最終更新日(updated) 2007.03.05

平成17年度平成17年度 白魚火賞、新鋭賞   
           
      −平成19年2月号より転載
白魚火賞は、前年度一年間(今回の場合、平成18年暦年)の白魚火誌への投句作者の中から、優秀な成績を収めた方に授与されるもので、また、新鋭賞は同じく会員歴が浅い55歳以下の新進気鋭の作者に授与される賞です。
審査は"白魚火"幹部数名によってなされます。   
 発表

平成19年度「白魚火賞」・「新鋭賞」発表
 

 平成十八年度の成績等を総合して右の方々に決定します。
 今後一層の活躍を祈ります。
                           平成十九年一月 主宰 仁尾正文

  白魚火賞
     
奥田 積
     金井秀穂
    横田じゅんこ


  新鋭賞
     杉浦千恵
     計田美保
    吉川紀子

       
 
 名前をクリックするとその作品へジャンプします。

 白魚火賞作品


 奥田 積 

 初  燕

薄氷をとどめし塔の心礎かな
長男次男吾は三男鳥雲に
願かけの達磨百体さくら草
囀れる奥宮酒神祀りたる
橋上を人の行き交ふ桜かな
キャンパスの空を大きく初燕
三姉妹みんな母似の五月かな
長梯子掛けし酒蔵桐の花
みどりさす百の鳥居に百の影
日は海に傾くところ花梯梧
噴水の少女の胸を濡らしたる
夏座敷応挙の描く幽霊図
足湯する知らぬ同士や秋あかね
緬羊のみな啼き戻る秋入り日
交番の大き硝子戸銀杏散る
鵙晴れや射手はきりきり弦を引く
鷹の爪干したる庫裏の外竈
タクシーの昼を灯せる秋出水
瓢の笛吹いて自祝の誕生日
橋梁に灯の点りたる冬の月  


 金井秀穂 

 稲 の 花     

空中の凧につながる一と家族
畦焼の煙大利根川越えて来し
二た村の畦焼く煙重なれり
幾度もお茶入れ替ふる春炬燵
初音とは清しきものよ朝ぼらけ
春耕のみみず幾十暴きけり
整然と箱苗並べ代田澄む
早苗饗の夜の雨音強きかな
爪の泥気にしてをれぬ芒種かな
夏帽子更に目深に野良の妻
旅先で妻に指示する田水守り
機嫌よき青田が迎ふ旅帰り
天守閣へ向けて草矢を放ちけり
雨の日は雨も匂ふや稲の花
一と雨が待てず大根蒔きにけり
こだはりの自家用米の稲架一基
刈田はやげんげのみどり芽生えをり
存らへし蜂を集めて花八手
ねんごろに十指をほぐす柚子湯かな
餅搗くや伝へ継ぐ臼でんと据ゑ


 横田じゅんこ 
 
 口 切 

あらたまの硯に水を満たしけり
雛壇のうしろ空箱など積まれ
両端をつまみうぐひす餅となる
夜桜や騙してみたき人のをり
菜の花や一輌電車浮いて来る
風車まはり始めの逆まはり
形代に書きて我が名を好きになる
噴水の水固まつてより落下
椅子ひとつ足して端居の仲間入り
算数と金魚掬ひが好きといふ
欲ばらぬ高さに開き未草
もう誰もをらぬ花野にゐて一人
竹籠の野にあるやうに秋の草
秋風の中の雀と子の墓と
目玉だけ定かに残す鵙の贄
口切や茶杓にありし節二つ
日表も日裏も笹子鳴き移る
ぼてふりの鰤売り切つて多弁なる
寒卵生まれたてなり濡れてをり
大寒のこつきんとなる膝頭 

 -白魚火賞受賞の言葉、祝いの言葉-

<受賞のことば>  奥田 積          

 伝統ある白魚火賞のお知らせをいただき身に余る光栄です。
 平成十一年に、郷里で母校を同じくする渡邉春枝さんから、全国大会を広島で受けることにしたので手伝ってほしいと声がかかり、伊香保大会に誘われたのが「白魚火」入会のきっかけでした。
 宮島大会の開催に当たっては,当時の行事部長であられた鈴木三都夫先生や広島大会から後を継がれた青木行事部長、大会では、仁尾主宰、安食編集長はじめご来広の多くの方々から熱い励ましをいただき、幸運なスタートが切られたのでした。
 地元では歳を重ねるにつれて頑固さの増大していく身を支えてくださる渡邉さんをはじめ、多くの先輩や句友のみなさんに恵まれ、家にあっては家孫同然の二人の孫娘と理解ある妻が力の源泉です。
 今日あるを仁尾主宰はじめ有縁の多くの方々に厚く感謝申し上げる次第です。まことに有り難うございました。
 常々俳句に親しんでいただける人を一人でも増やせたら、皆さんとも、さらなる楽しみを分かち合えるのではないかと考えて声をかけています。
 平易な言葉で、主宰の提唱される物に託して伝わる句を詠み続けたいと思っています。どうか今後とも変わらぬご指導ご鞭撻をよろしくお願い申し上げます。まことに意を尽くせぬことですがお礼のことばといたします。

  経歴
本  名 奥田  積
生    年 昭和十三年
住  所 東広島市
家  族 妻と二人
俳  歴 平成七年  星入会
     平成十一年 雉入会
           星退会
           白魚火入会
     平成十三年 白魚火同人
     平成十四年 俳人協会会員

〈奥田 積さんの横顔〉   渡邉春枝

 奥田さん、白魚火賞まことにおめでとうございます。こころよりお祝いもうしあげます。 昔のことになりますが、奥田さんは高校の後輩にあたります。また、長男の嫁が高校で教科担当のお世話になったこともあり、因縁浅からざる方です。
 教職を退職された後、平成十一年に広島白魚火会に入会していただき、豊富な経験を生かしての俳句指導はいうまでもなく、句会の活性化や新会員を誘ってくださるなど、広島白魚火が一段と元気になってきていることを有り難く思っています。
 ご自身の句は、またたく間に巻頭、準巻頭をものにされ、四句欄、五句欄に定着されていったのです。 奥田さんは、新しい企画を考えると即実行に移すという方です。その一つが、「天神通信句会」です。兼題をもとに投句されたものを一覧にして配布し、互選選評するものですが、全く初めての人には丁寧な指導もあり入りやすい方式になっています。今年度の新鋭賞の計田美保さんもこちらからのスタートでした。また、市の文化協会と連携しての「ジュニア・ヤング俳句賞」の創設など挙げればきりがありません。最近では東広島俳句協会の事務局長として、市の関連の文化事業にも力を発揮しておられます。 広島白魚火会は、奥田さんに入会してもらったお陰で現在があると言っても過言ではありません。ほんとに有り難く思っております。
 そして、広島に全国大会を招致したことが、こんな華やいだ形で報われたことを心から喜んでおります。関係の皆様に改めて厚くお礼を申し上げます。
 平成十八年二月号 白光集巻頭句
   瓢の笛吹いて自祝の誕生日 積  
 年齢よりずっと若ぶりな彼は、平素ジーパンに野球帽姿で、どう見ても六十台には見えないのです。しかし、お孫さんの保育所の送り迎えや、お勤めの奥さんの帰りの遅い時は家事もこなされるなど、家庭を大切にされる心優しい人なのです。
   長男次男吾は三男鳥雲に 積  
 三男坊であることは知らなかったのですが、そういわれてみると、少し甘えん坊で駄々っ子の片鱗が残っているかもしれません。「鳥雲に」がよく効いてリズム感のある句です。
   灯を消して人の気配や立雛 積  
 お嬢さんは結婚されて、今は二人の子供さんのお母さんです。お孫さんのために飾られた雛でしょうか。暗い部屋の中に、なぜか人の気配がするのです。まるで雛に魂があって今にも歩き出しそうな感じなのでしょうか。「人の気配」が見事な措辞です。
   タクシーの昼を灯せる秋出水 積  
 奥田さんは吟行に強く、人の気づかない所を巧く纏めて得点をさらいます。この句も平明な句ですが,納得させられる一句です。
 これからも、広島白魚火会のため、全国白魚火会のため、ご尽力くださるようお願い致しまして、お祝いの言葉とさせていただきます。おめでとうございました。 


  〈受賞のことば〉   金井秀穂         

 岩いわの佛にそそぐ蝉しぐれ
 掲句は平成四年九月あるグループの研修旅行で、山形の立石寺へ行ったときの作品です。あの日境内にあった投句箱に投句し、すっかり忘れかけていた翌年三月山形市観光協会から、思いもよらぬ佳作入選の知らせを受けた句です。 私は昭和二十六年高校卒業と同時に当地の風交会に入会し、萠尖先生や吾亦紅先生他諸先輩に伍し俳句らしいものを作ってはいましたが、ちっともらちがあかず、家業の農業や地域の役職等の忙しさにかまけて,すっかり俳句の道から遠ざかり,かれこれ三十年近い空白を余儀なくされていたのです。
 そんな矢先掲句が佳作入選の栄に浴したのです。そこで目からうろことでも言いましょうか、何かふっきれたのです。ようしもう一度俳句に挑戦してみようと・・・
 それから再び風交会に入会し、風交会のみなさんは言うに及ばず群馬白魚火の方々そして、仁尾主宰はじめさまざまな方々の御指導をいただき今日に至っているのです。
 ここに私の句の道再出発の原点である拙い句をご披露し、併せて今迄俳句を通して係わったすべての方々に心から感謝申し上げ受賞のことばといたします。本当にありがとうございました。

  経歴
本  名 金井滋之
生    年 昭和七年
住  所 群馬県吾妻郡
家  族 妻(長男夫婦孫三人別棟)
拝  歴 平成七年  白魚火入会
     平成十年  白魚火同人
     平成十四年 みづうみ賞秀作
     平成十六年 俳人協会会員

〈金井秀穂さんの横顔〉    田村萠尖

 結社の最高賞を受けられた秀穂さんおめでとうございます。
 この受賞は,群馬白魚火会のよろこびでもあり、会員の励みともなるものです。
 ここ三年ほど白魚火賞は女性の人達に独占されており,男性側にとってはいささか淋しい思いをしてきました。今回の秀穂さんの受賞は,おとこの意地をみせてくれたことも加わって,一層よろこびを大きくしてくれました。
 秀穂さんは生粋の農業人で,米作りから野菜類の生産に七十才を過ぎた今でも現役として,一人で切り盛りされています。
   白魚火歳時記に
  百姓に定年はなし耕せり秀穂  
  土に生き土に老いたる頬被り同   
  休日を吉日と定め籾を蒔く同   
  稲架を組む手順に家風ありにけり同   
の句があり、また平成十八年五月号の白魚火集巻頭句に
  二タ村の畦焼く煙重なれり
  置き去りの案山子巻き込む畦火かな
の句に見られるように、土に生きる愛着と、誇りを持って農業に励まれる秀穂さんの姿が目に浮かんできます。
 秀穂さんは、米や野菜作りばかりでなく、自家産の材料を使っての農産物加工の技術も身につけています。その一つがしろ瓜の奈良漬で、独特の風味が愛され、農協や顧客への出荷も多いと聞いています。
 こうした技術を身につけることは、物事に集中する気迫と、たゆまざる努力が必要であり、そんな一面をみせてくれたのが,一日一句を平成十七年一月一日から一年間続け、その作品を「一日一句集」として筆書きにし、印刷して親戚知人に送られました。
  初暦ひそかに期する胸の内  (1/1)
  古希の妻に里心なほ女正月  (1/15)
  啓蟄や餌を欲る鯉の口揃ふ  (3/5)
  敗戦忌姉の遺骨の還りし日  (8/15)
  音のして雨降りしきる十三夜 (10/14)
  詠み切りし一日一句大晦日  (12/31)
 こうした一日一句の中からも白魚火集や、白光集へ投句し入選された句も多いものと思われます。
 秀穂さんのもう一つの顔は、野鳥の会に属し、野鳥の探訪に、或るときは野鳥の保護にと活躍され、現在群馬西部地区の役員として後進の指導にあたっています。
 群馬白魚火会の吟行の折など、鳥の泣き声からその生態まで細部にわたって説明され、調法させてもらっております。
 野鳥を詠んだ作品をすこし挙げてみます。
  鶸百羽宙に萌黄のうねりかな
  冬河原動ける影は石たたき
  裏声もて交すささやき春の鵙
  謳ひ上ぐ頬白胸を反らしては
  覗かれてゐるをしどりの睦びかな
  口笛の間の舌打ちや火焚鳥
 以上とりとめのないことを書きつづりましたが、秀穂さんは今が油の乗り切っている最中です。毎月四つの句会へ出向き、精力的に俳句に取り組む姿は高く評価されております。
 今回の受賞を更なる発展の糧として一層の研鑚を期待しております。
 おめでとうございました。

 <受賞のことば>   横田じゅんこ          

 白魚火賞ありがとうございました。身に余るこの大きな賞の御通知を頂いた日の喜びは、一生忘れることはないと思います。
 平生温かな御指導を頂いております仁尾主宰、懇篤に句会を御指導くださる鈴木三都夫先生に、深甚の謝意を表します。また静岡白魚火会の句友の皆様に支えられての句会、吟行などなど一人の力で頂いたものではないと思う時、良きお仲間の皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。正直申しまして、十年余俳句を続けるということは、当初思ってもみませんでした。嫌になったらやめればいいと思っておりました。紆余曲折を重ねつつ、俳句を通して、さまざまな人の心に触れ、自然を享受することを学び、すばらしい俳縁も頂きました。そして、無意識のうちに自分をさらけ出してしまう俳句は、まさに人なりと知りました。たくさんの俳句の中から、活字になった俳句達は幸せだと思います。幸せな俳句達を生み出せるよう精進したいと思います。
 また嘗て月評で私の作品を鑑賞して下さいました先生方、白魚火誌を毎月きちんとお届け下さる編集部の諸先生方に心から御礼を申し上げます。今後とも御指導賜りますようお願い申し上げます。
 ありがとうございました。

  経歴
本  名 横田潤子
生    年 昭和十七年
住  所 静岡県藤枝市
家  族 夫
俳  歴 平成六年  白魚火入会
     平成十三年 白魚火同人
     平成十四年 みづうみ賞秀作
     平成十六年 みづうみ賞
     平成十七年 みづうみ賞秀作
     平成十八年 みづうみ賞秀作

  <横田じゅんこさんの横顔>   笠原沢江  

 じゅんこさん、白魚火賞受賞心からお喜び申し上げます。
 じゅんこさんとのお付き合いは平成六年秋静岡白魚火会(さざ波句会)に入会された時から始まりました。マイカーで小一時間の藤枝市からの出席でした。茶道教授と言う多忙な仕事をお持ちですので、句会との調整もむずかしいのですが、俳句にかける情熱がそれを上手にこなしてきたと思います。
 じゅんこさんは明るさの反面神経も細やかで外に苦労を見せず、見えない所で大変努力をしておられます。又豊かな感受性と鋭い感覚で何事も真正面から取り組まれ、それが作句の面でも随所に窺えます。
  寺ばかり巡りて秋の一と日かな
 平成八年、成人された御長男を病気で亡くされたときの一句ですが、人生最大の悲しみを表に出さないで、思いをここまで押さえて詠まれることに只々感服いたします。
  何故なぜとすぐ聞きたがる蒲公英黄
 御次男の初孫を詠まれたものですが、抑制された言葉の裏に悲しみを癒された安堵感がひしひしと伝わってきます。
  点茶してうぐひす餅を喜ばす
  遠山に春の雪ある風炉かな
 茶道は今年米寿の御母堂に拠るもので、小学校の頃からお稽古に行くお母さんに付いて行っては御菓子を頂くことを楽しみにしていたとか、今は茶道歴四十五年、静岡支部の幹事として西に東に多忙と聞きますし、地元では小学校や公民館でのクラブ指導にも力を入れておられます。小柄で一見ひ弱そうですがバイタリティーを秘めた行動派で、家でのお稽古では手作りの会席料理も振舞われるとか、又美術館巡りも楽しむ等充実した毎日を送っておられます。
 入会後十年目の平成十六年「みづうみ賞」を受賞、前後し二回の秀作賞には目を見張るものがありますし、今年度の誌上成績も
 白光集  五句 六回(副巻頭一回)
 白魚火集 五句 四回(巻頭一回)
の実績が高く評価されての結果と思われます。御本人の喜びはもとより静岡白魚火会にとっても大きな励みを与えて下さいました。
 じゅんこさんは誌友の増加にも積極的で、平成十七年夏、藤枝市に「遊歩句会」を誕生させ、現在五名のグループで自宅の句会場で三都夫先生の御指導を受けておりますが、今後の発展が期待されております。
  贅沢な手ぶらの時間青き踏む
 一寸した手のすいた時を贅沢な時間と感じとる彼女、でもそんな時でも「青き踏む」心のゆとりのあることに安堵もします。
 茶道に俳句に充実した多忙な毎日と思いますが、どうか健康に留意されてこの受賞を機に更に高いところを目指して御精進されることを切にお祈りいたします。
 最後に今年度の作品の中から彼女の豊かな感性を窺わせる数句を挙げさせていただきプロフィールの紹介といたします。
  雛壇のうしろ空箱など積まれ
  子らみんな菜の花となるかくれんぼ
  欲ばらぬ高さに開く未草
  ムツクリの音秋風となりゆけり
  天井も机も四角冬の夜 
     

 
   新鋭賞 
  杉浦千恵

  早 春

早春の便り手渡す郵便夫
穴出でし蛇に山道譲りけり
福耳は父が一番春炬燵
女衆のきびきびと守る花御堂
クレヨンの真鯉に緋鯉五月鯉
地下足袋の男たかんな抱へ来る
此処よりは各駅停車栗の花
万緑やリュックの並ぶ停留所
新涼の山より返る谺かな
朝顔や二軒長屋に大工入る
蛇行して道は一本花野ゆく
新聞の折目揃へて萩の花
縁側にバリカン使ふ菊日和
ねぎらひの言葉さらりと燗熱し
首すぢにねんねこの子の息遣ひ

 計田美保

  独り言

啓蟄やヒールの細き靴磨く
春の虹原爆ドームより立てり
画数の多き君の名クロッカス
マンションの予定地よぎる猫の恋
茅葺きに挿頭のごとく山桜
乗り継ぎて向かふ赴任地花曇
コサージュにかかる涙や卒業子
天道虫宿題の子の遁走す
嫁ぐ子の振り返らざり青嵐
生徒の目かはすつもりのサングラス
留め袖も塞ぎの虫も土用干
缶ビール二十五階の夜のしじま
短日や大人気ないと独り言
何回も礼の練習花八手
割烹着外して拝む初日かな    

  吉川紀子

  鉛筆

ぬばたまの夜の気まぐれ春の風邪
人づての生家のその後彼岸雪
ホスピスを訪ぬる日々や春の雪
せせらぎの癒しのひびき水芭蕉
若竹の伸びしててつぺんやや傾ぐ
釈迦三尊左右の菩薩沙羅の花
一二片はらりと助走牡丹散る
コスモスや励ます言葉選びつつ
一俵の餅米洗ふ婦人会
軒氷柱まだ鉛筆の太さかな
音もなく降り続く闇雪女郎
一夜明け音なく積る雪に住む
数へ日や仮退院を待ちをりし
眼を病みて耳聡くなる雪に寝る
胸中に明日の手筈や葛湯吹く
-新鋭賞受賞の言葉、祝いの言葉- 
   <受賞のことば> 杉浦千恵          

 この度は思いもかけず新鋭賞を戴くことになり、誠にありがとございます。私には身に余る賞なのではないかと、感激と不安の入り混じった思いです。
 平成十二年十二月に浜松社会保険センターの俳句教室に「私にもできるかしら」という軽い気持ちで申し込みました。何をやっても長続きしなかった私がいまだに教室に席を置き、苦しみながら、そして楽しみながら俳句作りを続けております。そして、たまに良い句のできた時の喜びは言葉には言い尽くせません。まだまだ未熟な私ですが、数百年続くこの日本の伝統文化に出会えたことを、今、幸せと感じております。
 仁尾先生、そして良き句友に支えられてここまで続けることが出来ました。皆様に感謝すると共に、これからも一層精進してゆく所存です。よろしくお願いします。
   経歴
 本  名 杉浦千恵(すぎうら ちえ)
 生    年 昭和二十七年
 住  所 静岡県浜松市
 俳  歴 平成十四年一月 白魚火入会

    <新鋭賞受賞者杉浦千恵さんの素顔>    清水和子
 
 千恵さん、新鋭賞受賞おめでとうございます。
 平成十三年一月に、仁尾主宰御指導による円坐C句会が開講し、丸六年が過ぎました。千恵さんは発足以来のメンバーの一人です。
 円坐Cは。浜松社会保険センターの第三番目の俳句講座としてスタートし、月二回、五句投句の講座です。月一回の句会に換算すれば、十二年分に相当します。初心者にとって五句を月二回というのはかなりハードな句作です。千恵さんはじめ誰もが苦労しましたが、その甲斐あって今ではみんな当然のように月十句を投句しています。
 千恵さんは、いつも、にこにこされ、おっとりしていて、とても男の子二人を育てた母親とは思われません。お子様達もすでに成人し、今はご主人との二人暮しです。お二人の仲も睦まじく、度々旅行をされたり、朝の散歩も欠かさずご一緒のようです。
 そのおっとりの千恵さんが、ここ数年、本気で俳句の勉強を始めたようで、めきめき頭角を表してきました。そのような折、今回の朗報です。円坐C始まって以来の快挙であり誇りでもあります。講座の全員で祝福しています。
 万緑やリュックの並ぶ停留所
 柿熟るる里に茅葺き資料館
 花野ゆく馬車はしやんしやん鈴鳴らし
吟行は苦手。と言いながらご主人との旅先での作句が多くあります。これからは仲間との吟行にもどんどん参加し、その場での句作りをもっともっと心がけて欲しいと思います。
 ご両親の愛情をたっぷり受けて育ち、親思い、夫思い、子を思う気持ちの句がたくさんあります。
 福耳は父が一番春炬燵
 縁側の父の籐椅子風渡る
 連翹や母の言葉に嘘はなく
 紫陽花や母に手を貸す坂の道
 寒雀来ては賑はふ母の庭
 真直ぐな秋刀魚選んで夫の皿
 さざんかの道をゆつくり夫のあと
 帰省子にお国訛りのもどりけり
 不器用にネクタイ結び卒業す
 卒業の子と肩並べ歩きけり
 偉丈夫の息子より風邪貰ひけり
 数年前にお父様を亡くされ、その後も折々ご実家を訪ねている千恵さんに、お母様の句が多いのは当然の成り行きかと思います。お子様たちが卒業してからの句をあまり見かけなくなったのは、子離れがすすんだ証しかと思われます。
 いろいろなカルチャーにも忙しい千恵さんですが、最近は句会の行事などに積極的に参加され頑張っています。これからの千恵さんの活躍が楽しみです。ますます精進されますように。
 千恵さんおめでとう、心からお祝い申し上げます。 

〈受賞のことば〉  計田美保        

 俳歴の浅い私が、この度新鋭賞をいただき、恐縮しております。思い返すと、高校生の俳句の大会「俳句甲子園」に出場が決まったときから、私と文芸部員の俳句勉強が始まりました。季語も満足に理解していない私たちを、根気強く導いてくださったのは奥田先生でした。私たちは俳句歳時記を片手に、俳句甲子園での勝利を目指して創作に取り組みました。そして、いつしか勝つこと以上のものを得ることができました。私たちのために尽力してくださる方々のお志や、文芸部の先輩後輩の強い絆に気づいたのです。
 必要に迫られて始めた俳句ですが、奥田先生に勧められ、「白魚火」に入会させていただきました。今回の受賞は、さらに精進せよとの仁尾主宰からのお励ましと思い、これからも学校や家庭での日常を詠んでいこうと思います。
 仁尾主宰はじめ関係の皆様、広島白魚火俳句会の皆様、今後ともご指導の程、よろしくお願いいたします。
   経歴
  本  名 計田美保(はかた みほ)
  生    年 昭和三十二年
  住  所 広島県東広島市
  俳  歴 平成十五年 白魚火入会
       平成十八年 白魚火同人 

<新鋭賞受賞者計田美保さんの素顔>   奥田 積

 計田美保さんとは、以前に一年間ほど職場を共にしたことがある。五年ほど前に、退職している私の所へ、松山市で開催される「俳句甲子園」に出場が決まったので、生徒の俳句を見てほしいという依頼の電話があった。私は勿論喜んで出かけて行ったのである。
 美保さんは、それから四年連続でこの大会に生徒を引率し、大会優勝の東京開成高校とほぼ五分に渡り合わせたほどであった。個人賞では、毎回優秀賞を獲得している。
  長き夜十七歳を脚色す生徒作品  
  熱帯夜白紙のままの進路票生徒作品  
 十八年春には有数の進学校へ転勤となり、遠距離通勤となったが、ここでも、全国高校生の大会で優秀賞の入賞作品を生んだ。
  風花や言葉交わさずすれちがう生徒作品  
  花冷えや点数上がらぬ再テスト生徒作品  
 俳句に限って紹介したが、詩歌・小説・部誌部門でも成果をあげ、全国大会に駒を進めさせる指導力の持ち主なのである。
 こんな紹介をすると、厳しい教師像を抱かれる方があるかもしれないが、クラブの生徒評では「計田先生といえば、のろけ話かな」と、とても親しみのある存在のように見受けられる。
 美保さんに、折角だから、生徒に取り組むうえからも一緒に俳句を楽しもうと「白魚火」への入会を勧めた。その初投句を、故田口一桜先生が、早速「百花寸評」に採り上げてくださった。
  ワイシャツのひときは白き休暇明け 美保  
 『「ワイシャツのひときは白き」と、感ずる本人の身の明るさを感じさせます。夏のとどこおりを打ち開く、「休暇明け」が白を生かしました』(十六年二月号)と。美保さんその人を的確に把握した評言であった。一桜先生には、続いて六月号でも同欄で励ましを受けたのである。 
  引き出しにまだ着ぬセーター年の暮 美保  
 一桜先生に、今日の受賞を先ずもって報告しなければなるまい。
 美保さんには、ワイシャツの句のように愛する夫君をはじめ家族や生徒との関わりを詠んだ句が多いが、繊細な女心の哀歓がほの見える句に真骨頂が窺がえるように思う。
  観劇のチケット二枚髪洗ふ
  指相撲取りて夫との端居かな
  強がりを悔やみ始めり月見草
  帰り花少し迷うて女坂
  画数の多き君の名クロッカス
  啓蟄やヒールの細き靴磨く
  缶ビール二十五階の夜のしじま
 次の大会では、明るい美保さんをとくとご覧あれ。

  <受賞のことば>  吉川紀子          

 思いもかけない受賞にいまだ信じられない気持ちで一杯です。
 私は、若い頃、マンガ「ハーイ!あっこです」(みつはし ちかこ作)を読んで、その中に登場する、俳句を嗜み、おしゃれで品のいい主人公のお姑さんが好きでした。俳句のはの字も知らない私が、なぜか『将来はこんな素敵なおばあちゃんになりたい……』と漠然と思っていたのでした。
 そしてつい四年前、仕事先で平間純一さんに俳句を薦められ、このマンガの話をすると、「それは、今すぐ始めないと、その憧れのおばあちゃんにはなれないよ……」と言われ、坂本タカ女先生を紹介していただきました。
 タカ女先生にお会いして、私は、ビビッときました!なんと私が、理想としていた女性像そのものだったからです。それからはもう、タカ女先生はじめ、旭川白魚火会の皆様に出会えた嬉しさに俳句もよく分からぬ中、毎年全国大会にも参加させていただいております。未熟者ですが、一歩づつ精進していきたいと思います。本当にありがとうございました。
   経 歴
 本  名 吉川紀子(よしかわ のりこ)
 生    年 昭和二十六年
 住  所 北海道旭川市
 俳  歴 平成十四年五月 白魚火入会
      平成十八年十一月 白魚火同人   

<新鋭賞受賞者吉川紀子さんの素顔―北のイベント部長>  平間純一

 平成十六年九月、京都で開催された白魚火全国大会の折の余興で、「あこがれの郵便馬車」の曲に乗って、看護婦長に扮した坂本タカ女先生を先頭に、北の白魚火の連中が唄い踊り、会場の皆さんの席へポストカードを配ったことを思い出していただけるでしょうか?
 紀子さんはその出演者一同が扮する役のあらゆる衣装、馬のぬいぐるみ等を準備、会場のホテルへ発送手配をする等、一手に引き受けてやってくれた。又出発前には、例句会の後参加者を集め振り付けの指導をする等、その手際の良さには一同感心したものである。「いつもボランティアで慰問したりするので慣れていますから」と淡々としている。以来彼女は「北のイベント部長」と呼ばれ頼りにされるようになり、その力量は浜松大会に於ても発揮された。今ではそのイベントが私たちにとって全国大会に参加するもう一つの楽しみとなっている。
 紀子さんが初めて全国大会に参加したのは、入会一年後の旭川で開催された大会で、その折も花飾りの手作りの花を美しく飾った帽子を被ってのバスガイド役で、裏方として大いに活躍してくれた。その大会の折
  青葉木莵神の集ふ笹小屋の森 紀子 
の句がいきなり仁尾先生の特選に入り、嬉しそうに会場に響き渡る大きな声で名乗りを上げたことは、私の記憶に新しい。
 いつも明るい紀子さんであるが、俳句を始めた当初は月二回の句会では、なかなか名乗りを上げることが少なく「私には俳句の才能が無いのかもしれない。やめようかしら」と私に洩らしたことも会ったが、何事にも真っ直ぐに真摯に向き合う性格はある日、「私は私。ゆっくり楽しんで行けばいいのね。」と。以来いつも変わらぬ明るさで句会に顔を見せるようになった。それからは「対象に時間を掛けて、じっくりと見つめるわ!」と彼女らしく語ってくれた。
  一二片はらりと助走牡丹散る 紀子  
庭の草取りをしていて、ふと美しい牡丹に目が留まり、ニ三十分じっと牡丹を見ていて「助走」と言う言葉を授かったとのこと、写生の大切さを学んだのではなかったろうか。
  ホスピスを訪ねる日々や春の雪 紀子  
  コスモスや励ます言葉選びつつ 紀子  
紀子さんには札幌のホスピスに入院している妹さんがいて「妹が私を待っているの」と足しげく見舞いに行かれる。
  一俵の餅米洗ふ婦人会 紀子  
主婦として手抜きはしないであろう紀子さんは、ボランティア活動は勿論、町内の婦人部の役員もいやとは言えない性格で引き受けてしまったと笑って話してくれたが、一時は疲れが出たのかドクターストップがかかって伏せることもあった。
  眼を病みて耳聡くなる雪に寝る 紀子  
じっと寝ていられない紀子さんが見えるようである。
  胸中に明日の手筈や葛湯吹く 紀子  
元気になるともう明日の手筈を整えての、まさに八面六臂の活躍でそれを笑顔でこなしてしまう。
 受賞の言葉に憧れのおばあさん像のことを書いているが、そんな夢を早くから持っていた紀子さん、持ち前のバイタリティで夢に向かって走り続けてください。

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