最終更新日(Update)'11.09.30

白魚火 平成23年6月号 抜粋

(通巻第673号)
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 6月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句    田村萠尖
「風葬」(近詠) 仁尾正文  
曙集鳥雲集(一部掲載)安食彰彦ほか
白光集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
       
阿部晴江戸、佐藤升子 ほか    
白光秀句  白岩敏秀
句会報  磐田支部「槇の会」 埋田あい
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載)
          本杉郁代、中村國司 ほか
白魚火秀句 仁尾正文


季節の一句

(群馬) 田村萠尖 

 昭和二十年八月末、敗戦により生れ在所に復員した。生家は群馬の山手で、ほとんどの家が農業や林業で生計を立てていた。幸い同年十月から公務員として中之条町内の職場に就職でき、日曜、祭日には少しばかりの畑作業をして食生活の一部を賄ってきた。五十八才の定年で県職員を辞め、民間会社に再就職し六十五才で自由の身となった。以後俄百姓と俳句や書を友としながら米寿を迎えることができた。底の浅い経験ながら、今回は農に関係のある句を取り上げさせて頂いた。

白鷺の一羽降り佇つ刈田跡 岡本千歳
  (平成二十二年十一月号 白光集)

 稲架も片付けられ、静もりかえった刈田の中に降り佇った白鷺一羽。しばらくは動こうともしないで四囲を警戒していたが、ややあって畦近くまで歩を移した。悠然として歩くその姿が刈田にはそぐわない美しさで、行く秋の景を一段とひきたてている作。

もろこしの髭が教ふる稔りかな 加藤明子
  (平成二十二年十一月号 白魚火集)

 とうもろこしの食べごろを見分けるのには、房についた髭状の毛の色の変化によって識別するのが一般化している。とは言っても経験を積まないと、もろこしの実が若すぎたり、又は固くなって甘味が落ちたりする。
 掲句の〝髭が教ふる〟の中七の働きによって、収穫を目前にする当事者の期待感が伝わってきそうである。

誰彼に聞いて大根蒔きにけり 奥田美惠子
   (平成二十二年十一月号 白魚火集)

 「明日、大根を蒔こうと思うけど早くない」「早くはないと思うよ。朝ちゃんの家では三日ほど前に蒔いてたから!」
 「よし子さんも昨日蒔くと言っていたよ。」
 こんな女性同志の会話が聞えてきそうな田園の平和な一刻が目に浮ぶ句である。 


曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 茅 の 輪  安食彰彦

河鹿笛澄む笛あとのつづかずに
糸とんぼ阿弥陀の池にくつろげり
石楠花の飛石ひとつ隠しけり
かなぶんを指でつまんで外に放る
湯に流す湯殿の中の大百足虫
死に処得たるが如し火蛾乱舞
眼を閉ぢて二拝四拍手注連涼し
左右左と茅の輪くぐりけり


 白 い 夏  青木華都子

戦場ヶ原一面の白い夏
万緑やベンチはどれも二人掛け
ビアガーデンで逢ふ約束のざんざ降り
京菓子の彩は七色涼しかり
蛇消えしあたりの草の蛇臭し
夕立来る前のざわめき橡並木
雷雲を眼下に日本海越ゆる
日・韓をつなぐ掛け橋虹の橋


 四年一組  白岩敏秀

時鳥鳴いて明けゆく石切場
山女釣棚田の径を下りゆけり
郭公や夕日溜りの雑木山
短夜を更に短く雨降れり
鉄橋を真上に鮎を釣つてをり
二の丸へ登りとなりぬ夏薊
女子多き四年一組目高飼ふ
白南風や港の船にロシヤ文字


 蛇 の 衣  坂本タカ女
 
一文字の山羊の瞳や春の雲
囀や柵に顎をのせて山羊
蛇の衣ピアノの上にとりあへず
名を思ひだせざり蛇の蛻かな
自転車の少年少女鴉の巣
トラックに積むトラクター蕗の雨
車ごと入りて行きぬ緑蔭へ
夕郭公小屋へと羊戻りゆく


 草 笛  鈴木三都夫

風薫る二番茶の芽をささめかし
刈り急ぐ二番茶の芽に雨催ふ
草笛の鳴るの鳴らぬの鳴りにけり
草笛の一吹きにして大音痴
四阿へ径の隠るる濃紫陽花
紫陽花の雨に滲みし次の色
声変りして乱鶯となりにけり
木の暗を出て木の暗へせせらげる
 風 鈴  山根仙花

平凡に老い菖蒲湯に沈みけり
浜昼顔咲くや波音ききながら
低くとぶ梅雨蝶に影なかりけり
山蟻の漆黒濡らし雨上る
鳥一羽吹き上げられし青嵐
散らかりしままの机上や明け易し
気嫌よき風鈴の音に目覚めけり
どこか鳴る風鈴留守の家を訪ふ

 山 姥  小浜史都女
紫陽花や寺の子猫に懐かれて
飛び石の好きな女ら濃紫陽花
木を選ぶことなく定家かづらかな
梅雨霧の湧きつぎ山姥ゐさうなる
吊橋の袂涼しく剪られゐし
御歯黒の翅より昏るる流れかな
小さき滝出来て小さき壺も出来
初ひぐらし雨のあとまた雨となる

 庫 裡  小林梨花
境内の池に金魚の翻る
新築の庫裡に吹き込む青葉風
梅雨湿り賓頭盧尊の頭陀袋
白緒下駄揃へて庫裡の涼しげに
開け放つ御堂広々青田風
堂縁に少女振舞ふ新茶の香
観音の三十三身梅雨深し
馬鈴薯を掘りかけ人の居ぬ寺領

 不 惑  鶴見一石子
あいようのワープロの部屋明易し
萍や宿場なごりの水車
泰平の家光廟の落し文
ほうたるの命の水に闇奔る
大鬼怒の闇真つ平ら初蛍
物の怪の出さう胴塚夜の蟇
蜘蛛の囲の雁字搦めの夢醒むる
言ひ訳はせぬ甚平の不惑たり

 アマリリス  渡邉春枝
子燕や縁側に乾す旅鞄
みどり児の踏み出す一歩アマリリス
父の日の父の好きなる切手貼る
風入れや母の箪笥に父のもの
朴の葉を叩く半夏の雨滴かな
ホテル建つ話うやむや草茂る
水音のたて横ななめ梅雨の滝
医者ぎらひ薬ぎらひの登山帽


鳥雲集
〔上席同人 作品〕   
一部のみ。 順次掲載  

 通し土間  寺澤朝子
衣更へて身一つなりし旅支度
六月の風香しき裏六甲
火襷の彩ありありと夏初め
空かけて峡はあふちの花盛り
土笛は古代の音いろ蓮ひらく
涼しさや母の生家の通し土間

 高 瀬 舟  野口一秋
繋留の高瀬舟にも落し文
打水や関守石のところまで
蝉生る余命を刻む一歩二歩
ひとり住む虞美人草を侍らせて
四六時中空気呼びゐる風知草
天守閣樗の花の靉靆と

 辣韮掘る  福村ミサ子
掘られたる跡の匂へる辣韮畑
辣韮掘る砂丘に夕日落つるまで
夜涼の灯てふは漁師の働く灯
黒南風や荷上げに船を傾けて
浜ひるがほ使はぬ舟は裏見せて
切株に洗ひ米置く安居寺

 庄 屋 跡  松田千世子
旧街道途切れし辺り濃あぢさゐ
老鴬の迎へてくれし長屋門
紫陽花の雨に明るき庄屋跡
一堂に昔の農具麦の秋
首ぎゆうと括り玉葱一並び
形代の袂なにやら一行詩
 青 蛙  三島玉絵
夏茉萸の甘味澁みのなつかしき
賽噛ます朱唇の獅子や青蛙
青葉光慈母観音の太き指
老鴬の声聞きに来し寺領かな
新築の庫裏の奥までみどりさす
山清水一気に巌を奔り

 林業試験場 今井星女
萬緑や林業試験場とあり
精英樹なる杉落葉掻きにけり
精英樹なる杉花粉浴びにけり
老鶯の声を賞むれば又鳴ける
三日毎草刈らねばと草刈女
専属といふ三人の草刈女

 南風吹く  織田美智子
老鶯のこゑの続きに間のありぬ
あづまやに雨のさみどり電波の日
洗髪さらさら乾く夜風かな
南風吹く木の天辺に男の子
断髪をして涼し気に老い給ふ
隠れ住むごとし十薬軒に吊り

 白 扇  笠原沢江
白扇に師の御染筆米寿の賀
園丁の腰籠に摘む花菖蒲
参道は七曲り坂七変化
色付いて急に数増す実梅かな
取る事に始まる一と日梅漬くる
目障りにならぬ処で三尺寝


白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
仁尾正文選

   牧之原  本杉郁代

蛍舞ふ命の日数惜しむかに
手囲ひの中に点れる蛍かな
紫陽花の盛りの色を留めけり
竹皮を脱ぎ散らかして伸びにけり
夏萩や次の札所は文殊さま


   鹿沼  中村國司

雨の中雨の匂ひの薔薇を剪る
堰越ゆる水はしろがね雲の峰
例幣使街道を行くサングラス
富士山に尻を向けたる田草取
平家谷なる八重山の夏がすみ


白魚火秀句
仁尾正文

夏萩や次の札所は文殊さま 本杉郁代

 札所といえば四国八十八札所が先ず浮ぶが、坂東、西国の三十三観音札所や遠州、出雲の薬師如来札所にも巡礼が絶えない。四国八十八ヶ所には八十八の札所があり、本尊も釈迦、阿弥陀、薬師、観音などが多くその他にもさまざまな仏像が祀られているが、文殊菩薩が本尊の寺は、高知市内の第三十一番竹林寺だけである。文殊菩薩は普賢菩薩と共に釈迦の脇侍仏で、それぞれ智恵、修業を象徴する仏である。一句は、季語の「夏萩」が釈迦脇侍の文殊菩薩を確と受け止めて品格がある。
 なお、この竹林寺に係って、よさこい節の一節に「土佐の高知のはりまや橋で坊さんかんざし買うを見た」の坊さんは竹林寺の脇坊の僧、町娘に恋をしたことで褒貶が起り竹林寺を世間的に有名にしたとも伝えられている。

平家谷なる八重山の夏がすみ 中村國司

 源平の合戦では至る所で平家が敗れたのでその残党が隠れ住んだと伝えられる所が平家谷。その中でも長野県の秋山郷、静岡県北部の京丸、合掌集落で名高い福井県の五箇山、葛橋で知られる徳島県の祖谷山、熊本県の五家等が有名である。
 掲句の「八重山」は幾重にも重なっている峻岳。おしなべて平家谷はV字渓谷で人々は両岸の険しい斜面にへばりついて暮し、短い日照に耐えられる、稗、そば、里芋などを主食にしてきた。昔は対岸の斜面の人々との間で合図をしたり大声で意志の疎通を図ってきた。何しろ渓底へ下りて斜面を登るのには一時間以上かかったのである。谷の天気も変り易く、掲句の夏がすみなどは穏やかな気象の中に入るといえる。
 一句は平家谷の厳しい地勢や気象を詠んで落人の集落に身を置いてみたかったのだ。

朝咲きし沙羅の花落つ夕べかな 渡辺晴峰

 朝には白妙の花弁の沙羅も夕べには、少しの傷みもなく落花する。このように詠まれると、無常の世にあって生死の測り知れない例えの「朝には紅顔ありて夕べには白骨となる」という言葉を想起する。
朝の茶に語らふ死後や沙羅の花 波郷
もこの系譜の句。沙羅が涅槃絵の沙羅双樹と語感が似ているので「無常」を思わせる。植物として本来の「夏椿」として詠むと句は清楚なものになる筈であるが。

先生のもう来る頃や水を打つ 竹内芳子

 教師の家庭訪問を迎える準備に水を打っている。心のこもったもてなしである。私どもが学童だった頃は、兄弟姉妹も多く、両親も多忙であったので、農良着姿の母も教師も上り框に腰かけて話していた。どんな話をしたかは知らぬが先生が来てくれて嬉しかった。

風評被害なくて二番茶終りけり 中野キヨ子

 福島原発の影響は予想もしない遠隔地にも及んでいる。茶所静岡県でも一部の地区で放射線が一番茶の生葉、製茶から検出されて問題になりかけていたが知事の各方面への毅然とした対応で解決し、恐い風評被害も起きなかった。茶農家である作者は、死活に係る問題であっただけにほっとしている。何よりの結果であった。

大綱引呼子に祭来りけり 鍵山皐月

 東日本で大綱引は小正月行事として行われている所が多い。海中の綱を集落対抗で若衆が引き競い、勝った方に豊漁が約束されるとしてきた。佐賀の呼子漁港ではこれを夏祭に行っているようだ。祭のメインイベントではなかろうか。

峨堂忌の浅沙に風の渡りゆく 荒井孝子

 笛木峨堂氏は平成十九年七月十四日浅沙の花の頃九十歳を目前にして亡くなった。白魚火全国俳句大会では自句が披講されると「フエキーガッドウ」と満場を揺るがす程の声で名乘りを上げ大会の名物男であった。鈴木吾亦紅氏と相協力して群馬白魚火会を百名にした功績は忘れられない。百歳迄は死なぬと言い続けていたことも忘れていない。

ハンカチに古都の思ひ出宝相華 大澤のり子

 宝相華はからくさ模様のこと。古都の土産のからくさ模様のハンカチを取り出しては、その旅を思い起している。

しぶきあげ躍りあがりて滝落つる 太田昭子

 滝上から水が落ち始めるやいなや、しぶきを上げて躍る如く落下している。勇壮な滝を力強いタッチで活写した。

    その他触れたかった秀句     
太宰忌の過ぎし木曽川うす濁り
訃報とふ消息届く蛍の夜
風鈴を爪先立ちで吊しけり
捥ぎ立てのすももの香る朝の卓
傘立は大きな壺や花菖蒲
遊船の出鼻大波くらひけり
京町屋まさ子と染めし夏のれん
夕さりのきりりと立てる白牡丹
山開き神官の沓ほがらなる
放哉の無季の句碑あり島の薄暑
はちきんと注しつ注されつ土佐の夏
時の日や薄き罫ある頼信紙
夏休み坐禅の募集始まれり
午後八時蛍の刻となりにけり
蛍の夜コーヒーカップの銀の匙
鈴木敬子
石川寿樹
石川純子
吉田美鈴
星 揚子
檜林弘一
島田愃平
西田美木子
山岸美重子
中山雅子
土井義則
高橋圭子
有田きく子
剣持妙子
荻野晃正


白光集
〔同人作品〕 巻頭句
白岩敏秀選

   阿部晴江

鑿の跡残る洞門青嵐
梅雨深し庫裏の引戸の軋みたる
堰越ゆる水音涼し疎水の碑
存分に濡るる庭石夏暖簾
模糊として水に沈みし心太


   佐藤升子

名札見て薔薇見て園を巡りけり
神輿来る清めの水をしたたらせ
祭笹揺れて恋沢橋暮るる
電球を手元に切子削りをり
桜桃を飾り一皿仕上がりぬ


白光秀句
白岩敏秀

模糊として水に沈みし心太 阿部晴江

模糊―「はっきりしないさま。ぼんやりしたさま」と辞書にある。それで思い出すのは日野草城の「ところてん煙のごとく沈みをり」の句。草城は心太を見てたちどころに十数句創ったという。たしかに突き棒で突き出された心太は桶に張った清水のなかに煙のごとく模糊として沈んでいく。スーパーなどに売っているナイロン袋の心太とはひと味違う心太である。
冷えた清水に同化していくように沈む透明な心太に清涼感がある。実際に見ていなければ生まれなかった「模糊」だと思う。
鑿の跡残る洞門青嵐
「…了海が力を籠めて振り下した鎚が、朽木を打つがごとくなんの手答えなく力余って、鎚を持った右の掌が岩に当たったので、彼は「あっ」と、思わず声を上げた。その時であった。了海の朦朧たる老眼にも、紛れもなくその鎚に破られたる小さな穴から、月の光に照らされたる山国川の姿がありありと映ったのである。…」(菊池 寛 「恩讐の彼方に」)
鑿の跡の残る「青の洞門」は大分県中津市本耶馬溪町の山国川の右岸にある。

祭笹揺れて恋沢橋暮るる 佐藤升子

 待ち人は来たのだろうか。そんな思いをさせる句である。祭、恋沢橋、夕暮れと畳みかけてくる言葉がそんな想像をさせるのだろう。
 石田波郷の「葛咲くや嬬恋村の字いくつ」の嬬恋村は実際に存在する字で「八月、草津にいる義妹を迎えにゆく途中…鹿沢に出かけ徒歩で一村が一郡の大きさをもつという嬬恋村の字々を通り抜けた」(波郷百句)とある。
 掲句の恋沢橋が実在するかどうかは別として、祭の興奮の余韻のような揺れている祭笹と静かに暮れていく橋に存在感がある。
 祭という非日常性も人の日常性も、恋沢橋という美しい名を持つ橋に統一されて暮れてゆく祭りの日。洗練された言葉に豊かな詩の世界がある。

新樹光城を起点の案内図 村上尚子

 一連の作品から伊賀上野への旅行吟のようだ。とすればこの案内図の城は伊賀上野城、別名白鳳城。城郭の美しさが鳳凰を思わせるところからこの雅名がついたという。
作者はこの地図を手に芭蕉ゆかりの場所を訪ねられたことだろう。伊賀上野の木々が瑞々しい光を放っている季節である。
 「主宰を囲む吟行会」が伊賀上野で行われたのは平成二十二年五月三十一日。その時も城は新樹に囲まれていた。
 案内図に従って辿る道は芭蕉を追慕する道でもあり、芭蕉を再発見する道でもある。

鮎生簀浅瀬に沈め釣場決む 瀬下光魚

 飯田龍太の釣りの先生は井伏鱒二である(尤も正式に認可は得ていないそうだが)。井伏鱒二の師匠が佐藤垢石老。その垢石老の言う釣りの心得とは「釣竿を持つには、先ず邪念があってはならない。自分は山川草木の一部分であれと念じなければいけない」(「川釣り」井伏鱒二著 岩波文庫)である。
 掲句の作者も釣りの名手。しっかりと釣りの心得を踏まえた上で釣場を決めたのである。釣果の多寡に拘泥することなく、山川草木の一部分となって一日の釣りを楽しむのである。

裏返すオールに夏の日ざしかな 田中ゆうき

 健康な句である。自分が漕ぐオールであれ、見ているオールであれ、動くたびにオールに夏の日がきらきらと光る。夏の青い空と青い水面。そして静かに進むボート。
 句の中に「ボート」の言葉もなく、「日を弾く」という強い表現もない。省略と抑制がかえって句を健康で明るいものにしている。

青田風貰ひ生涯暮らしけり 勝部チエ子

 「青田風貰ひ」とは、生涯を農に携わってということだろう。
農に生まれ、農に育ち、農に暮らす。そして今、すくすくと育った青田の風を貰っている。ここに来るまでには様々なことがあったであろうが、そんな苦労を忘れさせるほど気持ちのよい青田風である。農に生きてきた尊い人生がこの句にはある。

形代に一つ齢を足しにけり 山本美好
 形代は旧暦六月晦日に行われる御祓に使われる。
 作者は毎年この御祓の神事に参加しているのだろう。形代に書く名前は変わることはないが、年齢は確実に増えていく。淡々と叙されているが、重ねてきた齢に対するしみじみとした思いが確実に伝わってくる。

介護終へ夕焼の中へ帰りゆく 北原みどり
 
この句で注目したのは「夕焼の中へ」の「へ」。「を」でも句としては問題はないが、報告のような感じを受ける。「へ」であったから夕焼けと一体感が生まれた。貴重な一語である。

    その他の感銘句
船下りて一人一人の夏ゆうべ
火の神を囲炉裏に治め夏に入る
旅の傘少しぬらせり虎ケ雨
仲よしの恋人未満ソーダ水
病院の食堂に住むめだかかな
半夏生おしやれして見るピカソの絵
梅雨晴や農夫の長き立ち話
朝市や木曽の土つけ淡竹の子
余震なほ目高の水のゆれてをり
対岸に雲のやうなる花樗
鈴蘭や山鳩午後を鳴き継いで
草の香のほのかな茅の輪くぐりけり
女の声ばかりが届く青田道
虹二重天草五島に懸りをり
水荒く使ふ魚市明早し
中山雅史
今泉早知
橋本志げの
挾間敏子
原 和子
谷山瑞枝
篠原庄治
鈴木喜久栄
早川三知子
吉村道子
田原桂子
大石越代
中西晃子
池田都貴
鈴木利久

禁無断転載