最終更新日(updated) 2014.02.01

平成26年平成25年度 白魚火賞、同人賞、新鋭賞   
           
      -平成26年2月号より転載

 発表

平成二十六年度「白魚火賞」・「同人賞」・「新鋭賞」発表

  平成二十五年度の成績等を総合して下記の方々に決定します。
  今後一層の活躍を祈ります
              平成26年1月  主宰  仁尾正文

白魚火賞
 岡 あさ乃
 田久保峰香

同人賞
 後藤 政春
 星  揚子
 

新鋭賞
 高内 尚子
 森  志保


 白魚火賞作品

 岡 あさ乃      

      遷 座 祭
桑解くや石の標の札所道
みづうみも帰雁の空も暮色かな
花筵上座下座のなき円座
幾たびも赤子這ひ出る花筵
花筏その先ゆくも花筏
神の山の靄を払ひてほととぎす
青葉梟遷座の夜を啼きにけり
浄闇に絹垣巡る新樹の夜
御扉を閉づる警蹕緑雨降る
老鶯やゆるりと回す抹茶碗
乾盃のグラス触れ合ふ夜の秋
露草や足元濡らす朝の茶事
ご城下の行灯ゆるる水の秋
口笛に犬の駆け寄る新松子
燕去ぬ雁木に残る潮の跡
冬めくや漬樽洗ふ縄束子
神の留守火伏護符貼る登り窯
鴛鴦の余念なかりし羽づくろひ
鴨の湖雨の水輪に昏れゆけり
懸大根夜風に皺を増やしけり

  田久保 峰香   

    大蓮の風   
絵馬堂の絵馬裏がへり日脚伸ぶ
立春の空気の甘き深呼吸
啓蟄のまいまいつぶり角を出す
花の下車椅子の輪できてをり
肝心の物は買はずに万愚節
冷えてきて毛虫の動き止まりけり
錠剤の残りの一つ桜桃忌
時鳥くるりと返す卵焼
梅雨の雷犬怖がりて膝にくる
読みさしの本顔にあり昼寝覚め
佐賀平野吸ひ込みさうな雲の峰
灼けてゐる滑り台にも児の寄り来
大蓮の風ゆさゆさと通り過ぐ
村人にひとりも会はず狗尾草
盆提灯納め安堵の月仰ぐ
山粧ふけふも右より眉を描く
ふるさとの山を近くに烏瓜
焼芋のほつこり母の顔浮かぶ
便りなきことは良きこと茎漬くる
年の夜の亀の子束子細くなり


 白魚火賞受賞の言葉、祝いの言葉

<受賞のことば>  岡 あさ乃             岡 あさ乃  

 此の度は、白魚火賞のお知らせを載きまして、驚きと共に戸惑いを痛感しております。
 俳句との出会いは、上川みゆき先生が、公民館の俳画教室にいらっしゃって
 「他人の俳句を書くより、自分で作句したら。」と歓められ、参加したのが浜山句会の最初でした。
 先生に俳句の一からを教えていただき、時に厳しく、又、ユーモアをもって温かく丁寧に御指導をしていただきました。私は句会でのひと言、一言をノートに書き、心に留めて一冊のノートが埋まるのに、そう時間はかかりませんでした。七冊のこのノートが私の歴史となっております。
 平成二十年七月の松江に於ける全国大会に初参加の折、
 「星合ひの湖に浮きたる嫁ヶ島」
は、主宰の特選になり、忘却できない一句となりました。
 仁尾主宰をはじめ諸先生方の温かいお力添えと、上川先生のご指導の賜と感謝しております。御蔭様で白魚火誌への欠詠もなく、続けさせて載いております。また、浜山句会の誌友のお蔭と、感謝でいっぱいです。
 これからも、この賞を励みとして、弛まず精進したいと思っております。今後共、宜しく御願い申し上げます。本当に有難うございました。


経 歴
本  名 永瀨 榮子
生  年 昭和二十二年
住  所 島根県出雲市
家  族 夫・息子

俳 歴
平成十七年   白魚火入会
平成二十二年  白魚火同人


  <岡あさ乃さんの横顔> 上川 みゆき
  
 あさ乃さん、白魚火賞受賞おめでとうございます。
 あさ乃さんとの出会いは、平成十六年の秋でした。大社のコミュニティセンター主催の俳画教室に参加された折、描かれた俳画に人の俳句を書かれたのです。「あらあら、自分の俳句をお書きなさいよ」と勧めたのが俳句への関わりの一歩でした。その時に一緒に考え出来た句が、「初めての俳画教室秋うらら あさ乃」でした。
 それ以来、大社地区で白魚火の仲間の集う浜山句会へ幾度となく誘い、一年後の、平成十七年の秋より白魚火に投句されるようになったのです。
 あさ乃さんは、大変真面目で、几帳面な性格の方です。それを感じるひとつとして、「記録」があります。句会の折に、私が話したことを、忘れないように、二度と同じ間違いをしないようにと、しっかりノートに書き止めておられます。「漢字は正しく書く」「文法的に、ての上にふはつかない」など、事細かく書き込んでおられるのです。故に、私も迂闊な事は言えません。
 あさ乃さんのこの真摯な受け止めの根本にあるのは、以前お勤めされていた場所に関係していると思われます。 
 あさ乃さんは、出雲大社宮司に次ぐ、出雲大社教管長、千家達彦氏の秘書として二十年近くお勤めしておられました。普通の会社等と違い、出雲大社には神様の御側にある関係か独特の世界があります。敬語の使い方、お茶の入れ方、来客への接し方等、並々ならぬ努力があったように聞いています。その厳しさからの生き様が今のあさ乃さんの、落ち着きと品のある姿になっているのだと感じます。
 忘れられない事の一つに、平成二十年の白魚火全国大会松江大会に於いて、仁尾先生の特選を頂かれた事です。
  星合ひの湖に浮きたる嫁ヶ島  あさ乃
初めて参加した大きな大会での快挙でした。
 今年度は白魚火集巻頭を二回獲得しておられます。最近のあさ乃さんの俳句の上達には目を見張るものがあります。ここで、あさ乃さんの近年の俳句を鑑賞してみます。
  雨の日の古茶を熱めに淹れにけり
  枯供花をかかへて戻る走り梅雨
  白魚汁出雲言葉を交しつつ
 出雲における暮しの中から生まれてきた俳句です。雨の日のお茶を熱めにとか、枯供花の扱い、出雲言葉を大切にしている心等、人柄のにじみ出ている俳句です。
  逆光の芒かがやく大蛇川
  蘆の穂や夕日熔けゆく意宇の海
  藍染を晒す雪解の高瀬川
 出雲地方独得の自然界を体験しての俳句です。「わが俳句足もてつくるいぬふぐり 一都」の白魚火の精神を受け継ぎ、自ら出向き詠んだ俳句なのです。
  祖神へ一番臼の鏡餅
  一羽二羽常の景なり初雀
  練り歩くしやぎり太鼓の三日かな
 出雲大社三が日の情景の句柄です。祖神へ供える鏡餅、しやぎりなどは、出雲大社に暮らす氏子ならではの俳句だと思います。
 最後に、今後ますますの精進を期待し、お祝いの言葉といたします。本当におめでとうございました。

  〈受賞のことば〉  田久保 峰香        田久保 峰香      

 この度は、白魚火賞ありがとうございました。
 立冬の早朝、安食編集長より白魚火賞の連絡を戴きました。これまで賞に縁のなかった私は本当に夢のようでした。時間がたつにつれ私が戴いていいのだろうか、との思いをひしひしと感じました。
 俳句を始めたのは軽い気持で職場俳句「ひひな会」の入会でした。史都女先生の温かいご指導にもかかわらず、毎月の定例会も欠席がちで、不真面目な会員でした。何をやっても三日坊主の私が、これまで続けてこられたのは、「ひひな会」の仲間との楽しい充実した時間と、史都女先生の熱心なお導きにより脱落することもなく、今日があることをありがたく思っております。夫も退職した今、家庭菜園に励んでおりますが、土曜日になると「今日は俳句会ね」と気持よく出してくれます。感謝です。又、最近では季節の移ろい等に感心を持つようになり、季節の花が咲いたことなど教えてくれるようになりました。私は職を退いた今、檀家寺での梅花流詠讃歌と、童謡歌の会に入り、大きな声を出しストレス解消、脳の活性化にと楽しく続けております。
 この度の受賞につきましては、仁尾主宰はじめ諸先生方の温かいお力添えと、史都女先生の日頃のご指導の賜と心より感謝申しあげます。これからも、俳句を通して四季折々の自然を感じ、心豊かな日々を送り「継続は力なり」をモットーに今回の受賞を励みに一層俳句と向き合い努力してゆきたいと思います。今後ともご指導よろしくお願い申しあげます。誠にありがとうございました。


 経 歴
本  名 田久保 峰子
生    年 昭和二十五年
住  所 佐賀県唐津市
家  族 夫、長男、父

 俳 歴
昭和六十一年  職場俳句「ひひな会」入会
昭和六十二年  白魚火入会
平成十四年   白魚火同人
平成二十四年  俳人協会会員

<田久保峰香さんのこと> 小浜史都女 

 峰香さん、白魚火賞受賞おめでとうございます。このごろ頓に俳句に磨きがかかってきましたのでもしかしたらと思っていただけに峰香さんから報らせを受けた時には我が事のように喜びました。大石ひろ女さん、谷山瑞枝さんにつぐ受賞で「佐賀ひひな会」は万万歳です。
 峰香さんは、昭和六十一年、職場俳句「ひひな会」を起ち上げた時からのメンバーです。当初はお子さんの大病等で句会は休みがちでしたが、白魚火投句は欠かさなかったと記憶しています。この受賞は少し遅い感はしますが、真面目でこつこつ努力され、くじけず強い心が受賞につながったと思います。
 峰香さんは派手でなく、地味でなく、おだやかでセンスがいいというか垢抜けした感じの人で皆さんから好かれるタイプです。その人柄、人格、熱心さを買われ退職と同時に行政相談委員に、そして昨年十二月からは民生委員に任命され、ボランティア活動に頑張っておられます。又、峰香さんは歌が好きで演歌も、御詠歌も、童謡歌の会にも参加し、幅広く楽しんでおられます。
 峰香さんの作品を振り返ってみよう。平成十七年九月にも巻頭入選を果しています。
  蒲の穂の今からといふ穂丈かな
  八つ橋に見え隠れして糸蜻蛉
  麻のれん押して祝ひの席につく
  爪切つてパソコンの指涼しかり
  合歓の花盛り見ずして終りけり
平明ながらもさすがに群を抜いている。この時の仁尾主宰の秀句鑑賞がとても楽しかった。峰香さんは職を離れてますます俳句に力が加わってきた。本年度は五句入選を十一回、その内巻頭一回、準巻頭一回という快挙です。十月号の巻頭句
  読みさしの本顔にあり昼寝覚め
  真四角の角よりくづす冷奴
  佐賀平野吸ひ込みさうな雲の峰
  灼けてゐる滑り台にも児の寄り来
  大蓮の風ゆさゆさと通り過ぐ
読みさしの句、「本顔にあり」がリアル。佐賀平野の句、米どころ、麦どころの平野を吸い込みそうな雲の峰という、詩情豊かです。灼けてゐるの句、見ていてはらはらするような臨場感。大蓮の句、景が具象化され、スケールの大きな句となった。
 峰香さんは吟行句もいいが、身辺詠が好きなようで、同じ頃農協を退職されたご主人の畑作りがモデルになったもの。
  やせ畑に青首大根五六本
  雨ながら余るほど生る胡瓜かな
  鎌と鍬軒に立て掛け盆休み
又、自分を詠むことも得意としている。
  早や二日塩おむすびが食べたかり
  山粧ふけふも右より眉を描く
  秋暑き三面鏡に素顔かな
  時鳥くるりと返す卵焼
他にも平明で佳句が並ぶ
  冷えてきて毛虫の動き止まりけり
  ふるさとの山を近くに烏瓜
  地図を手に若僧の来る盆の道
  焼芋のほつこり母の顔浮かぶ
  啓蟄のまいまいつぶり角を出す
 俳句の道は長く険しいが峰香さんの句はこれからだと思う。もっと積極的に前に進まれ、この大きな受賞を契機に更に精進されますよう期待します。峰香さんおめでとう、心よりお祝い申しあげます。


同人賞
 後藤 政春

    土  偶
初時雨梲上がれる家並かな
巡礼の連なりてゆく冬田道
消防車雪舞ふ中を戻りけり
満天の星を仰ぎて冬至の湯
寒月光瀬戸の漁火散らばれる
オリーブの島をけぶらす春の雨
バスを待つ枝垂れ桜の中にゐて
ふらここに神父がひとり子を抱いて
豊かなる土偶の乳房鳥雲に
連名で来る母の日の贈り物
薫風や髪なびかせて歩かうか
格子戸を這ふひとつぶの蝸牛
飴売りのこゑの近づく夏木陰
南天の花のこぼるる鬼門かな
曳航の綱のたわみや晩夏光
水漬きたる草に蜻蛉の集まれり
台風過鴉が一羽下りて来し
村人は見かけず蕎麦の花咲けり
木の実降る古道を行かばかづら橋
霊山にかかる浮雲ななかまど

 星  揚子

    六月の雀
走り根に日の射してゐる大旦
元朝や番ひの鳥が来てゐたり
墨の香の残りし部屋の淑気かな
凍雲を切り取るやうに枝切りぬ
円空仏鑿ざつくりとあたたかし
ゆつくりと山傾けて鳥帰る
花筏動きて水の流れけり
ふるふると秒針震へ花の冷え
囀りや新着図書の積まれたる
さみどりの明るさ注ぐ新茶かな
鉛筆の芯また折れし薄暑かな
夏空に腕伸ばし拭く窓硝子
葉の向きの揃ひて並ぶ柏餅
六月の鍵盤重きピアノかな
群るることなく六月の雀かな
日陰より影のごとくに黒揚羽
開きゆき絵扇の山裾延ばす
風なくば触れて風鈴鳴らしけり
中ほどは畳まれてをり蛇の衣
木琴のラシドが狂ひ秋暑し
 -同人賞受賞の言葉、祝いの言葉-
<受賞のことば> 後藤 政春              後藤 政春
 
 京都での「白魚火全国俳句大会」に初めて出席し、とても楽しく感動的な二日間を過ごさせていただきました。
 これもひとえに仁尾主宰はじめ先輩諸氏のご配慮ご指導によるものと深く感謝申し上げております。
 そうした余韻の覚めやらぬ中、同人賞受賞の連絡をいただきました。
 本当に身に余る光栄であります。私にとってはこれからも継続して行く上での大きな力と成るものであります。
 重ねて御礼申し上げます。
 振り返れば退職して二年目の正月。同郷の先輩で会社での先輩でもある仁尾正文先生に宛てた年賀状に、「俳句でもやってみようかと思います」と誠に失礼な一言を記したことが、白魚火入会のきっかけとなりました。
 あれから十一年、今は、市の文化会館や公民館の俳句部会に所属して、月三回程の吟行句会に参加しております。
 これからも、白魚火の精神に則り、愚直にして貧欲に句作りに邁進していく積りです。
 今後共、よろしくお願い申し上げます。


 経 歴
本  名 後藤 政春
生  年 昭和十五年
住  所 香川県高松市
家  族 妻

 俳 歴
平成十四年  白魚火入会
平成十八年  白魚火同人
平成二十四年 第27回「こんぴら歌舞伎俳句大会」正賞
平成二十四年 香川朝日俳壇 年間最優秀賞 

<受賞のことば> 星  揚子              星 揚子
 
 この度は同人賞をありがとうございます。思いもよらぬ受賞に狐につままれたようで、落ち着かない日々を送っています。おそらく、受賞が発表された時に、初めて実感として喜べるのかもしれません。
 振り返ると、平成六年に同人に推薦されてからもうすぐ二十年になります。同人に推挙された時のうれしさとともに、白魚火の一員としての誇りと責任を感じたことを思い出します。そして、今、「同人賞」の重みに気を引き締めております。
 「継続は力なり」と申しますが、この言葉を信じて励んでまいりました。私がただ一つ誇れることは、昭和六十年四月に「いまたか俳句会」に入会してから、今までに欠詠が一度もないことなのです。皆勤ではありませんが、いまたか俳句会では欠席でも投句が認められているので、出句だけはして来ました。こうして、同人賞を受賞できたことも、いまたか俳句会で基礎から勉強させていただいたお蔭と存じます。
 これからも、「足もて作る俳句」をモットーに、ものを通して詠むことを心掛けていきたいと思います。
 仁尾先生、白岩先生、白魚火の諸先生、栃木白魚火、いまたか俳句会の皆様に心から感謝し、御礼申し上げます。


 経 歴
本  名 星  揚子
生  年 昭和三十一年
住  所 栃木県宇都宮市
家  族 夫、義母

 俳 歴
昭和六十年  いまたか俳句会入会
平成四年   白魚火入会
平成六年   白魚火同人
平成八年   みづうみ賞選外佳作
平成九年   新鋭賞
平成十年   みづうみ賞佳作
平成十一年  みづうみ賞佳作
平成十二年  みづうみ賞秀作
平成十三年  みづうみ賞佳作
平成十四年  みづうみ賞佳作・選外佳作
平成十五年  みづうみ賞秀作
平成十六年  みづうみ賞佳作・選外佳作
平成十七年  みづうみ賞佳作
平成十八年  みづうみ賞秀作・佳作
平成十九年  みづうみ賞秀作
平成二十年  みづうみ賞選外佳作二篇
平成二十一年 みづうみ賞
平成二十二年 俳人協会会員
平成二十五年 第二十一回みづうみ賞 

  <揚子さんおめでとう> 星田 一草  
     
 星揚子さん同人賞おめでとうございます。栃木県白魚火の皆さん、そして「いまたか句会」のメンバー達こぞって喜んでいます。日頃の熱心な研鑽の賜と思います。
 星さんが俳句を始めたのは昭和六十年、当時の勤務校であった今市高校の校内句会「いまたか句会」です。齋藤都さん、髙島文江さん達と一緒であったと聞いています。橋田一青先生の指導のもと月例の句会に参加し、平成四年に白魚火に入会されました。
 穏やかな朝の植田や一青忌揚子 
 たちまち、橋田先生に認められ、その作品は大いに期待されました。掲句は橋田先生の穏やかな人柄を偲んでの一句。敬愛の念と師を慕う気持ちが彷彿と伝わってきます。これが星揚子さんの人柄です。もの静かでありますが何事にも熱心に取り組む姿に敬服しています。
 十二月号には第二十一回の「みづうみ賞」の発表がありました。星揚子さんに決まったとのこと。二度目の受賞であります。重ねてお祝い申しあげます。
 星さんは現役の書道の先生です。県の書写書道研究会の審査員など要職にあり、特に秋の芸術祭の時期には校内外の行事に駆け廻りながら書家として自分の作品の創作に力を入れています。全国からの応募である毎日書道展(主催・毎日新聞社、毎日書道会)の「かな部門」において「毎日賞」を二度も受賞しています。更に、現在も書家としての道を極めるべく月二回片道二時間余かけて研究会に通っています。句会と重なるときは二時間ほど句会に参加してから出かけるなどエネルギッシュな姿を拝見しています。
 星さんは白魚火誌への投句のほかときどき、NHK俳壇にも入選されテレビ放送されています。また総合俳句雑誌にも投句され名前を連ねています。このように多用な中いつ俳句を作られるのだろうか。
 群るることなき六月の雀かな揚子 
 中ほどは畳まれてをり蛇の衣同  
 雀はいつも群れていると思っていたがこんな季節があるということを気づかせてくれました。蛇の衣の句も然り。よく観察され核心を見抜き思わぬ視点から切り込んできます。意外性でなく真実を見極めているのです。平明な表現に詩情があります。これが星揚子さんの俳句であります。
 勤務校へは電車通勤。窓からの風景、駅から学校までの道々。俳句がたくさんできるということは毎日が新鮮に見えるからでしょう。
 「納得のゆくいい俳句を」作りたい。星さんの句作の信条であります。夫君は社会科の先生、お父さんは郷土史研究家という俳句に恵まれた環境にあります。これからも句会や吟行会でいい俳句を披露して下さることを楽しみにしています。

   新鋭賞 
  高内 尚子

   秋  風
大猷院ぴたりと秋気動かざる
秋風や鳥笛買へる異国の子
陽明門千の秋日を撥ね返す
五重塔赤そのままに冬に入る
滝涸れて滝壺に石日をもらふ
鳥引きし湖面を渡る櫂の音
山彦のあどけなき声春の山
下り坂追ひ掛けて来し青嵐
父の日や止まりしままの腕時計
ありの実に小さき歯の跡残りをり
空蝉をつけて水面の浮葉かな
広き空帰る道あり秋燕
運動会一等賞のめがねの子
升先に口の尖れる新酒かな
別れとはまた逢ふことやちちろ鳴く

   森  志保
 
土塊を道に落として田打終ふ
花屑を踏みて郵便ポストまで
持ち出して戦ひごつこ飾太刀
噴水のしぶきのとどくベンチかな
茹でたてのにほひのあをき夏大豆
甲虫雄だけ捕りて帰りけり
七夕竹寝かせ飾りをつけにけり
木に触れて山車の提灯落ちにけり
にぎり飯片手に鯊のあたり待つ
半分は刈田となりて日暮れけり
稲架掛くる途中大雨降りにけり
しばらくは空稲架たててありにけり
道端に一輪車置き蓮根掘る
新聞で顔を覆ひて日向ぼこ
枯柳百歩ごとある城下かな

新鋭賞受賞の言葉、祝いの言葉
   

<受賞のことば> 高内 尚子                高内 尚子

 この度、新鋭賞という身に余る光栄な賞を頂きました。感謝の気持ちでいっぱいです。
 私が俳句と出会えました切っ掛けは、平成十八年お正月、高校のクラス会で担任の齋藤都先生に誘って頂いたことに始まりました。都先生の温かいお言葉とアドバイスで、疑問な点は一緒に考えて下さり、ご自分が長年かけて勉強なされた大切な知識を惜しげもなく授けて下さいます。とは言へ、その様な先生の教えを充分に俳句に反映させられているかは難しいところです。
 それでも少しずつですが先生の背中を追いながら勉強できます事をこの上なく幸せに感じております。
 「いまたか句会」に於きましては、主宰の星田一草先生が一つ一つ丁寧に選評して下さいます。
 最後に、わたくし、白魚火八月号の句会報で災害のない鹿沼と書きましたが、その直後に鹿沼の一部を未曾有の水害が襲いました。そしてその水害に、都先生が見舞われてしまいました。しかしながら先生は、その様な時でさえ、お気持ちを強く持たれ、俳句への情熱を失うこともなく、逆に私達の投句の心配をして下さるほどでした。先生の、そのお心の優しさ、大きさに感謝の念を強めました事は言うまでもありません。
 様々な事がございました平成二十五年でしたが、頂いたこの賞を心の糧とし、これからも精進してゆきたいと存じますので宜しくお願い申し上げます。
 本当にありがとうございました。


 経 歴
本  名 高内 尚子
生  年 昭和二十八年
住  所 栃木県鹿沼市

 俳 歴
平成十八年 栃木白魚火鹿沼支部「いまたか句会」入会
同年    白魚火入会


   <高内尚子さん、お目出度う>  齋藤  都

 尚子さんこの度の新鋭賞受賞おめでとうございます。思い起こせば尚子さんとの出合いは当時私の勤務する高校の入学式にセーラー服のよく似合う新入生としての出合いで緊張しながらも明るい笑顔で何事も納得するまでよく質問をする頼もしい生徒でした。
 その中で最初から尚子さんは持ち前の明るさで三年間クラス委員長として選出されクラスをよくまとめていました。更に生徒会の役員・家庭クラブの役員等いろいろな面で活躍していました。
 尚子さんは「食物」「被服」共に検定試験に見事合格する程努力家でした。
 「俳句は誰にでも作れる楽しいものである」それは晴雨にかかわらず一人でも集団でも出来るといつも強調し励まして下さる橋田一青先生の話をしました。その時たまたまNHK俳句で私の句が放送される通知が来たので興味のある人は見て欲しいと言いました。その後のクラス会にも又俳句の話を一青先生の句を披露しながら吟行の楽しさなども加えて何でも知りたがり学ぶ楽しさを私自身の経験の失敗談も含めて語りました。クラス担任だった尚子さん達の入会は特に嬉しかったです。それからは一青先生が名づけた「いまたか俳句会」でこつこつ努力し白魚火誌友となり句会や吟行にも出来る限り参加し、最近は俳句は苦しみもあるけれど楽しいものだと言う事が感じられる様になり時折私と長電話するまでになりました。
 しかし、高令のお母様の介護もあり仲々あこがれの全国大会には参加出来ませんでしたが、近いこともあり日光大会には娘さん一家の協力もあり始めて参加しました、仁尾先生にもお声をかけていただき感激、興奮しつつ私と共に忙がしい句会係の一人としての大会でした。ここで橋田一青先生の格言めく
「俳句はすべての事をよく見つめればおのずと視野が広がり、そこに必ず発見があり情景の見える様な句がいつかは作れるさずかる」という私が教えを受けた事を伝えられた様な俳句を日光大会に見事に発表されました。
  陽明門千の秋日を撥ね返す
  秋風や鳥笛買へる異国の子
  滝涸れて滝壺の石日をもらふ
  大獣院ぴたりと秋気動かざる
  五重塔赤そのままに冬に入る
素晴らしい日光の情景の見える俳句でした。
 一青先生の教えを直接受けたことのない時代の尚子さんの新鋭賞の受賞は次の人の励みにもなり本当に嬉しく早速一青先生のお宅に伺い仏前のお写真に手を合わせ報告をしました。先生も天界からきっと嬉んで下さっていると思います。
 尚子さん 新鋭賞受賞本当にお目出度うございます。心から御祝します。

〈受賞のことば〉  森  志保               森 志保 

 この度は新鋭賞をありがとうございます。安食先生からお電話をいただいたときは本当にびっくりいたしました。実を言いますと、句を作る度に母に見てもらっている私などがこのような賞をいただいてもいいものかと悩みました。しかし受賞することで自分への励みとなり、今後の句作に繋げていければと思い、素直に賞をいただくことにしました。
 私が俳句と出会ったのは小学校の国語の授業です。その時は「五・七・五で句を作り必ず一つ季語を入れましょう」という程度のものでした。「なんだ、簡単ではないか」とその時は思いました。それから数年、両親が近所の人たちを集め、講師に仁尾主宰を招き、家の中で句会を開くようになりました。句会のある日は別室で一人、テレビを見て過ごしておりました。しかしなんとなくつまらなくなり、それならば句会に参加してみるか、と顔を出すようになりました。そんな軽い気持ちで参加した句会ですが、仁尾主宰の褒め上手な言葉にのせられ、いろいろと作句するようになりました。
 今は子育てが忙しいことを理由に勉強をしないまま、母に見てもらい句会に参加しているという状態です。それでも月に一度仁尾主宰から直接指導を受けられるということは、大変有り難いことです。また身近に指導をしてくれる母がいるというこの恵まれた環境を生かし、今後も作句に励んでいきたいと思います。


 経 歴
本  名 森  志保
生  年 昭和五十三年
住  所 静岡県浜松市

 俳 歴
平成九年   白魚火入会
平成十八年~平成二十三年 欠詠
平成二十四年 再出句


<おめでとう志保さん> 植田美佐子

 志保さん、あなたはまず結社の三冠の第一関門を突破されました。ご両親に次いで。
 渥美尚作、絹代さんご夫婦の次女であり祖父はかつて浜松白魚火の幹事長をされた河合万平様で、天竜に俳句の火を灯して下さいました。
 仁尾正文先生の初句集「山泉」上梓の祝いの席で河合様は「山泉あるとき声を発しけり」と朗々と披露されたことが思い出されます。
 三代が俳句の道を歩んで来られ、未来永劫へと続いていく事と思われます。厳しくも愛情豊かなご両親のもとで純粋培養された彼女は、この度の賞に関しても「素直に賞をいただくことにしました。」と感想を述べております。
 大学は名古屋のいわゆるお嬢様学校に進まれた彼女。下宿生活の孤独と圧迫感に耐えがたく、しまいには自宅から新幹線通学をされたようです。それにより、自宅での句会入会が早まったとも思われます。
  風邪ひいて板書ばかりの教師かな
 ふたつ違いのお姉さんとは同じ高校に通いその後長野県の大学に行かれたお姉さんに、
  姉帰省姉の好物ばかりかな
 そして絹代さんの句にも
  祭髪結い合ふてゐる姉妹 絹代 
 ほほえましい姉妹であることがわかります。其の内意中の方が出来、ご結婚されました。嫁ぎ先の森家は三世代揃われたお宅ですが、ご主人の仕事の都合で現在は別に居を構えておられ、ひとり息子の一貴君を育てながら、三年ほど前から親元である父親の会社へ勤めております。二年前絹代さんが体調を崩された時には、ご両親の支えになりました。
 絹代さんの指導を受けながらとはいえ、天性の創作力を持ち、「足もて作る」を意識せずとも、自然のひらめきを持っております。
  小石掃き流鏑馬準備天高し
  蓮根掘半分了へて帰りけり
  しばらくは空稲架たててありにけり
  鯊を釣る椅子まで潮の満ちてきし
  木の触れて山車の提灯落ちにけり
  花屑を踏みて郵便ポストまで
  土塊を道に落として田打終
  注連外し雑把に入るる紙袋
 子育て俳句として
  三粒ほど子はさくらんぼ残しをり
  噴水の次出る穴をおさふる子
  持ち出して戦ひごつこ飾太刀
  入学式入学通知忘れきし
  卒園歌の練習待つてゐる夕べ
  袴着の動きの鈍き歩みかな
 ご家庭を築き円熟を増すにつれ、また俳句の中身も変わっていくであろう志保さんの今後が楽しみです。
 弟子は先生にどれだけ甘えられるのか。師はその弟子の甘えをどの程度まで許せるのかそんなことをときどき思う。
                                 藤田湘子
 ご一家の俳句魂に幸あれと願います。

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