最終更新日(updated) 2018.02.01

平成28年平成25年度 白魚火賞、同人賞、新鋭賞   
           
      -平成30年2月号より転載

 発表

平成三十年度「白魚火賞」・「同人賞」・「新鋭賞」発表

  平成二十九年度の成績等を総合して下の方々に決定します。
  今後一層の活躍を祈ります。
              平成30年1月  主宰  白岩 敏秀

白魚火賞
 斎藤 文子
 西村ゆうき
 三原 白鴉

同人賞
 吉田 美鈴
 
新鋭賞
 森脇 和惠

 白魚火賞作品

 斎藤 文子      

      春立つ日
飛びた気なティッシュペーパー春立つ日
清酒に浮かぶ金箔春の雪
さへづりの洗濯物を揺らしをり
剪定の梯子に掛けてあるタオル
春愁の胸に手を置き眠りけり
歯ブラシの黄色が私梅雨晴間
梔子の香や街灯のぽつと点く
ひもすがら海平らなり髪洗ふ
丸き地球にハンモック吊しけり
月光に触れ南天の花毀つ
幾枚も皿を洗ひて厄日かな
苦瓜の真つ赤な種や風止みぬ
枳殻の暗き実に触れ刺にふれ
秋風を回してをりぬ提灯屋
日暮まで少し間のある棉の桃
岬回に小春の貝を拾ひけり
待ち合はすホテル聖樹に灯の入り
冬霧の中より汽笛フェリー来る
雪明かりして千体千手観世音
冬菫みんな笑顔の子供の絵

  西村ゆうき   

   七 日 粥   
飽食の胃の腑へ落つる七日粥
少女らのくすくす笑ひ日脚伸ぶ
軋ませて木橋を渡る猫柳
春泥を跳んで明日へ近づきぬ
雲雀野や農夫影ごと老いゆけり
土笛を鳴らしてみたる日永かな
春塵や誰も返さぬ砂時計
百段を降り百丈の滝拝す
幣の縄張つて祭の町となる
風鈴や隠岐より届く一筆箋
頬杖の正面にある金魚鉢
水移すやうに子の手へ天道虫
風鈴の夢のとぎれに鳴つてゐる
みどりごの確かな重さ星月夜
鳥の声林に沈み野分くる
秋霖をゆく杉丸太満載車
車座に回す薬缶の温め酒
花八手ひとり遊びの影ぼふし
迷ひこむ見知らぬ路地の返り花
クリスマス菓舗のひかりの中へ入る

  三原 白鴉   

   不揃ひの穴   
薄氷の捉へてをりし風の跡
耕して土の香りを野に放つ
菜の花や夕陽を乗せてゆく電車
花辛夷空の青さに触れて咲く
小さき村の小さき社の春祭
大植田大きな夕日納めけり
病窓を開くれば初夏の街の音
一枚の布置くごとく梅雨の湖
青蘆や板一枚の舟着場
水替へて金魚に活を入れにけり
鶏頭花図太く生きてみたきかな
句帳閉づ色なき風を閉ぢ込めて
野の花を飾り陶工轆轤ひく
笛方は二人の少女在祭
椎大樹枝の広さに実を降らす
不揃ひの穴を残して大根引く
小春日や山の大樹に会ひにゆく
白鳥の風抱きしめて着水す
数へ日の空にゆらりと飛行船
寒の水引つ張つてゆく小舟かな


 白魚火賞受賞の言葉、祝いの言葉

<受賞のことば>  斎藤 文子               斎藤 文子  

この度は白魚火賞をいただきありがとうございます。私にとりましては、身に余る賞に今も緊張しております。
 十三年前、村上尚子先生のお誘いに、季節別歳時記の「夏」「秋」しか持っていない状態で超結社の句会「槙の会」へ入れて頂きました。今にして思えば、何と向う見ずなこと。ただその日より俳句の魅力に嵌ってしまいました。それまで気づかなかった道端の草や木に目を止め、風や水音も感じるようになりました。また、日本語の美しさや細やかさにも驚かされました。
 「槙の会」は、黒崎治夫先生ご指導のもと、俳句の「一」からを教えて下さいました。年齢幅が広く、気がつけば同級生のお母様がいらしたりして、娘のようにかわいがって頂きました。白魚火入会後は、浜松支部の吟行会で、仁尾正文先生とご一緒させて頂いた三島行などは忘れられません。
 今回の受賞が、今まで私に賜りました諸先生、先輩方へのご恩返しの一端となれば、こんなに嬉しい事はありません。
 これからも白岩敏秀主宰、村上尚子先生のご指導のもと、今まで以上に精進して参りたいと思っておりますので、よろしくお願い申し上げます。


 経 歴
本  名 齋藤 文子
生  年 昭和三十年
住  所 静岡県磐田市

 俳 歴
平成十六年  磐田「槙の会」入会
同年     白魚火入会
平成二十二年 白魚火同人
平成二十四年 新鋭賞
平成二十七年 俳人協会会員
同年     みづうみ奨励賞
平成二十八年 みづうみ秀作賞


  <斎藤文子さんのこと> 鈴木喜久栄

 文子さん、白魚火賞受賞おめでとうございます。心からお祝申し上げます。
 文子さんとのお付合いは、十七年位前、文子さんが勤めていた医院に叔母がお世話になり、月二回薬を受取りに行っておりましたときに始まります。
 窓口では、いつも文子さんの笑顔が迎えて下さいました。叔母が亡くなり、しばらくしてから「槙の会」の勉強会が始まり出席した時に文子さんと再会致しました。二人共俳句を勉強していることを知りませんでした。
 それ以後、槙の会の句会に一緒に出席しております。四人のお孫さんに恵まれて、週末には遊びに来て文子さんのおいしい手料理で楽しく過されているようです。
  竹皮を脱ぐ少年のふくらはぎ
  ラムネ玉鳴らし子供の来たりけり
  爽やかや子に生えて来し永久歯
  帯解の子の簪に小さき鈴
  眠るまじサンタクロースの来るまでは
 俳句を始めた頃に生まれたお孫さんも、五年生になられました。文子さんの俳句の上達と共にお孫さん達もぐんぐんと成長されました。また近くにお住いのお母様もお元気で八十五歳になられたそうです。文子さんの日頃の親孝行の賜物だと思います。
  裏口に実梅山盛り母の声
  回覧板かかへて母の夕端居
  今朝秋の道を曲れば母の家
  秋初め母の手縫ひの布巾干す
  古暦余白に母の覚書
 文子さんは槙の会で一番お若く皆さんに頼りにされております。明るく神経細やかな努力家です。豊かな感性をお持ちで熱心に勉強されお孫さんはじめご家族の句をたくさん作られました。現在は、医院を退職され、ご主人様と自由な時間を過しながら俳句に専念されております。
 最後に私の好きな文子さんの句を記させていただきます。
  退職の朝鶯の鳴いてをり
  松が枝の水面に触るる暮春かな
  麦秋の指先に風生まれけり
  どこまでも秋天ポップコーン弾く
  ポケットにふれて夜寒の鍵の音
文子さんおめでとう。

  〈受賞のことば〉  西村ゆうき        西村ゆうき      

 この度は、白魚火賞をいただき有難うございます。
 一貫したテーマも、確としたスタイルも持たない私が、白魚火賞を戴くのはまだ早いのではないかと、戸惑いの方が大きく大変恐縮しております。
 私は、いまだに俳句初心者の域を出ず、兼題に悩み、ただ俳句の周辺をうろうろと巡っているだけで、常に混沌の中に居る感じです。何時になったらもっと楽に、日課のように俳句が詠めるのだろうと、ため息が出ます。
 私が俳句を始めたのは、今から十二年前、公民館に初心者の句会を立ち上げた時でした。講師にお願いした人が「もっといい先生を連れて来るから」と紹介して下さったのが、白岩敏秀主宰でした。それ以来先生には、俳句の第一歩から教えて頂き、現在も温かく丁寧なご指導を戴いております。その行き届いたご指導のお蔭で、鳥取白魚火会は少ない会員ながら、皆精鋭揃いです。今後もその仲間と励まし合いながら、俳句を広く学んで参りたいと思います。俳句との出会いは、私の人生を豊かに膨らませてくれています。
 最後になりましたが、前仁尾正文主宰、白岩敏秀主宰、白光集選者村上尚子先生はじめ諸先生方、諸先輩方には、ここまで導いて戴き有難うございました。そして、今後とも宜しくご指導を賜りますようお願い申し上げます。


 経 歴
本  名 西村 裕喜
生    年 昭和二十八年
出 身 地 富山県富山市
現 住 所 鳥取県鳥取市

 俳 歴
平成二十一年 白魚火入会
平成二十三年 白魚火同人
平成二十三年 白魚火新鋭賞
平成二十五年 俳人協会会員

<西村ゆうきさんを語る> 若林 眞弓 

 ゆうきさん、白魚火賞受賞おめでとうございます。
 ゆうきさんと初めてお会いしてから二十八年経ちました。地区公民館の職員として辞令交付式に出席した時からのお付き合いです。地域の違いはあっても同じ仕事に携わっていることで、悩みや迷いなどを相談すると的確なアドバイスが返ってき、次の一歩が踏み出せたように思います。地域の方々の信頼も厚く、事業など数多く実施され、地域の活性化に尽力されました。
 平成十七年、ゆうきさんは地元の公民館に文化サークルの一つとして、「俳句の会」を立ち上げられました。私も他の公民館の俳句会に参加しており、偶然にも、それぞれの会の講師は白岩敏秀先生だったのです。俳句を通して共通の話題も増えました。
 平成二十二年、鳥取白魚火会が発足し、すでに白魚火会員であったゆうきさんは、平成二十三年、白魚火新鋭賞を受賞。そしてこのたびの白魚火賞受賞。着実にしかも駆け足で階段を上っておられます。本当にすばらしいことと思います。
  飽食の胃の腑へ落つる七日粥  (白魚火集巻頭句四月号)
  少女らのくすくす笑ひ日脚伸ぶ (   〃    〃 )
  春泥を跳んで明日へ近づきぬ  (白魚火集五月号)
  雪責めの刑か三尺雪を積む   (白光集副巻頭句五月号)
  銃弾を受けたるごとく薔薇胸に (白魚火集八月号)
  青梅の落つもう誰も住まぬ家  (白魚火集巻頭句九月号)
  石垣に残暑張り付きゐたりけり (白魚火集十一月号)
 多くある佳句の中でほんの少しですが句を掲げました。現代社会を確かな目と想いでとらえたり、明るく楽しい情景が浮かんで思わず笑ったり。言葉が軽やかで清々しく感じられる句もあります。また、少しドキッとさせられた句もあり、鋭い表現方法の潔ぎよさを感じました。
 さらにゆうきさんを語るとすれば、
・非常に多様性のある物の見方、考え方
・柔と剛を兼ね備えた心
・研ぎすまされた感性、豊富な語彙
 これらが全てゆうきさんの個性になっているように思います。思うように句が作れなくて、「仲々作れなくてー。」とゆうきさんに言うと、一言、「私は眞弓さんの句が好きだよ。」それだけの言葉でしたが、その一言が私の心にスルーと入りました。「あっ私は私の句を作ればいいんだ」と。何だか心が軽くなったような、そんな感覚を今も覚えています。
 地域に溶け込み、鳥取に活躍の場を拡げられているゆうきさん。多趣味のゆうきさん。「草木染」もその一つですが、もう趣味の域ではなくライフワークと言えるかも知れません。鳥取の特産品梨の花びらを使った「梨の花染め」と、模様を生み出す「型染め」。色、模様を作り出す染め、そして物を具象化して詠む俳句。この二つに何かしら相通ずるものを感じます。
 最後になりましたが鳥取白魚火会の仲間と共に、ゆうきさんの益々のご活躍を祈念しお祝いの言葉とさせていただきます。白魚火賞受賞本当におめでとうごさいます。

<受賞のことば>  三原 白鴉               三原 白鴉  

この度は、歴史ある白魚火賞を賜り、誠にありがとうございました。
 先般のみづうみ賞に重ねての報に驚き、ただただ感謝の思いと責任の重さを痛感しております。
 私の白魚火との所縁は、退職後、それまで仕事一筋で全く縁のなかった地域社会との接点を求めて飛び込みで参加した町文化祭俳句大会において偶々白魚火誌友の方の隣席となり、お誘いを受けて山根仙花、三島玉絵両先生の指導される久木句会に入れていただいたことに始まります。そうして久木句会に入れていただいて本格的に俳句を作りだすまでは、若い時に付句、連句を少しやっていたことから俳句にも興味が広がり、独りで気の向くままに本や雑誌を読んだり、作って見たりしていた程度でした。以来、両先生と句会の先輩方に白魚火俳句の精神から俳句の作り方、句会のことまで教えていただき、また思うように句ができず挫けそうになった時には温かく励ましていただき、投げ出すことなく今日まで続けて来ることができました。そして仁尾前主宰、白岩主宰、白光集選者村上先生をはじめ諸先生方、諸先輩のご指導をいただいてここまで来ることができました。私の今日あるのはそのご縁とご指導のお蔭であり、ここに深甚の感謝を申し上げます。
 まだまだ未熟な者故毎日が迷いの森に彷徨っている状態ですが、白魚火の精神に則った自分らしい俳句を目指して一歩一歩努力を積み重ねていく所存ですので、これからも一層のご指導を賜りますようお願い申し上げます。
 ありがとうございました。


 経 歴
本  名 三原  隆
生  年 昭和二十六年
住  所 島根県出雲市斐川町

 俳 歴
平成二十六年 白魚火入会
平成二十八年 白魚火同人
        俳人協会会員
        みづうみ秀作賞 「星の砂」
平成二十九年 島根県俳句協会四十五周年記念特別作品
        準協会賞 「春浪漫」
        みづうみ賞 「竜の玉」


  <三原白鴉さんの横顔> 三島 玉絵

 白鴉さん「白魚火賞」受賞おめでとうございます。心よりお祝いを申し上げます。
 三原さんとの出会いは私達久木句会にとって全く思いがけ無い福の神に出会えた様な事でした。新誌友をお誘いする事は常に心掛けている積りですが、仲々に儘ならぬ処が有ります。
 それは去る二十五年の事でした。斐川町の文化祭俳句会に「会員以外の方もご自由に参加下さい」という一行が書かれていた様でした。そこにどの句会にも所属して居られ無い新顔の三原さんが出席して来られました。一瞬空気が明るくなった様でした。年齢の若い男性の出現にどの句会からも強いお誘いが有った様でしたが、仙花先生を指導者とし私がお手伝いをしている「久木俳句会」に入会して下さったのでした。会員一同とても喜びました。白魚火誌二十六年一月号に早速私の紹介とし掲載されています。聞くところ種々の趣味の持ち主の様でした。写真、書道、生け花等、もっと有りそうでした。久木句会では月々の会報を仙花先生に作成して戴いて居ましたが、少し重荷になって来られた頃でしたので、白鴉さんに事情をお話してお願いすると心よく引き継いで戴く事が出来ました。島根大学の事務官のお勤めだったという三原さんにとってはお手の物だった様でした。会報の余白にはいつも俳句の新旧仮名遣いとか文法等を解説して下さって、改めて勉強する事が出来ました。
 白魚火誌に於ては仁尾主宰の後を継承された白岩敏秀主宰の代になり白魚火も新しい一歩を進めた頃だったと思います。
 編集部では小林梨花さんを思いがけ無い病気の為に失い他の部員も病気や入院等で稍弱体化した時期でありました。安食編集長も若くて有能な人材を探しておられる様でしたので私は自信をもって三原白鴉さんを推挙させて戴きました。
 編集長は大変気に入って下さった様でした。今では編集長補佐・発行人として編集長の片腕として活躍されています。
  三原白鴉さんの俳歴
 二十六年 新誌友
 二十七年 二十八年度白魚火同人に推挙
 二十八年 白魚火集五句入選六回
      白光集巻頭一回、五句入選三回
 二十九年 白魚火集巻頭二回、副巻頭一回、五句入選六回
      白光集巻頭一回、五句入選六回
      二十九年度みづうみ賞決定
と云う素晴らしい成績を収めておられます。
 入会されて四年という白魚火賞のスピード受賞は当然の受賞であると思います。
 白魚火誌以外に於いては新聞の俳句欄にこまめに投句をされ上位入選者のお一人です。
 俳誌「俳句界」九月号雑詠投句に選者辻桃子特選に選ばれた一句について町の会報に書いて居られました。
 余り苗水口に根を降ろしけり  三原白鴉
 角川「俳句」十月号「今日の俳人」掲載の七句
 秋燕や河口は広き空を抱き
 鰯雲峠越ゆれば日本海
 旅人の魚籠覗きをる鯊日和
 釣り上ぐる鯊に歓声上がりけり
 軒深き本陣の土間ちちろ鳴く
 水門の錆びし鎖や飛蝗跳ぶ
 土埃上げて獅子舞ふ在祭
 三原さんは湧き出る程に沢山の句を作られる方です。檜林弘一氏や田口耕氏の句会にも遠くより参加されている様です。沢山の句会に出逢って益々句を磨いて力をつけて下さい。心より期待しています。
 改めて白魚火賞受賞おめでとうございます。

同人賞
 吉田 美鈴

   風 光 る
鋸のこぼす木の屑春浅し
永き日の書き込み多き農日記
チェンソーの四方に響けり木の芽晴
駅頭を絶えぬ靴音朝ざくら
着水の巨大タンカー風光る
戻り来てすぐ立つ厨夕薄暑
速達に返す速達風薫る
靴を手に渡る渓流かんこ鳥
朱夏の海歩く速さに潮満つる
下校児の列の膨らみ雁渡し
秋うらら誉められてゐる嬰の足
筆太の卒寿の便り萩明り
秋気澄む鉄骨空へ継ぎ足して
小春日や膝を寄せ合ふ渡し舟
海光へ身を傾けてみかん狩
マスクして声の優しき男かな
荒鋤の田の面かがよふ霜の花
鍵盤の埃払つて十二月
レポートに朱筆を入るる初仕事
待春の書架にピンクのしをり紐

 -同人賞受賞の言葉、祝いの言葉-
<受賞のことば> 吉田 美鈴              吉田 美鈴
 
 

 この度は同人賞を賜り有難うございました。俳句を鑑賞することは好きでしたが、自分が創り手になり作句するようになるとは考えていませんでした。
 ある日郵便受に一冊の「白魚火」が届けられており、これをきっかけに入会させて頂きました。自分で作句してみて、創作することの愉しさと共に、苦しみも解り始めました。それでも、句作を続けていくことで、普段の生活の中でも、これまで見えていなかった季節の変化を草花の成長に感じ、いままで聞こえていなかった鳥のさえずりや虫の声を聞き取る耳が育ってきたことを感じます。俳句を鑑賞することから、作ることへと舞台を移すことによって、より五感を研ぎ澄ますことが必要になりました。
 これから先、どんなものに出会えるのか、俳句と向き合うことで自分がどのように変化していくのかを楽しみにしながら、俳句の道をゆっくりと一歩一歩進んで行きたいと思っています。麓から頂を眺めながら山道を歩くのと同じように。見えている景色や聞こえている川のせせらぎ、肌で感じる風などの色や音や感触が絵のように見えるような句作をすることが望みです。
 この度の受賞は白岩敏秀主宰をはじめとし、諸先生方、東広島句会の御指導の賜物であり、心より感謝申し上げます。


 経 歴
本  名 吉田 美鈴
生  年 昭和十六年
住  所 東広島市高屋高美が丘

 俳 歴
平成十八年  白魚火入会
平成二十一年 白魚火同人
平成二十七年 みづうみ賞秀作賞
平成二十八年 俳人協会会員 


  <吉田美鈴さんの横顔> 渡邉 春枝  
     
 美鈴さん、この度の白魚火同人賞の受賞誠におめでとうございます。この朗報に御本人の御喜びは言うまでもなく、広島白魚火会にとりましても、この上ない喜びで一同俳句に対する意欲が湧いて参りました。
 美鈴さんは高等学校の生物の先生として長年勤務され、定年後も非常勤講師として勤めておられます。大変お忙しい方なのです。
 白魚火俳句会には平成十八年に入会していただき、現在は句会の披講や司会者として頑張っていただいております。温和な方でついつい無理なお願いをしても心よく受けてくださいますので私共大変助かっております。
 何事に対しても積極的に取り組まれ、俳句の心髄を極めておられる姿は私達の目標としているところです。
 登頂の冷たき鉄鎖たぐりよせ  美鈴
 日の昇る富士の山頂霧晴るる  美鈴
 山登りは学生時代から始められ、多くの岳に登られ、日本百名山征服は勿論、外国の岳にもアタックされている様子です。最近では中国の大姑娘山(五〇二五m)への登山がまだ脳裏に残っているようです。
 また、音楽ことにハモニカは皆さんご存知のように白魚火全国大会で披露されますが、とてもお上手です。しかも、今も個人指導を受けたり、資格試験を受けたり努力を重ねておられます。その他ピアノも小学生の頃より続けているとか感心ばかりしています。
 初稽古ピアノのペダル深く踏み  美鈴
 鍵盤に弾む十指や初稽古     美鈴
 この様な句に出会うと美鈴さんの日常生活が鮮明に浮かんできます。
 多方面に渡ってご活躍されていますが、その中でも俳句は殊の外真剣に取り組んでおられます。豊富な句材の中、観察力が鋭く特に海外詠など想像をふくらませてくれ、自分が其処に居るような錯覚をうけます。
 仰け反りてオーロラを待つ寒夜かな 美鈴
 オーロラを待って居る作者の姿を通して、その美しい形状や澄んだ色まで想像できます。
 海外と言えば彼女は、現在五十六カ国を訪問しているとのことで海外旅行の達人でもあるのです。彼女にとっては日本の国を巡るのと同じ様に多くの国の文化や歴史を実際観て聴いて御自身の糧にされているのです。
 東広島市の中心地、西条は酒の街として有名です。その駅前に新しく、文化ホール「くらら」が完成しました。句会もその教室で行っておりますが、文化ホールと言うことで、文化的な催し物も多く、世界に有名な交響楽団が来たり、大歌舞伎団が公演したり、今まで遠い存在であった文化的行事が手軽に鑑賞出来るようになりました。またロビーコンサートも次々演奏される様になりました。
 美鈴さんには、定期的にロビーコンサートを計画していただき私達の詩心を掻き立てて頂きたく思っております。
 そして、広島白魚火俳句会の指導者としてますます盛り上げて下さいますようお願いいたします。大変簡単で御座いますが、美鈴さんの横顔の一端を紹介させて頂き私のお祝の言葉とさせて頂きます。

   新鋭賞 
   森脇 和惠
 
   夏めく日
初暦めくりて今年動きだす
雪暗の旅伏山より迫りくる
春灯新書置かるるレジの横
弧を描く鋤簾のしなり蜆掻く
禅寺の暮れて満天星花あかり
ストローの縦縞の青夏めく日
塩壺の固まりほぐし梅雨に入る
雨はまだ片目閉ぢたる雨蛙
大社への天平古道夏つばめ
不意の客ありし休日アッパッパ
一音を上げて終はりぬ祭笛
やはらかき手のひら今年米をとぐ
萩焼の茶碗の厚み秋の朝
百年のオルガンの音や星月夜
らふそくの芯切る音や報恩講

新鋭賞受賞の言葉、祝いの言葉

<受賞のことば> 森脇 和惠                高内 尚子

 この度は新鋭賞を頂きありがとうございます。あまり突然の事で、嬉しいというより、本当に私で良いのかと気後れがしています。
 さざなみ句会に参加させて頂いたのが十年前。入った頃は六人ばかりの気負ったところのない句会でした。まだ主宰になっていらっしゃらなかった頃から白岩先生に添削をして頂き、たまには吟行に出かけたりもして、「ゆるゆる」と俳句を楽しんでおりました。
 昨年白魚火同人に推薦していただき、「これは本腰を入れて俳句に取り組まねばならない。」と気持ちを新たにしていたところ、今回の新鋭賞受賞。この急展開に頭がついて行きませんでした。でも、きっとこれは白岩先生の叱咤激励であろうと思い直し、この賞に見合うよう研鑽を積まなければと身の引き締まる思いです。
 この様な賞が頂けたのも、ご指導くださる先生方や先輩、句友の皆さんのお蔭です。心から感謝いたします。

 経 歴
本  名 森脇 和惠
生  年 昭和三十八年
住  所 島根県出雲市

 俳 歴
平成十九年  白魚火入会
平成二十九年 白魚火同人


   <森脇和惠さんのこと>  原  和子

 森脇和惠さん、新鋭賞受賞おめでとうございます。
 近所のよしみで気軽に声を掛けさせてもらったことが実ったように思い、とても嬉しく思っています。
 和惠さんは大学卒業後島根県警松江警察署に勤務し、交通巡視員として、駐車違反を取り締まったり、小学校や幼稚園で交通教室や自転車教室なども行っていたそうですが、育児のため退職。嫁ぎ先の青果店を手伝いながら、目と鼻の先にある弊社(報光社)の在宅データ入力をするようになりました。その中に「白魚火」の入力もあったので、彼女は五年間ほど毎月俳句にどっぷり浸かる生活をしていたことになります。そんな折、安食編集長が青果店へ買い物に行かれ、白魚火の話が出たりして、誌友になることを勧められたのです。彼女は入力の際に役立つと思い、すぐに入会。しかし後々俳句を作ることになるとは微塵だに思っていなかったそうです。そうこうする内、私と弊社で顔を合わせることが度々あり、それとなく句会へ誘うようになりました。
 平成十五年、八十年以上続いた青果店を閉じられると同時にデータ入力をやめ、社会保険労務士法人事務所に勤務されるようになったため、しばらくは俳句に触れる機会もなくなっていましたが、以前から和惠さんは俳句が作れる方だという私の直感から再度句会へ誘い、平成十九年、目出度く句会へ足を運ばれるようになったのです。しかし、その年は彼女にとって忘れることのできない年でもありました。一年のうちに二つの大きな手術を受けられ、幸いにも治癒。この体験から、「何かやりたいと思ったならば、躊躇してはいけない。いつ何が起こるか分からないから。」ということで、俳句についても何かを残しておきたいと思ってのことだったようです。
 現在、句会の中で、彼女は二番目の若さで精進されています。これからも若い感性で句仲間に刺激を与えてほしいと思いますし、今後が大いに楽しみな方であります。
 真面目で冴えた彼女のこと、職場でも力量を発揮され、信頼が厚いと思われますし、主婦として姑やご主人、一人息子さんのおさんどん等、精一杯頑張っておられます。忙しい毎日の中に俳句という潤いを織り交ぜながら、充実した人生を歩んでいただきたいと願うばかりです。
 平成二十八年十一月号の「こみち」に、和惠さんが素晴らしい文章でご自分の俳句との関りを吐露しておられます。そのなかで毎月の白魚火入力の際、『季節の移ろいや、街の風景、はたまた祭の情景や作者の心情、これらを想像し慮るとき、十七音の中に込められた物語が生き生きと心の中に広がっていくのがとても楽しいものだった』と記されています。和惠さんが元々持ち合わせておられる物事を素直に受け取る心と鋭い感性が俳句に反映され、このたびの受賞につながったのではないかと思います。

 自選句として取り上げられた句以外で私が印象に残っている句を添えて、私のお祝いの言葉と致します。

  家計簿に言ひ訳残す十二月
  包丁にからだを預け鏡割
  蕗味噌にちよんぼし砂糖多くせり
  夫と子と私にバレンタインの日
  宍道湖の風を誘ひてヨット行く
  レジ袋両手に下げて良夜かな
  大寒の眠れぬ夜のラヂオかな
  父の日やグラス二つと角瓶と
  軒下にトマト二株ある町家

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