最終更新日(updated) 2006.03.05 

平成17年度平成17年度 白魚火賞、新鋭賞   
           
      平成17年2月号より転載

白魚火賞は、前年度一年間(今回の場合、平成16年暦年)の白魚火誌への投句作者の中から、優秀な成績を収めた方に授与されるもので、また、新鋭賞は同じく会員歴が浅い55歳以下の新進気鋭の作者に授与される賞です。
審査は"白魚火"幹部数名によってなされます。   
 発表


平成17年度「白魚火賞」・「新鋭賞」発表

 

 平成16年度中の成績等を総合して下記の方々に決定します。
 今後の一層の活躍を祈ります。

      平成十七年一月 主宰 仁尾正文

  
  白魚火賞
     浅野数方
     渥美絹代
    坂下昇子

  新鋭賞
     谷山瑞枝
     中山雅史


   (あいうえお順)
 名前をクリックするとその作品へジャンプします。

 白魚火賞作品


 浅野数方 



 遊 歩 道

 しゆるしゆるとホースの水や春日向
 空あたたかく十字架の楽しさう
 水温む海に片手を泳がする
 桃の花喩しむ袱紗さばきかな
 北辛夷オホーツクにも屯田兵
 谷地蕗のやすらふアイヌ資料館
 捕りたての真烏賊に鳴かれ吸ひ付かれ
 烏賊簾海どこまでも青くあり
 海に着くまでじやがたらの花続く
 玉葱の抜かれて三日匂ふかな
 熊彫りの材を煮詰める夏炉かな
 藍に手を染めタ凪にしぼり解く
 八月尽不作予報の出始むる
 島見ゆる日も見えぬ日もカンナ咲く
 色鳥の来てゐる島の遊歩道
 新聞の切り抜きたたむ文化の日
  雪螢小さき鳥居をくぐりけり
  大綿の湧く神殿の能舞台
  文学の林落葉をためゐたる
  帯揚げの色の決まりて初鏡


 渥美絹代 



 万 の 鴨     

 囀の中の林業試験場
 盧の角舟の通りしあとの波
 老鶯や窓開けてある警察署
 本流の濁れる鮎の解禁日
 薫風や合唱団に僧一人
 大寺に大工の通ふ立葵
 涼み舟ナックルフォアに追ひ越され
 遊船の波鳰の子に届くなり
 ひとところ畦を通れる盆の道
 少年は振りを小さく踊りゐる
 機音の届く紫式部の実
 鞍馬口山椒色づきつつありぬ
 雁渡し庫裏より風呂を焚く煙
 幟竿倒す黄葉の枝に触れ
 柴折戸に挟む夕刊石蕗の花
 大銀杏散り尽くしたり忌を修す
 注連作るとほくに湖のひかりゐて
 数へ日の参道濡らし水運ぶ
 獅子舞の一行路地に入りゆける
 万の鴨来てゐる湖の夕日かな


 坂下昇子 



 寒 牡 丹 

 犬ふぐり春立つ日まであと三日
 青海苔の簀を剥がれんと持ち上がる
 紅梅と白梅空を分かち合ふ
 風過ぎて梅の香りの残りをり
 波頭崩るる先の若布を拾ふ
 小流れに鍬浸しある雨水かな
 蘆の角風まだ尖りをりにけり
 花楓風のやさしくなりにけり
 幹に耳当てて声聴くブナ若葉
 風少し出てあめんぼの騒ぎけり
 噴水の押し上げてゐる空真青
 雲の峰動けば空の動きけり
 曲るたび崖をはみ出す登山バス
 夏の霧お花畑を見せ惜しむ
 西瓜食ぶいつもと違ふ貌をして
 盛られたる木の葉の皿の木の実かな
 かいつぶり潜きしままとなりにけり
 囲はれて影を持たざる寒牡丹
 ひと声をかけたくなりぬ寒牡丹
 落ちさうな下弦の月や除夜詣

 -白魚火賞受賞の言葉、祝いの言葉-

 
受賞のことば
  浅野数方

 「誠意と情熱そして笑顔」をモットーに,振り返ることもなく暮らしてきました。十八歳から始めた俳句は「日記変わりにマイペースで肩に力を入れず」続けてきました。 しかし休むこともしばしば。でも「絶対止めないぞ」「いつかは一生懸命取り組みたい」と自分に言い聞かせながら,平成九年。今まで培った地域活動等を御破算にして,夫の転勤に付いて歩くことを決心しました。
 新天地で私に残ったのは俳句でした。一人でも出来る俳句ですが,私には郵便句会「実桜」の仲間がいました。肩を押して貰い手を引っ張って貰い,俳句を作る情熱を学びました。白光集・白魚火集・みづうみ賞に挑戦する楽しさ。吟行俳句の醍醐味。歯に衣きせない議論。どれをとっても刺激的な最高の仲間です。
 また,旭川・函館白魚火会の句座に参加し,勉強させて頂いています。暖かく受け入れて頂き,感謝してお礼申し上げます。
 この度の白魚火賞の受賞は,身に余るもので,責任の重さに身の震える思いです。新たなスタートとして,仁尾主宰をはじめ先輩諸氏の俳句を学び,一層の努力と勉強をして参ります。これからも御指導賜りますようお願い申し上げます。
 有り難うございました。


    経  歴

 本  名 浅野和恵
 生    年 昭和二十四年
 住  所 北見市
 俳  歴
   昭和四十三年 北電職場句会
          で藤川碧魚先生の御指導を頂く
   昭和五十三年 白魚火入会
   昭和五十九年 実桜郵便句会
          創刊により入会
   昭和六十一年 白魚火新鋭賞
          白魚火同人
   平成十四年  みづうみ賞佳作


白魚火賞受賞者、佳き友・句敵・数方さん  金田野歩女


 平成十六年十一月三日朝,浅野数方さんよりお電話。三日前実桜句会一泊吟行会でお会いして来たばかり。粗忽者の私はとっさに何か忘れ物でも?と思いましたら,「白魚火賞頂けるそうです。どうして私なのでしょう?」と嬉しいお話。おめでとうの前に万歳を叫んでしまいました。「それは実力でしょう!!」と私。
 京都での全国大会で仁尾先生は私達に「どうして俳句を作るのか?」と難しい質問をされました。色々想いを巡らせましたが、先生のお答えは単純明快、「巻頭を取る為です。」と。数方さんは平成十六年その白光集巻頭を二度も頂いているのです。仁尾先生をはじめ、選考の先生方は実力を認めて下さったのだと思います。
 旭川での全国大会では、披講に、選者の先生方の出詠句の清記に、と大いに句会を盛り立ててくれた数方さんの、俳句との出会いは三十数年前の北電職場俳句会にその端を発しています。出身校の先輩に白羽の矢を立てられての入会、十代の頃より俳句に親しんで来ました。
 夫々結婚等で離ればなれになり、自然消滅していた句会を再開しようと、故藤川碧魚先生にご指導を請い、前出の先輩桑島木綿子さん(残念ながら退会)と私とで郵便句会の素案を作り,そこに数方さんは奥野津矢子さんと共に呼び出されました。昭和五十九年二月、四人での発足。翌月には三浦香都子さん、西田美木子さんも加わってくれました。今迄多くの仲間を頂き、少なからぬ仲間が去り、更に手厚いご指導を頂きました碧魚先生を、黄泉の国へお送りする、等変遷を重ねて来ました。が数方さんはこの二十年俳句への情熱と厚い友情で、実桜句会の中心にいてくれる頼れる仲間です。 高校教師のご主人に従って旭川,苫小牧,室蘭,夕張,江差,北見と転居していますが、その先々で地元の方々との交流を大切にし、その地の文化に積極的に触れようとする姿に頭が下がります。
  春浅し昭和のにほふキネマ街     数方
  追分の師匠は漁師青葉潮
  藍に手を染め夕凪にしぼり解く
 こゝ数年はお慶び事が多く、お二人のお子さんの結婚,お嬢さんの出産と嬉しい忙しさも加わっています。
  雛飾る子の嫁ぐ日を数へつつ
  子の抜けし戸籍謄本初時雨
  くわつと口開けて乳吸ふ薄暑かな
 実桜句会の一泊鍛練吟行会は始めて三年になりますが,提唱者は数方さん。初めての年,日程お宿等企画交渉の全てを引き受けてくれました。向う岸が見える小さな沼に五万五千羽の雁が,早朝空を低くして一斉に翔び立つ様に,生き物のエネルギーを五感で浴びる事が出来,一同「俳句をやってて良かった!! 数方さん有難う!!。」
  雁帰る蝦夷雲上のあさぼらけ
 二十名足らずの俳句学習集団は,誰もが句敵そして仲良しです。数方さんの受賞に皆大喜び。加えて「みんな益々張り切っちゃいます。」の声々。数方さんご自身は元より、仲間達の更なる飛躍への導火線になってくれたと思います。白魚火賞受賞おめでとう。
  実千両ほぎの言の葉迸る     野歩女
  

 受賞のことば  渥美絹代

 白魚火賞ありがとうございます。お知らせをいただきました時は,本当に私でよいのだろうか,という戸惑いが先に立ってしまいました。今は嬉しさと,賞の重さの両方を感じております。
 子育ても一段落した十年ほど前,「天竜に俳句の会を作ってみないか」,という両親の勧めが俳句へのきっかけでした。「来た話には乗ってみよう」という軽い気持で始めた俳句でした。ところが,俳句に出会ったことで,仁尾正文先生という師に恵まれました。幸運としか言いようがありません。仕事と家事しかなかった私にとって,俳句によって広がっていく世界はとても新鮮でした。今,句を読み返してみますと,句会や吟行会での師のことばが思い出され,改めてありがたいことと感じております。平凡な人生の中で得た俳句という財産,この財産を大切に年齢を重ねていきたいと思っております。
 末尾となりましたが,御指導いただきました仁尾主宰,諸先生方,浜松白魚火会の皆様に感謝とお礼を申し上げます。そして最後に,いつも暖かく励まして下さいました天竜白魚火会の皆様,「ありがとうございます。」自分一人では到底続けることのできなかった俳句です。


    経  歴

 本  名 渥美絹代
 生    年 昭和二十五年
 住  所 静岡県天竜市
 俳  歴 
     平成六年 白魚火入会
     平成九年 みづうみ賞秀作
     平成十年 新鋭賞
     平成十年 白魚火同人
     平成十年 静岡県芸術祭 俳句の部芸術祭賞


渥美絹代さんのこと
  植田美佐子
  

 渥美絹代さん白魚火賞の受賞おめでとうございます。
 絹代さんは,昭和四十七年大学の教育学部を卒業し,小学校の教員をしておりましたが,翌年渥美尚作さんと結婚されました。以後家事,育児,家業の経理などで忙しくしていました。
 平成六年,実父で当時浜松白魚火会の重鎮だった河合萬平様の肝入りで天竜市に白魚火の句会が生まれました。指導者には仁尾主宰(当時は白魚火集選者)。句会での成績はいつも良く,平成九年には早くも「みづうみ賞」秀作賞を受けられました。平成十年には「新鋭賞」を,同年,静岡県芸術祭俳句部門で芸術祭賞を受賞されました。この県の芸術祭賞は,五句一組で応募者数百人の中の第一位という事です。
 このように早い時期から頭角を表し,平成七年の当時浜松天竜合同句会では
  囀や大黒天は二頭身
  平成十六年の同大会では
  囀の中の林業試験場
が主宰の特選になっています。季語を同じくして,初期の頃の着眼の良さ,昨年のスケールの大きさに感心するのです。
 絹代さんは白魚火平成十一年一月号より十八ヵ月,毎月二冊の句集を精読し,「今月読んだ本」を連載執筆しました。平成十六年二月号からは「現代俳句を読む」を連載執筆しております。いずれも眼識により佳句秀句を抽出して的を得た鑑賞をしております。結社内外からも高く評価,殊に採り上げられた俳句作家から礼状を,中には句集を送ってくれることもあるとのこと,彼女はそれを宝の如く所蔵しております。俳句作家は俳句だけでなく,評論も書けなくてはいけません。
 彼女の努力に拍手を送り,業績に敬意を表します。又昨年の白魚火京都大会でも二日間にわたり,選句稿の披講をされ讃辞を受けたと聞いております。
 天竜白魚火会の句会は,平成六年三月以来ずっと休むことなく渥美家で行っております。
 ご主人の尚作さんは,平成十四年「新鋭賞」を受賞し,このご夫妻の二女の志保さんは今二十六歳ですが大学入学より入会し俳歴は既に八年になります。ご家族三人が俳句で競い合っている大変うらやましい環境にあります。尚作さんが車を運転し,家族で各所に吟行されています。特にご夫妻水入らずの吟行も多く,京都明日香や,中部各県各所に足を伸ばしておられます。
  いにしへの宇陀の安騎野の薄かな
  陵と拝所鴨の堀へだて
  蔀戸を燕が掠め奈良井宿
  村人と車座となり五加木飯
また古典への憧憬が強く
  令法咲き古事記講座の初回かな
近隣の郷土芸能や神事仏事もよく出掛け
  火祭や天狗出さうな風の起き
  巫女の筆借り形代に名を入れる
  一夜経て幣の黄ばめる花神楽
  開帳仏に感嘆の声しづか
等々の作品を残しています。
 また昔から好きだったという水彩画教室にも通い天竜市の芸術祭美術部門では,出品するたび賞を受けておられます。
 絹代さんの更なる発展を切に祈り筆を置きます。

 
受賞のことば  
坂下 昇子

 深み行く秋の夜,電話のベルが鳴りました。それは白魚火賞決定の知らせでした。びっくりして何とご返事をしたか定かではありません。間違いではないかと暫くは信じられませんでした。
 日が経つにつれ,喜びと共に身の引き締まる思いが募って参りました。
 日頃より温かいご指導を頂いております仁尾正文主宰をはじめ,俳句など全く作ったことのなかった私を熱心にご指導下さった鈴木三都夫先生,陰になり日向になり励まして下さった句友の皆様に心より感謝申上げます。
 友達に誘われるままに入会して八年,俳句が分からなくなって途中で止めようと思ったこともありましたが,その都度先生から適切なご指導を頂いたり,句友の皆様から励まされたりして今日まで続けることができました。深くお礼申し上げます。
 俳句は難しくてまだまだ分からないことばかりですが、これからも一つ一つ自分のことばを捜しながら努力して参りたいと思いますので、今後共ご指導下さいますようお願い申し上げます。


    経  歴

 本  名 坂下昇子
 生    年 昭和十六年
 住  所 静岡県榛原郡榛原町
 俳  歴 
     平成八年  白魚火入会
     平成十三年 白魚火同人

   
 坂下昇子さん,その横顔  桧林ひろ子
  
 この度の坂下昇子さんの白魚火賞受賞,心からお慶び申し上げます。静岡白魚火会としては松田千世子さんに続く三年ぶりの受賞となりました。御本人はもとより当会にとりましてもこの上もない慶びの年となりました。昨年は台風,地震等々悲しい出来事が重なりましたが,十一月に入り姫宮様の御婚約のお目出度い動きもあり,明るい日差しも見えてまいりまして,筆を取る手も弾みます。
 昇子さんは平成六年,お母様の介護のため三十年間勤められた教職を退かれて家庭に入られました。その後友人のお勧めで白魚火(さつき句会)に入会され,介護の傍ら俳句にとり組んでこられましたが,平成十四年にお母様が他界され,又御主人様も小学校校長職を退かれてからは,俳句に対する深い御理解のもとに一段と俳句の研鑚に努められ,入会後八年というスピードで結社賞を受けられましたことは,豊かな感性によるとは申せ日頃の精進の賜と敬服いたします。
 彼女の著しい進境ぶりを,ここ一・二年の白魚火誌上で見ますと
 平成十五年度
   白魚火集―巻頭一回,五句入選五回
   白光集 ―五句入選四回
 平成十六年(十一月現在)
   白魚火集―副巻頭一回,五句入選六回
   白光集 ―五句入選八回
まことに目を見張るものがあります。
 次に彼女の横顔を別に自選された最近の作品二十句の中から探ってみたいと思います。  噴水の押し上げてゐる空真青
 勢いよく昇る噴水を水の昇りきった一点と,その上の青空で捉えた写生の目,水柱が空を押し上げていると感じとるまでの凝視と言葉の選択,表現の独自性。
  雲の峰動けば空の動きけり
 むくむく膨らみながら移ってゆく夏の雲,じっと見ていると動くのは雲なのか空なのか一瞬錯覚します。眼前の大景に負けないでそれを「空が動いた」と感じとつての一句  かいつぶり潜きしままとなりにけり
 たった十七文字でしか物の言えないことを逆手にとって,一つだけ述べてあとは省略してあります。浮んでこない広々とした水面だけを見せて,他の景は読んだ人の想像にまかせてあります。その潔さ。
  囲はれて影を持たざる寒牡丹
 藁苞の中で咲かせている寒牡丹。そのひ弱さを詠もうとした句と思いますが,それを「影を持たざる」という具象で表現したところに独自性がうかがえます。前三句とは一味違った,作者の持つ作品の幅のようなものを感じた一句でした。
 以上,ほんの一面でしたが作品を通じての紹介といたしました。昇子さんは現在静岡白魚火会の行事担当として,年間の吟行等の計画,実行の役をお願いしておりますが,会員の信望も厚く益々の活躍が期待されます。
 俳句に頂点はありません。今回の受賞を一つの通過点として更に高いところを目指していただきたいと思います。
 昇子さん お目出度うございます。

   新鋭賞 
 

 谷山瑞枝


   麺麭生地

 烏骨鶏放たれてをり蒙古風
 算盤を弾いてみたる日永かな
 トラックの縦列駐車今年竹
 リハビリの機具に結びし笹飾り
 麺麭生地の膨らみてきし日の盛り
 消防の模範演技や土用東風
 夏野菜たつぷりのせてピザ届く
 住職も正座は苦手盆供養
 新涼や一面記事の金メダル
 渡月橋秋風の乗る人力車
 枡酒の飲み口は何処秋まつり
 草紅葉かさついてきし足の裏
 チェロの音に奏者も酔へり山眠る
 初雪の予報通りやすぐ解くる
 母留守の秒針の音凍てついて



 
 中山雅史

   びんた制裁

 木菟の鳴けば樹液の流れゐる
 白菜を抱へしままに子を叱る
 朽ち臼の雪を貯めゐて春を待つ
 飲食の器は小さき涅槃像
 三月の硯の海に水を足す
 陽炎に番の鳩の没しけり
 葉桜や三つ指ついて鎌を研ぐ
 六月の鯉に餌をやる男かな
 どの子にも臍一つある海開き
 足の指握つて洗ふ晩夏かな
 文月の魚籠の魚を逃がしやる
 秋祭早や二人目の子をつれて
 良き旅を帰る案山子の顔を見て
 山茶花や十行ほどの女文字
 朴落葉びんた制裁かつてあり

 −新鋭賞受賞者の素顔−

 お目出度う 瑞枝さん
  小浜史都女

 瑞枝さんが不在だったとかで白魚火社から直接,瑞枝さんの新鋭賞の報告を受けた。早速電話すると,とても嬉しそうな返事が返ってきた。「ひひな会」という小グループから三人目の受賞である。彼女は最近めきめき俳句がうまくなり「ひょっとしたら?」と思っていたので受賞の報せを受けた時は「やった!」とわが事のように嬉しかった。
 しかし、当の彼女は老人ホームの看護師としてゆっくりと喜びを味わう暇もないほど忙しい日々を送っている。
 瑞枝さんが俳句を始めたのは,他の人とちょっと違う。筆者が養護老人ホームの嘱託園長として就任して間もなく,入所者を病院へ付き添って送る途中,車の中でいきなり「園長,私に俳句を教えてください。」と自分から申し出たのである。筆者が俳句をやっていることは就任の挨拶の中で,入所者の皆んなに「私は俳句をやっています。皆さんも一緒に作ってみませんか。」と声を掛けていたからで,他の職員にも声を掛けたが初めての内だけで瑞枝さんだけが続いていて,間もなく白魚火に入会し,投句をはじめる。
 瑞枝さんは,昭和五十七年 県立衛生専門学院を卒業後,佐賀医大看護師として勤め,六十三年から九年間,唐津看護専門学校の専任教員として若い人達の指導にあたっていたが 平成九年,町内の養護老人ホームの看護師として勤務するようになった。 彼女の働きぶりは傍で見ていて気持がいいほどテキパキと物事を捌き,体もよく動くし,意見もはっきり言い,行動派で,介護士と交代で宿直もあり,寿光園にはいなくてはならない存在の人である。
  星月夜三日月型に眉を剃る
  曼珠沙華風に匂ひのなかりけり
  羊雲十分で着く船の旅
  思いきり破りて障子洗ひたる
  秋の蚊や願かけ石の深き傷
 平成十五年十二月,初めて五句入選したもので共に喜んだものだった。俳句を作りはじめて三年目頃からめきめき上達してきた彼女は誰もが気づかないところに目がいき軽々と句にする。少し荒ぽいが俳句を作ることが楽しくなったようだ。五句を見ても写生も効いていて季語がうまく据っている。
  花すすき風まかせなり小さき旅
  草紅葉かさついてきし足の裏
  算盤を弾いてみたる日永かな
  リハビリの機具に結びし笹飾り
  麺麭生地の膨らみてきし日の盛り
  住職も正座は苦手盆供養
 最近の作であるが,端枝俳句の進境ぶりは目を見張るばかりである。自由自在で「物」を素直に見ていて何んといっても新鮮だ。読んでいて楽しい。十六年は三回,五句入選があり抜群の成績である。
 又,瑞枝さんは山登りが好きでよく山に登っている。登山歴は平成元年頃からで,九州の山はほとんど登り,四国の石鎚山,剣山,山陰の蒜山,大山,佐渡の金北山,青森の八甲田山,白神岳,北海道の旭岳,十勝岳,利尻山,礼文岳等。もちろん富士山,北岳,奥穂高岳,槍ヶ岳,白馬岳,御岳等,登頂は一三〇箇所以上に及ぶという。ここ二・三年は近場の日帰り登山を楽しんでいるようである。
 いま,パン造りにも凝っている。瑞枝さんは凝り性だから,瑞枝俳句はこれからだと思う。快活で頼れる瑞枝さん,この賞を一つのステップとしてより一層精進し,活躍されんことを願っている。
〈受賞のことば〉
 職場の上司である史都女先生の人間としての魅力が,俳句の興味へとつながりました。手ほどきを受けながら,漠然と十七文字を並べていましたが,いつしか,俳句を作ることが楽しくなりました。
 良い出会いがあり,良き指導者に恵まれたことが,私にとって最大の幸運です。心より感謝しています。
 まだまだ未熟ですが,前向きに精進して行きたいと思っています。
 仁尾先生,史都女先生,ひひな会の皆様,今後共ご指導の程よろしくお願い致します。本当にありがとうございました。

〈経歴〉
 本  名 谷山瑞枝
 生    年 昭和三十三年
 住  所 佐賀県唐津市
 拝  歴 平成十一年十二月 白魚火入会
      平成十七年一月  白魚火同人

 中山君新鋭賞おめでとう  島田愃平

 中山君が初めて初生句会に参加したのは,十三年五月。そして高齢者の多い初生ではみられない情感の句で最初から特選をとる。
  潰せども潰せぬ想ひ苺皿 雅史
  古書店に神父の長躯忘れ霜 十五年六月号
 秀句紹介の中で主宰は,「この季語(忘れ霜)の斡旋はこの作者の異才をしめす」と書かれているが,われわれ年寄組は,当初目新しい季語や,取合わせに一寸面食らったものだ。
  枝豆の手より零れて芙美子の忌 十三年九月号
  四十五で句作を始む晩夏光   十三年十月号
  鉄橋の正直な音今朝の冬    十三年十一月号
  犬つれて十一月の寡婦がゆく  十四年一月号
  缶きりの滑つて切れぬ十二月  十四年二月号
 この時期すでに彼の季語,又句の取り合わせへの拘りを感じる。
 四十五(歳)からとあるが,身近に俳句のある環境ではあった。
 「自魚火秀作」(十六年一月号)に載った
  生き過ぎしなどと思はじ紅葉狩り 静岡・中山雅子
は彼のお母さんである。八十歳は過ぎておられるがお元気で,秀作欄にも度々登場される。彼は四人兄弟の末っ子である。
  ホ句始めし子のことも告げ墓洗ふ 雅子 十三年十月号
  子に叱からるることの嬉しき老の春 雅子 十五年七月号
 今年の京都大会では彼と同室で遅くまでおしゃべりをした。中里介山の明治・大正・昭和と書き続がれた,未完の大長編小説『大菩薩峠』が彼の座右の書という。ニヒリストの剣士机竜之介の名は知っていても,この長編を読み通した人は少ないといわれるが,私もその一人。(文庫で二十冊になるが,彼はそれを三組も持っている)。
 大衆小説といわれた『大菩薩峠』を,昭和の始め芥川龍之介,谷崎潤一郎等が高く評価した。その背景には昭和初期のインテリの閉塞感,無力感もあつたらしい。又桑原武夫は日本文化の古層にあるどろどろしたものにとも評す。中山君はどういう意味で座右の書としているのだろうか。彼のいささかアウトロー的発言や,彼の生きざまやものの見方,又独身なのも介山(独身主義者)の影響か?
  突つきたる蛇に孤独を見抜かるる 十三年八月号
  鵙の贄たうたうと河流れゐて   十五年一月号
  猟犬の水舐めてなほ構へゐる   十六年四月号
  蛇苺母と娘の長き午後      十四年十月号
  葉桜や三つ指ついて鎌を研ぐ   十五年八月号
  立ち泳ぎしてすこしづつ君に言ふ 十四年十一月号
  ゆびきりのきつく絡めし寒北斗  十五年二月号
 中山君というと,彼の書評にも触れなければならないだろう。書き始めて四回目の書評,『句集「十三星」鷹羽狩行』(十四年一月号)で,彼は故湯浅平人氏が『白魚火』の「現代俳句逍遥」に書いた狩行の句集紹介(平成四,七年)を引用しており,私は驚き彼に尋ねたら,母親のところにあった『白魚火』のバックナンバーを調べたと言う。彼は又この書評の最後のところで「新しい句集が出ると,改めてそれ以前の句集を見たくなる」と書いているが,この書評に対する姿勢は今もかわらず,図書館と古本屋通いをし資料を集め原稿を書いている。テレビもメールもどうも彼の興味対象外のようだ。
〈受賞のことば〉
 十一月三日は祝日でしたが,朝から仕事がありました。五時過ぎ帰ると安食編集長の留守録が入っていて,今回の朗報と二月号の原稿の件を伝えていました。さっそく島田愃平さんに電話しますと,仁尾先生に電話したかと訊きます。ああそうかと初めて気がついて,先生にお礼の電話をしますと,それを聞いたのが留守録なら,まず安食編集長に電話しなさいと言われました。
 事ほど左様に,私は世間知らずで,仁尾先生にも,初生句会をはじめとする「白魚火」の皆様にも,何かとご迷惑をおかけしていることと存じます。この「文化の日」を機会に,人に迷惑をかけないように,少しは「文化」人らしくなりたいと思っています。
ありがとうございました。

〈経歴〉
 本  名 中山雅史
 生    年 昭和三十一年
 住  所 浜松市      
 俳  歴 平成十三年 白魚火入会

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