最終更新日(updated) 2009.01.31

平成17年度平成17年度 白魚火賞、新鋭賞   
           
      -平成20年2月号より転載
 白魚火賞は、前年度一年間(平成19年暦年)の白魚火誌の白魚火集(同人、誌友が投句可)において優秀な成績を収めた作者に、同人賞は白光集(同人のみ投句可)の中で同じく優秀な成績を収めた作者に授与されるものです。また、新鋭賞は会員歴が浅い55歳以下の新進気鋭作家のうち成績優秀者に授与されるものです。
選考は"白魚火"幹部数名によってなされます。   

 発表

平成20年度「白魚火賞」・「同人賞」・「新鋭賞」発表

  平成19年度の成績等を総合して次の方々に決定します。
  今後一層の活躍を祈ります
              平成20年1月  主宰  仁尾正文

白魚火賞
 清水和子
 西田美木子


同人賞
 荒井孝子 

新鋭賞
 小林さつき
 林 浩世


(あいうえお順)

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 白魚火賞作品

 清水和子      

 
折紙
酒米の田と標あり若菜摘む
満開のまんさく紅き芯持てり
訪へば抱かれに来る子雛祭
鮎の子の群翻るとき光る
春深し蕎麦屋に僧と隣り合ふ
伊那谷の低きに雲や梨の花
梅花藻や家まで五歩の橋かかり
立葵咲かせて山の駐在所
涼風の自在に通ふ多賀城碑
青葉光緋牡丹の絵の武者隠し
折紙を買ひ足しておく夏休み
冷房の適温夫と異なりて
背の伸びて丸坊主なり新学期
衣被恙なしとはいへずなり
流鏑馬の馬場に杭打つ秋日和
秋草やパラグライダーふはと浮き
桜紅葉銀杏黄葉と散り競ふ
関ヶ原行きも帰りも時雨けり
牡蠣粗朶の杭千本に日を集め
数へ日の街行く常の日のやうに 


 西田美木子         

   リラの風
春の日の命輝く鮭の稚魚
足跡の犬鹿狐木の根明く
陽を浴びてまどろんでゐる猫柳
せせらぎを逆上りゆくリラの風
石狩川の支流の支流柳絮とぶ
初夏の山ふところのふきのたう
山清水行きも帰りも手を浸し
夏潮のうねりをかはす牡蠣筏
靴音の籠る参道白四葩
綿菅のうなづき合うて照り合うて
月食の月上がりけり牛の牧
夕風や邯鄲の声途切れなく
輝うて映るもの無き秋湖かな
誰の手も届かぬ高さ山葡萄
月明りいな雪明り目覚めけり
街路樹の昼と夜のかほ冬銀河
黒豹の紋見え隠れ冬日向
見上ぐれば吸ひ込まれさ

 -白魚火賞受賞の言葉、祝いの言葉-

<受賞のことば>清水和子       

 十一月二十三日、うれしいことが重なりました。五年十ヶ月ぶりに末の息子が赴任先から戻りました。その帰宅を待っている時に思いがけず白魚火賞の連絡を戴きました。しかし、電話を切ってから本当に私がいただいてよいのかと心配が募りました。
 私が俳句を始めたのは昭和五十六年でした。好きで始めたとはいえ子育ての最中で勉強らしい勉強もせず、当時参加していた結社主宰の熱心なご指導をあまり理解できなかった事を、今更のように惜しいことをしたと感じていました。
 平成九年末、勤めていた会社を退社し時間的余裕ができたので、前々から考えていた俳句を基礎から学び直そうと市内のカルチャースクールを探しました。丁度、仁尾先生のお句を拝見する機会があり是非先生の元で学びたいと思い、平成十年四月、社会保険センター浜松の俳句講座「円坐B」へ入会しました。そんな折でしたから、句会での先生のことばの一つ一つが心に響き、私なりに多くのことを学ばせていただきました。
 その後、円坐Cに移り、俳句だけでなく人生すべてについて勉強させていただいております。
 この度の受賞につきましては、ご指導いただいた仁尾主宰はじめ、諸先生方、浜松白魚火の皆様方、一緒に学んでいる円坐Cの皆様に感謝し御礼を申し上げます。本当にありがとうございました。

  経歴
本  名 清水和子
生    年 昭和十六年
住  所 静岡県浜松市東区
家  族 夫
俳  歴
 昭和五十六年
       俳誌「みづうみ」入会
 平成九年度 「みづうみ優秀俳句賞 天位」受賞
 平成十年  白魚火入会
 平成十五年 「みづうみ」退会
 平成十五年 社会保険センター浜松
       俳句講座副講師
 平成十七年 白魚火同人
 平成十七年 みづうみ賞秀作賞
 平成十八年 みづうみ賞佳作
 俳人協会会員 静岡県俳句協会理事

〈清水和子さんの横顔〉   三井欽四郎

  清水和子さん白魚火賞受賞おめでとうございます。
 和子さんとは平成十五年十月、俳句講座円坐Cの副講師として見えられてからのご縁で、今回の受賞は円坐Cの一員としてとても誇らしく、喜びの気持ちを述べさせていただきます。
 ちなみに円坐Cは、浜松の社会保険センターで仁尾主宰が指導される三つの俳句講座の一つで、最も新しい教室です。和子さんは、ご多忙な主宰に講義に専念していただくよう、講座の運営に関わる一切を取り仕切っておられます。句作りについての折に触れて適切なアドバイスや、何よりもそのやさしいお人柄と気配りで教室を楽しい場にしていただいております。
 その上、円坐A・Bの講座や、近隣の白魚火句会との交流にも力を尽くされて、教室を離れた場での勉強も勧めていただいております。おかげで私たちも、数々の吟行会や、交流句会など、新しい句作りの場を経験させていただきました。
 和子さんご自身、浜松白魚火役員のほか俳人協会会員、静岡県俳句協会理事として幅広い活動の場をお持ちです。
 和子さんは平成十年に円坐Bに入られて、白魚火に入会されましたが、それ以前にも「みづうみ」という結社の同人として、年間優秀賞「天位」を受賞されておられます。
 白魚火に入会後の、とくに円坐Cに移られてからは、白魚火集の巻頭を飾られたり、みづうみ賞の秀作賞受賞などのご活躍を目の当たりに、いささか羨望の気持ちで見てまいりました。平成十九年八月巻頭の
  梅花藻や家まで五歩の橋かかり
は、私もご一緒した醒ヶ井吟行の折の作品と懐かしく拝見しました。
 和子さんはまた白魚火誌以外の場でも、俳人協会俳句大会など数々の入賞を重ねておられます。最近では平成十九年度宮若全国俳句大会で、
  時雨去りうねり始めし琵琶湖かな
の句が金子兜太先生の選を得られたのが記憶に新しいところです。
 このように俳句の世界で多彩な活躍をされている和子さんですが、月々の講座で拝見するお句のなかには、ご家族のなかの主婦としての和子さんが垣間見られることもしばしばです。
  十若く見ゆる夏帽旅に買ふ
 そんな帽子はなくても充分にお若い和子さんに、
  餠花や嫁にまかせし鍋奉行
  水温む仮名読める子に書く手紙
  手花火や明日は去る子と残る子と
とお嫁さんやお孫さんが現れる意外さ、
  そつけなく赴任の息子冬深む
  梅ふふむまだおぼつかぬ父の試歩
に見られるご家族への愛情、そして
  父母よりも夫とが長し草の花
  夫すでに戻りてをりぬ朧月
の睦まじさ、などなど楽しく拝見いたしております。
 ご紹介とても意を尽くせませんが、円坐Cでは昨年の杉浦千恵さんの新鋭賞受賞に続いての慶事、とても喜ばしく、励みになります。
 清水和子さん改めてお祝い申し上げます。

  〈受賞のことば〉   西田美木子         

  白魚火受賞のお知らせを頂いたのは、私が平成十八年四月から週一回通っている、NHK文化センターの「シャンソン教室」十周年記念コンサートが無事終り、ほっと一息、皆で楽しく打上げをして帰宅した時でした。
 留守電に安食編集長からのお知らせがありましたので慌ててお電話致しました。余りの良い事続きに興奮気味で側に居た夫に報告、すぐに実桜句会発足当初からの仲間、数方さん津矢子さんに、勿論野歩女さん香都子さんにもお電話をしてしまいました。
 昭和五十九年、藤川碧魚先生にご指導頂いて始まった郵便句会「実桜」。その後五回の夫の転勤や子育てで休みがちな事も有りましたが、やめずに続けて来られたのは郵便での句会という形だったからこそ、と思います。顔を合わせての句会とは違いますが、お便りで励まし合いながら一歩一歩前進して来た様に思います。先生亡き後は、香都子さん、野歩女さんが添削・指導をして下さいました。お二人は今も新入会員の方々に親切丁寧な添削をしていらっしゃいます。今は札幌中心に月一度の吟行句会も出来、より絆は強くなって毎年の全国大会への参加も楽しみです。
 又、新年句会、全国大会の折には仲間に加えて下さる旭川白魚火会の皆様にも大変感謝して居ります。毎月の選を通じて励まして下さる仁尾主宰、諸先生方、編集部の皆様にも御礼申し上げます。今後共御指導賜ります様お願い申し上げます。有難うございました。

  経歴
本  名 西田美紀子
生    年 昭和二十四年
住  所 北海道江別市
家  族 夫と二人
俳  歴
 昭和五十九年 実桜句会入会
        白魚火入会
 昭和六十一年 白魚火同人
 昭和六十二年 白魚火新鋭賞
 平成十五年  俳人協会会員

〈歩く植物図鑑―西田美木子さんを語る〉  金田野歩女

 「白魚火」という大きな幹に連なる北海道の小さな俳句勉強グループ「実桜句会」は平成十九年十二月をもって二七八号を迎えました。真面目に休まずお互いに励まし合いつつここまで来ましたが、草創期からの句友である美木子さんが、平成二十年度の白魚火賞を頂くという。嬉しくて嬉しくて体が浮き上りそうです。仲間からの祝福も聞こえてきます。
 何でも言い合える信頼関係とあって、集まると直ぐに賑やかな雰囲気になる仲間、そんな中でも美木子さんは控え目です。でも発言すべき所では自説を主張するしっかり者。それに心優しい女性です。
 月一回の吟行会には一人分ずつ小分けにされた袋を皆に配って下さり、その中にはのど飴、チョコレート、また以前吟行した事のある空知管内栗山町の老舗菓子製造所の「一口きびだんご」(北海道では結構有名。「白い恋人」程の知名度ではありませんが)も入っていたり、温かい心配りで吟行会を盛り立ててくれます。
 又植物にはとっても詳しく、山野草は勿論のこと舌を噛みそうな外来種の花の名もすらすらと出てきます。嫁がれたお嬢さんに「花の名前が出てこなくなったら、お母さんの老化の始まりだね。」と言われたそうですが、それは何十年も先の事でしょう。
 吟行していてあまり見掛けない草花を、何だろうと図鑑をめくってそれでも探せなくて困った時は「美木子さあ~ん。」とお呼びすれば立ち所に解決です。正に歩く植物図鑑!!
 昨年四月仁尾主宰、安食副主宰のご指導を仰いで「北海道吟行会」を開きましたが、その折も北海道大学構内の正門近くに咲いていた可憐な花を「何ていう花だろうね。」と皆で首をひねっておりました。そこで「美木子さあ~ん。」ちゃんと答が帰って来ました。『チオノドクサ』後日図鑑を調べましたが、私の持っている三冊では探す事が出来ませんでした。
 また自宅近くの森林公園をご主人と散策中に見つけたという『銀竜草』別名『幽霊茸』と言われる葉緑素を持たない珍しい植物にみんなを案内して見せて下さったり、挙げればきりがありません。
 自然への敬愛の情はそのまゝ俳句にあらわれ滋味深い美木子俳句になります。
 草花のカタログ広げ雨水かな
 陽を浴びてまどろんでゐる猫柳
 時々は鰭を休めて金魚草
 見詰むれば溶けてゆきさう銀竜草
 海鳴りをかすかに聞いて珊瑚草
         (平成十九年「白魚火」誌より)
 寄り道に寄り道をして黄木蓮
 玫瑰のくれなひの濃き終の花
 柚子ひとつ楽しんでゐる朝湯かな
         (合同句集「実桜」より)
 この受賞をきっかけに、なお一層味わいのある句に飛躍してくれるでしょう。美木子さん白魚火賞受賞おめでとうございます。


同人賞

 荒井孝子

 湖  霧
初笑卒寿の父母の一と間より
浅間噴くお籠堂の初燈
梅固し叱られたくて先師訪ふ
春立つや扉開きし文庫蔵
花終へし東京の空ゆるびけり
松蝉の刹那の命降りかぶる
ままごとも姉は姉役さくらんぼ
琴座の弦ぴんと張りたる晩夏かな
みちのくの空の深さよ夏燕
霧こめて戦場ヶ原漂へり
窯出しの壺の息づく良夜かな
もろこし焼く浅間千里の風の中
石のごと釣人を置く湖の秋
湖霧や胸の奥までひた濡れて
沼暮れて浅沙に風の立ちにけり
かなかなや只静かなり吾子の墓
新涼の畳に琴の立てありぬ
かんざしの音こまやかに七五三
新しき墓に日の射す冬すみれ
終電車大寒の町走りけり

 -同人賞受賞の言葉、祝いの言葉-
<受賞のことば>   荒井孝子         

 十一月も終ろうとしていた小春日和の午後白魚火社の安食副主宰から突然の電話をいただき、新設された第一回同人賞決定との思いがけない知らせに大へん恐縮しております。主宰並びに同人集選者の白岩敏秀先生の推薦による受賞とのお話でした。身に余る賞を頂戴し厚く御礼を申し上げます。
 泉下の吾亦紅先生、そして息子もきっと喜んでくれていると思います。
 思えば二十三年前、趣味のひとつと考えて軽い気持で始めた俳句でした。この間一度の欠詠こそありませんでしたが、仕事や雑用に追われる日々で中々熱が入らず、先師をやきもきさせていたに違いありません。指導を受けた言葉のひとつひとつを心の糧として今後の俳句の道に精進したいと思っております。これまでご指導下さった先生方、いつもエールを送って下さる全国の誌友の方々、そして暖かい励ましとご指導をいただいている萠尖会長はじめ群馬白魚火の皆様へ深謝申し上げます。長い年月喜びも悲しみも分かち合ってきた矢倉句会のお仲間と共に、今後も白魚火の発展のために力を尽くしてゆきたいと思います。有難うございました。

  経歴
住  所 群馬県吾妻郡
生    年 昭和十七年
俳  歴
 昭和五十九年  白魚火入会
 昭和六十三年度 新鋭賞受賞
 平成元年    白魚火同人
 平成八年    みづうみ賞秀作
 平成九年    みづうみ賞秀作
 平成十年    みづうみ賞秀作
 平成十一年   みづうみ賞秀作
 平成十二年   みづうみ賞秀作
 平成十六年   みづうみ賞佳作
 平成十七年   みづうみ賞 

  <荒井孝子さんの同人賞受賞を讃えて>   田村萠尖
     
 十一月二十三日勤労感謝の日、しかも大安という佳い日の午後、荒井孝子さんから、白魚火社の安食先生から第一回同人賞に選ばれましたよとの連絡がありましたと、口早に電話が入りました。
 耳馴れない賞なので聞き返すと、白魚火同人白光集投稿者の中から、年間の優秀作家に贈られる賞であるとのことでした。
 その第一回の同人賞に孝子さんが決まったと言う誠におめでたいことで、心からお祝いを申しあげます。
 孝子さんは、昭和五十九年白魚火に入会、六十三年度新鋭賞、平成元年に同人に推挙されています。
 その後の誌友活動の中で特筆されるのは、平成八年に地元吾妻町(現在は東吾妻町)岩島地区の特産品麻づくりの実態に強くひかれ、みづうみ賞応募作品に体当りで取り組み、足しげく現地を訪れみごと秀作賞を受けられました。それ以来十一年まで四年間連続して麻作品に挑戦し、毎年秀作賞の栄に輝いています。
 こうした連続受賞を通じて感じられることは、麻の里にかけた情熱と、旺盛な探究心、加えてそのねばり強さに対して、私どもも見習わねばならない点があるとの思いを深くした次第です。
 今回受賞の対象となつた平成十九年の白光集の作品をあらためて見てみると、五句入選が七回、そのうち準巻頭が三回あり、しかも次の二句が選後評に採りあげられています。
 初笑卒寿の父母の一と間より
 湖霧や胸の奥までひた濡れて
 先師西本一都の教えられた足もて作る俳句も入選作品の中樞を占めて多く見られ、臨場感を深くしてくれる作品をいくつか挙げてみます。
 馬返坂や秋日の転がり来
 凍湖の風の足跡残しけり
 新宿の初雪の舞ふ弥生かな
 百体の地蔵百基の風車
 老鶯となりて皇居の森に棲む
 老鶯の声も祓はれ氷室祭
 もろこし焼く浅間千里の風の中
 おわら踊り水の流れのごとゆけり
 冒頭の馬返坂の句は、平成十八年日光市での栃木、群馬両県支部合同吟行句会で訪れた折のいろは坂での作品と思われ、同行の一人としてなつかしく思い出される作品です。
 新しき墓に日の射す冬すみれ
 冬日射す一と間に残る子の匂ひ
 瞑想の吾子その中に座禅草
 かなかなや只静かなり吾子の墓
 平成十七年度みづうみ賞受賞の〝雪螢〟の一連の作は、亡くなられた息子さんへの鎮魂の句であったが、白光集掲出の句に接すると今なお折りにふれては故人を偲び、時には人知れず涙する母としての俳人孝子の姿を強く印象づけてくれました。
 ああも書こう、こうも書きたいと迷っているうちに、お祝いの言葉も満足述べられないまま終りになってしまいそうです。
 同人賞受賞の栄は永くのこるものなのです。後になってはもう戴けない第一回の受賞なのです。
 本当によかったですね。おめでとうございました。      

   新鋭賞 
  小林さつき

  西行忌
もう少し大きくなりたいごまめかな
病院の二十四時間凍て返る
立春や地球は青き水の球
春の風邪わがままを言ふ少し言ふ
手作りのパンとチーズや牧開く
身の丈に合ふ花狂ひ西行忌
割り箸のきれいに割れて涼しかり
街眠りレモンのやうな夏の月
谺して伊那七谷の遠花火
金風や神住む山へ橋一つ
あんパンのずしりと重き豊の秋
年寄りの猫と見てゐる寝待月
落ち葉降る野辺の送りの列に降る
紅葉且つ散る方形の庫裏の庭
母の忌を修す山茶花開き初む

   林 浩世

  青  空
始まりの二人となりぬ年酒酌む
こはさないやうに蝋梅切りにけり
鎌倉の余寒と出会ふ旅となる
わすれな草少女の細きネックレス
春りんだう柔らかく膝折りにけり
クローバーの原とは夢を見るところ
卵白の固く泡立つ立夏かな
磐座に触れて蜥蜴の消えゆけり
夏暖簾どぜうと大書してありぬ
鉄橋を歩いて渡る雲の峰
台風のニュース刻々菜をきざむ
海を見てをりぬ色なき風の中
大薬缶提げて枯野をゆきにけり
マフラーをきつく姉川古戦場
霙のち青空父の忌を修す  

-新鋭賞受賞の言葉、祝いの言葉- 
   <受賞のことば> 小林さつき          

 感謝
 友人の高橋富士子さんに誘われて、雪の常磐公園の吟行について行ったのが俳句との出会いでした。初めてお目にかかった坂本タカ女先生のお人柄に惹かれ、あれよあれよという間に句会にも参加させていただくようになりました。
 それまで読むことは大好きでしたが、まさか自分が作る方に回るとは…。歳時記片手に悪戦苦闘、たった十七文字がどうしてこんなに難しいんでしょう。二言目には「私は俳句に向いてない気がする…。」と言いながら、句会も吟行も(そのあとの居酒屋さんも)楽しくて、今まで続けることができました。
 ここまで根気強く指導して下さったタカ女先生、句会の先輩方、本当にありがとうございました。そして、一緒に俳句を始めていつも慰め合い励まし合った峯子さんと紀子さんがいなかったら、ここまで来られなかったと思っています。ありがとう!
 たくさんの感謝を胸に、これからも俳句に向きあっていきたいと思います。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
  経歴
本  名 小林さつき(こばやし さつき)
生    年 昭和三十一年
住  所 北海道旭川市
俳  歴 平成十四年三月 白魚火入会
     平成十六年十月 白魚火同人 

   < 祝新鋭賞 小林さつきさん>    萩原峯子
 
 さつきさんが、平成十四年に入会してからもう五年が経っているのに、デビュー作をはっきりと思い出すことが出来ます。
 重心を低くし冬のけやき立つ
いきなり坂本タカ女先生の特選に選ばれて、印象的な句であったからです。
 知りたがり聞きたがり冬あたたかし
 もう少し大きくなりたいごまめかな
好奇心旺盛、研究熱心しかも努力家で、めきめきと上達して行きました。俳句を始めて三年目の、平成十七年には、北海道俳句協会の全道大会に於て、知事賞を受賞しました。
 鴎外のひげ漱石のひげ葛湯吹く
結社を越えた三九五名の中から最高の賞に選ばれたわけです。又、競詠部門でも次の句が三位に入選を果たしました。
 十薬や夫の使はぬ勝手口
白魚火会のみらず、北海道俳句協会からも一目置かれる存在となりました。
 さつきさんは、結婚を期に旭川の住民となりました。
 はるばると蝦夷に嫁ぐや業平忌
 しかうして梅なき里に住まひけり
 嫁して幾年杉菜の如き根を張りぬ
北海道にしっかりと根を張りつつもふる里長野への思いは深く、句の中にも多く詠まれています。
 ふる里は葱の匂ひのする所
 より高き信濃の空や木守柿
 谺して伊那七谷の遠花火
 籾焼きの匂ひや父の匂ひとも
 言はないが腕に覚えの蝗取り
「ふる里を遠く離れて、ふる里の良さがよくわかった」と言うさつきさん。愛する肉親の居る所であるからこそ、ふる里は特別な存在なのでしょう。所が、平成十八年に、最愛のお母さんがお亡くなりになりました。お母さんへの気持を、白魚火(十九年三月号)のこみちの頁に寄稿しているので、読まれた方は、深く胸を打たれた事と思います。お母さんから受け継いだ文学の素質と豊かな感性が相まって、心にしみ透る様な俳句が生まれるのだと思います。
 落ち葉降る野辺の送りの列に降る
 母の忌を修す山茶花開き初む
 この一つ母かと思ふ蛍飛ぶ
 母の手の大きさにして彼岸餅
家庭を守りながら教師の職をこなし、その上お父さんの介護のため長野へ足繁く通う此の頃です。超多忙な日々を過ごしながらも、決して手抜きせず俳句を作り続けて来ました。新鋭賞は、さつきさんの努力への賜物に違いありません。
 禍も福もてんこ盛りなり年の暮
色々あったこの一年を、うれしい事をもって締め括ることが出来、本当に良かったです。さつきさんの句の中で、私が一番好きな句を紹介して終わりにします。
 立春や地球は青き水の球

〈受賞のことば〉  林 浩世        

 この度は、新鋭賞をいただき、恐縮しております。
 俳歴だけは長く、昨年成人を迎えた息子がお腹にいるときからになります。胎動を感じたときより子供の成長記録のような句を作ってきました。これらの句は私にとって宝物だと思っております。
 子供も成長し、俳句と向き合ったとき、深く俳句と係わりたいと思いました。そんな折に、以前より惹かれていた「白魚火」に入会させていただきました。入会して気づいたのですが、偶然にも私と白魚火は生年月が一緒なのです。ご縁なのでしょうか。
 今は仁尾主宰の温かくも厳しい指導に接し、また円坐B句会の皆様の素敵な雰囲気の中で刺激を受け、のびのびと作句しています。出来ないと悩みつつ、俳句を好きな私でいられることに感謝しています。
 仁尾主宰、そして句友の皆様、今後ともよろしくお願いいたします。
  経歴
本  名 林 浩世(はやし ひろよ)
生    年 昭和三十年
住  所 静岡県浜松市東区
俳  歴 昭和六十一年 みづうみ入会
     平成九年   静岡県俳句協会新人賞入選
     平成十六年  白魚火入会
     平成十九年  白魚火同人 

<浩世さん新鋭賞おめでとうございます>   織田美智子
 
 林浩世さんは、平成十六年十月に、浜松社会保険センターの俳句講座に入ってこられた。
 講座での初出句に
 少年の庭に小鳥の来りけり
 指笛を吹く稔り田をざわめかせ
 秋灯をいくつも点し帰り待つ
等があり、瑞瑞しい感性の豊かな方が入ってこられた、と驚きながら、とても嬉しかったことを思い出す。浩世さんは、センター講座入会とほぼ同時に、白魚火にも入会され、平成十七年一月号に、前掲の「少年の庭に……」以下三句をもって、初登場をされた。
 浩世さんの俳句入門は、昭和六十一年に地元の俳句結社「みづうみ」に入会して始まった。当時、浩世さんはまだ結婚されたばかり。はじめてのお子さんを身籠っていた。
 百合の庭今朝胎動を感じをり
 胎動を感じつ犬と日向ぼこ
 等は、その頃の作品。その後も浩世さんは精進を続けられて、平成九年には、静岡県俳句協会新人賞を受賞。また浜松市が主催した薪能でも、平成九年から、十年、十三年と、立て続けに入賞を果して、センター講座に入られた平成十六年には、浜松市民文芸賞も受賞していた。
 センター講座での初出句が格調高く、洗練されていたのも宜なるかなであった。
 浩世さんが俳句を始めた頃に授ったお子さんも
 入園やひらがなの名を太く書く
 あれもこれも小さくなりて更衣
 トムソーヤーとなつて少年夏休み
 と健やかに成長され、成人式を迎えられた。
 始まりの二人となりぬ年酒酌む
 は、平成十九年四月号の「白魚火秀句」に採り上げられた作品。
 仁尾主宰は「始まりの二人は結婚した時の二人。子弟を社会人に育て上げ、今年の正月は都合で夫婦二人だけで過ごすことになった。心静かに二人で交す年酒もいい。長い後半生もこのような二人だけの暮しが続くという心構えは十分できているかのようだ。」とエールを送っておられる。その浩世さんのライフワークは考古学である。
 京都女子大史学科に在学中は、考古学研究会に所属して、長野県野辺山高原における遺跡の分布調査をし、卒業後は磐田市において御殿・二之宮遺跡の発掘調査を三年続けている。昭和五十二年から平成七年頃まで、京都文化博物館の鈴木忠司氏のもとで、石器のトレースの仕事をされ、その後はアラスカの石器のトレースもしておられた。
 また、考古学研究会のお仲間の方達と一緒に、野辺山の隣、川上村の遺跡を調査したものを『川上村村誌・先土器時代』として、平成四年に出版。遠隔地にばらばらに住んでいる主婦が作った研究書として評判になったという。浩世さんは現在も京都文化博物館の鈴木忠司氏やお仲間の方達と「礫群調理実験グループ」に所属し、旧石器時代の「石蒸し調理実験」を年に一回、伊場遺跡で行っている。
 すでに十年目とのこと。浩世さんの古代人への憧憬と、のびやかな俳句の感性とは、どこかで繋がっているのかもしれない。

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