泊(( 九月三十日~十月三日)という、私にとっては少し贅沢で、ちょっとハードなものだった。星田一草先生、中村國司さん等六名で宇都宮から電車で約八時間かけて鳥取へ。道中長いので、本を一冊持って行ったが、話をしたり、景色を見たりしているうちにあっという間に着いてしまい、読まず終いだった。電車では栃木と東京の何名かとも一緒になり、修学旅行のように気持ちが昂ぶった。鳥取砂丘では檜林弘一さんと合流。
 ああ、これが夢に見た鳥取砂丘!広い砂丘の上には真っ青な空。砂丘に上る人と下りる人の姿が豆粒のように見える。私たちも上ろうと歩き出した。裸足の方が歩きやすく、気持ちがいいと靴を手にして上る人、途中ですれ違った人の中には長靴を履いている人もいた。何人かお揃いの長靴だったので、貸し長靴なのだろうか。私は靴のまま、砂が中に入らないように気をつけながら、一歩一歩踏み締めて上った。砂は薄いベージュ色で、平地の黒い砂とは全く異なり、さらさらとして触っても汚れない。大勢の人が上っているので、無数の様々な足跡がついていたが、すぐに新しいものに変えられていった。
 上に着くと海と空が水平線に一直線に分けられていた。日差しが強かったので、私は日傘を差していたが、海からの秋風が心地よかった。砂丘の「馬の背」では島根や佐賀の皆さんにお目にかかれ、お変わりのないことをうれしく思った。幼子が砂遊びをしていたり、少し下の方ではパラグライダーに乗って楽しんでいる人の姿も見えた。
  砂丘にもてつぺんのあり秋高し
  パラグライダー砂丘に秋の影落とす
 もう下りようかと思った時、大きな黒揚羽がふわりと飛んできたのには驚いた。まるで日本海を渡ってきて、この鳥取砂丘を越えて行くかのように思えた。
  海を来て砂丘の上を秋の蝶
 「秋の蝶」の本意には合わないかもしれないが、白魚火の底力のようなものをこの秋の蝶から受け、ふとこんな句ができた。
  鳥取砂丘吟行を主に書かせていただいたが親睦会では白岩敏秀主宰のもと、白魚火の方々の結束を強く感じ、私自身の思いも熱くなった。
  仁尾先生もあの世できっとお喜びになられていることと思う。
  遺影が心なしか微笑んでいるように見えた。

名勝観音院庭園を訪れて
(出雲)⻆田 和子
 私ども出雲、雲南、松江の一団は、この度の吟行で、白兎神社、鳥取砂丘、観音院、樗谷公園(鳥取東照宮)を訪れました。中でも、天台宗の観音院がとても印象深かったので、このことについて述べてみます。
 桜紅葉がちらほら散る緩やかな坂道を上がると、立派な山門がありました。山門を入ってすぐ左手に、菩提樹や染井吉野等の樹木に覆われて、茶筅塚に並んで大きな句碑がありました。お寺の方に尋ねると、茶筅塚はおよそ四十年前、句碑は昭和の初期に建立されたそうです。
  暫くは花にしみじみ思ひけり  機外
 作者の岡田機外(明治六年~昭和二十四年)は、地元鳥取で活躍された俳人だそうです。
 句碑を鑑賞した後、書院へ入り名勝に指定されている庭園を眺めました。この庭園は、池泉観賞式庭園といわれ江戸時代の代表的な名庭だそうです。
 正面や右手に山腹を取り入れ、築山や背景としているのですが、その山腹が随分と高いのにとても驚きました。まるですり鉢のような感じで、その底に広い池が掘られています。池の左に亀島という低い島が、右手には出島として鶴島が配されています。築山の中央部にさりげなく石が置かれていたのも、芝生のアクセントになっていました。
 静かな趣のある名園を眺めながら、やがて出された表千家の薄茶を頂き、去り難いひとときを過ごすことができました。
  菩提子や句碑茶筅塚寄り添うて  和子

全国大会とコピー係
(鳥取)植田さなえ
 今年の全国大会は私の地元鳥取で開かれました。その開催をおよそ旬日後に控えた鳥取白魚火「はまなす句会」の例会は、吟行句会となりました。大会の日の吟行は難しいと思われたからです。樗谿公園に集合し、久松公園(鳥取城址)、仁風閣、砂丘、岩戸海岸を車で周遊。砂丘を一望できる小高い丘のレストランで昼食後、句会と大会の準備や当日の役割などの確認を行いました。
 鳥取は会員が少ないので、全国から参加して下さる皆様を十分にもてなすことが出来るかどうか不安でした。私は三年ほど前に会員になったばかりなので、全国大会の様子も十分に分りません。それで昨年の広島大会に参加して、大会の様子を学びました。大会には選者先生をはじめ全国から沢山の句友が結集され、活気あふれる大会の雰囲気にすっかり圧倒されました。多くの句に出合い、初対面の方々とお話をして、戸惑いながらも、楽しく充実した二日間でした。この大会で勉強させていただいたことを鳥取大会に生かしたいと思ったことです。
 そしてあっという間に一年が過ぎて迎えた鳥取大会です。天候、交通のこと等あれこれ不安や心配がありましたが、それを打ち消すように北海道から九州まで全国から百七十名余りの方が次々と到着され、ホッとしました。
 私は、大会ではコピー係でした。句会進行を支障なく進めるための重要な仕事です。投句の貼り付け、選者用の無記名の句稿、披講者、代返者、一般用の記名句稿のコピーと綴じ込み。慣れない作業でしたが、行事部の方のアドバイスや他県の句友の応援や協力を得て、つつがなく行うことが出来ました。
 一日目の総会、式典は盛大でなごやかに行われました。その後の親睦会では鳥取の傘踊り、北海道のいか踊り、コーラス、カラオケ、ハーモニカ演奏等々芸達者な方が多く、最高の盛り上がりでした。初対面の方や顔見知りの方との話も弾み、楽しい時間を過ごしました。
 二日目は生憎の雨で足元が悪く、吟行には不向きな状態でしたが、多くの方が周辺を散策されたようでした。その熱心さに感心し少しでも鳥取を楽しんで頂けたかと嬉しく思います。
 句会では鳥取の場所、事物を詠みこんだ句が多く披講されました。地元のことなのに鳥取に居ながら普段足を運んで、十分に見つめていないことに気づかされたことです。白魚火の「わが俳句足もてつくるいぬふぐり」のモットーを改めて思い起こしています。
 主宰、鈴木先生、村上先生の選評やお話など心に留めて、今後の句作に励みたいと思います。多くの句友や俳句に出合うことができて充実した二日間でした。
 大会を運営していただいた行事部の皆様をはじめ、選者先生や参加していただいた方々に深く感謝し、お礼申し上げます。本当にありがとうございました。

山陰海岸ジオパークと白兎神社
(函館)富田 倫代
 今回、鳥取大会の吟行地の予定を相談しながら、砂丘も含めて、「山陰海岸ユネスコ世界ジオパーク」に登録されている絶景をぜひ見たいと思っていました。好天に恵まれることを願いつつ、大会の二日前、今井星女先生との一行七人が函館を出立し夕暮れの鳥取砂丘コナン空港に着きました。
 翌日は朝から快晴。皆わくわくしながら、観光タクシーを利用して吟行開始。鳥取砂丘を見た後、早速浦富海岸へ向かい、すぐに待望の島めぐり遊覧船に乗りこみました。乗客の投げ餌を追ってくる鳶や鴎に驚きながら、港の堤防を過ぎると、日本海のうねりの中を進む船の横を、切り立った断崖、千貫松島をはじめとする島々、繊細な深い入り江などが次々と現れては過ぎてゆきました。
 島のひとつ、菜種島には、座礁した北前船の積荷であった菜種が漂着して自主するようになった、日本固有の在来種のアブラナが咲くそうです。海からの強い西風のため、陸の西洋種と混じることもなく生き延びた希少な花です。人の営みと自然の偶然がもたらした小さな奇跡でしょうか。
 その先、海岸からさほど離れていない黒島は、海岸やほかの島々が花崗岩であるのに対し、全く形成の過程が異なる凝灰岩と説明があり、「ブラタモリ」が好きな私には興味深いことでした。
 帰りはスピードを上げた船の水しぶきを浴びながら帰港し、今度は崖の上を通る幾つかの展望スポットから、絶景を俯瞰。崖の上からでもその透明度がわかる美しい入り江、荒波が浸食した湾や洞窟、遠くまで砂丘の続く海岸線、そして、青い、青い、日本海。このジオパークは日本列島がアジア大陸の一部であった痕跡と今に至る地質遺産を残していると書かれています。ここが大陸だった太古を想像しながら、いつまでも見ていたい日本海の風景でした。
 賀露で昼食を済ませ、午後からは、鳥取砂丘の西に続く海岸沿いにある白兎神社へ。混み合っている駐車場から、鳥居をくぐり、午前の吟行で少し疲れた脚には辛い急な階段を上がると、そこは天然記念物に指定されている、日本海地方の原始林の樹叢が続く参道でした。参道の脇には白兎の傷を治した蒲も生えていました。御社は大きくはありませんが、大きな注連縄が神格を現しています。神話に基づいて、日本の医療発祥の地とされて、病気平癒、動物医療、そして縁結びの神様ということで、皆各々に参拝いたしました。海岸を見渡すと神話の舞台となった島も見え、神話の景色がそのままに残っている様でした。参道に流れる「大黒さま」は私には馴染みのない歌でしたが、一緒に歩いていた高山さんは口ずさみながら懐かしがっていました。
 この日は、白兎海岸から、湖山池を巡り、その大きさに驚きながら最後は宇倍神社にも足を延ばして、皆かなり疲れたようでしたが、とても美味しい秋会席料理で、元気を回復して一日を終えることができました。
 翌日からの大会も皆様のお世話のおかげで楽しく充実した時間になりました。心から感謝いたします。


駆け抜けていった三日間
(出雲)渡部美知子
 今年の大会は白岩主宰の地元鳥取市での開催であった。仁尾前主宰の三回忌を追悼する大会でもあり、多数の誌友が集って盛大で熱気にあふれた大会であった。島根からは三十六名が参加した。
 鳥取へ向かう一日目。貸切りバスは出雲市駅を七時に出発。その後三刀屋・斐川・平田・宍道と回り、松江で全員の顔がそろった。皆の表情が明るい。日常を離れて俳句を楽しめる喜びが見てとれる。かく言う私も、行ってきますと家族に手を振って歩き出した瞬間から、白魚火全国大会モードに切り替わった。鳥取まで百七十キロほどの旅。日本海を左に見ながら、バスは海岸線をひた走る。気が付くともう皆俳句手帳を手にしてペンを走らせている。私もごそごそ電子辞書やら手帳を出して開く。
 途中「白兎神社」や「白兎海岸」に寄った。因幡の白兎神話に登場する大国主命は出雲大社の祭神でもある。どこか親しく懐かしいような感覚で、「大きな袋を肩にかけ 大黒さまが来かかると ここに因幡の白うさぎ 皮をむかれて赤裸」と何十年ぶりに歌ってみたりしながらの吟行であった。
 再びバスに乗って、今回の一番の吟行地鳥取砂丘へ向かう。昼食を済ませ、これからのことを確認して、後は自由吟行。砂の美術館を見、鳥取砂丘を歩いて句を作る…はずが、歩くだけで一杯一杯であった。宿に着いてひと息。夕食は賑やかに食べて飲んだ。話が弾んでビールもおいしく、ついつい二杯、いや三杯だったかな?夕食後部屋に帰り、心地よい酔いの中でしばし推敲を試みる。
 明けて二日目(大会一日目)。午前中は観音院や鳥取東照宮などを吟行して回る。このあたりまで時間の流れは比較的ゆるやかだったが、大会会場へ入ると一変。大会日程に従って飛ぶように時間が過ぎて行く。出句をすませて急ぎ句稿準備を手伝う。三時から総会・式典。親睦会は、これぞ白魚火!と思わせる盛り上がりであった。
 三日目(大会二日目)は、十時から句会・披講・選評・来年度の開催地の発表・万歳三唱と一気に進んでいく。一呼吸おいて司会者の終了の挨拶。それを聞きながら、ああ終わった・・・と思う。
 充実の時間を共有した仲間たちが、昼食もそこそこに慌ただしく散って行く。大きな波が去った時、同じテーブルにおられた鳥取の福本國愛さんが、一つ大きな息を吐かれた。その時の安堵の表情が今も印象に残っている。
 昼食を終えて私たちも帰りのバスに乗る。雨で視界が悪い。途中買い物のため雨の中を走った。土産を選びながら、皆がもう大会に向かう時とは違う顔になっていた。松江・宍道・平田と止まるごとにバスの中は静かになっていく。秋の日は釣瓶落とし…すっかり暗くなった斐川で降り、数人を乗せたバスを見送った後、挨拶を交わし合って別れた。こうして怒涛のような三日間が終わった。

 白魚火がまた一歩前進したと感じる大会であった。私自身は、多くの佳句に刺激を受け自分を省みる機会となった。また来年参加できるならば、少しでも成長した自分で参加したい。大会担当の皆様、お世話になりありがとうございました。


鳥取白魚火全国大会に参加して
(群馬)荻原 富江
 大会前日の早朝四時、まだ暗がりの中、中之条駅をバスに乗って出発。車内にて朝日に向かい今回の大会の成功を御祈りする。幸い渋滞にも遭わず羽田空港に到着。出発ロビーにて仲間の二人と合流し総勢十名の参加となった。
 白岩主宰の御膝元である鳥取は良く晴れ渡り、眼下に大砂丘を望みながら鳥取砂丘コナン空港に到着。昼食のあとタクシーに分乗し、まずは砂丘へと向かう。まさに大砂丘であった。「だいだらぼっちが幾度砂を運び上げたのであろう。」などと感心しつつ足跡だらけの砂山に一歩踏み入れた。馬の背は急峻であったが、靴をとられつつも登り切り日本海の風に吹かれた。サラサラと細かな砂が足跡を少しづつ消し去り、風紋を生み出している。自然とは確かで逞しいものである。低地には水の湧き出す所があり秋の草が実を付けている。砂漠のオアシスとはこの様なものなのだろうか。
 次に砂の美術館に寄る。『砂で世界旅行』と銘打ってアメリカ特集をしていた。歴史・自然・文化など多方面から捉えられ、生き生きとした砂像の見事さに圧倒させられた。ちなみに日本人がプロデュースし世界の若手芸術家達の手による作品群とのことである。
 白兎神社では長い階の両側に彫刻の兎が沢山祀られていて、神の国の人々の信心深さを垣間見た気がした。社殿近くにて、突然案内人が「大きな袋を肩に掛け…皆さん御一緒に。」と歌い出した。にわか仕立ての唱和となった。裏門近くの銀杏の葉が金色に輝やいて、透き通った実を沢山付けていた。
 仁風閣は明治よりの建物と聞くが、今も純白の容姿を見せ和洋折衷の庭園に映えていた。城跡の三層の石垣も夕日を浴び美しかった。
 末広温泉町にある和食屋にて一日の労をねぎらう。その折誰言うとなく今日の俳句の出来具合を発表する事となった。忌憚のない意見を述べあい大いに盛り上がる。
  風紋に草矢打ち込む秋思かな      庄 治
  虫すだく町家の窓の京格子       ふさ子
  砂丘あるく秋の日傘となりにけり    比呂子
  白波の白兎海岸天高し          秋 生
  秋風や見渡す限り砂の丘        定 由
  水澄むや倉吉ことばやはらかし     耕 筰
  行く秋の砂丘に遊子影落とし      百合子
  さはやかな風に風紋変はりけり     美名代
  磯づくし思ひ思ひの月の宴        幸 尖
  幸せの鐘の余韻や秋高し        富 江
 大会当日。午前中倉吉に足を伸ばす。前年の地震のその後を案じていたがほとんど復旧していて、白壁と黒板塀とが青空とともに堀に影を落としていた。裏戸に続く石橋に温かみを覚え歩いてみる。二昔前の暮しがあった。
 午後会場に着く。入口にて仁尾先生の笑顔の写真が出迎えて下さり黙祷する。一人一人に話しかけて下さっているかの様な、なつかしいお顔であった。
 大会は、式次第に従って進行し、各賞受賞者の表彰となる。晴れやかな御姿がまぶしかった。
親睦会では御当地の傘踊りも披露され、大変な賑わいとなった。
 大会二日目。句会が始まる。百七十一名の参加があり、どの句もなる程と思うものばかり。披講・選評へと続く。次いで来年度の開催地が静岡県と発表され、大会閉幕。昼食後、遣らずの雨の中、別れを惜しみつつ帰途についた。
 行事部の皆様、スタッフの皆様有難う御座いました。


鳥取白魚火全国大会吟行記
(浜松)富田 育子
 白魚火全国大会前日の九月三十日朝、白魚火前主宰仁尾正文先生の遺影とともに、私達浜松白魚火会の三十一名は、貸切りバスに乗り浜松を出発した。豊田市で一名合流し総勢三十二名で鳥取に向かう。大会にバスで出掛けるのは初めての事である。学生時代の修学旅行のように、わくわくとしてくる。東名、名神、中国自動車道を乗り継ぎ、鳥取自動車道に入り、その日の吟行地である智頭町に立ち寄る。この町は面積の九十三%が森林で、人口は約八千人の自然に恵まれた小さな町である。江戸時代には、宿場町として栄え、今も当時の面影をとどめている。国の重要文化財に指定されている石谷家は、敷地三千坪、部屋数は四十余り、七棟の土蔵を持つ大規模な邸宅である。元禄時代に鳥取城下より移り住み、土地一番の地主として山林経営などで繁栄し地域経済を支えた。色々な面で町の進展に尽くされている。ガイドの説明を聞きながら、邸宅の中を見学する。母屋の入口を入ると、高さ十四メートルの広大な吹き抜けがあり、松の巨木を用いた豪勢な梁組が見られた。窓の障子には細工が施され、長押、床柱の面皮仕上げなど、目を見張るものばかりである。句友の目が輝き出す。早くも句帳にペンを走らせている姿も見られる。座敷に座り込み、じっと庭を眺めている人、気に入った座敷を再度見ている人、それぞれの好みで吟行して回る。窓より庭師の鋏の音が聞こえてくる。
  色変へぬ松や因幡の山庄屋    尚 作
  夕暮の智頭宿棗うれてをり     文 子
  爽やかや縁に庭師の鋏の音    啓 子
  格子窓に迷ひこみたる秋の蝶   育 子
 石谷家見学の後、江戸時代参勤交代の大名行列が往来した歴史の道(智頭往来)を歩く。格子戸や板塀の美しい商店街が並ぶ。通りの酒蔵にも立ち寄り、新酒の試飲をさせてもらう。きれいな水で仕込まれている為か、上品でおいしい味だった。通り沿いの民家には、棗の実や石榴の実が熟れていた。二時間余りの吟行を終えて、一日目が終わる。
 二日目、全国大会当日の朝八時、昨日と同じメンバーで、鳥取砂丘、鳥取城址へ吟行に出掛ける。鳥取砂丘は、雄大な起伏が続く日本最大級の海岸砂丘である。数万年の歴史を重ねる巨大な砂の丘は、国指定の天然記念物。高さ四十七メートルの馬の背の向こうに見える日本海は、すばらしい眺めだった。足元に小さな黄色のハマニガナが咲いていた。次の鳥取城址では、明治に建てられた国の重要文化財である洋風建築の仁風閣を見る。庭の池に映る青い空と白亜の洋館が印象的だった。吟行を終え全国大会会場へ急ぐ。

二回目の全国大会
(松江)釜屋 清子
 九月三十日の朝、貸切バスで松江を出発。お隣の県でありながら、鳥取砂丘をゆっくり訪れるのは初めてだった。のんびりとラクダに乗る人、馬の背の頂上を目指して歩く人、馬の背に見える砂簾。全てが新鮮でスケールが大きかった。
 風紋を捜したが見つからない。こんなに人が多いのだから仕方ないと思っていたら、木の陰に小さな風紋を見つけた。風と砂との芸術品にやっと出会えて嬉しかった。
 砂の美術館を訪れたのは初めてだったが、砂を使ってよくぞここまでと感心した。
 一度お参りしたいと思っていた白兎神社は、神話「因幡の白うさぎ」で有名な神社で、今や縁結びのパワースポットとなっている。うさぎを乗せた石燈籠が参道の両側にいくつも並んでおり、うさぎの耳や背中に白い小石がたくさんのせられていた。どんな願い事だったのだろう。白うさぎの体を洗ったという御身洗池には白い雲がのんびりと映っていた。
 夜は鳥取駅のそばのホテルに宿をとり、近くの店で気心知れた仲間との楽しいひとときを過ごした。帰りに聞いた虫の声が耳に残る。
 十月一日。鳥取市内にある観音院と鳥取東照宮に出かけた。
 観音院は書院からの眺めが美しく、お抹茶をいただきながら至福の時を過ごした。
 次に訪ねた鳥取東照宮は秋祭りが間近で、歴史ある神社と神輿準備の若者が聴いていたポップスとの組み合わせが興味深かった。
 総会と式典は午後三時からホテルで行われた。主宰白岩先生の地元での開催であり、また前主宰仁尾先生の三回忌を追悼する大会だった。全国から百七十名余の白魚火会員が集まり、盛大に行われた。
 十月二日、最終日。前日投句の披講と選評があった。皆さんの素晴らしい俳句に感動すると共に、「じっと待っていれば相手が動く」という白岩先生のお言葉に、私の心は強く揺さぶられた。今回いろいろな場所を訪れ、それぞれがとても心に残るものだったが、先生のおっしゃる「吟行」には遠く及ばない。今回教えていただいたことを胸に刻んで、これからまた励んでいきたい。
 楽しく充実した鳥取大会だった。支えてくださった全ての方に心からお礼申し上げます。

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