最終更新日(updated) 2008.12.27
白魚火平成20年10月号より転載
支部・地方の便り
期間:平成20年7月6-8日
   於:松江市  ホテル 一畑
下記文字列をクリックするとその文章へジャンプします。
車で全国大会へ                (浜松)大城信昭
俳句合宿?          (佐賀)谷山瑞枝
松江大会へは三度目        (栃木)和田伊都美
白魚火松江全国大会参加記  (群馬)坂本清實
紫陽花で学んだこと        (雲南)三上美知子
出雲大社のお守り          (士別)小林布佐子
観光ガイドとスナップ撮り  (松江)梶川 裕子
大会の迫力、連帯の絆      (東広島)中山 仰
感謝と反省          (松江)西村 松子
城下町・水郷の町「松江」白魚火全国大会参加記 (札幌)浅野数方
   平成20年10月号へ


車で全国大会へ
 (浜松)大城信昭
 浜松白魚火円坐Aの参加者、忠義、芙美子、泰子、信昭の四名は「松江まで鉄道で往復するだけじゃ詰まらないね」、「一寸遠いけど、車で行こうか」で意見が纏まった。
 大会前日の五日早朝、二五〇〇CCのステーションワゴンで浜松を出発、忠義、信昭が交代でハンドルを握り、東名、名神、中国自動車道と進む。会計は芙美子。三次より国道三七五号に入り、二時にやっと石見銀山へ着いた。 繁栄の面影を殆ど留めない寂れた大森集落を草木の名を教え合いながら歩く。目的の、観光用によく整備された通り抜け式坑道「龍源寺間歩」を潜り抜け、往時の採掘工の苦労の一端を肌で感じる。
 次は十粁先の仁摩町琴ヶ浜へ、漁村の隘路を進む。他に誰もいない五時の鳴き砂の浜、泰子が素足の摺り足で「きゅっ」「きゅっ」と楽しそうに砂を鳴かせてみせる。石英粒が多い清浄な砂ゆえに鳴くのだとか。
 初日最後の走行は国道九号を宍道湖沿いに松江まで。途中、当地名代の嫁ヶ島の夕焼けを待つも、西空の厚い雲のために見られず。松江駅前の宿に着き、新鮮な海の幸と生ビールで旅の疲れを癒す。
 六日午前、安来市郊外の足立美術館で、有名な白砂青松の庭園を見る。広さと手入れのよさは聞きしに勝る。職種に拘らず職員五十名全員が毎日草取りと落葉掃きをするのだそうだ。遠くに配置された十五米の人工滝と緑豊かな中国山地の借景も素晴らしい。大観の絵と魯山人の焼き物を鑑賞し、由緒ある茶室でお茶を一服。序でに近くの月山富田城址を車で一周、夏草に覆われたその姿に諸行無常を感じた。
 それから、和鋼博物館を訪れ、日本刀の製造工程を勉強。昼時となったので近くの古い蕎麦屋で手打ちの出雲蕎麦を啜る。
 松江に戻り「ホテル一畑」に入ると、一年ぶりの懐かしい顔々があちこちにあった。
 七日の自由吟行も車。先ず松江城天守の分厚い桐の階段を素足で登る。足裏がひんやりしてとても気持ちがいい。続けて堀川端、八雲記念館、武家屋敷、亀の碑の月照寺と回った。八日朝には、十時よりの句会の前に、一畑薬師参りも果した。
 大会を終えた八日午後、「白魚火」の印刷所である報光社を訪問。営業の長廻さんとPCオペレータの方に初めて会って、毎月の「白魚火ホームページ」用電子データ送付のお礼を述べる。折角だからと、常務で白魚火同人の原和子さんの案内で「平田一式飾り」の展示で知られる平田、本町商店街を駆け足で廻る。二百年の歴史を持つ一式飾りは、何か或る生活用具「一式」を用い、モチーフの模造を作り上げる「作り物」の一種である。さるショーウインドーで見た陶器一式製の北条時宗は出色の出来栄え、まさに芸術品だ。
 そして、最後の目的地、出雲大社へと向かう。八雲山南麓に社は鎮座していた。広く長い真直ぐな参道で、遠くに北海道白魚火の人たちを見掛け、不作法にも大声で呼び掛けてしまった。平成大遷宮の本殿へは近付けずに遠く仰ぎ見るのみ。斜めに見る千木がVサインに見えた。
 四時過ぎに高速に入り、米子自動車道より伯耆大山の優美な山容を眺めて「さらば山陰!」と呟く。車内では、お喋りが果てしなく続く。配偶者のこと、老後用の蓄財法、会社勤めの思い出、今回の特選句の辛口批評等々。深夜の東名は、翌朝東京に届ける荷を積んだ箱型大型トラックが延々と列をなし、轟音を発しながら爆走している。その中を縫うように走り、九日零時半、無事浜松西インターに着いた。
 四人とも、句会での特選こそ貰えなかったものの、種々数多を見聞し、車中での会話は留まることを知らず、誠に楽しい一四〇〇粁のドライブであった。



俳句合宿?
(佐賀)谷山瑞枝
 七月五日、早朝の福岡空港から、出雲行は霧の為折り返すこともある…。と、不安を感じながら搭乗する。プロペラ付の小型機は無事に出雲空港到着。予定通りレンタカーで、武永江邨氏の案内で吟行がスタートした。最初は、荒神谷遺跡へ、蓮祭りが開催されていて、花も見頃。遺跡の谷では孤雨に合い、びしょ濡れでボランティアの説明を聞いた。蓮の葉に孔を開け長い茎を通して酒やお茶を飲む「象鼻杯」というイベントが行われていた。長い茎の太いストローの中に大小の孔が通っていた。体験出来ずちょっと残念。
 雨も止んで出雲大社へ、途中ワイナリーに立ち寄り試飲。大社では大注連縄に賽銭を挟み込むことに皆夢中になり、入るまで挑戦した。昼食で近くの蕎麦屋へ割子蕎麦を賞味する。
 その後江邨氏宅へ寄り、奥様の接待を受け、八重垣神社へ。ここで東広島の方々と会う。鏡池で縁占いを楽しみ、風土記の丘へ、資料館から古墳を巡るときは暑さのピーク。江邨氏と別れて、前泊の松江駅前の東急インへ、チェックイン。美しい宍道湖に夕日が落ちた頃、ホテル近くの海鮮料理店にて四人で前夜祭。ホテルでは四人でささやかな句会をし、二十三時前には熟睡。
 二日目六時半起床、テレビに合わせ、ひろ女さんとどちらからともなく無言のまま、ラジオ体操をはじめる。合宿みたいと大笑い。
 一畑ホテルに荷物を預け、ロビーにて仁尾主宰はじめ静岡の方々と会う。松江城へと後を追う。搦手口より出てしばらく行くと、李の木があった。熟れた実が数個残っているのを発見。土手に上り木を揺らしてゲット。四人で一つの李を齧る、甘くておいしかった。
 七日の懇親会終了後、部屋に戻り、ヨガで身体を解した後、襖の開閉、座布団の座り方などの礼儀作法等も習い、三日目の合宿も終り、早めに休む。
 大会最後の日、再度蜆採りを見に行く。ギャラリーは昨日と大違いで三人だけ。松江大橋付近では、漁師さんは舟から降りて湖に立ち蜆採りを行っていた。
 大会終了後、再度レンタカーにて、道に迷いながら、一都句碑の天倫寺へ。その後一畑薬師寺へ、五日を合わせ宍道湖を一周し出雲空港より帰路に着く。
 今年の「ひひな会」は四人出席で、ちょっと淋しかったが、早寝早起き、吟行地も盛り沢山で楽しく充実感のあふれる大会だった。
 江邨さんはじめ、皆様どうもお世話になりました。


 松江大会へは三度目
(栃木)和田伊都美
 私達は、鶴見一石子氏に伴われ女性三人(野沢房子さん、江連江女さん、私)で七月五日早朝より乗り継ぎ出雲空港へ九時四十分頃降り立った。
 早速、依頼済みの観光タクシーで石見銀山周辺を吟行した。
 銀山間歩の滴りの中を一歩一歩歩く、四百年程前の筆舌に尽くしがたい苦労の汗と涙を偲びつつ…。
 “今昔間歩の入口滴れり”  伊都美
 銀山で栄えた商家、重要文化財の熊谷家住宅や、町並を散策した。
 西性寺の経堂の白き壁に石州名工の鏝絵等を観賞した。
 又、羅漢寺で石窟の五百羅漢を参拝する。いやに肋骨が露なのに心が痛んだ。
 大田市の馬路には銀の積み出し港である鞆ヶ浦で船の係留用の綱を結んだ自然の岩盤をくり抜いた「鼻ぐり岩」等を見ることが出来た。
 “舟虫の鼻ぐり岩に見失なふ”  伊都美
 七月六日(日曜)
 先ず松江城へ直行する。蹴上げが結構きつい、天守閣へ辿り着いた時の大パノラマ、寝釈迦岳の連山や遠く大山まで見える景色や、薫風を総身に受けて素晴らしかった。
 八雲旧居を見学、遺品のあの細くて高い机と椅子、思わずその椅子に坐ってしまった。
 城下町堀川巡りをする。何度となく橋を潜るので、その都度低姿勢になるのだ。
 “聞き惚れし船頭の歌水カンナ”  伊都美
 “石あらば亀甲羅干し船遊”  伊都美
 七月七日(月曜)
 天倫寺へ、一都師のあの有名な「初明り大宍道湖を展べんとす」の句碑にまみえる事が出来大変感激した。
 月照寺は松江藩の九代にわたる藩主の菩提寺でありそれぞれのお墓(五輪塔)を拝し、雷電(江戸時代の名力士)の手形に手を合わせてみたり、寿蔵碑(大亀)の頭を撫でてみた。
 七月八日(火曜)
 午前中に代表選と披講と選評を受け、昼食後解散となった。
 帰路の途次一畑薬師に参拝する。その磴は険しく、ただもくもくと登る。老鴬に励まされたり、蛇との出逢いに絶叫してしまったり。
 “サングラス一畑薬師詣でけり”  伊都美
 “蛇落下薬師の磴をのぼる時”  伊都美
 家路に着き、神集う出雲の国のまほろばを思い起こし、五感で得たものを俳句の糧としたいと思う。
 三泊四日中、晴天に恵まれ、大会がかくも大成功で終了出来た事をとてもうれしく思う。
 最後になりましたが、諸先生並びに大会役員の皆々様に厚く御礼申し上げます。


白魚火松江全国大会参加記
(群馬)坂本清實
 私は全国大会に初めて参加する機会が得られ、喜びと同時に一抹の不安はあったが、先輩方のご助言で意を決して参加が実現した。
 七月六日(日)松江市の『ホテル一畑』に十時過ぎ到着。同行十三名はホテルに荷物を預け俳句吟行へ。私は月照寺探訪組に参加。
 広大な境内に立派な藩主廟六基、その周囲の燈籠の莫大な数に驚く。廟前の池を滑べる様に泳ぐ蛇が参拝者の目を奪った。
 全山の緑鎮めて藩主廟  篠原庄治
 奥にある大亀の上に建つ碑を気忙しく眺め境内中の茶室に入り緑風に心を静かに茶を戴く。
 生菓子は路芝てふ夏座敷  鈴木百合子
 次に聳え建つ松江城へ向かった。暑い日の中仁尾主宰にお逢い出来、城をバックに写真を撮らせて戴いた。城下の食堂で好み食を取る。
 次に小泉八雲記念館と八雲旧居の見学をした。八雲氏の人柄とその生活振りが偲ばれた。特に土蔵の雨除けの工夫に感心させられた。
 花擬宝珠八雲旧居に夫人の間  福島ふさ子
 初日の出句時刻が迫り皆急いでホテルへ戻り出句に励み、漸く提出することができた。
 十六時より総会、十八時三十分より懇親会と慌しい時間を過ごしたが、同室の先輩の方々は、片時もメモ帳を離さず作句に励む姿に感心し、吾も頑張らなくてはと反省した。
 七月七日(月)晴 同室四人は早朝五時、ホテルを出発し、宍道湖嫁ヶ島とその周辺の様子を観察し、作句や写真撮影をした。散歩者に質問すると懇切丁寧に応対、昔の宍道湖は今の山裾迄広く、区割整備し散歩道を作りその水際に元の二地蔵を移転したこと。嫁ヶ島へは歩いて渡る事ができる事等説明してくれた。
 夏潮や裳裾を濡らす浜地蔵  荒井孝子
 六時近くから蜆舟が湖に出て賑わい始めた。
 蜆舟廻り別れのはじまりぬ  安食彰彦
 蜆舟が増えて来た頃ホテルに戻り、朝食、その後、自由吟行で天倫寺にある一都先師の句碑を見学、見事な句碑を暫し観賞し続けた。
 潮風のそびらに涼し先師句碑  飯塚比呂子
 次に堀川遊覧四十五分の体験をした。低い橋を潜る時、舟の屋根も乗客も腹這いで進む。
 乱れたる髪を手ぐしで舟遊び  篠原吾都美
 ホテルに戻り全員庭園に並び記念撮影をした。
 昼食後、式典となり会長挨拶後、各賞受賞者の表彰、群馬から同人賞に荒井孝子様、みづうみ賞に飯塚比呂子様が受賞され、誠に目出たく、大きな拍手でお祝い申し上げた。
 昨日投句の代表者選の披講が行われ、群馬会員が多く選ばれ、特に安食彰彦先生の特選一席に奥木温子さんが選ばれ一番立派な青銅のプロンズ像が授与され大きな拍手が贈られた。
 片陰よりはみだしてをり笑ひ声  奥木温子
 二日夜の懇親会にご当地の石見神楽の披露、四体の大蛇が絡まり迫力のある踊りに圧倒。
 夏神楽見てゐしわれも火を吐けり  仁尾正文
 第三日(火)代表選の披講が行われ立派な句が披露され、大変充実した大会に出席できたことに喜びと感謝の気持ちで大会は閉会となった。



紫陽花で学んだこと
(雲南)三上美知子
 七月六日、いよいよ松江大会の当日がやって参りました。私は陶山京子さんと二人で広島から来るバスに三刀屋で乗車、十時半過ぎに松江温泉駅に到着しました。ホテルに荷物を預け吟行へ。暑くなりそうでしたが、途中の景色も見たかったので徒歩で月照寺を目指しました。途中かっての外堀沿いの道となり並木の柳がとても美しく暑さも忘れる程です。片陰を拾いながら歩き三十分かけて到着しました。唐門を潜って「あっ」と思いました。瑞々しい紫陽花が鮮やかに咲き揃っているとばかり思っていたのですが、今年の紫陽花は花も葉も元気がないのです。何だか違う場所へきたようなきがしておりました。でも見渡せば吟行の方々がそれぞれ句帳を開いて真剣なまなざしで歩いていらっしゃいます。私達も気を取り直し汗を拭いて先ず初代藩主直政公の廟へ向かいました。廟門を潜ると鍵形に濠が設けられており、小さな姉妹がお父さんに抱っこされて石橋の上から濠のあめんぼうや亀を覗き込んだりしておりました。茶道で有名な不昧公の廟では墓前の敷石の、ある一点から城の天守閣が望めるとあってとても賑わっておりました。六代宗衍公の廟へは広々とした旧本堂跡地の横を通ります。(旧本堂は明治維新の時、廃仏毀釈の難にあい取り壊されました。)この廟には小泉八雲の怪談に出てくる巨大な石造りの亀が居り、夜な夜な蓮池へ水を飲みに行くとか。頭を撫でると長生きをするという事で八雲も撫でたであろう石亀の頭を私も撫でてみました。廟を辞し、紫陽花の間の敷石を辿って書院へ。たっぷりと打水され傍には夏椿が咲いておりました。時間が気になりましたが、書院でお茶を戴くことにしました。縁から庭園を拝見したり殿様が座られる上段の間を拝見してから緋毛氈の敷かれた茶席に着きました。名水で点てられたお茶はとても美味しく、お菓子の銘は「路芝」お茶銘は「上別儀」であるという事でした。
 ここは山陰のあじさい寺とも呼ばれる程ですが今年の紫陽花は、せっかく遠くから来て下さった方々に綺麗な花を見て頂けなくて島根県人としてとても残念でした。ところが後で配られた選者詠集を見てびっくり。
 紫陽花の名残りの色となりにけり  坂下昇子
とあり、あの紫陽花をこんな風に美しく詠めるなんて凄いと思いました。私は紫陽花をよく見もしないで通り過ぎてしまっていたのでした。初めから紫陽花を詠む事を諦めていたのでした。私は紫陽花で一句も詠めませんでしたが
 歩き出しさうな石亀夏木立  美知子
で星田先生の特選を頂く事が出来ました。いつも誌上で憧れている方々にもお逢い出来て夢のような楽しい三日間でした。
 お世話して下さいました皆様に心より感謝とお礼を申し上げます。


出雲大社のお守り
(士別)小林布佐子
 北海道の旭川白魚火会員と実桜会員はいつもの通り行動を共にし、合わせて十一名が大会に参加して楽しい充実の旅を終えた。私は出雲大社に格別な思いが残った。今回大会記を書く話がきたのも出雲の神様のご縁に思われて、ごく私的なことだが書かせていただきたいと思う。
 島根は白魚火発祥の地であるほかに、私が平成九年の五百号記念大会に新鋭賞を受賞しながら参加できなかったという思い出の地である。大会では、白魚火同人の父・渡辺唯士が私の代理として賞状を受け取ってくれたのだった。仁尾主宰はその事情を了解してくださったが、今もほろ苦い思い出である。
 さて、生まれて初めて島根へ行く私は、是非とも出雲大社を訪れたいと思っていた。それは二十年ほど前に三十四歳という若さで他界した、私の親友の思い出につながっている。彼女が亡くなる数ヶ月前の最後の旅先が出雲大社だったのだ。病気の彼女がどんな思いで大社に向かい、大社を見上げたのか、いつか追体験したいとひとり胸に秘めていた。「とにかく大きいのよ」と言っていた。
 また縁とは不思議なもので、今大会の懇親会でたまたま隣席になったのが、島根の岡あさ乃さん。何と出雲大社のすぐ近くに住んでいらっしゃるという。大社の大きさ、平成の大遷宮で正装して中をご覧になったことなどを聞き、親しく話させていただいた。とても気さくな方で、うれしかった。あさ乃さんありがとうございました。そして主宰の特選第一位おめでとうございます。
 次の日、一畑電車にゴトゴト揺られ、出雲大社駅に降り立った。町中が大社の雰囲気をもっている気がした。拝殿までの長く長く、真っ直ぐな参道をゆったりと踏みしめて、大きな社殿へたどりつく。荘厳という言葉そのもの。さらに奥へ進んでいくと彰古館があった。入ってみて何百という大黒様が並んでいるのに圧倒された。大黒様だから全部が笑っている。どれもこれもが豊かな笑顔だ。「あなたもこれを見たの?」と友に語りかけ、救われる思いがした。これで夢が叶った。
 それからおみくじやお札、お守りがずらりと並ぶ御守所を何気なく歩いていてハッとした。真っ赤な獅子頭のお守りが目に飛び込んできたのだ。「これ、家にある!」と思った。たしか父からもらった。うっかりしていたが平成九年の大会のあと、亡き父もここへ来ていたことになる。親不孝者だった私はあのとき父からじっくり島根の話を聞こうともしなかった。父はいろいろ話したかったのではなかったか。このお守りを私に買うときの心境は…。胸がチクンと痛んだ。そして私もこのお守りを買って帰ろうかとさんざん迷った末、やめた。やっぱりたった一つの方がいいと思った。
 このような体験をプレゼントしてくださった大会関係者の皆さま、そして出雲の神様に心から感謝いたします。
 雲州の大黒様や合歓の花  布佐子



観光ガイドとスナップ撮り
(松江)梶川裕子
 大会前日の七月五日の夕方、仁尾主宰一行が濠川遊覧中との報が入り、大手前舟着場で待ち受ける。やがて上陸のところを、主宰に白魚火の旗を持って戴いて城濠を背に撮す。これが観光ガイド兼カメラマンの初仕事。
 浜松大会では、地元誌友の皆さんが諸方に立って案内して下さったが、当地では各係の担当で精一杯。というので観光ボランテアをしている私に唯一の役が当てられた。
 大会当日の六日は、早朝からプロのカメラマンの加納さんと歩くことになっている。紹介されるまでは、中年の小父さんを想像していたら、なんと爽やかな好青年である。早目に大手前に行ってみると、それらしい一行。後から声をかけると鶴見一石子先生グループ。
 そこへ又別の一団。城は八時半から開くので、皆さん早い。白魚火の旗をかざして迎えると、旭川の坂本タカ女先生たち。やあやあと挨拶を交し、日曜日には常駐の観光ボランテアにガイドを依頼。ここで加納カメラマンが、普通の観光客と吟行の俳人との区別がつくとの事で、別れて天守閣の方へ上ってもらう。
 頃合を見て月照寺へ。ここも尋ねられたら答えてほしいと、ガイド二人を依頼しておいた。中には雷電碑も、書院も気付かずに帰る人もあるので、藩主廟やヘルンの亀趺の他にも勧めて下さいと。書院は初めてという彼は、凄い凄いとプロ意識が騒いでいる。丁度、紫陽花も、睡蓮も咲いている。後から来る人も撮りたいが、まだ天倫寺が残っている。
 道案内をしながら一都句碑の前まで来ると、モデルがいるいる。時間的にも丁度句友が訪ねて来る頃。弁当忘れても傘忘れるな、という山陰の天気。予報を見ながら降らぬことを祈っていたが、余りにも炎暑である。
 予定通り午前中の三ヵ所を終え、私は午後の会場へ。もう受付も出句も始まっており、句稿整理の作業室を覗く。一同粛々とプリントされたのを組む作業。これは裏方の一番大事な作業。その様子を撮り、総会々場へ。
 あれ?総会も前夜祭にもプロカメラマンがいない。賑やかな宴たけなわの頃、度肝を抜く石見神楽の登場。四頭の大蛇に翁も媼も、そして出雲神楽では只佇っているだけの媛までが大蛇と闘う。熱演に須佐之男が舞台より落ちるというハプニングまであったが、大成功!
 二日目の七日、月曜日の朝は蜆舟が一斎に出漁する。松江の者には見慣れた景だが、八階の高さから見るのは格別。加納さんは朝六時頃から来るという。きっとどこかで蜆舟を撮っているのでは。今日も吟行地を歩く筈であったが、後期高令者の私には、炎暑の外歩きはもう体力的に無理。今日は彼に一任。
 この後、私には代表選という大仕事がある。諸先輩に混って素早く選句しなければならぬという重責。
 被講が始まり、特選三句の短冊をお渡しする。私にとっては初めての事なので、どなたが受けてくださるのか、緊張の数分。
 夜の懇親会には、又もやプロの姿が見えない。ネガとプリントは安食編集長に送るということであったが、頼まれて撮すけれど、これは誌上用。
 最終日の八日。特選の短冊をお渡ししてから、又撮影にかかる。そのうち、シャツターチャンスが一寸遅れる様になった。カメラも疲れたのか。最後の一枚を残しておいたのに、両手を下ろして立っている先生方しか写らなかったという体らくで終った。
 解散後、皆さんをお送りしていると「ガイドの方にお世話になりました。とても良かったとお伝え下さい」との言葉を戴いた。私にとって何より嬉しく、報われた一言であった。


大会の迫力、連帯の絆
(東広島)中山 仰
 「大会に是非出席しましょう。大会は普段の句会と比べられない何倍もの勉強になりますよ」という広島白魚火会の渡邊春枝代表や奥田積先生のお勧めもあって、家庭の事情で全日程は出席できなかったのですが、夫婦して大会二日目の月曜日の早朝東広島を発って松江に着きました。ホテルへ着くとちょうど皆さんが舟遊びに出る時でしたのでご一緒させていただいて、堀川を優雅な気持ちで探索、松江城を一周巡って楽しみました。船頭さんの正調安来節に心沿わせ、ゆったりとした川の流れに身も心も預けて酔いしれました。と同時に吟行をしてもその場でなかなか句にまとまらないもどかしさと焦り、良い意味の緊張感を味わうこともできました。その後は皆さんと別行動で、八雲記念館へ寄ってから大会へ合流しました。
 初めての大会出席でしたが、お勧めいただいた言葉のとおり、本当によい学びの場になりました。ジャンルは違ってもいろいろな研修に出させていただくと、ある種のイメージがわいてきて創作意欲が増し、勉強に参考になり、学習意欲が増すことがあります。大会の効用というのは、計り知れない力になることを肌で感じました。思い切って出席して良かったと、家内と帰りの道々確認したものです。二百三十名前後の同好の士が同じ場所で吟行し、その句を披露されること自体説明抜きに教えられるものがあります。ものの見方、味わいの深み、そしてそれをどのように表現するかの詠み方について、感心したり教えられたりします。また同じ場所にいて同じ物を観、触れてこのように表現できるのかということ、その作品が詠み上がるのに、どれほどの年月をかけての観察(写生)と努力があるのかなどということがその一句の背後からにじみ出てきます。また選者の方々の選句の仕方、特に仁尾正文主宰の選考理由を交えた講評は大きな参考になりました。選考基準の解説は納得の行くものであり、勉強になりました。このスタイルで永年白魚火を牽引して来られたという歴史的重みが生の力で迫ってきます。加えて仁尾主宰の俳句に対する生き方、臨み方、物の見方がそのまま彷彿とさせられて、その魅力に引き込まれました。
 大きな感動を得るこのような大会の背後には、周到な準備がなされているはずです。お世話をしてくださった島根の方々にありましては、当日はもちろん一年前からどれほどの努力をしてくださっていたことでしょうか。出句一覧がいち早く手元に配られる手際のよさ、懇親会では普通なら同じ地方の仲間か知り合いのテーブルに固まってしまいますが、席順がくじという工夫で島根の方々と同席を許され、また上川みゆき選者と隣席になり思いがけない楽しい会となりましたことを感謝致します。
 各地区で集まって句会を開いて白魚火誌に投句されていますが、同じ場所で読ませていただくとさらに思い入れが深くなります。本誌上で詠ませていただく以上に共感できるのです。実際に、多くの先輩方の句に感銘を受けました。帰って来てから、句を詠むときの無形の力となります。暫くするとまた独りよがりに戻ってしまうかもしれませんが、当座は、大きな心構えの変化と句の詠み方のようなものを教えられ心豊かにされましたことは貴重な財産です。俳句を夫婦で始めて一年を過ぎました。その私たちが、大会でそれぞれ一句づつ入選に選んでいただき感謝でした。良き思い出になりました。終わりになりましたが、白魚火のさらなる発展を望んでいます。



感謝と反省
(松江)西村松子
 大会前日、句会係の池田都瑠女さん、森山暢子さんと一緒に宍道湖の湖岸に出てみた。夕風に一叢の葦が吹かれ葉擦れの音が清清しく湖面を渡っていた。まるで幣に祓われているようであった。明日から三日間の大会が成功しますようにと心の中で祈った。あれから一週間ほど経って又同じ湖畔に佇ってみた。葦はあの日と同じように心地良い風を送り出している。足は自然にホテル一畑へと向かう。
 投句場所あたりから二階の作業室へ上ってみる。階段は二十五段あった。ガランとした部屋は細長く広々として、ここで二十名の係が句会の準備をしたのか、このあたりにコピー機五台が陣取っていたなあ、寺本会長と螺良さんの息の合った操作で八千四百枚もの紙を印刷してくれた仂き者のコピー機、十台程の長机を臨機応変に並べ替え作業し易くしたり、飲料水コーナーを作ったり、二百三十名分の作品集を黙々と作ったなあとしばし感慨にふける。
 松島大会では奥田積さんと星田一草さんの指導通りにお手伝いしておれば良かったが、今回はお二人共選者となられ私達だけで準備する事となった。心配だったのは短冊をどう調整して貼るかであった。作業の始まる少し前に奥田さんが様子を見に来て下さった。天の助けとばかりに調整方法を確認、BとCからはじめの十句をAとBの各最終ページに貼っておくやり方が良いとアドバイスして頂く。だがここで私は大きなミスをしてしまった。不足分の十句をBとCに渡す時逆に渡してしまったようだ。従って同じ人の作品が二十句の中に二句だぶってしまった。何という取り返しのつかないことをしたのだろうか。今一つは五嶋休光さんの一句を前の句稿に貼ってあげられなかった点である。私の心の奥にずっと澱のように残っている。誌上をお借りしてお詫びしたいと思う。
 それにしても句会係の皆さんは素晴らしい仕事ぶりで二日目の午前中の作業予定を、初日に終了させたほどの熱心さであった。色々なアクシデントがあっても誰もでアイディアを出し合い、知恵を仂かせて切り抜けることが出来た。強い絆を感じたのである。
 祝賀会では松江白魚火が歓迎の気持をこめて隠岐民謡「キンニャモニャ」を踊った。福村ミサ子さんの音頭取りで、法被。杓文字は暢子さん、鉢巻は洋裁の得意なみづえさんと準備を進め、暑い最中何回も熱心に練習に励んだ。会場で希世さんが「貴女が上で踊らんと誰も解らないよ!!」と言われ、咄嗟に舞台に上って踊っていた。皆さんが輪になって踊って下さった時、熱いものがこみあげてきた。句会係で親しくなった螺良さんが、お別れの日ロビーでキンニャモニャを踊ってみせて下さったのがとても嬉しく印象に残っている。
 白魚火発祥の地松江での全国大会、お陰様で盛会裡に終り心より感謝している。
 城下町・水郷の町「松江」
 白魚火全国大会参加記



城下町・水郷の町「松江」
 白魚火全国大会参加記
(札幌)浅野数方
七月五日(土)
 北海道洞爺湖サミット開催準備の慌ただしい千歳空港を出発した。津矢子・美木子・布佐子・数方は白魚火全国大会参加は八回目となる。毎年、飛行機の中でもバスの中でも時間と場所があれば、俳句俳句と俳句三昧の大会旅行。今年はどんなことになるやら…。
 掬ひたし翼の下の夏の雲  休光
 羽田空港でタカ女先生他旭川白魚火の参加者と合流して一路出雲空港へひとっ飛び!神の国は青田風が吹き、八岐大蛇のお出迎えを受けた。遠霞の嶺嶺の碧く優しい神の国出雲へ降り立った事を実感した。
 青田中出雲の土に降り立ちし  美木子
 嫁が島を浮かせた宍道湖から潮の香り、ホテルの垣根からはくちなしの花の香りが漂い、四泊五日の旅を歓迎してくれた。
 早速宍道湖の渚に手を沈めてから、松江の味探訪…
 床の間に枇杷の実が生けてある味処「にしき」で夕食。旅の疲れも忘れて「すもうあしこし」の言葉で受け継がれている宍道湖の七珍(すずき・もろげえび・うなぎ・あまさぎ・しじみ・こい・しらうお)に舌鼓。美味しかったと、お腹を突きだしては居られず句会。
 料亭の天井障子灯取虫  タカ女
七月六日(日)
 朝食はゆったりと頂き、松江城へ直行。観光ボランティアの方に案内をお願いして出発!野面積みとも牛蒡積みとも言われる石垣に目を移しながら、なんじゃもんじゃの木にご挨拶をして天守閣に踏み入った。一つ一つゆっくり見ることが出来なかったが、石垣に近づく敵に石を落とす「石落とし」使い込まれた「桐の階段」六階まで上り、宍道湖から吹いてくる涼しい風に吹かれて降りてきた。
 汗拭ひなんじやもんじやの木を仰ぐ  紀子
 水甕の蓋開けてあり炎天下  敬子
 稲荷橋から新橋を渡り
小泉八雲記念館
 ねぢり花奥方の間の箱枕  布佐子
 美しき八雲の家系沙羅の花  津矢子
 十六才で左目を失明したパトリック・ラフカディオ・ハーンの生涯に少し触れてきた。
 道路百選に選ばれた、内堀と平行する塩見縄手通りを歩き中級藩士の面影を拾いながら武家屋敷に入る。
 中級武士の屋敷は質素とあるが、現在の中級意識階級と比べてみた(比べること自体間違いか?苦しいのは同じか?)失礼!
屋形船で堀川巡り
 歴史ある堀川の個性的な橋を何度も身を屈めながら潜り、松江の街並みを眺めてきた。女船頭さんの舟唄と案内に暑さを忘れての四十分間でした。
 出雲をんなの堀川舟唄夏柳  タカ女
 だんだんね女船頭花カンナ  靖子
 昼食は、観光ボランティアさんのお薦めの一色庵で割子蕎麦を食べた。美味しかった〜
≪白魚火全国大会≫
 島根の皆さんの優しい笑顔で迎えられ、名札を首から吊して大会が始まった。
 ホテルの部屋に荷物を下ろして、早速投句準備。三句完成させるのに、部屋は寡黙となり、緊張感が充満だ。何とか揃って投句。後は野となれ山となれ??
 白魚火総会も歓迎のご挨拶から始まり、白魚火の経過報告や展望・会計報告など滞りなく終了した。
懇親会
 出雲の伝説にある八岐大蛇の夏神楽が、舞台狭しと大蛇四体が火を噴きながら暴れ回り、参加者一同舞台に釘付けになった。
 また、来年度大会を引き受ける北海道函館の皆さんが「きよしのソーラン節」を元気いっぱい唄って踊って次回開催地のパワーを発散していた。
 夏神楽舞台狭しと大蛇舞ふ  美木子
七月七日(月)
 晴れきった宍道湖に蜆舟が花のように浮いていた。鷺も川鵜も湖面すれすれに飛び暑さを凌いでいるようだった。
天倫寺
 到着すると青嵐が巻き上がった。宍道湖を背に西本一都先生の「初明かり大宍道湖を展べんとす」の句碑がどっかりと座っていた。そこに碧色を持つ黒揚羽が飛び回りまるで一都先生の化身かと…沢山の大樹に守られた句碑をみんなで囲み、頬寄せて分かれた。
月照寺
 あじさい寺との別名があり、紫陽花が三万本を越えるという。七代藩主治郷の廟門の透かし彫りに目を凝らし、親孝行だった治郷公のお墓にお参りをして、振り返ると松江城が遠くに見えた。暑い日差しの中各代藩主の墓を巡り月照寺の大亀(寿蔵碑)を撫でてきた。長生きできるそうだ…シメシメ…
 本堂の縁側でお抹茶と静かな刻を頂いた。
 滴りやのんど反らせて石の亀さつき
 ホテルに帰って記念撮影。拾ってきた句材をまとめて三句を投句。これで俳句作りは終了。肩の荷が下りた。
式典
 吟行から汗だくで帰ってきたのだが、そこは美しい三人。変身変身変身〜素敵なドレスを身に纏い授賞式に…
 おめでとう〜〜
  白魚火賞  西田美木子
  みづうみ賞秀作  小林布佐子
  新鋭賞  小林さつき
 大きな拍手でお祝いをした。
代表選
加茂都紀女先生 特選
 伯耆富士はるかに天守閣涼し美木子
笠原沢江先生  特選
 宍道湖の浅き眠りや朝の凪  津矢子
鶴見一石子先生 特選
 戦はぬ城も城なり花柘榴  津矢子
関口都亦江先生 特選
 「いきましよか〜」涼しき出雲言葉かな  津矢子
三島玉絵先生  特選
 夕暮れの割烹通り枇杷熟るる  布佐子
懇親会
 さぁ〜〜この夜は紀子・布佐子コンビで考えた「ふるさと」を歌(美木子さん)と手話(布佐子さん)で演じる出し物披露だ。他の皆は持ち寄った浴衣を短く着て、ほっぺを紅くして髪を縛ってさぁ〜子供になって出番。仁尾主宰からおひねりを頂いた。成功成功〜
七月八日(火)
 代表選の結果発表までの時間を二台のタクシーに乗って吟行に…
八重垣神社
 神話「八岐大蛇」で、大蛇を退治した素盞嗚尊(すさのおのみこと)と稲田姫(いなたひめ)がここに新居を構えたことから、縁結びの神社として知られている。稲田姫が自分の姿を映したといわれる「鏡の池」に私達も姿を映してきた。
神魂(かもす)神社
 伊弉冉尊(いざなみのみこと)を主祭神とする古社で現存する大社造りの社殿のうち最も古く、国宝に指定されている。青蜥蝪を従えて?男坂を上って女坂を下りてきた。結界を越えたような古代の空気を吸ってきた。
代表選
坂本タカ女先生 特選
 青嵐や巨いなる師の句碑の前  津矢子
水鳥川弘宇先生 特選
 みづうみの闇ゆたかなり星祭  布佐子
武永江邨先生  特選
 宍道湖の夏どつかりと先師の碑  数方
坂本タカ女先生 特選
 手を突いて昇る天守閣大暑  数方
 主宰より選評を頂き、万歳三唱をもって白魚火発祥の地での全国大会を終えた。
 島根の皆さんに手厚いおもてなしを受けて感謝感謝の大会でした。
 楽しい時を有り難うございました。
 昼食もそこそこに一畑電車に乗って出雲大社に出発。途中には雲州平田駅があり、前主宰荒木古川先生を偲んだ。
 平成の大遷宮を終えての御仮殿に二拝四拍一礼の参拝をした。大きな松の木に誘われながら参道を戻り電車で松江しんじ湖温泉まで到着。丁度宍道湖に夕日が落ちる時間だったので、夕日スポットへ直行。ゆっくり宍道湖の夕日を堪能してきた。
 夕食は、タクシーの運転手さんお薦めの居酒屋で地元の食材を堪能。安くて美味しくて満足満足。
七月九日(水)
 いよいよ松江最終日。宍道湖に別れを告げに湖畔まで下り、朝の爽やかな風を纏ってきた。
 四泊五日の時間はあっという間に過ぎ去り、松江しんじ湖温泉駅の傍らにある「足湯」に皆で足を遊ばせて空港行きのバスに乗った。羽田空港で旭川組札幌組と分かれて、白魚火全国大会終了となった。
参加者: 美木子・津矢子・布佐子・数方・タカ女先生・休光・敬子・靖子・紀子・さつき(敬称略)

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