最終更新日(updated) 2016.02.01

平成28年平成25年度 白魚火賞、同人賞、新鋭賞   
           
      -平成28年2月号より転載

 発表

平成二十八年度「白魚火賞」・「同人賞」・「新鋭賞」発表

  平成二十七年度の成績等を総合して右の方々に決定します。
  今後一層の活躍を祈ります。
              平成28年1月  主宰  白岩 敏秀

白魚火賞
 檜林 弘一
 林  浩世

同人賞
 飯塚比呂子
 
新鋭賞
 野﨑 京子

 白魚火賞作品

 檜林 弘一      

      大和国原
大和国原一陣の春疾風
かたくりの目覚めの色を開きけり
神奈備の里を囃して揚雲雀
いぬふぐり一日分の花生るる
稜線を霞の中に重ねけり
陵に添ふ一本の山桜
三山の恋ものがたり朧月
対岸に磨崖菩薩や花の雨
改新の世を見し仏忘れ霜
祭笛男の笛に替はりけり
真ん中に古墳を据ゑし青田かな
神鶏の絞り鳴きせる大暑かな
カンナ燃ゆ卑弥呼の伝へある古道
ひぐらしの声暮れゆける古墳群
コスモスの背丈の順に風を待つ
香具山の隠れてをりぬ稲架襖
七色の帯解れゆく秋の虹
土器の欠けの一片冬に入る
空の色豊かにしたる木守柿
新雪に猟師の一歩一歩かな

  林  浩世   

   爽やかに   
涅槃図の人も獣も口を開け
卒業式親子の少し離れ立つ
笑ひ顔多きアルバム雛あられ
巻癖のとれぬ賞状木の芽風
綾取りののびてちぢんで春の雲
帆は風を大きくはらみ夏近し
夏帽子押さへ船首に立ちつくす
筧より水のあふるる夏山家
ハトロン紙のかさと音せる夜の秋
秋の蚊を打つてのひらのやはらかし
他人事のやうな返事やカンナの緋
握手して別れの言葉爽やかに
先生の墓の辺りに秋の草
獅子の眼の静かな力野分立つ
からつぽの百味箪笥や冬の月
後ろ手に閉づる木の扉や冬北斗
マスクしてどの眼も笑つてはをらず
ボール飛ぶ冬草青きところまで
鉛筆を尖らせてをり寒波来る
豆を撒く夫につづいて小さく撒く


 白魚火賞受賞の言葉、祝いの言葉

<受賞のことば>  檜林 弘一             檜林 弘一  

まったく俳句に興味のなかった私が、白魚火に入門させていただき、はや十年が経過しました。この間、故仁尾先生、現白岩主宰をはじめ、全国の先生、先輩方から誌上を含め、計り知れないご指導をいただき感謝の気持ちでいっぱいであります。
 入門当時、ある先生から「あんたの俳句は我儘俳句である」とばっさり切られましたが、この一言が今日までの作句活動に火をつけてくれました。しかしながらいまだに、自分の目指す俳句はどんなスタイルでどんなポリシーを持って進んでいったらよいのか、混沌のなかに作句を続けています。今後とも、白魚火の街道をはずれてしまわないよう、引き続き、ご指導、ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。
 初めて白魚火誌に目を通した時、あるいは全国大会に初参加した時の思いは「いい結社だな」と確信したことであります。どこがどういいのかと聞かれても明確な一言では表せませんが、これが六十年間継承されている白魚火の無形財産だと思います。今後、十年、二十年後も白魚火会員はもちろん、外部から見てもよい結社と評価されるよう、白魚火文化と共に俳句研鑽の道を歩んで行きたいと思います。ありがとうございました。


経 歴
本  名 檜林 弘一
生  年 昭和二十七年
住  所 三重県名張市

俳 歴
平成十七年  白魚火入会
平成二十一年 白魚火同人
平成二十六年 俳人協会会員


  <檜林弘一君のこと> 萩原 一志

 弘一君、このたびの白魚火賞受賞、誠におめでとうございます。

 弘一君は野球に例えるなら、多才な「トリプルスリー(打率三割以上、本塁打三十本以上、盗塁三十個以上)を達成できる人材」と言えよう。ご存知の通り、二〇一五年のプロ野球は、パリーグはソフトバンクホークス、セリーグはヤクルトスワローズが優勝した。この原動力となったのが、トリプルスリーを達成したホークスの柳田悠岐選手とスワローズの山田哲人選手である。打って走れるトリプルスリーの達成選手はプロ野球の歴史上八人しかいない。又、二人同時の達成は実に六十五年ぶりのことである。野球界のトリプルスリーが先の二人なら、白魚火のそれは弘一君だと私はかねてから思っている。
 では、弘一君の何がトリプルスリーかと言うと、まず一つ目は俳句力。その観察眼の鋭さには敬服する。白魚火入会の四年後の平成二十一年、五十七歳の時に受賞した新鋭賞に続き、みづうみ秀作賞を五回、みづうみ佳作賞を三回も受賞している。又、同じく平成二十一年の函館全国大会での「末枯の丘にヤコフの寝墓かな」が仁尾主宰の特選句及び函館市長賞に輝いたことは記憶に新しい。
 二つ目は巧みな文章力。白魚火七百号記念の随筆賞を受賞した「祖母の句碑」は何度読んでも素晴らしい。母と叔父の三人で故郷に建つ祖母の句碑を訪ねた際の「下山の途中、句碑の方角から夏鶯の声が鮮やかに聞こえた。」と結ぶ描写は余韻の残る名文である。さらに、句作を織物に例えて、「句作における縦糸は結社の伝統や文化のような、時が経っても変わらないもの或いは、変えてはいけないもの、横糸は人と人とのつながりによる縁と、そこから生まれる新たな価値観」と述べている。弘一君の俳句への取り組み姿勢が強く伝わって来る一文である。
 そして三つ目は音楽。ご存知のように、白魚火全国大会では数少ないソリストとして舞台を盛り上げる一人である。高校時代からバンドを組んでいて、天性の音感の良さが備わっているのであろう。
 このように、三拍子揃っての弘一君は、優れた感性と巧みな表現力で、読むものを彼の世界に引き込んでいく。

 ・屋根のみの木造駅舎落し文
 ・コスモスの背丈の順に風を待つ
 ・七色の帯解れゆく秋の虹
 ・二月堂三月堂と余寒かな
 ・上枝より跳んで巣箱に収まりぬ

いずれの句も、白魚火集の巻頭句である。仁尾先生は「白魚火巻頭作品は野球に例えると打率十割でないといけない。大ホームランがあっても、後の二打席三振ではこの座に就けない。」と言われた。省略の見事さと発見への挑戦が読者の心を打つ。
 弘一君は常々、「季語を含んだ十七音の中に新しさを求めることは容易ではないが、新しさの抽出と、十七音の表現の両輪をバランス良く回すことが俳句の醍醐味だ。」と言っている。高校の同級生の集まりからスタートした「榛句会(はいくかい)」も十年の年月が経った。弘一君はその代表として、句友三十名を引っ張っている。弘一君の作成する毎月の句会報は百二十号を数えた。もうしばらくは、現役の会社員と二足の草鞋を履く生活が続くのであろうが、益々のご活躍を祈念する次第である。


  〈受賞のことば〉  林  浩世        林  浩世      

 この度は、白魚火賞を有難うございまた。
 息子の結婚式を五日後に控えた日に、自魚火社から届いた嬉しいお知らせでした。俳句は、この長男がお腹にいるときから始めています。一歳にもみたない息子を句会に連れて行くことを許してくださった句友、その後、句会のたびに預かってくれた母や友人と、本当に沢山の方々に助けられて俳句を作ってまいりました。おかげで息子の成長記録を俳句となって残すことができ、運が良かったと思っています。
 俳句を始めてより、目の前にあっても見えていなかったものが見えてくるようになり、当たり前だったことが新鮮に感じられ、言葉となっていくことの楽しさを知ることができたように思います。また俳句仲間との交流も増え、「俳句を始めて良かった」と言えることが何より嬉しいことです。
 平成十六年に、共に俳句を学んできました清水和子さんの影響を受け、更に学びたいとの思いから、「円坐B句会」に入会し、白魚火にも入れていただきました。仁尾正文先生の温かで適切なご指導、黒崎治夫先生の厳しさと熱さ、また句会の皆様の優しさに甘えて、今日まで楽しく俳句と過ごしてまいりました。
 ただこの二年、私にとって大切な師、沢山の句友を亡くすという辛い出来事が相次ぎました。皆さまからいただいた俳句への情熱をもって、これからも作句をしていきたいと考えております。
 今回の受賞を励みに、白岩敏秀主宰のご指導の下、更に精進していきたいと思いす。今後とも、よろしくお願いいたします。


 経 歴
本  名 林  浩世
生    年 昭和三十年
住  所 浜松市東区
家  族 夫

 俳 歴
昭和六十一年  俳誌「みづうみ」入会
平成十六年  「白魚火」入会
平成十九年  「白魚火」同人
平成二十年   新鋭賞受賞
平成二十二年  第四十九回俳人協会全国俳句大会秀逸
平成二十三年  俳誌「みづうみ」退会
平成二十六年  俳人協会会員
平成二十七年  第二十三回みづうみ賞受賞

<林 浩世さんの横顔> 織田美智子 

 浩世さん、白魚火賞受賞おめでとうございます。また「みづうみ賞」も受賞され、ダブル受賞となりました。重ね重ねおめでとうございます。
 浩世さんは、平成二十年度に「新鋭賞」を受賞されていますので、白魚火の大きな結社賞を三つ受賞されたことになります。平成十六年十月に、白魚火前主宰の仁尾先生が講師をしておられた浜松社会保険センターの俳句講座に入られ、ほとんど同時に、白魚火に入会されました。
  少年の庭に小鳥の来たりけり
  指笛を吹く稔り田をざわめかせ
  秋灯をいくつも点し帰り待つ
 の三句をもって、平成十七年一月号に初登場し、同じ年の七月号には、早くも四句欄に、
  初蝶は光の欠片かもしれず
  ブランコの少女は風になつてをり
  春昼やパステル色の和三盆
  風呂敷の包みは小さし春日傘
 の清新な作品が並んでいます。
 俳句入門は、昭和六十一年に地元の俳句結社「みづうみ」に入会されてよりと伺っていますが、白魚火に入られてからは、ますます熱心に勉強されて、平成十九年七月号から二十一年九月号まで、「今月読んだ本」の執筆もされています。
 その後も、浩世さんの精進はめざましく、平成二十二年には、俳人協会主催の全国俳句大会に於いて、次の句により「秀逸賞」受賞の栄に輝きました。
  弓始まづ青空を仰ぎけり
 更に本年度は、七月号と十二月号に白魚火の巻頭を、また副巻頭にも三回選ばれています。
  握手して別れの言葉爽やかに
 は、十二月号の巻頭句ですが、「全国大会終了後の情景であろう。……来年もまた会えるという明るさが爽やかな言葉を生んだ。」
と白岩主宰が評されています。
 浩世さんのライフワークは考古学です。
 学生時代から考古学研究会に所属し、平成十一年から、礫群実験グループをお仲間と立ちあげて、「遺跡の状況から読みとる当時の生活復元」をテーマに、現在も研究に参加しておられます。そうした浩世さんの生活が感じられる作品に、
  たんぽぽの野となる遺跡歩みけり
 などがあります。
 一方で、浜松歴女探検隊会長(平成二十三年結成)もされていて、井伊直政の検証に始まり、井の国ガイドウオーク、子供鎧試着体験など、多方面に活躍されています。
 そのような多忙の中、平成二十七年の四月からは、浜松社会保険センターの俳句講座の助手もしていただく事になりました。
 仁尾先生の後任講師でいらっしゃる黒崎治夫先生の並々ならぬ俳句への熱い思いを込めたご指導に応えて、これからも浩世さんは更なる深化を続けられる事と確信しています。


同人賞
 飯塚 比呂子

   七 日 粥
草の香の湯気やはらかに七日粥
三人に三個割りたる寒卵
野仏の面おだやかに日脚伸ぶ
白梅の蕾にはしるみどりかな
神の木に宿れる楢の芽吹きけり
グローブに球噛ませあり風光る
さくら舞ふスクールバスの停留所
散ることの外なき雨後のさくらかな
山陰に白蓮の歌碑春愁ふ
大麦に小麦に渡る風の色
お手玉で遊ぶリハビリえごの花
川風を乘り継ぎ竹の葉散りにけり
パン屋来てパンふたつ買ふ梅雨の明け
海の日の目覚めに返す砂時計
台風を追ひ台風の来たりけり
あかとんぼ空高ければ高く飛ぶ
秋風や一円玉の貯金箱
行く秋のバスの座席に小座布団
水深を色に測れり渡り鳥
燃え止しの文の一片雪の上に

 -同人賞受賞の言葉、祝いの言葉-
<受賞のことば> 飯塚 比呂子              後藤 政春
 

 この時季にしては、暖かい日の続いた十一月十九日、同人賞のお知らせをいただきました。とても驚いたのと、嬉しさと、こんな私で良かったのかしら、こんな私より、もっとこの賞にふさわしい方がいらっしゃるのではと、思ったとき、急に緊張感に襲われ、落着きを失いました。思えば、平成の始め近所にお住まいの、剱持妙子さんに、俳句へのお誘いをいただいてから、早くも二十余年が経ちました。俳句について、一からご指導戴き、今では、私に取って俳句は、なくてはならないものになっております。俳句に向き合っている時間が好きで、気持が安らぐように感じます。
 今の私がありますのも、故仁尾正文先生始め、白岩敏秀主宰、村上尚子先生、諸先生方にお育ていただいてのことと、心より感謝申し上げます。
 群馬白魚火会に於きましても 故鈴木吾亦紅先生、故笛木峨堂先生、田村萠尖先生、諸先輩、句友の皆様、そして、こまくさ会の皆様に深く御礼を申し上げます。
 これからも、この賞に恥じないよう、精進致す所存にございます。
 今後とも、ご指導よろしくお願い申し上げます。
 この度は、大変ありがとうございました。


 経 歴
本  名 飯塚 弘子
生  年 昭和十五年
住  所 群馬県吾妻郡中之条町
家  族 夫と二人

 俳 歴
平成二年   白魚火入会
平成八年   白魚火同人
平成十五年、十六年 みづうみ賞佳作
平成十七年から みづうみ秀作賞五回
平成二十二年 みづうみ賞
平成二十七年 俳人協会入会 


  <飯塚比呂子さんのこと> 剱持 妙子  
     
 比呂子さん同人賞受賞お目出度うございます。
 比呂子さんが俳句を始められたのは二十数年前のことです。嫁ぎ先の両親を看とり、嫁としての務めを果たし、ご主人は町役場に勤務され、二人の娘さんはそれぞれ嫁ぎ一人の自由の時間が多く持てる様になったと思われたので俳句をしてみませんかと誘いました。以来比呂子さんは俳句の友であり、親しい友人としていろいろお世話になっています。
 比呂子さんご夫妻には息子の仲人もして頂きお世話になりました。
 比呂子さんは何事にも熱心で真剣に取り組む人です。俳句を作る事が性に合っていたのでしょう。白魚火に入会されてからは地域の俳句会は勿論、群馬白魚火吟行会、白魚火全国大会等進んで参加され俳句もめきめき上達してどこの俳句会でも特選を沢山貰っていました。同じ頃始めた書道はたちまち師範を取る腕前でしっかりした正確な字です。吾妻地区の俳句会では何時も清記の役を務めて来ました。
 家が近いので時々遊びに行くと、厚さ十センチ程もある季語集を座右に勉強していました。みづうみ賞にも毎年挑戦して佳作賞、秀作賞を何度も受賞されています。平成二十二年には最高のみづうみ賞を受賞されたのです。白魚火の皆さんは比呂子さんをご存じの方がたくさん居られると思います。
 白魚火の俳句は「足もて作る」がモットーなので半日位で行ける榛名湖や利根沼田方面近くの神社や寺など句材をさがしに出掛けます。比呂子さんは毎月二十句も三十句も沢山俳句を作るので感心です。
 比呂子さんの句は季語が上手に使われ読んですぐ納得できる素直なやさしい句です。私は比呂子さんの句が好きで五句選の俳句会に比呂子さんの句を三句も拾う事があります。
 ○秋風や一円玉の貯金箱
 ○口切りの珈琲の香のさはやかに
 ○あかとんぼ空高ければ高く飛ぶ
などその一例です。比呂子さんの受賞を私も大変嬉しく思っています。
 現在はご主人も退職され悠悠自適の生活の中、比呂子さんは俳句に専念しています。
 比呂子さんは健康にも留意され早起きで毎日七千歩位歩いているそうです。これからも身体に気を付け最高の賞をめざして頑張って下さい。おめでとうございました。
 最後に私の好きな比呂子さんの句を記して受賞のお祝いとさせて頂きます。
 ○ふらここに揺られてママの背に眠る
 ○児等の声聞ける幸せ昭和の日
 ○お手玉で遊ぶリハビリえごの花
 ○話好きの庭師来てゐる小春かな
 ○トーン少し上げて挨拶今朝の秋
                                    以上

   新鋭賞 
  野﨑 京子

   春コート
手を休め夫婦向き合ひ御慶かな
うさぎありきつねもありし雛人形
雛茶会着飾りし姫集まれり
春コート背筋伸ばして歩きけり
うぐひすよまだまだ修行足りませぬ
燕来て巣作り相談始めをり
アマリリス背中合はせに咲きにけり
紫陽花や男ばかりのレストラン
紫蘇の葉の大きな穴のものばかり
二の腕と腿にくつきり水着跡
あれそれで話の通ず冷し瓜
ぼうふらの柄杓の中でフラダンス
二十日月酌み交はさうと待つてをり
鶏頭の網を呑み込み咲いてをり
落葉して少し遠くの見えて来る

新鋭賞受賞の言葉、祝いの言葉
   

<受賞のことば> 野﨑 京子                高内 尚子

 この度は新鋭賞をいただきありがとうございました。
 私はお茶の稽古に通っておりまして、その仲間の小浜さんが俳句をされている事は以前より知ってはいましたが、まさか自分がするようになるとは思ってもいませんでした。
 ある時「あなた達も俳句をしてみない」と誘われたのが始まりでした。
 感動、悲しみ、喜びを「見たまま、感じたままを書けばいいんです。」そう言われても難しいです。
 それでも小浜さんに「これはいい。おもしろいねえ。」と言われると嬉しくて、良かったなあ、もうちょっと頑張ろうかなあと、思います。
 あたたかく見守ってくださったおかげで、このような賞をいただく事ができました。有難うございました。

 経 歴
本  名 野﨑 京子
生  年 昭和三十三年
住  所 唐津市

 俳 歴
平成二十三年 白魚火入会


   <野﨑京子さんのこと>  小浜史都女

 野﨑京子さん、この度の新鋭賞おめでとうございます。
 こつこつ努力し、続けてきたことが実って自分のことのように嬉しく、心からお祝い申しあげます。
 大分県で生まれ育った京子さんは、父親の転勤とともに現在の唐津市に住まわれるようになったとか。自分も働くようになり、職場は男性ばかりだったとかで、お茶の道に入り四十年近くなるそうです。京子さんとはお茶の道でのお付き合いでした。同じ先生に学び、平成六年にお茶の教授職資格を得るために京子さんと二人、佐賀から着物を着て鎌倉に出かけたことも今では懐しい。現在も仲間五人火曜日にお稽古に通っている。その名も花葉会と。親子程年齢は離れているが仲良しの友人である。お稽古の折、時々俳句の話をするようになり、自然に俳句に興味をもって作ってきては見せてくれるようになり、白魚火誌友として三人一緒にデビューした。この花葉会の仲間とは句会も吟行もしないが身辺のこと、写生したもの等こつこつ努力し続けて、力がついてきた。
 京子さんは、おだやかで優しく、それでいてしっかり者といった印象で、お茶ではリーダー的存在である。又勉強家で誰からも好かれるタイプの人。
 京子さんの作品に少し触れてみよう。おだやかな人柄の通りやさしさがあり、時には意表をついた言葉が出てきて楽しい句が多い。
仁尾先生の選から少しあげると
  食欲の落ちて夏瘦せしてみたし
  風鈴や風なき日には息をかけ
  枝豆のいいあんばいに茹であがる
  佐保姫や絵の具を持つてやつてきし
  本当に雨になりたる雨水かな
  一茶忌や雀一羽も寄つて来ず
  梅貰ひ本の通りに漬けてみる
仁尾先生の白魚火秀句の評がまた楽しい。
  サイダーの暴れまはつて喉通る
 「作者はその時の実感を素直に表現したことにより一句を成した。今私は初めてサイダーを飲んだ日のことを思い出して頷いている。今後も「サイダー」を飲むたびにこの句を思い出すことであろう。」
  たつぷりと炭を継ぎ足す茶の稽古
  先付けは秋の実りの吹き寄せに
  炉開きの稽古に少しおめかしす
  利久忌やこころを込めて茶の稽古
 京子さんの作品にはお茶の句も多く、その時々が思い出される。
 お茶の道も俳句の道も長く、深く険しいと思うが京子さんの句はこれからだと思う。沢山作って俳句を好きになって欲しい。そしてもっと積極的に前に進まれ、この賞を契機に更に精進されるよう期待します。京子さん、おめでとう。心よりお祝い申しあげます。

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