最終更新日(updated) 2007.10.01 | |||||||||||||
白魚火平成19年10月号より転載 | |||||||||||||
期間:平成19年7月7-9日 於:松島 ホテル松島大観荘 |
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平成19年10月号へ |
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松島にて |
(浜松)大村泰子 |
梅雨の最中の大会とあって、雨でも仕方が無いとなかば諦めていたのですが三日間というものはすばらしい天気に恵まれました。 日本三景の一つといわれる美しい松島での大会です。全国の白魚火の皆さんと一年振りの嬉しい再会でした。恵まれた環境での吟行は緊張と同時に良い句との出合いも楽しみでした。またホテルでは一部屋六名泊りということで、修学旅行のように賑やかで楽しい宿泊となりました。ホテルのすぐ下を仙石線が通っており、通過するたびの警笛は、とても珍しく、懐かしいものを感じさせてくれました。同室の清水和子さんが翌朝一句披露してくれました。 明易し枕の下を仙石線 本当に寝ているすぐ下を鉄道が通っていましたので、実感として感心しました。 早朝、雄島まで一人で散歩に行ってきたという方が、四十雀は鳴いているし、鶯の鳴き声も聞け、景色もとても良かったと言っていましたので二日目の朝は数人と早起きをして、雄島までいったのですがすでに北海道の方々がいらしていて、熱心に島にあるいくつかの碑を見ていました。 朝靄の中での景色は、まるで墨絵のように幻想的で素敵でした。暫らく芭蕉の句碑や曽良の 松島や鶴に身を借れほととぎす などの句碑を見たりと、島めぐりを楽しんでいますと、やがて靄が流れていく様子が見え、しだいに島がはっきりと浮かび上がってきました。まるで自分の心まで洗われていくような錯覚をおぼえました。すばらしい大自然の風景を目の当りにして我を忘れて眺めていました。 初日の大会で高得点を取られた梶川裕子さんの 明易し芭蕉も曽良も見たる海 梶川さんもここ雄島にいらして、早朝の松島の絶景にふれ作句されたのだとあらためて感心させられました。 二日目の懇親会も皆さん和気藹藹と盛り上がり、浜松も何か皆でやらなくてはときよしのズンドコ節に振り付けをして、皆で踊ったらと村上尚子さんの提案で、「掘って掘って又掘って、担いで担いで・・・・、チョチョイのチョイ」とこれを唄って踊りました。即興の踊りに皆さんも参加して下さりとても嬉しく思いました。来年はもっと上手に踊れる様に練習をしなくてはと、話し合ったことでした。 最後になりましたが、お世話下さいました皆様方に深く感謝申し上げます。ありがとうございました。 |
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懇親会に始まった 初めての大会参加 |
(島根)大庭南子 |
一日一便の広島から仙台への航空便に乗ったため、私のはじめての全国大会は前夜祭の懇親会からであった。 懇親会は、直ぐにうちとけた会になった。あちこちで旧知の人たちが話をはずませている。私はこの機会に主宰や編集長にご挨拶をしたいと思い、富田郁子先生に相談したら、私が紹介してあげましょうといって、他に青木副主宰、白岩白光集選者、鈴木同人会長などの諸先生方に紹介してくださった。先生方とはどなたも初対面で緊張したが温かく励ましてくださった。 ステージでは、カラオケがはじまり、次々と登壇して歌う。上手な歌ではないが、楽しくやりましょう。今年も会えてよかった、といった感じの歌である。常連の人もいるようだ。終りに近くなるころ、北海道の平間さんが「青い山脈」を歌いだした。すると近くの者同士で肩を組みはじめ、それが段々と増えやがて参加者全員の大団円になり、大合唱となった。参加者は決して若くはない。その人たちがとても生き生きとしている。私も興奮した。 翌日は総勢百七十余人が吟行に出かけた。端島や瑞巌寺などを歩いた。午後二時から式典があり、各賞の表彰があった。私もみづうみ賞の秀作賞の表彰をうけた。主宰から賞状と主宰の色紙及び片山由美子の著書をいただいた。主宰の色紙は「盆唄のかくも高音の男ごゑ 正文」であった。 その後、昨夜投句した俳句の代表選及び披講、講評があった。俳誌で馴染みの作家が次々名乗り、いい句と作者がクローズアップされた。私の俳句は一点だった。 仁尾主宰の講評は、はじめのところで結社「白魚火」の全国的に見た評価の話をされた。全国に俳句結社は千二百あるが、白魚火はAランクの二十五番目だということであった。いい結社に所属していることを幸せと思った。 夜になってまた懇親会である。今夜が本当の懇親会と司会がいう。会の冒頭で来年度開催地の紹介があり、松江の寺本さんが来年開府四百年を迎える松江市の魅力をアピールした。 懇親会は、三十分短縮され一時間半。その勢もあってか最初から雰囲気が上がっている。壇上は団体が多い、県単位のお国自慢が始まる。島根からは二十人ばかりが民謡「関の五本松」を歌って気勢を挙げた。栃木は赤い揃いの法被を着て「日光和楽踊り」を踊った。主宰もどっしりとした体で踊りに入られた。最後は進行役の柴山要作さんのご当所「斉太郎節」であった。 結社誌のつながりは誌上が中心である。しかし、一堂に会することは、さらに絆を深め活気づく。大会の後で多くの方から温かいお手紙を頂きそのことを強く思った。 |
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お手伝い |
(宇都宮)安納久子 |
今年は世界的に異常気象がいたるところで発生し、桜前線の異常や並外れた暑さが記憶に残りますが、松島全国大会は、素晴らしい天気に恵まれました。私たち宇都宮花みずき支部は青木華都子行事部長を含め十名の参加、それぞれが受付、句会係、披講、懇親会と係を仰せ付かり、私も句会係を仰せ付かりました。大会のお手伝いということで一日早い六日の出発となり、宇都宮駅へ集まり松島へ、松島湾を遊覧し、瑞巌寺、五大堂へと歩きました。少し遠くに長い朱の橋が見え蒼い海に島が幾つも据わって、美しい松島湾の絶景を堪能し、打ち合わせに間に合うよう会場のホテル大観荘に到着。句会準備室に入るとコピー機が三台、普段使い慣れないコピー機を見ただけで戸惑いました。行事部長、星田一草さん、奥田積さんの手順で打ち合わせが進み耳を傾けますが何を如何するのか見当が付かないまま、その内「まぁ明日にしましょう」と言う事になりその日は終わりました。 翌七日、句会係は午後からのお手伝いとの事で雄島へと出向きました。神秘的な雰囲気でいたるところに碑があり岩窟あり石仏もある。肩幅ほどの切通しを抜け短いトンネルを潜ると正面は古木の杉が一本、芭蕉も触れたのかなと思ひ撫ぜてみました。ある誌友から「俳句と云う不思議な世界で」とお手紙を頂き、本当にそうだと思います。もし俳句に出会わなければ、先輩に教えて頂いた「鈴緒」「鰐口」という言葉も知らず、ましてや芭蕉も立ち寄ったと言われる雄島を散策する事も無かったと思います。 いよいよ大会が始まり、準備室に入ると二台コピー機が増え、螺良由美子さんがまるで自分のオフィスにでも居るように自在に動かして居ます。星田一草さん、奥田積さんの指示のもと私たちは事前に用意されているA3の台紙に一枚ずつ提出された短冊を貼る。時折り星田さんが考え込む。最後に提出された短冊をどのように貼るのかが問題のようです、出来るだけ名別に貼り付けたい思いがあっての事。百七十名近い投句を一気にコピー、整理して配布できるか時間との戦い。次に特選句の作者調べ句稿から作者の名前を書き込む、島根の久家希世さん、荒木千都江さんの細やかな手早い作業を見習い教えていただきながら、微弱なお手伝いですが乗り切ることが出来ました。 翌八日も同じ作業でスムーズに事が運びました。これもベテランの行事部長、星田一草さん、奥田積さんが要らしてこその事と思います。今回お手伝いさせて頂き、芭蕉の痕跡をたどる旅が出来俳句の不思議な世界に改めて感動致しました。仁尾先生、行事部長、役員の方、そして誌友の皆様に心より感謝申し上げます。 |
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白魚火全国大会・絶景の松島へ |
(札幌)奥野津矢子 |
七月六日、旭川から三浦香都子さん五島休光さん滝見美代子さん平間純一さん吉川紀子さん山田敬子さんの六名が、坂本タカ女先生が急遽行かれなくなり残念!寂しい!でも頑張ります、とばかりに早々と列車句会を実行。 札幌組の浅野数方さん西田美木子さん奥野津矢子は一回目の句会に参加できなかった事に胸を撫でおろし、ではなく残念がりながら千歳空港に集合。 仙台空港までは一時間あまり、天候は北海道とあまり変らず暑くも無くほっとしました。 今夜(前泊)と九日(後泊)のメトロポリタンホテルに到着。今日は青葉城址を吟行、伊達政宗の颯爽とした馬上の姿は空に駆け出して行きそうです。 広瀬川のせせらぎを聞きながら遺跡の発掘調査が大勢の手で行われていました。 ・枇杷熟るる旅の初めの青葉城 香都子 ・ひたすらに削る遺跡や日の永し 美代子 ・今年竹崖より覗く広瀬川 休光 ・城跡の発掘現場梅雨茸 美木子 偶然安食副主宰ご一行とお会いしました。 「北海道吟行会ではお世話になりました、明日からどうぞよろしくお願い致します」とご挨拶。 夕食は勿論「牛たん」。塩焼き、味噌焼き、にぎりに舌鼓を打ちながらビールをぐいっ〜…… 飲んでばかりではいけないと席題が出されます。 「牛たん」「笹かまぼこ」のいずれかを入れて五句。 一瞬の緊張を頭の隅に追いやり食べましょう、飲みましょう!本当に美味しい夕食でした。 句会は次の会場カラオケ屋さんです。 ・牛たんの塩味味噌味夜涼かな 数方 ・牛たんや舌なめらかに冷し酒 純一 句会の後、旭川の紀子さん達が用意してくれた懇親会用の出し物、「旭山動物園のペンギン」の踊り合わせ。アザラシ役のタカ女先生の代役は純一さんに決まりました。カラオケ屋に来て一曲も唄わず明日の為に帰宅、真面目な一行です。 ・藤村も晩翠も好きさつき咲く 紀子 ・西日さす扇たたみし政宗像 敬子 ・万緑が口を開けをる大鳥居 津矢子 翌日、電車、バスで大会会場の松島の「大観荘」へ到着後、荷物を預けて松島湾遊覧、日本三大渓の嵯峨湾を含む二時間のコースでパンフレットに載っている「こころにしみる美しい島の景観松島」その通りでした。この絶景は言葉では中々著せません。 鴎の群にも歓迎され私は餌(かっぱえびせん)をあげる事に専念、時々指を噛まれますが、痛くない痛くない。さあ、宿に戻って投句です。 ※大会一日目は総会と懇親会です。 白魚火会員が一人も居ない土地での開催でしたが百七十名程の参加者になりました。 ※大会二日目は朝から自由吟行。 私達は瑞巌寺へ、この寺までは坂道も階段もありません。寺前の三本の神杉に圧倒され「森」の形に植えられているのでは、との話に感心しました。 本堂に入るまでの洞窟群の説明にガイドさんを頼みました。口調も歩調も流れるような早さでした。 丁度、臨済宗初代僧侶の御法要日に当り、私達が庫裡に居ると次々と僧侶の方が、瑞巌寺と焼印のある下駄を揃えて寺に入って行きました。 暫し正座で読経を聴かせて頂きました。 記念写真は天気が良いので大観荘の前でパチリ。 明日の為の投句を済ませ、昼食後式典です。 仁尾先生のご挨拶、各章の表彰が続き、新鋭賞を受賞した紀子さんに大きな拍手をおくりました。 いよいよ句会です。 全員に全句の載ったプリントが渡され自分なりの選を楽しみましたが、最初から作者名が入っているのは如何なものかと…… 一般選が無いのもとても残念でした。 (特選) ・眠らねば明日は機上や蚊を打ちぬ 紀子 ・登城門二重に巻かれし落し文 数方 昨年は名乗りは代返でしたが、今回は皆さん大きな声で名乗る事が出来て良かったと思います。 今夜の懇親会は練習通り?の出し物で休光さん、美木子さんの歌声に合わせ、アザラシ、ペンギンになりきり動物園の絵葉書を皆様のテーブルへお届けしました。その後舞台上でスーイスーイと泳ぎを披露。 ※大会三日目 早朝から歩いて芭蕉、曾良(河合曾良)の句碑がある雄島へ吟行。朝霧の中、海原に鷺の姿、舟が数隻、その幻想的な景色にうっとりしながらも身が引き締まる思いでした。 香都子さんが代表選をしている間の空き時間に大観荘の廻りを散策しました。垣根になっている真赤な葉先を持つ「レットロビン」と言う「紅かなめもち」の名を覚えて嬉しくなりました。 句会二日目 (特選) ・ひとつづつ島目覚めゆく夏霞 美木子 ・観音の優し顔蝉生まる 美代子 ・枇杷青し鼻緒の白き僧の下駄 津矢子 大会終了後、先に帰る香都子さん純一さんを仙台駅で見送って、残り七名。 今晩の句会を明日に伸ばしてちょっと休養。 ホテルで夕食、部屋で二次会の後早々に就寝。 実桜晴続き一度も傘を差す事も無く最後の日を迎えました。今日はタクシーで瑞鳳殿へ、伊達六十二万石の通り六十二段の高い険しい階段が…… 寺の園丁さんは「昔の御殿様は足が長かったから」と説明、「そうだったんだ〜」と納得しそうになりましたが勿論冗談、本当に話上手の寺守さんでした。 最後に土井晩翠の居跡を訪ねました。「荒城の月」の作詞家ですが、作曲家の滝廉太郎の方が有名かも知れませんね。 仙台空港で昼食をとりながら句会。 ・半夏生酒好きらしき晩翠翁 休光 ・饒舌な宮居の手入れ竹落葉 美代子 ・夏座敷土井晩翠の遺品下駄 数方 ・竜の髯御廟庭師の名ガイド 美木子 ・寺守りの立板に水夏衣 紀子 ・公子公女の墓身丈の淡き額の花 敬子 ・口も手も動く園丁七変化 津矢子 来年の全国大会は松江です。 又元気に出掛けられる事を願っています。 |
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松島全国白魚火大会こぼれ話 「知らせておきたい舞台裏」 |
(宇都宮)螺良由美子 |
“エンヤーどっと、エンヤーどっと”大漁節の掛け声さながら、私は青木華都子先生に背を押され一路松島全国大会へと参りました。 大会前日の午前中ホテルに着くそうそうから、先送りした賞状等荷物のチェック、部屋割の確認、コピー機及び用紙搬入の立会い、大会・懇親会会場の設営確認、期間中の食事数、吟行バスの手配、集合写真の打ち合わせ等々、その仕事量は大から小に至るまで、まさに“大漁だえー”でした。 各係りの皆さんがホテルに到着するまでの二時間は、「螺良さん、しっかり景色を見て句を詠んでね。」と青木先生に促され「え!」。歌うような調子で私の顔を覗き込む先生に、首をすくめ作り笑顔でお応えいたしました。部屋に戻ると爆睡でした。“あーこりゃこりゃ” いよいよ大会当日です。北は北海道から南は九州まで約百七十名の参加者が続々と到着され受付は大賑わいでした。参加者を笑顔でお迎えし資料と名票をお渡ししてお部屋へと誘導する。出欠をチェックして確認も忘れない。棒立ちの私には手馴れた先輩方の身のこなしにただただ感心するばかりでした。「あらー」「やあ、どうも」「おー」と年に一度会う友との再会を懐かしむ声がたくさん聞かれたのも受付でした。会の玄関口「受付」の果たす役割も大きいと感じさせられました。 さて、句会係りですが、代表選から披講・選評に至るまでの道のりは凄まじいものがありました。時代劇でみる手内職の傘貼り屋のごとく、黙々と貼り仕事に精を出し、その傍らでは号外を急ぐかわら版の職人が脇目もふらず刷っている。そんな光景です。投句用紙を振り分け手早くさばいて貼り付けていく傍ら、四台のコピー機をフル活動させて句集を作成。途中、コピー機も過剰労で悲鳴を上げ紙詰まりをおこす。なだめながらの仕事です。句会係りは大会参加者が吟行している間、窓のない部屋でひたすら汗だくになりながら作業に励んでいました。 懇親会も然り。係りが楽しまなければ皆さんのノリがもう一歩。と懸命に笑いを誘う場面がみられました。アシスタントをさせて頂きながらそのご苦労には脱帽です。 初心者マークの私が差し出がましく生意気を申し上げてすいません。しかしながら、会が粛々と滞りなく開催され運用される裏には、綿密な段取りと運営があることを是非お知らせしたく思いました。 来年、また先輩方にお会いできることを楽しみにいたしております。 |
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松島大会句会係奮闘記 |
(松江)池田都瑠女 |
松江白魚火女子会員七名(郁子・ミサ子・裕子・松子・美和子・暢子・都瑠女)松島大会参加のため七月六日午前七時五十分出雲空港を出発―途中四人と三人に分れ、受付と句会係の松子・暢子・都瑠女は午後五時にホテル大観荘入りした。先着の千都江・希世の二人と同室で、栃木の七人と合流、午後五時三十分から青木副主宰及び星田一草、奥田積両氏による説明会があった。 大会初日 七月七日 各係準備 十時三十分 投句箱の用意、係を決める。大会の受付開始が十四時三十分、受付をすませた人が順次出句場所(千代の間)の通路の投句箱に投句する。代表選者の作品は一枚の投句用紙に三句記入したのを集め、所定の用紙に貼付してコピーする。一般参加者のは短冊三枚にそれぞれ一句書き、下部に姓号を書いてA・B・Cの箱に一枚ずつ入れる。係は二十枚毎に束ねて別室に届け、別室では台紙に貼付とコピーが行われた。出句締切十七時三十分、懇親会までの一時間に出来得る限りの作業に没頭した。 大会選者詠集 大会参加者全員分 大会選者による選句用(短冊の姓号を隠して拡大コピーしたもの)代表選者分 選者以外の投句者の投句一覧表 全員分 大会二日目 句会係は吟行に行けずホテル残留、前日の継続仕上げをする。写真撮影、式典が終り、当日の出句の締切が十五時、前日と同じ仕様が迫る。七月七日出句分の代表選が十五時十分から十六時二十分まで行われた。代表選は並選十句と特選三句で、各選者の選句の下に作者名を探して記入する作業、コピーする係と急ピッチであった。披講・選評が十六時四十分から十八時三十分。 大会三日目 七月八日分の代表選が八時三十分開始のため、係は朝食後準備にかかる。選句用紙全投句表の配付。 部屋隅に待機して順次選句用紙を受け取り次の室へ届け、前回と同様の作業をした。十時十分から披講・選評があり、十二時十分に終了し、係の役目も終ったのだった。 今思うに、どこの大会でも客のつもりで参加してきたが、今回は一つの係として参加し、皆さんのご苦労の程が身にしみてわかったことを付記し、来年の島根大会に向けての尽力を惜しまないことを誓って筆を置く。 |
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