最終更新日(updated) 2013.02.01 | |
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-平成25年2月号より転載- |
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白魚火賞は、前年度一年間(平成24年暦年)の白魚火誌の白魚火集(同人、誌友が投句可)において優秀な成績を収めた作者に、同人賞は白光集(同人のみ投句可)の中で同じく優秀な成績を収めた作者に授与される。また、新鋭賞は会員歴が浅い55歳以下の新進気鋭作家のうち成績優秀者に授与される。 選考は"白魚火"幹部数名によってなされる。 |
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発表 | |
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平成二十五年度「白魚火賞」・「同人賞」・「新鋭賞」発表 平成二十四年度の成績等を総合して下記の方々に決定します。 今後一層の活躍を祈ります 平成25年1月 主宰 仁尾正文 白魚火賞 小村絹子 同人賞 挾間敏子 新鋭賞 石川寿樹 根本あつ子 |
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白魚火賞作品 |
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小村絹子 夕 牡 丹 靄籠もる大海原に初日待つ 初護摩の燃えて炎の梵字めく 初みくじ裏の英文拾ひ読む 三椏の花とも蕾ともつかず 万葉の古道山吹明りかな 居残りを決めて長閑けし池の鴨 昏鐘の撞木の影や夕牡丹 牡丹の袖笠雨に濡れてゐし 近づけば花失へる山法師 か細くも河鹿でありし向かう岸 紫陽花の白一徹を通しけり 門火焚く尉となるまで見届けて 仕舞屋の俄商ひ地蔵盆 鳳仙花咲く路地裏も地蔵盆 新涼や明治の母の爪を切る 峠茶屋盗人萩の盛りかな 植ゑられしやうに棚田の彼岸花 遺構てふ芒の原の礎石かな 茶の花の蕊ほどになき香りかな 赤い鳥来さうな木の実ななかまど |
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白魚火賞受賞の言葉、祝いの言葉 | ||
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<受賞のことば> 小村絹子 秋の合唱祭も終り一息ついていた翌日、安食副主宰より思いも掛けぬ白魚火賞のお知らせをいただきました。 静岡白魚火に入会して十六年、仕事と雑用に追われ俳句を疎かにしていた時期が続きましたが、鈴木先生の「一ヶ月のうち一日でも俳句と向き合う日があればいい」というお言葉に甘えて今日まで続けて参りました。 そして継続は力とは言え惰性で続けていては力はつかない、と思いを改め私なりに勉強を始めましたが朧げながら俳句の面白さが解り始め、今までの不勉強の年月を悔やむと共に俳句を通して学ぶことの喜びを味わっているこの頃でございます。 このような未熟な私にとりまして、この度の受賞は大変プレッシャーを感じるものですが、今後は一層俳句への研鑽を積み、賞に恥じることのないよう精進し、微力ながらも静岡白魚火の為に力を注いで行く所存でございます。 最後になりましたが、仁尾正文主宰を始め長い年月ご指導を下さいました鈴木三都夫先生、いつも暖かく見守って下さいました諸先輩の皆様、そして句友の皆様に心より感謝とお礼を申し上げます。 ありがとうございました。 経 歴 本 名 小村絹子 生 年 昭和二十三年 住 所 静岡県牧之原市 家 族 夫 俳 歴 平成八年 静岡白魚火入会 平成十六年 白魚火新鋭賞 平成十七年 白魚火同人 平成二十三年 みづうみ賞 平成二十三年 俳人協会会員 |
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<小村絹子さんの横顔> 本杉 郁代 絹子さん、白魚火賞受賞心よりお喜び申し上げます。 ついに三冠の偉業を達成されましたね。平成十六年新鋭賞、二十三年みづうみ賞、そしてこの度白魚火賞と、本人はもとより静岡白魚火会にとりましても大変名誉なことで大きな喜びとなりました。 絹子さんは現在当会の幹事長という大変な役を務められ、常に会のスムーズな運営を心がけてくれております。 頭脳明晰で責任感が強く誠実なお人柄はどなたからも信頼され慕われております。 何事に対しても細やかなお心遣いをして下さる中にも的確な判断力で物事を前に進めてくれ当会の大きな柱となり支えてくれております。 作品の中にも絹子さんの温かなお人柄が感じられます。 十一月号巻頭句の中に ○ 形代に一人一人の名を記す ○ 盆僧にぬるめのお茶を勧めけり ○ 門火焚く尉となるまで見届けて がありますが「帰り遅れた精霊が居ないかと燠に尉が出来るまで心をこめて門火を焚いている」と仁尾主宰が評されておられます。 又、新鋭賞を受賞された頃の作品に ○ 合格の祝の膳の桜鯛 お子さんの受験の合格のお祝いでしょうか。お母さんの喜びの思いが伝わってまいります。 ○ 涅槃図の裾は巣箱に入りしまま 具象することにより大きくて立派な涅槃図が目の前に浮かんでまいります。 現在絹子さんは障害者施設の職業指導員として働いておられます。 障害を持っている人達の社会復帰の手助けの一環として、市の総合健康福祉センターの一画で障害者といっしょにお菓子作りに励んでおられます。訪れた人が誰でも気軽に立ち寄れるコーヒーとお菓子の喫茶コーナーもあります。 新商品にも意欲的に取り組まれ、最近は外部からの注文が増え少額なりとも働く人に賃金の支払いが出来るようになったと大変喜んでおられました。絹子さん達の作ったお菓子がいろいろな所で販売されている…ほんとうに素晴らしいことです。 障害を持つ人達に働く喜びと、将来への希望を持って生活するためのお手伝いをされている絹子さん、これからもみなさんの幸せのためにおいしいお菓子を作り続けて下さることを願っております。 日々お忙しい絹子さんですが、少しの時間をも大切に吟行され作句に励んでおられます。 静岡白魚火会の要として今後益々のご活躍を心よりご期待申し上げます。 おめでとうございました。 |
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同人賞 | ||
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-同人賞受賞の言葉、祝いの言葉- | ||
<受賞のことば> 挾間敏子 「選ばれてあることの恍惚と不安二つながら我にあり。」(「知慧」)フランスの詩人ヴェルレーヌはそう言っています。いささか大ぎょうですが、今の私はまさにこのような心境です。安食副主宰を経て仁尾主宰からの受賞決定の報を受けた時、ほんとうに恐ろしいほどの気持でした。私にはそんな力はない、私よりもっとこの賞にふさわしい方々が何人もいらっしゃるという思い――。 これからは今まで同様に、あるいは以上にいろいろな場で試練、挫折を味わうことでしょう。けれども幸いなことに私には私を導いて下さるもったいないほどのよき師、よき句友が周囲に大勢おられます。そんな中で何とかあのヴェルレーヌの「不安」から少しでも脱却すべく頑張る所存です。もう二十年近くも、季節の移ろいを踏まえて十七音の中に表現の限界を試みることに魅せられてきた私にはちがいないのですから。 推して下さった仁尾主宰、白岩先生に心からお礼を申しあげます。 経 歴 本 名 挾間敏子 生 年 昭和十一年 住 所 広島県東広島市 家 族 夫 俳 歴 平成十二年 白魚火入会 平成十五年 白魚火同人 平成十七年 白魚火随筆秀作賞 平成二十二年 みづうみ秀作賞 平成二十三年 みづうみ選外佳作賞 平成二十二年 俳人協会会員 |
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<同人賞受賞者の横顔:これからもよろしく> 奥田 積 挾間さんの同人賞受賞のめでたい知らせを受けました。そうなのです。地元としては、やっと然るべき人が然るべき賞を受けられたなと、なんとなく落ち着いたとでも言えばそれに近い、そんな安堵感をもって、その報に接したのです。 挾間さんと私の出会いは、縁あって、故吉野義子先生の「星」の系統に連なる「広島通信句会」に入会したことにありました。この会は、主に高校の教職員仲間を中心に行われていて、休暇中の吟行句会なども楽しい句会ですが、吉野先生亡き後は、超結社の通信句会として現在も継続しており、挾間さんはその世話役としても、また、常時巻頭を飾る作家としても活躍を続けられています。 平成十三年に白魚火の全国大会が広島の宮島を会場に開催されることになった際に、同郷のよしみということで私は渡邉さんからお誘いを受けて白魚火に入会することになりました。ほぼ時を同じくして挾間さんも白魚火に入会されました。少人数の会員で、全国からお迎えした大会を、どうにかやり終えた時のことは、今思い返してみても、少し熱く思えるような懐かしいものです。その際に、披講を担われた加茂都紀女さん、今井星女さんと共に、地元からその任を担当されて、広島に披講の上手い人があると高評を博した方が、まさに挾間敏子さんだったのです。 ただ残念なことは、最愛のご主人のご様態のことやお孫さんのお世話などが重なり、さらには、ご本人の、あまり目立ちたくないという思いなどもあられて、望まれながら、その後の全国大会への出席が遠のかれたことはやむを得ないことと言えばそうなのでした。 ともあれ、地元の句会では、渡邉代表は別として、どうしても句会になくてはならない、一番に頼れる存在として親しまれ慕われている方なのです。長い句歴と高校での教育実践を通して培われた力に裏打ちされた適切なアドバイスをいただくと、一気に一句の風格が変貌することがしばしばなのです。一時期は体調をくずされて心配しましたが、快方に向かわれていることは会員にとっても何より嬉しいことなのです。これからも、広島白魚火の力量アップに是非とも、力をいただきたいし、あたたかくて独特の感性の光る御句を私たちに提示していただき、広島を牽引していただきたいと心から望んでいます。 お祝いの辞がお願いの辞となったことをお詫びします。しかし、どうかこれからもよろしくお願いいたします。 〈呼べばすぐ答ふる母の昼寝かな 敏子〉など、挾間さんの俳句についても触れさせていただきたく思っていましたが、紙数が尽きてしまいました。最後になりました。同人賞のご受賞、こころからお祝い申し上げます。お体をどうぞお大事に。 |
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新鋭賞 |
石川寿樹 冬 鵙 薄氷へ登校の列乱れけり 異国よりフィアンセ来たり雛の日 麦秋や父待つ国へ帰りける 砂色の小蟹を砂に見失ふ 半島向く陶匠の碑や花海桐 一つ家に三月の過ぎて夏燕 雨に濡れ蜘蛛の囲朝の天に張る 夕されの雨来て母の端居かな 仏と言ふ名のある草を母の引く 評定をされて稲刈るコンバイン 秋祭り酒仙の禰宜の司る 父の来て指図あれこれ松手入 ひとつかみ今年米おく祠かな 冬鵙の石鼎句碑にひびきけり 渦潮に腹掠めゆく冬鴎 |
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根本あつ子 風 の 音 山ぢゆうの笹の起きたる風の音 等圧線丸く緩びて春めきぬ 斜里岳の胴震ひして雪解急 水色の湖心より春生まれけり 雪間草森の奥まで日の届く 囀の朗朗として山の朝 からからと雨戸開く音立夏かな なだらかな丘じやがいもの花尽きし 女子寮の螺旋階段大西日 零るるほど秋を拾ひぬ雑木山 看板の牙むく羆紅葉山 持て余す銀杏一つ旅の空 湿りある銀杏落葉を栞とす 足跡の狐と歩む雪山路 冬籠指で辿りし登山地図 |
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新鋭賞受賞の言葉、祝いの言葉 |
<受賞のことば> 石川寿樹 経 歴 |
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<石川寿樹さんの横顔:酒飲み句会> 松原 甫 石川君、この度の新鋭賞受賞おめでとう。我が「酒飲み句会」から、栄えある新鋭賞の受賞者が出たことを、自分のことのように嬉しく思う。 思い起こせば平成十九年、大学の先輩から「大学のOBで俳句をやろうではないか。」との提案を受け、俳句のハの字も知らない連中五人が集り、「江角屋句会」をスタートさせた。句会の名は、当時、例会の会場としていた料亭の名を拝借して名付けた。 偶々この料亭の女将さんが、出雲が生んだ偉大な俳人「原石鼎」の生家の真向かいのご出身で、句会にはいつも石鼎直筆の軸を掛けてくださった。 こうして船出はしたものの、当分の間、俳句はそっちのけ、酒を酌みながら、人生や政治談議に花を咲かせていた。 ようやく、句会らしくなったのは、半年も経ってからであろうか。皆が何句か持ち寄り、先輩後輩の分け隔てなく、思うところをぶつけ合うようになった。 早いもので、あれから五年余の月日が流れた。その間、料亭「江角屋」は廃業となり、現在、例会の場を出雲蕎麦の老舗「羽根屋」に移し、「羽根屋句会」と称している。 また、現在会員は「白魚火」に加入している女性の方や他の全国誌の同人の方にも呼び掛け、十名を数えるまでになった。 変らぬのは、句会の後の飲み会。言うまでもなく、一番の酒豪は石川君である。 さて、句歴も浅く、他人の句をとやかく論ずるほどの力量を持ち合わせていないが、折角の機会を与えていただいたので、いくつか印象に残っている彼の句を紹介して見たい。 天からの恵みの水や田を植うる(十九年) 雪残る三百枚の棚田かな(二十年) 畦塗りの大音声のトラクター(二十年) 満開の躑躅の庭に嫁ぎゆく(二十一年) ネクタイは水色にせむ更衣(二十二年) 遠き日の子に逢へさうな夜店かな(二十二年) 子らに手を引かれ紫雲英に遊びけり(二十三年) 花盛る頃にフィアンセ連れて来よ(二十三年) 星の数ほど嚏して空見上ぐ(二十四年) 異国よりフィアンセ来たり雛の日(二十四年) かれの句の特徴は、身の回りのことや家族のことを詠った句が多いことであろうか。「俳句は日記代わり」と彼は日頃言っているが、毎回、優に二十句は作って来る。いわゆる「多作多捨」が彼の身上で、「多作」が苦手な私にとっては、羨ましい限りである。 今ひとつの特徴は、鳥や虫などを題材にした句が多いことである。 嘴を交わす小雀親雀(二十一年) 一糸に託す毛虫の命かな(二十一年) 初雲雀空の高さを余しけり(二十二年) 耳澄ませ月光に聴く鉦叩(二十二年) 冬鵙の石鼎句碑にひびきけり(二十三年) 砂色の小蟹を砂に見失ふ(二十四年) 東浄に今年も蜘蛛の糸渡す(二十四年) 雨に濡れ蜘蛛の囲朝の天に張る(二十四年) 次に、一昨年の十月、岡山市で開催された「白魚火全国俳句大会」での彼の句を紹介したい。私同様、彼も初参加であったが、たくさんの選を得たのには驚かされた。 水澄むや吉備に出雲の神祀る 鬼退治してゐる絵馬や力草 鳴釜の鳴らぬ日もあり萩の花 かなかなや吉備津神社の英語くじ 彼は長らくJAの常勤役員を務め、市議会議員を経て、現在はトマトや葡萄を作る傍ら、二カ所で直売所を経営するオーナーである。 そんな彼に、これからも「酒飲み句会」を大いに盛り上げてくれることを、そしてこの度の受賞を機にますます句作りに磨きがかかることを期待し、結びとしたい。 |
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〈受賞のことば〉 根本あつ子 |
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<根本あつ子さんの横顔:真面目な山ガール・敦子さんのこと> 金田野歩女 この度新鋭賞を受賞された根本敦子さんは、平成十八年六月お父様の鳥雲集作家、金井秀穂さんの紹介で入会されました。僅か六年半での受賞は、今迄一度の欠稿のない真面目な努力の賜と、心からお慶び申し上げます。 北見市に初めて出来た誌友にとても嬉しく思いましたが、敦子さんは自営業のご主人の右腕として仕事にお忙しく、ご一緒の吟行は仲々実現しませんでした。通信の実桜句会には入会して頂き誌上での交流が続いていました。その後白魚火同人にもなられた花木研二さんの主宰する、地元の俳句会にも加わって下さるようになって、月二回の句会に時々出席して下さるようになり、お会いする機会が増え嬉しく思います。 敦子さんは無類の山好きで、休日には毎週の様に、未明に自宅を出て山に登り、夕方又車を走らせて帰宅するそうです。「一週間分のストレスを山に置いて来るの」との事。とは言え体力・気力が備わっていなければ出来ない事と話を伺う度感心するばかりです。 当然山の句が多く、これを機会に拾ってみたところおよそ四十%が山関連の作品でした。四季折々変化を見せて呉れるとは言え、句材が尽きないものだと脱帽です。山も生き物も含めた自然への憧憬が素直に俳句となって溢れて来るのでしょう。発想や語彙の豊かさも勿論です。 歩を止めて息を潜める初音かな 山笑ふリュックサックに鈴三つ 登りきて深き溪谷山桜 噴煙を袈裟斬りにして岩燕 小さき子の積木のやうにケルン積む 急登をしばし忘るるお花畑 冷やかに岩場に垂るる鎖かな 看板の牙むく羆紅葉山 足跡の狐と歩む雪山路 樏の足元少し頼り無く 数年前より実家のお母様が病気になられ、中之条と北見間の遠距離看護を献身的になさっておられます。ご両親にとってどんなにか心強い事でしょう。 憂き事は今日は忘れて春ショール 案じても遠き故郷鳥雲に 足繁く訪ぬる家郷柿若葉 母のまた小さくなりたり半夏生 木犀の香る家路を急ぎけり 安らかな母の寝息や白障子 最近は随分お元気になられた由、本当に良かったです。一日も早く回復され以前のように北見の夏を楽しまれますようにと、お祈りいたします。 春立つや笑みの戻りし予後の妻秀 穂 平成二十二年十月には同人にも推挙され、益々活躍の場を広げておられ、本当に将来有望な敦子さんです。時間にゆとりが出来たら実桜句会の一泊の吟行もご一緒しましょう。その時「句会は斜里岳の頂上でしましょう。」とおっしゃらないで下さいね。 新鋭賞おめでとうございます。 |
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