最終更新日(updated) 2021.02.01

令和3年 白魚火賞、同人賞、新鋭賞
           
      -令和3年2月号より転載

 発表

令和三年度「白魚火賞」・「同人賞」・「新鋭賞」発表

  令和二年度の成績等を総合して下の方々に決定します。
  今後一層の活躍を祈ります。
              令和3年1月  主宰  白岩 敏秀

白魚火賞
塩野 昌治
鈴木 敬子
 

同人賞
竹内 芳子

新鋭賞
工藤 智子

  白魚火賞作品

塩野 昌治

     春隣
那谷寺の石乾きたり寒の明
河口まで歩ける気分犬ふぐり
鷹鳩と化して引く波寄する波
出港の大型フェリー春の月
サイフォンを湯の上りゆく春の昼
夏めくやまつすぐ伸ぶる滑走路
父の日の窓ふるさとに向け開くる
でで虫やごつんとフェリー着岸す
転居して雨の茅の輪を潜りけり
遠山の暮れかけてゐる網戸かな
教会に朝日差したり花木槿
霧湧いてをり国東の磨崖仏
海までを影連れてゆく良夜かな
初鴨の一羽離れて遠からず
木曽谷に栗名月の上がりけり
短日や首上げて亀歩きたる
十二月小石こつんと靴の先
テーブルを転がる卵寒の入
紀ノ川の土手に日の差す七日粥
ペンギンの列なして行く春隣

鈴木 敬子

     晩夏光
ふる里の山総立ちに寒明くる
どこまでも遠出したがる春帽子
窯出しの陶のぬくもり春の虹
学寮の窓に海ある啄木忌
逝く春の砂に残せし土踏まず
国宝の庫裡に消火器青葉風
秘仏在する床下の蟻地獄
タンカーの引く水尾太し晩夏光
どこまでも青田道なりひとりなり
ナイターのカクテル光線吾子照らす
ひらがなのやうなかぜふく里の秋
三保の松原三万本の松手入れ
行く秋の旅のをはりの「熱田さん」
燈火親し立心伝みな母称ふ
最果ての霧の町より投函す
辻褄の合はず鰰焦げてゐる
赤べこの首振る夜の神渡し
火の番の過ぐる追伸書き足せり
嚏してみんな忘れてしまひけり
年忘れかつて洒脱な男たち

白魚火賞受賞の言葉、祝いの言葉

<受賞のことば>  塩野 昌治                 

 令和二年十二月にみづうみ賞を受賞し、この度栄えある白魚火賞受賞の知らせに驚くと同時にうれしさを噛みしめております。五月に磐田市より浜松市に転居し慌しくしていた中だけにひとしおです。
 日本一周の歩き旅をした折、日誌に俳句を入れたらという思いつきから平成十七年、社会保険センターの俳句講座を受講することにしました。仁尾正文前主宰が指導されていました。次回に五句と言われ、必死になって五句作った事を思い出します。雰囲気にも慣れた頃には選に入ることもあり、うれしくて続ける原動力になっていました。
 仁尾前主宰には「平易で余韻のある句がいい」と教わり、やさしく添削してくださるのもありがたいことでした。
 以来十五年、仁尾主宰から黒崎先生、さらに白岩主宰は言うに及ばず村上先生、渥美先生の指導の下で句会に参加し大会投句をしております。選に入って喜び、選外でがっかりと一喜一憂しています。いい句が出来るとうれしい、句会の緊張感が楽しい、選に入ってうれしい、仲間との交流が楽しい・・・と、俳句の魅力にどっぷりつかっています。
 俳句を続けてこられたのも先生方や句友に励まされたお蔭と感謝の気持ちでいっぱいです。これからも平易で余韻のある句作りに精進したいと思いますので、一層のご指導よろしくお願い致します。この度は誠にありがとうございました。


 経 歴
本  名 塩野 昌治 (しおの まさはる)
生  年 昭和十八年
住  所 静岡県浜松市

 俳 歴
平成十七年   白魚火入会
平成二十一年  白魚火同人
令和二年    みづうみ賞


塩野昌治さん白魚火賞おめでとう 弓場 忠義

 先日「みづうみ賞」受賞が決まりおめでとうと言ったばかりなのに、今度は「白魚火賞」と聞いて二度びっくりしました。思えば平成十七年に社会保険センターの円坐Cに入会して以来、先師仁尾正文先生に師事、当時、円坐三グループは白魚火俳誌の上位者が多く、私ども初心者には大変厳しいものでした。現在は円坐Aの取りまとめをお願いしています。
 塩野さんとは、浜松白魚火会の会長を受けた時に、直ぐに会員の厚い信頼のある塩野さんに幹事長そして副会長をお願いしました。また、平成二十八年に浜松が行事部を引き継ぐに当り、副部長をお願いしました。計画的に確実に実行して、安心できる塩野さんのお蔭で無事浜松の行事部の役を終えたことを感謝して居ります。
 近年塩野さんは、五か所の句会に参加しています。彼の作句は「わが俳句足もて作る犬ふぐり」そのものでもあり、特に吟行句にはその才能を発揮しています。
   「円坐」第三十集 合同句集より
  回廊に日のこぼれたる牡丹かな
  トンボロを沈めて白き卯波かな
  ちちははの紀ノ川しづか稲の花
  ひきがへる美濃一国の暮れかけて
  紀ノ川の土手に日の差す七日粥
 大地を歩く俳人の眼は確かです。固有名詞を効かす詠み方が自然に身に備り巧みです。「みづうみ」賞や「春隣」二十句の随所に見られる紀ノ川は塩野さんの故郷です。
 塩野さんは俳句の他に多くの横顔があります。
 俳誌にエッセーを連載したように、全国を足で歩く旅が紹介され、旅行記の小冊子を発行しています。現在も忙しい間を縫って各地を歩いていると聞きます。
 十年余に渡り、ボランティア活動の「にほんご」は、木曜と日曜クラス、Skypeの個人レッスンをブラジル、インドネシア、ベトナム、中国などの人たちにと「にほんご」の講師を継続しています。句会会場と同じフロアーですから覗くと楽しそうに授業をしていました。
 今後も多方面のご活躍と「白魚火」及び「浜松白魚火会」の繁栄にご尽力をお願いすると共に、ご活躍を期待しています。本当におめでとうございました。

<受賞のことば>  鈴木 敬子                 

 「えー」「本当?」「嬉しいー」
 白魚火賞をいただけるうれしいお便りを手にした瞬間は年甲斐もなく小躍りしていた私の偽りのない瞬間でございました。
 根が粗忽者であり、嬉しいにつけ悲しいにつけ泣き虫、最近は例のコロナで外出出来ず故里の遠い私は実家にも又兄弟も皆関東在住なので行けず塞いでおりました。
 吟行会も中止、まあ仕方のない事ですけど自分の勉強不足と知りつつも二、三日句に見放され少し落込んで行く日々、年貢の納め時かと感じたことが何度あったでしょうか。
 いやいや、俳句とは長いながいつき合い。本気で俳句との別離など絶対出来ない、「私の一生の恋人だもん」と落込んで居る時の「白魚火賞」の吉報に二階より西に向かって「白岩先生有りがとうございました」と心より感謝申し上げました。これからも白魚火の会員として一日も長く在籍できますように体に気をつけて楽しい日々を願っています。
 白魚火に入会させていただき最初の全国大会はたしか京都、多勢の方とは皆初対面、でも皆さん優しく楽しい大会でした。
 以来、「北海道」「松島」「出雲」その他の大会に休まず出席。全国の皆様と年一回の対面が嬉しくていい思い出がたくさんあります。
 古い句帖がみつかるとああ、あの日あの時のと写真を出してなつかしんでいます。
 楽しみにしていた去年の札幌大会も残念でしたが仕方のない事でございますね。
 遅くなりましたが泉下の仁尾先生には『句集 風船』の序文と選句を賜りました。この「白魚火賞」をいただけましたのも仁尾先生のお蔭でございます。
 有難うございました。
 白岩主宰、村上先生はじめ諸先輩、皆さまと編集部の皆々様に心より感謝申し上げます。
 地元の句友の皆様初め全国の皆様今後ともよろしく御指導いただきたくお願い申し上げます。


 経 歴
本  名 鈴木 敬子 (すずき けいこ)
生  年 昭和十三年
住  所 静岡県磐田市

 俳 歴
昭和五十六年 百合山羽公先生主宰の「海坂」入会
昭和六十三年 第七回「海坂」新人賞受賞
昭和五十七年 山田みづえ先生主宰の「木語」入会
平成十五年  「木語」終刊
平成十五年  「白魚火」入会
平成十六年  『風船』刊行
 仁尾正文先生に序文と選句を賜りました。
平成二十年  みづうみ秀作賞
平成二十一年 みづうみ秀作賞
 浜松白魚火顧問の黒崎治夫先生と村上尚子先生に磐田槙の会で御指導をいただいています。


鈴木敬子さんのこと 齋藤 文子

 私が磐田の「槙の会」へ入れて頂いたのは、平成十六年六月でした。翌月、二回目の句会が、敬子さんの句集『風船』上梓の祝賀会を兼ねたものでした。その席には、前主宰の仁尾先生がおいででした。
    句集『風船』より
  涅槃仏五十二類の語を解す
  燕来る商ひが好き人がすき
  緑蔭に夫の轆轤の置かれあり
  マウンドの子が汗を拭く我もふく
  括り桑筑波はるけき山なりけり
  三界に家なし風船放ちみて
 仁尾先生の序には、「この句集には人事句が多い。人事句の成否を分けるのは季語。敬子さんのどの人事句も斡旋した季語が絶妙で、俳句作家の器量をよく示している」と書かれています。
 敬子さんは東京で生まれ、六歳で茨城へ疎開。その後磐田で結婚され、ご主人と商売をなさりながら二人の息子さんを育てられました。長男の平さんはプロ野球、次男の辛さんは社会人野球で活躍されました。
 俳句は、昭和五十六年頃に始められ、俳誌「海坂」で百合山羽公先生、「木語」で山田みづえ先生、平成十五年入会の「白魚火」で仁尾正文先生、白岩敏秀先生、村上尚子先生、「槙の会」の句会では黒崎治夫先生との出会いが敬子さんの感性と相俟って、令和二年は何と白魚火集巻頭二回、副巻頭一回、白光集巻頭一回とめざましい活躍をされておられます。
  行く秋の旅のをはりの「熱田さん」
  辻褄の合はず鰰焦げてゐる
  どこまでも青田道なりひとりなり
  秘仏在する床下の蟻地獄
 敬子さんには、俳句の抽斗が沢山あります。持ち前の明るさと優しさの中、これからも抽斗の中から秀句が湧き出てくると思います。
 初めてお会いした時からいつも温かい言葉を頂きありがとうございます。今後は体調に留意され、ご健吟下さるよう祈念しております。
 この度は白魚火賞受賞、本当におめでとうございます。

同人賞
竹内 芳子

   新松子
特選の句を短冊に筆始
七日粥草の匂ひのほのかなり
年玉を枕辺に置き子の眠る
外に出て客を待ちをり冬銀河
夕食に間に合ふだけの楤芽摘む
郭公の二つ目の声届かざり
登山客どつと下りたり無人駅
葉桜や青空狭くなつて来し
向日葵の首もてあます昼下り
真青なる湖心にボート漂へり
鮮やかな色を誉められ毒茸
応援の声天をつく秋日和
見慣れたる帽子をかむり案山子かな
菊焚きし灰のにほへる夕べかな
完成のダムの水増す新松子
大空に貼り付いてゐる木守柿
白鳥を数ふるも数定まらず
手袋に子の五指やつとをさまりぬ
くさめして満天の星仰ぎけり
定年と添書のある賀状かな

-同人賞受賞の言葉、祝いの言葉-
<受賞のことば> 竹内 芳子              

この度は、同人賞を賜りましてまことに、ありがとうございました。
 長い間、自分なりに、頑張って来ましたので、大変うれしく思っております。
 年齢を重ねていく中で、このような賞に縁がなく終わってしまうのかと、ふと思ったりしていました。そんな矢先に、同人賞の通知をいただき、大変うれしく思っております。
 頑張って来ましたので、喜びも一入であります。私が、白魚火に出合ったのは、電気部品を作る会社の医務室に看護師として勤めていた時です。従業員の昼食を作る為、四人の方が来ていました。その中の一人の方が、白魚火に関係ある方でした。時折、俳句の話をしてくれました。それが縁で、私も俳句に興味を持ち、一人で投句するようになりました。三年位、投句しておりました。
 ある時、群馬白魚火の代表の、鈴木吾亦紅先生が私の家に来て下さいました。
 一人で投句している様だが、仲間と一緒にしませんかと、誘って下さいました。
 近い所に、吾亦紅先生の見えて下さる会があると言われて、早速参加させて頂きました。とても雰囲気のよい句会で、気軽に参加させて頂きました。
 知っている方が多かったので、すぐに溶け込むことが出来ました。
 吾亦紅先生は、ユーモアを入れて、楽しい句会にして下さいました。
 吾亦紅先生亡きあと、田村萠尖先生にお世話になっていましたが、萠尖先生も亡くなられてしまいまして、一時寂しい時期がありました。いろいろ教えて頂きまして、今の私があります。ありがとうございました。
 故仁尾正文先生、白岩敏秀先生、村上尚子先生、諸先生方、ありがとうございました。


 経 歴
本  名 竹内 芳子 (たけうち よしこ)
生  年 昭和十六年
住  所 群馬県吾妻郡東吾妻町

 俳 歴
平成四年   白魚火入会
平成七年   白魚火同人
平成九年   みづうみ秀作賞
平成十四年  みづうみ佳作賞
平成二十一年 みづうみ秀作賞
平成二十二年 みづうみ佳作賞
平成二十四年 みづうみ秀作賞
平成二十五年 みづうみ秀作賞
平成二十六年 みづうみ努力賞
平成二十七年 みづうみ努力賞
平成二十八年 みづうみ奨励賞
平成三十年  みづうみ奨励賞
俳人協会会員

竹内芳子さんの横顔 荒井 孝子

 芳子さん、この度の「同人賞」受賞おめでとうございます。十一月も終わろうとしている頃、電話の奥から芳子さんの弾んだ声で、同人賞の受賞の連絡が入りました。待ちに待ったという思いから、彼女へのお祝いの言葉も少し涙ぐんでしまいました。本当に良かったです。
 思えば平成四年、私より五年ほど後に芳子さんは白魚火に入会し、吾亦紅先生の指導の矢倉句会に仲間入りしました。厳しく、やさしく、明るい先生の評で毎月の句会は楽しい時が過ぎました。
 明るくて、少し控え目、そして頑張り屋さん。偶然にも同学年とあって、俳句は勿論のこと、その後の人生の良き相談相手となりました。
 私が体調を崩すまでは、例年の全国大会には、いつも芳子さんが傍らにいたような気がします。旅行の気分で楽しい思い出の大会でした。
 その後の芳子さんの俳誌での活躍は、今回の作品「冬銀河」に限らず、毎号の入選句、みづうみ賞秀作賞の作品、全国大会の特選句等々のとおりで、二十八年余にわたり佳吟を発表されています。さりげない日常の生活句、日々見過ごしているような些細なものの発見、それは芳子さんの心の優しさから生まれてくるものではないでしょうか。
 今回の作品の中からその思いを感じられる句があります。
  七日粥草の匂ひのほのかなり
  夕食に間に合ふだけの楤芽摘む
  向日葵の首もてあます昼下り
  見慣れたる帽子をかむり案山子かな
 芳子さんの俳句は誰がみてもとても分かり易い一章一句が多いように思います。その様な句は、ともすると単なる説明であったり、平凡な句になりがちですが、彼女は其処のところを踏ん張って、詩情豊かな句に昇華する努力を日々積み重ねてきたと思います。その挑戦は止まることなく生涯続けてゆくことでしょう。
 昭和の終りから平成にかけて、吾亦紅先生の立ち上げた群馬白魚火は、百名を越える会員となりました。四十代、五十代の比較的若い人達が多く、全国大会にはバスを借り切って参加をすることも多々ありました。群馬白魚火の各支部でも活発にバスや車での吟行会が行われました。五感を働かせ、句材を探すことに興味津々でした。
 或る時、古刹の吟行の折、芳子さんから声が掛かり、走ってゆくと、収蔵庫の前で扉の大きな節穴を指さしています。顔をつけて中を覗きました。中は真っ暗闇。大きく眼を開いても何も見えません。その時の彼女のいたずらっぽい顔。二人はそこで大笑いをしました。芳子さんにはそんな茶目っ気があるのです。
 ひたすら俳句の道を歩み続けて来た二人も、あっという間に傘寿にさし掛かろうとしています。健康な芳子さんには、更なる高みを目指して精進して欲しいと思います。
 心の琴線に触れた受賞句から
  外に出て客を待ちをり冬銀河
  郭公の二つ目の声届かざり
  白鳥を数ふるも数定まらず
  手袋に子の五指やつとをさまりぬ
 コロナウイルスが収束して、全国大会が開催され、芳子さんが全員の祝福を受けて表彰されることを心より祈ります。

   新鋭賞 
    工藤 智子

   白のクレヨン
口角を上げて白衣の初鏡
春の雪錆びたる画鋲残る部屋
表札の新しさより春兆す
ポニー描く白のクレヨン風光る
はじめての名刺眩しく夏に入る
ラベンダー光編むごと揺れてをり
マーガレット白衣の我をはげませり
ルピナスや触るると音のなりさうな
キャンディの包みの如し月見草
月下美人咲いてひとりの時間かな
コスモスを揺らして傘を閉ぢにけり
風澄みてワルツの如く花芒
バター飴ふふむ吹雪の帰り道
切り抜きのレシピ貼られし古暦
寒の雨原稿用紙に座る猫

新鋭賞受賞の言葉、祝いの言葉

<受賞のことば> 工藤 智子                

 この度は新鋭賞を頂き、誠にありがとうございました。白魚火の先生方を初め、句会の皆様へ厚くお礼申し上げます。
 平成二十一年の真冬、親しくさせて頂いていた故山下恭子さんから「俳句会へ来てみませんか。」と誘われ、第二新葉会に入会させて頂きました。今井星女先生のご指導と優しい仲間達に支えられ、今日に至りました。途中、病気により句会を休んでいた時期もありましたが、句友より沢山の力と励ましを頂きました。
 「俳句は優しい言葉と素直な心で」と教えてくださった今井星女先生、「今のあなたしか作れない俳句があるのよ。」と言った故山下恭子さん、そして句会の先輩たちから頂いた暖かい言葉を胸に、これからも句作に精進して参りたいと思います。

 経 歴
本  名 工藤 智子(くどう ともこ)
生  年 昭和四十一年
住  所 北海道函館市

 俳 歴
成二十一年  白魚火入会
令和二年   白魚火同人


    <お祝いの言葉>  今井 星女

 この度の「白魚火新鋭賞」受賞を心よりお祝い申し上げます。
 智子さんは、平成二十一年の冬に第二新葉会に入会されました。第二新葉会は、女性だけの六、七人ほどの小さな句会です。智子さんが新人看護師として入職した当時、看護師長であった故山下恭子さんに誘われて、四十三歳の時に私の指導する句会へとやって来られました。
 ここまでよく頑張りました。
 また、良き仲間に恵まれて幸運でしたね。これからも仲間と共に、俳句を続けていってください。
 俳句はあなたの人生の記録です。
 今後も、楽しく焦らず日記を書くつもりで、俳句を作ってください。

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