最終更新日(updated) 2017.02.01

平成28年平成25年度 白魚火賞、同人賞、新鋭賞   
           
      -平成29年2月号より転載

 発表

平成二十九年度「白魚火賞」・「同人賞」・「新鋭賞」発表

  平成二十八年度の成績等を総合して右の方々に決定します。
  今後一層の活躍を祈ります。
              平成29年1月  主宰  白岩 敏秀

白魚火賞
 田口  耕
 中村 國司

同人賞
 鈴木喜久栄
 
新鋭賞
 富田 倫代
 山田 眞二

 白魚火賞作品

 田口  耕      

      枇杷の花
海苔掻女一瞬波に隠れけり
春炬燵皆とすごしし父母の家
春の夜をわが靴音と歩きけり
春暁や海一望の島の宿
木苺を手に子供らの昼休み
靴をぬぎ浜昼顔のよこに寝る
山陵の池におはぐろとんぼ棲む
神の滝千年杉へしぶきけり
外洋に絶壁仰ぎ船遊
牧の牛草いきれごと食みにけり
木槿咲く流帝の宮の女坂
漁火の海へ精霊流しけり
日を浴びて秋蝶つよくとびたてり
蚯蚓鳴く隠岐山陵の松籟に
小鳥くる遠流の島の行在所
今朝の冬路地へながるる潮けむり
山茶花の散るや海風鳴るたびに
落葉かく四十八代守部かな
母ひとり古家に棲みぬ枇杷の花
晨朝の声冴え渡る籠堂

  中村 國司   

   みなおもて   
ひよつこりと天道虫の寒見舞
雪解風給油案内はロボット語
杉花粉トルコ行進曲に乗り
みづうみを鏡に神の山笑ふ
花は葉に勝てば官軍兵の墓
村中の田に水入る昭和の日
体操をして田植機に座りたる
剣豪の墓を涼しき風通る
街なかの嶺かと寺の夏木立
鳥の声いろいろ高尾登山口
吾のみに郭公のこゑ無言館
万緑のへりをふらふら熊親子
校廊の奥に歌声あきざくら
天平の紅はこのいろ吾亦紅
眼に見ゆるものみなおもて衣被
それでもや水禍の村の十日夜
まだ屈むことが大好き七五三
海鳴や胃は鮟鱇の消化中
賀状書くすめらみことの誕生日
みな同じ次元を生きて大晦日


 白魚火賞受賞の言葉、祝いの言葉

<受賞のことば>  田口  耕               檜林 弘一  

受賞の知らせに、しみじみと喜びを感じております。
 思えば父の指導の下、俳句を始めて十二年目。父急逝の後は白魚火誌と俳句教本が頼りでした。
「俳句とは父思ふこと寒に入る 耕」
この句を胸に俳人として父と肩を並べることが父への恩返しになると信じ努力して参りました。また、実力のつかない不甲斐なさを仁尾先生にお便りするといつも「大丈夫、頑張って」と優しく見守って下さいました。そして、白岩主宰、村上先生はじめご縁を賜った多くの方々から御指導並びに温かい励ましを頂きました。父の念力と白魚火の方々のお陰によりここまで続けることが出来たと思います。本当に有り難く心より御礼申し上げます。
 父と肩を並べる為に。そして、父と私二代にわたってお世話になっている白魚火の御恩に報いる為に。今ようやく、その始発点に立つことができました。これから同人賞、みづうみ賞と更に山は続きます。まだまだ力不足の身には不安いっぱいですが、最高峰を目指す登山家のような希望もあるのです。このような気持ちに導いて下さった白魚火という結社は、実に素晴しいと心底思っています。
 この賞に恥じないように目標に向かって精進あるのみです。今後ともよろしくお願い申し上げます。


経 歴
本  名 田口  耕(たぐち こう)
生  年 昭和三十三年
出 身 地 島根県松江市
住  所 島根県隠岐郡海士町

俳 歴
平成十七年  白魚火入会
平成二十年  白魚火同人
平成二十二年 新鋭賞
平成二十二年 みづうみ佳作賞
平成二十三年 みづうみ佳作賞
平成二十四年~平成二十八年
       みづうみ秀作賞五回
平成二十五年 七百号記念評論賞
平成二十六年 俳人協会会員


  <田口耕さんの横顔> 檜林 弘一

 今年度の田口さんの白魚火誌上における成績を振り返れば、受賞すべくして受賞した白魚火賞であると言える。新年号において、白光集巻頭、白魚火集副巻頭のすばらしい成績で始まったが、これに留まらず以後も、白魚火集巻頭二回、白光集副巻頭一回、白魚火集五句入選五回、白光集五句入選九回と、まさに怒涛の勢いの一年だったのである。
 田口さんと初めてお会いしたのは、新鋭賞を受賞された平成二十二年の浜松大会だった。懇親会会場にて、竹元抽彩先生に紹介され、大変さわやかな印象を受けた記憶がある。横から荒木千都江先生が、「いい男じゃろう」と一言で田口さんの本質をついてくれた言葉も懐かしい。田口さんは隠岐島海士町在住の歯科医であり、地元に密着した作句を続けられておられる。このことをさらに深く実感したのは、七〇〇号記念評論賞『加藤楸邨の「隠岐紀行」を読む』の受賞作品内容からであり、それをきっかけにして、その後二回も隠岐島吟行ヘ出かけ、ずうずうしく案内もしてもらっている。田口さんの月次作品はもちろん、すでに何回も受賞されているみづうみ秀作賞の作品群では毎年、多彩な角度で隠岐島の風土や歴史に基づくテーマ作品を見せてくれている。この一年の作品を中心にいくつか紹介し、プロフィルに変えたい。

 田口歯科医院の目の前は隠岐菱浦港である。島を囲む海の四季は俳句心を動かす題材には事欠かない。
  フェリー着く浜大根の咲く島に
  時化の日々待合室に聖樹の灯
  年の瀬の窓打ち叩く潮しぶき
  大漁旗かかげて島の卒業式
 診療の合間にも作句の心は絶やさないのだろう。
  診療の前のひととき海涼し
  螻蛄鳴くや俳書医学書積み上げて
 後鳥羽上皇御配流の地など、隠岐の歴史の重さは田口さんの俳句の大きなバックグラウンドとなっている。
  流人墓地隠岐たんぽぽの踏場なし
  山女棲む千年杉の神域に
  ひぐらしの声のとばりや隠岐御陵
  小鳥くる遠流の島の行在所
  落葉かく四十八代守部かな
 離島ならではの感慨深い句も数多い。
  島中が朧月夜となりにけり
  畑を打つ沖に大山浮かびけり
  燕来る海を見晴らす村役場
  絶壁のきはに草食む春の駒
  最終船着きて離島の暮早し
  地響や怒濤の隠岐は冬真中
  隣島ヘ往診仕事納めとす
 隠岐の里神楽の保存活動に注力されており、自ら神楽を舞うのである。
  狩衣を薄紫に初神楽
  隠岐神楽二畳の御座を広く舞ふ
  笹子鳴く楽屋に袴たたみゐて
 田口さんの御尊父は、鳥雲同人であられた故田口一桜先生である。空の上でさぞお喜びになっていることと思う。
  父の忌や父の座りし囲炉裏端

 現在、田口さんとは物理的には遠く離れており、お会いできるのは全国大会席上のみではあるが、毎月の東京開催の私設句会「榛句会」には欠かさず不在投句いただいており、田口さんの活発な句作活動が目に見えるようである。今般の結社賞受賞をバネにして、さらなる隠岐地貌俳句を深耕されることを期待している。おめでとうございました。


  〈受賞のことば〉  中村 國司        林  浩世      

 冒頭から失礼な言いようだが、「晴がましさ」を避けながらこれまで生きてきた。若い時に、高校時代の恩師の身代わりとして選挙活動に携わり、衆議院議員候補者の鹿沼市地域の責任者を務めた。そのせいもあり、県会議員選挙に立候補する意向と地元紙に報じられ苦労した。元よりそんなつもりはなく、恩師の苦境を助けるという義侠心からそうなったのだが、頑張りすぎたのだ。
 元来一度会えばその人を忘れることはなく、賀状を三百通やり取りするくらい交際もあった。恩師にはそこを見込まれたのだが、選挙にかかわるなど私の本意ではなく、こんなことになるならと、人の名前を覚えることをやめた。年賀状も届いたものに返事をするだけにした。
 そのように態度を改め、不愛想な人間になってから四十年経つが、まだ後遺症があり、いろいろな役を引き受けさせられている。人のためになるならとお受けはするが、「晴がましさ」は我がことにあらず。できれば避けたい。
 白魚火入会は三十余年前。栃木白魚火会長の橋田一青先生に入門し西本一都元主宰の選を受けた。途中で中国事業が拡大し、俳句を中断せざるを得なくなった。十数年後の復帰は仁尾正文前主宰の要請によるのであり、いま感謝している。
 復帰後は失った歳月を回復すべく精励するが、汗青戻らず苦闘している。だが幸いに同世代の句友に恵まれ、充実した俳句の日々を送れている。そう、まだ終わっていないのだ。その意味で白魚火賞は「晴がましさ」というより、途次の一里塚であるのだろう。ここは何れも様に御礼を申し上げ、さらなる精進を誓うところであろうと、そう自覚している。


 経 歴
本  名 中村 國司
生    年 昭和二十四年
住  所 宇都宮市中戸祭

 俳 歴
昭和五十九年 白魚火入会
昭和六十一年 白魚火同人
平成五年   中国業務のため俳句中断
平成十七年  白魚火再入会
平成二十六年 俳人協会俳句大賞特選
       宇都宮市民活動センター俳句講座講師
平成二十八年 県立鹿沼商工高校国語
       授業俳句講師

<中村國司さんの横顔> 星田 一草 

 中村國司さんの白魚火賞受賞おめでとうございます。心よりお喜び申し上げます。
 國司さんはご承知のとおり白魚火誌上に「現代俳句渉猟」を執筆中であります。豊富な情報を集め多彩な観点からそれぞれの作品の鑑賞を述べられていること、敬意を感じているところです。
 平成二十八年の白魚火集では七月、八月号と二ヶ月連続、白岩主宰の巻頭をいただいているなど顕著な成績を残しています。
  雪解風給油案内はロボット語  中村國司(七月号)
  初蝶の紆余のその先津波の碑
  花は葉に勝てば官軍兵の墓   中村國司(八月号)
 「ヒューマンな気持ちを内に秘めながら、表現はあくまで冷静」との主宰の選評をいただいています。特に宇都宮市は戊辰戦争の激戦地、官軍と賊軍と区別されて一つの寺に祀られています。それぞれの志のもとに生きてきたはず。作者の思いが伝わってきます。
 國司さんは現在、幾つかのグループで指導的立場で句会に臨んでいます。特に、毎月一回の吟行会は俳句仲間の楽しみです。通算六十回は越すのではないでしょうか。吟行地や句会場などの選定にご苦労されています。日光の旧御用邸、東京根岸の子規庵など、俳句を作る者には忘れられない会場を見つけて皆さんを楽しませて呉れています。
 宇都宮市コミュニティーセンターの俳句教室を担当したり、母校の高校で俳句教室を依頼されたりユニークな活動をしています。
 どの句会に於いても作者の気持ちを読み取り適切な論評を加え励ましてくれます。選句に当たっては作者の意図することを丁寧に読み取り、作者の立場を大切にします。鋭い指摘をすると共に句座を和ませる雰囲気を持っています。句座に笑いをもたらしてくれます。これこそ、國司さんの魅力です。
 さらに國司さんは月刊俳句誌に投稿し多くの選者から特選・秀逸などをいただいています。
  机上の書ずらして桃の置き所  中村國司
   (俳句界 二十八年十二月号 田島和生特選 高橋将夫特選)
  灼け墓に供花の代りの白碁石  中村國司
   (俳句界 二十八年十二月号 大串章特選)
  義士の日の何ごともなき隅田川 中村國司
   (俳壇 二十八年四月号 有馬朗人特選)
  いつもなにかが戦後最大黒葡萄 中村國司
   (角川俳句 二十八年二月 今井 聖推薦)
 等々各誌に投句し多くの選者からの特選・秀逸・入選などの作品が多数あります。

 いま、國司さんは「現代俳句渉猟」の執筆のため各月刊俳句誌をくまなく読まれています。読めば読むほど俳句のおもしろさにはまって行かれるのではないでしょうか。これからも、たくさんの句会に出席されその蘊蓄を披露してくださることを期待しております。



同人賞
 鈴木 喜久栄

   うぐひす
うぐひすの一声杜を濡らしけり
草萌ゆるダックスフントの足せはし
春愁のつむりを載せし肘枕
鳥帰る三角屋根の夕空を
山はよき谺をかへす愛鳥日
出払ひし留守の家守る燕の子
草刈りて朝の光を籠に詰む
簾巻く山の夕日の見ゆるまで
耳よりな話にはづすサングラス
梅を捥ぐ食卓の椅子もち出して
大西瓜「中村はる」のラベルつけ
組まれゆく踊り櫓の縄匂ふ
はたはたを飛ばす楽しみ草の径
頬杖の卓に秋の日移りをり
貰ひ手のなき猫遊ぶ冬日向
母が使ひし茎の石持て余す
木の葉散る大道芸の輪の中に
年の瀬や沖ゆく船の灯のゆれて
エプロンを脱ぎて加はる初写真
じやんけんぽん節分の鬼決まりけり

 -同人賞受賞の言葉、祝いの言葉-
<受賞のことば> 鈴木 喜久栄              後藤 政春
 
 体調を崩し、だいぶ回復してきたと思えるようになった或る日、白魚火社より「同人賞」のお知らせを頂きました。
 私にとりましては、身に余る賞に驚きと戸惑いの日々を送っております。
 子供達が家を離れ、夫が転勤先より戻って参り、少し落ち着いた頃、市の教育委員会開催の俳句講座があり、受講したのが俳句との出合いでした。十回の講座終了後、「槙の会」へのお誘いをいただき、黒崎治夫先生の厳しいご指導をいただきながら、楽しく句会に出席しております。
 「白魚火」に入会して十一年が過ぎましたが、最初はどのように詠めばよいか分からず数ヶ月の間は投句ができなく、句会の五句にも困ったことがありました。その後、四季折々の情景、動植物などを見つめながら少しでも上達することを励みに学んで来ました。
 この度の受賞につきましては、白岩主宰、白光集選者村上尚子先生のご指導をはじめ、句友皆様との暖かい交流の賜物と心より感謝申し上げます。
 此の後も、体調の許すかぎり、精進して参りますのでよろしく御指導下さいますようお願い申し上げます。


 経 歴
本  名 鈴木 喜久栄
生  年 昭和十四年
住  所 磐田市

 俳 歴
平成十七年  白魚火入会
平成二十二年 白魚火同人
平成二十六年 俳人協会会員
平成二十二年~平成二十八年
       みづうみ佳作賞一回
       みづうみ秀作賞五回 


  <鈴木喜久栄さんのこと> 斎藤 文子  
     
 喜久栄さん、同人賞の受賞おめでとうございます。
 初めてお会いしたのは、十五、六年前(平成十三、四年)でしょうか。
私の勤めております内科医院に、喜久栄さんは月二回ほど、親戚の方のお薬をとりにみえていました。物腰のやさしく、静かな方とお見受けしていましたが、仕事以外にはお話しすることもありませんでした。
 ある日のこと、待合室に一冊の本の忘れ物がありました。それはコンパクトな歳時記で捲り癖もついていたような、そして何と言ってもページの間には俳句のメモが幾枚も挿み込まれていました。私共スタッフは、腰かけていた位置からして、喜久栄さんのものではと話し、メモを一枚もなくさぬようにしまっておきました。その頃、院長も俳句に興味を持っていたものですから、「この歳時記はよく使い込んであるから、相当熱心に俳句をされている方だね。」と申していました。そして次に来院された時、偶然にも私が、「この本お忘れになりませんでしたか。」と声をかけたのでした。その頃私は、俳句のはの字も知らず、自分が作るようになるとは夢にも思っていませんでした。その後お薬をとりにくるお役目も終わり、お会いすることもなくなりました。
 次にお目にかかったのは、平成十七年。前年より私は、村上尚子さんに誘って頂き、「槙の会」という句会に入っていました。その句会の黒崎治夫先生が、勉強会を立ち上げるというので、初心者の私も入れて頂きましたところ、そこで再会。喜久栄さんも村上さんからのご紹介ということでした。二人共この出合いにとても驚いたのを覚えています。
 俳句に触れて感じますことは、何と言っても優しさです。
  どの子にも広き空あり石鹸玉
 この句は白魚火浜松大会に於て高得点を取ったものです。子供達に対する愛情溢れる目差が、たくさんの方の共感を得ました。
 次に、言葉の使い方の妙に感心することがよくあります。
  三面鏡ひらけば暑さ広がりぬ
  ポケットに遊び足らざる木の実独楽
 喜久栄さんは私達への気配りも細やかですし、吟行に出かけた折には、お留守番の御主人への食事の用意など、常に良き妻、良き主婦の姿を見ることができます。
  夜濯を終へて仰ぎぬ一つ星
 今年は喜久栄さんにとって大きな出来事がありました。
 五月には、次男の方にお子様が誕生され、久し振りのお孫さんで岐阜まで幾日もお手伝いに行かれました。
  胎の子が蹴つてゐるよと蝶の昼
 また秋には、思いがけず患われ、入院もなさいました。その後、順調に回復され、今では以前と変わらぬ日常生活を送っておられます。
 今まで、みづうみ賞に何度も応募され、毎年のように秀作賞をおとりになっています。俳句の実力は十分お持ちだと思いますが、小さなお味方や辛かった経験が、今まで以上に俳句を深められていくことを確信しております。
 喜久栄さん、受賞本当におめでとうございます。

   新鋭賞 
  富田 倫代

   初  霜
雲の間に星座瞬き年明くる
初御空日のある方を拝みけり
破魔矢抱きくぐる鳥居の朱さかな
亀鳴くや月蝕の赫に染まる夜
桜咲くポップコーンの弾けけり
千代紙の色溶けあうて風車
足拍子どんと響かせ夏舞台
盆荒れや烏歩いて道渡る
墨蹟のかすれに力雷響く
秋雨を下界に残し雲の上
障子貼る母は記憶の向かう側
六連星昇り来りて冬隣
初霜を耳を澄まして踏みにけり
餌を撒けば一連隊の寒雀
冬銀河遮る鷺の白さかな

   山田 眞二
 
   春  雷
春雷や渚の見ゆる喫茶店
付箋紙のはみ出すノート春の雨
きこきこと鞦韆一つ揺れてをり
やはらかく風呂敷むすぶ端午かな
解禁の鮎やはらかく握りたる
芍薬の一重咲きたる投票所
秋潮のにほふジョギングロードかな
にはかなる野分の雲に追はれけり
仕立屋の縞のスコッチ鳥渡る
参道の白き飛び石冬隣
これよりは女人禁制枇杷の花
冬晴れや縁より渡す回覧板
裂帛の気合ぶつかる寒稽古
向き違へ踵を返す恵方道
命日の父の墓前の福寿草

新鋭賞受賞の言葉、祝いの言葉

<受賞のことば> 富田 倫代                高内 尚子

 この度は新鋭賞をいただきありがとうございます。驚きの気持ちでいっぱいです。
 俳句に接する機会などなかった私でしたが、母の介護の合間に、新聞や雑誌に掲載されている俳句を読んで、「私も作ってみたい」と思うようになりました。新聞社のサークルの紹介記事で、俳句の講座があるのを知り入会したのが、今井星女先生が講師をなさっている金曜俳句会で、その後函館白魚火会に移り、今井先生の御指導を受け続けることができました。
 俳句を始めてからは、物や風景を季節の中で楽しみながら、見ることができるようになりました。それを俳句で自分らしく表現できた時は、俳句を始めて本当に良かったと思います。
 句が出来ず悩んでいると、「楽しくやりましょう」と励まし、助言をくださった今井先生や先輩、句友の皆様のおかげで、この賞をいただくことができました。心から感謝いたします。

 経 歴
本  名 富田 倫代(とみた みちよ)
生  年 昭和三十二年
住  所 函館市

 俳 歴
平成二十五年 白魚火入会
平成二十八年 白魚火同人


   <富田倫代さんのこと>  今井 星女

 富田倫代さん、この度の新鋭賞おめでとうございます。心からお祝い申しあげます。
 北海道函館市で生まれ育った倫代さんは、函館にある、有名な「富田病院」の創立者である母方の祖父を始め、お父さんも、倫代さんも、弟さんも、皆医者を職業としている一家です。倫代さんのお母さんの富田純代さんと私は、女学校時代の同級生でもあります。
 そんな御縁もあったりして、彼女の経歴を伺ってみると、富田倫代さんは昭和三十二年生れ。
 函館中部高校卒業後、順天堂大学医学部に入学。学生時代には重度傷害者医療のボランティア活動を三年間していました。その後結婚を機に夫とアメリカに移住し、研究活動をつづけ「免疫細胞の細胞膜リン脂質についての研究」という論文で、順天堂大学より医学博士の称号をもらっています。彼女三十四才の時でした。
 その後も、アメリカ国立衛生研究所で、分子生物学の勉強をし、オハイオ州、ノースダコタ州などの大学で、学生達に研究指導しながら、自己免疫疾患(膠原病)における治療の研究をしていたそうです。いうなれば「リューマチ」の治療です。その後、平成十八年、函館に住んでいるお母さんが病気になったので、その看病のため、単身実家に戻ってきたのでした。アメリカの生活は二十五年間といっていました。今は、函館の病院で内科医として勤務しながら、白魚火会に入会し、俳句を学んでいます。

 白魚火平成二十八年九月号に倫代さんは文章を載せています。「恐竜と俳句」という題で、なかなか立派に書けています。
 その中に、「私は恐竜の骨格標本を見るのが一番好きだ」とありました。「なるほどお医者さんだなあー」と私は思いました。

 倫代さんは、素直で、正直で、明るい性格の方だから、俳句にも性格が表れています。
 昨年白魚火全国大会に参加した時、白岩主宰から「あなたは白魚火のホープですね」と声をかけられたと喜んでいました。

盆荒れや烏歩いて道渡る     仁尾先生の秀作より
桜咲くポップコーンの弾けけり  白岩先生の秀作より
初霜を耳を澄まして踏みにけり  白岩先生の秀作より
千代紙の色溶けあうて風車    函館俳句協会大会賞受賞
餌を撒けば一連隊の寒雀     同 今井星女特選

 この賞を契機に更に精進されるよう期待します。この度は本当におめでとうございました。


〈受賞のことば〉  山田 眞二               森 志保 

 新鋭賞をいただきましてありがとうございます。先生方、そしてお世話になっております句会の皆様方に厚く御礼申し上げます。
  平成二十五年春、静岡市から浜松市に転勤したことで、職場の上司であった福田勇さんとの三十年ぶりの再会を果たし、その勧めで、故仁尾正文先生が直接指導されていた「初生句会」の門を叩くことになりました。
  お試し参加の日、会の中にある「気」を強く感じたことを憶えています。それは武道場にあるものと同種のものでしたが、間もなく仁尾先生の発するものであることが分かりました。先生は、緩やかに剣を構える古武士のようでありました。その「オーラ」に惹かれる自分がいました。また、会の皆さんの活き活きとした、楽しそうな表情がとても素敵でした。俳句との衝撃的な出会いとなりました。
  俳句という文芸の懐深さや奥深さに惹かれるこの頃でありますが、初心を忘れずに研鑽してまいります。


 経 歴
本  名 山田 眞二(やまだ しんじ)
生  年 昭和三十四年
住  所 浜松市東区

 俳 歴
平成二十五年 白魚火入会


<山田眞二さんの横顔> 福田  勇

 山田眞二さん新鋭賞おめでとうございます。
 眞二さんが白魚火に入会したのは、平成二十五年の春でした。三年余の短い期間での受賞でありそのスピードぶりには絶大の拍手を送る次第です。
 眞二さんは、現職の警察官であり県警の最高幹部の一人でもあり、忙しい職場の傍ら句作りにも精を出し、このような賞を受けるのは素質と前向きな自己研鑽の賜であり、頭が下がります。また、趣味も広く囲碁・将棋・写真等も得意の様で、スポーツマンでもあり、剣道は六段を取得、部下の指導に当たっております。人間も真面目で部下の信頼も非常に厚い人格者です。
 白魚火に入会のきっかけは、細江警察署長として赴任して来た眞二さんを知っていた関係もあり、早速俳句を勧めたところ、快く承諾があり初生句会の仲間入りをしました。当時、仁尾正文先生もご健在で直接指導を受けましたが、入会当初から良い句を作りましたので、仁尾先生は「初めてにしては上手いな」と感心しており前途を嘱望しておりました。
 眞二さんは、感性の良さと研究熱心もあり、めきめき上達をし、入会一年足らずで三句、二年後には四句、三年目の今年は五句選と猛スピードで駆け上がり、白魚火同人にも推され、今回の新鋭賞の受賞となりました。
 眞二さんの入会間もない句に
  朝寒や竹刀打ち合ふ荒稽古
  白手套若き巡査の背筋伸ぶ
  警笛の空にこだます寒四郎
  警邏路の暮れゆく空に今日の月
  顎紐の堅き巡査や息白し
等若い警察官に温かい思いを寄せた句が見られます。
 一年も経たない内に仁尾先生の特選の常連にもなり
  ゆるゆるといづる春蚊を打ち損ず
  濁り酒譲れぬ意地が二つ三つ
  大くさめ床屋の主は俳句好き
  肩ならべ暖簾を潜る懐手
等の特選句があり、意思の強さの見られる反面、友達や部下と居酒屋の暖簾を潜るなど、交友を大切にする愉快な句も見られます。
 眞二さんは、県下の各所の俳句大会にも積極的に投句をしており、二十六年度の奥山方広寺観月俳句大会には、有馬朗人先生の特選句
  これよりは引佐細江の星月夜
また、二十七年度の同観月俳句大会には、和田隆子先生の秀逸句
  唐破風の門を出てゆく鬼やんま
で受賞しています。
 仁尾先生のご逝去後は、渥美絹代先生のご指導のもと眞二さんは此処でも特選句に名を連ねております。
 二十八年四月の浜松白魚火俳句大会に於いても
  尾を振るやペットボトルの中の蝌蚪
  手の平におたまじやくしを泳がする
の句が黒崎治夫先生の特選に、また、村上尚子先生の特選にもとられており、愉快な句作りも得意です。
 この他、昨年秋の磐田市十周年記念見付神楽祭俳句大会で、阪西敦子先生の特選
  腰蓑の艶の圧し合ふ鬼踊
また、今秋の第十三回村越化石俳句大会での入選(二十九年一月表彰予定)
  蛭巻きの斧を構へる菊人形
等々、各所の俳句大会にも積極的に投句を行い自己研鑽に努めており、皆さんも是非見習って欲しいものです。
 眞二さんは、今五十七歳、現職の所属長として、職務上の色々な制約のある中での新鋭賞受賞であり誠にお目出度い限りです。後三年で定年退職を迎える様ですが、退職時には脂の乗りきった六十歳、俳界で更なる躍進を希望し、いや出来る人物として楽しみにしています。
 今後の活躍を期待しております。

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