最終更新日(updated) 2006.08.29 |
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白魚火平成18年9月号より転載 | |||
期間:平成18年6月24・25・26日 於:浜松 ホテルコンコルド、吟行地: 奥山方広寺 |
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梅雨晴れ間の浜松を詠む |
(北見)金田野歩女 |
六月二十三日、それはJR千歳線乗車と同時に始まった。恵・比・寿・席題三句、出題者は東京の青葉さん。携帯電話という利器(すぎる?)のなせる技。五嶋休光さん・吉川紀子さん、浅野数方さん、奥野津矢子さん、小林布佐子さん、西田美木子さん、野歩女の七人は新千歳空港に着くと早々に搭乗手続をすませ、出発ロビーで輪になって早速第一回句会です。 薔薇の花今日の運勢恵まれて 青葉 比べてはならぬ俳句や独歩の忌 数方 花あやめ先の四角き長寿箸布佐子 浜松のホテルのロビーで坂本タカ女先生、安田青葉さんの東京からのお二人と合流です。浜松の街並を楽しみながら散策して夕食は美味しい和食・冷酒・ビールを頂きました。わけても特大の生牡蠣は一ケを四つに切ってありましたが、その一切れが厚岸産の二年物位の存在感、舌がとろけました。 こゝで第二回句会 追ひかけて来る女坂花柘榴 タカ女 ゆつくりと沖ゆく船や今年竹 休光 手の中に茶の実ころころ芙美子の忌 津矢子 仰ぎ見る花石榴見る城下町紀 子 六月二十四日、観光バスに乗り吟行へ出発です。浜名湖遊覧・奥山方行寺・竜ケ岩洞窟・庭園の美しい龍潭寺を巡りました。どこへ行っても俳人は好奇心旺盛、あちらこちらに立止り、寄り道でいつもツアーのしんがりです。遅い、おそおい、おそ―い。 直売所では、見事な実梅に主婦の習性がビビッと反応して自宅へ宅配便に、美味しい梅干し作って下さいね。 ◎浜名湖 夏湖に濃き航跡の孤を描く 休光 航跡をなぞる眼差し涼しかり 青葉 ◎竜ケ岩洞窟 石筍の七福神や風涼し 美木子 洞窟の水のこだまや蚊喰鳥 布佐子 ◎方行寺 石積みて仏となせり木下闇 タカ女 香を焚く若作務僧の日焼顔 数方 おほかたは笑まひ羅漢や白四葩 津矢子 ◎龍潭寺 老鶯や落書享くる釈迦の胸 紀子 白鯉の尾鰭の叩く心字池 野歩女 ホテルに帰着すると小林さつきさんと合流、これで十名勢揃い。いよいよ大会です。 第一日目は、受付・総会・前夜祭。全国各地より誌友・同人二六〇名の参加で、文字通りの大会となりました。旧知の方と手を取り合ったり、あるいは、今年新たな出合いでお知り合いがふえる等々楽しい幕開けとなりました。 しかし、我々はそれだけで一日は終らない。夜九時すぎより第三回目の句会が待っています。 青葉風石を枕に寝る羅漢 数方 浜名湖の朱夏混沌とさざれ波 津矢子 枯山水わづかに湿る半夏生 さつき 花南天五百羅漢の一人づつ 青葉 老鶯や庫裏に貼られしメニュー表 布佐子 花榊鶯張りを鳴かせをり 美木子 滴りや石筍に鳴るドレミファソ 休光 夏鶯五百羅漢の背に鳴けり タカ女 紫陽花やばかけつこいてふ誉め言葉 紀子 捩花や園の北門南門 野歩女 存分に句会を楽しんで大会第一夜の眠りにつきました。 六月二十五日 バス六台で仁尾先生の句碑のある方行寺へ。前日同じ場所へ行ったのですが、ツアーだったため、句碑にはご対面できませんでしたので楽しみに出かけました。 パラパラと落ちていた雨も、歩いているうちに上り、梅雨の時季というのに、滞在中殆んど雨にあわずという幸運でした。 先生の句碑はどっしりと存在感があって、先生のお姿を彷彿とさせてくれます。 衣手を押へ灌仏し給へり 正文 先生を囲んで次々と記念撮影。勿論私達も。参道は紫陽花が美しく咲き乱れ、五百は越えるであろう羅漢様は様々な表情で、様々な仕草で私達を迎えてくれました。 夜は懇親会、各地からの出し物もあって賑やかでした。私達は紀子さんの発案で「青い山脈」を美木子・数方・休光の歌で、あとの人は躍りで(何ともきらきらした衣裳) 宴散会後はホテルに隣接する城山公園へ蛍を見に出かけましたが、時間が遅すぎたらしく姿を見せてくれませんでした。そのうえ蚊に刺されのおまけつき。 ホテルに戻り、数方さん、布佐子さんのお部屋へおじゃまして、北海道勢十人の懇親会となりました。 六月二十六日 タカ女さんと私は午前八時三十分より代表選へ。他の方は講演会、とても良い講演だったそうです。 特選を頂いた人も頂かなかった人も、みんなの俳句は素晴らしい。自信をもって俳句の道を歩みましょう。 俳句漬けの浜松の旅、こんな時間を共有出来る幸せをしみじみ有り難いと思います。家族に感謝、仲間に浜松に感謝! 閉会と同時に北海道に帰る人、久しぶりに娘の家族に会いに行く人、もう一日残って浜松を楽しむ人と夫々であったが旅の無事を北海道での再会と益々の健吟を祈って散会としました。 |
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東海道新幹線記 |
(唐津)諸岡ひとし |
六月二十四日朝、男二、女四計六名は浜崎駅を出発した。乗換え駅は博多と名古屋。旅馴れない者にとっては乗換えは不安である。 弁当は博多で買うか、車内で買うかひとしきりもめたが、博多の駅で買うことに決定。乗車ホーム三階へ。改札は自動である。乗客は次々に先を越して行くが、我々一行の特急券は一枚きりで、団体行動をとらねばならぬ。 乗車位置にここでももたもたするが無事「のぞみ」の指定席に落着く。一人が弁当を開くと連れの食事。乗換え駅無事到着。全員下車。次は「ひかり」に乗車の予定。 発車時刻案内板を見た一人が、「同じ『ひかり』で二十分早発の『ひかり』がある。」と云うので、一行は何の疑いもなく乗車した。次の下車は目的地浜松の筈であった。然し安堵は束の間、この「ひかり」は浜松に停車しないことが判った。次の豊橋で下車しない限り、新横浜まで直行するのである。 駅で指示されたように、二十分間待ち合わせの「ひかり」でなければならなかったのである。仕方なく豊橋で下り各駅停車の「こだま」に乗換えた。 二十六日は昼食後解散である。仁尾主宰の講評が終ったのは十二時を廻っていた。帰りの時刻表では浜松発十三時〇一分である。食事、駅までの時間等猶予はない。 壇上の水鳥川先生に手招きで合図したが通じない。一行の女性達を急がせ、挨拶もそそくさとホテルを後にした。 駅でわかったことは、最初の計画表をゆとりをもたせる計画に変更されていた。 神経を使い過ぎて眠気がさして来た。 夕食は車内弁当で済ますことになった。売り子さんに代金を払おうとしたら、女性四個で売切れ。仕方なく男性二人は広島弁当。 先に食った女性からは私たちの弁当が旨そう、と。 |
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出会い・いくたび |
(京都)斉藤 萌 |
二十四日の朝、姉と浜松駅で待合せ、井伊家の菩提寺・龍潭寺へと向かった。御陵道の深い夏木立を抜けて庭に入ると、夏椿の落ちる幽かな音さえ聞こえるようだった。そこここに咲く紫陽花が丁度見頃で、青色が実に瑞々しかった。水がきれいなのだ。山葵の栽培に適した土地ならではの事だろう。さすが愃平さん、香織さんの一押しの地である。帰りがけにきよ先生と岐阜の方々にお逢いした。「いい所ですよ」と繰り返してお別れした。 午後は佐野の真知子さんと待合せの予定があるので、バスで再び浜松駅へ。三十年振りの再会である。お互いに年は取ったけれども大して変ってはいないと思った。三人揃ったところで犀ケ崖へ。かつて三方ケ原の古戦場だった所で資料館を併せ持つ。私達の直前にも句友達が訪れたようだった。映像を交えて親しみ易い説明があり、案内はバス停にまで及んだ。街中にこのような深い崖が残されている事に驚く。元々は数十メートルの深さがあったが、今では十数メートルとの事であった。時間の余裕がないので大急ぎで回りホテルへ。部屋で本日の三句を書き上げ出句。 「俳句大会に一度出ると楽しくて病みつきになる」と以前青葉さんが本誌に書いておられたが全く同感。親しい句友に再会でき、更に親しい人の増える楽しみは俳句大会ならではの事だろうと思う。その旧交を暖める場の一つが懇親会である。照明を落して、遠州大念仏を登場させ、会が始まった。鉦鼓と笛の響く中、深編傘の男達のしなやかで力強い踊りは、魂を揺さ振り胸深く沁み込んで来るようだった。見応え聞き応え充分であった。 今年は幾つかの新しい試みがあったのだが、最終日の講演会もその一つ。万葉集を取り上げて、独特の節回しで歌うおまけもついて分り易く楽しめた。「籠もよ、み籠もち―」の旋律が今も耳に残っている。プロポーズの歌だという事だった。遠い昔の人々もこうして詩歌を通して様々な出会いや別れを重ねて来たのだと思った。 閉会後は浜松の句友達の笑顔に送られた。そのアーチの終りに主宰のゆったりした笑みがあり感激。青木先生始め役員の方々に感謝しつつ、来年も是非参加したいと思った。次の松島では時あたかも星合い、今から大いに楽しみである。 |
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