最終更新日(updated) 2011.01.31

平成23年平成17年度 白魚火賞、新鋭賞   
           
      -平成23年2月号より転載
 白魚火賞は、前年度一年間(平成22年暦年)の白魚火誌の白魚火集(同人、誌友が投句可)において優秀な成績を収めた作者に、同人賞は白光集(同人のみ投句可)の中で同じく優秀な成績を収めた作者に授与される。また、新鋭賞は会員歴が浅い55歳以下の新進気鋭作家のうち成績優秀者に授与される。
選考は"白魚火"幹部数名によってなされる。   

 発表

平成23年度「白魚火賞」・「同人賞」・「新鋭賞」発表

  平成22年度の成績等を総合して下記の方々に決定します。
  今後一層の活躍を祈ります
              平成23年1月  主宰  仁尾正文

白魚火賞
 佐藤升子
 出口サツエ

同人賞
 小林布佐子 

新鋭賞
 田中ゆうき
 西川玲子


 白魚火賞作品

 佐藤升子      

     コックの帽子
山焼きの燻る横を帰りけり
色町の名残の橋や猫柳
みづうみの奥にみづうみ暖かし
一葉づつつらつら椿日を返す
春宵の橋をゆつくり渡りけり
春惜しむ箸置きに箸揃へおき
玄関の藪蚊客間に通りけり
珈琲に添ふる木の匙遠郭公
戻る蟻行く蟻に寄り何か言ふ
天道虫翅割つて児を驚かす
夜濯ぎの音立てて水匂はする
夏痩せて蛇口の水を細くせり
大念仏若き男のふくらはぎ
月明に後押しされて口に出す
月白や浦に二軒の佃煮屋
背の高きコックの帽子小鳥来る
SLの駅発つ汽笛吊し柿
山茶花や脱ぎつ放しのシャツズボン
日向ぼこ睡魔が束でやつて来る
皮手套嵌めて十指をなじまする

  出口サツエ   

 神還る   
元日の満月雲を寄せつけず
梅ほつほつ父の好みしベレー帽
きさらぎの空青ければ海を見に
お水取りの頃の寒さを諾へり
肥後日向分くる馬の背囀れり
水底に木洩れ日ゆれて夏きざす
かんばせは落人の裔椎若葉
戸一枚繰れば一望花みかん
隠り沼の主にあるぞと牛蛙
庭に蟇鳴かせて夫の早寝かな
死んで色さらに濃くせり金亀子
昆虫記は子の愛読書曝しけり
雲の峰高し少年顔上げよ
月上げて五稜郭への一の橋
霧の函館忍び逢ひなどしてみたし
身に入むや異国に眠る水夫の墓
深秋の人影よぎる司祭館
植ゑ替へにほどよき湿り神還る
夕映えに色を尽くして冬紅葉
短日の日差しを背に豆を選る

 白魚火賞受賞の言葉、祝いの言葉

<受賞のことば>  佐藤升子           

この度は白魚火賞を有り難うございました。受賞決定の通知を戴きました時は、信じられない思いと賞の重みとで、身が引き締まる思いで一杯でございました。
 平成九年、社会保険センター俳句講座に入会し、仁尾正文先生直々の御指導を受ける事となりました。俳句の知識も経験も皆無でしたが、始めてみますと大変に興味深く、直ぐに俳句の虜になりました。以来いろいろな時期が有りましたが、白魚火誌への欠詠も無く続けられましたのは句会のお蔭と思います。
 この度の受賞は、偏に仁尾主宰と白魚火諸先生方の暖かい御指導の賜物と深く感謝を申し上げます。そして浜松白魚火会の諸先輩・句友の皆様方に心より厚くお礼を申し上げます。又、A講座に於ては吟行が多々行われ、多くを学ばせていただきました。
 今多くの課題を感じております。未熟な私ですが、この受賞を機に更に精進して参りますので、諸先生方の御指導を宜しくお願い申し上げます。有り難うございました。


  経 歴
本  名 佐藤升子
生  年 昭和二十四年
住  所 静岡県浜松市中区
家  族 母・弟
  俳 歴
平成九年  社会保険センター浜松   俳句A講座入会
平成十年  白魚火入会
平成十五年 白魚火同人
平成十五年 白魚火新鋭賞
平成十八年 みづうみ佳作賞

  <佐藤升子さんお目出とう> 浜松 上村 均
  
 佐藤升子さん白魚火賞受賞お目出とうございます。
 社会保険センター浜松の俳句講座Aから大村泰子さんに続いての受賞で誠に喜ばしいことです。
 升子さんは、平成九年に社会保険センター俳句講座に参加し俳句の道を歩み始めました。それ迄は俳句とは全然関り合いが無かった様ですが、持前の頑張りと恵まれた才能と仁尾先生の良きご指導と相俟ってめきめき上達し平成十五年に新鋭賞を受賞しました。順風満帆な足取りだと思います。
 秋の深まり寒さの増して来た夜、升子さんより白魚火賞受賞の内示があったとの電話がありました。升子さんの実力から推して白魚火賞受賞は夢では無いと思っていましたが、受賞の知らせを受けると何故かほっとしました。
 とにかく新鋭賞受賞以来の成績に素晴らしいものがあります。
 過去一年間に白魚火集で巻頭・準巻頭を獲得し常に上位を占め、白光集に於ても好成績を収めています。
 所属する月二回の社会保険センターの講座にも佳句を発表しております。
 新鋭賞受賞の際、研鑽を積んで大輪の花を咲かせる様期待しましたが、期待通りいやそれ以上に確かな歩みを続けています。
 升子さんは七宝焼の作家として、各種団体への出展や個展の開催等精力的に動いています。指導者としても活躍しています。私も時折作品展に赴き鑑賞していますが、その芸術的作品には何時も魅了されております。
 升子さんの小品のブローチを孫に贈った事がありますし、私自身もループタイを愛用しています。
 「二兎を追うもの一兎をも得ず」の諺がありますが、それを乗り越えて七宝焼と俳句を両立させています。
 升子さんの俳句は日常生活の一齣を巧みに掴み優しさと強さを表現した俳味に並々ならぬものを感じます。次に新鋭賞以降の作品を鑑賞します。
  水が水急かせて滝になりにけり
  梁に手斧の跡や雛かざる
  軽鳧の子の浮葉浮葉の上歩く
 対象を凝視して生まれた句で焦点が定まり事象から叙情が感じられます。
  夏の夜の枕辺に置くラベンダー
  畳みたる日傘に温みまだありぬ
  そと崩す正座の足や寒牡丹
 さりげない表現の中に人生のまた女性の哀感が漂いしみじみとさせます。
  望遠鏡砲の如きや鷹渡る
  翡翠の去りし水面の煌めきぬ
  初鴨の川面を広く使ひけり
 升子さんは野鳥にも深い興味を持っています。野鳥の習性をよく掴み絵画的に美しく詠んでいます。
  母と吾の一尾で足りる秋刀魚焼く
  粕汁や母はや眠くなつて来し
 お母さんに向ける慈愛に満ちた眼差しが感じられます。
 白魚火賞受賞はあくまでも通過点です。更なる努力により大いなる前進を期待します。
 重ねて白魚火賞受賞お目出とうございます。

  〈受賞のことば〉  出口サツエ                

 思いもかけない白魚火賞のお知らせが信じられず、私のような未熟な者がいただいて良いものかと、今でも戸惑っております。
 夫の勤務地であった東広島市の山の会がご縁で渡邉春枝さんに誘われ、軽い気持ちで白魚火に入会させていただいたのでした。しかし「多作多捨」どころか、毎月の投句締切日と葛藤する始末で、何度も挫折しそうになり、その都度、春枝さんに励まされてまいりました。
 そんな中、宮島へ全国から句友の皆さんをお迎えし、仁尾主宰ご就任全国俳句大会のお手伝いをさせていただいたことが私には大変貴重な体験でした。全国に素晴らしい先生や句友の方々がいらっしゃることが分かり、この一員に加えていただこうと思ったのでありました。
 今回、身に余るしかも栄えある賞をいただけますのも、仁尾主宰を始め諸先生の温かいご指導のお陰と心より厚くお礼申し上げます。また、何時も心のこもった励ましをいただく渡邉春枝代表を始め広島白魚火会の皆さん方の後押しがあってこそと感謝の気持ちで一杯であります。まことにありがとうございました。
 今後ともご指導のほどよろしくお願い申し上げます。

  経 歴
本  名 出口サツエ
生    年 昭和十四年
住  所 広島県江田島市
家  族 夫
  俳 歴
平成八年  白魚火入会
平成十四年 白魚火同人
      俳人協会会員

<出口サツエさんの横顔>〉 渡邉春枝 

 サツエさん、白魚火賞受賞誠におめでとうございます。サツエさんとの出会いは、昭和六十三年「東広島山の会」の発足と同時にお互い入会した時からの登山仲間であり、一ヶ月一度の登山に挑戦する楽しみを分かちあってきました。当時、的さんと二人で白魚火に投句を続けておりましたが、なんとか輪を広げたく、サツエさんを誘ったところ心よく入会して下さり、それを機に「広島白魚火俳句会」を発足することが出来現在に至っております。
 何事にも真正面から取り組まれる彼女の几帳面な性格が、そのまま一句に投影され詩情豊かな句に完成されるのです。彼女の頭脳明晰は言うまでもなく、それを表に出すこともなく、皆の意見を尊重され相手の立場に立って物事を進められる心の優しい方なのです。
 白魚火誌上では、何時も上位をキープされ広島白魚火俳句会のホープとして常に活躍されています。ご主人広志さんの退職後は二人三脚で広島白魚火句会の為に積極的に協力していただき一同大変感謝しています。その上新会員の斡旋にも心を配っていただき、現在の会員増にも繋がっております。特に一年二度の日帰り吟行会、一度の一泊忘年句会には、広志さん、サツエさんに全てをお願いして、その多彩な計画に句会を楽しんでおります。
 多趣味であるお二人には観光を兼ねた海外トレッキングもあり、それが、エベレストの中腹であったり、ニュージーランドの山であったり、スイスのマッターホルンであったり世界中を自在に飛び廻って、自分の可能性に挑戦されます。そして行く先々で俳句をものにされるのです。何事に対しても前向きにすぐ実行に移す事が出来ることも、生活環境が揃っているからでしょう。現在は故里である江田島の自宅に落着き先祖からの蜜柑栽培や野菜作りも楽しまれ、大きな冬瓜や芋、大根等お相伴にあずかっております。江田島から東広島まで車で約二時間かけての句会出席にただ感謝あるのみです。
 とにかく上げれば限りがありませんが、そばに居て心休まる暖かい方です。
 まだまだ言葉が足りませんが、この受賞を機に益々御活躍、御健吟下さいますようお祈りいたします。最後に、この一年間のサツエさんの句を鑑賞させて頂き、お祝いの言葉とさせていただきます。おめでとうございました。
 足下千丈声すべり落つ岩ひばり
 鳥渡る安芸にも幾つ狼煙山
 百名山をほとんど制覇された彼女、足下千丈に臨場感がある。江田島に吟行した時、山から山へ狼煙を上げていたときいた。
 月上げて五稜郭への一の橋
 霧の函館忍び逢ひなどしてみたき
 函館白魚火大会の句、「忍び逢ひ」の句は仁尾先生の特選、大胆な表現とも思われるが、女は誰でもその様な気持ちを胸に秘めている。
 梅ほつほつ父の好みしベレー帽
 籐椅子のいまもそのまま忌を修す
 父親に対する気持ちを物に託して巧く纏めていて感銘。ベレー帽子の似合うダンディーな父親像が見えてくる。
 肥後日向分くる馬の背囀れり
 寝釈迦山胸のあたりに春惜しむ
 馬の背が肥後と日向を分ける措辞に感心。先日も寝釈迦山を遙かに眺めた。何時見ても何度眺めても素晴らしい。


同人賞
 小林布佐子

  軽暖のベンチ
遠見とふ技に始まる梯子乗り
浮世絵の中の手鏡寒波くる
農夫たる漢のホルン寒北斗
母の日日娘の日日や雛飾る
まつすぐに牛舎の煙流氷来
真中より川の開けゆく猫柳
招き猫ゐる仏壇屋万愚節
駐在の戸が開いて留守日の永し
花便り萬年筆のあをき文字
軽暖のベンチに足を組みにけり
裏窓の雨の重たき花手毬
涼風や織機をくぐる綿の糸
風入れや酒を量りし五合枡
子の歓声波の歓声海の家
散るゆゑの重みとなりし花芙蓉
爽やかや群れざる鯉の尾のながれ
深秋の水に降りゆく一羽かな
秋雨のホテルの聖書開きけり
深深と隠し包丁おでん鍋
朔北の馬立ち止まる冬野かな  

 -同人賞受賞の言葉、祝いの言葉-
<受賞のことば> 小林布佐子                 
 
日曜の夕暮れどき、安食副主宰からの電話を受けました。何と、夢のような「同人賞」の知らせ。しかも我が家が長い転勤生活にピリオドを打った記念の年にいただけるなんて。夫に付いて転居を重ねた先々でほとんど一人で吟行と作句を続けてきましたが、淋しくはありませんでした。実桜句会の仲間、旭川句会の仲間が、折々に声をかけて句座に入れてくれましたし、坂本タカ女先生が「布佐子さんならどこへ行ってもちゃんと作れる」と言ってくださった一言が大きな支えでした。
 毎月の投句は、仁尾先生、白岩先生の選に入りたい一心で続けてきました。
 諸先生と仲間と、各地の自然や人々がこの光栄な賞に導いてくださったと思っております。
 これからも、日々自然と向き合い、人と向き合い、句座に身を置いて精進を続けたいと思いますので、変わらぬご指導をよろしくお願いいたします。
 終の棲家から見える大雪山の夕映えがきれいです。本当にありがとうございました。

 経 歴
本  名 小林 房子
生 年    昭和二十七年
住  所 旭川市
家  族 夫、夫の母
 俳 歴
平成元年   白魚火入会
平成六年   白魚火同人
平成九年   白魚火新鋭賞
平成十七年  北海道俳句協会賞佳作
平成二十年  北海道俳句協会賞正賞
平成二十一年 俳人協会会員
平成十四、十五、十六、二十、二十二年  みづうみ賞秀作

  <同人賞受賞者の横顔:手話の達人・小林布佐子さん> 坂本タカ女  
     
 布佐子さんは平成二十二年四月、ご主人の退職で旭川へ移住されたが、それまでは転勤が多く旭川白魚火会の句会に出席する機会は非常に少なかったので、旭川へ移転してこられた時は、会員一同諸手を上げて喜びお迎えした。
 父上は俳歴の長かった今は亡き白魚火同人の渡邊唯士さん、母上は現在白魚火同人の渡邊喜久江さん、私とのお付き合いは大変長く、布佐子さんより、ご両親を良く存じ上げている。そのご両親の俳句の血筋を戴いている布佐子さんはとても恵まれていると思うが、大変な努力家でもある。
 布佐子さんが俳句を始めた動機は、平成元年、友人の死に会いその折「昇天の煙ひとすじ秋燕」と、初めて俳句を作り唯士さんの「これはいい句だよ」と「人の生き死にとは大きな力を生むものだ」との強い一言で俳句を勧められたという。布佐子さんの心のどこかに眠っていた俳句への思いが目を覚ましたのであろう。とても初心の句とは思えない。
 俳句を始めた当時は周辺に仲間がいなく、今は亡き藤川碧魚先生の郵便句会の「実桜句会」に入会していた。伺うところによると、俳句を始めてからは何時も一人で吟行し、一人で俳句を作ってきたそうである。俳句は座の文学とも言われ、特に初心の頃は仲間があってこそで、一人での俳句は余程信念を強く持たないと途中で挫けてしまうが、楽しかったし俳句のお蔭で転勤も全く苦ではなかったと述懐している。
 平成十四年からは欠かさず、みづうみ賞に挑戦、九年間に秀作賞五回、佳作、選外佳作と毎年入賞し力をつけてきた。
 又北海道俳句協会賞にも毎年二十句に挑戦、北海道在住の超結社の選考委員十五名の、厳しい選を潜り抜け十七年に佳作、二十年に遂に念願の正賞を受賞した。
 その外、邪馬台の里の三輪全国大会実行委員長賞、その他いくつかの全国の応募作品に出句しているようであるが、ご自分の日頃の作句力を試みる為であろうか、入賞しても口外するわけでもなく、淡々としている。
 二十二年度のみづうみ賞秀作賞の作品に次の句がある。
   音もたぬ人と寒さを手で話す
 布佐子さんはボランティアで手話と要約筆記(文章や話の内容を要約して聴覚障害者に話の内容を伝える手段)を二十年近く続けている。この句は耳に障害のある方々との交流を続けているときの句であろう。そう言えば、二十年、松江全国大会の懇親会の折、「ふるさと」の歌詞を手話で披露、合唱した事は記憶に新しい。ボランティアは、すべて自分の為ですと謙虚だ。時には、この活動が深夜に及ぶこともあったと聞いている。
   花冷えの笛をぬくむる掌
   尺八に漆を入るる萩のころ
   紅絹をもて磨く尺八雪女郎
 転勤先で、尺八の師匠に出会った時の、平成二十年のみづうみ賞秀作賞の作品で、二十五句揃える事は、時には苦渋することもあるであろうが、読み手に余りそれを感じさせず新しい発見をして、黙々と対象物に相対し、見つめ咀嚼して一句をなしている。好奇心が旺盛で、作品に納得がいかないと再び同じところへ出かけると聞く。その作句姿勢は取りも直さず継続してきた一人吟行の賜物であろう。
 ご本人から聞いた事であるが、とても静かであまり前へ出る事の無い布佐子さん、お酒が大好きで緊張して飲むと酔わないが、気が弛むと楽しく酔えるとの事で、多面性を持った布佐子さんの今後の更なる活躍を期待し、ぜひ一度美味しいお酒の席をと願っている。   

   新鋭賞 
  田中ゆうき

  夕星
夕星の空に張りつく余寒かな
山畑は風音のみの梨の花
山桜遠くに海の青を置き
ひこばえや裏の平らな忠魂碑
源流を訪ね新樹の山へ入る
打ち水や格子戸の家向かひ合ふ
著莪の花奥に灯ともす陶工房
挨拶の良き少年の夏帽子
噴水の途切れをつなぐ風の音
白粥に薄き影ある秋はじめ
りんだうの丈の青さを揃へけり
遠山の雨の昏さに鮎落つる
こぼれ萩まだ温かき登窯
芋煮会見知らぬ顔の来て坐る
冬晴へジェット機銀の機首上ぐる

   西川玲子
 
  娘 と 私
故里に父母ありて去年今年
子どもらの「平和」と書きし吉書かな
クローバー四ツ葉を探す母子かな
卒業式同じ背丈の娘と母と
雷に目覚し吾子を抱きしむる
夏来るピアノ弾く児の両手かな
贈られしカーネーションを撮つておく
バトン手に走り抜けたる夏帽子
新涼や太鼓打つごと肩たたく
秋祭はぐれぬ様に手をつなぐ
待ち人は霰と共に走り来る
不揃ひの網目のマフラー娘にもらふ
夫帰宅娘が跳びはねてクリスマス
ネックレスお揃ひにして忘年会
足音のほか何もなく雪の舞ふ

新鋭賞受賞の言葉、祝いの言葉 
   <受賞のことば> 田中ゆうき               

 この度は、新鋭賞という身に余る賞を頂戴し本当にありがとうございます。
 句歴の浅い私が頂いて良いものかと躊躇いたしましたが、今後一層努力しなさいという励ましを頂いたと思い謹んでお受けすることに致しました。
 今思い返してみますと、病弱で家に閉じこもりがちだった私を母が折にふれ散歩に誘い、夕焼けや飛び交う蛍など自然の美しさを教えてくれたことが、私の俳句の原点になっている気がいたします。その母の死に臨み、何かに心情を残しておきたいと思ったのが俳句を始めるきっかけとなりました。
 五年前、有志を募って地元公民館に俳句教室を開講し、白岩敏秀先生を講師にお迎えしました。初心者ばかりの教室で、全員の句を一語一語丁寧に添削して下さる先生のご指導は今もずっと変わりません。その温かいご指導のお陰でここまで来ることができたと心より思います。さらに「白魚火」へ入会させて頂きたくさんの句を拝見して、改めて俳句の深さを知りました。
 最後になりましたが、仁尾正文主宰、白岩敏秀先生、諸先生方、諸先輩方、句友の皆様方に心より感謝とお礼を申し上げ、併せて今後のご指導を宜しくお願い申し上げまして受賞のことばとさせて頂きます。
 経 歴
本  名 田中裕喜
生  年 昭和二十八年
住  所 鳥取市
 俳 歴
平成二十一年 白魚火入会
平成二十三年 白魚火同人

   <ゆうきさん、鋭賞受賞おめでとう。>  白岩敏秀

 ゆうきさん、新鋭賞受賞おめでとうございます。誌友の少ない鳥取において、よくぞ頑張ってくださったと感慨深い思いです。
ゆうきさんが俳句を始められた五年前のこと。その最初の句会に提出された句が「葉桜や木洩れ日すくふ露天の湯」でした。葉桜の季語と相まって若々しく、とても初めて句作した方とは思えませんでした。そして、平成二十一年に『白魚火』に入会されて、初投句が「境内の箒目正す年用意」でした。すっきりした句姿に清々しさを覚えます。
 ゆうきさんは今も現職で頑張っていますが、かつては公民館で主事の仕事をなさっていました。公民館は地域の文化やスポーツの拠り所そして住民の交流の場でもありとても忙しい職場です。特に各種団体の決算、予算の時期や役員の交替などの会議は夜になります。それらを立派にこなして、ゆうきさんは惜しまれながら退職されたと聞いています。退職後は地元の俳句好きの人達を誘って「米里梨の花句会」をつくり今日に至っています。
芋煮会見知らぬ顔の来て坐る
  この芋煮会はおそらく、かつてゆうきさんが勤めていた公民館が主催したのでしょう。
 ずかずかとやってきた男が作者の隣にどっかと坐る。お互いに挨拶を交わしたのだが、はて?と思う。見覚えのない顔で、どうやら地下の人ではなさそうだ。と思いつつすぐ仲間となって芋煮会を楽しむ。この大らかさが魅力です。
初景色やすらかに湖晴れにけり
  この句は表現が「やすらか」であって「おだやか」ではないことに注目したい。「やすらか」にはすべてのものが充足した安らぎがあり、初景色のめでたさが感じられます。言葉の選択の巧みさに感心します。
トルソーの腕無き翳や二月来る
  トルソーは胴体だけの彫像。大抵は肩のあたりから腕がない。そして石膏づくり。「腕無き翳」とあるからトルソーの曳いている翳ではあるが、同時にトルソーの顔の凹凸や筋肉の隆起がつくる柔らかい陰翳も見えてきます。二月という寒さの中にトルソーの翳に春の兆しを見つけた繊細な感性に驚きます。
花冷や一夜浸けたる豆膨れ
  花冷えと豆の取り合わせが意外です。常識を常識的に結びつけても面白くないものです。「花冷」という美しい季語と「豆が膨れる」との日常性との大きな落差。絶妙な季語の使い方です。これもゆうきさんの魅力のひとつ。
 十七音をしっかりと見つめ、着実に歩を進められてきたゆうきさんです。これからもナイーブな感性を生かし、のびのびと俳句をつくってくれることと期待しています。
 おめでとう、ゆうきさん。

〈受賞のことば〉  西川玲子                 

 この度は、新鋭賞受賞の報を頂き唯々驚き、未だ信じられない気持ちで一杯です。
私が俳句と出合ったのは、八年前娘が小学校に入学した年の七月。山下恭子さん(平成二十二年八月二十五日六十一歳で逝去)が誘ってくれた新葉会でした。今井星女先生御指導の、女性ばかりの俳句会で、季語も知らなかった私でしたが、星女先生はじめ諸先輩の御指導や励ましがあり、今日まで続けてこられました。現在も看護師の仕事を続けておりますので、吟行に行く機会も作れず、娘の何気ない仕草や言葉を俳句にして来ました。一句一句が娘の成長であり大切な思い出になっています。『夏来るピアノ弾く児の両手かな』は、入会間もない平成十五年十月号で仁尾先生に身に余るお褒めの言葉を頂き、それが支えとなり又宝物にもなっております。
 この受賞は、多くの方々の支えがあっての事で、仁尾先生はじめ諸先生方、句会の皆様に心より感謝とお礼を申し上げます。そして、私に俳句との出合いを作ってくれ、公私共に支え続けてくれた先輩の山下恭子さんに感謝・感謝です。どうぞ恭子さん、天国からこれからも私をお見守り下さい。
 今後も星女先生はじめ句会の諸先輩・仲間達と一緒に勉強し、十七文字の世界を深め日々の暮しを俳句で残したいと思っております。
  経 歴
本  名 西川玲子(にしかわ れいこ)
生  年 昭和三十年
職  業 看護師
住  所 函館市
  俳 歴
平成十四年 白魚火入会
平成二十年 白魚火同人

 <職場俳句会のリーダーとして>  今井星女 

  玲子さん、新鋭賞受賞おめでとうございます。玲子さんは「函館稜北病院」のベテラン看護師です。ある時、上司の山下恭子さんから「いい先生がいるから俳句会に行ってみない?」と声をかけられて、二人で休暇を取って俳句の会を見学に来られたのが、今から八年前のことでした。「俳句っておもしろそうだけど、平日の句会参加は時間がとれないよね」と考えたあげく、「じゃ病院の職員を集めて、句会をたちあげて、土曜日の午後からということだったらいいかもね」と三人が相談し、職場の同僚に声をかけてみました。集ってきたのは、看護師、薬剤師、事務職員、など八名で、病院の御好意で会議室もお借りできることとなり、平成二十年八月から「第二新葉会」を発足させました。
 例会は月一回、指導者は今井星女。会の代表は山下恭子さん。現在は西川玲子さん。全員が白魚火誌友です。
 玲子さんは、職歴三十年という経験をかわれて、今は病院の介護支援専門員(ケアマネージャー)の仕事にたずさわっています。
 俳句を始めた頃、小学校一年生だった一人娘の祥代ちゃんは、今年中学三年生になりました。ピアノが上手で合唱部にも入っています。
  白魚火秀句 仁尾正文(平成十五年十月号)
 夏来るピアノ弾く児の両手かな西川 玲子
 ピアノを練習している園児であろう。楽譜を見て小さな両手は反射的に鍵盤の上を飛び交っている。「両手かな」はその感嘆、置いた季語から無限の未来を思っているのである。一連の作品何れもナイーブであった。
 又、平成二十二年二月号にも、仁尾主宰の秀句としてとりあげられています。
 『手廻しのオルゴール鳴る日向ぼこ 西川 玲子』
 最近、職場句会というのは、ほとんどなくなっているので、第二新葉会の存在は貴重だと思っています。玲子さんは、最近新しい仲間も増やし、今俳句に燃えています。
 新鋭賞受賞心からお喜び申し上げます。
受賞のことば
 この度は、新鋭賞受賞の報を頂き唯々驚き、未だ信じられない気持ちで一杯です。
私が俳句と出合ったのは、八年前娘が小学校に入学した年の七月。山下恭子さん(平成二十二年八月二十五日六十一歳で逝去)が誘ってくれた新葉会でした。今井星女先生御指導の、女性ばかりの俳句会で、季語も知らなかった私でしたが、星女先生はじめ諸先輩の御指導や励ましがあり、今日まで続けてこられました。現在も看護師の仕事を続けておりますので、吟行に行く機会も作れず、娘の何気ない仕草や言葉を俳句にして来ました。一句一句が娘の成長であり大切な思い出になっています。『夏来るピアノ弾く児の両手かな』は、入会間もない平成十五年十月号で仁尾先生に身に余るお褒めの言葉を頂き、それが支えとなり又宝物にもなっております。
 この受賞は、多くの方々の支えがあっての事で、仁尾先生はじめ諸先生方、句会の皆様に心より感謝とお礼を申し上げます。そして、私に俳句との出合いを作ってくれ、公私共に支え続けてくれた先輩の山下恭子さんに感謝・感謝です。どうぞ恭子さん、天国からこれからも私をお見守り下さい。
 今後も星女先生はじめ句会の諸先輩・仲間達と一緒に勉強し、十七文字の世界を深め日々の暮しを俳句で残したいと思っております。

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